原始(抄)
《目次》
地 理
私を取り巻いているのは何だ
肉親だ
枯木の多い庭だ
私は地球儀を廻す
このあたりだらう
新月の光に濡れて
私がつッ立つているのは
手 首
片一方の車輪にまるまつて柘榴のような手首がダラダラ角に突き当り、弾き飛び、砂塵を上げてころがつて行つた。
色上げしたやうな赤い月。
露に濡れた草花はみんなその方へまひ上つてしまふた。
おんごくの蟻はそれを見てゐた。
ここに、
一つの町が増え、
人たちはむかふの山へ向ふて行つた。
豚の邊
遥かな、
前方、
そのピカピカ光る山脈の起伏も、
湧きあがる乱雲の彩も、
日と共に太りゆく首を上げては、最早望み得べくもなか
つた。
それは昔、
芋の子のように乳房にぶら下つて仰ぎ見た景色だが、そ
んな思出は今、誰彼の頭にもすれすれに薄れてしまつた。
《突如! 首っ玉にからみついた投繩に顛倒した仲間が、
潰れた鼻からヒリヒリ絶叫をあげて血の滲んだあの眼でこ
の世の最後に見たものは、ひよっとするとこの薄れ勝ちな
記憶の光彩であつたかも知れない。いやそれだけは信じた
い。》
日と共に、
この肉体は、この意志におかまひなく顎を前につんのめ
らせ、残飯の饐えた臭ひに近づけしめた。
自由な手足があれば、
照る陽に応えて、
せめて淡紅の皮膚を輝かせたいものを。
汚れは募るばかりだ。
こんな汚れた皮膚の下で醗酵しているものに、自分自身、
何と慙愧に耐へぬものがあることか。
しかし、
見ろ、
向ふに、
われらと共に汚れ果てて、
猶もその肉体におかまひなく、
威張り散らしてゐる嫌な野郎が一人いるのだ。
片手に棒を下げて、
平気の平左で。
東京(第六番)
まくれあがつたうすべりの下はコンクリートの床
ガラスのない窓枠に新聞紙
――寝たままで失礼
――ここは区役所土木課住宅係の管轄で
――東館は戦災者 西館は引揚者
――どの部室もこの通り 何しろもう一ぱいで
壁に焼痕が地図を描き
ひん曲つた赤錆びの手摺に
おしめの垂れている十一月の曇天
――それじやあなたも
――三船とは早かつたですね
――自分らは張家口の無蓋列車組で とうとう神経痛にや
られまして 還つてきてからはもう寝たつきりで
――そりやそうと 今度はいつ頃向うへ行けるんでしよう
か 何しろ年寄 子供まで 支那が支那がといいまして
露出した鐵筋にひつかけられた骨箱 華北交通のマークを
かがつたボロ服
寒風が錐揉みしている。
京橋区○○国民学校厚生アパート
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2009/06/17