軽気球
ラーゲルレーブ
(Selma Lagerlf 1858~1940)はスェーデンの女流作家である。北方神話をうたった『イェスタ・ベルリング物語』によって彼女の名声は一躍世界的になり、1909年にはノーベル文学賞を受け、更に1914年にはスエーデンアカデミーの会員に推挙された。「イエスタ・ベルリング物語』と並んで広く親しまれているのは『ニルスの素晴らしいスェーデンの旅』であるが、そのほかにも彼女の作品はかなり多く、そのドイツ語訳全集は12巻からなっている。故郷の自然に対する優しい感情や、人間的愛、宗教的神秘性、道徳的清純さが至る処に溢れていて、豊かな想像力で、印象的に語られる言葉とともに、非常な魅力となっている。この作品の日本語訳はこれまでには出ていない。
この訳は、彼女の魅力の半分も伝えていないと思うが、今考えてみれば、この本の翻訳を思い立ったのは、子どもと家族・生育環境への問題意識が、心のどこかに芽生えていたのかもしれない。そして現在の育児観につながって来たのかもしれない。そういう意味でも終生小児科医の私には、懐かしい、思い出の一冊である。 1998年8月 鈴木 榮
ある雨降りの十月の夕方、ストックホルム行の普通車の一車室に一組の父子が乗っておりました。父親は、一方のベンチを一人で占領しておりました。子どもたちはその向いにお互いに身をすりよせて座り、ジュールベルンの「軽気球に乗って六週間」という小説を読んでいました。その本は手垢で汚れており、破れてさえおりました。子どもたちはその本をすっかり暗記しており、何回となくその内容について話し合っていました。しかし子どもたちは繰り返し繰り返し、いつも満足してこの本を読んでいました。子どもたちはなにもかも忘れて勇敢な気球乗りと一緒にアフリカ横断をやっているのです。そして今通っているスウェーデンの景色を見ようともしないのです。
子ども二人はとてもよく似ていました。身長も同じくらいで、お揃いの鼠色の外套を着て、青い帽子をかぶっていました。二人とも大きい夢見がちな眼をしており、小さい団子鼻をつけていました。二人は大の仲良しで、どこへでも一緒に行き、他の子どもたちにはかまわず、何時も発明や探検旅行のことなどを語り合っていました。しかし性格は全く反対でした。兄のレンナルトは今年十三歳になりますか、学校の成績はよくなく、どの学科も皆と一緒にはやってゆけません。その代わりとても器用で、なにか新しいことをやるのが好きでした。彼は発明家になって飛行機を作ろうと思っていました。弟のフーゴーは一つ年下ですがとても利口で、学校はもう兄さんと一緒でした。しかしフーゴーも勉強は余り好きでなく、運動ばかりやっていました。スキーも上手いし、自転車に乗ることも出来たし、スケートもやりました。彼は大きくなったら探検旅行に行こうと思っていました。兄さんのレンナルトが飛行機を作ったら、それに乗って世界中のまだ発見されていないものをみんな見つけてやるのだと言っていました。
お父さんは体の大きい人ですが漏斗胸で顔色は蒼く指は細く、美しい手をしている人です。洋服の着方は少しだらしがないようです。ワイシャツはしわくちゃで、襟は顎からはみ出しており、チョッキのボタンはかけちがえていて、おまけに靴下もだらりと下がっておりました。髪は長く襟に届くほどのびています。しかしこれはだらしがないからではなく、こうしておくのが好きだからです。
お父さんは代々続いた田舎の旅音楽士の家に生まれました。そしてお父さんは2つの非常にすぐれた才能をもっていました。その1つは非常にすぐれた音楽的才能で、これがまず現れました。ストックホルムのアカデミーで勉強してから二, 三年外国へ行き、すばらしい進歩をしましたので、お父さん自身もまた先生も世界的ヴァイオリニストになるだろうと信じておりました。この期待に背かないような才能は十分持っておりましたが、ただ忍耐力がなかったのです。それで社会的には地位も得られず、間もなく故郷へ帰り、近くの田舎町の教会のオルガン弾きになりました。始めの中は人々の期待にそえなかったことを恥じておりましたが、だんだん誰の世話にもならずに暮らしてゆけることに満足するようになりました。この職についてから間もなく結婚しました。そして数年の間はその境遇に満足しきっておりました。いい家庭を持っており、明るいやさしい妻がおり、おまけに二人の子どもさえ恵まれました。彼は町中の人気者で、どこへ出掛けても引っ張り凧でした。しかしこれも長くは続きませんでした。間もなく彼はこのような生活に飽きてきました。もう一度世に出て一か八か運だめしをして見たいとひそかに考え始めました。しかし妻子のある身ではそれも叶わず、どうしても今のままで行くより仕方がありませんでした。
夫がもう一度世に出て華々しく活躍したいという希望を持っていることを知った妻は、一生懸命でそんなことをしないようにと説得しました。彼女は今から又やっても若い時のようには行くまいと考えていたのです。彼女はこう言いました。「私たちはいま十分幸福です。これ以上を望むなんて神様の罰があたりますよ。」と。しかし止めたことは間違いでした。この間違いで彼女は非常に苦しまねばなりませんでした。というのはもう一つのこの家に伝わる特徴が彼に現れたからです。彼の名声や成功に対するあこがれは充たされませんでしたので、その
彼の家の人々が皆そうであったように、彼もまた思慮もなく、限りもなく酒を飲み続けました。そして間もなく零落して来ました。彼はすっかり変わってしまいました。愛想がよく、人好きのする人であった彼が、不機嫌なそして冷淡な人になってしまいました。そして非常にいけなかったことに妻を大変憎んだのです。彼は酒を飲んでいる時はもちろん、飲んでいない時も、あれこれにつけて妻をいじめました。
それで家庭は彼ら兄弟にとってはなんの関心もないところになりましたし、彼らの少年時代は不幸そのものでありました。唯一の彼らの楽しみは機械の模型や探検旅行などについて語り合う彼らだけの時間でした。お母さんは時々彼らが話しに興じているのを見受けましたが、お父さんはこんなことをしているなどとは気もつきませんでした。そして今日もお父さんは子どもらを喜ばせるような話をしようとはしていません。そればかりではなく「ストックホルムへ行きたくはないか。」とか、「お父さんと旅行へ行くのは面白くないのか。」などと言って彼らの楽しみを再三再四邪魔をしておりました。
こんなことを聞かれると彼らは素っ気ない返事をしてすぐまた本を読み耽りました。しかしお父さんはうるさく話しかけます。お父さんは自分では、「子どもたちは自分がやさしいのですっかり喜んでいるのだ。ただ内気な子どもたちだからそれを顔に現さないだけなのだ。」と思い込んでいるのでした。「子どもたちは長い間母親に甘やかされたからこんなに臆病で小心なのだ。しかし私の所へ来たからには鍛え直してやらねばならぬ。」とお父さんは考えていました。
しかしこう考えたのはお父さんの思い違いでした。子どもたちが素っ気ない返事をしたのは内気だからではなくて、彼らは躾がよく、父の気持ちを損ねまいとしているからなのでした。もしそうでないとしたら彼らはきっとこう答えたでしょう。「どうしてお父さんと旅行するのが楽しいのですか。」と。また、「お父さんは自分ではもちろんなにか偉い人であるかのように思っているのでしょう。しかし僕らはお父さんが落ちぶれた意志の弱い人に過ぎないことはよく知っています。なぜ僕らはストックホルムを見物出来ることを喜ばねばならないのですか。お父さんは僕たちを喜ばせるためではなくて、お母さんを苦しませるために連れて来たのでしょう。」と答えたかもしれません。
お父さんは子どもたちには構わない方がよかったのでした。子どもたちは憂鬱な、不安そうな顔をして、お父さんが上機嫌なのに腹をたてておりました。
「お父さんはお母さんが家で泣いているのを知っているから今日はあんなに機嫌がいいのだね。」と,二人は小声で話し合っておりました。
お父さんが余りにもうるさく話しかけるので、彼らは本を見てはいたものの、もう読んではおりませんでした。そして苦々しい気持ちで、お父さんのために苦しまねばならなかったいろいろなことを思い出していたのでした。
彼らはお父さんが真っ昼間から酔いどれて、子どもたちにからかわれながら帰ってきたときのことを思い出しました。また酒飲みの父を持ったためにからかわれたり、あだ名をつけられたりしたことも思い出しました。
彼らは父のために恥ずかしい思いをし、絶えず苦しみ、その上彼らの楽しみまで父に邪魔されたのでした。父のこうした悪事は数限りないものでした。彼らは従順な辛抱強い子どもでしたが、父に対しては強い憎悪を感じておりました。そしてこの憎悪がだんだん強くなるのをどうすることも出来ませんでした。
少なくともお父さんは自分が昨日したことに、子どもたちが非常に失望したということを理解すべきでありました。こんどのことはなんと言っても今までの中ではもっともひどいことでありましたから。
話はこうなのです。お母さんは今年の春からお父さんと別れようと考えておりました。お父さんはありとあらゆる方法でお母さんをいじめました。しかしお母さんはお父さんを全く駄目な人にはすまいと思っておりましたので、今までは離婚しようなどとは考えても見ませんでした。しかし今度という今度はもう子どもたちのために別れようと決心したのでした。お母さんはお父さんが子どもたちを不幸にしたのだということをよく知っていましたから、この悲惨な境遇から引き出して幸福で平和な家庭を子どもたちに与えなければならないと考えたのです。
春の休みに入ったとき、彼女は子どもたちを田舎の実家へやり、自分は外国旅行に出掛けました。こうして離婚の第一歩を踏み出したわけです。もちろんこんなことをして、自分の方が悪くて離婚になったのだと人に思われるのはいい気持ちではなかったでしょうが、彼女は子どもたちのためにあえてこんなことをしたのです。しかしもっと不満なことは、子どもは父の方へやるようにとの判決を受けたことです。なぜなら彼女は自分で家出をしたのですから。しかしお父さんはきっと子どもたちを手許へ置くことはないと自分を慰めておりましたものの、子どもたちのことを思えば胸がいたみました。
離婚が成立するとすぐ彼女は帰って来て、子どもたちと一緒に暮らそうと家を借りました。二日たって準備がすっかり出来ましたので子どもたちも来ることになりました。この日は子どもたちにとっては非常に嬉しい日でした。この家には大きな部屡が一つとそれに小さな台所がついていました。部屋数こそは少ないが、何もかも新しい立派な家で、それにお母さんがいろいろ工夫して居心地よいものでした。部屋は一日中お母さんと子どもたちの仕事部屋になり、夜は子どもたちの寝室にあてられるはずでした。台所も小じんまりしたところで、ここで食事をしようと母子は語り合いました。台所のかげの仕切った部屋はお母さんの寝室と決められました。
お母さんはこれからの生活はかなり切りつめなければならないだろうと子どもたちに言い聞かせました。彼女は女学校の音楽の先生になりましたが、この先生の俸給だけで暮らさなければならなかったからです。ですから女中をやとうなどは思いもよらぬことで、自分たちですべて間に合わせなければなりませんでした。しかし子どもたちにはすべてが嬉しいのでした。ことにお母さんの手伝いが出来ることが彼らを喜ばせました。彼らは喜んで水を汲んだり、木を運んだりしました。また自分で靴を磨き、ベッドをつくりました。子どもたちにとっては自分たちでああこうといろいろ考えるのは結構楽しいことでした。
また小さな部屋がもう一つあって、そこにレンナルトが機械をしまっておきました。そして鍵も自分で持っており、ここにはレンナルトとフーゴーしか入れませんでした。
しかし母子のこうした幸福な生活も長くは続きませんでした。それは例のとおり父がまた邪魔をしたのです。ある日お母さんが子どもたちに、お父さんが数万円の遺産を相続したので、仕事をやめてストックホルムへ引っ越すらしいという噂があると話しました。母子はお父さんがこの町から出て行くのを非常に喜びました。お父さんがこの町におらなくなると、どこかの通りでお父さんに会って気まずい思いをする心配もなくなるからです。しかしこの喜びはほんのつかの間でした。お父さんの使いの人が来て子どもたちをストックホルムへ連れて行くつもりだと言いました。
お母さんは泣いて、子どもたちは連れて行かないようにとお願いしましたが、使いの人はお父さんが子どもたちは自分の手許におくと言って頑として譲らないと言いました。そしてもし子どもたちを渡さないなら警察の力を借りるまでの話だと脅しました。使いの人は判決文の中には子どもは父のものだと書いてあるからもう一度読めとも言いました。お母さんもこのことはよく知っているのです。しかし子どもを手放すことはどうしても出来ませんでした。お父さんの使いは「お父さんは子どもたちを愛しているから自分の手許におきたいと言うのだ。」などといろんなよさそうなことを言いましたが、子どもたちはお父さんはただお母さんを苦しめたいばかりにこうするのだということはよく分かっておりました。お父さんはお母さんが離婚したことによってかえって苦しむようにとこんなことを考え出したのでした。お父さんの考えではお母さんが子どものことを考えていつも心配しているようにとこうしたので、皆憎しみと悪意から出たことなのでした。
お父さんは自分の意志を通し、いまこの父子はストックホルムヘの旅の途中にあるのでした。子どもたちの向かいに座って、お父さんはお母さんから子どもたちを取り返してお母さんを悲しませたこと喜んでいるのでした。それと反対に、子どもたちはお父さんのところにいて、お父さんと一緒に暮らさねばならないと考えると、だんだんいまいましくなってゆきました。もう完全に彼らは父の思い通りにならなければならないのでしょうか。なんとかならないものでしょうか?
お父さんは後ろによりかかってしばらくまどろみました。すると子どもたちは急に勢いよく話し出しました。彼らは一日中逃げる工夫をしてしていたのですから今が絶好のチャンスです。彼らは汽車が森を通った時に乗車口から飛び出そうと相談しました。そして上手く逃げることが出来たら、森の中の人の知らないところに小屋を建てて、そこで人目につかないように暮らそうなどと話し合いました。
子どもたちがこんな相談をしてる中に、汽車はある駅に着きました。そして一人の百姓らしい女が子どもたちの手をひいて乗って来ました。彼女は黒い着物を着て頭巾をかぶり、親切そうな顔つきをしていました。彼女は子どもの外套を脱がせ、子どもをショールにくるみました。そして靴を脱がせ、雨で冷えた足をふいてやり、風呂敷包みから靴下と靴を取り出してはかせました。それからボンボンを与え椅子の上に寝かせて、頭を膝にのせて寝つかせました。
子どもたちは代わる代わるこの子どもの世話をしている女を見ました。何度も何度も見ている中に子どもたちの眼には涙が浮かびました。そしてもうこの女を見ないで黙ってうつむいてしまいました。
子どもにはこの女の人と一緒に他の誰もが気づかないもう一人の婦人が乗ったように思われたのです。そしてこの人こそはお母さんなのです。子どもたちには、お母さんが昨夜お父さんと一緒に行かなければならないと決まったときにそうしたように、お母さんが来て二人の間に座り二人の手を握ったように思われたのです。
「お前たちは私のためにお父さんをうらんだりしてはいけません。お父さんは、私がお父さんがもう一度世に出ようというのを止めたことをまだ怒っているのです。お父さんはきっと私をどんなに苦しめても飽き足らないでしょう。お前たちはこれからお父さんのところへ行かなければならないのですから、お父さんにやさしくして上げると約束してください。決してお父さんの気に入らないことをしてはいけません。出来るだけ気をつけてお世話をして上げて下さい。今言ったことは決して忘れないと私に約束して下さい。でないとどうしてお前たちを手放せるものでしょう。」昨夜ははっきりと約束したのでした。
お母さんは言います。「お父さんのところから逃げてはいけません。私に約束して下さい。決して逃げませんと。」子どもたちは今また約束をしました。
子どもは母の言葉はよく守るものです。この子どもたちも昨夜お母さんと約束したことを思い出した時、逃げようなどという考えはなくなってしまいました。お父さんはまだ眠っています。しかし子どもたちは大人しくして座っています。そしてまた前にも増して熱心に本を読み始めました。彼らの友達のジュールベルン小父さんは、彼らを心配から引づり出してアフリカの神秘境へと導きます。
南町区から少し離れた郊外にお父さんは中庭に面した一階の二部屋を借りました。この部屋は修繕もされずに、何年もいろいろな家族に使われておりましたので、壁紙はしみや破れたところだらけで、天井は煤け・窓の硝子はこわれ、床は踏み減らされて凸凹になっておりました。運送屋が二、三人で家具を駅から持って来て、部屋の中にいい加減に置いて行きました。父子は荷物を解きにかかりました。お父さんは斧を振り上げて箱を開けようとしています。子どもたちは箱からコップや食器等を出して戸棚へ入れます。彼らは仕事が上手で熱心ですが、お父さんはコップは一つ皿は一枚づつしか運んではならないと小言を言うのを止めません。お父さんの仕事は一向に捗りません。お父さんの手はブルブルふるえて力がありませんから、汗びっしょりになっていますが箱の蓋を開けることが出来ないのです。お父さんは斧を置いてこれは逆さじゃないかと考えています。すると子どもの一人が斧を取って箱を開け始めました。お父さんは子どもをつきのけて、「レンナルト、お前はまさかこのおれにさえ出来ないのに、この箱の蓋が取れると思っているのではあるまいな。」と叱りつけました。そして、「この箱は慣れた職人でなくては駄目だ。」といって上着を着て帽子をかぶって出て行きました。
お父さんはドアから一歩外に出るとすぐ自分の腕に力のないわけが分かりました。その時は朝まだ早く、まだアルコールを全然やっていないのでした。。「もし飲み屋へでも行ってコニャックを一杯ひっかければ力が出て来て、人を頼まなくてもいいだろう。その方がよほどいい。」とお父さんは考えたのでした。
そこでお父さんは街に出て飲み屋を探しました。そして彼が中庭に面した部屋に帰って来たのはもう夜の八時でした。
お父さんは若い頃、まだ大学にいっていた頃にはこの近くに住んでおりました。そして店員や小売商人などと一緒に合唱団を作り、モーゼバッケの近くの料理屋でよく会を開いたものでした。そこでお父さんはこの料理屋がまだあるかどうか訪ねてみたいと思ったのです。この料理屋はまだ残っていました。そしてお父さんはラッキーにもそこで朝食をとっている昔の仲間に会いました。彼らは非常に喜びお父さんに朝食を御馳走し、お父さんがストックホルムへ来たことを心から喜びました。朝食が済んだのでお父さんは帰ろうとしましたが、その仲間たちが「お前も一緒に。」と言いました。それが夜の八時まで続いたのです。お父さんは楽しい仲間から別れることは出来なかったのです。
お父さんが帰ったとき子どもたちは真っ暗闇の中におりました。お父さんがポケットからマッチを出して荷物の中に紛れ込んでいた蝋燭の燃えさしに火をつけた時、顔を真っ赤にしてほこりだらけにはなっているが、元気なそして楽しく一日を過ごしたらしい子どもらを見つけました。
部屋の中には家具がきちんと置かれ、箱の蓋は取り外されていました。そして藁や紙屑はすっかり掃き集められており、一つの部屋には子どもたちのベッドが、他の部屋にはお父さんのベッドが置かれてあり、お父さんのベッドはきちんとメイクされておりました。
それを見たお父さんの心の中に、また例のとうりの変化が起こりました。家へ帰ったときには片付ける仕事から逃げて、子どもたちにご飯も食べさせなかったことを恥じておりましたが、今子どもたちが元気でいるのを見て、彼らのために仲間と別れて帰ってきたことを悔やみ始めました。そしてだんだん気がいらだってきました。
お父さんは子どもたちがこんなに働いたのですと誇らしく思い、ほめて貰おうとしていることはよく分かっていましたが、どうしてもほめる気になれませんでした。そしてほめるどころか「誰かが来て助けてくれたんだろう。このストックホルムではただでは塵一つ貰うことは出来ないんだということを忘れて貰っては困るぜ。」とさえ言いました。
子どもたちは誰にも手伝って貰わないで、自分たちだけでやったんですといいましたが、お父さんは叱るのを止めませんでした。
「こんな大きな箱の蓋を開けるなんてとんでもないことだ。そんなことをすれば怪我をするかもしれないじゃないか。だからあんなに止めろと言っておいたのに。お前たちはわしの言うことを聞かないといけないんだぞ。わしはお前たちには責任があるんだからな。」
それからお父さんは蝋燭に火をともして台所へ行き、そして戸棚の中も調べました。コップや皿などはキチンと並べてありました。お父さんは鵜の目鷹の目で叱言の種を探しているのです。突然お父さんは子どもたちの晩ご飯の残りを見つけ「どうして鳥肉なんか食べたんだ。」と怒鳴りつけました。
「どっから一体持って来やがったんだ。」「お前たちは王様にでもなったっもりでいるのか。」「金を出して鳥肉を食うなんてぜいたくじゃないか。」
しかしよく考えてみると、お父さんは子どもたちにはお金は一文も渡していなかったのです。そして今度は「この鳥は盗んで来たんじゃないか。」と眼をむいて怒り出しました。
お父さんは一人で怒鳴って、暴れ廻りましたが子どもたちはただ黙っていました。子どもたちは答えようともしないでお父さんを暴れるままにしておきました。お父さんは長々と説教し、とうとう説教し疲れてしまいました。そして「お願いだから本当のことを言ってくれ。お前たちが本当のことさえ言ってくれればどんなことをやったにしろ許してやるから。」と手を合わせて哀願し始めました。
子どもたちはとうとう我慢しきれなくなってプッと吹き出しました。掛毛布を剥いで床の上に起き上がりました。顔はおかしさをこらえていたので真っ赤です。そしてレンナルトは笑いこけて言葉もきれぎれに「お母さんがお餞別に鶏を一羽くれたんですよお父さん。」と言いました。
お父さんは立ち上がって子どもたちを睨みつけ、なにか言おうとしましたが、なんと言ってよいか分からなくなりましたので苦々しそうに舌打ちして自分の寝室へ入りました。
* * *
お父さんは子どもたちがよく働くということが分かりましたので女中代わりに酷使しました。朝はレンナルトにはコーヒーを沸かせと言い、フーゴーにはパンを買ってこいとか、食卓の支度をしろなどと言いつけます。朝食が済むと自分は椅子に座って、子どもたちがベッドを作り直したり、部屋を掃除したり、ストーブに火を入れたりするのを黙って見物しています。ひっきりなしにあれだこれだと仕事を言いつけて父の威厳を示そうとしているのです。朝の掃除が済むとぶらりと出掛け、お昼までは帰りません。昼飯はレストランから届けさせます。子どもたちはほったらかしてただ自分だけ遊び歩きます。そして帰った時にベットが作っていないと機嫌が悪いのです。しかしそれ以上のことも望みませんでした。ですから子どもたちは一日中二人で好きなことが出来るのでした。
子どもたちの大切な日課の一つはお母さんへ手紙を書くことでした。お母さんは毎日手紙をよこし、返信用の切手まで入れてありました。手紙にはいつもお父さんの言いつけを守りなさいと書いてありました。そしてお父さんも若いときはやさしい、野心的で勤勉な、いい人であったと書いて、不幸なお父さんにやさしくして上げなさいと結んであるのでした。「もしあなた方がお父さんに親切にするなら、お父さんもきっとあなた方をお母さんの所へ帰すでしょう。」と書いてあることもありました。またあるときは「お母さんはあなた方を手許に置くことができないものかどうかわざわざ牧師さんや市長さんのところへ相談に行って見ましたがどうもいい方法がないとのことでした。お母さんはあなた方に、せめて街に出たときだけでも会いたいのでストックホルムへ行こうかとも思いました。しかし近所の人々は「待てば海路の日和」ということもあるから止めるようにといいます。この人たちはお父さんが間もなくあなた方が嫌になって、帰してよこすだろうと思っているのです。お母さんは本当にどうしていいか分かりません。あなた方がストックホルムで、面倒を見てくれる人もいないところで暮らしているのがなにより気がかりですが、お母さんもこの町を去るとなれば仕事がなくなりますから、あなた方を折角連れ戻しても食べることも出来ません。しかしお母さんはクリスマスの頃にはきっとストックホルムへ行きますから待ってて下さいね。」と書いてよこしました。
子どもたちはお母さんに日課を詳しく書いて送りました。お父さんの食事やベッドの世話まで出来るだけ親切にやっていると書いて送りましたが、お母さんには子どもたちはまだお父さんを嫌っているということがよく分かりました。子どもたちは淋しい生活をしているように思われました。大都市の中で、面倒をみてくれる人もいない所にいるのですから。しかしこの方がかえっていいのかもしれません。もし悪い人と友達になってグレてしまえば大変なことになりますから。
子どもたちはお母さんに「僕たちのことは心配しないで下さい。僕たちは靴下も繕えますし、ボタンもつけられます。なんの不自由も感じていません。レンナルトの発明も捗っています。これが完成すればなにもかもよくなるでしょう」と書きました。
しかしお母さんはいつも心配です。寝ても覚めても心は子どもたちのことで一杯でした。
お母さんは毎日神様に、ストックホルムで誘惑から守ってくれる人も、悪いことをしないように注意する人もいない、淋しい日々を送っている子どもたちを守って下さいとお願いしておりました。
* * *
ある日父子揃ってオペラ見物に出掛けました。それはお父さんの友達が、その人は宮中楽団の人でしたので、交響楽団の試演にさそったからでした。オーケストラの演奏が始まって美しいメロディーが劇場に一杯になった時お父さんは深い感動を受けたのです。もう我慢出来なくなって泣き出してしまいました。すすり泣いて、鼻をすすりあげておったお父さんが声を上げて泣き出したのです。自制心も失ってしまい、周囲の人々への迷惑もなにもかも忘れて泣きつづけましたので、係の人に出てくれるように注意されました。お父さんは黙って大人しく子どもたちの手を取って劇場を出ました。お父さんは家に帰りつくまで泣きつづけました。
お父さんは子どもたちの手を強く握り、黙って歩いておりました。すると子どもたちも突然泣き出しました。子どもたちにも今始めていかにお父さんが芸術を愛しておったかということが分かったのです。落ちぶれて、他の人々の演奏を聞くことはどんなにお父さんにとってはつらいことだったのでしょう。期待されておりながら果たせなかったお父さんの運命は、悲惨と言わざるを得ないでしょう。これはレンナルトが飛行機の製作に失敗し、フーゴーが探検が出来なくなったときの二人の気持ちとなんの変わるところもないのです。いつの間にか年をとってしまい、頭上を自分が作ったものでもなく、もちろん操縦も出来ない立派な飛行機が飛んで行くのを黙って見送らねばならないとしたら、もう考えるだけでも耐えられないのではないでしょうか。
* * *
ある日の午前のことでした。子どもたちは座って本を読んでいました。お父さんは楽譜を小脇にかかえて外出しようとするところでした。お父さんは音楽の教授に行くんだと言っていますが子どもらは本当だと考えたことはありませんでした。お父さんは出掛けるときはいつも機嫌がよくないのです。今日も「音楽の教授に行くんだ。」と言ったとき子どもたちの顔色が変わったのを見てこう言いました。「お前たちはお父さんの言うことを信じないのか。」
「俺は余りにも寛大すぎるんだ。二人とも横っ面を張って来ればよかったんだ。あのおっかあの奴、入れ智恵してるんだな。」とお父さんは思いました。「一寸子どもの様子を見に戻ったらどうだろう。」と考えました。「彼奴らが勉強しているのをみたところで別に悪くはないだろう。」
お父さんは大急ぎで庭を横切ってドアを開けました。子どもたちは二人ともお父さんが戻ってくるとは思っていませんでした。突然お父さんが来たのに驚いて二人とも顔を真っ赤にしてもじもじしてます。そしてレンナルトは紙の一束を机の引き出しの中に慌てて隠しました。
ストックホルムへ来て間もない頃のことでした。子どもたちがどこの学校へ行くのか尋ねたとき、お父さんは学校のことなんか当分お預けだと答えました。「その
お父さんは今急に部屋に入って来てこのプランを見たのです。時計を出してこのプランと見比べてみました。「水曜日 10時~11時 地理」
それから机の側に寄って「お前たちは今本当に地理をやっていたのかね。」と尋ねました。「はい、やっていました。」と子どもたちは顔を真っ赤にして答えました。「しかしどっから地理の教科書や地図を見付けたんだい。」子どもたちは書棚の方を見てさも当惑したような様子でした。「僕らは本当を言えばまだやっていないんです。」とレンナルトは言いました。「そうかそうか。本当はお前たちは何か別のことをやろうとしてるんだろう。」こう言って、お父さんは満足そうに立ち上がりました。この戦は明らかにお父さんの勝です。この優勢を守っていれば子どもたちは降参するだろうとお父さんは考えていたのです。
子どもたちは黙っていました。子どもたちはオペラを見に行ってからお父さんにいくらか同情するようになり、お父さんに柔順に仕えることは以前程苦しいものではなくなったのでした。しかしお父さんを信じようとは、夢にも思ったことはありませんでした。気の毒だとは思っても、尊敬の念は起こらなかったのでした。
「お前たちはお母さんに手紙を書いたろう。」とお父さんはきつい声で言いました。子どもたちは口を揃えて言いました。「書きはしませんよ、お父さん。」
「じゃお前たちは何をしてたんだ。」「僕たちはおしゃべりしてただけなんです。」「嘘を言え。お父さんはレンナルトが何か机の引き出しの中へ入れたのをちゃんと見たんだぞ。」子どもたちはまた黙ってしまいました。「おい出して見ろ。」とおとうさんは怒って顔を真っ赤にして言いました。お父さんは息子たちがお母さんへお父さんの悪口を書いてやるところだったから見せないんだと思ったのです。お父さんは引き出しの前に立っているレンナルトを殴ろうとして手を振り上げました。すると今まで黙っていたフーゴーが「乱暴してはいけません。」と叫びました。「僕らはレンナルトの工夫したもののことを話し合っていたのです。」
フーゴーはレンナルトを押しのけて引き出しから一枚の紙を出しました。それには奇妙な形の飛行船が下手な繪で書かれていました。「レンナルトは昨夜飛行船につける新しい帆を工夫したのです。そして僕たちは今そのことを話し合っていたのです。」
お父さんはしかしフーゴーの言ったことを信じません。そして引き出しの中を自分でまた探しました。しかしそこには航空旅行に使う気球や落下傘や飛行機などの繪で一杯の紙しか入っていませんでした。
子どもたちが驚いたことは、お父さんがこの紙を捨てたり、馬鹿なことをやってると笑ったりしないで一枚々々丹念に見始めたことです。実はお父さんも機械をいじることが好きだったのです。そして若い頃にはこんなことに興味を持っていたのです。しばらく見ている中にあれこれと子どもたち聞きました。そしてこの言葉の中に、お父さんが非常に興味をもって見ているということが聞きとれましたので、レンナルトは始めはもじもじしていましたか、だんだん喜んで答えるようになりました。
間もなく父子は飛行機や飛行船について熱心に議論し始めました。そしてすっかり油がのって来ましたので子どもたちは喜んでプランや未来の夢などをお父さんに語り出しました。だからお父さんは今子どもたちが工夫している飛行船ではそう飛べないということが分かっていても、非常に感心しました。子どもらはアルミニウムのエンジンや飛行機やバランスのことなどをなんでもないことのように言うのです。お父さんは子どもたちが学校の成績がよくないので、こんなに利口だとは思ってもいなかったのです。しかし今は子どもらがいっぱしの学者のように思われたのでした。
高尚な考えと理想。これは誰よりもこのお父さんがよく分かっていました。自分自身こんなふうに夢を見たことがしみじみと思い出されて、笑う気にはなれませんでした。この日からお父さんは外出しなくなりお昼のご飯になるまで子どもたちといろいろ話し合いました。そして驚いたことに、すっかり子どもたちのいいお友達になってしまいました。
* * *
夜の十一時頃でした。お父さんは通りを千鳥足で歩いて来ました。子どもらはその両側について歩いています。子どもたちはお父さんを料理屋で見つけて黙って戸口に立っておったのです。お父さんは一人でテーブルの前に座って椰子酒を飲んでいました。そして部屋の隅の方でやっている女楽団に耳を傾けておりました。しばらくするとお父さんは子どもらの来ているのに気がついて戸口の方にやって来て「何してるんだ。」「一体なにしに来たんだ。」と言いました。「そんなこと言ったってお父さん、今日は家へ帰らなくちゃいやですよ。」と子どもたちは言いました。「今日は十二月五日じゃありませんか。お父さんの約束した──。」
そこでお父さんは今日はフーゴーの誕生日で早く家に帰ると約束したのを思い出しました。お父さんはすっかり忘れておったのです。フーゴーはお父さんの贈り物を待っていましたが、これもお父さんは忘れていました。
それでもとにかくお父さんは子どもたちと一緒に今帰って来たのです。子どもたちにもまた自身にも、不満を感じながらも。家へ帰って見ると誕生日のお祝いのテーブルが待っていました。子どもたちが心を込めて支度したのです。レンナルトはケーキを焼きました。しかしそれも冷えきってしまいました。彼らはお母さんから貰った僅かのお金で、胡桃やアーモンドや苺のジャムなんかを買ったのです。こんなに作った御馳走を自分たちだけで食べようとしたのではありません。お父さんが帰ったら一緒に食べようと思って待っていたのです。お父さんと仲良しになってからは、お父さんなしでは何も出来ないのでした。お父さんもこのことはよく知っていましたし、子どもたちにこんなに慕われては悪い気もしません。とてもいい機嫌になってテーブルに着いたわけです。しかし半分酔っておりましたのでこのときつまずきました。そしてテーブルの端にしがみつきましたので、苺のジャムも饅頭も菓子も皿やコップと一緒に皆床の上に撒いてしまったのです。お父さんは子どもたちの悲しそうな顔を見てプイと外に出て、夜が明けても帰りませんでした。
* * *
二月のある日の午前のこと、子どもらはスケートを持って出掛けました。彼らは全く別の人のようでした。やせて顔色が悪く、汚れた洋服を来てだらしなく見えました。髪ももじゃもじゃしており、顔ももうしばらく洗ったことがないようで、靴も靴下もボロボロでした。お互いに話し合っているときでも、時々悪童たちが使うような言葉が出ました。また、呪い言葉さえ混じっていました。
フーゴーの誕生日の晩から、お父さんが帰ってくるのを忘れたときから、彼らは全く変わってしまったのでした。あの時までは二人とも、これからきっとよくなるぞ、と言う希望があったのでした。最初はお父さんが二人をお母さんの所へ帰してくれるだろうとそればかり待っていました。次にはお父さんは自分たちを愛してくれ、あるいは自分たちのことを考えて酒を止めてくれるのではないかとも考えました。そればかりではなく、お父さんとお母さんが仲直りしてまた皆で幸福に暮らせる時が来るのではないかとさえ考えておったのです。しかしあの晩からは二人ともはっきり知ったのです・もう何もかも駄目なんだと。お父さんの好きなものは酒だけでした。たとえ時々いいようなことを言っても、本当はさっぱり子どものことなんかは考えていないのです。
子どもたちはすっかり絶望的な気持ちになってしまいました。もうどうにもならないんだ、お父さんと別れることなんか出来ないんだ。子どもたちは一生牢につながれると言う判決を受けた囚人のような気持ちになってしまいました。彼らのあの素晴らしい計画さえ彼らの心をなぐさめることが出来ないのです。今のように閉じ込められておってはやろうにもやれないのです。だからもう勉強する気もなくなってしまいました。彼らは偉人の話をよく読んだり聞いたりしていましたので、立派な業績を上げるのには知識が必要なことは百も承知でしたが。
しかしもっとも大きな打撃は、クリスマスには来ると言っておったお母さんが来なかったことです。十二月の始めにお母さんは階段で転んで脚を折ったのです。そしてクリスマスの頃も退院出来なかったのです。今はもう治りましたが学校も始まっていますし、旅費がほとんど怪我のためになくなったのです。
子どもたちは広い世界に唯一人置いてきぼりにされたように感じました。もうどんなにもがいてもどうにもならないことは分かりきったことでした。それで面白くもない勉強なんかで苦労するのはつまらないように思えたのです。と言うのは、自分たちの気に入ったことをやったってどうせどうにもならないんですから。
時々ベッドもそのままのこともありました。部屋の掃除なんかはもう決してしません。掃除なんかしたところでまたすぐきたなくなるんですから。二人がどうしているか見に来る人などは一人もいないのです。
お父さんはますます落ちぶれて来ました。時々これではいけないと思い、子どもたちにもしっかりしろと言うのですが、それも無駄なことでした。自分の言いつけたことも片っ端から忘れてしまうのです。
子どもたちもまた、午前の勉強をサボり始めました。誰も試問もしてくれません。これでは勉強もまた無意味です。それに二、三日前から氷がよく張るようになりました。ですから勉強なんかをするよりはスケートでもやっている方がいいわけです。
氷の上は毎日子どもで一杯です。そして皆家にいて勉強するよりも、スケートの方がいい連中なのです。
今日はとくにいい天気です。ますます部屋の中にいることは出来ません。零下二、三度くらいでそう寒くもなく、静かで空気は澄んで、お日様がキラキラ輝いています。非常にいい天気です。学校はスケート休みにしたようで、スケートを取りに帰る子どもたちで道は一杯です。もうスケート場へ急いでいる子もおります。
こんな子どもたちの間に交っていると、二人はとても憂鬱そうに見えます。顔には笑み一つ浮かべていません。二人の不幸は決して忘れることが出来ないほど大きいのです。
二人がスケート場へ着いたとき、皆はもう元気で滑っていました。岸は人で一杯です。少し離れて巣をこわされた蟻のように入り乱れて滑っている人々が見られます。ずっと遠くには素晴らしいスピードで動いている点々が見えます。
二人もスケートをはいてこの群に交じりました。二人ともとても上手です。滑っている中に頬には赤味を増し、眼は輝き出しましたが、決して他の子どものように朗らかには見えませんでした。
二人が岸の方に向かって滑り出した時、突然美しいものを見ました。大きな気球がストックホルムの方からバルト海の方へ流れて行きます。赤と黄のだんだらになった気球は、日光を受けて火玉のように輝きました。ゴンドラは沢山の旗で飾られていました。そして気球は、そんなに高く飛んではおりませんので、美しい彩りが手に取るように見えるのです。
子どもたちは気球を見た時、わ一っと歓声をあげました。生まれて始めて気球が飛んでいるのを見たからです。気球は彼らが想像していたよりずっと美しいものでした。この気球を見たとき、またあの空想や計画が、彼らの慰めであり友達であったあの空想や計画が思い出されたのです。二人は立ち止まってじっと見つめました。ゴンドラには錨や砂袋がついています。
気球は非常な速度で凍った湾の上を飛んで行きます。大人も子どもも一緒になって大声をあげて気球を追って行きます。丁度大きな曳き綱のような曲線をなして追って行きます。気球に乗っている人は色とりどりの紙片をまきます。それがゆっくり蒼い空をひらひら舞いながら落ちて来ます。二人は先頭に立って気球を追っています。顔を上に向けて、眼は気球から離さず、先へ先へと走って行きます。彼らの眼はお母さんと別れてから始めて幸福そうに輝きました。彼らはもう夢中になって、気球を追うこと以外には何も眼中にありません。
しかし気球はずんずん飛んで行きますから余程早い人でも遅れてしまいます。気球を追う人はだんだん少なくなりました。しかしまだ追っている人の先頭には二人の子どもがおりました。二人は余りにも熱心に追っているので見ている人も気が付きました。後になって人々は、二人の頭上にはなにか神々しいものがあったと言っています。二人は笑いもしません。叫び声もあげません。しかし上を向いている彼らの顔には幻でも見ているような恍惚の輝きがありました。
気球は丁度二人を正しい道に戻し、元気を出せと教えるために遣わされた天使のようなものでした。気球を見たとき、二人の胸はまた発明にとりかかりたい気持ちで一杯でした。二人は必ず成功すると思いました。「我慢するならばきっと最後には勝利が得られるのだ。そして自分たちの造った飛行船に乗って、空を飛ぶ日が来るのだ。そうだその
「フーゴー、僕らは
お父さんとお父さんの不幸。これは何も関係のないことです。大きな目的を持った人は下らないことにこだわってはいけません。
気球は遠くへ行けば行く程早くなります。人々はもう追いません。二人だけはしかしまだ追っています。しかも翼でも生えたように早く軽快に。
岸に立って見ていた人が突然叫びました。驚愕と恐怖の叫びです。人々は二人の追っている気球が氷の割れ目の上を飛んで行くのを見たのです。
「そこは水だ。水だ。」と人々は叫びました。
下の方で滑っていた人々はこの叫びを聞いて一斉に湾の口の方を見ました。そして一筋の水が日を受けて輝いているのを見ました。また二人の子どもが上ばかり見て、これに気付かないで滑っていくのを見ました。子どもたちは下を見ようともしません。
人々は大声で叫び出しました。滑っている人々は止めようとして駆け出しました。子どもはしかし一向に気が付かずに気球を追っています。二人は人々が自分たちを追っているのだとは知らないようです。後ろで叫んでいる人々の声はおろか、波の音さえも聞こえないようです。彼らには気球以外は何もありません。そしてこの気球が彼らを引っ張っているのです。レンナルトは足下に飛行船があるような気がしました。フーゴーも北極の神秘境の上空を飛んでいるような気がしているのです。
氷の上にいる人々も、岸にいる人々も瞬く間に二人が氷の割れ目に近づいて行くのを見ました。息もつけない数瞬、叫ぼうにも叫べません。
空に輝く気球を死出の旅路の導者とは知らずに追っている二人の頭上には一種の魔のようなものがありました。
気球に乗っている人々も二人に気が付きました。二人が危ないということを知りました。そして大声で叫んで、身振りで二人に危険であることを知らせようとしましたが、子どもたちには何のことか分かりません。二人が気球に乗っている人々が何か合図をしているのを見たとき、乗せてくれると言って、おいでおいでをしているのだと思ったのです。二人は手を差し伸べて嬉しそうに走りました。美しい大空を気球に乗って飛べるんだという希望に胸をふくらませて。
このとき二人の子どもはもう水際まで来ておりました。
顔を上に向けて希望に充ちた笑みを浮かべて、二人は海の中へ落ちて、見えなくなってしまいました。
二人を止めようとして追った人々が氷の端に着いたときは、波が二人を氷の下に呑み込んでしまった後でした。そして救おうにも救うすべはありませんでした。 (おわり)
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2005/12/27
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