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驛夫日記

 私は十八歳、人ならば一生の春といふ此若い盛りを、之はまた何として情ない姿だらう。項垂(うなだ)れてヂッと考へながら、多摩川砂利の敷いてある線路を、プラットホームの方へ歩いたが、今更のやうに自分の着て居る小倉の洋服の脂垢(あぶらあか)に見る影もなく(よご)れたのが眼につく。私は今遠方シグナルの信號燈(ランターン)を懸けに行つてその戻りである。

 目黒の停車場(ステーション)は、行人坂(ぎやうにんざか)に近い夕日が岡を横に断ち切つて、三田村から大崎村に出るまで狭い長い掘割になつて居る。見上げるやうな両側の崖からは、(すゝき)と野萩が列車の窓を撫でるばかりに生ひ茂つて、(あざみ)や、姫紫苑(ひめしをん)や、螢草や、草藤(ベツチ)の花が目さむるばかりに咲き乱れて居る。

 立秋とは名ばかり()くやうに烈しい八月末の日は今崖の上の黒い白樫(めがし)の森に落ちて、(むぐら)の葉ごしにもれて來る光が青白く、うす(ぎたな)い私の制服の上に、小さい波紋を描く。

 涼しい、生き返るやうな風が一としきり長峰の方から吹き(おろ)して、汗ばんだ顔を撫でるかと思ふと、何処からともなく(ひぐらし)の聲が金鈴の雨を聴くやうに聞えて來る。

 私は何故こんなに彼女(あのひと)の事を思ふのだらう。私は彼女を恋して居るのであらうか、いやいやもう決して微塵もそんな事のありやう訳はない。私の見る影もない此姿、私のうとましい此職業、恋したとて何としよう。思つたとて何としよう。恋すまい、思ふまい。私は自分をよく知つて居る筈だ。私は自分の地位と職業とをよく(わきま)へて居る筈だ。

   二

 品川行の第二十七列車が出るまでにはまだ半時間余もある。日は沈んだけれども、容易に暮れようとはせぬ。洋燈(ランプ)は今しがた()けてしまつたし、暫らく用事もないので開け放した窓に倚りかゝつて、それとはなしに深いもの思ひに沈んだ。

 風はピッタリ()んでしまつて、陰鬱な圧しつけられるやうな夏雲に、夕照(ゆふやけ)の色の胸苦しい夕ぐれであつた。

 出札掛の河合といふのが、駅夫の岡田を相手に、樺色の夏菊の咲き乱れた、崖に近い柵の(そば)に椅子を持ち出して、上衣を脱いで風を入れながら、何やら頻りに笑ひ興じて居る。年頃二十四五の、色の白い眼の細い頭髪(かみ)を油で綺麗に分けた、却々(なかなか)洒落者(しやれもの)である。

 山の手線はまだ単線で客車の運転はホンの僅かなので、私達の労働(しごと)は外から見るほど忙しくはない。それに経営は私立会社と來て居るので、官線の駅夫等が(なめ)るやうな規則攻めの苦しさは、私達にないので、何方(どつち)かといへばマア気楽といふ程であつた。

 私はどうした機会(はずみ)大槻芳雄(おほつきよしを)といふ學生の事を思ひ浮べて、空想はとめどもなく私の胸に溢れて居た。大槻といふのは此停車場(ステーション)から毎朝、新宿まで定期券を利用して何処やらの美術研究所に通うて居る二十歳(はたち)ばかりの青年である。背はスラリとして痩型(やせぎす)の色の白い、張の好い細目の、男らしい、鼻の高い、私の眼からも惚々(ほれぼれ)とするやうな、(ねた)ましい程の美男子であつた。

 私は毎朝此青年の立派な姿を見る(たび)に、何ともいはれぬ羨しさと、わが身の羞しさとを覚えて、野鼠のやうに物蔭にかくれるのが常であつた。永い間通つて居るものと見えて、駅長とは特別懇意でよく駅長室へ來ては巻煙草を(くす)べながら、高らかに外國語の事などを語り合うて居るのを聴いた。

 私の眼には立派な紳士の礼服姿よりも、軍人のいかめしい制服姿よりも、此青年の背廣の服を着た書生姿が、身にしみて羨ましかつた。私は心から思うた。功名もいらない、富貴(ふうき)も用はない、けれども只一度此脂垢の染みた駅夫の服を脱いで學校へ通つて見度い……。

 (あゝ)私の盛りはこんな事で暮れてしまふのか。

 私は今ふと昔の小學校時代の事を想ひ出した。薄命な母と一処に叔父の(うち)に世話になつて居た頃、私は小學校でいつでも首席を占めて、義務教育を終るまで、其地位を人に譲らなかつたこと、將來は必然(きつと)偉い者になるだらうといつて人知れず可愛がつて呉れた校長先生の事、世話になつて居た叔父の息子の成績が悪いので、苦労性の母が、叔父の細君に非常に遠慮をした事など、それからそれへと思ひめぐらして、追懐(おもひで)はいつしか昔の悲しい、いたましい母子(おやこ)の生活の上に(うつ)つて居た。

 茫然(ぼんやり)して居た私は室の入口の処に立つ人影に驚かされた。見上げるとそれは白地の浴衣(ゆかた)に、黒い唐縮緬(たうちりめん)兵児帯(へこおび)を締めた、大槻であつた。

「君 ! 汽車は今日も遅れるだらうね」

「えゝ十五分位は……」と私は答へた。山の手線はまだ世間一般によく知られて居ないので、客車は殆ど附属(つけたり)のやうな観があつた。列車の遅刻は殆ど日常(いつも)の事となつて居た。

 日はもういつしか暮れて(ひぐらし)の聲も何時の間にか消えてしまつた。

 大槻は一寸舌を鳴らしたが、改札の机から椅子を引き寄せて、鷹揚に腰を下した。出札の河合は上衣の袖を通しながら入つて來たが、横眼で悪々(にくにく)しさうに大槻を睨まへながら、奥へ行つてしまつた。

「今から何方(どちら)へ入らつしやるのですか」私は何と思つてか大槻に問うた。

「日比谷まで……今夜、音楽があるんだ」と云ひ放つたが、白い華奢(きやしや)な足を動かして蚊を逐うて居る。

   三

「君 ! 僕一つ君に面白い事を尋ねて見ようか」

「え…………」

軌道(レール)なしに走る汽車があるだらうか」

「そんな汽車が出來たのですか」

「日本に有るのさ」

「何処に」

「東京から青森まで行く間に丁度、一里十六町ばかり、軌道なしで走る処があるね」と云ひ切つたが香の高い巻煙草の煙をフッと吹いた。

 私は何だか自分が(ひど)く馬鹿にされたやうな氣がして憤然(むつ)とした。

 幸福に育つて來た人々の間には滑稽趣味といつたやうなものがあるやうだ。諧謔趣味といつたやうなものがあるやうだ。処が私にはそれがない。その余裕がない。人から語尾を捉へて洒落(しやれ)られたり、地口をたゝかれたりした時のやるせなさ、腹立たしさ、それは到底、私のやうな恵まれぬ過去を持つものでなければ、理解の出來ぬ心の変調だ。イヤ、()んなに恵まれぬ過去を持つたものでも、容易(たやす)くその境遇に甘んじて幸福な階級の少年少女達に和し、滑稽趣味や、スポーツ熱の中に融込(とけこ)んでしまつて居る人がよくあるものだ。

 現に出札の河合は目黒の競馬に夢中だし、駅夫の岡田はべース・ボールの話が三度の飯より好きだ。

 けれども()うしたわけか、私にはそれがない。一切のゲーム、一切のスポーツは勿論、滑稽趣味とか諧謔趣味とかいふものは、私に取つて全くお伽話の世界に現はれてくる王子の夢がお城の寝室の壁に映つたやうなものであつた。

「冗談ですか。僕はまた眞面目で聴いて居ましたよ」

 聲が顫へを帯びて居た。幸福に育つて來た人々の耳には、それが何とも思料することの出來ぬ咄嗟(とつさ)の変調であつた。

 私は成人(おとな)らしい少年(こども)だ。母と叔父の家に寄寓して居る時から、それはもう随分気兼といふ気兼、苦労といふ苦労のかぎりを尽した。母は人にかくれてまだうら若い私の耳にいたましい浮世話を聞かせたので、私は小さき胸にはりさけるやうな悲哀(かなしみ)を押しかくして、(ひそ)かに薄命な母を(いた)んだ。私は今茲(ことし)十八歳だけれども、私の顔を見た者は誰でも二十五六歳だらうといふ。

「君怒つたのか、よし、君がそんな事で怒る位ならば僕も君に怒るぞ。若し青森までに軌道なしで走る処が一里十六町あつたらどうするか」聲は(やゝ)高かつた。

「そんな事がありますか !」私は眼を視張(みはつ)て息をはずませた。

「いゝか、君 ! 軌道と軌道の接続点(つなぎめ)に凡そ二分ばかりの間隙(すき)があるだらう。此間下壇(した)の待合室で、あの工夫の(かしら)に聞いたら一哩にあれが凡そ五十ばかりあるとね、それを青森までの哩数に當てて見給へ丁度一里十六町になるよ、つまり一里十六町は汽車が軌道無しで走る訳ぢやあないか」

 私はあまりの事に口もきけなかつた。大槻が笑ひながら何か云はうとした刹那、開塞(かいさく)の信號がけたゝましく鳴り出した。

   四

 品川行のシグナルを処理して私は小走りに階壇を下りた。黄昏(たそがれ)の暗さに大槻の浴衣(ゆかた)を着た後姿は小憎らしい程あざやかに、細身の杖でプラットホームの木壇(もくだん)を叩いて居る。

 私は何だか大槻に馬鹿にされた様な氣がして、云ひやうのない不快の感が胸を()いて堪へ難いので(かけひ)の水を柄杓(ひしやく)から一口グイと飲み干した。

 筧の水といふものは此崖から絞れて落つる玉のやうな清水を集めて、小さい素焼の(かめ)に受けたので棺物(まげもの)の柄杓が浮べてある。四邊(あたり)は芒が生ひて、月見草が自然に咲いて居る。之は今の駅長の足立熊太といふ人の趣向で、こんな事の端にも人の心懸けはよく表はれるもの、此駅長は余程上品な風流心に富んだ、かういふ職業に埋れて行くには可惜(あたら)しいやうな男である。長く勤めて居るので、長峰界隈では評判の人望家といふ事、道楽は謡曲で、暇さへあれば社宅の黒板塀から謡ひの聲が漏れて居る。

 やがて汽車が着いた。私は駅名喚呼をしなければならぬ。「目黒目黒」と二聲ばかり(ドアー)を開けながら呼んで見たが、どうも羞しいやうな氣がして咽喉がつまつた。列車は前後(あとさき)が三等室で、中央(まんなか)が一二等室、見ると後の三等室から、髪をマガレットに(つか)ねた夕闇に雪を欺くやうな乙女の半身が現はれた。今玉のやうな(かひな)をさし伸べて戸の(ラツチ)をはづさうとして居る。

高谷(たかや)千代子!」私は思はず心に叫んだが、胸は何となく安からぬ波に騒いだ。

 大槻はツカツカと前へ進んだかと思ふと高谷の室の戸をグッと開けてやる。縫上げのたつぷりとした中形の浴衣に帯を小さく結んで、幅廣のリボンを二段に束ねた千代子の小柄な姿がブラットホームに現はれたが、一寸大槻に会釈して其儘階壇の方に歩む。手には元禄模様の華美(はで)な袋にバイオリンを入れて、水色絹に琥珀(こはく)の柄の付いた小形の洋傘(かうもり)を提げて居る。

 大槻は直ぐ室に入つたが、今度はまた車窓から半身を出して、自分で戸の鍵をかつた。千代子は他の客に押されて私の立つて居る横手を袖の触れる程にして行く。私はいたく身を()ぢて一寸體躯を横にしたが其途端に千代子は星のやうな瞳を一寸私の方にうつした。

 汽車は此時もう動いて居た。大槻の乗つて居る三等室がプラットホームを歩いて居る千代子の前を(よこぎ)る時、千代子は其美しい顔をそむけて横を見た。

「マア大槻といふ奴は何といふいけ好かない男だらう」私はかう思ひながら、茫然(ぼんやり)として佇むと、千代子の大理石のやうに白い素顔、露のこぼれるやうな瞳、口もとに云ひやうのない一種の愛嬌を漂へて大槻に会釈した時のあでやかさ。其心象(まぼろし)瞭々(ありあり)と眼に映つて私は恐ろしい底ひしられぬ嫉妬の谷に陥つた。

「藤岡 ! 閉塞を忘れちやあ困るよ、何を茫然(ぼんやり)として居るかね」

 駅長のおだやかな聲が聞えた。私があわてて振り向くと駅長はニッコリ笑つて居た。私は()しや此人に私の恥しい心の底まで見抜かれたのではあるまいかと思ふと、もう堪らなくなつてソコソコと階壇を駆上つて、シグナルを上げた。

 権之助坂のあたり、夕暮の(けむり)が低くこめて、若しやと思つた其人の姿は影も見えない。

   五

 野にも、岡にも秋のけしきは満ち満ちて來た。

 休暇(やすみ)の日の夕方、私は寂しさに堪へかねてそゞろに長峰の下宿を出たが足はいつの間にか権之助坂を下りて居た。虎杖(いたどり)の花の白く咲いた、荷車の揚げる砂塵のはげしい多摩川道を静かに何処といふ目的(あて)もなく物思ひながらたどるのである。

 私は権之助といふ侠客(をとこだて)の物語を想うた、何時か駅長の使をしてやつた時、駅長は遠慮する私を無理に引きとめて、南の縁で麦酒(ビール)を飲みながら私に種々の話をして呉れた。目黒界隈(かいわい)はもと芝増上寺の寺領であつたが何時の頃か悪僧共が共謀して、不正桝を使用し、恐ろしい嚴しい取立てをした。其時村に権之助といふ侠客が居て、百姓の難澁を見て居る事が出來ないといふので、死を決して増上寺から不正桝を掠めて町奉行に告訴して出た。権之助の爲に増上寺の不法は止まつたけれども、彼はそれが爲に罪に問はれて、とある夕ぐれの事であつた。情知らぬ獄卒どもに守られて村中引き廻しにされた上、此岡の上で(いたま)しい処刑(しおき)にあうたといふこと。

 (あゝ)、権之助の最後はこんな夕ぐれであつたらうか。

 私は空想の翼を馳せて、色の淺黒い眼の大きい、骨格の逞しい一個の壮漢の男らしい覚悟を想ひ浮べて見た。如何に時代(ときよ)が違ふとは云ひながら昔の人は何故そんなに潔く自分の身を忘れて、世間の爲に尽すといふやうな事が出來たのであらう。

 羞しいではないか、私のやうな鬱性(うつしやう)がまたと世にあるであらうか、鬱性といふのも皆自分の身のことばかりクヨクヨと思ふからだ、私が曾て自分の事を離れて物を思つた事があるか、昼の夢、夜の夢、げに私は自分の事ばかりを思ふ。

 いつの間にか私は目黒川の橋の上に佇んで欄干に(もた)れて居た。此川は夕日が岡と、目黒原との谷を流れて、大崎大井に落ちて、品川に注ぐので川幅が狭いけれども、流は案外に早く、玉のやうな清水をたゝへて居る。水蒸気を含んだ秋のしめやかな空氣を透して遥かに水車の響が手にとるやうに聞えて來る。其水車の響がまた無聲にまさる寂しさを(いざな)ふのであつた。

 人の橋を渡る気配(けはひ)がしたので、私はフト背後をふりかへると、高谷千代子と其乳母といふのが今橋を渡つて権之助坂の方へ行く処であつた。私が其うしろ姿を見送ると、二人も何か話の調子で同時に背後を見かへつた。私と千代子の視線が会ふと思ひなしか千代子はニッコリ笑つたやうであつた。

 私は俯伏(うつぷ)して水を眺めた。其処には見る影もない私の顔が澄んだ秋の水鏡に映つて居る。欄干の処に落ちて居た小石を其まゝ足で水に落すと、波紋は直ぐに私の(すがた)を消して仕舞つた。

 波紋のみだれたやうに、私の思は掻き乱された。

 彼女(あのひと)はいま乳母と私に就て何事を語つて行つたらう。彼女は何を笑つたのであらう。私の見すぼらしい姿を嘲笑(あざわら)つたのではあるまいか、私の(むさ)くるしい顔を可笑しがつて行つたのではあるまいか。

 波紋は静まつて水はまたもとの鏡にかへつた。私は俯伏して、自分ながら嫌氣のするやうな容貌(かほつき)をもう一度映しなほして見た、岸に咲きみだれた藤袴の花が、私の影にそうて優しい姿を水に投げて居る。

   六

 岡田の話では高谷千代子の家は橋を渡つて突き當りに小學校がある。其學校の裏といふ事である。それを尋ねて見ようといふのではないけれども、私は何時とはなしに大鳥神牡の側を折れて、高谷千代子の家の垣根に沿うて足を運んだ。

 遥かに火薬庫の煙筒は高く三田村の岡を()いて黄昏の空に現れて居るけれども、黒蛇の様な煤煙はもう止んでしまつた。目黒川の対岸(むかう)、一面の稻田には、白い靄が低く迷うて夕日が岡は宛然(さながら)墨繪を見るやうである。

 私がさる人の世話で目黒の停車場(ステーション)に働く事になつてからまだ半年には足らぬ程である。初めて出勤して其日から私は千代子のあでやかな姿を見た。千代子は他に五六人の連と一緒に定期乗車券を利用して、澁谷村の「窮行(きゆうかう)女學院」に通つて居るので、私は朝夕、プラットホームに立つて彼女を送りまた迎へた。私は彼女の姿を見るにつけて朝毎に新しい美しさを覚えた。

 世には美しい人もあればあるもの、何処(いづく)処女(をとめ)であるだらうと、私は深く心に思つて見たが流石に同職(なかま)に聴いて見るのも氣羞しいので其儘ふかく胸に秘めて、毎朝さまざまの空想をめぐらして居た。

 或る日の事、フトした機会(はずみ)から出札の河合が、千代子の身の上に就て稍精(やゝくは)しい話を自慢らしく話して居るのを聞いた。彼は定期乗車券の事で毎月彼女と親しく語を交すので、長い間には自然いろいろな事を聞き込んで居るのであつた。

 千代子は今茲(ことし)十七歳、横濱で有名な貿易商正木(なにがし)の妾腹に出來たものださうで、其妾といふのは昔新橋で嬌名の高かつた玉子とかいふ藝妓で、千代子が生れた時に世間では、あれは正木の子ではない訥升(とつしよう)といふ役者の子だといふ噂が高く一時は口の悪い新聞にまで(うた)はれた程であつたが、正木は二つ返事で其子を引取つた。千代子は其母の姓を名乗つて居るのである。

 千代子の通うて居る「窮行女學院」の校長の望月貞子といふのは宮内省では飛ぶ鳥も落すやうな勢力、才色兼備の女官として、また華族女學校の學監として、白雲遠き境までも其名を知らぬ者はない程の女である。けれども冷めたい西風は幾重の墻壁(しやうへき)を越して、階前の梧葉(ごえふ)にも凋落(てうらく)の秋を告げる。貞子の豪奢な生活にも浮世の黒い影は付き纏うて人知れず泣く涙は榮華の袖に乾く間もないといふ噂である。此貞子が世間に秘密(ないしよ)で正木某から少からぬ金を借りた。其縁故で正木は千代子が成長するに連れて「窮行女學院」に入學させて、貞子に其教育を頼んだ。高谷千代子は「窮行女學院」の御客様にあたるのだ。

 賎しい女の腹に出來たとはいふものの、生れ落ちると其儘いまの乳母の手に育てられて淋しい郊外に人となつたので、天性(うまれつき)器用な千代子はどこまでも上品で、學校の成績もよく画も音楽も人並優れて上手といふ、乳母の自慢を人の好い駅長なんかは時々聞かされると云ふことであつた。

 私は始めて彼女のはかない運命を知つた。自分等親子の寂しい生活と想ひくらべて、稍冷めたい秋の夕を、思はず高谷の家の門のほとりに佇んだ。洒落(あつさり)とした門の扉は固く(とざ)されて、竹垣の根には優しい露草の花が咲いて居る。

   七

 次の日の朝、私は改札口で思はず千代子と顔を合はせた。私は千代子の眼に何んと知れぬ一種の親みの浮んだ事を見た。私は千代子のやうな美人が、何故私のやうな見すぼらしい駅夫風情(ふぜい)に、あんな意味のありさうな眼付をするのだらうと思ふと共に今朝もまた千代子を限りなく美しい人と思うた。

 今日は岡田が休んだので、私は改札もしなければならないのだ。

 客は皆階壇を下りた。私は新宿行といふ札を懸け変へて、一二等の待合室を見廻りに行つた。見ると待合のベンチの上に油繪の風景を描き出した繪葉書が二枚置き忘れてある。

 急いで取り上げて見たが、私はそれが千代子の忘れたものである事を直ぐに氣付いた。改札口の重い戸を力まかせに閉めて、転ぶやうに階壇を飛び降りたが、其刹那、新宿行の列車は今高く汽笛を鳴らした。

「高谷さん!! 高谷さん!!」と私は呼んで何時もの三等室の前へ駆けつけて繪はがきを差出したけれども、どうしたものか今日に限つて高谷は最後尾の室に居ない。

 プラットホームに立つて居た助役の磯といふのが、私の手から奪ふやうに葉書を取つて、既に徐行を始めた列車を追うて、一二等室の前を駆け抜けたが、

「高谷さん! お忘れもの!」と呼んで繪はがきを差出した。

 掌中の玉を奪はれたやうに茫然(ぼんやり)として佇んで居ると、千代子は車窓から半身を出して、サモ意外というたやうに夫を受取って一旦顔を引いたが、窓から此方(こつち)を見て、遥かに助役に会釈した。

 平常(ふだん)から快からず思ふ磯助役の今日の仕打は何事であらう。あまり客に親切でもない癖に、美しい人と云へばあの通りだ。其癖自分はもう妻子もある身ではないか。

 運転手は今馬力をかけたものと見えて、機関車は丁度巨人の喘ぐやうに、大きな音を立てて泥炭の煙を吐きながら澁谷の方へ進んで行く、高谷の乗つて居る室が丁度遠方シグナルのあたりまで行つた頃、思ひ出したやうに、鳥打帽子が窓から首を出して此方を見た。

 それは大槻芳雄であつた。

 千代子は大槻と同じ室に乗る爲に常例の室をやめたのではあるまいか。千代子はフトすると大槻と恋に陥つたのかも知れない。千代子は大槻を恋して居るに違ひない。私はかう思つて見たが、心の隅ではまさかさうでもあるまいと云ふ聲がした。

 俯向(うつむ)いて私は私の掌を見た。労働に疲れ、雨にうたれて澁を塗つたやうな見苦しい私の掌には、ランプの油煙と、機械油とが染み込んで如何にも見苦しい。こんな(きたな)い手で私は高谷さんの繪葉書を持つたのか。

 洗つたら少しは綺麗になるだらう。

 かの(かけひ)の水のほとりには、もう野菊と紫苑(しをん)とが咲き乱れて、穂に出た尾花の下には蟋蟀(こほろぎ)の歌が手にとるやうである。私は(かゞ)んで柄杓(ひしやく)の水を汲み出して、せめてもの思ひやりに私の穢い手を洗つた。

「おい藤岡 ! あんまりめかしちやいけないよ。高谷さんに思ひ付かれやうたツて無理だぜ」

 助役は別に深い意味で云うた訳でもなかつたらうけれど、私にとつては非常に恐ろしい打撃であつた。殆ど脳天から水を浴びせられたやうに恟然(ぎよつ)として見上げると磯は、皮肉な冷笑を浮べながら立つて居た。

「お千代さんが宜敷つて云つたぜ、どうも御親切に有難うツて……」

「だつて私は自分の…………」

とまでは云うたが、あとは唇が強張(こはば)つて、例へば夢の中で悶え苦しむ人のやうに、私は只助役の顔をヂッと見つめた。

「君 ! 腹を立てたのか、馬鹿な奴だ、そんな事で上役に怒つて見た処で何になる」

 私は怒つた訳ぢやなかツたけれども、助役の語があまり烈しく私の胸に応へたので、それが只の冗談とは思はれなかつたからである。

 私は初めから助役を快よく思うて居なかつたのが、此事以來、もう打ち消すことの出來ない心の隔てを覚えるやうになった。

   八

「ちょいと、マア御覧よ、今度はこんな事が書いてあつてよ」と一人が小さい紙片を持つてベンチの隅に俯伏(うつぶ)すとやつと、十四五歳のを頭に四五人の子守女が低い足駄をガタつかせて、其上に重なりあうて各自(てんで)に口のなかで紙片の假名文字をおぼつかなく読んで見てキャッキャッと笑ふ。`

 子守女とはいふものの皆近処の長屋に住んで居る労働者の娘で、學校から帰って來ると直ぐ子供の守をさせられる。雨が降っても風が吹いても此子守女が停車場(ステーション)に來て乗客(のりて)の噂をして居ない事は只の一日でもない。華やかに着飾つた女の場合は尚更で、さも羨しさうに打眺めてはヒソヒソと語りあふ。

 季節の変り目に此平原によくある烈しい西風が、今日は朝から雨を(いざな)うて、硝子(ガラス)窓に吹き付ける。沈鬱な秋の日に乗客はほんの数へるばかり、出札の河合は徒然(つれづれ)に東向の淡暗い電信取扱口から覗いては、例の子守女を相手に聞きぐるしい、恥しい事を語りあうて居たが、果ては流石にロへ出しては云ひ兼ねるものと見えて、小さい紙片に片仮名ばかりで何やら怪しい事を書き付けては渡してやる。

 女はそれを拾ひ読んでは(たのし)んで居る。其云ひしれぬ肉聲が、光の薄い湿つぽい待合室に鳴り渡つて、人の心を滅入らすやうな戸外の景色に(くら)べて何となく悲しいやうな、又、淺猿(あさま)しいやうな氣がして來る。

「あれ──河合さん嫌だよ、よう! 堪忍しておくれよう!」と賎しい婦人の媚びるやうな、男の心を激しく刺激するやうな黄い聲がするかと思ふと、他の連中が、ワッと手をたゝいて笑ふ。

「もう雷様が鳴らなけりやあ離れない、雷様が」と河合が圧しつけるやうな低い聲で云ふ。

「謝つたよう! 謝った」と女は泣くやうに叫ぶ。一番年量(としかさ)の、多分高谷の姿でも眞似たつもりだらう髪を(ひさし)に結うて、間色のリボンを付けたのが、子を負つた儘。腰を屈めて、愛嬌の深い丸顔を眞赤にして(しき)りに謝まつて居る。

 見ると女は何うしたものか火燈口から右の手を河合に取られて居る。河合は其手をギュッと握つて掌へ筆で何か描かうとして居る。

「痛いぢやあないか、謝るからよう! あれ一あんなものを描くよう……」

 雨はまた一としきり硝子窓を撲つ。淋しい秋の雨と風との間に(みだ)りがましい子守女の聲が絶えてはまた聞えて來る。

 私の机の下の菰包(こもづつみ)の蔭では折ふし思ひ出したやうに蟲の聲がする。

 ふと見ると便所の方に向いた窓の硝子に人影が射したので、私はツイと立つて軒伝ひに冷たい雨の頻吹(しぶき)を浴びながら裏の方に廻つて見ると、青い栗の毬彙(いが)が落ち散つて、そこに十二三歳の少年が頭から雫のする麦藁帽子を被つてションボリとまだ實の入らぬ生栗を喰べて居る。

 秋も稍()けて、目黒はもうそろそろ栗の季節である。

   九

 見れば根つから乞食の児でもないやうであるのに、孤児(みなしご)ででもあるのか、何といふ哀れな姿だらう。

「おい、冷めたいだらう。そんなに濡れて、傘はないのか」

「傘なんか無い、食物だつて無いんだもの」と未だ水々しい栗の澁皮をむくのに余念もない。

「さうか、目黒から來たのか、家は何処だい。父親(ちやん)は居ないのか」

「父親なんかもう疾うに死んで仕舞つたい。母親(おつかあ)だけは居たんだけれど、タウトウ乃公(おれ)を置いてけぼりにして何処かへ行つて仕舞つたのさ。けども乃公アその方が氣樂で好いや。だつて母親が居ようもんならそれこそ叱られ通しなんだもの」

「母親は何をして居たんだい」

納豆売(なつとううり)さ、毎朝麻布の十番まで行つて仕入て來ちやあ白金の方へ売りに行つたんだよ、けどももう家賃が払へなくなつたもんだから、乃公ばつかり置いてけぼりにして何処かへ逃げ出して仕舞つたのさ」

「母親一人でか?」

「小さい坊やもつれて!」

「何処に寝て居るのか」

昨夜(ゆうべ)は大鳥様へ寝た」と権之助坂の方を指さして見せる。

 私は余りの(いたま)しさに、ポケットから白銅を取り出して呉れてやると少年は無造作に受取つて「有り難う」と云ひ放つと其儘雨を衝いて長峰のおでん屋の方に駆けて行つて仕舞つた。

 見送つて茫然(ぼんやり)と佇んで居ると足立駅長が洋服に(じや)()の傘をさして社宅から來かけたが、廊下に立つてヂッと私の方を見て居た。雨垂の音にまぎれて氣が付かなかつたが、物の氣配に振り向くと其処に駅長が微笑を含むで居た。

 今の白銅は私が夕飯のお菜を買ふ爲に持つて居たので、考へて見ると自分の身に引き比べて何だか気羞しくなつて來た。コソコソと室に入つて椅子に(もたれ)ると同時に大崎から來た開塞の信號が湿つぽい空氣に鳴り渡つた。

 乗客(のりて)は一人もない。

   十

 雨が()むと快晴が來た。

 シットリと濡れた尾花が、花やかな朝日に照り映えて、冷めたい秋風が一種云ひしれぬ季節の香を送つて來る。崖の上の(はぜ)はもう十分に色づいて、何処からとなく聞えて來る百舌鳥(もず)の聲が、何となく天氣の続くのを告げるやうである。

 今日は日曜で、乗客(のりて)が非常に多い。午後一時三十五分品川行の列車が汽笛を鳴らして運転を初めた頃、エビスビールあたりの帰りであらう面長の色の淺黒い會社員らしい立派な紳士が、眼のあたりにポッと微醺を帯びて、ステッキを持つた手に二等の青切符を掴んで階壇を飛び降りて來た。

「危い! 最早(もう)お止しなさい!! 駄目です、駄目です!」と私は一生懸命に制止した。

紳士は微酔(ほろゑひ)機嫌で余程興奮して居るものと見えて、私のいふ事を更に耳に入れない。行きなり疾走を初めた二等室を追ひかけて飛び乗りをしようとする。私は此瞬間確かに紳士の運命を死と認めた。

 よし救へ! 私は立処(たちどころ)に大胆な決心をした。

 (まさ)に紳士が走り出した汽車の窓に手を掛けようとした刹那、私は紳士のインバネスの上から背後(うしろ)ざまに組み付いた。

「な、な、何をするか! 失敬な!! 此奴(こいつ)……」

「お止しなさい、危いです!!」

 駅長も駆けつけた。

 けれども此時紳士は男の力をこめて私を振り放したが、(くわつ)として向き返ると私の胸を突き飛ばした。私は突かれると其儘仰向に倒れたので、アッといふ間もなく、柱の角に後頭部をしたゝか打つけた。

    ×  ×  ×

 假繃帯の下から生々しい血汐が潤み出して私はいふ可からざる苦痛を覚えたが、駅長の出して呉れた(かけひ)の水をグウと飲み干すと稍元氣付いて來た。

 汽車はもう遠く去つたけれども、隧道(トンネル)の口にはまだ黒い煙が残つて居る。と見ると紳士の顔にもしたゝか泥が付いて、恐ろしい争闘(いさかひ)でもした跡のやう、顔は青褪(あをざ)めて、唇には血の氣の色もない、俯向いて極りが悪さうに萎れて居る。口髯の稍赤味を帯びたのが特長で、鼻の高い、口許(くちもと)に締りのある、一寸苦味走つた男である。

 紳士の前に痩型(やせぎす)の骨の引締つた三十前後の男が茶縞の背廣に脚絆(きやはん)といふ身軽な装束で突立つたまゝ眼を光らして居る。鳥打帽子の様子といひ草鞋を穿いた処といひ何処から見ても工夫の(かしら)としか見えない。

「どうだ上まで歩かれるか、大丈夫だらう。洗つて見たら大した傷でもあるまい」と駅長が優しくいふので、私も氣を取り直して柱を杖に立ち上つた。

 傷は淺いと見えて最早あまり眩暈(めまひ)もしない。「最早大丈夫です」と答へると、駅長は一寸紳士の方を向いて、

()うか一寸御話致したい事が御座いますから」といふと紳士は黙つて(うなづ)いた。

「ぢやあ君もね」と工夫頭の方を向いて駅長が促した。其親しげなものの云ひ振りで私は初めて、二人が知合であるといふ事を知つた。

 駅長は親切に私をいたはつて階壇を昇ると其後から紳士と工夫頭とがついて來た。壇を昇り切ると岡田が駆けて來て、

「大槻様が今直ぐに参りますさうで」と駅長の前に息を切りながら復命した。

   十一

 私は其儘駅長の社宅に連れて行かれて、南向の縁側に腰を下すと、駅長の細君がまめまめしく立働いていろいろ親切に手を尽してくれる。

 そこへ罷職(ひしよく)軍医の大槻延貴(のぶたか)といふのがやつて來て、手當にかゝる。私はヂッと苦痛(くるしみ)を忍んだ。

 手術は程なく済んで繃帯も出來た。傷は案外に淺くつて一週間ばかりで全治するだらうといふ話、細君の汲んで來た茶を飲みながら大槻は傍に居た岡田を相手に、私が負傷した顛末を尋ねると細君も眉を(しか)めながら熱心に聞いて居たが。

「マア、ほんたうに危いですね、──それにしても藤岡さんが居なけれやあ、其人は今頃もう何うなつて居るか分りませんね」

「何にしろ、直ぐ隧道(トンネル)になるのですからね、どうしたつて助る訳は無いです」と岡田が口を入れる。

「危いですな! 汽車も慣れるとツイ無理をしたくなつて困るのです」と大槻はいうたが、細君と顔を見合はせて、さて今迄忘れて居たやうに互に時候の挨拶をする。

 大槻は年頃五十歳あまり、もと陸軍の医者で、職を()めてからは目黒の三田村に移り住んで、静かに晩年を送らうといふ人、足立駅長とは謡曲の相手で四五年以來(このかた)の交際であるさうだ。

 大槻芳雄といふのは延貴の独息子(ひとりむすこ)で、少からぬ恩給の下る上に遺産もあるので、出來るだけ鷹揚には育てたけれど、天性才氣の鋭い方で、學校も出來る、それに水彩畫が好きで若し才氣に任せて邪道に踏み込まなかつたならば天晴(あつぱれ)の名手となる事だらうと、さる先輩は嘆賞した。けれども此人の欠点をいへばあまり畫才に依頼しすぎて技術の修練をおろそかにする処にある。近頃大槻は或る連中と共に日比谷公園の表門に新設される血なまぐさいパノラマを描いたとかいふので朋友の間には、早くも此人の前途に失望して、やがては、女の淺猿しい心を惹く爲に、呉服屋のポスターでも描くだらうと云ふやうな蔭口をきく者も有るさうである。

 岡田は暫らくするうちに、停車場(ステーション)の方に呼ばれて行く。大槻軍医も辞し去つた。後で駅長の細君は語を尽して私を慰めて呉れた。細君といふのは年頃三十五六歳、美人といふ程ではないけれども丸顔の、何となく人好きのすると云つたやうな質の顔である。

「下宿に居ちやあ何かと困るでせう。どうせ一週間ばかりなら宅に居て養生しても好いでせう。ね、宅でも大変お前さんに見込を付けていろいろ御國の事情なんかも聞いて見たいなんて云うて居ましたよ」

「え、有り難う。併し此分ぢやあ大した傷でもないやうですから、それにも及びますまい。奥様にお世話になるやうでは(かへ)つて恐れ入りますから」

「何もお前さん、そんなに遠慮には及ばないよ。些少(ちつと)も構やあしないんだから、気楽にしてお出でなさいよ」細君は一人で承知して居る。

 ブーンとものの羽音がしたかと思ふとツイ眼の先の板塀で法師蝉が鳴き出した。コスモスの花に夕日がさして、三歩の庭にも秋の趣はみちみちて居る。

「オ!! 奥様ですか、今日はとんだ事でしたね」と云ふ聲に見ると、大槻が開け放して行つた坪の戸から先刻プラットホームで見受けた工夫頭らしい男が聲をかけながら入つて來たのであつた。細君は立ち上つて、

「マア小林さん、今日は……随分お久しぶりでしたね」といふ口で座蒲團を出す。小林は一寸会釈しながら私を繃帯の下から覗くやうにして、

「何うだい君! 痛むかい。乱暴な奴もあるもんだね」

「え、有り難う、ナアニ大した事も無いやうです」

「傷も案外淺くてね、医者も一週間ばかりで癒るだらうつて云ふんですよ」と細君が口を添へる。

「奥様、今日は僕も關係者(かゝりあひ)なんですよ」

「エー、何うして?」とポッチリとした眼を視張る。

「あんまり乱暴な事を()やあがるので、ツイ足が辷つて野郎を蹴倒したんです」と云ひながら細君の汲んで出した茶をグッと飲み干す。私は小耳を引立てて聴いて居る。

   十二

「今度複線工事の事に就て一寸用事が出來て此所(こゝ)までやつて來たのです。プラットホームで足立さんに會つて挨拶をして居ると、今の一件です。

 駅長さんが飛び出したもんですから、私も直ぐ其後へ付いて行つた。此児が」といひかけて一寸私の方を見て、「野郎に突き倒されるのを見ると、グッと癪に障つて男の襟頸を引掴むで力任せに投げ出したんです。するとちやうど隧道(トンネル)(つか)へた黒煙が風の吹き廻しでパッと私達の顔へかゝつたんで()うなつたか一切夢中でしたけれども、眼を開いて見ると可愛さうに野郎インバネスを着たまゝ横倒しに砂利の上に這ひつくばつて居る……」

「マア !」と云うて人の好い細君は眉を(しか)めた、私も敵ながら此話を聞いては、あんまり好い氣持がしなかつた。

「それから足立さんと二人で、男を駅長室に連れ込んで(はな)して見た処が、イやどうも分らないの何のつて、工學士と云へば、一通りの教育も有りながら、あんまり馬鹿氣て居て、話にも何にもならないです」

「悪かつたとも何とも云はないのですか」

「ヤレ駅夫が客に対してあんまり無法な事をするとか、ヤレ自分は工學士で汽車には慣れて居るから、大丈夫飛乗ぐらゐは出來るとか、宛然(まるで)酔漢(ゑひどれ)を相手にして話するよりも分らないのです。何しろ柔和(おとな)しい足立さんも今日は余程激して居たやうでした」

 私は小林の談話を聴いて、云ひしれぬ口惜さを覚えた。自分の職務といふよりも、私があの紳士を制止したのは紳士の生命をあやぶんでの事ではないか、私は弱き者の理由が、かくして無下(むげ)蹂躙(ふみにじ)られて行くのを思うて思はず小さい拳を握つた。

「柔和しい足立様の云ふ事が私には最早、間怠(まだる)つこくなつて來たもんですから、手厳しく談じ付けてやらうとすると足立様が待てというて制する。足立様はそれから静に理を分けて宛然(まるで)三歳児(みつご)に云ひ聞かすやうに談すと野郎も流石に理に落ちたのか、私の権幕に怖ぢたのか、駅夫の負傷は氣の毒だから療治代は何程でも出すと(ぬか)すぢやあ有りませんか」

 私は思はず涙の頬に流れるのを禁じ得なかつた。療治代は出してやる。私は熟々(つくづく)人の心の悲しさを知つた。流石に人の好い細君も「マア何といふ人でせう!」というてホッと吐息を漏した。

「処が驚くぢやあありませんか、私と足立様とが、決して金を請求する爲にこんな事を云うたのぢやあ無い。療治代を貰ひ度い爲に話したのぢやあないと云ふと、野郎怪訝な顔をして居るのです。それから何と云ふかと思ふと、乃公(おれ)は日本鐵道の曾我とは非常に懇意の間だ。何か話しがあるならば曾我に挨拶しようと云ふ。私はもうグッと胸が塞つて來ましたから、構ふ事はない。最早遣付けて仕舞へと思つたのです。けれども、足立様がしきりに止める。私も駅長の迷惑になるやうではと思ひかへして腕力だけはやめにして出て來たんです」

 話して居る処へ駅長が微笑を含むで入つて來た。

「曾我有準の名を余程我々が怖がるものと思つたのか、曾我々々と云ひ通して、俥で逃げ出して仕舞つたよ」と云ひながら駅長は制服の儘、小林と並んで縁側に腰を下したが、「どうも立派な顔はして居ても、話して見ると、あんな紳士が多いのだからな」と云うたが、思ひ出したやうに私の方を見て。

「傷はどうだい、あんまり大した事もあるまい。今、岡田に和服(きもの)を取りに行つて貰ふ事にした」

 短かい秋の日はもう暮れかけて、停車場では電鈴がさも忙しさうに鳴り出した。

   十三

 栗の林に秋の日の幽かな大槻醤師の玄關に私はひとり物思ひながら柱に倚つて、藥の出來るのを待つて居る。

「もう好いのよ……」何処かで聞き覚えのある、優しい処女の聲が、患者控室に當てた玄関を距てて薬局に相対(むかひあ)つた部屋の中から漏れて來たが、廊下を歩む氣配がして、暫くすると、中庭の木戸が開いた。

 高谷千代子の美しい姿が其処へ現はれた。何時にない髪を唐人髷(たうじんまげ)に結うて、銘仙の着物に、淺黄色の繻子(しゆす)の帯の野暮なのも此人なればこそ好く似合ふ。小柄な體躯(からだ)をたをやかに、一寸鬱金色(うこんいろ)薔薇釵(ばらかざし)を氣にしながら振り向いて見る。そこへ大槻が粋な鳥打帽子に、(つむぎ)飛白(かすり)、唐縮緬の兵児帯(へこおび)を背後で結んで、細身のステッキを小脇に挾んだ儘小走りに出て來たが、木戸の掛金を指すと二人肩を並べて、手を取らんばかりに門の方に出て行くのである。

 千代子は小さい薬瓶を手巾(ハンカチ)に包んで、それに大槻の描いた水彩畫であらう、半紙を巻いたものを提げて居る。私はハッとしたが、隠れるやうに項垂(うなだ)れて、繃帯のした額に片手を當てた。さうして今一度門の方を見返した。

 私が見返した時、二人は丁度今門を出る処であつたが、一斉(いつせい)に玄関の方を振り向いたので、私とバッタリ視線が會うた。私は限りなき羞しさに、俯向いたまゝ薬局の壁に身を寄せた。

 きのふまで相知らなかつた二人が何うして、あんな昵懇(ちかづき)になつたのであらう。千代子が大槻を訪ねたのか、イヤイヤそんな事はあるまい、私は信じなかつたが世間の噂では大槻は非常に多情な男で、これまでにもう幾度も処女を弄んだ事があるといふ。さう云へば此間も停車場(ステーション)態々(わざわざ)千代子の戸を開けてやつた処など恥しげもなく、鐵面皮(あつかま)しいのを見れば大槻が千代子を誘惑したに相違ない。それにしても何と云うて云ひ寄つたらうか。

 千代子が大槻の処へ何処か診察して貰ひに行つて、此玄關に待合して居る処へ大槻が奥から出て來て物を云ひかけたに違ひない。「マア此方へ來て畫でも見て入らつしやい」などと云ふ。大槻は好い男だし、それに彼の才氣で口を切られた日には、千代子でなくとも迷はない者はあるまい。

 佳人と才子の恋といふのは之であらう。大槻が千代子を恋ふのが無理か、千代子が大槻を慕ふのが無理か、たとへば繪そら言に見るやうな二人の姿を引きくらべて見て私は更に、「私が千代子を恋するのは無理ではないだらうか」と、我と我心に尋ねて見たが、今迄私の思うた事のいつか恐ろしい嫉妬の邪道に踏み込んで居たのに氣がつくと、私はもう堪へかねて繃帯の上から眼を蔽うて薬局の窓に俯伏した。

「藤岡さん、藥が出來ましたよ」と書生は藥を火燈口から差出して呉れたが、私の姿をあやぶんで、

「まだ痛みますか、どうしたんです?」と窮屈さうに覗きながら尋ねる。

「いゝえ、()うも致しません」と私は簡単に応へて大槻の家の門を出たが、水道の掘割に沿うて、紫苑の花の咲きみだれた三田村の道を停車場の方にたどるのである。

 私は何故に千代子の事を想うてこんなに苦しむのだらう。私はゆめ彼女を恋しては居ない。私は何時までも何時までも彼女の事を思ふにしてもそれは思ふばかりで、それで畢竟(つまり)何うしようと云ふのでもない、恋しても居ない人の事を、何故こんなに氣にするのだらう。

 それとも之が恋といふものであらうか。

 私の耳には眞昼の水の音が宛然(さながら)ゆめのやうに聞えて、細い杉の木立から漏れて來る日の光が、月夜の影のやうに思ひなされた。

   十四

 私の傷はもう大かた癒えた、次の月曜日あたりから出勤しようと思つて、午後駅長の宅を訪ねて見た。細君が(ひとり)で板塀の外で張物をして居たが、私が会釈するのを見て、

「今日は留守ですよ、非番でしたけれども本社の方から用があるというて來ましたので朝出かけた儘ですよ」

「何んな御用でせう。此間の事件(こと)ではないでせうか」

「サア、(うち)の人もさう云うて居ましたがね、些少(ちつと)も心配する事はないと云つて出て行きましたよ」と()()なく云うたけれども、私は細君の眉のあたりに何となく晴れやらぬ憂ひの雲を見た。

 私は此好い細君が襷をあやどつて甲斐々々しく立働きながらも、夫の首尾を気づかうて、憂を胸にかくして居る姿を見て、しみじみと奉職(つとめ)の身の悲しさを覚えて、私の為過(しすご)しから足立駅長のやうな善人が、不慮の災難を()る事かと思ふと、身も世もあられぬやうな想ひがした。

「心配な事はないでせうか」

「大丈夫でせう」と云うたが、顔を上げて、

最早(もう)()いのですか」

「えゝ明後日あたりから出勤する事にしたいと思ひまして……」

       ×  ×  ×

 其夜の月はいと明るかつた。

 駅長は夕方帰つて來たが、けふは好きな謡曲もやらないで、私の訪ねるのを待つていろいろ其日の首尾を話してくれた。

 要するに、私の心配した程でもなかつたが、駅長は云ふ可らざる不快を含むで帰つて來たらしい。

 此間の工學士といふのは品川に住んで居た東京市街鐵道會社の技師を勤めて居る()鉦次郎といふ男で三十二年の卒業生であるさうだ。宮内省に勤めた父親の關係から、社長の曾我とも知合の間で此間の失敗を根に持つて余程卑怯な申立をしたものと見えて初めは大分事が大袈裟であつたのを、幸に足立駅長が非常に人望家であつた爲に、営業所長が力を尽して調停(とりな)して呉れて、(やつ)と無事に済んだといふ事であつた。

 さう云ふ首尾では駅長が不快に思ふのも無理はない。私は非常に氣の毒に思うて、私が悪いのだから、私が職を()めたならば、上役の首尾も直るでせうと云へば、駅長は直ぐ打消して、反つて私を慰めた上に、いろいろ行末の事も親切に話して呉れた。

 私は駅長の問ふにまかせて、私の身の上話をした。月影のさす秋の夜に心ある夫婦の前で寂しい來しかたの物語をするのは私にとつて、此上(こよ)なき歓喜(よろこび)であつた。

 私の父は静岡の者で、母はもと彦根の町のさる町家(まちや)の娘で、まだ振分髪の時分から井伊家に仕へてかの櫻田事件の時には(やつ)と十八歳の春であつたといふこと、それから時世が変つて、廃藩置県の行はれた頃には井伊の老臣の石黒某なるものに従うて、遠州濱松へ來た。

 石黒某が濱松の縣令に抜擢されたからで、母は櫻田の騒動以來、此石黒某に養はれて居たのであつた。

 母は此処で縁があつて父と結婚して、長い御殿奉公を止めて父と静岡に可なりの店を開いて、幸福に暮して居た。母の幸福な生活といふのは實は此十年ばかりの夢に過ぎなかつたので、私は想うて母の身の上に及ぶと、世に婦人の薄命といふけれど、私の母ばかり不幸な人は多くあるまいと思はぬこととてはないのである。

 父が死んでから、私達母子(おやこ)は叔父の家に寄寓して云ふに云はれぬ苦労をしたが、私は小學校を出て叔父の仕事の手伝をして居る間も深く自分の無學を羞ぢて、他人ならば學校盛りの年頃を、(いたづ)らに羞しい労働に埋れて行く事を悲しんだ。私が漸く年頃となるに連れて叔父との調和(をりあひ)がむづかしく若い心の物狂はしきまで只管(ひたすら)に、苦學──成功といふやうな夢に憧れて、母の膝に歎き伏した時は、苦労性の氣の弱い母も(つひ)に私の願望を容れて、下谷の清水町にわびしく住んで居る遠縁の伯母をたよりに上京する事を許して呉れた。

 去年の春下谷の伯母を訪ねて、其寡婦(やもめ)暮しの聞きしにまさる貧しさに驚かされた私は、三崎町の「苦學社」の募集廣告を見て、天使の救ひにあうたやうに、雀躍(こをどり)して喜んだ。私は功名の夢を夢みて「苦學社」に入つた。

 母の涙の紀念(かたみ)として肌身離さず持つて居た僅かの金を惜しげもなく抛げ出して入學した三崎町の苦學杜を、逃出して、再び下谷の伯母の家に駆け込んだ時は、自分ながら生命のあつたのを怪しんだ程である。私は初めて人間の生血を搾る、恐ろしい悪魔の所業をまのあたり見た。

 坂本町に住む伯母の知合の世話で私が目黒の駅に勤める事になつたのは、去年の夏の暮であつた。私はもう食を得ることより外に差當りの目的はない。功名も富貴も、それは皆若い私の夢であつた。私はもう塵のやうな、煙のやうな未來の空想を捨てて、辛い、苦しい生存(ながらへ)の途をたどらなければならないのだ。私の前には餓死と労働との二つの途があつて私は只常暗(とこやみ)の國に行く爲に、其途の一つをたどらなければならないのだ。

 駅長も細君も少からぬ同情を以て私の話を聞いて呉れた。稍寒い秋の夜風が身にしみて坪の内には蟲の聲が雨のやうである。

   十五

 其夜駅長は茶を啜りながら、此間プラットホームで()工學士を突き倒した小林浩平の身の上話をして呉れた。私が只學問とか榮誉とかいふ果敢(はか)ないうつし世の虚榮を慕うて、現實の身を羞ぢ、世をかねる若い心をあはれと思つたからであらう。其話の大概(あらまし)はかうであつた。

 小林といふのは駅長の郷里で一番の旧家でまた有名な資産家であつた。先代に男の子が無くて娘ばかり三人、総領のお幾といふのが彌吉といふ婿を迎へて、あとの娘二人は夫々(それぞれ)他所に縁付いてしまつた。此彌吉とお幾との間に出來たのが彼の小林浩平で、駅長とは竹馬の友であつた。

 処がお幾は浩平を産むと兎角病身で、彼が(やつ)と六歳の時に病死して仕舞つた。彌吉も未だ年齢は若いし、独身で暮す訳にも行かないので、小林の血統から後妻を迎へて平和に暮して行くうちに後妻にも男の子が二人も生れた。

 彌吉は性來義理固い男で、浩平は小林家の一粒種だといふので、かりそめの病氣にも非常に氣を揉んで、後妻に出來た子達とは比較にならぬほど大切にする。妻も無教育な女にしては珍らしい心掛けの持主で夫の処置を夢さら悪く思ふやうな事なく、實子は措いて浩平に尽すといふ風で、世間の評判も好く彌吉も妻の仕打を非常に満足に想うて居た。

 処が浩平が成長して見ると誰の氣質を受けたものか、余程の変物(かはりもの)であつた。頭が割合に大きいのに顎がこけて愛らしさの少しも無い、云はば小児らしい処の少い、陰氣な質であった。學友は何時しか彼を「辣韮(らつきよ)」と呼びなして(はや)し立てたけれども、此陰鬱な少年の眼には一種不敵の光が浮んで居た。

 中學へ行つてからの事は駅長は少しも知らなかつたさうだ。併し一緒に行つたものの話では小學時代と打つて変つて恐ろしい乱暴者になつたさうだ。卒業する時には誰でも小林は軍人志願だらうと想像して居たが、彼は上京して東京専門學校で文學を修めた。此間駅長は鐵道學校に居て彼に関する消息は少しも知らなかつたが、四年ばかり以前に日鐵労働者の大同盟罷工(ストライキ)が行はれた時、正義倶楽部の代表者として現はれたのは、工夫あがりの小林浩平であつた。

 驚いて様子を聞いて見ると、彼は學校を出ると其儘、父親に手紙を遣つて「小作人の汗と、株の配當とで生活するのは人間の最大罪悪だ。家産は弟にやる、自分はどうか自由に放任して置いて呉れ」といふ意味を書き送つた。父親は非常に驚いて何か不平でもあるのか、家産を弟に譲つては小林家の先祖に対して申訳がない、殊に世間で親の仕打が悪いから何か不平があつて、面當(つらあて)にする事と思はれては困るといふので、泣くやうにして頼んで見たけれど浩平は頑として聞かなかつた。百方手を尽して見たけれどもそれは全く無駄であつた。

 村では浩平を氣が触れたと評判する者さへ有つたさうだ。

 幾萬の家産を(なげう)ち、義理ある父母を棄てた浩平は其儘工夫の群に姿を隠したが何時の間にか其前半生の歴史を暗ましてしまつた。彼が野獣のやうな工夫の團結を見事に造り上げて、其陣頭に現はれた時には社会に誰一人として彼の學歴を知つて居るものは無かつたのである。駅長は其頃中仙道(なかせんだう)大宮駅に奉職して居て、十幾年かぶりで小林に会見したのであつたさうだ。

「君なんぞまだ若氣の一途(いちづ)に、學問とか、名誉とかいふ事ばかりを思ふのも無理はないけれど、何もそんな思ひをして學問をしなくつても人間の尽す道は吾々の生活の上にも十分あるではないか。

 見給へ、學問をして態々(わざわざ)工夫になつた人さへあるでは無いか、君! 大に自重しなくちや()けないよ。若い者には元氣が第一だ」

「はい……」と小さい聲で応へたが、私は何とも知れぬ悲しさと嬉しさとが胸一ぱいになつて、熱い涙がハラハラと頬を流れる。努めて一口応答(うけこたへ)をしようと思ふけれど、張りさけるやうな心臓の激動と、とめどなく流れる涙とに私は只啜上げるばかりであつた。

「小林はあれで立派な學者だ。此間の話では複線工事の監督に此所へ來るといふ事だから、君も氣を付けて昵懇(ちかづき)になつて置いたら何かと都合が好からう」

 私の胸には暁の光を見るやうに、新しい勇氣と、新しい希望とが湧いた。

   十六

 社宅を辞して戸外に出ると夜は更けて月の光は眞昼のやうである。私は長峰の下宿に帰らず、其儘夢のやうな大地を踏んで石壇道の雨に洗はれて険しい行人坂を下りた。

 故郷の母のこと、下谷の伯母のこと、それから三崎町の「苦學社」で嘗めた苦痛と恐怖とを想ひ浮べて連想は果てしもなく、功名の夢の破れに驚きながら何時しか私は高谷千代子に対する愚かな恋を思うた。私が是まで私の恋を思ふ度に、冷たい私の智恵は私の耳に囁いて、恋ではない、恋ではないと我と我心を欺いて(わづか)に良心の呵責を免れて居たが、今宵此月の光を浴びて來し方の詐欺(いつはり)に思ひ至ると、自分ながら自分の心の淺猿(あさま)しさに驚かれる。

 私は今改めて自白する。私の千代子に対する恋は、殆ど一年にわたる私の苦悩であつた。煩悶であつた。さうして私はいま又改めて此月に誓ふ。私は千代子に対する恋を捨てて新しい希望に向つて、男らしく進まなければならない。丁度千代子が私に対するやうな冷さを、数限りなき私達の同輩(なかま)は此社会(よのなか)から受けて居るではないか。私はもう決して高谷千代子の事なんか思はない。

 決心につれて涙がこぼれる。立ち尽すと私は初めて荒漠な四邊(あたり)の光景に驚かされた。幽かな深夜の風が玉蜀黍の枯葉に(そよ)いで、轡蟲(くつわむし)の聲が絶え絶えに、行く秋のあはれをこめて聞えて來る。先刻(さつき)、目黒の不動の門前を通つた事だけは夢のやうに覚えて居るが、今氣が付いて見ると私は桐ケ谷から碑文谷(ひもんや)に通ふ廣い畑の中に佇んで居る。夜はもう二時を過ぎたらう。寂寞(ひつそり)として宛然(まるで)世の終を見るやうである。

 人の髪の毛の焦げるやうな一種異様な臭氣(にほひ)が何処からともなく身に迫つて鼻を()つたと思ふと、慄然(ぞつ)とするやうに物寂しい夜氣が骨にまでも沁み渡る。

 何だらう、何の臭気だらう。

 おゝ、私は何時の間にか桐ケ谷の火葬場の裏に立つて居るのだ。森の梢には巨人が帽を脱いで首を擡げたやうに赤煉瓦の煙突が見えて、一度高く静かな空に立ち上つた煙は、また横に(たなび)いて、傾く月の光に葡萄鼠の色をした空を(しづ)かに蛇窪村(じやがくぼむら)の方に流れて居る。

 私は多摩川の丸子街道に出て、大崎に帰らうとすると火葬場の門のあたりで四五人の群に行合うた。私は此人達が火葬場へ佛の骨を拾ひに來たのだといふ事を知つた。両傍に尾花の穂の白く枯れた田舎道を何か寂しさうにヒソヒソと語らひながら平塚村の方に行く後影を私は見送りながら佇んだ。

「おい(にい)や、どうしてこんな処へ來たんだい。(をか)しいな。狐に(つま)まれたんぢやあ無いの?」

 私は少年の聲に慄然(ぞつ)として振り向きさま、月あかりにすかして見ると驚いた。此間雨の日に停車場で五銭の白銅を呉れてやつた、彼の少年ではないか。

「君か、君こそどうしてこんな処に來て居るのかい」と私はニタニタ笑つて居る少年の顔を薄氣味悪く(のぞ)きながら問ひ返した。

乃公(おれ)ア當り前よ、此処の御客様に貰ひに來て居るのぢやあ無いか、兄やこそ怪しいや!」と少年は頻りに笑つて居る。

 (あゝ)、少年は火葬場に骨拾ひに來る人を待受けて施與(ほどこし)を受ける為に、此物寂しい月の夜をこんな処に彷徨(うろつ)いて居るのだ。

 五位鷺(ごゐさぎ)が鳴いて夜は曉に近づいた。

   十七

 其年も暮れて私は十九歳の春を迎へた。

 停車場(ステーション)では此頃鐵の火鉢に火を山のやうにおこして、硝子(ガラス)窓を閉め切つた狭い部屋の中で、駅長の影さへ見えなければ椅子を集めて高谷千代子と大槻芳雄の恋物語をする。駅長と大槻とは知合なので駅長の居る時は流石に一同遠慮して居るけれども、助役の當番の時なんぞは、殆ど終日其噂で持ち切るやうな有様である。乃公(おれ)は彼処の森で二人の姿を見たといふものがあれば、乃公は此処の野道で二人が手を取つて歩いて居るのを見たといふ者がある。それから話の花が咲いて、有る事ない事、果ては聴くに忍びないやうな(みだ)りがましい噂に落ちて、ドッと笑ふ。

 最も之は停車場ばかりの噂ではなかった。長峰の下宿の女房も、権之助坂の團子屋の老婆も、私は至る処で千代子の恋の噂を耳にした。千代子は絶世の美人といふのではないけれども、大理石のやうに(こま)やかな肌、愛嬌の滴るやうな口許(くちもと)、小鹿が母を慕ふやうな優しい瞳は少くとも萬人の眼を惹いて随分評判の高かつただけに世間の嫉妬(ねたみ)も亦恐ろしい。

 嫉妬 ! 私は世間の嫉妬の恐ろしさを今初めて知つた。憐れなる乙女は切なる初恋の盃に口づけする間もなく、身は何時の間にか此恐ろしい毒焔の(うづま)きに包まれて、身動きも出來ない讒謗(ざんばう)の糸は、幾重にも其いたいけな手足を(いまし)めて居たのである。「何うして大槻といふ奴は有名な男地獄で、最早(もう)横濱に居た時分から婆藝妓なんかに可愛がられた事があつて大変な玉なんだ」と誰やらがこんな事をいうた。

「女だつてさうよ、蟲も殺さないやうな顔はして居ても、根が越後女だからな」私はこんな讒誣(そしり)の聲を聞く度に云ふに云はれぬ辛い思をした。私の同情は無論純粋の清い美しい同情ではなかつた。二人の運命を想ひやる時には、いつでも忌はしい我の影がつき纏うて、他人の幸福を呪ふやうな淺猿しい根性も萌すのであつた。

 實際千代子の大槻に対する恋は優しい、はげしい、またいぢらしい初恋のまじり無き眞情であつた。萬事に甘い乳母を相手の生活は千代子に自由の時を與へたので。二人夕ぐれの逍遙(そゞろあるき)など、深き悲痛を包んだ私にとつては此上なく恨めしい事であつた。

 貧しき者は、忘れても人を恋するものでない。

 恋──といふも烏滸(をこ)がましいが、私にとつては切なる恋、其恋のやぶれから、云ひしれぬ深い悲哀がある上に、私は思ひがけない同輩(なかま)の憎悪を負はなければならない身となつた。それは去年の秋の()工學士事件から、私は足立駅長に少からぬ信用を得て、時々夜など社宅に呼ばれる事がある。他の同輩はそれを非常に嫌に思うて居る。

 私は性來の無口、それに人との交際(つきあひ)が下手で一度隔つた心は、いつ調和がつくといふ事も無く日に(うと)ましくなつて行く。磯助役を始め同輩の者とは此頃碌々口をきく事も稀である。私はこんなに同輩から疎まれると共に親しい一人の友が出來た。それはかの漂浪の少年であつた。

 此頃の寒空に吹き(さら)されて流石に堪へ兼るのであらう。日あたりの好い停車場の廊下に來て、(うづく)まつては例の子守女にからかはれて居る。雪の降る日、氷雪(みぞれ)の日、少年は人力車夫の待合に行つて焚火にあたる事を許される。

 少年は三日におかず來る。私は暇さへあれば此小さい漂浪者を相手にいろいろの話をして、辛くあたる同輩の刃のやうな口を避けた。私は何時か千代子と行き会つたかの橋の欄干(おばしま)に倚つて、冬枯れの曠野にションボリと孤独の寂寥を心ゆくまでに味ふことも幾度かであつた。

   十八

 寂しい冬の日は暮れて、やはらかな春の光が又武藏野にめぐつて來た。

 丁度三月の末、麦酒(ビール)会社の岡につづいた櫻の蕾が綻びそめた頃、私は白金(しろかね)の塾で大槻医師が転居するといふ噂を耳にした。塾といふのは片山といふ基督(キリスト)教信者が開いて居るのでもとは學校の教師をして居たのが、文部省の忌憚に触れて、(それ)からは最早職を求めようともせず、白金今里町の森の中に小さい塾を開いて近所の貧乏人の子供を集めては氣焔を吐いて居る。駅長とは年頃懇意にして居るので、私は駅長の世話で去年の秋の暮あたりから、休暇の日の午後を此片山の塾に通ふ事とした。

 片山泉吉というて年齢(とし)は五十ばかり、思想は古いけれども、明治十八年頃に洗礼を受けて、國粋保存主義とは随分はげしい衝突をして来たので、貧乏の中に老いたけれども、氣骨はなかなか青年を凌ぐ勢である。

 私は此老夫子(ふうし)の感化で多少読書力も出來た。労働を卑しみ、無學を羞ぢて、世を果敢(はか)なみ、身をかねると云ふやうな女々しい態度から小さいながら、弱いながらも胸の焔を吐いて、冷たい社会を()きつくしてやらうと云ふやうな男々しい考も湧いて來た。

 大槻が転居するといふ噂は、私にとつて全然(まるきり)他事(ひとごと)のやうには思はれなかつた、私はそれとなく駅長の細君に、聞いて見たが噂は全く事實であつた。肌寒い春の夕がた私は停車場(ステーション)の柱によつて千代子の悲愁を想ひやつた。思ひなしか此頃其女の顔がどうやら(やつ)れたやうにも見える。

 大槻の家族が巣鴨に転居してから、一週間ばかり、金曜の午後私が改札口に居ると大槻芳雄が來て小形の名刺を私に渡して小聲で囁いた。

「高谷様に之を渡して呉れないか」率直に云へば私は大槻が嫌ひだ。大槻が嫌ひなのは私の嫉妬ではないと思ふ。けれども私が今これを拒むのは何となく嫉妬のやうに見えてそれは卑怯だといふ聲が心の底で私を責める、私は黙つて(うなづ)いた。

「有り難う!」と如何にも嬉しさうに云うたが、「君だからこんな事を頼むのよ、好いね詰度(きつと)渡して呉れ給へ!」と念を押すやうにして、ニッコリ笑つた。何といふ美しい青年であらう。心憎いといふのはかう云ふ姿であらう。

 何うしたものか其日千代子の學校の帰りは(おそ)かつた。何処でどうして私は之を千代子に渡さうかと思つたが、胸は何となく安からぬ思ひに悩んだ。長い春の日も暮れて火ともし頃、なまめかしい廂髪(ひさしがみ)に美人草の(かんざし)をさした千代子の姿がプラットホームに現はれた。私は千代子の背後(うしろ)に随いて階壇を昇つたが、他に客は殆ど無い。

「高谷さん!」私は四邊(あたり)を憚りながら呼びかけた。思ひなしか千代子は小走に急ぐ、「高谷さん!」と呼ぶと、此度は壇の中程に立ち止つて私の方を向いたが、怪訝な顔をして口許を手巾(ハンケチ)でおほひながら、鮮やかな眉根を一寸(しか)めて居る。

「何ですか大槻さんが之を貴女に上げて下さいつて……」と私は名刺を差出した。

「あゝさう」と蟲の息のやうに応へたが、サモきまりが悪さうに受取つて、淡暗(うすぐら)洋燈(ランプ)の光ですかして見たが、「どうも有り難う」と迷惑さうに会釈する。私はこの千代子の冷澹な態度に、丁度、長い夢から覚めた人のやうに暫らくは茫然(ぼんやり)として立ち尽した。

 辛い人の世の生存(ながらへ)に敗れたものは、鳩のやうな処女の、繊弱(かよわ)い足の下にさへも蹂躙(ふみにじ)られなければならないのか。

 翌日、千代子は化粧(よそほひ)を凝らして停車場に來た。其夕、大槻は千代子を送つてプラットホームに降りたが、上野行の終列車で帰つた。土曜、日曜の夕、其後私は幾度も大槻が千代子を送つて目黒に來るのを見た。二人がひそひそと語らひながら、私の顔を見ては何事か笑ひ興ずる時など、私は胸を(えぐ)つて嬲殺(なぶりごろし)にされるやうな思ひがした。

 佳人と才子との恋は其後幾程もなく消え失せて大槻の姿は再び目黒の階壇に見られなくなつた。例へば曠野に吐き出した列車の煤煙のやうに、さしも烈しかつた世間の噂も何時とはなしに消えて、高谷千代子の姿はいま暮春の花と見るばかり、独り南郊の岡に咲きほこつて居る。

  十九

 其春のくれ、夏の初から山の手線の複線工事が開始せられた。目黒停車場(ステーション)の掘割は全線を通じて最も大規模の難工事であつた。小林浩平は数多の土方や工夫を監督する爲に出張して、長峰に借家をする。一切の炊事は若い工夫が交代(かはりばん)に勤めて居る。私は初めて小林の勢力を()のあたり見た。私は眼に多少の文字ある駅員などが反つて見苦しい虚榮に執着して妄想の奴隷となり、同輩互に排斥し合うて居るのに、野獣のやうな土方や、荒くれな工夫が、此首領の下に階級の感情があくまでも強められ、團結の精神の如何にもよく固められたのを見て、私は(いささ)か羞しく思うた。あらぬ思に胸を焦して、罪もない人を(ねた)んだり、また(にく)しんだりした事の淺猿しさを私はつくづく情なく思うた。

 工事は眞夏に入つた。何しろ客車を運転しながら、溝のやうに狭い掘割の中で小山ほどもある崖を崩して行くので、仕事は容易に捗らぬ、一隊の工夫は恵比須麦酒(ゑびすビール)の方から一隊の工夫は大崎の方から目黒停車場を中心として、徐々(だんだん)と工事を進めて來る。

 初めのうちは小さいトロッコで崖を崩して土を運搬して居たのが、工事の進行につれて一臺の機關車を用ふる事になつた。たとへば熔炉の中で人を蒸し殺すばかりの暑さの日を、悪魔の群れたやうな土方の一団が、各自(てんで)に十字鍬や、ショーブルを持ちながら、苦しい汗を絞つて、激烈な労働に服して居る処を見ると、私は何となく悲壮な感にうたれる。恵比須停車場の新設地まで泥土を運搬して行つた土工列車が、本線に沿うて(わづ)かに敷設された假設軌道(レール)の上を徐行して來る。見ると渋を塗つたやうな頑丈な肌を、烈しい八月の日に(さら)して、赤裸體(あかはだか)のもの、襯衣(シヤツ)一枚のもの、赤い(ふんどし)を締めたもの、鉢巻をしたもの、二三十人が各自に得物(えもの)を提げて何処といふ事なしに乗込んで居る。汽罐の正面へ大の字に跨つて居るのが有るかと思へば、踏臺へ片足かけて、體躯(からだ)を斜に宙に浮かせて居るのもある。何か(しき)りに罵り騒ぎながら、野獣のやうな眼をひからせて居る形相(ぎやうさう)は所詮人間とは思はれない。

 余程のガラクタ機關と見えて、空箱の運搬にも、馬力(ばりき)を苦しさうに喘がせて、泥煙をすさまじく突き揚げて居る。土工列車がプラットホーム近くで進行を止めた時、澁谷の方から客車が來た。掘割工事の処に入ると徐行して、今土工列車の傍を通る。土方は云ひ合せたやうに客車の中を(のぞ)き込んだが何か眼についたものと見えて、

「ハイカラ! 此処まで來い」

「締めてしまふぞ……脂が乗つてやあがら」

「女學生! ハイカラ! 生かしちやあ置かねえぞ」

私は恐ろしい肉の叫喚(さけび)をまのあたり聴いた。見ると三等室の戸が開いて、高谷千代子が悠々とプラットホームに降りた。華奢(きやしや)洋傘(かうもり)をパッと拡げて、別に紅い顔をするのでもなく、薄い唇の固く結ぼれた口許(くちもと)に、泣くやうな嘲るやうな一種冷やかな表情を浮べて階壇を登つて行つて仕舞つた、土方はもう(みかへ)る者もない、何時の間にかセッセと働いて居る。

 私は何故に同じ労働者でありながら、彼の土方のやうに洒然(さつぱり)として働けないのであらう。

 土方が額に玉のやうな汗を流して、腕の力で自然に勝つて、あらゆるものを破壊して行く間に、私達は、シグナルやポイントの番をして、機械に生血を吸ひ取られて行くのだ。私達の此痩せ衰へた亡者のやうな體躯(からだ)に比べて、私はあの逞しい土方の體躯が羨ましい。そして一口でも好いからあの美しい千代子の前に立つて、あんな暴言が吐いて見たい。

 私は片山先生と小林監督との感化で冬の氷に鎖されたやうな冷たい夢から覚めて、人を羨み身を(はぢ)るといふやうな、氣遅れ勝ちの卑しい根性を漸次(だんだん)に捨てて行くことが出來た。

 新しい希望に満されて、私は新しい秋を迎へた。

   二十

「今日の社会は大かた今僕が話したやうな状態で、丁度また新しい昔の大名(だいみやう)が出來たやうなものだ。昔の大名は領土を持つて居て、百姓から自分勝手に取立をして、立派な城廓を築いたり、又大勢の家來を抱へたりして居た。今話した富豪(かねもち)といふ奴がヤハリ昔の大名と同じで、領土の代りに資本を持つて居る。大仕掛の機械を持つて居る。資本と機械とがあれば、もう吾々労働者の生血を絞り取る事は容易なものだ。昔の百姓、町人達が土下座をして大名の行列を拝んで居る処へ行つて、今から後には御大名だとか將軍様だとか云ふものが無くなつて、皆同等の人間として取扱はれる時が來るというて見た処で、それを信ずるものは一人も無かつたに違ひない。けれども時が來れば大名も無くなる、将軍もなくなる。今僕が(こゝ)で君に話したやうな事を、仲間の奴等に聞かして見た処で仕方がない。

 いや、僕にしてからが是からの社会は()んなであらうとか、何時そんな社会になるであらうと云ふやうな事を深く考へるのは大嫌ひだ。又そんな暇もないのだが、少くも現在自分等は朝から晩までこんな苦しい労働をしても何故浮ぶ瀬がないのか、何故こんな世智辛い社会になつたのか、また自分等と社会とは何ういふ関係になつて居るのかといふ事位は皆が知つて居て呉れなくちやあ困る。僕が先刻(さつき)話したやうな事をだね」

 小林監督は私を非常に愛してくれる。今日も宵から親切に話し続けて今の社会の成立を殆ど一時間に亙つて熱心に説明して呉れた。

「先年大宮で同盟罷工(ストライキ)があつてから、一時社会では非常に()の問題が喧しかつたが、労働者は世間で云ふやうに煽動(おだて)て見た処でさう容易(たやす)く動くものぢやあない。學者なんて云はれる奴等が、同盟罷工と云へば宛然(まるで)お祭騒でもして居るやうに花々しい事に思ふのが第一氣に喰はねえ。縦令(よし)んば煽動(おだて)たにしろ、また(そゝのか)したにしろ、君も知つての通り()の無教育な連中が一個月なり二個月なり、飢渇を忍んで團結すると云ふ事實の底には、どれ程の苦痛や悲哀があるのか知れたものではない」窪んだ眼は今にも火を見るかと思はれるばかり輝いて、彼の前にはもう何者もない、彼はもう去年プラットホームで私の爲に工學士を突き(とば)した工夫頭ではなくて、立派な一角(ひとかど)の學者だ。感にうたれ(うなじ)を垂れて聴きとれて居る私の姿が、彼にとつては百千の聴衆とも見えるやうである。

「時の力といふものは恐ろしいものだ。大宮一件以來もう十五年になる、僕達が非常に苦痛を嘗めて蒔いた種が此頃漸く芽を出しかけた。北海道にも、足尾にも、別子(べつし)にも、長崎にも僕達の思想(おもひ)は煙のやうに忍び込んで、労働者も非常な勢で覚醒(めざ)めて來た」

 それから彼が、其火のやうな辯を続けて今にも暴風雨の來さうな世の状態を語つた時には、私の若い燃えるやうな血潮は、脈管に溢れ渡つて、何とも知れず涙の頬に流れるのを覚えなかつたが、私の肩にソッと手を掛けて、

「惜しいもんだ。學問でもさせたら(さぞ)立派なものになるだらう……けれども行先の遠い身だ。其強い感情をやがて世の下層に沈んで野獣の様にすさんで行く仲間の爲に注いで呉れ給へ。社会の事は総て根氣だ。僕は一生工夫や土方を相手にして溝の埋草になつて仕舞つても、君達のやうな青年(わかもの)があつて、蒔いた種の収穫(とりいれ)をして呉れるかと思へば安心して火の中にでも飛び込むよ」

 激しい男性の涙が止めどなく流れて、私は面をあげて見る事が出來なかつた。談話(はなし)が尽きて小林監督は黙つて五分心の洋燈(ランプ)を見つめて居たが人氣の少い寂寥とした室の夜氣に、油を揚る幽かな音が秋のあはれをこめて、冷めたい壁には朦朧と墨繪の影が映つて居る。

「君はもう知つて居るか、足立が辞職するといふ事を」此度は調子を変へて静かに落着いて云ふ。

「エー駅長様はもうやめるのですか!」と私は寝耳に水の驚きを覚えた。「何時(いつ)止めるのでせう、何うして……」と私の聲がとぎれとぎれになる。

「此間遊びに行くと其話が出た。最も以前から其心はあつたんだけれど、細君が引止めて居たのさ」

「駅長様が止めてしまつちやあ……」と私は思はず口に出したが、此人の手前何となく氣がとがめて口を噤むだ。

「其話もあつた。駅長がいろいろ君の身の上話もして、助役との関係も蔭ながら聞いた。若し君さへ好ければ足立の去つた跡は僕が及ばずながら世話をして上げよう」

 其夜私は何処までも小林に一身を任せ度い事、幸に一人前の人間ともなつた暁には、及ばずながら身を粉に砕いても其事業の爲に尽し度いといふ事などを、廻らぬ重い口で固く盟つて宿を辞した。

 長峰の下宿に帰つてから灯を消して床に入つたが蟲の聲が耳について眠られない。私は暗のうちに眼ざめて、つくづく足立夫婦の親切を思ひ、行く先の運命を種々に想ひめぐらして二時の時計を聴いた。

   二十一

 少からず私の心を痛めた、足立駅長の辞職問題は、かの営業所長の切なる忠告で、來年の七月まで思ひとまると云ふ事になつて私はホッと一息した。

 物思ふ身に秋は早くも暮れて、櫟林(くぬぎばやし)に木枯しの寂しい冬は來た。昨日まで苦しい暑さを想ひやつた土方の仕事は、最早(もう)霜柱の冷たさをいたむ時となつた。山の手線の複線工事も大略(あらまし)済んで、案の通り長峰の掘割が後に残つた。此頃は日増しに土方の数を加へて、短い冬の日脚を、夕方から篝火(かゞり)を焚いて忙しさうに工事を急いで居る。灯影に閃く得物の光、暗にうごめく黒い人影、罵り騒ぐ濁聲(だみごゑ)、十字鍬や、スクープや、ショーブルの乱れた処は、宛然(まるで)戦争(いくさ)の後をまのあたり観るやうである。

 大崎村の方から工事を進めて來た土方の一隊は長峰の(もと)隧道(トンネル)に平行して、更に一個の隧道を穿(うが)たうとして居る。丁度其隧道が半分程穿たれた頃の事であつた。一夜霜が雪のやうに置き渡して、大地は宛然鑛石(あらがね)を踏むやうに凍てた朝、例の土方が各自(てんで)に異様な打扮(いでたち)をして、零点以下の空氣に白い呼氣(いき)を吐きながら、隧道の上の常例(いつも)の処で焚火をしようと思つてやつて來て見ると、土は一丈も堕ち窪んで、掘りかけた隧道は物の見事に壊れて居る。

「ヤア、大変だぞ!! こりやあ危い!!」と叫ぶものもあれば「人殺しい、ヤア大変だ」と騒ぎ立てる者もある。

「夜でマア好かつた。工事最中にこんな事があらうものなら、(それ)こそ死人があつたんだ」

「馬鹿ア云へ夜だからこんな事が有つたんだ。霜柱の(せゐ)ぢやあないか」

「生意氣な事を云やあがる、手前見たやうな奴だ。こんな処で押し潰される玉は! (あんま)強吐張(がうつくばり)を云やあがると後生(ごしやう)が無いぞ」

 日がさして瓦屋根の霜の溶ける時分には近処の小売屋の女房も出て來れば、例の子守女も集まつて喧しい騒ぎになつて來た。監督の命令で崩れた土は直ぐ停車場(ステーション)前の廣場に積み上げる、夜を日に次でも隧道(トンネル)工事を進めよといふので、土方は朝から何時に無い働き振りである。

霜日和の晴渡つた其日は、午後から鳶色の霧が淡くこめて、風の()いだ静かな天気であつた。午後四時に私は岡田と交代して改札口を出ると今朝大騒ぎのあつた隧道の処にまた人が群立つて何か事故ありげに騒いで居る。()うしたのだらう。又土が崩れたのではあるまいか。さうだ(それ)に違ひないと(ひとり)で決めて見物人の肩越しに覘いて見ると、土は今朝見たまゝ、大かた掘出して丁度井戸のやうになつて居るばかりで別に新しく崩れたといふ様子もない。

「何うしたんだい、誰か負傷でもしたの」と一人が聞くと、「人が出たんですとさ、人が!」と牛乳配達らしいのが眼を丸くして云ふ。私は事の意外に驚いたが、若しやと云ふ疑念が電光のやうに閃いたので、無理に人を分けて前へ出て見た。

 疑念といふのは、土の崩れた中から出た死骸が、フト私の親んだ乞食の少年では無いだらうか、少年は土方の夜業をして捨てて行つた(もえさし)にあたる爲に隧道の上の菰掛の假小屋に來て居たのを私は度度見た事があつたからである。見ると死骸はもう(むしろ)に包んで顔は見えないけれども、まだうら若い少年の足が其菰の端から現はれて居るので、私はそれが彼の少年にまぎれもない事を知つた。

 (あゝ)可憐(かあい)さうな事をした !

何処からともなく襲うて來た一種の恐怖が全身に(しび)れ渡つて、私はもう再び其菰包を見る事すら出來なかつた。昨日まであんなにして居たものを、人間の運命といふものは實に分らないものだ。何といふ薄命な奴だらう、思ふに昨夜の寒さを凌ぎかねて、焚火の(もえさし)の傍に菰を被つたまゝ(うづく)まつて居た処を、急に崩れ落ちて、こんな淺猿しい最期を遂げたに相違あるまい。

 少年の事情はせめて小林監督にでも話してやらう。私は顔をあげて死骸の傍に突立つて居る逞しい労働者の群を見た。薄い冬の夕日が、弱い光を其赭顔(あからがほ)に投げて、猛悪な形相に一種いひしれぬ恐怖と不安の色が浮んで居る。たとへば猛獣が雷鳴を怖れて其鬣(たてがみ)の地に敷くばかり頭を垂れた時のやうに、

巡査(おまはり)が來た!」

「大將も一処ぢやあ無いか」「大將が來たぞ!」と土方は口々に囁く。やがて小林監督は駐在所の巡査と伴立(つれだ)つてやつて來た。土方達は云ひ合はせたやうに道をあける。

   二十二

「好い成佛(じやうぶつ)をしろよ!」と小林の差圖で工夫の一人がショーブルで土を小さい棺桶の上に落した。私はせめてもの心やりに小石を拾つて穴に入れる。黙つて居た一人が此度は横合から盛り上げてある土をザラザラと落したので棺はもう大かた埋もれた。

 小坊主が、人の喉を詰らせるやうな冷い空気に(むせ)びながら、鈴を鳴らして読経(どきやう)を始めた。

 小林は洋服の儘角燈を提げて立つて居る。

 私が変死した少年の事に就て小林に話すと、彼は非常に同情して、隧道(トンネル)の崩れたのは自分の監督が行き届かなかつたからで、他に親類(みより)がないと云ふならば、此儘村役場の手に渡すのも可憐さうだから乃公(おれ)が引取つて埋葬してやるといふので、一切を引受けて三田村の寂しい法華寺(ほつけでら)の墓地の隅に葬る事となつた。尤も此寺といふのは例の足立駅長の世話があつたのと、納豆売をして居た少年の母の事を寺の和尚が薄々知つて居たのとで、案外早く話がついて、其夜のうちに埋葬してしまふ事になつたのだ。

 今夜は何時になく風が止んで、墓地と畑の境にそゝり立つた(はんのき)の梢が煙のやうに、冴え渡る月を()いて物すごい光が寒竹の藪をあやしく(くま)どつて居る。幾つとなく群立つた古い石塔の暗く、また明く、人の立つたやうなのを見越して、なだらかな岡が見える。其岡の上に麦酒(ビール)会社の建築物が現はれて、黒い輪廓があざやかに、灰色の空を区劃(くぎ)つた処など、何とはなしに外國の景色を見るやうである。

 咽ぶやうな、絶え入るやうな小坊主の読経は、細くとぎれとぎれに続いた。小林監督は項垂(うなだ)れて考へ込むで居る。

    ×  ×  ×

「工事が済み次第行くつもりだ。暫らく彼方(あつち)へ行つて働いて見るのも面白からう。同志は直ぐにも來てくれるやうにと云ふのだけれど今此処を外す事は出來ない。それに正軌倶楽部の方の整理(しまつ)も付けて行かなけりやあ困るのだから、早くとも來年の三月末頃にはなるだらうな」

「さうなれば私も非常に嬉しいのです。停車場の方も此頃はつくづく嫌になりましたし、成るたけ早く願ひ度いのです」と私は心から嬉しく答へた。

「駅長も來年の七月までと云ふ事だし、それに彼地(あつち)へ行けば、同志の者は僕を非常に待つて居て呉れるのだから、君も今より少しは好い位置が得られるだらうと思ふ。旁々(かたがた)君の爲にはマア幸福かも知れない」

「足立様も満足して下さるでせう」

()の男も実に好人物だ、郷里の小學校に居た時分からの友達で、鐵道に勤めるやうになつてから最早(もう)二十年にもなるだらう。最早少し覇気(はき)があつたなら相當な地位も得られたらうに、今辞職しちや細君も嘸困るだらう」

 二人は話しながら、月の光を浴びて櫟林(くぬぎばやし)の下を長峰の方にたどつた。冬の夜は長くまだ十時を過ぎないけれども往來には人影が杜絶(とだ)えて、軒燈の火も氷るばかりの寒さである。

 長崎の水谷造船所と九州鐵道の労働者間に此度余程強固な独立の労働組合が組織されて、突然其組織が発表された事は二三日前の新聞紙に喧しく報道された。私は其組合の幹部が皆小林監督の同志であつて、春を待つて私達が其組合の事業を助ける爲に門司(もじ)に行かねばならぬといふ事は夢にも思はなかつたが、今夜小林監督に其話を聞いて、私は非常に勇み立つた。

 實を云ふと私が門司に行くのを喜んだのは一つには目黒を去ると云ふ事があるからである。私は此頃、馴染の乗客に顔を見られたり、また近処の人に遇つたりすると、何だか「彼奴(あいつ)も何時まで駅夫をして居るのか」と思はれるやうな氣がして限りなき羞恥を覚えるやうになつて來た。その羞しい顔を何時までも停車場にさらして人知れぬ苦悩を胸に包むよりも、人の生血の波濤(おほなみ)()のあたり見るやうな、烈しい生存の渦中に身を投げて、心ゆくまで戦つて戦つて、戦ひ尽して見たいといふ悲壮な希望に満たされて居たからである。

 私は雨戸を締る爲に窓の障子を開けた。月の光は霜に映つて、宛然(まるで)白銀の絲を引いたやう。裏の藪で狐が鳴いた。

   二十三

二十歳(はたち)の春は來た。

 停車場(ステーション)も何時の間にか改築される、山の手線の複線工事も大略(ほゞ)出來上つて、一月の十五日から客車の運転は從來(これまで)の三倍数になつた。最早是までのやうに気楽な事も出來ない。私達の仕事は非常に忙しくなつて來た。

 鐵道國有案が議会を通過して、遠からず日鐵も官営になるといふ噂は、駅長の辞意を(いよい)よ固くした。

 私は仕事の忙しくなつた事を寧ろ歓んで迎へた。前途(ゆくさき)期待(まちまうけ)のある身に取つては物思ふ暇のない程嬉しい事はない。一月も二月も夢のやうに過ぎて、南郊の春は早く、梅も鶯も共に老いた。

 佳人の噂はとかく絶える(ひま)もない。高谷千代子は今年『窮行女學院』を卒業すると直ぐ嫁に行くさうだといふ評判は出札の河合を中心として此頃停車場の問題である。

「女といふものは処女(むすめ)のうちだけが花よ。學校に居れば又試験とか何とか云うて相応に苦労がある。マア學校を卒業して二三年親の処に居る間が女としては幸幅な時だね。學校を卒業すると直ぐお嫁にやるなんて乳母も乳母だ。あんまり氣が利かな過ぎるぢやあ無いか」生意氣な河合はまるで演説でもするやうに喋る。

「ヒヤヒヤ、二三年目黒に居て時々停車場へ遊びに來るやうだと猶好いだらう」と柳瀬といふ新しい駅夫が冷かすと、岡田が後へ尾いて「柳瀬なんぞは知るまいが之には深い原因があるのだね、河合君は知つて居るさ、ねえ君!」

「藤岡なんぞあれで一時大に(ふさ)ぎ込んだからね」と私の方を見て冷笑する、私は思はず顔を(あか)らめた。

 姿なり、打扮(いでたち)なり、婦人といふものは成るだけ男の眼を惹きつけるやうに装うてそれでやがて男の力に依つて生きようとするのだ。男の思を惹かうとする処に罪がある。それは婦人が男に依つて生きねばならぬ社会の罪だ。罪は罪を生む。私達のやうに汚れた、疲れた、羞しい青年は、空しく思を惹かせられたばかりで、そこに嫉妬(やきもち)が起る。そこに誹謗(そしり)が起る。私は世の罪を思うた。

    ×  ×  ×

 三月十八日は高谷千代子の卒業日、私は非番で終日長峰の下宿に寝て居る積りであつたけれども、何となく氣が鬱いで遣瀬(やるせ)がないので、家を出ると其儘多摩川の二子(ふたこ)の方に足を向けた。木瓜(ぼけ)の花と菫の花とが櫟林(くぬぎばやし)の下に咲き乱れて居る。其疎(まばら)な木立越しに麦の畑が遠く続いて、菜の花の上に黒ずんだ杉の林のあらはれた処など、景色も道も単調ではあるけれど、静かな武蔵野の春に我知らず三里の道を行き尽して、多摩川の谷の一目に見渡される、稻荷坂に出た。

 稻荷坂といふのは、(もと)布哇(ハワイ)公使の別荘の横手にあつて、坂の中程に小さい稻荷の(ほこら)がある。社頭から坂の両側に続いて櫻が今を盛りと咲き乱れて居る。たまさかの休暇を私は春の錦といふ都に背いて思はぬ処で花を見た。祠の縁に腰をかけて、私は此処で『通俗巴里一揆物語』の読みかけを出して見たが、何となく氣が散つて一頁も読む事が出來なかつた。私は静かに坂を下りて、岸に沿うた蛇籠(ぢやかご)の上に腰かけて静かに佳人の運命を想ひ、水の流れをながめた。

 此一個月ばかり千代子は何故あんなに鬱いで居るのだらう。汽車を待つ間の椅子にも項垂(うなだ)れて深き想に沈んで居る。千代子の苦悩は年頃の処女が嫁入前に悲むといふ、其深き憂愁(うれひ)であらうか。

 群を離れた河千鳥が(みぎは)に近く降り立つた。其鳴き渡る聲が、春深い霞に迷うて真昼の寂しさが身に沁みるやうである。

   二十四

 四月一日私はいよいよ小林浩平に伴はれて門司へ立つのだ。三月十五日限り私は停車場(ステーション)をやめて何くれと旅の仕度に()はしい。例へば浮世繪の巻物を(ひろ)げて見たやうに淡暗(うすぐら)硝子(ガラス)の窓に毎日毎日映つて來た社会のあらゆる階級のさまざまな人達、別離(わかれ)と思へば恋も怨も皆夢で、残るのは只なつかしい思ひばかりである。森も岡も牧場も水車小屋も、辛い追懐(おもひで)の種ばかり、見るに苦しい景色ではあるけれど、これも別離(わかれ)と云へばまた新しい執着を覚える。

 旅の支度も大かた済んだ。別離の心やみ難く、私は三月二十九日の午後、権之助坂を下りてそれとはなしに大鳥神社の側の千代子の家の垣に沿うて、橋和屋といふ料理屋の傍から大崎の田圃(たんぼ)に出た。

 蓮華(れんげ)、鷺草、きんぽうげ、鍬形草、暮春の花はちやうど繪具箱を投げ出したやうに、曲りくねった野路を飾つて、久しい紀念(おもひで)の夕日が岡は、遠く出島のやうに、メリヤス会社の処に尽きて居る。目黒川は其崎を繞つて品川に落ちる、其水の淀んだ処を亀の子島といふ。

 大崎停車場は軌道(レール)の枕木を黒く焼いて拵えた(あらつ)ぽい柵で囲まれて居る。其柵の根には目覚むるやうな苜蓿(クローバー)の葉が青々と茂つて白い花が浮彫のやうに咲いて居る。私はいつか此苜蓿の上に横はつて沈鬱な灰色の空を見た。品川発電所の煤煙が黒蛇のやうに(うづま)きながら、亀の子島の松をかすめて遠い空に消えて行く。私は其煙の末をつくづくと眺めやつて、私の來し方のさながら煙のやうな事を思うた。

 遠くけたゝましい車輪の音がするので振り返つて見ると、目黒の方から(ほろ)をかけた人力車が十臺ばかり、勢よく駆けて來る。雨雲の低く垂れた野中の道に白い砂塵が舞揚つて、青い麦の畑の上に消える。車は見る見る近づいて、やがて私の寝て居る苜蓿の原の踏切を越えた。何の氣もなく見ると、中央の華奢(きやしや)な車に盛装した高谷千代子が居る。地が雪のやうなのに、化粧を(こら)したので顔の輪廓が分らない、一寸私の方を見たと思ふと直ぐ顔をそむけてしまうた。

 佳人の嫁婚(よめいり)

 油のやうな春雨がしとしとと降り出した。ちやうど一行の車が御殿山の森にかくれた頃の事である。

 翌日私の下宿に配達して行つた新聞の『花嫁花婿』といふ欄に、工學士()鉦次郎の写真と、高谷千代子の写真とが掲載されて、六號活字の説明にこんな事が書いてあつた。

 工學士蘆鉦次郎氏(三十五)は望月貞子の媒酌にて窮行女學院今年の卒業生中才色兼備の噂高き高谷千代子(十九)と昨日赤阪の八百勘にて結婚式を挙げられたり。猶同氏は新たに長崎水谷造船所の技師長に聘せられ來る四月一日新婚旅行を兼ね一時郷里福岡縣八女郡白木村に帰省せらるゝ由なり。

 蘆鉦次郎──高谷千代子──水谷造船所──四月一日、私は暫く新聞を見つめた儘身動きも出來なかつたが、私の身邊に何か目に見えない恐ろしい運命の絲が纏ひついて居るやうな氣がして、我知らず手を伸べて頭の髪を物狂はしきまでに掻きむしると、其手で新聞をビリビリ引裂いて仕舞つた。

   二十五

 品川の海はいま深い夜の(もや)に包まれて、愛宕山(あたごやま)に傾きかけた幽かな月の光が、宛然(まるで)夢のやうに水の面を照して居る。水脈(みを)(いまし)める赤いランターンは朦朧と四邊(あたり)の靄に映つて、また油のやうな水に落ちて居る。

 四月一日午後十一時十二分品川発下の關直行の列車に乗る爲に小林浩平と私は品川停車場のプラットホームに、新橋から來る列車を待ちうけて居る。小林は午後三時新橋発の急行にしようと云うたのを、私は少し氣がかりの事があつたので、強て此列車にして貰つた。

最早(もう)十五分だ」と小林はポケットから時計を出して、角燈(ランプ)の光にすがめて見たが、橋を渡る音がしてやがてプラットホームに一隊の男女が降りて來た。

 私達の休んで居る待合の中央の入口から洋服の紳士が、靴音高く入つて來た。得ならぬ(かをり)がして、花やかな裾が灯影にゆらいだと思ふと其背後から高谷千代子が現はれた。

 云ふまでも無く男は蘆鉦次郎だ。

 見送の者は室の外に立つて居る。男は角燈の光に私達の顔を見つめて突立つたが、やがて思ひ出したと見えて、身軽に振り向くとフイとプラットホームに出てしまつた。

 果して彼は私達を覚えて居た。

 取のこされた千代子は、稍うろたへたが一寸瞳を私にうつすと、其儘蘆の後を追つてこれもプラットホームに出る。佳人の素振りはかゝる時にも、流石に巧みなものであつた。

「見たか?」と小林はニッコリ笑つて私の顔を覘いたが「睨んでやつたぞ!!」と云ふ。私は流石に見苦しい敗卒であつた。よもや蘆が此列車に乗らうとは思はなかつた。此夜陰に何といふ新婚の旅行だらう。私は有らゆる妄念の執着を断ち切つて、新しい將來の爲に、花々しい戦闘の途に上る。其初陣(うひじん)の門出に迄も、怪しい運命の絲につき纏はれて、恨み散り行く花の精の抜け出したやうな、彼女の姿を、今(こゝ)で見るといふのは何たる事であらう。

 潮が満ちたのであらう。(ゆる)く石垣に打寄せる水の音、恐ろしい獣が深傷(ふかで)にうめくやうな低い工場の汽笛の聲、さては電車の遠く去り近く來る轟きが、私の耳には今宛然(まるで)夢のやうに聞えて、今見た千代子の姿が何となく幻影のやうに思ひ()された。

「おい、汽車が來たやうだよ」といふ小林の聲に私は急いで手荷物を纏めてプラットホームに出た。

 何時の間に來たのか乗客は可なりにプラットホームに群て居る。蘆の姿も千代子の姿も更に見えない。私は三等室に入つて窓の際に小林と相対して座を占めた。一時騒々しかつたプラットホームもやがて寂寞として、駅夫の靴の音のみ高く窓の外に響く。車掌は発車を命じた。

 汽笛が鳴る……

 煙の喘ぐ音、蒸汽の漏れる聲、列車は徐々(ゆるゆる)として進行を初めた。私はフト車窓から首を出して見た。前の二等室から、夜目にも鮮やかな千代子の顔が見えて、(たし)かに私の視線と會うたと思ふと、フト消えてしまつた。

 急いで窓を閉めて座に就くと、小林は旅行鞄の中から二個の小冊子を出して、其一部を黙つて私に渡した。スカレット色の燃えるやうな表紙に黒い「総同盟罷工(ゼネラル・ストライキ)」といふ文字が鮮やかに読まれた。小林の知人で此頃政府から酷く睨まれて居る有名な某評論家の手になつた翻訳である。一時京橋の或る書肆(しよし)から発行されるといふ評判があつて、其儘立消(たちぎえ)になつたのが、どうしたものか今配布用の小冊子になつて小林の手にある。巻末には発行所も印刷所も書いてない。

 汽車は今追懐(おもひで)の深い蛇窪村(じやがくぼむら)の踏切を走つて居る。

(明治四十年十二月「新小説」)

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2001/11/26

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白柳 秀湖

シラヤナギ シュウコ
しらやなぎ しゅうこ 本名・武司 小説家・評論家 1884・1・7~1950・11・9 静岡県引佐郡に生まれる。前期自然主義と初期社会主義から創作し、大逆事件以降は社会評論活動に転じた。

掲載の「驛夫日記」は、1907(明治40)年12月「新小説」初出。前年春に出た島崎藤村「破戒」を継承する社会的自然主義の記念碑的作品として忘れがたい。

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