兵隊宿
ひさし少年は、馬の絵をかいている。
三頭の軍馬が、並んで駆けて行く姿を真横からかいている。
日曜日なのに、父親は工場から迎えの人が来て、つい先程、朝食が終ると早々に出かけて行った。出かける前に、これが今日の分だよ、と言って、四つ切の画用紙を一枚ひさしに渡した。
勉強部屋は、日々草が咲く裏庭に面しているので、母親と住み込みの小母さんが洗濯物を干しながら話しているのがみんな聞えてくる。この家の物干場は、ひさしの部屋からは見えないところにあるのだが、今日は、そこが客蒲団や敷布類でふさがってしまったため、母親と小母さんは、裏庭の樫の木を利用して綱を張り、客用の浴衣を干している。
「将校さん達、もう輸送船に乗ったでしょうか。」
小母さんが言う。
「乗ってもまだ、港の内じゃないかしら。そう簡単には出て行けないでしょう。」
母親が言う。
「この暑い時に、海の上でじかに照りつけられて、いくら若いといっても船酔いする人もいるでしょうに。」
「見るものといえば毎日空と海ばかり。これから親の待つ郷里へ帰るわけではないし、物見遊山に行くわけでもない。それを思えば、こうして船に乗る前の何日か宿をさせられるのも、いやだとは言えなくなるのよね。」
「でも、一と晩、二た晩はまだいいとして、いくら食事の世話は一切いらないといっても一週間というのは長過ぎます。」
「時勢だ、お
「うちは兵隊さんのお宿は出来ませんって、断りなさるお宅はないんでしょうか。」
「どうなのかしら。病人でもあれば、いくら割り当てだと言われても困るでしょう。」
小母さんは、乾いた浴衣の襟を両掌に挟んで、ぱちぱち叩くようにしながら皺を伸ばしている。そして、ちょっと不服そうな声で言う。
「隣組の組長さんが、お宅は部屋数が多いんだからと言って、宿を引き受けるのが当り前のような顔して割り当てに見えるでしょ。わたしゃ、どうもあれが気に入らない。たくさん割り当てられて喜ぶとでも思っているのかって言ってやりたいですよ。」
「組長さんにしてみれば、言いたくて言っているわけではないでしょう。」
「そんなことは分っています。でも、この町内で大勢引き受ければ、けっきょくは自分の顔がよくなるじゃありませんか。」
「旅館がいっぱいになって、港に近い町家に宿を頼んでくるのは仕方がないと思うけれど……」
「旦那さまも奥さまも、少しお気がよ過ぎます。いつだって、はい、はい。わたしゃそれもじれったい。船を待っている人の身になれば、そりゃわたしだって奥さまと同じです。わたしが言いたいのは、組長さんのことですよ。時にはもう少し困らせたほうがいい。」
ひさしはこの一週間、いつもは土蔵へ行く通路をも兼ねている仏間で、両親の間に挟まって寝て、それはそれでけっこう愉しかった。部屋を変えて寝ると、両親と旅行している時のような気がした。あと二年もすれば、ひさしも中学受験である。
隣組の組長からの達しによると、乗船待ちの出征軍人の宿を割り当てられた場合、食事、入浴の世話は一切する必要なし、寝室と夜具の提供だけでよいということであった。隣組の人たちは、この宿のことを「兵隊宿」とよんで引き受けた。
ひさしの家では、これまでにももう何度かこの宿を引き受けていて、一日だけのこともあれば、今度のように一週間も続く場合もあり、たまに兵隊が一緒のこともあったが、大方は将校で、いちばん多い時は五人だった。
ひさしの家には、簡単な庭掃除や、家のまわりのちょっとした片付けには、古くから出入りしている老人がいるが、行儀見習いということで来ていた若い女は、親の看病に帰ったままなので、住み込みの小母さんはかなり忙しかった。
小母さんは、兵隊宿をすると、洗濯物が増えるのと、家の中で
戸別に人数の割り当てをする時、組長がどういう基準でしているのかはひさしの母親にはよく分らなかった。しかし、部屋数だけで言うなら、当然宿を引き受けてよいはずなのに、割り当てられていない家もあった。また、ひさしの母親は、組長から、今回は、お宅へは割り当ての人数を少なくしてあげました、というような言い方をされたこともあったが、別にそれを感謝したこともなかった。
ひさしの家では、組長からの達し通り、食事、入浴の世話は一切しなかった。ただひさしの母親の性格から、お茶とお菓子だけは厚くもてなした。そうしないではいられなかった。黙ってお茶しか飲まない将校がいた。自分達は、ご迷惑をかけてはいけないことになっていますから、と断って、菓子に手をつけない将校もいた。すすめられるまま、嬉しそうに菓子を口にし、お茶のお替りをする将校もいた。もてなしに対するどのような対応を見ても、見ているうちに胸を塞がれそうになるのがひさしの母親だった。
兵隊宿の割り当てが始まってまだ間もない頃、ひさしの母親は、家で草餅をつくって出したことがある。この時は将校だけでなく、兵隊が一緒だった。兵隊宿をすることになっても、ひさしにはそのための用が増えるわけではなかったから、この時もひさしはけっこう愉しかった。
ひさしの家では、ひさしが物心ついてからというもの、正月餅はいつも工場の人が手伝いに来て、家で
ひさしは、母親と一緒に暮の風に吹かれながら、竈に薪を入れて煙にむせたり、蒸し上がった糯米を、神棚や仏壇に供えに走ったりした。熱い糯米を
ひさしの勉強部屋と、部屋に続く広縁には、この日ばかりは上敷が敷かれ、ここが急拵えの丸餅製造場になった。ひさしの母親と手伝いの若い女は、搗きたての餅を木箱にとると、す早く手と餅に粉をふり、片手で絞り出すようにしながら、一方の手でどんどん千切り取って小さな丸餅をつくってゆく。
ひさしは、いくら母親に教わっても、千切り方も丸め方も丁寧過ぎるので、途中で餅が冷えてしまい、あとは、粘土細工に四苦八苦するような工合であった。指先や掌にからんだ餅がそのまま固くなってしまうと、熱いお湯にでもひたさなければ、容易に元の手には戻らない。
けれどもこの餅搗きも、人手が思うにまかせぬようになり、父親もまた世の中を気にして万事自粛気味になり始めてから、簡素化された。父親は、出入りの男に頼んで、臼は石臼、杵は一本、それも手で振るのではなく、足で踏むと杵が上がり、足を外すとひとりでに杵が落ちて臼の中のものを搗くという装置を軒下につくらせた。これなら男手はなくても餅搗きが出来る。
兵隊宿の割り当てが来るようになった頃は、もうこの石臼に変っていた。小母さんが杵を踏み、母親が手水をさし、ひさしがそのまわりをちょろちょろして草餅が出来上がった。本を読みながらでもお餅が搗けるから、わたしゃ女二宮金次郎よ、と小母さんは得意気だった。
しかしこの時、兵隊に草餅を食べさせることは出来なかった。将校が手をつけなかったので、兵隊はそれにならうほかなかった。
「お心づかいに感謝します。」
兵隊は、玄関で直立不動の姿勢をとり、ひさしの母親に挙手の礼をすると、あわただしく将校のあとを追った。
「あの馬鹿将校が。」
小母さんは流しで洗いものをしながらひとりで怒っていた。
「折角なのに、なぜ部下に食べさせないのか。部下の心も汲めずにいい指揮ができるわけがない。」
小母さんは罵り続けた。
ひさしの母親も、小母さんの言うのが当っているような気がした。あの将校は、部下の心どころかわたし達の気持さえ、と思いかけてまた考え直した。いやあの将校も辛くなかったはずはない。部下に与えるほうがどんなに気持が楽だったろう、そう思うと、部下だけでなく、将校もあわれであった。
今朝ひさしの家を発って行った将校達は、ひさしの母親には、いずれもまだ二十代の若さに見えた。彼等は滞在中、毎朝早く、馬丁が馬を
ひさしは毎朝、表に出て騎馬の将校を見送った。夏休みがさいわいした。ひさしの父親は、いつの時でも、泊りの軍人には会わなかった。世話はもっぱら母親と小母さんの仕事で、将校達は一体に口数が少なかったが、それでも言葉を交すのはひさしがいちばん多かった。
ひさしの目には、それぞれの将校の乗る馬はいつも決っていた。いちばん背の高い将校の馬が姿がもっともよく、その次に姿のよい馬には肥った将校が乗った。背の低い、そして痩せた将校には、それらしい馬のあてがわれているのがひさしにはおかしかったが、毛並のいちばん美しいのはこの馬だったので、よかったと思った。
背の高い将校が、皮袋に入っている腰の日本刀を、抜いて見せようかと言ったことがある。しかしひさしは首を振った。刀よりも馬のほうに興味があった。
馬は、からだの大きさの割には不釣合なほど目がいいとはよく人が言うけれど、どうしてあんなにやさしい目をしているのだろうとひさしは思った。馬の目を見ていると、それが馬の目だということをよく忘れた。それに、前肢後肢の動きは何度ながめても驚くばかりで、その動きの複雑さは、不思議をこえて、そういう生きものをつくった目に見えない何かをひさしに怖いと思わせた。すばらしいと思わせた。
ひさしはよく、周囲に誰もいないのを確かめてから畳の上に四つん
毎日、三頭の馬を間近に見られることが、ひさしをいきいきとさせた。ひさしは、学校で自由画というといつでも馬の絵をかいた。図画の先生は、ひさし君の馬は、クラスの他の誰がかく馬とも違って生きている、そう言ってよく賞めた。新聞社主催の小学校の図画の展覧会に、本人には黙ってひさしの馬を出品して、特賞をとらせたこともある。ひさしは、うれしくなくはなかったが、賞に対しての格別の執着はなかった。賞より馬、だった。
宿題の絵をひさしに頼む友達がいた。先生に見破られると、君も困るだろう、だから、君が、これで半分の出来上がりだと思うところまでかいてほしい。あとは自分がかく。友達はそう言った。ひさしはこの友達に何度馬をかいてやったかしれない。しかし、友達にかいてやっているという気持には一度もならなかった。あの馬の目の深いやさしさと、四本の肢の驚くべき動きを、何とかあらわしたい一念であった。かけばかくほど、実際の馬の目はいよいよやさしく、四本の肢の動きはいよいよすばらしいものに思われ、かくことで自分がそれに近づいているような気もするのに、逆に遠ざかっていくような感じもあって、かく度に初めての驚きとよろこびを味わった。不安もまたその
父親が毎日一枚しか四つ切の画用紙を与えないのにはそれなりの理由がある。父親はひさしに、用紙を無駄遣いしないようにと言った。けれども父親は、ひさしが宿題とは関係なく、毎日好きでかく絵に熱中しはじめると、時を忘れて打ち込むのを内心では頼もしく思いながらも、健康のことも気になるので、一枚の絵ならどんなに時間をかけてもという見通しから、無駄遣いせぬよう、一枚だけという約束をひさしと取り交した。
また、いつでも、せめてもう一枚用紙があればという気持を残させることが、ひさしの絵のためにはかえってよいだろうという考えもこの父親にはあった。学用品は全部母親がととのえてくれるのに、この画用紙だけは父親の管轄だった。学校とは関係がないからだろうとひさしは思った。
あの坐り机の、あの
一つの抽斗には、工場の大事な書類らしいものが入っていた。耳掻きや毛抜、それにピンセット、虫眼鏡の類の入っている抽斗もあった。虫眼鏡の種類は多くて、中には、二枚、三枚のレンズを、重ねたりずらせたりして観るものもあった。同じ抽斗には外国製の万年筆も何本か入っていた。父親は、毎朝床を出る前に、前日の日記をつける習慣があったが、用いる万年筆はすべて外国製品だった。
ひさしが知っているもう一つの抽斗には、外国切手を貼り込んだ厚い台帳が一冊と数冊の大学ノート、それにまだ分類されていない、セロフアン紙にくるまった外国切手がたくさん入っていた。父親は、こういう切手をどこかに注文しているらしく、定期的に送られてくるようにひさしには思われた。
父親は、休日になると、ひさしをよく机のそばに呼んで、
「新しい切手を見るか?」
と言い、ひさしが、身を乗り出すようにして、
「見せて。」
と言うと、入手したばかりの切手を、ピンセットで一枚ずつ丁寧に扱いながら、白い用紙の上にひろげて見せた。消印のついているものも、そうでないものもあった。別に何を説明して聞かせるというのでもなく、ただ、
「これはほんとうに珍しいな。」
とか、
「色がいいと思わないか。」
などと言い、ひさしに時々虫眼鏡を使って図柄をよく見るようにすすめた。
家の中では洋服類を一切身につけず、外出着も、よほどの時以外は和服で通している父親が、外国切手を一枚ずつ集めてよろこんでいるのにひさしの心は和んだ。
ひさしは、この父親から、小学校に入ってまだ間もない頃こう教えられたのを今もってよく覚えている。
「もしもやむを得ず暗闇の中を歩かなければならないような時には、必ず、握り拳をして、肘に顔を隠すようにして歩きなさい。外の敵を予想して、目を危険から守ることが第一だからね。」
ひさしが、父親から具体的な言葉で教えられたことと言えばこれ一つぐらいで、あとは何も思い出せない。
四つ切の画用紙は、机の左側のいちばん下の抽斗に入っていた。しかし、あとの二つの抽斗に何が入っているのかは、ひさしには分らなかった。中身の分らないまま鍵のかかっている抽斗を持つ大きな机は、ひさしにとっては、やはり父親そのものであった。
三日前の夜のことである。
馬で帰って来た将校達は、いったん座敷にくつろぐと、背の高い将校が代表格になって、ひさしの母親にこう申し出た。
「長い間、ご厄介をおかけして申し訳ありません。自分達の出発も、あと二、三日後に迫りました。ついては、出発前に、ひさし君を連れて、神社参拝をしてきたいと思います。間違いのないよう、責任をもちますから、明日一日、ひさし君を自分達に預けて下さい。」
その神社というのは、ひさしが低学年の頃、学校の遠足で幾度も行っている神社で、春は境内の桜に、別の土地からも大勢の人が集った。近くには川もある。ひさしの母親は、
「ありがとうございます。本人はきっとよろこびますでしょうが、主人が戻りましたら相談しまして、改めてご返事させていただきます。」
と言って引き退った。
ひさしに、どう? と探ると、一日中馬といられると思って、行く、行く、とはしゃいだが、たまらなくなったひさしが直接将校達に、
「明日も、馬で行くんでしょう?」
とたずねると、背の高い将校が、
「明日は電車だよ。」
と答えたのにはひさしもがっかりした。
ただ、子供心にも、将校達がこの町を出発してからの運命というものを漠然とながら思わずにはいられないので、自分が断るのは気の毒だという気持も起った。しかし半分は、ぼくを連れ出すなんて迷惑だなあ、という気持だった。あの人達は、この土地の人ではないからあの神社が珍しいのだろう。桜といっても、今は葉っぱばかり。用心しないと枝や葉から毛虫が落ちてくる。でも、やっぱり行こう。決めた。お父さんが行っていいと言うなら、ぼくが案内役だ。
その翌る朝、冷たい麦茶を入れた水筒を母親から受け取ったひさしが、将校達と一緒に家を出たのは、九時過ぎだった。
「どうぞよろしくお願いいたします。」
母親は腰を深く曲げて将校に頼んだ。
電車の中でも、道を歩いていても、彼等がほとんど口を利かないことがひさしにはありがたかった。ひさしは、学校の帰りに、買物から帰って来る小母さんと出会ったりすると、気が重くなった。小母さんは、
「今日はどうでした? お弁当はみんなあがりましたか? 宿題は多いんですか?」
とか、
「夕方から工場の人が見えるんだそうですよ。お風呂は、食事の前にします? それとも後にします?」
などと言いながら、ひさしにしきりに返事を求めてくる。
将校達は、別に急いで歩いているふうではなかったが、歩幅が広いので、ひさしはどうしても急ぎ足になった。背の高さに関係なく三人が歩調を揃えているので、ひさしは、訓練というのはすごいものだと感心する。途中、兵隊と出会うと、兵隊のほうは一様に歩調をとって、将校達に敬礼を送った。白手袋が、きびきびした動きで挙手の礼を返す。ひさしは、ついて歩くだけで上気した。
参道に入るところで川のながめが
川に、馬はいなかった。
ひさしは、
「練兵場で演習を終った騎兵隊の馬が、よくこの川に入って来るんだけど、早いから、今日はまだ、いない。」
と、言い訳をするような表情で言った。日も暮れ近くなって、一列に並んだ騎馬の兵士が、手綱を操りながら土手の斜面を静かに下って川の中に馬を進め、
四人は、馬のいない川のほとりでしばらく休んだ。
ひさしは、この近くの練兵場へは、友達とよく模型飛行機を飛ばしに来るのだと言い、練習を終った騎兵隊の馬は、いつもどのあたりから、どのようにしてこの川のほとりに出てくるのかを細かに説明した。
「ひさし君は、よほど馬が好きなんだなあ。馬は賢いからね。」
と、背の高い将校が言った。
「どれくらい賢い?」
とひさしが聞いた。
「時によっては人間よりも。」
と肥った将校が答えた。
瘠せた将校は、ただ静かに笑っていた。それからしばらくたって、
「ものが言えなくても、からだでものを言うし、人の心ははっきり読む。」
とひとりごとのように言った。
神社の境内は、葉桜のさかりであった。
ひさしは、ここではよく、外出を許可された陸軍病院の傷病兵が、白衣に軍靴のいでたちで、面会に来た家族らしい人たちとベンチに腰かけているのを見かけるが、午前中とあって、ここでもまだそれらしい人の姿は見られなかった。ひさしは、そのことにむしろほっとした。ここに来るまでは予想もしなかった安堵だった。
三人の将校は、軍帽をとると、長い間本殿に向って頭を垂れていた。ひさしはその後ろから、見習って同じように頭を垂れていた。神社の裏手には、戦死者の墓地がある。ひさしは、将校達がその墓地に気づかないうちに早くこの境内から連れ出さなければとあせっていた。参詣人はまばらであった。
陽に灼けた顔でひさしが帰って来たのは、もう夕方だった。脇に、軍馬の画集のようなものを抱えている。背の高い将校は母親に、
「ありがとうございました。責任もって、ひさし君をお渡しいたします。」
と言った。
ひさしは、母親からその日一日のことをたずねられても、あまり
ひさしは、将校達と、とりたてて言うほどの話をしたわけではないのに、三人に対する自分の気持が、出かけて行く時とははっきり違っていることに気づいていた。
迷惑だなあ、という思いはいつのまにか消えていた。それで、母親に対する報告も、何となくはずまないのだった。
「行ってよかった?」
と母親に聞かれてうなずきはしたが、からだ全体でうなずいているわけでもなかった。
今朝、将校達が引き上げて行ってから、ひさしは勉強部屋に入って夢中で三頭の馬をかき続けた。じっとしている馬は、今朝はかきたくなかった。毎朝、三人を迎えに来た三頭の軍馬を、思いきり走らせたかった。走らせずにはいられなかった。
一と月ばかり経って、ひさしの父親当てに、三人の将校の連名で封書が届いた。一枚の写真と、簡単な文面の手紙で、そこには、滞在中の世話に対する礼が述べられ、自分達は元気で軍務についていること、ご一家のご多幸を祈るという主旨のことが無駄なく書かれていた。
写真は、神社の葉桜を背景に撮ったもので、真中に立っているひさしの後ろから、背の高い将校がかがみ込むようにしてひさしの両肩に手をかけ、肥った将校は、軍刀の
封筒の裏書きに、三人の居場所は明記されていない。部隊名だけが記され、その気付となっていて、表には「検閲済」のスタンプが捺してある。ひさしは、三人の将校が、家族の中で自分だけにしてくれた別れの意味を考えようとしながら、にわかに湧き出してきたとりとめのないかなしみの中で、自分がこれまで知らなかった新たな感情の世界に、いま、確かに一歩入ったということを知らされた。父親にも母親にも言えないまま、じっとその思いをかみしめていた。
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2005/11/22
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