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父さんのヒコーキ

目次

  おばあちゃんのローソン

うちのおばあちゃん(母のことだが)は、足が悪くて、眼が悪くて、

身体じゅう手術の痕だらけだが、気持ちは元気だ。まだぼくを叱り

飛ばすくらい、声もでかい。いつも小走りで、ゆっくり歩いている

のを見たことがないくらい、せかせかした人だったが、杖をつくよ

うになってからはやっとの思いで歩いている(本人は依然、小走り

のつもりである)。眼も悪くて、信号機の青色が見えていない。「赤

じゃない時は、青なんだろうと思って渡ってる」とは本人の理屈。

(なんていう消去法!)そんなおばあちゃんでも一人で行けるとこ

ろがある。家の筋向いのローソンである。おばあちゃんは杖をつい

て(気持ちは小走りに)毎日ローソンへ行く。とろろそばのパック

を買い、赤飯のおにぎりひとつ、決まったヨーグルト一個買って、

にこにこレジのお姉さんに話しかける。それからまた杖をついて

(気持ちは小走りに)家に帰る。実は義姉がいつも食事の用意をし

てくれているのだけど自分で何か買いたいのだ。貧しい少女時代を

すごした記憶(恥ずかしくていつも人に見られないよう隠しながら

食べていたお弁当。麦飯混じりの黒いご飯、おかずは梅干。しかも

半分しか入っていないから母はすぐに食べ終わるのだ。それが母の

乙女ごころを深く傷つけたにちがいない)が今も消えなくて、その

反動。食べ物への執着は人一倍だから、何かうまいものはないかと

毎日店にやってくるのだ。義姉もそのへんはよく心得ていて、昼飯

だけはおばあちゃんの自由に任せている。コンビニは若者のための

みにあらず。年寄りの行動範囲は限られるから、足の悪いお年寄り

だって楽しみに利用するのだ。このローソン、実は兄の土地に建っ

ている。最初はローソンの方から頼みにきて、土地を提供したのが

始まりだが、その一度目のローソン、オープンして数年はよかった

ものの、少し向こうに駐車場のでかい別のコンビニが登場してから、

採算がとれなくなって閉店してしまった。土地はいったん、元の資

材置き場に戻ったのだが、ローソンを愛用していたおばあちゃんが

とても寂しがったのだ。兄は自分の土地をさらに拡幅し、駐車場も

たっぷり取れる敷地にしてから、ふたたびローソンの誘致に走った。

今度は兄の方からローソンとオーナーを招いたのだ。今あるのは、

二度目のローソン。兄が用意した、おばあちゃんのためのローソン。

はたして誘致のためにいくらで土地を貸し出したのか知らない。兄

がトクをしているとはとても思えないが、このローソンは、おばあ

ちゃんのローソン。兄の想いの親孝行のローソン。せちがらい今の

世に、こんな悠長な(アホな)話もあるのだ。おばあちゃんは毎日

楽しみに、またローソンへ行く。それでも売上があがらなければ、

このローソンもまた閉まってしまうだろうから、ぼくもせっせと、

このローソンに買いにくるのだ。

  父さんのヒコーキ

南の基地で

特攻に行く順番待ち。

次は自分が出撃する番

というところで終戦になった。

出撃まであとわずか三日の出来事であった。

まさに九死に一生。

命を拾ってきた父。

あなたが乗る予定だった飛行機は

ツギハギのポンコツで

規格にある出力など出るはずもなく

故障がち。

片道行ってぶつかるだけの機体に

ろくなものはなく

半数は敵地に着く前

途中で海に落ちた。

命の代わりはいくらもあるから

飛べばなんでも乗せられた。

ガソリン一滴は血の一滴よりも重要で

片道ぎりぎりしか積んでもらえず

どのみち落ちるしかない帰還不能。

菊の御紋のタバコ一本

最後にもらって飛んでった。

命より兵器の方が大切にされた時代。

人の命が虫ケラだった時代。

あんな九死に一生を得たもの

あんな哀しい乗り物に

もう自分で乗りたくなんかないだろうと

思っていたのに

終戦から四十年余り経ったある日の旅行。

母と友達夫婦の四人で行ったアラスカで

フロートつきの水上飛行機を

偶然飛ばせる機会があって

操縦桿を握った父

みんなを乗せて空を飛んだ。

離陸 旋回 着陸と

昔とった杵柄

見事に操縦してみせた。

インストラクターに少し操作を聞いただけで

そんな簡単に飛ばせるなんて

父さんやっぱり飛行気乗りだったんだね。

四十年ぶりに握った操縦桿なのに

なんと見事に操ることか

そのあとの父の笑顔は最高だったと

母さん今でも話してくれるよ。

父さん ほんとは飛行機乗るの

大好きだったんだね。

もっと平和な時代に

平和な飛行機に

あなたを乗せてあげたかった。

七十歳から八十歳まで

十年間寝たきりの闘病を

ようやく終えて

あなたは死んだ。

読経が終って出棺の間際

柩にひとつ

平和の紙ヒコーキ

入れておきます。

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2008/12/17

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島 秀生

シマ ヒデオ
しま ひでお 詩人 1955(昭和30)年 大阪府生まれ。主な詩集『風の話』、『N君のいかだ』など。Webサイト「ネット詩誌MY DEAR」主宰。

掲載作は、『ネットの中の詩人たち 第5集』(2007年9月、土曜美術社出版販売刊)より抄録。

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