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日本之情交論

 情交の事は人生の一大事にして社会改良の途に当りて最も密に講究せざるべからざる問題なり(しか)れども其事たる稍々(やや)公言しがたきの事情あるにや近日我邦(わがくに)婦人の事に関しては電信の線のながながしき論文を掲げられたる新聞雑誌多けれども敢て此論点にまで勇進したる程の記者は一人も見当らざるは惜しむべき也余は(かか)る情味には(うと)きものなれども余りに現時の有様の捨て置き難ければ敢て進みて其先鋒とならん

 (けだ)し人生の快楽は男女情交の完全なるより盛んなるはあらざるなり故に社会の組織にして果して此情交を毀損(きそん)するが如きものあらんには有識の士は早く之を看破し之を排斥して社会の幸福を増進することを勉めざるべからざるなり余(ひそか)に思ふ今日我邦の社会は尚ほ此の一事に於て(おほい)に欠くるあるを何となれば封建の分子今ま尚ほ存在して退去すべからざるものあれば也夫れ男女真正の愛は全く平等なるものなり其間(そのかん)(かつ)て君臣の義あるものにあらざるなり上下貴賎の別あるものにあらざるなり男は其女を以て終身の友と為し女は其男を以て偕老の(とも)となし(とも)に艱難を共にし与に安楽を共にせんとす何ぞ位格の考へ其間に発することあらんや()し君臣主僕の関係此間に存せん()其交際は愛情の存する者にあらず従て幸福の存するものにあらざるなり故に社会の人々をして皆な真正の情交を得せしめんと欲せば先づ社会の組織をして平等ならしめざるべからざるなり然るに封建の社会は人々皆な不平等なるものなり此時に当りてや社会の人は君臣にあらざれば則ち主僕なり夫れ君臣主僕の秩序は平等なる情交と両立すべき者にあらざるなり故に主家の娘子にして其家僕と共に平等なる情交を結ぶに於ては其家制乱るべし君家の子弟にして其下婢と平等なる情交を結ぶに於ても亦た(かく)の如くなるべし故に不義は御家の固き御法度(ごはつと)にして之を禁ずるの厳なる多くは之を罰するに死を以てせり何となれば平等の情交は以て不平等の秩序と混乱すべからざればなり然れども此厳禁と(いへど)も尚ほ能く人性の至強なる愛情を滅絶すべからずして時に或ひはこう隙(こうげき? 再現不能の難漢字。間隙の意か。)の窺ふべきものあり是に於て()一家の大変を起こし宗社(そうしや)の興廃に関する程の結果発すること也去れば徳川氏時代の記者が記する所を見るに此人生の幸福に欠くべからざるの愛情を以て(ただち)に視て以て悪事となせり簑笠翁の輩が著述せる小説を見て之を知るべし彼の犬塚信乃の濱路に於ける朝夷(あさひな)義秀の其妻に於ける何ぞ其無情なるや(こころみ)に其何に故に(かく)の如く無情ならざるべからざるやの理由を()だせ決して之あらざるべし理由なくして(みだ)りに無情なるは君子の(おこなひ)にあらざるなり(いは)んや其女子皆な可憐の佳人にして其徳に於て()づるなきものなるをや然るに簑笠翁等の著作する所に因れば(いやし)くも婦人を愛するの念あるものは(ただち)(へん)して以て放蕩の遊冶郎(いうやらう)となし書中の主位を占むる程の男子は凡て女子に無情なること(あだか)も鉄石の如くならしめたり是れ()に人情ならんや其れ忠臣は孝子の門に()づ女子に情なきもの豈に其君に情あらんや彼の曽我の十郎祐成が其父の(あだ)を討つに臨み(その)情人虎に贈くるに馬を以てしたるを見よ又た欧州の中世任侠の風武族の間に行はれ約を守り義を結び婦女子の危険を救ひて以て其世に尽したるを見よ其孝其義()とより賞すべし(しか)して其愛情に連繋せるを以て更に人をして感覚せしむるものあり(けだ)し人事の諸業此(この)一愛情を欠けば全く粗雑無味のものとなることなり達摩(ダルマ)大師の面壁九年何ぞ術なきや深艸(ふかくさ)元政(げんせい)の嘗て二代目高尾の情人たりしに()かざるなり武藏坊弁慶の大皷を浮べて宇治川を渡りたる何ぞ滑稽(へうきん)なるや梶原源太が(えびら)に梅を挿みて神崎の横道に外づれたるの雅趣あるに()かざるなり人情の帰趣大約(かく)の如し馬琴の輩無情を以て君子と為す蓋し事理を解せざるものなり然れども是れ独り馬琴の罪にあらず封建世界の道徳実に此の如くなりしなり故に余は実に封建の遺風を以て情交の敵となさゞるべからず

 我邦王朝の時情交の稍々(やや)行はれたりと称す然れども貴族的の情交は真正の快楽あるものにあらざるなり貴族の女子()に事理を知らんや女三の宮の柏木に遭ひ浮舟の匂ふ宮に接せし情況如何(いかん)を見よ戦慄して口言ふ能はざるが如くなりしにあらずや然らば則ち管絃糸竹の技ありと雖も器械の精神なきに異ならず何ぞ情交の真味を知らんや王朝の時の婦人は交際あるもの也尚ほ(かく)の如し(いは)んや後世貴族の家に養成せられ全く交際を閉鎖せられたる女子をや(けだ)木偶(デク)に異ならざるのみ又た貴族豪商の(がんこし)(旦那の意)の如きも情交の真味を知るべきものにあらざるなり彼れ自ら其身を立つるの技なく其後途を考ふるの智なし唯々美なれば則ち愛ありと為し直に之に耽溺す春水金水の輩が記する所を以て其一斑を(うかが)ふべし畢竟(ひつきやう)軽忽(けいこつ)無謀の情交にして真正持重(ぢちよう)の愛情にあらざるなり然り(しかう)して数多(あまた)の妻妾を蓄へて以て快楽と為すものゝ如きに至りては畢竟嫉妬瞋恚(しんい)の戦争を見て以て快楽と為すと同一にして人情あるものゝ為し得べきものにあらず故に貴族的の人物は情交の快楽を弁護すべきの智なき者なり偶々(たまたま)人生に生れ出たるに(かく)の如く迂愚(うぐ)に一生を送らんは()に惜しむべきことならずや故に社会の幸福を増し人生の快楽を進めんと欲せば勉めて貴賎貧富の段階を撤し平民的則ち平等的の情交を発揮せざる(べか)らず余熟(つらつ)ら泰西諸国の事情を査察するに其情交や決して我国の如く軽忽無謀なるものにあらざるなり蓋し西洋の俗たる男女相会することは(つと)に頻々たりき或ひは教会に於てし或ひは学校に於てし互に朋友となりて交遊せり共に宗教の玄理を談ずること是あり共に文学の情趣を評すること是あり共に音楽の曲節を話し(あひ)和鳴して楽しむこと是あり共に古今万国の英雄豪傑の事跡を論じて意見の符合せるを喜ぶこと是あり其楽みや(けだ)し言語の(ほか)にあらん夫れ男の性は剛なり故に男と男と相交れば其論時に相和し難きものなきにあらず故に男と男との交際は其親密を適当の限界に止めざるべからざるものあり女の性は柔なり故に女と女と相交はれば深く意中を談ずるが如きこと稀にして其交(まじはり)(つひ)に親密なるを得ざるあり唯々男女の交際に於ては剛柔善く調和して意見相ひ契当す加ふるに天性の愛情更に之をして恋着せしむるものあり故に交遊の楽は男女交遊の楽に過ぐるものなきなり之を情交と云ふ故に天下の楽は情交の密なるに過ぐるものあらざるべきなり是を以て西洋の俗たる少年の士女情交を結びて談話するに当りては父母と雖も(みだり)に其室に入りて其快楽を妨げずと云ふ豈に亦た(よき)習俗にあらずや然り而して此情交の遂に軽忽無謀の弊を発せざる所以のもの(そもそ)も理由あり女子学識ありて男子容易に妄言を加ふべからざる一なり男女共に宗教の考あるを以て天帝の眼下にありて罪を犯すべからざる二なり男女共に朋友ありて其耳目の鋭敏なる深く戒しむべきものある三なり交遊久しきを以て終身の計を思ひ深く自ら警戒する所ある四なり其余にも尚ほ数多の小源因あるべし要するに此等の源因相合して而して無謀の挙動を制止するが為に其交際の深密なること夫婦と同一なるが如くにして而して未だ(かつ)て一語の之に及ばざるが如き情交行はるゝこと也

 我国に於ては女子学識あることなし故に男子にして之に対して無礼の言を吐くを恐れざるなり女子宗教の考なし故に自ら制するの力あるなきなり女子交友なし其無謀の挙動を嘲笑するものなきなり(かく)の如き女子豈に終身の計あらんや是に於て()其女子をして軽忽の挙動なからしむるの術は唯々之を深窓の中に閉鎖して全く四方の交際を絶つより善なるはなし(あだか)も室中の花の如し嘗て世界の空気に当らざるなり恰も籠中(ろうちゆう)の鳥の如し嘗て高木大樹の枝に上るを得ざるなり唯々父母の慈愛を以て時に放許せらるゝは観劇と墓参とのみ()く閉鎖せられたる女子にして偶々男子を此時に見る故に其愛情の発する軽忽無謀にして其学識の多少心情の厚薄財産の有無等を較察するに(いとま)あらずして先づ恍然として其風姿を慕ふことなり去れば従来我国の女子が騒動を引起せしもの多く墓参と観劇との場合にあるは之が為なり是れ皆な最初封鎖の甚しきの致す所にあらずや

 我国の父母が其男子に対する挙動亦た之と同一なりき封建時代にありては諸侯の公子は勿論巨商豪農の児子と雖も交遊すべきの朋友を得ざる也平生其左右に接する所のものは皆な其臣下なり嘗て平等の交友あるにあらざるなり其男子に於けるすら尚ほ(かく)の如し(いは)んや女子をや世の女子皆な深窓の内に封鎖せられて嘗て男子の眼界に来たらざるなり是に於て()血気(まさ)に盛んにして交を異性に求めんと欲するものは(いで)て花柳の巷に遊ばざるを得ず花柳の情交は商業なり男子の此間に遊ぶもの貨幣あれば即ち交を()貨幣なければ交を得ざるなり(ここ)に於て()其交愈(いよい)よ親密を加ふるときは其費愈よ多きを加へざる可らず此男子(もと)より自ら貨幣を得るの人にあらず皆な父母の給する所なり父母素より放蕩の貨幣を給せず故に勢ひ男子は父母の貨幣を竊取(せつしゆ)するにあらざれば父母をして其負債を(つぐな)はしめざるを得ず父母之を聞きて驚き或ひは之を勘当し或ひは之を閉鎖して而して遂に春水金水の輩をして其話題を得せしむるに至ることなり畢竟皆な封建の組織の完全ならざるの致す所なり故に十分なる改良を情交に加へんと欲せば男子をして交遊すべきの女子を得せしむるは世の女子を放て自由に男子と交遊するに至らしめざるべからず世の女子の父母たるもの能く之を諾すや否や

 論者或ひは曰く今日に当りて世の娘子をして自由に男子と交際せしむるは甚だ危しと余亦た之を危む然りと雖も之を導くに方法あり一は女子をして耶蘇教を信ぜしむること是なり二は女子をして学校に入らしむること是なり請ふ少しく之を述べん(けだ)し耶蘇教は容易に人心に入りて而して其品行を規すること極めて厳格なるものなり故に娘子にして宗教の信其の心に存せん()余其品行の必ず正しからんことを保證するなり是れ女子をして耶蘇教を信ぜしめんと欲する所以(ゆゑん)なり学校の事に至りては其知識を増進せしむるの他に效験あるべき者にあらず故に女子にして知識あるも其品行必ずしも正潔ならんとは云ふべからず然れども知識あれば必ず無謀の挙少なかるべく且つ学友多きを以て自ら其品行を戒しめざるべからざるに至るべし是れ余が女子をして学校に入らしめんと欲する所以なり(おも)ふに此二事あらば十分に我国の女子をして其品行を規せしむるに足るありて而して自由に男子と交遊せしめて而して過誤なからしむるの方法なるべし欧米諸洲現に之を行ひて而して其效験(かく)の如きを見ば之を我国に行ふも何ぞ同一の結果を発せざらんや

 嗚呼(ああ)情交は人世の一大快楽なり而して其快楽は実に結婚の後にあらずして結婚の前にあることなり然るに我国に於ては全く此快楽を禁絶す()に其れ社会の一大欠典にあらずや我下等社会に於ては()とより欧米諸洲と同一なるものありて存せり唯々其未だ発達せざるものなるを以て素とより粗雑なりとの評を免かるゝ能はざるべしと雖も其快楽の度に至りては(はるか)に貴族の情交に勝るなるべし其れ情交は極めて敏捷なるものなり其情を語るもの豈に独り言語文章のみならんや之を様子に示し之を容貌に顕はし一笑の間寸鉄人を殺すの武器を存するものなり貴族は人情に(おろそか)なり此情交に適したる人物にあらざる也女子あり此武器を貴公子に用ふるも貴公子は感ぜざるべく男子あり之を貴女子に用ふるも貴女子は応ぜざるべし何ぞ木偶(デク)と異ならんや故に情交の快楽をして十分に我国に発達せしめんと欲せば貴族的の分子を社会より排除して其組織をして十分に平等ならしめざるべからざるなり余之れを聞く往日某将軍は常に自から木履(ぼくり)穿(うが)たざるを以て木履を穿ちたる後独り自ら歩むを得るも自身にて木履を穿つこと能はざりしと又た之を聴く某諸侯は常に自ら烟草(タバコ)烟管(きせる)(てん)ぜざるを以て姻草を吹くの智あるも姻草を填ずるの知なかりしと又た之を聞く一落語家貴族の会に出でゝ一話を(はな)したるに其感覚余程尋常の人と(こと)にして尋常の人の涙を垂れて憐むべき場合にも嘗て其感情顕はれずして却て平凡尋常の場合に非常の笑語を発せりと夫れ(かく)の如し其智識感覚皆な異様に発達したるが為に(かく)の如き現像を発すること也嗚呼(ああ)此輩何ぞ共に情交を語るに足らんや此輩にして情交ありと云はゞ牛羊兎豚と雖も情交ありと云はざる可らざるなり現時我国の時勢大に此風習を免れたりと雖も情交の現状を察すれば未だ全く平民的に至らずして貴族的の遺風大に存するものあり是れ余の喋々(てふてふ)する所以(ゆゑん)なり

 

(明治十九年六月)

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2003/12/02

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田口 鼎軒

タグチ テイケン
たぐち ていけん 思想家 1855・4・29~1905・1・13 江戸目白台(現東京都文京区)に生まれる。早く英語に親しみ徳川慶喜の藩校というべき沼津兵学校で西周らに学んだ成果が、主著『日本開化小史』6巻等の豊富な著作に成った。思想的根底には自由貿易と民権運動への情熱が燃えていた。

掲載作は、1886(明治19)年6月に『日本之意匠及情交』として初出刊行されたうちの「情交論」を採上げた。男女交際より女子参政権、性表現の解放にいたる近代史に先駈けている。

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