六月
まあ、なんと云つたらいゝだらう、――自分の身体がなんの事もなくついばらばらに壊れてゆくやうな気持であつた。身を縮めて、一生懸命に抱きしめてゐても、いつか自分の力の方が敗けてゆくやうな――目が覚めた時、彼は自分が夥しい
(おや、こゝは警察署だな。)と彼は思つた。すべてのものが静かに息を潜めて、そしてあたりの空気が元気なく疲れて冷え冷えしてゐる様子が、夜の既に深く更けてゐる事を物語つてゐた。――すべてこれ等の事が一瞬の
「警官、警官、私はどうしたといふんです。私の身の上に一体何事が起つたのです。」
事によつたら、それは署長であつたかも知れない。そんな風に思はれる五十格好の男であつた。その男は思ひがけないところを驚ろかされたので、
「うむ? あ?」と一寸まごついて、今まで居睡でもしてゐたらしい顔をあげた。痩せてげつそりと肉の落ちた
「奴さん正気が附いたらしいや、おい、△△君、あつちへ連れて行つてどこかへ寝せてやるといゝよ。」と叫んだ。
年の若い、まだやつと二十二三になつたかならないかの巡査が一人佩剣を鳴らしながらカタカタと現はれて来た。その若い男は、卓の男がまだ笑つてゐるのを見ると、自分もにこにこしながら、
「気は確かな。大変にのんだくれやがつて、
彼は思はず、熱心に、
「一体どうしたといふんです?」と問ひ寄つた。
「呆れ返つた奴だ、あれがちつとも覚えがなけりや、あのまゝ死んだつて覚えがないといふものだ――川へ落ち込んだのだ。一旦沈んで暫らく姿が見えなくなつて仕舞つてな――署員総出といふ騒ぎだ。」
「全く危険であつた。」とそばにゐた、他の一人の警官が云つた。
「野郎、寒がつてぶるぶる慄へてゐやがる!」
こんな事を云つて、彼の丸裸を指差して笑つてゐる連中もあつた。
彼の頭にはそれらしい記憶は何も浮んで来なかつた。只夢のやうだと思ふ外はなかつた。
燈のない暗い廊下みたいな所を通つて、とある部屋の中へ押し入れられた。暗闇の中を手探りすると、畳の敷いてない床に、荒い毛の毛布があつたので、それにくるまつて横になつた。
横になつて暫くすると、鼻の穴の奥が痛がゆいやうな感じがした。それに続いて
再び目が覚めた時は、闇がいくらか薄らいでゐた。手足がいやに冷たく冷えてゐた。頭は、棒のやうなものに撲られでもした後のやうに不健康な不愉快な響で充ちてゐた。
彼の入れられてゐた部屋は、これは又何といふ恐喝的な造り方の部屋であらう! 一方はコンクリートの壁で囲まれ、他の一方にはその面一ぱいに四寸角の柱を組んだ格子がはめられてある。入口はその格子の一部分で、そこに鉄製の
薄い、あるかなきかの明るみが右手の方から格子を通して左手の壁の上に漂うてゐた。彼はその覚束ない未明の光を打ながめながら、咋夜来の自分の身を思うた。
いくら考へても考へ直してみても記憶と記憶との間に一ケ所大きな穴があつて、そこの所がどうしても
彼はもう一度、初めから順序を追うて昨夜の記憶を頭の中にくり返してみた。
日暮れごろから、××町のさる料理屋の大広間で、社の懇親会があつた。雨がびしよびしよ降つてゐた。庭の木立が白く
どうしてもこの先がはつきりしない。
部屋を二つほど隔てたと思はれるあたりに時計が四時を報じた。どこか板敷の床の上をコツコツと歩く靴の音がして、やがて奥の方で、「△△君、○○君、交代!」といふ声がした。しばらくすると又前と同じやうな靴の音がコツコツとして、そのあとはまた以前と同じやうな寂寞に帰つた。
今までつい気がつかずに居たが、家の直ぐそとに何やらさらさらと水の流れる音がしてゐる。耳を澄ますと時々舟が通るのかひたひたといふ波の音も聞えてくる。
彼は起き上つて、一方の壁に身を寄せて、今更のやうにつくづくあたりを見廻した。もう、夜がすつかり明けてゐた。ふと見ると、自分のゐる直ぐ右手の壁の上に、爪で書いたらしい「願放免五月二十三日」といふ字が読まれた。彼は心持ちが急に暗くなつて来た。罪悪、罪人、本物の囚人、こんな事がいろいろに考へられた。五月二十三日と云へば、ついまだ一ケ月と前の事ではない、これを書いた人はどんな人であつたか、そしてその人は何の為めにこゝへ入れて置かれたのだらう、そんな事まてがいろいろ気になつた。入口の所へ一人の警官が来て、
「おい!」と彼を呼んだ。そして覗き込むやうにして内を見た。彼が目を覚まして壁によりかゝつてゐるのを見ると、一段あらたまつた調子で、
「貴様の名は何といふのか。」と問うた。
「曽根四郎と申します。」と彼はをかしい程丁寧に答へた。
警官は、それから現住所、原籍、族籍、父の名、その者の第何男であるかまで詳しく聞いて一々それを手帳に控へた。最後に彼の職業が何であるかを尋ねた。彼は職業は何かと問はれてはたと当惑した。新聞の記者をしてゐるのだから「新聞記者です。」と云へば何の面倒もないのだが、彼はなぜがさう云ふのが不正当のやうに考ヘられた。
「詩人です。いや無職業です。」と、かう云ひたいのが山々であつた。が、そんな事を云はうものなら、それこそどんな面倒が起きるかわからないと思うたので、一寸口ごもつて「新聞へ出てゐます。」と答へた。
その言ひ方が不明瞭だつたので警官は敏活にこれを聞きとがめた。
「新聞だと? 配達夫か。」
「新聞記者です。」
彼はかう言はなければならなかつた。
そこでその新聞社の名を訊くと、もうあとは何も別に詳しい事を尋ねようともしなかつた。小半時間ばかりして新聞社から着物を持つて人が来たので、彼はその部屋から出されて応接室へ移された。そこでは給仕がお茶を持つて来て呉れたりした。湯気のたちのぼる熱いお茶をすゝりながら、彼は初めてほつと大きな吐息をした。閑な警官が二三人そこへ来て笑ひながらいろいろと昨夜の話をして聞かせた。それによると、何でもまだ十時を一寸過ぎたばがり位の時刻だつたさうだ。落ちたといふのはこの警察署のすぐわきを流れてゐる溝川で彼の落ち込む所を一人の警官が丁度見てゐたといふ事だ。そこに川なんかのあるのにてんで気がつかずに居たものらしく、道が曲つてゐるのを真直ぐに歩るいて来て大手を振りながら落つこちて仕舞つた。……
それから一人の警官は、わざわざ彼を窓の所まで引張つて来て、下の方を指差しながら「それ、その川です。岸の石垣の高さがあれでも一丈もあるでせうよ、……梯子を下すやら、それは、騷ぎましたよ、……君の帽子がぶんぶらぶんぶら流れてゆくのを見て、それを君だなんて云ふものがあつたりして、その辺に君の姿がしばらく見えなくなつて仕舞つたんですからね。……でも、まあ、君の運がまだ尽きなかつたんですね。……何しろ素敵に酔てゐたんだから。」
こんな事を言つた。
曽根はそれ等の話を一語も聞き洩らすまいと熱心に聞いた。聞きながらもその場合々々の記憶を呼び起さうと一生懸命にあせつてゐた。しかし、覚えのない部分は飽くまで覚えがなく朦朧としてゐた。それが又彼を暗い憂鬱に陥らしめた。
下宿へ帰つた時、玄関のあたりに主婦の姿が見えなかつたので彼はほつと幽かな吐息をした。大急ぎで車屋に賃金を払ひ、車のけこみへ乗せて来た濡れた洋服の風呂敷包みを片手にぶら下げて、梯子段を走るやうにして上つた。
部屋は昨日の朝出た時のまゝに取散らかつてゐて如何にも不愛想に感ぜられた。新聞が障子のすき間から
何かしら自分といふものが限りなく不憫でならなかつた。自分をかばつて居てくれるものが、この広い広い世界に誰一人ないやうに思はれて淋しかつたのである。ほんとに自分の命だつて自分が一寸でも油断しようものなら、どんな事になつて仕舞ふかわからないやうに思はれて怖ろしく、そして哀れでならなかつた。
口を塞がれるやうな、今にも窒息して仕舞ひ相な苦しみの記憶が時々彼の頭に浮んで来た。目をつぶると、丸裸の身体にぼろ毛布をまきつけられて、警察の留置所に入れられて
お午少し過ぎに、曽根の部屋へ宿の主婦が入つて来た。主婦は忌々し相に彼に云つた。
「……あの、御都合はいかゞでございませうか。」
いつものおきまりのやつである。彼は別に言ひやうもないのでいつものとおり、
「どうも、今何にもないんです。どうぞ今少し待つて下さい。そのうちにきつとどうかしますから。」と云つた。
主婦は(またか。)と云つたやうな顔附をしてしばし黙つてゐたが
「わたし共でも大変に困つてゐるんですよ。……それに、はじめ月の五日に幾らか出して下さる筈でしたのにそれも駄目、十日までにはこんどきつと
と云ふ事でしたのに、其もなんなんでせう。家でも都合があつて払ひの方へもさう云つてあるんです。……あんまりなんすると
いつもなら、曽根はかう云はれゝば遂それにつり込まれてその気になり、本当に自分が大変に済まないやうに思ひ、出来ないのは知りつゝも(両三日中にはきつとどうかしますから。)と云つた工合に出るのだが、今日はそれを云ふ元気さへなかつた。そして却つてあべこべに心の中に余裕があるやうであつた。それに布団の中にゐたので多少気が落ち附いてゐたものと見えて、(まあ、
主婦はまた続けた。
「私の申上げやうが手ぬるいと云つて何時も私は良人に叱られるんですよ。かんしやくを起して酷く私を
(なあに、たかゞ五十円足らずの金ぢやないか。いつまでやらないと云ふのではなし――よし又全然それが払へないで終つたとしたところで、それが僕の全生涯から観て、どれ程の不善でもありやしない。)
何と云つても彼が黙つてゐるので、主婦は
「ほんとに困つて仕舞ふ。――それでは月末には是非間違なくお願ひしますよ。」と云つて思ひ切りわる相に出て行つた。
曽根は、今日一日社を休み、「自分の生命」のために、そんな小さな事に煩はされずに、もつと
灯ともし頃になつて、友の松本がひよつこりやつて来た。また例によつて少し酒気を帯びてゐた。事によつたら、もう少し飲み足すつもりかなんかで、いくらか借りに来たのだつたかも知れないが、悲槍な顔をして曽根が寝てゐるのを見ると、それどころではなく静かに近寄つて、
「どうしたのだ、身体の工合でもわるいのか。」と憂はしげにたづねた。
曽根は病気で寝てゐるのでない事を云ひ、昨夜の事を告げ「生命の自覚」の如何に淋しいかを物語つた。
あとで、松本は自分のはなしをはなした。
「とてもやりきれない、月給でも増してくれなければ、今度こそはいよいよ退社して仕舞ふ。なあに、いよいよ窮すればそこに必らず又新らしい道が開けるにきまつてゐる――」
かう云つた。彼の話によると、彼の勤めてゐる社は実に大へんに可憐相な事になつてゐるのだ相だ。社に一人悪い奴が居て、社主が地方へ出張してゐる間に社の金を費ひこむ、仕て置かねばならぬ仕事は手も附けず、おまけに社主の妻君と姦通したとか、しないとか。松本もそんな地盤の上でいくら働いても働き甲斐もなければ、また働く精もないといふのだ。何やかや一切が気に入らないので毎日酒を飲んでごろごろしてゐるので小遣がなくなり、なくなりしてこの月になつて社へちよくちよく月給の前借をやりだし、今ぢやもう月末になつて貰ふ分が一文も残つて居ない、それに下宿の払ひも二月ばかりたまつてゐるし、そんな事も云つた。
しかし、おしまひにはやがて昂然とした調子で「悲観することはないさ。やがて一切の事が皆どんどん経過して仕舞ふのだ。如何なる苦悩も、如何なる困窮もいつかまた『時』と共に我々から過ぎ去り、消え去つて仕舞ふのだ。」こんな事を語り合ふのだつた。
翌朝、寝床を離れた時、曽根の頭は
蒸し暑い、光と熱とを多量に含んだ初夏の風が、梅雨ばれの空を吹いてゐた。水気に富んだ低い雲がふはふはとちぎれては飛び、ちぎれては飛びしてゐた。地上にはそれにつれて大きな斑をなして日陰と日の照る処とが鬼ごつこでもしてゐるやうに走り動いてゐた。せかせかする気忙しいやうな日であつた。人の心も散漫と乱れて落ちつかなかつた。曽根は警察の留置所でくはれた南京蟲のあとが赤くはれ上り、気持が悪くてしやうがないので、社へ出る前に一寸医者へ行つて薬をつけてもらつた。そして手だの首筋だの外へ出て人目に触れる部分には繃帯をしてもらつたりした。
社へ行くと、下足番の爺さんが、彼の上草履を出しながらにやにや薄笑ひして何か彼に云ひ相にした。彼は何か云はれないうちにと努めて不愛相な顔付をして急いで梯子段を上つた。其処で外勤のFミ何とか云つた男に出会つた。するとその男はお互に遂ぞこれまで口を利いた事もないのだが、
「おや、曽根さんお目出たう。」と云つて彼の肩を叩いた。
「いや。」と、あいまいな返辞をして、振り払ふやうにして編輯の部屋の方へ行つた。
誰かぱちぱちと手を
「昨日の市内版ヘ、もう少しで君の記事が載るところだつたよ。すんでのことでさ。」
「新聞配達夫水に溺るつてね。」
三面の主任がかうつけ足して笑つた。
外務主任がやつて来た。二面のL、一面のO、……いつか四五人の人が彼の周囲に集つてゐた。そして(矢張り一種の酒乱といふものさ。)(天才はどうしでも常人とちがふね。)(これからは少し謹むこつたね。実際戯談ぢやないよ。)こんな、てんでに勝手な事を云ひ合つた。曽根はこれ等の人達の前で小さくなつてゐる自分の姿を想像した。自分はなぜもつと群衆に封して威厳がないのかと思うた。黙つて伏目になつてゐると、苦々し相な薄笑を浮べて気味の悪いほど不得要領な顔付をしてゐる自分の顔が鏡を見るやうにはつきりと自分の目の前に見えた。眼尻に集まる細い意気地ない皺、小鼻のあたりに現はれる過度の反抗的な表情。
一面のS文学士とMとがやつて来て、「失はれ相にして助かつた幸運な君の生命の為めに祝盃を挙げようぢやないか。」と云つた。すると、直ぐ前の卓にゐたAが頭を
「賛成賛成!」かう云つて書きかけの原稿を側へ押しやつた。
曽根は常になく片意地なちぐはぐな心持であつた。彼は心の中で思つた。
(御親切は
SとMとAと、それに二面のT法学士も加つて、四人は頻りにいろいろのカフェの名を並べて、あれかこれかと祝盃を挙げる今晩の席場の選定をしてゐた。
曽根はまた独りで腹の中で、(祝盃をあげるなら君達だけであげて呉れ玉ヘ。僕は多分、身体の工合がよくないから甚だすまないが……なんて嘘をついて途中から逃げ出すかも知れないよ。)こんな事を云つてゐた。
第一版の締切時間が迫つて来たので、何れも自分の卓へ帰つて行つた。
その日は丁度、政治界の一寸した名士が病死したのでその人の閲歴やら、逸話やらで、不時の記事が多くて割に忙しかつた。それに二面の方では支那問題、バルカン問題、米国の排日問題やらで、電報、通信、電話などがしつきりなしにやつて来てごたごたしてゐた。
編輯長の卓では、主筆、編輯長、一面主任、二面主任、H代議士など云ふ連中が明日の社説の事で互に意見を述べ合つてゐた。
原稿を工場へ持つて行くボーイ、ゲラ刷を工場から持つて来るボーイなどがバタバタと上草履を鳴らして、小走りして出たり入つたりした。中にはまだ雇はれたてのがあつて何か間違つた事をして、ひどく叱り飛ばされてゐるのなどもあつた。彼のゐる直ぐわきの所に車井戸のやうな仕掛けで受附から郵便物だの通信類だの、運び上げるものがあつて、それが間断なくギーギーきしツてゐた。それにつれてそれを知らせる鈴が幽かに鳴つてゐた。そしてそれが編輯局全体に一種の調子をつけてゐるやうにも聞かれるのであつた。
編輯の卓は一面二面三面と順に長く三列にならべられてある。その奥に一段低くなつて外務主任の大きな卓があり、それを起点にして二列に長く外歩きの記者達の卓がずらりと規則正しく列べられてある。そのあたりには絶えず煙草の煙が濛々と立あがり、雑然とした話し声、何か急を報ずる叫び声、電話をかける間のむだ話し声――それ等に混じつて誰がやつてゐるものか朝から晩まで碁を囲む音が如何にものんき相に、社の誰やらがよく云ふ「動中静あり」といふ言葉のやうにパチリパチリと聞えてゐる。
曽根は幸ひその日は割り当てられた仕事がなかつたので煙草をふかしながらあたりを眺めまはしてゐた。
(事によつたらこの部屋も今日が見をさめになるかも知れない。)こんな気がして今更のやうにつくづくとあたりを見た。壁、窓、カーテン、天井、天井からぶら下がつてゐる幾つかの電燈、隅々の戸棚、蓋のしてある煖炉、大きな八角時計、晴雨計、寒暖計、掲示板、――壁には所々に何者の趣味だか、いや何の意味だか呉服店だのビール会社だのの広告絵、大相撲の番付などが麗々しく貼られてある。と思ふと、万国地図、東京地図、などが不秩序にあちらに一ツこちらに一ツばらばらに懸けられてある。また何者の筆になつたか判明しない怪しげな骨董絵の軸などもさがつてゐる。中にはつい四五日前に新たに懸けたのもあれば、また十五年もそれより前からそこにぶら下げてあるやうなものもあつた。彼はそれ等を一ツ残さず隅から順々に眺めて行つた。しかし何一ツとして彼の心をひくものはなかつた。それ等のものからは何等の親しみも、何等のゆかしさも感ずる事が出来なかつた。
次ぎに彼はその眼を順よく向ひ合はされて並んでゐる幾列かの卓に転じた。各列の一番むかうのはづれに各その面の主任が居り、それから主任助手、主任次席、以下△△係、△△係と云つた風にちやんと各自その定められた席について各自割り当てられた仕事をしてゐる。卓の上は南京鼠の巣でもひつくり返したやうにどこもこゝも散らかつてゐた。原稿の書きそこなひを丸めたのや、煙草の灰、新聞のきれ屑、辞書類の開きつぱなしになつてゐるのや、糊壷、インキのしみ、弁当のたべた跡――割箸を折つて捨てたのや、香の物のおちたまゝになつてゐるのや――お茶の土瓶、湯呑のひつくりかヘつたのや――
しかし何れも(今初まつた事でもない。)と云つたやうに、誰一人としてそんな事を気にする者もない。
曽根は更に社員の一人一人に就いて眺めて行つた。最初に彼の目にとまつたのは、彼が自分だけで「
(やあ、むくさん、むく毛の猟犬先生――いつも
社の誰やらが、(あれは、もと貧しい家の産で、近年まで長いことさういふ方面にひどく不自由をして来たんだからさ。)こんな事を云つたのを、ふと思ひ出した。二面の主任は社としては今では無くてはならぬ大事な人物の一人である。事実この頃の社説の多くはこの人が一人で書いてゐる。彼は別にこれと云ふ教育も受けなかつた。その代りに長い月日の間滅多矢鱈に書物を漁り読んだ。初めから新聞の社説書きになることを心掛けて、たうとうそれに成功した人である。雄弁術といふものに依つて真面目に演説の仕方も練習もした。なかなかの悧巧者で、常に自分の周囲に多様な青年、大学生の群を近づけて置き、そしてそれとなくそれ等の人達から新思想、新空気を嗅ぎ入れる事を知つてゐる。どうかすると彼の書く論文の中には、某々青年、某々大学生の意見がそのまゝ出て来るやうな事もあつた。曽根が「むく毛の猟犬」と渾名をつけたのもこの辺から思ひ附いた事である。主筆は彼を今の世に最もよく要領を得てる人の一人だと何時もほめてゐる。――
社長がぬーッと入つて来た。(この社は隅から隅まで俺の所有に属してゐるのだ。)と云つたやうな、例へば、牧場主が自分の牧場を見舞ふ時のやうな得意さと、(俺のお蔭で……いや、お前達のうちどの男でもこの俺の意志一ツで追ひ出すこともどうする事も出来るのだ。)と云つたやうな尊大さとが、湯気かなどのやうに朦朧と彼の身体から立ちのぼつてるのが感じられた。
曽根はその方へ顔を向けた。その
(おや、社長さん――馬鹿に御機嫌が悪いやうですね。人の噂ぢや、この頃大分金が溜つたと云ふぢやありませんか。
曽根は何だか愉快になつて来た。そしてまた続けた。
(社長さん、ちよつと思ひ出したから
曽根はなほ次ぎから次ぎへとこんな風にして飽かず続けて行つた。そしてその日は一行も書くことがなくて五時少し過ぎると、夜の交代の来るのを待たずにS達の連中につれられて社を出た。
曽根はそれから三四日自分の下宿に帰つて行かなかつた。今日も社が退けて外へ出たが、どうしても下宿へ帰る気はしなかつた。今ごろのつそり帰つて行けば、何か面白くない事の二つや三つはきつと起つてゐるに相違ない。第一番にあの主婦がやつて来て長々と例のやつを催促する。それから約束しておいたのだから昨日は洋服屋が残の金をとりに来たに相違ない。あの洋服屋も可憐相な男だ。四十幾つになつて店はつぶれる、妻には先だゝれる、身を寄せる所さへなくなり、仕方なしに昔しの相弟子の店へ寝泊りまでさせて貰つて仕事をしてゐるのだ。苦労人だからあゝしてがみがみと云はないで何時も好い顔を見せてゐるが、あれは是非何とかしてやらう。無理しても近いうちに持つて行つてやらなければならぬ。だが、この俺はどうだ? また月末が思ひやられる。何と法を講じたものか? と云つて今更どうなるものか、また辛い思ひをしてもどこかへ泣き附いて借金をする外はない。だが、俺の知つてる奴に誰が金を持つてゐる? 金を持つてゐるやうな知己の所へは、どこもこゝも、義理を悪くしてゐるから行く事が出来ない。……昨夜泊めて呉れた長谷川は、そんなに困つてゐるならお伽噺でも書いたらどうか、少年雑誌の編輯をしてゐる人を知つてゐるからそれへ売り附けて上げる事にしてもいゝ、と云つて呉れた。さうか、まあ、これからそんな事でも少しづゝ初める事かな。……こんな事を思ひながらぶらぶら当もなく銀座の通りへ出た。
お伽噺などゝ云つたところで、どんな風に書いて良いものか、それにこの頃の子供はどんな事を好くか、それからして一寸当りが附かない、
なかなかうまいぞ、と思はず手を拍つた。するとその様子があんまり突飛でをかしかつたものと見えて、擦れちがつた二人連れの紳士がくすくす笑つて行つた。彼はそんな事には気もつかず、なほその先を一生懸命に考へてゐた。
新橋の先まで行つて、ふと気がついて引返した。
もう灯がぼつぼつつきだしてゐた。屋根上や、特にその為めに造られた高い塔の上の広告燈が、(さあそろそろ初めませうよ)、とでも云ふやうに二つ三つ、まだ暮れきらない薄明りの空に明るくなりまた暗くなりしてゐた。夕靄の白く立ちこめた街の上を、わけもなく初夏の夕を愛する若いハイカラ男やハイカラ女が雑沓にまじつてあちらこちらへ歩いてゐる。流行のみなりをしていそいそと、まるで尾ひれを振つてあるく金魚かなどのやうにしなしなと
曽根は(誰だかうまくやつてゐる奴があるな。)と思つた。どこかに、自分に隠れて自分の目のとゞかない所に、自分などの知らない事で、いゝ事がどつさりある事と思うた。淋しいやうな、やきもきとそゝられるやうな気がした。すると遂さつきまでお伽噺の筋を一生懸命に考へてゐた事などがあまりに意気地なく、あまりに馬鹿馬鹿しいやうな気がした。何といふ廻りくどい事だ、……いや俺は一体何歳だといふのだ。二十六七と云へば、花ならば今が満開だ。まつたく満開がいつまでも続くものか、「青年は人生の美しき口絵!」こんな事を誰やらが云つてゐる。「美しき口絵」そのとほり、そのとほり。……しかるに、
(おい、曽根君、当年二十七歳の美男子、君のその縮こまり方と来たらどうだい。棒切に突かれた
それから小半時間ばかりして、友の松本が彼等のよく行く銀座のとある酒場へ入つて行くと、そこの隅つこの方に一人で淋し相にウィスキーを飲んでゐる曽根の姿を見出した。松本は丁度誰かいゝ相棒をほしいところだつたから酷くよろこんだ。ソーッと曽根に気附かれないやうに彼の背後から両手で彼の目を塞いだ。
曽根は飛び上つて喜んだ。握手を求めながら云つた。
「何かうまい事でも見附かつたかね。」
「それどころではない。僕は社をやめて仕舞つたよ。」
「え? どうして?」
「あんまりけちな事ばかりで、退屈で退屈で我慢が出来なくなつて仕舞つた。」
「それで、どうしようといふのだ。」
「どうと云つて別に当なんかあるものか――まあ二ッちも三ッちもならなくなるまではかうしてゐるさ。その先はどうにかなる。
曽根は、何だが自分もやらうとしてゐた事を
「松本君! 君の健康を祝す。」と叫んだ。
酔がまはるにつれて二人は快弁になつた。二人共相手になんかおかまひなしで、てんでん勝手な事をどなつた。曽根はおどけた一種の節をつけて、
「……昔男ありけり、詩人にてありけるが、いまだ一つの作詩をもなさゞるにある日酒に酔ひて川に落ち、そのまゝみまかりけり。か、そのとほり、そのとほり。まるで
こんな事を云つてゐた。
松本は松本で、そんな事には耳をかさず、まるで演説でもしてゐるやうな口調で、
「……世の一切の得失が我々にとつて何でありませう。世の一切の美、一切の醜、一切の善、一切の悪、それが何でありませう。無職業、無一物、そして宿なし、まことに男気ある者のみの営み得る最も勇敢なる生活だ。そこにのみ誠に清新なる生活が味はゝれるのだ。……何を恐れ、何を憂へんやだ。如何なる苦悩も如何なる困窮も、やがて次ぎの時間に我々から「経過」して消えて行つて仕舞ふ、そして何時も我々の生命と、我々の思想と、我々の身体とが残つて存在してゐるのだ、これで沢山だ。……何といふ幸福でありませう。……」
こんな事を叫び続けてゐた。そして最後に彼は曽根の肩に両手を掛けて、曽根にも一日も早く社をやめるやうにと勧めた。
「……先輩、後輩、関係、背景、そして紹介状、……むかうに行つては辷り、こつちへ来ては転び、……曰く何系、曰く何団体、曰く何派、日く何、……まるで簇生植物のやうだ。うじようじよとかたまつて居なければ生きて行かれないやうな、そんな意気地のない権威のない生活が何になるのだ。……さう云ふ世界から一日も早く卒業しなければ駄目だ。」
それはまるで人を鞭打つやうな調子であつた。
二人がそこを出たのは大分遅かつた。街には全く人通りが絶えてゐた。空は高く晴れ、数限りもない星がチラチラと瞬き丁度頭の上に十八九日頃の月が紙片でも懸けたやうに不愛相に照つてゐた。二個の酔漢はよろよろと互に相もたれ合ふやうにしてその下を当もなくさまよひ歩いた。
数日の後、曽根は松本から一通の封書を受取つた。信州軽井沢としてある。これには次のやうな事が書いてあつた。
「昨日、
僕がこゝヘ来た事は無論、宿の者にも誰にも知らせない。このまま再び東京へ帰るまいかと思うてゐる。
真夜中ごろ浅間山が爆発をやらかした。今もなほ地に響いて盛んに
軽井沢へ僕が来たと云へば、僕が云ふまでもなく、君は(さうか)と頷くだらう。全くその通りだ。僕はお今が見たいばかりで此地へやつて来たのだ。
一昨夜、また一人で大泥酔をした。昨日、宿酔の頭をかゝヘながら下宿の窓からぼんやり青空を眺めてゐたら、どうした工合か空が常になく馬鹿に高く見えるのだ。見てゐれば見てゐるほどどこまでも涯しがなく高く感ぜられる。隣りの寺の屋敷にある大きな、高い
日本紙へ書いたのに、萬年筆のインキが少くなつてゞも居たのか処々にポチリと大きなしみが出来てゐたりして可成読みづらかつた。
その頃、曽根の社では、(川へ落ちる。)と云ふ言葉がはやつてゐた。人と人と議論でもしてゐると、そこへ行つて(君達の議論の行手には溝川が流れてゐるやうだぜ、おつこちないやうに気をつけ玉ヘ。)とか、誰か新らしい計画でも初める者があると、(あの計画も行く行くは川に落ちて仕舞ふね。)とか、または、(あの人の行く道には常に一つの溝川が添うて流れてゐる。)とか、こんなふうに云ふのである。
曽根は社へ行くのが大儀でならなかつた。社へ行つても誰ともあまり語り合はず、閑さへあればぼんやり
頭痛がするので一日社を休んで下宿に寝てゐた。するとその翌日も面倒くさくて届だけ出しで社へ行かなかつた。こんなふうにして二日続けて社を休んだら、その翌日もなほのこと社へ行くのが厭になつた。仕度をして家を出る事は出たが、途中から
その日の日暮方、彼は疲れ果てゝSミステーションの構内へ入つて来た。彼は一二等待合室へ入つて行つた。そしてそこのベンチに腰を下ろすと、はつと一つ吐息した。
頭の中は綿でも詰つたやうにぼんやりしてゐた。痴呆のやうに何も思ふ事もなかつた。ステッキにすがつて静かに目をつぶると、ひとりでうとうとと睡気がさして来た。自分の隣席で何か話し合つてゐる旅人の話声、コンクリートの床の上を忙しげに往来する人々の足音、戸をあけたてする音、荷物などを動かし運ぶ音、その他いろいろの雑音、さういふものがすべて彼の睡い耳に溶け合つて、さながら子守唄のやうに聞かれた。彼を睡らせる為めに唄ふ子守唄のやうに滑らかに静かに心地よく彼の耳に響いて来た。そして丁度その時駅夫がかしましく鳴らして歩いた、 汽車の出発を知らせる大ベルの音が彼の耳には
(大正二年二月「早稲田文學」)
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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