図書館サービスにおけるユニバーサルデザイン
目次
1. 図書館の多様なユーザーに対する市民の意識の違い
海外の図書館では、多様なユーザーの姿を多く見かける。ベビーカーを連れたパパやママ、小さな子どもたち、杖をついたシニア、外国からの旅行者、移民と思われる人々、学生たち、ビジネスマン、主婦、車いすユーザーや視覚障害者も、ごく当たり前のように図書館を利用しているのである。図書館は、欧米では地域コミュニティの中心の1つとして認識されている。そこは、誰もが使えることが当たり前の場所、という意識が、市民にも図書館スタッフにも浸透しているようだ。
だが現在、日本の一般の図書館で障害を持つ利用者を見かけることは多くない。図書館もハートビル法の対象であるため、車いすユーザーのアクセシビリティは一応確保されている。受付では、聴覚障害者向けに筆談器が置かれているところもある。一部の地域図書館では、対面朗読やDAISY(DigitalAccessible Information System)図書、拡大写本の作成などを手がけ、館内にも拡大読書器を設置するなどのサービスを行っている。だが日本では、図書館法の中に障害者サービスに関する規定が存在しないため、一部の意識の高い地域図書館が要綱を作っている以外は、図書館サービスのユニバーサルデザインを保障する法律や制度は、まだ存在せず、2010年の国民読書年に向けて「読書バリアフリー法」の制定を求める声が当事者から挙がっているところである。
また、図書そのもののアクセシビリティの確保は、著作権法との関係もあり困難である。進歩する情報通信技術も、まだ一部しか活用されてはいない。2009年6月に著作権法が改正され、拡大写本や学習障害者にも一定の配慮が認められたのは朗報であるが、やはり、図書館が全ての人のためのもの、という意識の違いは市民の間にも温度差があると思われる。欧米では多様な障害当事者が図書館の読者として存在することが当たり前なのに、この差異はどこからくるのだろうか? 主にアメリカの現状から見てみたい。
2.アメリカの図書館サービス
2.1 図書館のアクセシビリティを保障する法律
アメリカには、Library Servicesand Technology Act(LSTA)1)という図書館サービスに関する法律がある。これは、すべての年令の読者に対してあらゆるタイプの図書館の情報資源へのアクセスを、テクノロジー(技術)を活用して向上させていくためのファンドを準備するもので、1996年に制定された。分離政策をとってきた日本と違い、海外ではインテグレート(統合)が基本方針であるため、点字図書館等が独立して存在することは少なく、一般的な図書館が多様なユーザーへのサービスを提供することが多い。アメリカの小さな地域図書館で、車椅子に乗る子どもの写真が玄関に張ってあるのを見たことがある。多様なユーザーがくるのが当たり前というイメージは、全米で浸透している。この法律が施行されてから、遠隔地や生涯学習などへの情報提供が強化され、一般の図書館もデジタルデバイドを解消し、誰もが図書や情報が使えるように、ユニバーサルデザインが重視された。図書館は、多様な市民のためのものであり、特に、多様なニーズを持つ人々のために存在する。その多様な市民へのサービスを可能にしているのがITである。弱視の人やシニアには大活字本に加えて拡大読書器を、視覚障害者には点字本やオーディオブックに加えてデジタルブックや DAISY形式の図書を、肢体不自由の方には特殊なキーボードやマウスでデジタル図書を読めるようにと、ITでそれぞれのニーズをカバーすることが、一般的になってきているのである。図書館サービスのユニバーサルデザインは、ITが可能性を広げているのである。
2009年の 3月に、ロサンゼルスの図書館を2つ訪問した。1つはダウンタウンにある、ロサンゼルスの中央図書館である。ここのロービジョンセンターは、弱視のユーザーへの対応が充実していた2)。拡大読書器やデジタルデータの拡大ソフトが整備されている閲覧室が各階にあり、寄贈者の名前のついた特別な部屋にも整備されているのが印象的だった。もちろん、オーディオブックや大活字本のコレクションは大変多く、それだけで1個の部屋が成立するくらいであるが、これもユニバーサルデザインの1つである。海外では車で通勤する人が多いため、日本のように電車通勤のときに本を読めない。そのため、車の中で運転しながら聞けるよう、オーディオブックが紙の本と同時に発売されることも多い。これは視覚障害者にとっても、人気の新刊書がいち早く読める(聞ける)という意味でメリットが大きい。また大活字本も、日本の出版物からすると、かなり小さめのフォントであり、一般人が読んでも違和感がない。それを読むシニアなどに、特別なものを使っていると思わせず、読書の楽しみを共有できるものとなっている。またその大活字本も、それぞれの部屋に設置された拡大読書器などでさらに拡大して読むことができるため、強度弱視の方への対応も可能である。この図書館では、デジタルブックや OCR での読み上げなどは確認できなかったが、機能としては装備されているとのことであった。
2つめに訪問したのは、ロサンゼルス南部トーランス地区の図書館である3)。ここは、先ほどのLSTAで障害者支援に対するファンドを得て、優れた対応をしている図書館である。訪問した日は、専任の担当者は後述するCSUNの障害者支援技術の展示会に参加しており、不在であったが、別のスタッフが的確にこちらのニーズを理解し、さまざまな機器の説明を始め、多様なニーズの方にどのようなサポートサービスを行っているか、説明してくれた。普段からそのような活動を継続的に行っているために可能なのだろう。
ここでは弱視者向けの拡大読書器やオーディオブックはもちろん、視覚障害者向けの読み上げツール、肢体不自由者向けの特殊なキーボードやマウス、スイッチや入力補助装置が完備されていた。専用のエリアに2台のPCが設置してあり、それぞれに拡大ソフトなどの支援技術が導入されていた。また、そばには特殊な入力機器の収納ボックスが設置されており、いつでも必要なものを選び、USBポートなどに挿して利用できる環境になっていた。専任ではないので詳しくないのだが、と前置きしながら説明してくれた70代と思しき女性の図書館員は、多様なユーザーのニーズに詳しく、支援技術や ITの扱いにも慣れており、専任といってもおかしくないほど障害や加齢、情報技術に対する知識が豊富であった。他のスタッフも、同様の知識は図書館員として常識的に持っているレベルであるという。トーレンスはアメリカの郊外ではごく一般的な地域であり、特に高齢者や障害者が多いというわけでもない。トーレンス地区の図書館の障害者サービスはごく普通のレベルで、新しくオープンしたロングビーチの図書館のほうがもっと先進的であるという。各地域で多様なニーズを持つ来館者にどのようにサービスを行うべきか、図書館員同士の勉強会や情報交流が、ふだんから行われているとのことであった。
2.2 読書障害者への情報提供の試み Bookshare
障害者とテクノロジー(Technology& Persons with Disabilities)会議4)は、ロサンゼルス空港近くで、毎年開催されてきた障害者支援技術のカンファレンスである。主催者であるカリフォルニア州立大学(CaliforniaState University of Northridge)の頭文字をとって、一般には|CSUN(シーサン)と呼ばれている。24年間ロサンゼルスで開催されてきたが、来年2010年は初めてサンディエゴで開催される予定だ。障害を持つ人々が、技術、特にITを活用することによって、どのようにエンパワメントされ、社会の中で発言力を増し、重要な位置を獲得しているかを知ることができる重要な機会である。視覚、聴覚、肢体不自由、学習障害、発達障害、高齢者向けなど、多様なニーズを持つあらゆる年令層の人々に対する最新技術と適用事例が発表される。筆者は1993年から毎年参加している。
その中でも、読書障害(Print Disability)に対する技術や事例発表は、毎年拡充されている。視覚障害者向け録音図書の国際規格データフォーマットである DAISY(DigitalAccessible Information System)に関するものも多く、DAISYコンソーシアムは毎年、展示ブースも設けている。また各地の図書館の障害者支援に関する取り組みなど、さまざまな事例や新技術が発表されている。今年は、Bookshare5)の活発な発表が目立った。Bookshareとは、2002年にシリコンバレーで設立された米国を本拠とする読書支援のNPOで、2009年現在、英国、カナダ、インドの英語圏に支部を持っている。読書障害を持つ児童生徒のために、要望された書籍をデジタル化してデータを送付する。2009年3月時点では、5万人の個人会員、5千を超える組織会員を擁し、4万5千冊の蔵書を持っているが、この蔵書も毎日数百冊ずつ増えているとのことであった。
- 対象者
:Bookshareのサービス対象となる障害は、視覚、肢体不自由、学習障害、発達障害と多岐に渉っている。全盲・弱視などの視覚障害、神経難病・四肢麻痺などのページがめくれない運動機能障害は、最初から対象である。識字障害などの学習障害は専門家の認定を必要とし、自閉症やADHDなどの発達障害は、視覚や運動機能の重複障害の場合に限られ専門家による認定が必要である。読書をすることが障害によって困難であると思われる児童生徒に対し、親、医師、教師などさまざまな関係者からの申請が Bookshareに寄せられ、そこでの審査で正式に登録許可された当事者のみが、このサービスを受ける権利を有する。なお、視覚や肢体不自由に関しては本人からの申請も可能であるが、18歳以下の場合は親や法的保護者の同意が必要である。
- メンバーシップ
:障害を持つ登録された児童・生徒・学生は、無料でファイルをダウンロードできる。また、登録された教育機関、学校、大学なども無料である。その他、入会金25ドル、年会費を50ドル払えば、学生でなくとも、また図書館、高齢者施設、グループホーム、リハビリテーションセンターなどの組織も会員になることが可能であり、有料で書籍パッケージを購入することができる。学生がメインではあるが、高齢者施設などからのアクセスも可能とすることで、よりユニバーサルデザインの図書サービスとなっている。
- 登録するメリット
:登録した学生は、24時間365日、いつでも図書館にアクセスして書籍を検索し、好きな形式でダウンロードし、読みたい方法で読むことが可能になる。また、そこにない本も要望すればデジタル化されて 2週間ほどのうちに入手することが可能になる。テキストファイルを読み上げるためのソフトも、サポートされている米国内製品は15 種類ほどあるが、その中の 2種類はメンバーには無料で提供される。
- 提供される電子書籍のフォーマット
:基本的にテキストファイルであるが、希望すれば DAISYフォーマットでも、または BFR という点字フォーマットでも提供が可能である。DAISYフォーマットは、バージョン1では録音図書がメインであったが、現在のバージョン2ではテキスト表示の機能も設けており、ページ番号をつけることや章別に表示することも可能となって、より、読みやすく、探しやすいものとなった。表示と読み上げを同時に行えることから、学習障害者やシニアにも利用しやすいものとなっている。また手作業にはなるが、データを MP3形式に変換することも可能である。
- 対象書籍
:Bookshareに登録される書籍の主なものは、NIMAC(NationalInstructional Materials Accessibility Center)6)が認定した教科書であり、米国のアクセシブルな教科書の標準であるNIMAS(National InstructionalMaterials Accessibility Standard)に準拠している。これ以外に、出版社や新聞社から提供された書籍・新聞・雑誌などのデータ、大学が独自に電子化した書籍データ、およびパブリックドメインのものが含まれる。さらに、読みたい本がここにないことがわかった場合、学生はデジタル化の要望を出すことが可能である。その場合、全国に存在するボランティアがその書籍を購入し、背表紙を切って本を裁断し、スキャナーにかけてOCR で読み取り、校正を行って、ライブラリーに格納する。この期間は、約2週間であると言われる。
- 基礎となる法律と財源
:Bookshare は、Benetechという社会的企業によって運営されているが、ここは 2007年に米国教育省から5年間、32万ドルの資金を受けている。これは、米国の障害児教育法であるIDEA(Individualswith Disabilities Education Act)に基づいて、教育省の中の特別教育プログラムオフィス(Office of Special Education Program:OSEP)7)がファンドしたものである。なお、書籍をデジタル化してネットで配信する権利に関しては、2004年に改正された Chafee Amendment の第1章 Subject Matter andScope of Copyright の121項8)の除外規定が適用されている。なお、この政府予算の他にも、個人や企業、財団などからのファンドもある。
- デジタル著作権
:障害を持つ読者に対してだけ電子的にファイルが送信・配布される Bookshareの機能を支えているのが、この組織の持つデジタル著作権管理(DRM)のアプリケーションである。個々の学生が学校や病院などの公的な機関から認定されて登録され、身分や障害状況が明らかであるという前提のもとにデータはダウンロード可能になるのだが、このシステムには最先端の暗号化技術が使われている。ダウンロードされるファイルには、明示的かつ内部的に暗号が埋め込まれている。ファイルをオープンした各人を特定できる仕組みとなっており、違法に転送や配布が行われた場合、追跡が可能である。Bookshareでは、本を裁断したりスキャンしたりして校正するボランティアの他に、ネットワーク上でデータが違法に利用されていないかを監視するボランティアも擁している。このように、先端技術を活用した厳重な管理体制があるため、安心して著者がデータのデジタル化、配信を容認する仕組みが担保されていると言える。
- 01) LSTA
http://www.ala.org/ala/aboutala/offices/wo/woissues/lsta/lsta.cfm[accessed2009-05-15].
- 02) LA Central Library弱視サービス
http://www.lapl.org/central/low_vision.html[accessed 2009-05-01].
- 03) North Torrance Library障害者サービス
http://www.torrnet.com/Library/5507.htm[accessed 2009-05-12].
- 04) CSUN Conference
- 05) Bookshare
http://www.bookshare.org/[accessed 2009-05-20].
- 06) NIMAC
http://www.nimac.us/[accessed 2009-05-15].
- 07) OSEP
http://www.ed.gov/about/offices/list/osers/osep [accessed 2009-05-11].
- 08) Chafee Amendment
http://www.loc.gov/nls/reference/factsheets/copyright.html[accessed 2009-05-15].
- 09) Reading Rights Coalition
http://www.readingrights.org/[accessed 2009-05-20].
- 10) Googleブックサーチ
http://books.google.co.jp/[accessed 2009-05-20].
- 11) ユネスコ世界デジタル図書館
http://www.wdl.org/en/[accessed 2009-05-15].
- 12)学術文献録音サービスの展開−障害者向け資料の製作とサービスの拡大.国立国会図書館月報.2009,no.577,p.12-15.
- 13) 千代田区 Web図書館
https://weblibrary-chiyoda.com/[accessed 2009-05-15].
- 14) 読書バリアフリー法(案)
http://www.tbunqdo.co.jp/official/news/userfiles/document/Barrierfree.pdf[accessed 2009-06-25].
- 15)公共図書館で働く視覚障害職員の会.本のアクセシビリティを考える.読書工房.2004,p.8-49.
- 16) 出版 UD 研究会編.出版のユニバーサルデザインを考える.読書工房.2006,p.27-122.
このような図書館や Bookshareの取り組みを見ると、コンテンツをどのように障害者に対してアクセシブルにするかに対し、アメリカでは国を挙げて取り組んでいることがわかる。そのための法整備や財源確保といった国の姿勢とともに、シリコンバレーのベンチャー企業が、社会の役に立ちたいという動機から起業し、自分たちの持つ技術を人々のために活かしているのも印象的である。これまでは、どちらかというと大企業が社会貢献プログラムとして技術を活用してきた感のある ITのユニバーサルデザインであるが、社会的起業家がゼロから取り組むといった新しい時代に入ってきたのかもしれない。
2.3 モバイル端末による書籍アクセス
今回の CSUNでは見る機会が少なかったが、アメリカで爆発的に普及しつつある電子書籍端末である AmazonのKindleも、今ではアクセシビリティを考慮するようになってきている。表示画面の拡大、縮小、白黒反転はもとより、音声読み上げ(Text to Speech:TTS)の機能も備えており、全盲のユーザーには細部では使いにくい点もあるが、多様な障害者の利用が可能なものとなってきている。2009年の 2月に発売された Kindle2は軽く薄く、これ 1冊で書籍 1,500冊分をダウンロードでき、TTSの機能も持っている。
だがその合成音声があまりに聞きやすくて美しいために、オーディオブックの市場を脅かす存在になったとして、米国の作家団体からはTTSの停止を求められてしまった。オーディオブックに関しては、作家は出版社に対し二次利用など別の契約を結んでおり、これに対しても印税を受け取ることが可能だが、Kindle2の本体で聞く人が増えれば、オーディオブックの売り上げに影響するかもしれないからである。これに対し、米国の読書障害に関する当事者の意見集約組織である「読む権利同盟(Reading Rights Coalition)」9)は、読書権の侵害であるとして、作家団体に対し、強い抗議声明を出した。この同盟には、視覚障害関連のアメリカの主要な団体、DAISYコンソーシアム、学習障害の団体や大学の研究機関などが参加している。Bookshareのような著作権除外の対象となる組織からは、登録者はデータを無償で受け取れるが、それでも新刊を依頼すれば2週間近いタイムラグは起きてしまう。Kindle2が有している23万タイトルの書籍や新聞・雑誌にリアルタイムにアクセスできるユニバーサルデザインの読書環境にようやく技術がたどり着いたのに、その権利をまた剥奪されるのかといった、強い怒りの声が上がった。アクセシビリティは完全ではなかったが、その機能がなくなるよりは不完全でも存続させたいという視覚障害、学習障害を始めとする団体の意見が強かったためか、現在も Kindle2のTTSは停止されることなく、そのまま提供されている。
2009年5月に出された Kindle DXという 9.7インチの新型モデルは、これまでの6インチのモデルからすると、画面が見やすく大きくなり、明らかに雑誌の印象に近づいている。27万以上に増えたタイトルの中から、3,500冊をダウンロードできる仕様となっている。今回も、アクセシビリティの機能は全盲者にとっては完璧とはいえないようだが、TTSの機能などは前回と変わらないうえ、画面が大きく見やすいため、弱視の学生やシニア層、新聞の代替として、人気を博している。アメリカの空港では、PC や携帯電話、PDAを見る人々の中に、Kindleで読書をするビジネスパーソンを、徐々に見かけるようになってきた。PCよりも薄く軽く省電力であり、新聞も雑誌もブログも最新版が読めるというメリットが理解されてきたのだろう。現在の機能に加え、マルチモーダルに音声読み上げや動画へのリンクが追加されていけば、今後は新たな電子本の時代に入ると思われる。現段階ではまだ画面もモノクロであるが、カラー画面も鋭意研究されており、早ければ2009年のクリスマス商戦には、カラー版が出てくる可能性がありそうだ。
なお、この Kindleの新型モデルに関しては、プリンストン大学、アリゾナ州立大学など数校が、教科書を電子的に配布してこの機器で授業を受けるということで、2009年の夏から学生に配布する予定である。教科書の電子的配布は、今後、世界で大きな話題となると思われる。紙の教科書の配布は、コストとともに環境負荷が大きいからである。人口の多いインドや中国では、新しい教科書を生徒全員が入手することはできず、上級生から譲られた教科書を何年も使いまわしている場合もある。これでは教育課程の更新ができず、数代使ううちにぼろぼろになってしまう。紙の教科書をすべて安価な電子教科書に置き換えることがもし可能となれば、森林資源の節約にも貢献できる。Kindle のような電子ブックは、LCD に比べ電気の消費が100分の1 以下という試算もあり、PCよりもはるかにエコであるといわれる。今後、価格が下がって普及していけば、世界中の学校で、紙の教科書から電子ブックに切り替わる可能性もある。辞書や参考書など、データ容量が増えても全く問題がなく何冊も持ち運べるし、電気のない自宅でも勉強が継続できる。サーバー経由、または USBで内容の更新も可能だ。発展途上国においてこそ、必要性が高いと思われる。
その他、BlackBerryや携帯電話においても、アクセシビリティを高めたモバイル機器は、世界でどんどん数が増えてきている。読み上げや拡大表示、色反転やタッチディスプレイによる直感的な画面操作なども、ごく当たり前になってきた。iPodも、コンテンツを視覚障害者向けには無償でダウンロードできるようになったという。今後、多様な携帯端末で書籍を読む人も増えると考えられ、サードパーティから出されるさまざまなツールやソフトの動向に、目が離せない状況となっている。
2.4 Googleのブックサーチプロジェクトについて
2005年に Googleが、全米の図書館とともに、その蔵書をスキャンし、表示する計画「Google ブックサーチ」10)を発表してから、4年経つ。そのときは、全米出版社協会と作家団体が差し止めの訴訟を起したが、2008年10月に和解への合意が成立している。もともとは、全米の多くの大学や公共の図書館などにおける絶版本を中心に、パブリックドメインのものや著作権のパートナー契約のものをスキャンして部分的に掲載し、オンラインでデータを一部閲覧したり、そこから書籍を購入したりするためのものであった。絶版本のデジタル化はこれまでもデジタルアーカイブとして行われており、ユネスコも同様のプロジェクトを展開している11)。読者の側にとっては、紙の書籍を購入する前に、立ち読みするような感覚で、一部を見ることができ、その場で紙の本かデータかを選べるというのは、大変便利なものである。書籍という人類の知恵に対するアクセシビリティの確保という観点からも、意義がある。もはや入手が困難となっている絶版本を、どこの図書館にあるかわからない状態で探すよりも、データとして検索でき、有償で入手できるとしたら、障害者のみならず、離島や中山間地域の在住者、海外在住の研究者などにとってもメリットは大きい。特に一部が読めるサービスは、立ち読みができない視覚障害者には朗報である。
全米出版社協会は、最初はデジタルデータでの配布に難色を示したが、Google側の示した和解提案の内容に、出版社および著者にとってのメリットが大きいと判断し、和解に応じた。Kindleなどの爆発的なブームを見るにつけ、書籍というものが、紙から電子データへ移行するという時代の流れを、観念した上での判断と思われる。
3. 日本における図書館サービスのユニバーサルデザイン
国立国会図書館東京本館では、建物のバリアフリーは、一応確保されている。受付には筆談器が設置してあり、車いすユーザーが図書館員と話す席もアクセシブルだ。情報障害者へのアクセシビリティも、拡大読書器の設置や Web OPACなどで、一定の配慮はなされている。だが、場所柄やユーザー層の違いもあって、館内に障害を持つ人はほとんど見当たらない。館内の端末には、拡大や音声読み上げの機能、および特殊な入力装置などの支援技術は追加されていないようである。館内の複数の図書館員に、視覚障害の来館者がきたらどうするのか質問してみたが、ほとんど来館がないのでサポートの経験がないとのことであった。「もし、いらしたら検索をお手伝いします」と前向きな姿勢ではあったが、当事者の自由なアクセスを支援するためにも、端末のアクセシビリティ確保や支援技術の導入などで、日本の図書館のお手本となってほしいものである。
国立国会図書館関西館を始めとして、大阪府・京都府・墨田区など各地の図書館員は、地道に勉強会などを行い、多様なユーザーへの配慮を学びあっている12)。だが現在の図書館法の中に、LSTAのような、サービスのユニバーサルデザインを義務付ける法律がないため、各図書館員の個人的な努力に支えられているのが現状である。また、コンテンツに関しては、蔵書をデジタル化してアクセシビリティを確保し、障害者の読書を支援するという取り組みを行っているのは、千代田区の千代田Web図書館13)など、ごく少数の図書館に限られている。この課題に対しては、2009年6月の著作権法の改正で少し改善され、また2010年の国民読書年に向け当事者団体から「読書バリアフリー法」の制定が提案されている14)。
日本の図書館は、これまでは視覚障害者に対する情報提供機関としての点字図書館と、障害を持たない読者のための一般図書館との二本立てで進んできた。点訳に対しては、著作権処理を必要としないため、点字図書館で長年、主にボランティアによる点訳が行われてきた。音訳も同様である。しかし一般図書館では、音訳に関しては個々に著作者に許可を求めねばならなかった。拡大本に関しては、大きな文字の出版は一般人も読めるという理由でなかなか著作者の許諾が得られず、少数の企業が細々と出版を続けている状態が長く続いてきた。音訳図書も、一般的なオーディオブックでない障害者向けのものは、音訳サービスJなどの小さな企業で作成・販売されているが、高額になってしまうこともあり、なかなか市場には出回っていない15)。
これは、教科書ですら同じ状況であった。盲学校で使われる教科書は、検定教科書に対しては点訳・音訳は可能であったが、ネット上での送信が認められるまでには時間がかかった。2009年現在では、点訳の「ないーぶネット」と音訳の「びぶりおネット」などから登録者には点訳・音訳ファイルがダウンロード可能となっている。拡大教科書に関しては、受け取った教科書が読めない子供のために拡大コピーをすることさえ違法とされる時代があった。教科書無償という国の政策の範囲外であったため、1990年代の初め頃から長年にわたり政府に法律の改正と写本への資金援助が要望されていた。各地のボランティアが手書きの写本を作り、それを富士ゼロックス等の社会貢献室がカラーコピーし、細々と各地で紙の拡大本が作られていたが、2004年にようやく拡大教科書も無償配布の対象となっている。視覚以外の障害に関しては、学習障害を始め、自分でページをめくることのできない肢体不自由の生徒に対しても、全く支援がない状態であった16)。
このような事態は、昨年2008年のいわゆる「教科書バリアフリー法」の成立、その後の著作権法改正により、かなり前進している。すなわち、弱視の子どもや学習障害を持つ児童生徒に関し、全盲と同様に検定教科書の権利制限を緩め、DAISYやPDFなどのデジタルデータでも受け取れるようになったのである。これは歓迎すべきことだが、参考書や一般書は対象ではない。また、高等教育に関しては、高校は対象だが、有償であり、大学については検定教科書がないため、対象外となっている。高等教育や、統合教育の環境における教科書以外の書籍へのアクセシビリティの確保は、まだこれから、というところである。
4.日本における読書環境の改善について
このように、日本でもようやく全盲以外の障害に対して進歩はあるものの、欧米の状況と比較すると、その歩みはかなり遅いと言わざるを得ない。当事者が、書籍をデジタルデータで受け取り、個々人の責任において、自分の必要な媒体、機器、状態でそれを読みこなしていくという文化には、まだなっているとはいえない状況である。
米国・英国・カナダ・インドで活動を展開しているBookshareのような非営利企業が日本では活動できないのは、法制度の違いもあるが、読書を「健康で文化的な最低限度の生活」の一部であるとする文化が、日本には根付いていないせいでもある。特に学生にとっては、教科書を始めとする多くの書籍にアクセスすることは、生きることと同様に最低限保障されるべき権利であるが、日本では読書権という概念そのものが確立していない。また、その権利は、著者や出版業界の利益と、ときに激しくぶつかる。米国において作家団体が障害者団体が Kindle2 のTTS の機能差し止めで戦ったように、デジタルでアクセスしようとすると、必ず著者側の反対が起きるのである。
Googleのブックサーチは米国では和解したが、スキャンされたデータの中にアメリカでは流通の少ない日本の作家のものも米国内絶版として含まれていたことから、日本国内では日本文藝家協会などから猛反発を受けた。そのため、せっかくスキャンされて使えるようになった英語圏のデータに、日本からはアクセスができない状態である。著作権法のあり方や流通の仕組みが異なる中での Googleの通告にも課題はあるが、書籍へのアクセシビリティを高める上では、日本における一刻も早い合意を望むものである。
音楽の流通が、サロンでのコンサートからレコード・ラジオ・テレビの登場で劇的に変わったように、書籍もパピルスへの手書きから、グーテンベルグの活版印刷で大きく変化した。おそらく、現在起きているデジタル化とネットワークの波は、書籍のあり方を大きく変えることになるだろう。アレクサンドリアの図書館を再現しようとする動きのように、オンライン上ですべての書籍を集約していくプロジェクトは、ユネスコや Googleのみならず、国立国会図書館の長尾館長の構想も含めて、どんどん世界の図書館を巻き込んでいくはずである。スウェーデンや韓国など、著作者と読者の双方に目配りした例も出てきた。それは、これまで読書障害とされてきた人々にとっては、朗報だ。
Bookshareのような権利処理の行われたデータを登録された人に確実なセキュリティとともに渡す方法も、しばらくは有効だと思われる。ぜひ、日本でも同様の手法を検討すべきだ。またXMLによるDAISYフォーマットでファイルを作ることは、索引などのある書籍には大変有効であるが、この作り方もより改善が必要である。出版社や新聞社からのデータをリアルタイムで読むといったニーズには、プレーンテキストや電子ブックの併用も考えるべきだろう。
人がものを読むという行為が、このITの進展の中で、今後どのような形態になっていくのか、著作権の最終的な解決策がどのようなものになるか、まだ明確でない点は多い。だが、個々人の特定が可能な携帯端末において、きちんと対価を払ってアクセシブルなデータを受け取り、自分の見やすい形式で編集して読み、それを違法に他者に転送しないという明確なルール作りが必要とされていることは明白である。日本でこのような状態が可能になるのが、何年後かはまったくわからないが、今後も各国の動向や読書バリアフリー法のゆくえを見極めながら、読書権のあるべき姿を考えていきたい。
参考文献
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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