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大盗マノレスク

    一

 

 日比谷公園における英国東洋艦隊の歓迎会は、日本人がこんなにも国際人だという証左(しょうさ)と、そしてまた、明治中葉のいちじるしい徴候であったところの文明開化の思想がようやく絶頂期から退潮期に入ろうとする時にあたって、最後の火芯(かしん)をあわてて掻立てるように、東京市民は、ほとんど手ぐすねひいた恰好で、この国際的儀礼の計画に常軌を逸したほどの熱狂ぶりを示した。

 新橋停車場から会場までの沿道は、文字どおり人をもって埋めつくしたのは当然だけれど、それ以上にまたその人々の姿や顔を同盟両国の国旗ですきまもないほどに()いかくしてしまったことは、見るからに壮観であった。公園正面の緑門(アーチ)には飾り電燈で市の紋章をとりつけその下にウヱルカムという大きな横文字をいき花で現してあるのが目立った。夜は場所をかえて紅葉館で日本料理の饗応があって、音になだかい美人女中が深窓にそだった令嬢のようなものごしで自慢の「胡蝶(こちょう)の舞」や「土蜘蛛(つちぐも)」をまいおさめるとその途端に、正面上下の三百個にちかいぼんぼりが一斉に色を変える趣向だった。

 そのほかに、二日にわたって花電車がねり出すし、それからまた高級な歓迎会ばかりではなく、相撲だとか玉乗だとか、乃至(ないし)は撃剣や柔術のような主として遠来の水兵たちを(ねぎ)らうための平民的な余興がいたるところで催された。云ってみれば其の一つ一つはそのころの日本の、可能の範囲内における最大の好意をあらわす手持品の全部を出し切ったということができたのである。

 花火は断念(あきらめ)のいい東洋哲学のように青い空に(はじ)けては散って行き、また散って行った。そしてそれに呼応して地上には熱し易い市民がただ歩くだけでも歓迎の印だと誰かと決議でもしたかのように、無数の人垣をきずいて練り出していた。もちろん、これは大局的な展望であってもし詳細に一人一人の人生について論じたとしたら、それは亦、ぜんぜん別個の事情を有している人間のほうが多かったかも知れないけれども、にもかかわらず、街頭は一見例外のない歓呼のるつぼと化して、一日じゅう、際限のないどよみを打返していると云うよりほかは言葉のないありさまだった。

 玉乗曲芸などの幔幕(まんまく)で仕切った中のほうが、それにくらべたなら、かえって、遙かに外部のどよみよりかは静かに独立していた。たとえば、室町裏の空地に小屋掛した大津団八一座という玉乗場のなかの如きは奇妙なくらい(しん)としずまりかえって客はさっきから同じ恰好をして上を見あげていた。頭をうろこのように並べ、顔の傾斜もまなこの配りも、ひとりの人間のように全然同じだった。目標となっているのは一人の若い玉乗師の男が少女を肩に立たせたまま二つの玉を両足でたくみにあやつりながら段々と走りをつけて行くうち、極点に達したかと見ると、一つの玉を片足でぽんと蹴って自分はこっちの玉の上に立ち、少女はダイビングの(かたち)で離れゆく今一つの玉の上にエイヤと跳びうつっていた。

 千八百九十八年クリ—ト島におこった回々(フイフイ)教徒の叛乱を鎮圧(ちんあつ)して英国の最高勲章を授ったことで世界に盛名をはせた東洋艦隊の司令長官ノーエル大将が、このとき、何うしたことか、この玉乗(たまのり)小屋の中にふいに入ってきた。大将の考えるところでは、一つの儀礼として今回の歓迎にたいして水兵のために設けた興行物のすえに到るまでも、一応みまわっておく必要を感じたのだろう。それともまた他の理由があったのか、とにかく大将がはいってきたとき偶然にも舞台は今までの芸がおわって日英両国旗をたずさえた無数の少女がおのおのの足の下の玉を流るる早さで踏んまえながら次々と中央へ練り出しているところであった。

 大将の聡明な頭脳は、この偶然を(もと)よりすぐ察知はしたものの非常に満足な表情をした。軍帽の下からのぞいている純白なかみの毛が却って威厳をそえているほか、無髯の容貌はまるで宗教家のようにおちついて柔和であった。それと知ると、場内の顔は、書物の(ページ)が風にめくれたように一斉にうしろを振りかえった。その中で、まんなかの特設席に陣どった英国水兵の一団は、あまり整然とではなかったが、しかし極めて自然に立上った。そしていかにも親しみのある手の表情で敬礼をした。将兵のたがいの顔には云い合せたように幸福がみなぎっていた。この瞬間のできごとの後では、水兵たちはもう何らの顧慮もなく再び舞台のほうへ目をうつした。「おやじ」が特別そばにやって来たからとて、また目のとどかぬ遠方にいようとても、いつもかわりのない我等のおやじであり、そしてそれはもう全部をまかせ切った大番頭だと云わんばかりに彼等の態度は安心しきっているのが見うけられた。

 前垂ほどの小さい絨毯(じゅうたん)の上に周囲をあけて孤島のように据えた椅子に、大将はものの五分とはとどまっていなかった。耳の(せん)でも吹き飛ばしかねないあらっぽい楽隊(ジンタ)が鳴りだしたとき、大将は充分な義務を了えて場内から去った。そのときになって、今まで礼儀正しくだまっていた右側の日本人席の中から手にもつ旗を臆病らしくふって「ハラー」と聞覚えのことばを間のびのした奇声で発した者があった。するとこれが場内中を笑いにしてしまった。まず近くの日本人が笑い、それから肩でもゆすぶるように真ん中の英国水兵たちにも感染した。彼等は手をうち足ずりして一層おおげさに笑った。

 この笑った水兵の中の一人が――彼はたしか兵曹長ぐらいの階級であったろう――突然、何うしたわけかその笑いをひっこめて日本人席の片隅へぴたりと視線をとめた。おそらく、砲身にとりついた標尺をつける時のほかには滅多に見られない表情だったにちがいないのである。それから、その兵曹長は首をちょっと振って目を他にそらしたが、それ以後はつきものに()かれたように平静を欠いたありさまで時々そっちを見ないでは居られない運命に陥ってしまった。

「なあ、不思議なこともあるもんだよ」

 兵曹長はやがて、隣の同僚にはなしかけた。今感じている、おのれのほやほやの本心を打明けようとした模様であったが、あいにく、隣の(やっこ)さんは舞台の少女の異様に短かい肉体にみとれている最中であった。そのために彼はこの企てを中止して再びまた無言の行にたちかえり又しても気になる方角へ目をむけずにはおられなかった。

 日本人席の片隅といっても、兵曹長が目をとめたのは丸柱の蔭で、これが 本式の建物なればさしずめ外廊下にあたる位置だったが、そこへ目を注いだほどの人ならば兵曹長でなくも誰でもおそらく一様に目を(みは)ったであろう。何故となれば、その位置に腰かけている男女の二人づれが、あまりにも他の見物人の中にひときわ目立つ存在として屹立していたからであった。男のほうは何国人かわからないが若い白人で、日本流にいえばあかぬけがしているとでも云うのか一点の非のうちどころもない、おそろしいほど完全な美貌をしていた。女は和服の少女で日本の令嬢階級に属することは一目でわかるが、高貴というよりは豪奢(ごうしゃ)なそだちとでも云うのか服装の点ばかりでなく、経済上の卑屈からくる多くの女性にみる濁った影が爪のあかほども感じられなかった―― それは殆んど稀にみることだ――そのため、こんな片隅に陣どっていながらもまるで一興行かいきった女王のようにつんと正面をきっている姿は一段と高い椅子にでもおさまっているようにさえ見えた。

「いや、ほんとに不思議なこともあればあるものだ。ふうむ、驚いたと云ってまったく今日くらい……」

 兵曹長はしかし又ぞろ、半分でつぶやきを止めてしまった。やはり隣の同僚はまだ()みもせずに舞台の少女の尻のあたりを目でおいまわしていたからであった。あんな小さい娘は一つどんな塩梅(あんばい)かな、とでも異国の空想にふけっているらしい相手には、金槌ででも亀裂(ひび)()らせてからでなくては所詮話の持って行きようがなかった。(ちっとは国の女房のことでも考えてみろやい)

 けれど、十数分間ののちには、くだんの兵曹長はとうとう玉乗小屋を一緒に出かけようとする同僚をとらえて肩を叩きながら、目的の話題をまんまと先刻からねらっていた相手の耳へねじこんでいた。

「奴はたしかにマノレスクだぜ。おい、知ってるかい、世界をまたにかけて散々にあばれまわっている美男の大盗だよ。やれやれ、あいつが日本に来ているのかな、驚いたもんだ、何しろ名高いやつさ、女たらしでね、世界中の宝石商を骨抜(ほねぬき)にしてしまったものだ。(くわ)しくいうとルウメニヤ人のゲオルグ・マノレスクっていうんだ、おれはあいつが、まだガラツの海軍兵学校で模範生だったころを知っている、そうよ、おれはこう見えてもこれで委託兵として少佐殿のお供でそのころ見学に行ってたから間違いない。みものだな何しろマノレスクのやつが遥々日本に来ているなんて、いったいこれからどんな騒ぎがもちあがるか、え、おい、ぞくぞくする話ってこのことだぜ」

 

    二

 

 銀座の「かがみ会」というのは片がわだけの町内会であったが二十七の飾窓をもっていた。こんどの英艦隊の歓迎にはこの飾窓をぜんぶ模様替えすることに申合せをした。このことが唇をちょっと染めるほどに手がるく決議されたのは、おそらくこの会の人々の誰もがそれぞれいくぶんかずつ国際人たるの資格をもっていたからであろう。

 そのなかで、有名な玉天堂では紫水晶の葡萄の房を陳列したが、勿論これは非常な評判であった。それというのは房ばかりでなくそれにプラチナの蔓をからませ、翡翠(ひすい)でこしらえた蟋蟀(きりぎりす)がいかにもよくできていたし、同じ翡翠の葉のおもてには朝露の見立てで真珠の玉がちりばめてあった。「ひと(ふさ)二万円」と新聞が大見出しでかきたてたため、わざわざ遠方から見物にやってくる者もひきもきらぬありさまで、かがみ会の飾窓は玉天堂がその人気を完全にさらってしまった形であった。もちろんこの人気は直接英艦隊の歓迎とはなんの関係もなかったけれど。

 尾崎市長ののベた歓迎の(ことば)を刷りこんだ新聞の号外が市中をはしりだしたころ、玉天堂の主人の馬越栄一は号外でない本ものの刷物を手にもって会場から帰ってきた。赤い絹糸でとじた歓迎会のプログラムの表紙にはノーエル大将と尾崎市長の写真がむかいあってかかげてあった。馬越栄一はふるい市会議員で東京では多額納税者の一人であるが、わりあいに名誉欲にとらわれずどっちかというと手がたい商人タイプの人間であった。それゆえに、こういう騒ぎのときにはやはり頭は磁石(じしゃく)仕掛のように自然とすぐ商売の方にかたむきがちで、紫水晶の葡萄の趣向もじつは栄一自身がじぶんの経営する加工工場に注文してつくらせたものであった。彼はたぶんこんな風に考えているのだろう。(まあまあ見ていなさい、やりばのないこの贅沢とみえる品からでも、今にどんな必要がとびだすか)

 全く彼はいつも無駄とは近づきがなかった。たとえばそれは一つの奇術のようなもので、どんな柔軟性のしぐさの中からでも必ず何か一品をとりだすことを忘れなかった。現在もそうした意識の下に一人の外国人を自邸で世話をしていたが、贅沢な葡萄の房のように彼はこの行為がけっして無駄に終らない確信をもっていた。

「アトラント公爵は、まだ帰らんかね?」彼は家に帰るとまずそういって女中に訊いた。層雲に鶴の欄間(らんま)のはまった下でこの名を口にする気持は、彼にとっては何か世界的な実業家を意識することでもあるらしかった。「ああまだかい。洋間はよく掃除しておいたろうね、外人は綺麗ずきだから隅々までごみの残らないように注意してくれにゃいかんよ――騒々しい所から帰ってくると何よりも清潔が一ばん有難いもんだからね。窓を一寸あけておくれ。それから……書類函をこっちに!」

 花火の音が外でしていた。陽はまだあったのにもう夜空をつたえるような音だった。書類函の中には今日の午後の便でとどいた親展書が数通はいっていた、それから店へのぶんが一通、それは最近のカタログに刷込むはずの岸田吟香(ぎんこう)閲の今様(いまよう)の校正刷であった。「玉天堂のほうしんを、ひとくちざっと申すなら、みそらの星を地にうつし、人のからだにゆびさきに、平和のたからちりばめて、四海たのしいパラダイス――」彼にはしかし今様はわからなかった。もし強いて好悪をのべる必要があるとすれば気に入らなかった。何よりもこの軽い調子というものが彼にはなずめない最大原因であったが、今ひとつの原因は、手近のアトラント公爵を利用する考案が彼の頭の一隅でこのほどから生れかかっていたためであった。(顔の写真を一つ載せただけでも、このうたよりは、よっぽど大きな波動があるだろう。こればかりははずれることのない金の的だ――)

 その本尊のアトラント公爵は、それから三十分もたたないうちに馬越邸に帰ってきていた。名画でも搬入されるようにすばらしい美貌が路地口にはいってきた時、この若い公爵がもしも室町の玉乗小屋の中にいた外人だと知る者があったら(そしてその上に、兵曹長の語ったことを知っていたとしたら)驚愕(きょうがく)以外のなにものでもなかったろう。ここでも、目印となる例の()れの令嬢が一緒であったが、洋間におちついた所をみると彼女はこの家の娘であった。中庭をよこぎるとき「お母さん、ただ今ッ」と彼女が母家(おもや)にむかって叫んだときにもう(すで)にその事はわかったが、洋間では出てきた女中たちを主人(あるじ)としてよりほか使えない使いかたをした事で一層それが明白になった。たとえば、奥へ行って茶箪笥の右の抽匣(ひきだし)から何々を出しておいでと命じたりするような按配に――。

「やっと人心地がついたこと。アトラント様もおつかれでしたでしょう?」彼女は女中のはこんで来た熱い紅茶を半ぶん程ひといきに呑み干すと、湯気のなかからいった。むしろ、丸い鼻だのに何かつんとした感じのする鼻柱が(玉乗小屋でもそう感じたが)むらだつ湯気を二分して白く妙に情感をそそる位置にあった。「……靴の底で道普請(みちぶしん)でもする気でなくてはとても歩けない路でしょう」

「無論よくありませんね。でも、それほどではありません」と男はまがおに答えた。「もし、私が、全然(おし)の旅行だったとしたら、それは或いは、この数倍もつかれたかも知れませんね――処が、あなたの語学力は私にすこしも退屈させませんでした。私はつまりたえず、小さい精巧な楽器と一しょだったも同様に愉快きわまりなかったのです。まだ五里ぐらいだってあるけますよ」

「まあ! お上手ですこと」と女はその意味を解釈すると、どこかにつんとした態度をとりおとしたほど急激にはじらった。「語学力だなんて、もうそのお話はおっしゃらないで。私はまた、ちょうど、路のまんなかでも、玉乗小屋の中でも、まるで学校の試験場のようなきもちでした――アトラント様は私をつまりもう一ぺん学校の教室に追いこんでおしまいなすったのね」

「私だって、そんな事をいえば、東洋のお蔭で、みるもの聴くもの幼稚園の子どもも同然ですよ」

「でも、何もお珍らしそうになさらないじゃありませんの」

「全部が珍らしいのです。そんな時は、人間の表情なんて却って白紙のようになるものですよ」

「でしたら」と彼女はいった。「玉乗はお珍らしくって? どう?」

「あれは少し単純すぎますね。音楽でももっと工夫したら好いかも知れませんけれど」

「それごらんなさい」

「でも珍らしかった事に変りはありませんよ」と男はおちついていって彼女のほうヘ(ひとみ)をむけた。意識的でないにしても、天性の美しいかれの瞳がせい一杯のつやを帯びておそらく最良の条件にあるらしく、ぱっちりとこっちを見ていた。「元来、ほんとうの事をいうと、珍らしいものというのは形の上ではありませんね。形の上の珍らしさというものは仔細に点検するとあんがい世界共通のものです――見せていただいた東洋の剣舞(けんぶ)なんかもあの型は世界いたるところにあります。また、表のショウインドウの葡萄の房も、実はあれと殆んど同じ趣向のものをロンドンの百貨店街で見かけたことがありますからね。私の見解では、真の珍らしいものというのはかえってもっと無技巧な形の中にまぎれ込んでいるものです。たとえば…… 」

「はあ、たとえば?」

 と、女は促すように返事をした。もし彼の珍らしいものが分るなら、この異国の貴族に彼自身の口で歓待の方針をたてさせるも同然だったからである。玉乗でも、剣舞でも好奇心をとらえ得ないとわかった今では、それにかわるべきものはなにか? 早くそれを知りたかった。

「待って下さいよ、私もべつにそう豊富な材料をもっているわけでは無いのですから」と男はいった。「完全には適切でないかも知れませんが、まあ中くらいなところを云いましょう。たとえばですね、われわれの目にも、東洋の空気の中でみる宝石の色なんて、まずとても素晴しいものです。もちろん指頭工業のすぐれた貴国のせいもあるでしょうが、もっぱらこれは水蒸気のためですね。即ち空気のちがいです、この空気というやつは人工以外のものですからね。私は赤ん坊が空の色を見分けた時のような気持で毎日お店の陳列品を横目でながめながらひそかに讃嘆してその前をとおっているわけです。そして、沙漠のまんなかで欲得もなんにもなくなってしまった人間のような気持でこんなことをいうんですよ。ごくごく恬澹(てんたん)にね」

「わかりましたわ」と女はいった。「玉天堂の重要品をみんなお目にかけましょう。それならいいでしょう、そして東洋の水蒸気をあなたにたっぷり褒めていただきますわ、私はそのお約束をきっと叶えます、父もよろこぶにちがいありません、父は宝石を自分の心臓の次ぎかそれとも同等ぐらいにさえかんがえているのですから」

 彼女の語学力はこれを言うとき、明らかに最高潮に達していることがみとめられた。

 

    三

 

 世界の距離を普通の人間の半分か三分の一くらいにしか考えていないような大盗マノレスクの広範囲にわたる行動は、同時にそれがわずか二十四にしかならない花のような青年だということで、世界の驚きを二倍にもした。

 処が、今ここにいるアトラント公爵も同じくらいの年配であった。何故といえばそれは同一人だったからである。(兵曹長の見込はあたった!)彼は最初東洋の土をふんだときまず皇帝陛下に面会をもとめることを考えていた。だがそれは来てみてからだいぶ迂遠な考えだったということがわかったので、その計画は直ちにやめにした。(やれやれ、とんでもない事をやらかすところだった)―― そして彼の前には今その次ぎの計画がようやく成功の緒につこうとしていた。

 事実、彼の能力は東洋の土をふんでも少しも劣ろえをみせていなかった。新橋の社交倶楽部で知りあいになった女性がこの国で有数の宝石商の娘だったということは何よりもマノレスク自身をおどろかすに足りた。そしてそこに神と共に海をわたってきた自分を感じた。(何の神か知らないが、いつからか自分にくっついている)しかし、そこにも、少しばかりの思惑ちがいはあった。もっとも、その思惑ちがいは目的の齟齬(そご)ではなく、かえってその反対であった。というのはその宝石商の家庭に一足とびに入りこむことができたからである。おおかた、神様が腕によりをかけたからであろう。およそ、世界のどこのはてでもこんなにうまく行った(ため)しはなかった。だから、これもひとつの思惑ちがいといえるのである。そのうえに、も一つあきれたことは、娘が手引きをしてくれたことはだいたいこれまでの型どおりであったが、その娘との恋愛がまだすこしも熟していない点において彼には全然の新型であった。西洋では、恋から持ちかけていかなければ一回の例外もなくこのはこびには到達できなかった。だのに、今度ばかりは()み薬をとりちがえたように前後してあべこべに最後の効目(ききめ)のほうが先きにやってきたのである。でも、はやいにこしたことはない。無限の時というものはまた無限に縮まっているのだ。(よし、ひとつ聖人になってやれ ……)――

「さあアトラント様、おやくそくの重要品をお目にかけることになりました。あっちへまいりましょう」

 彼女の声は、中一日おいた次の日マノレスクをおとずれた。彼女が(ドア)の中にはいってきたとき、彼は団十郎と菊五郎の版画を手にしていたがむろん彼女の声とともに意識の全部は目でなく耳に集中された。もっとも、はた目からはその時でさえ、やはり版画にみとれているとしか思えない顔付と姿勢とで綸子張(りんずばり)の長椅子の一ばん片すみに足をくんで、うずまるような恰好で腰をかけてはいたけれど。日差(ひざし)につやのある午後だった。

「さあ公爵、まいりましょう早く」と彼女は入口に立ったままで促した。「あかずのお部屋の扉があいたのですよ。うちの支配人でさえ、いつの間にこんな品がと、年に二三度は必ずと陳列品を見ておどろかされることのあるお部屋ですの―― 実をいうと、私もこんな折でなくてはゆっくりと此のお部屋を見せてもらえないのですから、まあ半分は私のためみたいなものね」

「結構ですとも、あなたと見る権利を半分ずつにわけましょう」版画からやっと目をはなしてマノレスクはいった。「でも、こんなに早くめぐってきた幸運というものは、その間際まで半信半疑なものですからね。で、お礼をいうのはその部屋の入口でか、それとも見せていただいた後かにすることにしましょう。いけませんか」

「御随意に」と彼女は答えた。「そして、お礼はお気に召したときまってからになさいませ。()しかすると、がっかりなさるかも知れませんもの…… 早まっては損よ」

「処が、その点は大丈夫です」マノレスクは椅子からたちあがって扉のほうヘ出てきながら云った。「宝石にかけては私はずぶの素人ですから何を見ても感心するにきまっています。がっかりするのは私でなくあなた方かも知れませんよ」

「アトラント様、どうぞ」彼女はあとすざりに扉をあけた。「いいえ、感心さえして下されば父はもうそれだけで大喜びですわ。でも一ばんいいことは本当の批評をして下さることね、それをどうかお願いしますわ」

「とにかくお供しましょう」

 二人はつれだって重要品の保管室にと出かけて行った。

 保管室は土蔵の一部にあった。二重戸のはまった中に朱塗(しゅぬり)の床板という贅沢なつくりで、玉天堂のカタログの説明するところによるとこの朱塗の朱質は日光の陽明門の本堂建と同じものであった。おかげで、そこへ這入るためにはスリッパをぬいで靴下だけにならなければならなかった。マノレスクはそのとおりにして中にはいった。入口にある控所を除くと陳列場のひろさは正味十五坪ばかりであった。あいだに、渓巌(けいがん)に鷲をえがいた刺繍(ししゅう)の衝立がおいてあって、そのすぐうしろから陳列台が天井に口をむけて並んでいた。天井にはまんなかに四角な明窓(あかりとり)があって、左右に二つ大きな枝燈(シャンデリア)が乳房のようにたれさがっていた。

 二人がはいって行ったとき、一方の枝燈の真下で、たれか向うむきにしゃがんで何かしていたが、あしおとを聞くと、

「おお八千代かね。一つだけ鍵の工合がわるいので今直しているところだよ、公爵様に一寸お待ちしてもらっておくれ」と云った。店主の栄一がその言葉のとおり小さい鍵の先にやすりをかけている所であった。「ほかの(ケース)はみんな開いたのだがね、こいつはいつも工合がわるいのだよ」

「あああの七十カラットの縦箱でしょう?」

「そうそうあいつがね。縦箱は鍵が別なもんだから、蓋明けにはいつもこれ一つに手古摺るんだよ――よし、こんどはよかろう」栄一は立ちあがってこっちを向いた。そして公爵に手をさしのべて握手をすると娘に鍵をわたした。「八千代、お前ちょっとやってみておくれ、今度はきっとあくよ。ちょっとの加減だからね」

「はい―― 」

 八千代は向うの片すみにあるいて行った。

 鍵はすぐあいた。彼女がこっちに戻ってきた時、マノレスクは世界のどこかでいくたびも味った自分だけより知らない独特の感情に久しぶりで浸っていた。それは、昂奮ともちがえば冷静ともちがうものであった。かつて巴里のピグマリオン百貨店の入口で、また倫敦のズムリエール宝石店の客間であじわったものと全くひとしかったが、それにしても朱塗の床板の上をふんまえていることには、いくぶん東洋的な別なものを感じないでもなかった。

「じゃ公爵」栄一は八千代の通訳でいった。「こっちの端からごらん下さい。白い総塗の(ケース)が加工なしの宝石類ですし、少々脚の高いほうが輸入品とみがきのかかった褒賞品でございます。それから、いちばん奥のひとかわには保管指名をこうむった重要品ばかりがならべてあります。そしていま八千代のあけました縦箱にはカラットの大きいものを集めてございますので――もちろんあなた様をお驚かせするに足る品は何一つございますまいが、どうかゆっくりと御覧ください。私どもは、それだけで充分光栄でございます」

「有難すぎます。そして必要以上にあなた方に御迷惑をかけたかも知れません」とマノレスクは答えた。「しかしゆるして下さい。私は子供のようにただ自分の望みをのべただけですから。そしてついでに有頂天にならせて戴きましょう。では ――」

 彼は挨拶をひとつすると第一の(ケース)にあゆみよった。

 彼の態度は慇懃(いんぎん)であった。(ケース)の前に行くとまず恰好よく直立した。それから少し前かがみになったが品物には手をふれなかった。そして時たま、ごく時たま顔をすれすれまで伏せて息をふっかけた。が、このしぐさは多くの宝石商もすることであったから彼のみの特別の行動ではなかった。なかんずく、これらの行動のあいだ、両方の手はおおむね二本垂直(すいちょく)におとなしくさがっていた。ただこれもまた時たま、はにかむ時のように頬へ指をもって行く癖があった。この癖は宝石に息をふっかけるときも、かるくくりかえされた。けれど其他には、総じてどんな参観人よりもずっと静粛でしかも威儀がただしかった。

 四列目の最後の(ケース)を見おわると、

「すんだ、すばらしい!」

 とマノレスクは向うの壁に背をぶっつけるようにして叫んだ。それはいつわりのない歓喜にちがいないのか、瞳が 異様にかがやいていた。そしていくぶん昂奮しているにもかかわらず、さっきよりもずっとお人好しに戻ったように何か虚脱した表情でこっちにむいて立っていた。

「公爵、どうか忌憚なく」

「おどろきました、実際にすばらしい」と栄一に答えながらマノレスクは八千代を見た。宝石を見てしまったあとでは彼女の存在が何か一つとりのこされた大切なもののように強く彼の目にうつった。(東洋の女性をじぶんはまだ知らなかった)すると本能が自然と彼の虚脱した表情をベつな活気へとうつりかわらせた。その頬には好意に似たあだめいたほほえみが浮かんだ。「さっき、御礼をいうやくそくをしましたね八千代さん。もちろん私は御礼を申しますよ。しかし、どういったらいいか少しばかり時間の余裕を下さい、余計でもなくまた足りなくもない言葉を私は考えつかなくてはなりませんからね――ではとにかく、居間ヘ帰りましょう、何としてもあそこが私を一ばんおちつかせます。さあ行きましょう」

 貴公子らしくも取れる気儘な口調でいうとマノレスクは八千代をうながしてもう自分からさきに重要品の保管室を出て行くのだった。

 

    四

 

「私はやっと考えつきました」

 居間に帰ると彼は八千代を安楽椅子にこしかけさせ、自分はさっきのように綸子張(りんずばり)の長椅子の片すみに姿勢をくつろげておさまった。この部屋にくるまでに、というよりはそれ以前に、おそらくこのくらいの口上は()くに思いついていたのだろう、長椅子に腰がおちつくや否やすぐ云いだした。

「八千代さん、率直にいうと私は白塗の函には失望しました。天然物というものはわかりにくいものですけれど、そのくせ、雲の間から月がのぞいたように、はっきりと見極めのつくものです。そこへいくと脚高の函の約半分ほどと縦箱の中の全部とにはまったく胆をつぶしたと云っても云い過ぎではありません。よくあれだけの品が(あつ)まりましたね。そしてそれが全部東洋的の表情をたたえているのですから、私のようた異国の旅人には、まるで奇蹟の箱のなかに入れられたような気持がしました。それで八千代さん、お礼をいうのでしたね。私はそのお礼の言葉をやっとこんな風に考えついたのです。いいですか、聞いて下さい――」彼はここで、ひといきつくように語を切ってから云った。「私は東洋の習慣にしたがって皇帝陛下の万歳をとなえます。それから私は美術国たる日本に敬意を表します。もっとも私が美術国というのは必ずしも宝石のことばかりを指していうのではありません……わかりますか八千代さん」

「いいえ」と彼女は首をふった。

「たとえば貴女だって美術品です」とマノレスクは云った。「失礼はゆるしてください、私は真実をいおうとしているのですから。私はその真実の前に勇敢でありたいと思います。そこで私は良心の命ずるところに随って私の心をお打明けしたいとねがっているのです。つまり美術品に対するあこがれの心を」

「………………」

「いいでしょうね八千代さん。私はあなたの語学力に信頼します。もっともこれは言葉だけの問題ではありませんけれど……でも言葉の解釈は重要なことです」

 マノレスクはすこしからだをおこした。それから相手の視線にまっすぐ合う位置にむきなおった。過去の経験によれば、こうした場面は本来もっと早く来ている筈のものだった。たとえば、パリでは仕事をする三カ月ほど前からフランス宮廷の女官アンドレと情交を結んでいたし、モンテカルロではハンガリイ美人のマリアンネ未亡人の寝室で仕事をたくらんだ。また東洋にわたるすぐ前まではスイスの名家ドレスデン伯爵の一人娘ゲルタを手に入れて新婚きどりで宝石店へでかけて行ったものだし――ところが、それにくらべては現在の彼は、むしろ骨を折りすぎているといってもいい程の求愛者的な立場にたたされていた。でも、彼はこのことにかけては充分の自信があった。(なあに、おそかれ早かれ同じことさ。ただ一寸ばかり、変りだねにぶつかったと云うだけの話なのだ)

 かれは、その変り種をじっとまともに見詰めながら言葉をつづけた。

「単に、わたしのいうことを、言葉の解決だけにおわらせない、その上の希望をも、もちろん私は持っています。その希望はあなたにお目に懸った時から、だんだんと成長してきたのですが、今日はもうその絶頂に達してしまいました。それだから、こんなことを云うのです――八千代さん、わかりますか私のいうことが。全然 わからない事はないでしょう?」

「はい。でも……」と彼女は口籠りながら、今まで伏目になっていた顔を上げたが、真っ正面に彼の(あや)しいばかり美しい眸にぶつかって、はっとしたように深くうなだれた。「今は何だか混乱していて……ほんとは、解釈できないかも知れません。ですから……」

「いいえ、それで結構なのです。こういう場合の混乱は男性への最上の贈り物といえますよ。私は早まって感謝をのべてもいいでしょうか?」

「アトラント様」そう云ったきりで八千代は顔へ袖をあてて安楽椅子の肘掛にいきなりがばと打伏してしまった。「何も仰有(おっしゃ)らないで」

「このまま口を(つぐ)めというのですか。それは残酷です。坂の途中から車は戻りません。云わせてください、きっと、あなたの耳が拒む筈はありません」

 長椅子の端からマノレスクはたち上った。

「八千代さん、だまって聞いていて下さい、それだけでいいのです」

「もうもう、何にも仰有らないで」

「ね」

 とマノレスクの力をこめた声が打伏した彼女の耳のそばでした。熱い息が耳の袋にふれた。八千代は男の息が耳から頬へ滑って前のほうへ移動するのを感じた。混乱した意識の中でも、それは唇を狙うためだということは明かだった。社交倶楽部などでその人たちの間でおこなわれる愛欲の姿がそのとき彼女の瞼にうつるや否や思わず頸をまげて肘掛の上に唇をそらした。男の熱した口が一瞬の差で彼女のうす化粧の頬にぴたりと触れた。

「いけません、何をなさるんです」

「だまって! いいじゃありませんか」とマノレスクは意欲をそそる女の匂いに、この目前の不覚を自覚する余裕もなかった。「唇をゆるして下さい」

「あなたに云うことがあります! それは、悲しい悲しいことです。アトラント様、そっちにはなれて」

「悲しいこと? まさ英艦隊が沈没したんでもないでしょう」

「丁度、そのくらいの悲しいこと」と八千代は安楽椅子の上で元気をとりもどして云った。「アトラント様、あなたはさっき重要品の保管室で七十カラットの宝石をお隠しになりはしませんでしたか!」

「………………」

「私はたしかに見ました。あの宝石は私がへいぜい目をつけていたものだけに、掏換(すりか)えた代りの品がすぐ見分けられました。でも父は知りません。私だけのことですからこれは二人だけの間の秘密とすることができます。勿論、ちょっとした出来心だということは分かっていますわ。でも私にとっては名誉ある軍艦が沈んだほどのおどろきでした。ですからあなたの仰有ることが一つ一つ悲しくって」

「そうでしたか、それじゃ仕方がない」

 悪びれもせずにマノレスクは苦笑いをした。

 それから長椅子にもどって、しばらく黙っていた。

 

 そのあいだに彼はふるさとの母の事を思っていた。悪事の露見したときはきまって彼は母親を思い出す慣わしだった。ルウメ二ヤのカルパチヤ山地で山の美姫(びき)綽名(あだな)をつけられていた母、その母はもうこの世の人ではなかった。それでも彼はその母から稀にみる美しい眸をもらった。それはしかし悪事の資本(もとで)だったかも知れないけれど、露見したときには遠い地下の母と顔見合せてにっこりわらう気持になった 馬鹿だねえ、とかるく叱ってくれる、そしてそれが何よりの愛撫であるというこの世では求められない幻想を、彼はここに求めてそれを懐かしがった。

 そして今も、東洋の一角でひさしぶりでその幻想に耽った。母親の手にひかれてノベアヌ教授の特殊学園へかよった幼時のことはおぼろげだが、十四歳のときガラツの海軍兵学校の入学試験をうけて六番という成績で入学のかなった時のことは、母親のよろこぶ最後の顔と共にわすられなかった。校長ドラギセスク少将に「将来のルウメニヤ海軍の名誉を荷う模範生である」と激賞された時は母親はもう死んでしまっていたが――そして彼はここまで考えてくると、この模範生の回想を決して幸福だとは思わなかった。何故といえば模範生というものの天分が、現在の境遇ときりはなして全く別のものだとは考えられなかったからである。それは同輩をおいこし、時にはたばかり、周囲を打倒することに終始したただ競争三昧(ざんまい)の生活なのであった。そしてこのことを自覚することによって彼はわずかに現在の不幸に慰めを与え、益のない後悔にとりつかれることを拒否し警戒するのだった。

 

 彼は、いつものとおり、ひとわたり長椅子の上でこれらのことを胸にうかべた。

 それが済むと再びたちあがった。

 そして居間の中を三回ほど行ったり来たりしたが、八千代の前に足をとめると、彼は雄鶏(おんどり)が胸毛をふくらまして羽叩(はばたき)する時のような恰好をした。すると、片々の手が上着の衣嚢(かくし)から七十カラットの宝石をつまみ出していた。

「まず最初にお名指しの品を」

 と彼はいった。

 それから、また体をふるわせた。そして今度は両方の手を、胸や、腹や、背や、いたるところにめぐらして忙しく動かしたかと思うと二つのてのひらの中にいつの間にか二十個あまりの宝石がうずたかく盛られてあった。

「さあこれをみんな ――」と彼は云った。「お返しいたします。おうけとりください。これであなたのいう軍艦に錨を上げる望みは永久になくなりましたね。あなたの悲しみを倍加させることは本意ではありませんけれど、私には私のやりかたがあるのですから仕方がありません」

 八千代の膝の上にざらざらと宝石が歯ぎしるように音を立ててうつされた。

 黒いソフト帽と大きい折鞄を手にもったマノレスクの姿が(ドア)の外へ出て行った。人生の中の憂愁をまだそのへんにのこしたまま。

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2003/12/02

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白井 喬二

シライ キョウジ
しらい きょうじ 作家 1889・9・1~1980・11・9 神奈川県横浜市に生まれる。1918(大正7)年~1919(大正8)年頃から「大衆文学」運動に努力しその名付け親と目されている。「講談雑誌」の編集にも寄与した。

掲載作は、雑誌「苦楽」の1947(昭和22)年3月号に初出。

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