若狭に想う
目次
平 和
九歳のタカオに聞く
うーん
せんそうのないこと
平和って なに
十四歳のユキコに聞く
うーん
いじめとかないこと
辞書に
平和って なにと聞く
おだやかにおさまること
と言う
平和って なに
陽だまりの
野良猫に聞く
寝たふりをしている
紅葉の木の切り口から
南天の木が生え
一メートルにも育って
付近の人たちを喜ばせています
大きく育ってくれるといいですね
ラジオはしゃべっている
私は半紙に
愛と書く
ささくれる
入江の小さな町で
ひとりの母さんが 彼岸へ旅だっていきました
大往生ではありません
ふたむかし前の 七夕の夜のこと
ちょっと出かけてくるよ
母さんの息子は笑顔で出かけていきました
軽トラックの助手席には
お嫁さんになるひとを乗せていました
それっきり
車だけが残されていたのです
お地蔵さま
その時 なにか見ませんでしたか
なにか 知りませんか
サーカスのひとに さらわれたのでしょうか
どこかのくにへ 連れていかれたのでしょうか
息子がどんな悪いことをしたのでしょう
その日から 母さんは
断崖に立つお地蔵さまに
想いのたけを話しました
仲良く一緒に暮らしていますか
ひと目でいいから会わせてくださいと祈りました
彼岸へ旅だってしまった 今も
波のまにまに
その時 なにか見ませんでしたか
なにか 知りませんか
母さんの声がただよっているのです
どなたか なにか少しでも ご存じではありませんか
若狭内浦の里
私も頭を下げていました
この夜から
若狭内浦の里が私の故郷になりました
燃えあがる囲炉裏の火のそばで祖母がだしてくれた雑煮
夢のようにおいしかったのです
一九四四年十二月吹雪の夜
防波堤を超えてくる波しぶきと
真っ黒な山の中の道を曲がりまがって
父の手をたよりに綿入れの頭巾をかぶった四歳の私は歩いてきました
この夜から
クウシュウケイホウに怯えることはなくなったのです
若狭富士と呼ばれる青葉山のふもとの里は
うらしまたろうの海があり
かちかちやまのたぬきもうさぎもいます
ももたろうの川があり犬も猿も友達です
私は父の語ってくれるムカシムカシの昔話で眠りました
蚊や蚤にかまれた痒さも忘れて眠りました
母がよなべで編んでくれた
わらじで大きくなりました
私は いま
あの吹雪の夜も間近い若狭内浦の里の浜辺で
仏師であった父の彫刻刀と愛用していた鳥打帽と
母のジャンケンゲームで十連勝して万歳をしている写真と
乳房を切断した右胸あたりにパットを縫い付けたシャツと
私の生まれてくることのできなかった子の産着を焼いています
父よ
母よ
子よ
どうか この海へお帰りください
燃え上がる火よ
私の傲慢な心をもう少し焼いておくれ
時代の負を背負わされた原子力発電所の灯が
雪蛍のようです
指 貫
る小さな漁村に住んでいました 二軒長屋の隣にはずんぐ
りとしたこわもての漁師のおじさんがひとりで住んでいま
した わたしはこのおじさんがとっても好きでした ガラ
ガラと玄関の戸のあく音がしておじさんが帰ってくると飛
んでいってまり投げや凧上げやかるたやトランプをして遊
んでもらっていました そんなお正月のことでした みか
んを食べながら「7ならべして」ってわたしがねだったの
でおじさんはハートとスペードとダイヤとクラブの7をオ
コタの真ん中にまっすぐ行列させました おじさんの薬指
がピカピカします 「おっちゃんそれどうしたん」「これ
な ゆうべバクチで勝ってもろたんや」 おじさんは指か
らダイヤが一個はめこんである太い金の指輪をはずしてわ
たしの目に近づけて得意そうにみせるのです 「ふうーん
わたしかて持ってるわ」 わたしは急いで帰って母の裁縫
箱から穴のいっぱいあいた白いカネの指貫を探しだしてき
て左手の中指にはめ風車のようにクルクルまわしながらお
じさんにみせたのです とおじさんはいきなりわたしを大
きな腕でギュッと胸に抱き込んで頭をなでながら言ったの
です 「おまえはほんまにええ子や よう似おてるわ 大
きなってもチリチリのパーマネントかけたらあかんで 化
粧もしたらあかんで わかったな」わたしはうなずいてい
ましたが早く離してくれればいいなあと思っていました
指貫が
虎落笛になる夜です
蜷 局
仏諸行無常の旗が
法是生滅法の旗が通っていく
生花が通っていく
極彩色の僧侶がゾロゾロ通っていく
ときおり
ドラを打ち鳴らす
と
花首が折れ 海が唸る
無数の位牌と写真
無数の不揃いの棺が通っていく
供膳や菓子ややかんも通っていく
最後尾
札束を盛り上げた盆を
うやうやしく掲げた
のっぺらぼうが屁っぴり腰でついて行く
蝉の声に目がさめる
手から滑った本から話し声が聞こえてくる
─炉心部で作業すると十分もたたないうちにア
ラームが鳴るので 他人のアラームと取り替
えて作業を続けるんだ
危険な作業所にはよく外人がきていたよ
毎日レントゲンを撮っているようなものだから
二、三ヵ月でいなくなったなあ
ワシら年寄りが日に八千円も稼げるのは
原電しか他にはあらへん
私は小学五年生です
原発のある若狭に 阪神大しんさいのような
地しんがきたらどうなるのでしょう
ミサイルこうげきを受けたらどうなるのでしょう
まちの保健所には原発からほうしゃのうがもれても
もれてから三十分の間にのめば助かるという薬があるそうです
わたしはそんないい薬があるんなら
家や学校や保育園幼稚園に置いてほしいと思います
わたしはこの薬のことを聞いてすこしホットしました
ヨウソ剤というその薬の名
私の知らない薬にホットした故郷の少女よ
私はこの続きをどう書けばいいのだろうか
どう終わればいいのか
屁っぴり腰のまま
また夏がきた
「この子に悪魔を近づけるのは誰?」参照 二〇〇二.・八・一〇・作
二〇〇四・八・〇九・福井県美浜町 関西電力美浜原発三号機蒸気噴出事故により
作業員五人が死亡・六人が重軽傷を負った
若狭に想う
この時刻
故郷若狭の神宮寺では
東大寺二月堂閼伽井屋へのお水送りの儀式が
始まっていることでしょう
白装束にお松明
鵜の瀬の川へ長い行列が
続いていることでしょう
春の陣痛が聞こえてきます
いさざ(※1)の季節ももうすぐです
巻き戻せない私の人生が
ひら
ひら
もう千年にもなるのでしょうか
まだひゃくねんなのでしょうか
きのうのことなのでしょうか
私が若狭をあとにしたのは
ツツ──と
目をとじれば
若狭富士と呼ばれる青葉山が
やっぱり
すっきりと
そこにはあります
海は凪いでやさしく
父は無心で仏像を彫っています
母は薄暗い台所で茶碗を洗っています
いもうとはおじゃみ(※2)をしています
あの川の斜めにかかった橋の向こうの
洗濯場では
漁師のおばさんたちが足踏み洗濯をしています
一、二、一、二、
左足、右足、左足、右足、左足、
浜の笑いと匂いです
わたしはセーラー服に下駄をはいて
学校へ急いでいます
好物だったキララ砂糖がいっぱいついている
メロンパンを売っている八百屋の角
を曲がったとき
詰め襟の学生服に高下駄をはいた
あなたが田んぼの中の道
を歩いているのをみつけました
走ろうと
なのに
わたしのまわりは
いつのまにか猛吹雪となり
下駄の歯と歯のあいだに雪が重なり
歩くことだってできなくなって
数十歩あるいては
泣きべそかいて
裸足になって雪を落としているのです
あなたへの想いは
どうしようもなくいつまでも
心の敷石なのです
もう千年にもなるのでしょうか
まだひゃくねんなのでしょうか
きのうのことなのでしょうか
わたしが若狭をあとにしたのは
いま
手狭な湾内には
十一基もの原子力発電所が
たち並んでいると聞きます
五年になるでしょうか
原発のそばの過疎の村の私の姪は
白血病で
京都の病院で二十八歳の命を閉じました
一歳にもならない乳飲み子を残して
痛い痛いと泣き 叫び
小さくなってしまって
丸坊主になってしまって
わたしにしがみついた姪
姪の思い出は不憫です
プルトニウム輸送船の名前が
あかつき丸
プルトニウムを積み通過した
アフリカ沖 南端の名前が
喜望峰
ズズーンと
一九九二年十一月二十八日の笑いです
わたしが
ふるさとを離れて
ほんとうになんねんになるのでしょうか
象が初めて上陸した地
若狭を
番 傘
番傘を買った
黒塗りの柄の
広げると燃えたぎるような
番傘を買った
雨の日には
くれぐれもご用心
と
おじさんが小声で言った
一日中雨だった
軒先で番傘を
くるくるくるくる
回して過ごした
訪れる人もなく
日が暮れてきたので
番傘を抱いて
眠った
猿沢池
猿沢池のほとりの和菓子屋で
おはぎを
ふたつ買いました
「濡れてはるみたい」
店のおばあさんが
言いました
ひとと
別れた夜でした
夕 日
あの夕日みとると
男のくせに
涙でてくるねん
おかしいやろ
そんなことあらへんで
わしかって
でるで
そうかあ
安心したわ
どっかで飲まへんか
電車は
近鉄橿原線
新の口あたりを
走っている
二上山(※)の
たそがれ時
雄岳山上には大津皇子の墓がある(戻る)
室生寺考
雨音を聞きながら この雨の闇の中で立ち続けている五重塔を想っ
ている
その昔から 女の参拝を許した室生寺の小さくて優美な塔は業深い
女達の癒しの塔でもあった 二度三度と訪れているが忘れることが
できないのは もうひと昔前にもなった寒中のお詣りである その
頃 生き生きとして働いている人や嬉しそうに笑う人をみるだけで
癪にさわり つのるばかりのあせりや寂しさを抱えていた 凍てつ
いた太鼓橋をころげながら渡り 足跡のない真っ白いよろい坂を上
りきって仰いだ塔のなんとつつましやかであったことか
平成十年九月二十二日午後台風七号によって塔は大きく壊れた そ
の五日後二十七日小雨の残るなか 立入禁止の看板を乗り越え塔の
前に立った 伝えられているより実際にみると なおひどく北西の
角はどの層も壊れ傾いていて 垂木や檜皮がしどけなくぶらさがっ
ていた
「この木が倒れかかったのですよ」と指さすひとがいた けだるそ
うに横たわっていたのは 外皮がめくれあがった塔の高さの数倍は
ある杉の木だった
六百歳を越すという
「可憐な乙女が六百歳の杉にいたずらされ 雨の中で泣きじゃくっ
ている姿に想えてならなかった」と私は日記に書いた
時がたち塔の再建が進むにつれ 私はあの日 あの時 あの杉は塔
に襲いかかったのではなく塔と深く愛しあったのだ
雨風のなかで数百年の互いの想いを遂げたのだと想うようになった
雨はますますひどくなっている
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2007/10/25
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