黒猫
病気が少しよくなり、寝ながら本を読むことができるやうになつた時、最初に手にしたものは旅行記であつた。以前から旅行記は好きだつたが、好きなわりにはどれほども読んでゐなかった。人と話し合つて見ても旅行記は案外読まれてゐず、少くともある種の随筆などとはくらべものにはならぬやうであつた。自分にとつて生涯関係のありさうにもない土地の紀行など興味もなし、読んで見たところで全然知らぬ土地が生き生きと感ぜられるやうな筆は稀だし、あるなつかしさから曾遊の地に関してものを読むが、それはまたこつちが知つてゐるだけにアラが眼につく、さういふのが共通の意見であるやうだつた。私自身も紀行の類を書きながら、かういふものを一体誰が読むだらう、さう思つて自信を失つたおぼえがある。それが今度長く寝ついて、誰よりも熱心な旅行記の読者は病人にちがひないといふことを信ずるやうになつた。
私は間宮倫宗を読み松浦武四郎を読み、菅江真澄を読んだ。ゲーテを読み、シーボルトを読み、スウェン・ヘディンを読んだ。明治以後の文人のものは誰彼を問はず、家にあるものを散読した。さうして幾らもないそれらの本が尽きてしまふと、地理学の雑誌を枕もとにならべさせた。私は地理学の雑誌を何年も前から継続して取つてゐて、今まではただ重ねてあるだけだつたが、この機会にこれらの頁を漫然と繰りひろげてゐると、これ以上の楽しみはないやうに思はれて来た。
それの近頃の号にある博士の樺太旅行談が連載されてゐてそれが私には面白かつた。そのなかの絶滅せんとしつつある
私はかういふ
私は思はず破顔した。オホヤマネコは孤独な病者である私に最大の慰めを与へた。私は
同じ記事のなかに海豹島のオットセイの話も出てゐて、これは大山猫とは全然正反対な、生めよ殖せよの極致だつた。ここにあるものは生殖のための血だらけな格闘だつた。私はいつか映画でオットセイの群棲を見たことがある。
オホヤマネコに感動してまだ幾日もたたぬうちに、
この二三年来、家のまはりをうろうろする犬や猫が目立つてふえて来た。人間の食糧事情が及ぼした影響の一つであることはいふまでもない。生れながらの宿なしもあるが、最近まで主人持ちであつたといふものも多い。彼等は実にひどく
私はその頃一日に十五分ぐらゐは庭に出られるやうになつてゐた。私も庭に出て彼等を見ることは嫌ひだつた。私はわけても犬を好かない。主人持ちでゐた時には、その家の前を通つたといふだけで吠えついたこともある奴が、今はさも馴れ馴れしげに尾など振つて近づいてくる。それでゐて絶えずこつちの顔いろをうかがつてゐる。こつちの無言の敵意を感ずると、尾をぺたつと尻の間にはさんで、よろけるやうに逃げてゆく。さうして腐つた落ち柿などを食つてゐる。猫は彼等ほど卑屈ではないがコソ泥以上に図々しくなつてしまつた。人間がゐることなどは平気で家のなかを狙ふ。畳の上に足跡をつけて部屋を駆け抜ける。昔を思ひ出してか座蒲団の上に長まつてゐたりする。そのくせ人間の眼を見ると必ず逃げる。
そんな時に
彼は決して人間を恐れることをしなかつた。人間と真正面に視線が逢つても逃げなかつた。家のなかに這入つて来はしなかつたが、たとへば二階の窓近く椅子を寄せて寝てゐる私のすぐ頭の屋根の上に来て、私の顔をじろりと見てから、自分もそこの日向にゆつたりと長まつたりする。私の気持をのみこんでしまつてゐるのでもあるらしい。いつでも重々しくゆつくりと歩く。どこで食つてゐるのか、餓ゑてゐるにちがひなからうが、がつがつしてゐる風も見えない。台所のものなども狙はぬらしい。
「いやに堂々とした奴だなあ。」と私は感心した。「何も取られたことはないかい?」
「いいえ、まだ何も。」と家のものは答へた。
「たまには何か食はせてやれよ。」と私は言つた。世が世なら、飼つてやつてもいいとさへ思つた。
郷里の町の人が上京のついでに塩鮭を持つて来てくれた日の夜であつた。久しぶりに塩引を焼くにほひが台所にこもつた。真夜中に私は下の騒々しい物音に眼をさました。母も妻も起きて台所にゐる声がする、間もなく妻が上つて来た。
「何だ?」
「猫なんです。台所に押し込んで……」
「だつて戸締りはしつかりしてあるんだらう?」
「縁の下から、上げ板を押し上げて入つたんです。」
「何か取られたかい?」
「ええ、何も取られなかつたけれど。丁度おばあさんが起きた時だつたので。」
「猫はどいつだい?」
「それがわからないの。あの虎猫ぢやないかと思ふんだけれど。」
うろついてゐる猫は多かつたからどれともきめることはできなかつた。しかし黒猫に嫌疑をかけるものは誰もなかつた。
次の晩も同じやうな騒ぎがあった。
それで母と妻とは上げ板の上にかなり大きな漬物石を上げておくことにした。所が猫はその晩、その漬物石さへも恐らくは頭で突き上げて侵入したのである。母が飛んでいつた時には、すでに彼の姿はなかつた。
私は「深夜の怪盗」などと名づけて面白がつてゐた。しかし母と妻とはそれどころではなかつた。何よりも甚だしい睡眠の妨害だつた。
そこで最初に、犯人の疑ひを、あの黒猫にかけはじめたのは母であつた。あれ程大きな石を突き上げて侵入してくるほどのものは容易ならぬ力の持主である。それはあの黒猫以外ではない、と母は確信を持つていふのである。
それはたしかに理に合つた主張だつた。しかし当の黒猫を見る時、私は半信半疑だつた。毎晩そんなことがあるその間に、昼には黒猫はいつもと少しも変らぬ姿を家の周囲に見せてゐるのである。どこからどこまで彼には少しも変つたところがなかつた。夜の犯人が彼だとしては、彼は余りにも平気すぎた、余りにも悠々としすぎてゐた。私はある底意をこめた眼でぢーつと真正面から見てやつたが、彼はどこ吹く風といつたふうであつた。
しかし母は譲らなかつた。
或る晩、台所に大きな物音がした。妻は驚いて飛び起きて駆け下りて行つた。いつもよりははげしい物音に私も思はず聴耳を立てた。音ははじめ台所でし、それからとなりの風呂場に移つた。物の落ちる音、
やがて音は鎮まつた。
「もうだいぢやうぶ。あとはわたしがするからあんたはもう寝なさい。」
「大丈夫ですか?」
「だいぢやうぶとも。いくらこいつでもこの縄はどうも出来やしまい。今晩はまアかうしておかう……やれやれとんだ人騒がせだ。」
母の笑ふ声がきこえた。
妻が心もち青ざめた顔をして上つて来た。
「たうとうつかまへましたよ。」
「さうか、どいつだった?」
「やつぱり、あの黒猫なんです。」
「へえ、さうか……」
「おばあさんが風呂場に押し込んで、棒で叩きつけて、ひるむところを取つておさへたんです。大へんでしたよ……あばれて……えらい力なんですもの。」
「さうだらう、あいつなら。……しかしさうかなあ、やつぱしあいつだつたかなあ……」
猫は風呂場に縛りつけられてゐるといふ。母は自分でいいやうにするからといつてゐるといふ。若い者には手をつけさせたがらないのだが、さうでなくても妻などは恐がつてしまつてゐる。秋の夜はもうかなり冷える頃であつた。妻は寒さうにまた寝床に這入つた。
私はすぐには眠れなかつた。やはり彼奴であつたといふことが私を眠らせなかつた。さう意外だつたといふ気もしなかつたし、裏切られたといふ気もしなかつた。何だか痛快なやうな笑ひのこみあげてくるやうな気持だつた。それは彼の大胆不敵さに対する歎称であつたかも知れない。さういへば彼奴ははじめから終りまで鳴声ひとつ立てなかつたぢやないか。私は今はじめてそのことに気づいた。すぐ下の風呂場にかたくいましめられてゐる彼を想像した。母はもう寝に行つてしまつてゐる。風呂場からは声もカタリとの物音もしなかつた。逃げたのではないかと思はれるほどであつた。
翌朝母は風呂場から引きずり出して裏の立木に縛りつけた。
「お母さんはどうするつもりなんだ?」
「無論殺すつもりでせう。若いものは見るものでないといつて、わたしを寄せつけないやうになさるんです。」
私は母に黒猫の命乞ひをしてみようかと思つた。私は彼はそれに値する奴だと思つた。私は彼のへつらはぬ
しかし私は母に向つて言ひ出せなかつた。現実の生活のなかでは私のそんな考へなどは、病人の贅沢にすぎなかつた。私はこの春にも母とちよつとした衝突をしたことがあつた。私の借家の庭には、
食物を
午後、私はきまりの安静時間を取り、眠るともなしに少し眠つた。妻は配給物を取りに行つて手間取つて帰つて来た。私は覚めるとすぐにまた猫のことを思つた。母は天気のいい日の例で今日もやはり一日庭に出て土いぢりしてゐるらしかつた。私は耳をすましたが、裏には依然それらしい音は何もしなかつた。妻は二階へ上つてくるとすぐに言つた。
「おつ
妻は見るべからざるものを見たといふやうな顔をしてゐた。
母はどんな手段を取つたものだらう。老人の感情は時としてひどくもろいが、時としては無感動で無感情である。母は老人らしい平気さで処理したものであらう。それにしても彼はその最後の時においてさへ、ぎやーツとも叫ばなかつたのだらうか? いづれにしても私が眠り、妻が使ひに出て留守であつたのは幸ひであつた。母がわざわざその時間をえらんだのだつたかも知れないが。
日暮れ方、母はちよつと家にゐなかつた。そしてその時は芭蕉の下の莚の包みもなくなつてゐた。
次の日から私はまた今までのやうに毎日十五分か二十分あて日あたりのいい庭に出た。黒猫はゐなくなつて、卑屈な奴等だけがのそのそ這ひまはつてゐた。それはいつになつたらなほるかわからぬ私の病気のやうに退屈で愚劣だつた。私は今まで以上に彼等を憎みはじめたのである。
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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