一
……その女は、私の、これまでに数知れぬほど見た女の中で一番気に入つた女であつた。どういふ所が、そんなら、気に入つたかと訊ねられても一々口に出して説明することは、むづかしい。が、何よりも私の気に入つたのは、口のきゝやう、起居振舞ひなどの、わざとらしくなく物静かなことであつた。そして、生まれながら、何処から見ても京の女であつた。尤も京の女と云へば、どこか顔に締りのない感じのするのが多いものだが、その女は眉目の辺が引締つてゐて、口元なども屡々彼地の女にあるやうに弛んだ形をしてをらず、色の白い、夏になると、それが一層白くなつて、じつとり汗ばんだ皮膚の色が、ひとりでに淡紅色を呈して、いやに厚化粧を売り物にしてゐるあちらの女に似ず、常に白粉などを用ゐぬのが自慢といふほどでもなかつたけれど……彼女は、そんな気どりなどは少しもなかつたから……多くの女のする、手に暇さへあれば懐中から鏡を出して覗いたり、鬢をなほしたり、又は紙白粉で顔を拭くとかいつたやうなことは、つひぞなく、気持ちのさつぱりとした、何事にでも内輪な、どちらかといふと色気の乏しいと云つてもいゝくらゐの女であつた。
そして、何よりもその女の優れたところは、姿の好いことであつた。本当の背はさう高くないのに、ちよつと見て高く思はれるのは身体の形がいかにもすらりとして意気に出来てゐるからであつた。手足の指の形まで、すんなりと伸びて、白いところにうす蒼い静脈の浮いてゐるのまで、一入女を優しいものにしてみせた。冬など蒼白いほど白い顔の色が一層さびしく沈んで、いつも銀杏がへしに結つた房々とした髪の毛が細おもての両頬をおほうて、長く取つた髱が鶴のやうな頸筋から半襟に被ひかぶさつてゐた。
それは物のいひ振りや起居と同じやうに柔和な表情の顔であつたが、白い額に、いかつくないほどに濃い一の字を描いてゐる眉毛は、さながら白沙青松ともいひたいくらゐ、秀でて見えた。けれど私に、何時までも忘れられぬのはその眼であつた。いくらか神経質な、二重瞼の、飽くまでも黒い、賢さうな大きな眼であつた。彼女は、決して、人に求めるところがあつて、媚を呈したりして泣いたりなどするやうなことはなかつたけれど、どうかした話のまはり合せから身の薄命を省みて、ふと涙ぐむ時など、ぢつと黙つてゐて、その大きな黒眸がちの眼が、ひとりでに一層大きく張りを持てきて、赤く充血するとともに、さつと露が潤んでくるのであつた。私は、彼女の、その時の眼だけでも命を投げ出して彼女を愛しても厭はないと思つたのである。その頃は年もまだ二十を三つか四つ出たくらゐのもので若かつたが、商売柄に似ぬ地味な好みから、頭髪の飾りなども金あしの簪に小さい翡翠の玉をつけたものをよく挿してゐた。……
二
それは、その女を知ってから、もう四年めの夏であつた。夏中を、京都に近い畿内のある山の上に過した。高い山の上では老杉の頂から白い雲が、碧い空のおもてに湧いて、八月の半ばを過ぎる頃には早くも朝夕は冷い秋めいた風を身に覚えるやうになり、それとともにそゞろに都会の生活が懐かしくなつてきた。夏の初、山に行くまで、東京から京都に来ると、私は一ケ月あまりその女の家にゐたのであつたが、又近いうちに山を下りてゆくといふことを云つてやると、女からは簡単な返事が来て、少しく事情があつて、まだ自由な身でないので、内証の男を自分の処に置いとくことは方々に対して憚りがある、夏の時は、一年半も会はなかつたあとのことで、あれは格別に主人の計らひで公けにさうしたのであつたが、度々といふわけにはゆかぬ、そのうち此方から何とか挨拶をするまで、京都へは来ないで、すぐ東京の方へ帰つて居つてもらひたいといふのであつた。
けれども私は、どうしてもそのまゝすぐ東京へ帰つてゆく気にはなれなかつた。そして九月の下旬に山を下りて紀伊から大阪の方の旅に二三日を費して、侘しい秋雨模様の、ある日の夕ぐれに、懐かしい京都の街に入つてきた。夏の初、山の方に立つてゆく時は女の家から立つていつたので、長い間情趣のない独り住居に飽きてゐた私は、暫くの間でも女の家にゐた間のしつとりした生活の味が忘られず、出来ることならば直ぐ又女の処へ行きたかつたのだが、女は九月の初に、それまでゐた余処の家の二階がりの所帯を畳んで母親はどこか上京辺の遠い親類にあづけ、自分の身が自由になるまで、少しでも余計な銭の入るのを省きたいと云つてゐた。そのくらゐのことならば、私の方でも心配するから、夏のをはりに、自分が又山を下りてくるまでお母さんは、やつぱり此処の家へ置いて、所帯もこのまゝにして居るやうに云ひ置きもし、手紙でも度々そのことを繰返しいつて寄越したにもかゝはらず、たうとう家は一時仕舞つてしまつたと云つて来てゐたので、私は懐かしさに躍る胸を抱きながら、その晩方京都に着くと、荷物はステーションに一時あづけにして置き、まづ心当りの落着きのよささうな旅館を志して上京の方をたづねて歩いたが、どうも思はしいところがなく、さうしてゐるうちに秋の日は早くも暮れて、大分蒸すと思つてゐると、曇つた灰色の空からは大粒の雨がぽつりぽつりと落ちてきた。
どこか親し味のある取扱ひをして泊めてくれるやうな処はないだらうか。女はなぜ、あの二階借りの住居を畳んでしまつただらう。自分は、五月から六月にかけて一ケ月ばかり彼女の処にゐる間に健康を増して、いくらか体に肉が付いたくらゐであつた。しかし、もうあそこにゐないと云へば、これから行つてみたところで為方もない。母親はどこにゐるのだらう。尤も女に逢はうとおもへば、すぐにでも会へないことはないが、さうして逢ふのは、つまらない。
そんなことを考へながら、ともかくも、これから暫くゆつくり滞泊するところが求めたいと思つたけれど、そのほかに心あたりもなく、為方なく又奥まつた処から、電車の通つてゐる方へ出てくると、その電車は丁度先に女のゐた処の方にゆく電車であつたので、今はそこにゐても居なくても、やつぱりそつちの方へ引着けられてゆくやうな気がして、雨も降つてくるので、そのまゝ電車に飛び乗つた。そして東山の方をずつと廻つて祇園町の通りを少しゆくと、そこに彼女の居た家があるので、その近くの停留場で電車を降り、夏の前暫くゐて勝手を知つてゐる、暗い路次の中に入つていつて見たが、門は締つてゐて、階下の家主の老女もゐる気配はせず、上の、女のゐた二階──自分もそこに一ケ月ばかり女と一つの部屋にゐた──は戸が締つて火光も洩れてゐない。
「まあ、しかし、それは明日になつてからでもよい。」
さう思ひながら、なるたけそこに近い処に宿を取りたい、暫くの間でも好きな女と一緒にゐた、懐かしい場所から遠く離れたくない気がして、そこから少し東山よりの方へ上つていつた処にある、とある旅館にいつて泊ることにした。それといふのも、その旅館へはその女とも一緒によく泊りにいつたことのある馴染ふかい家であつたからだ。そのあたりは、そんな種類の女の住んでゐる祇園町に近いところで、三條の木屋町でなければ下河原といはれて、祇園町の女の出場所になつてゐる洒落た土地であつた。それは東山の麓に近い高みになつてゐて、閑雅な京都の中でも取り分けて閑寂なので人に悦ばれる処であった。
三
その前の年の冬に東京から久しぶりに女に逢ひにいつた時にも、矢張りその家へ泊つたが、私はその時分のことを忘れることが出来ない。急に会つて話したいことがあるから来てもらひたいといふ手紙を、女から寄越したので、一月の中ごろであつた、私は夜の汽車で立つていつた。スチームに暖められた汽車の中に仮睡の一夜を明かして、翌朝早く眼を覚ますと、窓の外は野も山も、薄化粧をしたやうな霜に凍てて、それに麗かな茜色の朝陽の光が漲り渡つてゐた。雪の深い関ケ原を江州の方に出抜けると、平闊な野路の果てに遠く太陽をまともに受けて淡蒼い朝霜の中に霞んで見える比良、比叡の山々が湖西に空に連らなつてゐるのも、もう身は京都に近づいてゐることが思はれて、ひとりでに胸は躍つてくるのであつた。そして、幾ら遠く離れてゐても、東京に静としてゐれば、諦めて落着いてゐる筈の、いろいろの思ひが、汽車の進行につれて次第に募つてきて、はては悩ましいまでに不安に襲はれてくる。
「女はいゝ塩梅に家にゐるだらうか。此間中から大阪などへ行つてゐて留守ではなからうか。大阪には一人深くあの女を思つてゐる男があるのだ。……自分が女を初めて知つた時の夏であつた。その男に招ばれて、女が向うの座敷にいつてゐる時、ちやうど上の木屋町の床で、四五軒離れた処から、二人とも今湯を上がつたばかりの浴衣姿で、その男の傍に女が来て坐つてゐるところを遠見に見たことがあつた。その時さながら身をい(=「敖」の下に「火」)るやうな悩ましさを覚えたことがあつた。それを思うても、何が苦しいといつて恋の苦しみほど身に徹へるものはない。どうか家に居つてくれて、すぐ逢へればよいが。昨夜は、かうして、自分は汽車に一夜を明かして、はるばる東京から逢ひに来たのである。女はどこへ、どんな人間の座敷に招ばれていつたらうか。まだ朝は早い。朝の遅い廓では今ごろはまだ眠つてゐるであらう。」
そんなことが綿々として、後からあとから思ひ浮んで、汽車の座席にぢつとしてゐるに堪へられないくらゐになつた。私はそのあたりから頼信紙をとり出して、十一時までには必ず加茂川べりのある家に行き着いてゐるからといふ電報を打つて置いた。そして京都駅に着いたのはまだ八時頃であつたが、どんよりとした暁靄は朝餉の炊煙と融合ひ、停車場前の広場に立つて、一年近くも見なかつた四囲の山々を懐かしく眺めわたすと、東山は白い靄に包まれて清水の塔が音羽山の中腹に夢のやうにぼんやりと浮んで見える。遠くの愛宕から西山の一帯は朝暾を浴びて淡い藍色に染めなされてゐる。私は足の踏み度も軽く、そこからすぐ先刻電報で知らしておいた加茂川べりの、とある料理屋を志していつたが、そこも廓の中にある家のこととて、家の前に行つた時、やうやう店の者が表の戸を明けかけてゐるところであつた。やがて階段を上がつて、河原を見晴す二階の座敷に通り、食べる物などをあつらへてゐるうちに、靄とも烟ともつかず、重く河原の面を立ち罩めてゐた茜色を帯びた白い川霧がだんだん中空をさして昇つてくる朝陽の光に消散して、四條の大橋を渡る往来の人の足音ばかり高く聞えてゐたのが、ちやうど影絵のやうな人の姿が次第に見え渡つて来た。静かな日の影は麗々と向岸の人家に照り映えて、その屋並の彼方に見える東山はいつまでも静かな朝霧に籠められてゐる。
女中に、少ししたら女の声で電話がかゝつてくるかも知れぬからと頼んで置いて、私はひとり暖かい鍋の物を食べながら、
「あゝいつて、委しい電報を打つて置いたけれど、丁度いゝ塩梅に女が家にゐるか、ゐないか分らない、とり分け気ばたらきのない、悠暢な女のことであるから……尤もその、しつとりして物静かなところがあの女の好い処であるが……たとひ折よく昨夜の出先きから今朝もう家に戻つてきてゐたにしても、あの電報を見て、早速てきぱきと、電話口に立つてゆくやうなことはあるまい。ほんとに、人の心も知らないといふのは彼奴のことだ。」
と、そんなことを思つて、不安の念に悩んでゐると、ものの一時間ともたゝないうちに、女中が座敷に入つてきて、
「あの、お電話どつせ。」といふ。
私は、跳ね上がつたやうな気がしながら、すぐさま立つて電話のところへ下りていつた。
「あゝ、もしもし私。」と声を掛けると、向うでも、
「あゝ、もしもし。」と呼ぶ声がする。何といふ懐かしい、久し振りに聴く女の声であらう。振顧つて考へると、それは去年の五月から八九ケ月の間も聴かなかつた声である。手紙こそ月の中に十幾度となく往復してゐるが、去年の五月からと云へば顔の記憶も瀧ろになるくらゐである。
「あゝ、わたし。電報を読んだの?」
「えゝ、今読んだとこどす。」
「よく、家にゐたねえ。こちらは分つてゐるだらう。」
「よう分つてゐます。」
「それぢやすぐおいで。」
「えゝ、いても、よろしいけど、そこの人知つとる人多うおすさかい。私顔がさすといけまへんよつて。あんたはん、今日そこから何処へおいでやすのどす。」
「どこへ、とは? 泊るところ?」
「えゝ、さうどす。」
「それは、まだ定めてない。あんたに一遍逢つてからでもいゝと思つて。」
それから、兎も角そんなら東山の方のとある、小隠れた料理屋で一応逢つてからのことにしよう。二時から三時までの間に両方でそこまで行つて待合はすことにして互に電話を切らうとすると、女は念を押すやうに、
「もしもし、あんたはん違へんやうにおしやす。」
いくらか嗄れたやうな女の地声で繰返していふ。私はいきなり電話口へ自分の口をぴたりと押付けたいほどの気になつて、
「戯談を。そちらこそ違へちや可けないよ。私はねえ、京都の地にゐる人と違ふんだよ。ゆうべ夜汽車で、わざわざ百何十里の道をやつて来たのだよ。気の長い人だから、時間が当てにならない。待たしたら怒るよ。」さういふと、電話口で、ほゝと笑ふ声だけして、電話は切れた。
やがてもとの座敷に戻つてくると、女中はくたくた煮える鍋の傍に付いてゐたが、
「来やはりしまへんのどすか。」と訊く。
「こゝへは来ないやうだ。」
さういって、私はそこそこに御飯にしてしまつた。南に向いた窓から河原の方に眼を放すと、短い冬の日はその時もう頭の真うへから少し西に傾いて、暖い日の光は、さう思うて見るせゐか四條の大橋の彼方に並ぶ向岸の家つゞきや八坂の塔の見える東山あたりには、もう春めいた陽炎が立つてゐるかのやうである。私は約束の時間をちがへぬやうに急いでそこを出ていつた。京都の冬の日の閑寂さといつたらない。私はめづらしく、少しの酒にやゝ陶然となつてゐたので、そこから出るとすぐ居合はす俥に乗つて、川を東に渡り建仁寺の笹藪の蔭の土塀について裏門のところを曲つて、段々上りの道を東山の方に挽かれていつた。そして静かな冬の日のさしかけてゐる下河原の街を歩いて、数年前一度知つてゐる心あたりの旅館を訪ふと、快く通してくれた。それを縁故にして、その後も度々いつて泊つたが、そこの座敷は簡素な造りであつたが、主人が風雅の心得のある人間で、金目を見せずに気持よく座敷を飾つてあつた。私は厚い八端の座蒲団の上にともかくも坐つて、女中の静かに汲んで出した暖い茶を呑んでから、先刻女と電話で約束した会合の場所が、そこからすぐ近いところなので、時計を出して見い見い遅刻せぬやうにと、ちよつと其処までといひ置いて、出て行つた。そこらは、もう高台寺の境内に近いところで、蓊鬱とした松の木山がすぐ眉に迫り、節のすなほな、真青な竹林が家のうしろに続いてゐたりした。私は、山の方に上がつてゆく静かな細い通りを歩いて、約束の、真葛ケ原のある茶亭の入口のところに来て暫く待つてゐた。そこは加茂川ぞひの低地から大分高みになつてゐるので、振顧つて向うの方を見ると、麗かに照る午さがりの冬の日を真正面に浴びた愛宕の山が金色に輝く大気の彼方にさながら藍霞のやうに遠く西の空に渡つてゐる。そして、あまり遠くへゆかぬやうにしてそこらを少しの間ぶらぶらしてゐるところへ、此方に立つて、見てゐると細い坂道を往来の人に交つてやつて来るのは、まぎれもない彼女である。それは、去年の五月以来八九ケ月見なかつた容姿である。だんだん近くなつてくると、向うでも此方を認めたと思はれて、嫣笑してゐる。銀杏返しに結つた頭髪を撫でもせず、黒い衿巻をして、お召の半コートを着てゐる下の方にお召の前掛などをしてゐるのが見えて、不断のまゝである。
「私をよく覚えてゐたねえ。」と、笑ふと、
「そら覚えてゐますさ。」
「今そこで宿をきめたのだ。知つてゐるだらう、すぐそこのあの家。あそこが早く気が付くと、すぐあそこへ来てもらふんだつた。まあ、いゝ、入らう。」さういつて、私は先に立つて、そこの茶亭に入つた。
そして、庭の外はすぐ東山裾の深い竹林につづいてゐる奥まつた離室に通って、二三の食べる物などを命じて暫く話してゐた。
「こんな物が出来てえ。」と甘えるやうな鼻声になつて、しきりに顔の小さい面皰のやうなものを気にしてゐる。
「私、ちよつと肥りましたやろ。」
「うむ、えゝ血色だ。達者で何より結構だ。そして急に話したいことがあるから来てくれと云つたのは何の事だい?」
さういつて訊いても女は黙つて答へない。重ねて訊くと、
「それは又後で話します。」と、いふ。
「ぢや、これからそろそろ宿の方にゆかうか。」といふと、
「私、今すぐは行けまへんの。あんたはん先き帰つてとくれやす。夜になつてから行きます。」
「なぜ今いけないの。一緒にゆかうぢやないか。」さういつて勧めたけれど、今は一寸余処のお座敷をはづして逢ひに来たので直ぐといふ訳にはいかぬといふので、堅く後を約束してそこの家を伴れ立つて一緒に出て戻つた。そして旅館の入口の前で別れながら、
「一緒に御飯を食べるやうに、都合して成るたけ早くおいで。」
「えゝ、さうします。」といつて、女はかへつて去つた。
冬の夜は静かに更けて、厳しい寒さが深々と加はるのを、室内に取付けた瓦斯煖炉の火に温まりながら私は落着いた気分になつて読みさしの新聞などを見ながら女の来るのを今か今かと待ちかねてゐた。女はなかなかやつて来なかつたので、たうとう空腹に堪へかねて独りで、物足りない夕食を済ましてしまつた。さうしてゐても女はまだまだやつて来ないので、微醺気分でだいぶ焦れ焦れしてきて、気長く待つ気で読んでゐた雑誌をも遂々そこに投げ出して、煖炉の前に褞袍にくるまつて肱枕で横になり、来ても仮睡した真似をして黙つてゐてやらう、と思つてゐると、十時も過ぎて、やがて十一時ちかくになつて、遠くの廊下に静かな足音がして、今度は、どうやら女中ばかりの歩くのとは違ふと思つてゐると、襖の外で何かいふ気配がして、女中が外から膝をついて襖をそうつと開けると、そこに彼女のすらりとした姿が立つてゐた。そして、先刻とちがひ頭髪の容もとゝのへ薄く化粧をしてゐるのでずつと引立つて見えた。かうしてみると、たしかに佳い女である。この女に自分が全力を挙げて惚れてゐるのは無理はない。こんな女を自分の物にする悦びは一国を所有するよりもつと強烈なる本能的の悦びである。
女は悠揚とした態度で入つてきながら、
「えらい遅なりました。」と、一と口云つたきり、すこしもつべこべしたことはいはない。夕飯は済んだのかと訊くと、食べて来たから、何も欲しくないといふ。翌日は一日、寒さを恐れて外にも出ずにそこで遊んでゐたが、彼女は机に凭れて、遠くの叔母にやるのだといつて頻りに巻紙に筆を走らせてゐた。桜の花びらを、あるかなきかに、ところどころに織り出した黒縮緬の羽織に、地味な藍色がかつた薄いだんだら格子のお召の着物をきて、ところどころ紅味の入つた羽二重しぼりの襦袢の袖口の絡まる白い繊細い腕を差伸べて左の手に巻紙を持ち、右の手に筆を持つてゐるのが、賎しい稼業の女でありながら、何となく古風の女めいて、どうしても京都でなければ見られない女であると思ひながら、私は寝床の上に楽枕しながら、女の容姿に横からつくづく見蕩れてゐた。……
その時は、その晩遅い汽車で、女に京都駅まで見送られて東京に戻つて来た。それから一年ばかり、手紙だけは始終贈答してゐながら、顔を見なかつたのである。
四
その女が、自分の外にどんな人間に逢つてゐるか、自分に対して、果してどれだけの真実な感情を抱いてゐるか。近い処にゐてさへ売笑を稼業としてゐる者の内状は知るよしもないのに、まして遠く離れて、しかも一年以上二年近くも相見ないで、たゞ手紙の交換ばかりしてゐて、対手の心の真相は知られる筈もないのであるが、そんなことを深く疑へば、いくら疑つたつて際限がなかつた。時とすると堪へ難い想像を心に描いて、殆ど居ても起つてもゐられないやうな愛着と、嫉妬と、不安のために胸を焦すやうなこともあつたが、私は、強ひて自から欺くやうにして、さういふ不快な想像を掻き消し、不安な思ひを胸から追ひ払ふやうに努めてゐたのであつた。
そして、三四年につゞいてゐる長い間の此方の配慮の結果、あたりまへならば、もうとうに女の身の解決は着いてゐる筈であるのに、それがいつまで経つても要領を得ないので、後には自分の方から随分詰問した書面を送つたこともあつたが、女はそれについては、少しも、此方を満足せしめるやうなはつきりした返事を寄越さなかつた。たうとう又、やうやく一年半ぶりに女に逢ふべく京都の地に来てゐながら、私はたゞ、あたりまへの習慣に従つて女に逢ふのが物足りなくなつて、この前の時のやうに手紙や電報で合図をしても、それに対して一向満足な手紙をよこさないのであつた。たゞ普通の習慣に従つて逢はうとすれば直ぐにでもあへるのであるが、女の方から進んで何とか云つてくるまでは暫く放棄つておかう。これを仮りに人の事として平静に考へてみても、向うから進んで何とか云はなければならぬ義理である。百歩も千歩も譲つて考へても、いくら卑しい稼業の女であつてもそんな訳のものではない。
さう思ひ諦めて、暫くの間、気を変へるために、私は晩春の大和路の方に小旅行に出掛けていつた。そつちの方は、もう長い間行つてみたいと思つてゐたところであつたが、この四五年の間私の頭の中は全部その女の為に占領せられて、ほかのことは何も彼も後まはしにして置いた。事実のこと、私は、その女を自分のものにしなければ、何も欲しくないと思つてゐたのであつた。名誉も財宝も入らぬ、たゞ、あの、漆のやうに真黒い、大きな沈んだ瞳、おとなしさうな顔、白沙青松のごとき、ばらりとした眉毛、ふっくりと張つた鬢の毛、すらりとした容姿。あらゆる、自分の心を引着ける、そんな美しい部分を綜合的に持つてゐる生き物を自分の所有にしてしまはなければ、身も世もありはせぬ。随分身体を悪くするまでそんなに思ひ詰めてこの数年を、まるで熱病にでも罹つてゐる如き状態で過ぎて来たのであつた。
それゆゑ私が、美しい自然や古い美術の宝庫である大和の方の晩春の中に入つて行つたのは、丁度ウエルテルが悲しく傷んだ心を美しい自然の懐に抱かれて慰めようとしたと同じやうなものであつた。
そして一と月近く大和の方の小旅行をして再び京都に戻つて来た時にはもう古都の自然もすつかり初夏になつてゐた。悩ましい日の色は、思ひ疲れた私の眼や肉体を一層懊悩せしめた。奈良からも吉野からも到る処から絵葉書などを書いて送つて置いた。女から何とか云つて来るだらうと思つてゐたが、依然として知らん顔をして何のたよりもして寄越さなかつた。たうとう又根負けして此方から出かけて行つて為方なく普通の習慣に従つてある家から自分とはいはずに知らすると、女はちやうど折よく内にゐたと思はれて早速やつて来た。一年半の間見なかつたのである。この前冬見た時よりも気候の好い時分のせゐか、それとも普通に招かれたお座敷にゆくので美しく化粧をしてゐるせゐか、ずつと肉が付いて身体が大きくなつたやうに思はれ、もとからすらりとした容姿が一段引き立つて、背が更に高く見えた。彼女達がそんな不意の座敷に招ばれてゆく時の風俗と思はれ、けばけばしい友禅の襦袢のうへに地味な黒縮緬の羽織を着てゐる。彼女は、階段の上り口から私の方を見たが、顔の表情は微動だもせず、ぬうつとして落着いたその態度はまるで無神経の人間のやうであつた。そして傍へ来ても、「お久しう。」とも何とも云はずに黙つてそこへ坐つたまゝである。どんなことがあつても彼女は決して深く巧んだ悪気のある女とは認めないが、対手のいふことがあまり腹の立つやうなことを云つたり、くどかつたりする時にはさながら京人形のやうにその綺麗な、小さい口を閉ぢてしまつて石の如く黙つてしまふのである。その気心をよく知つてゐるので、私は、こちらでも稍や暫く黙つて、わざとらしく、じろじろ女の顔を見てゐたが、やつぱり遂に根まけして、
「京人形、京人形の顔を二年も見なかつたので、今そこへ来た時にはほかの人間かと思つた。」戯弄ふやうにさういふと、彼女はそれでも微笑もせず、反対に、
「あんたはんかて余りやおへんか。」
彼女は美しい眉根を神経質に顰めながら憤るやうにいふ。私は「えらい済まんこと。」くらゐはいふであらうと思つてゐたのに、向うからそんな不足をいふので、何といふ勝手な女であらうと思つて、腹の中で少し勃然となつたが、又、そんなぺたつくやうな調子の好いことをいはぬのが却つて好くも思はれる。
「一年と半とし見ないんだよ。そして一体どんな話になるのだい? こんなに長い間顔を見たいのを堪へてゐたのも、後を楽しみにしてゐるからぢやないか。」
さういつて、今まで手紙の度に幾度となく訊ねてゐる彼女の境遇の解放について重ねて訊ねたが、女は、たゞ、
「そのことは又後でいひます。」といつたきり何にもいはうとしない。
「また後でいひますもないぢやないか。何年それを云つてゐると思ふ。」
二人はちやんと坐つて向ひ合ひそんな押問答を暫く繰返してゐたが、彼女は黙つて考へてゐた挙句、謎のやうに、
「こゝではそのことも云へませんから、私、かへります。」
と、いふ。
私は、少し眼の色を変へて、
「妙なことをいふ。こゝで云へないで、どこでそれを云ふの?」
「あんたはんがようおいでやす下河原の家へこれからいて待つとくれやす。そしたら私あとからいきます。こゝの家から一緒にゆくのは此処の家へ対して可けまへんやろ。それから私一遍家へ去んで、あつちやから往きます。」女の持前の愛想のない調子でそんなことをいふ。
私は又女のいふことにいくらか不安をも感じたが、本来それほど性情の善くない女とは思つてゐないので、段々疑ひも解け、その気になり、
「ぢや、さうするから、きつとあそこへ来なければ可けないよ。」と、根押しをして、その上もう余り諄くいはぬやうにして、そこの家は体よくして、二人は別々に出て戻つた。
それから私は又、いっかの下河原の家へ行つて待つてゐた。それは日の永い五月の末の、まだ三時頃であつたが、彼女は容易にやつて来なかつた。悠暢な気の長い女であることはよく知つてゐるので、そのつもりで辛抱して待つてゐたがしまひには辛抱しきれなくなつて、いひやうのない不安の思ひに悩まされてゐるうちに、高い塀に取り囲まれてゐる静かな栽庭にそろそろ日が影つて、植木の隅の方が薄暗くなり、暖かつた陽気が変つてうすら寒く肌に触るやうになつてきた。それでもまだ女の顔は見られなかつた。不安のあとから不安が襲つてきて、いろいろに疑つてみたが、あんなにいつてゐたからよもや来ないことはあるまい。そんな背を向けて欺き遁げるやうな質の悪い女ではない筈である。そんなことをする女を、おめおめ四五年の長い間一途に思ひ詰め、焦れ悩んでゐたとしたら、自分はどうしても自身の不明を恥ぢねばならぬ。義理にもそんな薄情な行為を為向けられるやうな事を、自分は少しもしてゐない。……今に来るにちがひない。不安の念を、さう思ひ消して待つてゐた。
しかし、それは何ともいへない好い晩春の宵であつた。この前の冬の時と同じやうに女の来るのを待つてゐる心に変りはないが、あの時とちがひ今は初夏の頃とて、私は湯上りの身体を柔かい褞袍にくるまりながら肱枕をして寝そべり、障子を開放した前栽の方に足を投げ出して静と心を澄ましてゐると、塀の外はすぐ円山公園につゞく祇園社の入口に接近してゐるので、暖かい、ゆく春の宵を惜んで、そゞろ歩きするらしい男女の高い笑ひ声が、さながら歓楽に溢れたやうに聞えてくるのである。花の季節はもう疾うに過ぎてしまつたけれど、新緑の薫が夕風のそよぎとともにすうつと座敷の中に流れこんで、何処で鳴いてゐるのか雛蛙の鳴く音がもどかしいほど懐かしく聴えてくる。それを聞いてゐると、
「あの、喰ひ付いてやりたいほど好きでたまらない女は、しまひには本当に自分の物になるのか知らん。いつまでこんな不安な悩ましい思ひに責め苛まされてゐなければならぬのであらう。もう何時までもこんな苦しい思ひをさせられてゐないで早く安らかな気持になりたい。」
そこへ長い廊下を遠くの方で足音が静かに聴えると思つて見ると、やがて女中が襖の外に膝まづきながら、
「えらい遅うおすなあ。御夕飯はどない致しまへう、もうちよつとお待ちになりますか。」
と訊く。そんなことが二三度繰返された後、私はたうとう待ち切れなくなつて、腹立ちまぎれに、又いつかの時のやうに、先きに一人で食べてしまつたら、きつと来るだらう、早く顔を見せるまじなひに先きに食べてしまはう、と思つて、
「持ってきて下さい。」と命じた。その自分の心持には、ひとりでに眼に涙のにじむやうな悲しい憤りの感情が込み上げてきた。それは卑しい稼業の女に飽くまでも愛着してゐる、その感情が十分満足されないといふばかりでなく、どうして此方のこの熱愛する心持が向うに通はぬであらう。こちらの熱烈な愛着の感情がすこしでも霊感あるものならば、それが女の胸に伝はつて、もつと、はきはきしさうなのに、彼女はいつも同じやうに悠暢であつた。
そこへ女中が膳を運んできた。
「おほきにお待ちどほさん。」と、いひつゝ餉台のうへに取つて並べられる料理の数々。それは今の季節の京都に必ずなくてはならぬ鰉の焼いたの、鮒の子膾、明石鯛のう塩、それから高野豆腐の白醤油煮に、柔かい卵色湯葉と真青な莢豌豆の煮しめといふやうな物であつた。
私は、口に合つたそれらの料理を、むらむらと咽へこみ上げてくる涙と一緒に呑込むやうにして食べてゐた。さうしてもう済みかけてゐるところへ廊下にほかの女中とはちがふらしい足音がして、襖の蔭から女がぬつと立ち顕はれた。彼女は先刻とちがひ、余処ゆきらしい薄い金茶色の絽お召の羽織を着て、いつものとほり薄く化粧をしてゐるのが相変らず美しい。
「今まで待つてゐたけれどあんまり遅いから食べてしまつた。まだ?」
「えゝ……」
「ぢや、お今さん、すぐこしらへて下さい。このとほりでいゝ。」女中に命ずると、女は、
「入りません。食べんかてよろしい。」
「まあ、そんなことをいはないで一緒に食べよう、待つてゐる。」
女は、私の方へは答へず、女中に向つて、
「姉さん、どうぞ、ほんまに置いとくれやす。」といつて断つたが、ともかくも調へて持つて来させた。けれども、彼女は箸も着けようとせず、餉台の向側に行儀よく坐つたまゝでゐる。そんな近いところから見てゐても、ちやうどこんな清々しい初夏の宵にふさはしいばらりとした顔であつた。匂やかな薄化粧の装ひが鮮かで、髪の櫛目が水つぽく電燈の光を反射して輝いてゐる。
女はたうとう並べた物に箸をつけなかつた、女中が膳を引いてゆく時、
「姐さん、えらい済んまへんけど苺がおしたら、後で持つてきとくれやす。」
自分で註文しておいて、やがて女中が退つていつたあとで、女は先刻から黙つて考へて居るやうな風であったが──尤も彼女はいつでも、いふべき用のない時は無愛想なくらゐ口数の少い女であつた。自分は、それが好きであつた──やがて又、彼女の癖のやうに、べちやべちやとその理由をいはないで出抜けに、
「あんたはん、私、ちよつと帰ります。」と、謎のやうなことをいふ。
私は思はず胸をはつとさせて、凝乎と女の顔を見ながら、
「帰りますつて、お前、やつと今来たばかりぢやないか。何故そんなことをいふの。先刻の袖菊へいけば、あそこでは話がしにくい、此家へ行つてゐてくれと、あんたがいふから、私はここへ来たぢやないか。一体お前の体のことはどうなつてゐるの? 私ももう四年五年君のことを心配しつゞけて上げて、今日になつても、五年前と同じやうに、やつぱりずるずるでは、とても私の力には及ばない。私は、先日うちから幾度も手紙でいつてゐるとほり、今度もあんたと遊ぶ為にかうして今日は来たのではない。そのことを訊かうと思つて来たのだ。君はいつまで商売をしてゐる気でゐるの?」
私は腹を立てたやうな、彼女の為に憂ひてゐるやうな、なんどりした口調で訊ねるのであつた。けれど彼女は、口ごもるやうにして、それには答へず、
「それは又あとで解ります。」と、困つたやうに為方なく笑つてゐる。
「あとでいひます云ひますつて、それが、あんたの癖だ。もうそれを云つて聴かしてくれてもいゝ時分ぢやないか。」私も為方なく笑ひにまぎらしてとひ詰める。
「こゝではいへまへん。」子供かなんぞのやうに同じことをいふ。
「こゝでは云へんて、こゝで今云へなければ、いふ折はないぢやないか。何故かへるといふの?」
さういつて、問ひつめても、女は碌に訳をもいはずたゞ頑強に口を噤んでゐるばかりである。
明るい電燈の光をあびてゐる彼女の容姿は水際立つて、見てゐればゐるほど綺麗である。そして、ふつと気が付いてみると長い間見なかつた間にさうして坐つてゐる様子に何となく姉さんらしい落着きが出来て、何処といつて口に云へない顔のあたりがさすがに幾らか年を取つたのがわかる。それはさうである。はじめて彼女を知つたのが五年前の丁度今の時分で、爽かな初夏の風が柳の新緑を吹いてゐる加茂川ぞひの二階座敷に、幾日もいくかも彼女を傍に置いて時の経つのを惜んでゐた。座敷から見渡すと向の河原の芝生が真青に萌え出でて、そちらにも小褄などをとつた美しい女達が笑ひ興じてゐる声が、花やかに聞えてきたりした。彼女はその頃よく地味な黒縮緬のたけの詰つた羽織を着て、はつきりした、すこし荒い白い立縞のお召の袷衣を好んで着てゐたが、それが一層女のすらりとした姿を引立たせてみせた。でもその頃は今から見ると女の二十といふ年から余り遠ざかつてゐない若さがあつた。私自身にとつても、この女の為に……まさしくこの女のためのみに齷齪思つてゐる間に、五年といふ歳月は昨日今日と流れるごとく過ぎてしまつて、彼女は今年もう二十七になるのである。さう思つて又ぢつとその顔を見てゐると、うすい水浅黄の襦袢の衿の色からどことなく年増らしい、しっかりしたところも見える。
女は、女中が先程持つてきた白い西洋皿に盛つた真紅な苺の実を銀の匙でつゝきながら、音なしく口に持つていつてゐる。
「今夜ぜひ逢ふ約束でもしてゐる人があるのか?」私はさういつて訊ねた。
「ちがひます。」
「逢ふ約束の人がなければ、こゝにゐたつていいのぢやないか。手紙でこそ月に幾度となく話はしてゐたけれども二年近くも逢はなかつたのだから私にいろんな話したいことがあるのはあんたもよう解つてゐる筈だ。」
「そやから帰つてから、後でいひます。」
「あんた、何をいつてゐるのか、私には少しも解らない。かへつてから後にいふとは。そんなら今此処でいつたら可いぢやないか。」
「ほんなら、私帰つて直ぐあとで使ひに手紙を持つてこさします。」
「折角こゝへ来て、すぐ又帰るといふのが私には解らないなあ。あんた、もう私に逢はないつもりなの?」
「ちがひます。私又あとで逢ひます。」
「なあんの事をいつてゐるのだか、私には少しも合点がゆかぬ。しかしまあ可い。それぢやお前の好きなやうにおしなさい。どんなことをいつてくるかあんたの手紙を持つてくるのを待つてゐるから。必ず使ひを寄越すねえ。」
「えゝ、これから二時間ほどしてから俥屋をおこします。ほんなら待つてとくれやす。」
さういひ置いて、彼女は静かに立ち上つて廊下の外に消えるやうに帰つてしまつた。私は又変な不安の念ひを抱きながら、あまり執拗に留めるのも大人げないことだと思つて女のいふがまゝにさしておいた。開放した濡縁のそとの、高い土塀で取り囲んだ小庭には、こんもり茂つた植込みのまはりに、しつとりとした夜霧が立ち白んだやうになつて、いくらか薄暖かい空気の中へ爽かな夜気が絶えず山の方から流れ込んでくる。私は食べ物の香の残つてゐる餉台の処から身体をずらして、そちらの小庭に近い端の方へ行つて又ごろりと横になり、わけもなく懐かしい植物性の香気の立ち薫つてゐるやうな夜気の流通を呼吸しながら、女の約束していつた二時間のちのたよりを、それがどんなものであるかといふ不安で堪らない中にもいひ難い楽しみに充ちた期待を以つて待つ心でゐた。
あたりは静かなやうでも、さすがに一歩出れば、すぐ繁華な夜の賑の街に近いところのこととて、折々人の通り過ぎるどよみが遠音にひゞいてくる。しかし、その為に一入静けさを増すかのやうに思はれる。あんまり快い気持ちなので、私は肱を枕にしたまゝ、足の先を褞袍の裾にくるんで、うつらうつらとなつてゐた。そこへ女中が入つてきて、
「お風召すといけまへん。もうお床おのべ致しまへうか。……あの、どこか一寸おいきやしたんどすか。」
「あゝ、お今さんか。あんまり好い心地なのでうとうとしてゐた。……いや、ちよつと、もう少し待つて下さい。」
「さうどすか。そやつたら、どうぞえゝ時およびやしておくれやす。」お今さんは、そのまゝ又静かにさがつていつた。
時刻は段々移つて、障子開けてさうしてゐるのが冷えすぎるくらゐに夜も更けてきた。あゝ云つていつたが、女はいつになつたら本当に使ひをよこすだらう。もう、そろそろこゝの家でも門を締めて寝てしまふ時分である。もしこのまゝに放棄つてしまふやうなことでもしたら、どうしてやらう。いつそ、このまゝ床を取らして寝て居らう。生なか目を覚まして起きてゐると、そのことばかり思つて苦しくて可けない、眠つて忘れよう。そんなことを思ひながら又うとうとしてゐるところへ、廊下を急ぐ足音にふと目を覚まされると、女中が襖の外に膝をついて、
「お手紙どす。」と、いつて渡す封書を手にとつてみると、走り書きの手紙で、「先ほどは失礼いたしました。まことにむさくるしい処なれど一しよに御こし下され度候。あとはおめもじのうへにて。」と書いてある。状袋を裏返してみたが、処も何も書いてゐない。
「お今さん、どんな使ひがこれを持つてきた。」女中に訊ねると、
「さあ、わたし、どや、よう知りまへんけど、何でも年とつた女の人のやうどした。」
「年とった女。まだ待つてゐるだらうな。」私にはすぐには合点がゆかなかつた。
「へえ、待つてはります。」
それで、急いで玄関の処に立ち出てみると、門の外にゐるといふので、また玄関から門のところまで、長い敷石の道を踏んで出てみると、そこには暗がりの中に彼女の母親が佇んでゐた。
「あつ、おかあはんですか。お久しうお目にかかりません。」と思はず懐かしさうにいつた。使ひが母親であつたので、私はもう、すつかり安心して好い心持になつてしまつた。
「えらい御返事が遅うなつて済まんさかい、ようお詫りをいうておくれやすいうて、あの娘がいうてゐました。」母親は、門口の、頭のうへを照らしてゐる電燈の蔭に身を隠すやうにしながらいふ。
「どうも、こんな夜ふけに御苦労でした。ぢやすぐ一緒に行きますから、一寸待つてゐて下さい、私着物を着てきますから。」
私は又座敷に取つて返して衣服を更め、女中には、都合で外へ泊つてくるかも知れぬといひ置いて、急いで又出て来た。
「お待ちどほさま。さあ行きませう。」
五
私は、それから母親の先に立つてゆく方へ後から蹤いて行つた。もう夜は十二時も疾うに過ぎてゐるので、ことに東山の畔のこととて人の足音もふつつりと絶えてゐたが、蒼白く靄の立ち罩めた空には、ちやうど十六七日ばかりの月が明るく照らして、頭を仰けて眺めると、そのまはりに暖かさうな月暈が銀を燻したやうに霞んで見えてゐる。そんなに遅く外を歩いてゐて少しも寒くなく、何とも云へない好い心地の夜である。私は母親と肩を並べるやうに懐かしく傍に寄り添ひながら、
「おかあはん、ほんたうにお久し振りでした。かうと、いつお目にかゝつたきり会ひませんでしたか。」といつて私は過ぎたことを何彼と思ひ浮べてみた。
はじめて女を知つた当座、自家はどこ、親達はどうしてゐる、兄弟はあるのかなどと訊いても、だれでも、人をよく見たうへでなければ容易に実のことをいふものではないが、追々親しむにつれて、親は、六十に近い母が今は一人あるきり、兄弟も多勢あつたが、みんな子供のうちに死んで、たつた一人大きくなるまでは残つてゐた弟が、それも去年二十歳で亡くなつた。それがために母親はいふまでもなく自分までも、今日ではこの世に楽しみといふものが少しも無くなつたくらゐに力を落してゐる。叔父叔母といつても、いづれも母方の親類で、しかも母親とは腹の異つた兄弟ばかり。父親の親類といふのは何処にもなく、生命の綱とも杖とも柱とも頼んでゐた弟に死なれてからは本当の母ひとり娘ひとりのたよりない境涯であつた。彼女は、ほかの事はあまり云はなかつたが、弟のことばかりは腹から忘れられないと思はれて、懐かしさうによく話して聞かせた。私は、そんな身の上を聴くと、すぐさま自分の思ひ遣りの性癖から「天の網島」の小春が「私ひとりを頼みの母さん、南辺に賃仕事して裏家住み。死んだあとでは袖乞非人の餓ゑ死にをなされようかと、それのみ悲しさ。」と喞ち嘆くところを思ひ合はせて、いとさらにその女が可憐な者に思へたのであつた。
もとは父親の生きてゐる時分から上京の方に住んでゐたが、廓に奉公するやうになつて母親も一緒に近い処に越してきて、祇園町の片ほとりの路次裏に侘しい住ひをしてゐた。そこへ訪ねていつて初めて母親に会つた。そして後々の事まで話した。彼女はこんな女にどうしてあんな鶴のやうな娘が出来たかと思はれる、むくつけな婆さんであつたが、それでも話の様子には根からの廓者でない質朴のところがあつて、
「ほんまの親一人子ひとりの頼りない身どすさかい、どうぞよろしうお願ひいたします。」といつて、悲しい鼻にかゝる声で、今のやうに零落せぬ、まだ一家の困らなかつた時分のことなどを愚痴まじりに話してきかせた。その話によると、彼女の家はもと同じ京都でも府下の南山城の大河原に近い鷲峯山下の山の中に在つたのであるが、二三十年前に父親が京都へ移つてきた。故郷の山の中には田畑や山林などを相当に所持してゐたが随分昔のことで、その保管を頼んでゐた人間が借金の抵当に入れてすつかり取られて無くしてしまつた。
「あれだけの物があればこの子にこない卑しい商売をさせんかて、あんたはん結構にしてゐられますのや。」母親は心細い声でそんな古いこと迄いつてゐた。
女もそこに坐つて、黙つて母親と私との話を聴いてゐたが、大きな黒い眼がひとりでに大きくなつて充血するとともに玉のやうな露が潤んだ。
「もう古い事どすやろ。」と、彼女はたゞ一口音無しく云つて、母親の話もそれきりになつた。
その後夏の終頃までも京都の地にゐる間偶に母親のところへも訪ねていつてその度ごと女の後々の事など繰返して話してゐたのであつた。振顧つて指を折つてみると、もうあの時から足かけ五年になる。
「おかあはん、あなたがどうして居られるか私、始終、心に懸つてゐたのです。手紙の度にあなたのことを訊ねても何処にゐるのか、少しも委しいことを知らないものですから、一向不沙汰をしてゐました。」
「滅相もない。私こそ御不沙汰してます。あんたはんが始終無事にしとゐやすちふこと、いつもあの娘から聞いてゐました。ほんまに何時もお世話になりまして、お礼の申様もおへんことどす。」
月の下の夜道をそんなことを語り合ひながら私達はもう電車の音も途絶えた東山通を下へしもへと歩いていつた。そして暫く行つてから母親は、とある横町を建仁寺の裏門の方へ折れ曲りながら、
「こつちやへおいでやす。」といつて、少しゆくと、薄暗いむさくるしい路次の中へからから足音をさせて入つていつた。私はその後から黙つて蹤いてゆくと、すぐ路次の突当りの門をそつと扉を押開いて先きに入り、
「どうぞお入りやして。」といつて、私のつゞいて入つたあとを閂を差してかたかた締めて置いて、又先きに立つて入口の潜戸をがらりと開けて入つた。私もつゞいて家の中に入ると、細長い通り庭が又も一つ、やうやう体の入れるだけの小さい潜戸で仕切られてゐて、幽かな電燈の火影が表の間の襖ごしに洩れてくるほかは真暗である。母親はまたそのくゞりをごろごろと開けて向うへ入つた。そして同じやうに、
「どうぞ、こつちやへずつとお入りやしとくれやす。暗うおすさかい、お気付けやして。」
といつて中の茶の間の上り框の前に立つて私のそつちへ入るのを待つてゐる。私は手でそこらをさぐりながら又入つて行つた。と、そこの茶の間の古い長火鉢の傍には、見たところ六十五六の品の好い小結麗な老婦人が静かに坐つて煙草を喫つてゐた。母親はその老婦人にちよつと会釈しながら、私の方を向いて、
「構ひまへんよつて、どうぞそこからお上がりやしてくれやす。お婆さん、どうぞ御免やしとくれやす。」といつて、自分から先きに長火鉢の前を通つて、すぐその三畳の茶の間のつきあたりの襖の明いてゐるところから見えてゐる階段の方に上がつてゆく。私はそれで、やつと段々解つてきた。
「これは、此の品の良い老婦人の家の二階を借りて同居してゐるのだな。」と、心の中で思ひながら自分もその老婦人に対して丁寧に腰を折つて挨拶をしつゝ、母親のあとから階段を上がつていつた。すると、階段のすぐ取付は六畳の汚れた座敷で、向うの隅に長火鉢だの茶棚などを置いてある。そして、その奥にはもう一間あつて、そちらは八畳である。
母親は階段を上がるなり、
「おいでやしたえ。」とそつちへ声を掛けると、今まで暗い処を通つてきた眼には馬鹿に明るい心地のする電燈の輝いてゐる奥から女が先刻のまゝの姿で静かに立つて来た。まるで先程の深く考へ沈んでゐる様子とは別人のごとく変つて、打ち融けた調子で微笑みながら、
「お越しやす。先程はえらい失礼しました。こんな、むさくるしい処に来てもらうて、済んまへんけど、あこより此処の方が気が置けいでよろしいやろ思うて。」と、彼女はお世辞のない、生な調子でいつて、八畳の座敷の方に私を案内した。
私はもう、それで、すつかり安心して嬉しくなつてしまひ、座敷と座敷の境の閾のところに立つたまゝ、そこらを見廻すと、八畳の右手の壁に沿うて高い重ね箪笥を二棹も置き並べ、向うの左手の一間の床の間には一寸した軸を掛けて、風呂釜などを置いてゐる。見たところ、もう住み古した雑な座敷であるが、それでも八畳で広々としてゐるのと、小綺麗に掃除をしてゐるのとで何となく明るくて居心地が好ささうに思はれる。座敷のまんなかに陶物の大きな火鉢を置いて、そばに汚れぬ座蒲団を並べ、私の来るのを待つてゐたやうである。私は、つくづく感心しながら、
「これは好い処だ、こんな処にゐたのか。いつからこゝにゐたの。まあ、それでも此様なところにゐたのならば、私も遠くにゐて長い間会はなくつても、及ばずながら心配して上げた効があつたといふものだ。うゝ好い箪笥を置いて。」
私はさういひながら尚ほ立つてゐると、
「まあ、どうぞこゝへお坐りやして。」と、母子ともどもして云ふ。
やがて火鉢の脇の蒲団に座を占めて、母親は次の間の自分の長火鉢の処から新しい宇治を煎れてきたり、女は菓子箱から菓子をとつてすゝめたりしながら暫く差向ひでそこで話してゐた。
「長いことあんたはんにもお世話かけましたお蔭で私もちよつと楽になつたとこどす。」
自分でもよく口不調法だといつてゐる彼女は、たらたらしい世辞もいはず、簡単な言葉でそんなことをいつてゐた。
私はいくらか咎めるやうな口調で、
「そんならそれと、なぜ、もつと早く此処へ来てくれ話をするとでも言つてくれなかつたのだ。一ケ月前此方へ来てからばかりぢやない、もう今年の初め頃から、あんなにやいやい喧しいことを云つて寄越したのも、それを知らぬから、入らぬ余計な憎まれ言をいつたやうなものだつた。かうして来てみて私は安心したけれど。」
すると、母親も次の間の襖の蔭から声を掛けて、
「この子がさういうてゐました。おかあはん、私は口が下手で、よういはんさかい、あんたから、お出でやしたら、ようお礼いうてえやちうて。……此家のことも、もつと早うにお返事すりや好うおしたのどすけど、この子が二月に一と月ほど、ちよつと心配するほど患ひましたもんどすさかい、よう返事も出しまへなんだのどす。」
私はそちらへ頭を振向けながら、
「いや、もう、かうして来て見て、思つてゐたほどでなかつたので安心しました。」と、そちらへ声を掛けた。
ちやうど気候の加減が好いので、いつまで起きてゐても夜の遅くなつてゐるのが分らないくらゐである。
やがてまた母親が、
「もう二時を疾うに過ぎたえ。……あんたはんもお疲れやしたろ。お休みやす。」
といつたので、やうやく気が付いて寝支度をした。
六
そこがあまり居り心が好かつたので、何年の間といふ長い独棲生活に飽いてゐた私は、さうして母子の者の、出来ぬ中からの行きとゞいた待遇ぶりに、つひに覚えぬ、温い家庭的情味に浸りながら一ケ月余をうかうかと過してしまつた。その為に、まだ春の寒い頃から傷ねてゐた健康をも、追々暖気に向ふ気候の加減も手伝つて、すつかり回復したのであつた。
女は用事を付けてその月一ぱいだけは一週間ばかり家にゐたまゝ休んでゐた。どこかへ一緒に歩いてみようかといつて誘つても、
「ほんとに商売を廃めてしまうてからにします。」とばかりで、夜遅く近処の風呂にゆくほかは一日静かにして家にとぢ籠つてゐた。そして稚い女の子の気まぐれのやうに、ふと思ひ出して風炉の釜に湯を沸かして、薄茶を立てて飲ましたりした。そして、そこにある塗り物の菓子箱を指して、
「わたしが二月に病気で寝てゐる時これを持つて、見舞ひに来てくれた人が、その時私を廃めさすいうてくれたんどつせ。」
「へえ、そんな深い人があるの。」
「深いことも何もおへんけど。」
「そして引かすといつた時あんたは何と云ったの。」
「私、すこし都合がおすさかいいうて断りました。」
「その人はどんな人? 何をする人。」
「やつぱり商人の人です。」
「まだ若い人?」
「若いことおへん。もうおかみさんがあつて、子供の三人もある人どす。」
「そんな人為方がないぢやないか。」
「そやから、どうもしいしまへん。」
「でも向うではお前が好きなのだらう。」
「そりや、どや知りまへん。」
母親のゐない時など私達二人きり座敷で遊んでゐて、そんなことを話すこともあつた。女はいつも無口で真面目なやうでも打融けてくると、よくとぼけた戯談を云つた。
母親がどこかへ行つてゐない時、宵のうちから私が疲れたといつて、床を取つてもらつて楽枕をして横になつてゐる傍にきて彼女は坐つてゐたが、急に真面目になつて、
「私、あんたはんにはまだいひまへなんだけど、本当は一人子供が出来たんどつせ。」と、いふ。
私は初は疑ひながら、凝乎と女の本当らしい眼の処を見て、
「嘘だ。」といふと、
「うゝ、」と、女は頭振りをふつて、「ほんまどす。」といふ。
「それは、そんな商売をしてゐたつて、全く例のないことでもないから。本当?」
「ほんまどすたら。」
「へゝ」と、いつてゐたが、私はむらむらと真気になつてきて、体中の血が凍るやうな心地になり、寝床の上に腹這ひに起き直つて、
「いつ? 近いこと?」追掛けて訊ねた。
すると女は、いよいよ落着いて、
「えゝ、ちよつと半歳ほどになります。」
「ぢや、私が一年半も来なかつた間のことだな。」といつたが、私は自然に声が上づつたやうになるのを、わざと心で制しながら、「ぢや、おかあはんも喜んでゐるだらう。どんな人間の子? お前にも覚えがあるの?」
「お母はん、悦んではります。」
「さうだらうとも。それが、いつか話したお前の病気の時廃めさすといつて来た人のこと? ……そしてその赤ン坊は何処にゐるの? どこかへ里子にでも預けてあるの。」
私はもう、何も彼もさうと自分の心で定めてしまつた。さうすると、胸が無性にもやもやして、口が厭な渇きを覚えて堪らない。そして、さう思ひつゝ、寝ながら改めて女の方を見ると、いつもの通り、しつとりとした容姿をして、なりも繕はず、不断着の茶つぽい、だんだらの銘仙の格子縞の袷衣を着て、形のくづれた銀杏返しの鬢のほつれ毛を撫で付けもせず、すぐ傍に坐つてゐる顔の蒼いほど色の白い、華奢な円味を持つた、頷のあたりがおとなしくて、可愛らしい。私は心の中で、
「どんな男が、この私の生命と同じい女に子を生ましたのだらう。何故私の子が生まれなかつたか。そんなことが万一にもあるかも知れぬからこそ、一日も早く商売を廃めさしたかつたのだ。いよいよ可けないことになつてしまつた。」と、そんなことを思つてゐると、女は、
「その子を見せまよか。」といふ。
「うむ。見せてくれ。どこにゐる。男の子か女の子か。」
「女の子どす。ほんなら伴れて来ます。」と、いつて女は立ち上がつた。
何処から伴れて来るだらうと思つて、私は女の背姿を睨むやうに見守つてゐると、彼女は重ね箪笥の上に置いてあつた長い箱を取り下ろして、蓋をあけて、その中から大きな京人形を取り出した。
「何あんだ、人を馬鹿にしてゐる。」私はそれで、一杯に詰まつてゐた胸が忽ち下がつたやうに軽くなつて、大きな声で笑つた。
女もほゝと、柔和な顔をくづして静かに笑つた。
「えゝお人形さんどつすやろ。」
私は「うゝ。」と、たゞ答へたが、その人形や塗物の菓子器の彼方にいろいろな男の影が見えるやうな気がした。
女はよく二つ並べた箪笥の前に坐つて鍵をがちやがちやいはせてゐたが、
「あんたはんに見てもらひまよか。」といつて、衣装戸棚の中からいろんな衣類をそこへ取拡げて見せたりした。大島紬の揃つた物やお召や夏の上布の好いものなどを数々持つてゐた。
「大変に持つてゐるぢやないか。それだけあれば沢山だ。」
「それら皆、あんたはんに頂いた物で拵へましたのどす。」
母親もゐて、次の間から此方を見ながらさういつてゐたが、さうばかりでもなささうであつた。
「これもあんたはんので……」と、いひながら彼女は一枚一枚脇へ取除けてゆくうちに、つい此の間の夜着てみた金茶の糸の入つた新調らしいお召し袷衣に手がかゝつた時、私が、
「それも?」といつて、訊くと、何故か、彼女も母親もそれには黙つてゐた。
「こんなに持つてゐれば安心ぢやないか。」さういふと、母親は、
「まだまだあんたはん、たんと持つてゐましたのどすけど、上京から祇園町へ来るやうになつた時、みんな売つてしまひましたのどす。人のために災難に罹つて、持つてた物を悉皆取られても足りまへんので、此の子にたうとうこんな処へ出てもらはんならんやうになつてしまひました。」母親の悲しさうな愚痴が又始まつた。
「こつちやへ来てからかて、来た当座にはまだ大分持つてゐましたえ。」
「あんたはん、この子何でも人さんに物を上げるのんが好きどすさかい、今のとこへ来た時、あんなところへ来るやうな人皆な困つた末の人達どすよつて、ひどい人やと、それこそ着たままの人がおすさかい、なんでも好きなもんお着やすちうて、持つたもの皆な上げてしまひましたのどす。」
「初めてそこへ来た時わたし、人が恐うおしたえ。」
「それはさうだつたらう。づぶの世間知らずが、何方を向いても性の知れない者ばかりのところへ入つて来たのだから。……それでも体さへ無事でゐればまた先きで好い事もある。」
「ほんまに体一つ残つてゐるだけどつせ。」彼女はさういつて笑つた。「残つてゐるのは、あの古い長火鉢と、あの掛硯だけどす。」
私は又そこらを見廻した。箪笥の上には、いろんな細々した物を行儀よく並べてゐたが、そこには小さい仏壇もあつた。私はそれに目をつけて、
「あの仏壇は?」
「あれも新しいのどす。お母はん、こつちやへ来る時古い仏壇を売るのが惜しうて。」女はさういつて又柔和に笑つた。
私も笑ひながら立ち上つて、その小さな仏壇の扉を開けて中に祀つてあるものをのぞいて見た。一番中央に母子の者の最も悲しい追憶となつてゐる、五六年前に亡くなつた弟の小さい位牌が立つてゐる。そして、その脇には小さい阿弥陀様が立つてゐられる。私は何気なく、手を差伸べてそれを取つてみようとすると、その背後に隠したやうに凭たせかけてあつた二枚の写真が倒れたので、阿弥陀様よりもその方を手に取り出してよく見ると、それは、どうやら、女の死んだ父親でも、又愛してゐた弟の面影でもないらしい。一つは立派な洋服姿の見たところ四十恰好の男で、も一枚の方は羽織袴を着けて鼻の下に短い髭を生した三十ぐらゐの男の立姿である。私はそれを手に持つたまゝ、
「おい、これは何{ど}うした人?」と、女の着物を畳んでゐる背後から低い声をかけた。
すると女は、すぐ此方を振顧りながら立つて来て、
「そんなもん見てはいけまへん。」と、むつとしたやうに私の手から其等の写真を奪ひとつた。