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生きてきた人よ

  N君のいかだ

 

お母さんは電話をしていた。

いつもの長電話だった。

お母さんはふと思い出した。

お風呂が二時間も焚きっぱなしになっている

やってしまったと思いながら

N君にガスのリモコンを止めに行かせた。

お母さんはまた電話の話を続けた。

N君は少し知恵遅れだったが

今年無事に小学校に上がることになっていた。

N君はお母さんのお手伝いをするのが大好きで

喜んでお風呂場のガスのリモコンを止めに行った。

お風呂場は湯気がもうもうと立ち昇っていた。

N君はリモコンに横から手を伸ばすのではなく

閉めてある風呂のふたの上に腹這いに乗っかって

真正面からリモコンを回すのが彼のいつもの止め方だった。

彼の止めるスタイルのことをお母さんは知らなかった。

その日二時間煮えたぎった風呂の

プラスチックのふたは熱せられてすっかり柔らかくなっていて

N君が腹這いに乗っかった途端

重みで湾曲してまん中が煮えたぎった湯舟に沈んだ。

N君は悲鳴を上げた。

あるいはあまりの熱さに声を失ったのかもしれない。

風呂のふたはN君の胸と腹を煮えた湯舟に沈めて

そこで止まった。

知恵遅れのN君は熱くて必死にもがいたのだけれど

どうしても自分で起き上がることができなかった。

顔を湯舟につけないように支えるのが精一杯だった。

なおもリモコンを止めようとしていたのかもしれない。

いつもお母さんに迷惑ばかりかけるので

ごめんごめん と言うのがN君の口癖だった。

リモコンを止めるのに失敗したのでN君は

ごめんごめん と謝りながら熱湯に身を浸していた。

お母さんの電話はまだ続いていた。

つけっぱなしのテレビの声も騒がしかった。

N君の身体はもう内臓まで煮えていた。

N君は風呂のふたをいかだにして

そのまま黄泉の国へと海を渡った。

お母さんにごめんごめん と謝りながら。

さっきまでN君がいた部屋

テレビはちょうどN君の大好きな曲をやっていた。 

 

 

  花

 

マンション住まいだったけど

花を育てるのが好きな

ひとだった。

街で好きな花を見つけては

遠くても家まで運んで帰る

ひとだった。

鉢植えだったけど

プリンセス・ド・モナコという

縁にピンクの入る白色の

覆輪の薔薇が自慢だった。

あの日

あの阪神大震災の日

西宮の彼女の家も激しく揺れて

薔薇の鉢が倒れ

窓際の鉢という鉢が全部倒れ

中の土が部屋に流れ出し

その上に洋ダンスが倒れ

畳一面の泥の中

彼女は汚れ

シルクのドレスやブランドのスーツ

ずっと集めてきた宝物の衣裳が

みんな泥んこになり

あれ以来

あの日以来

彼女は花を買わなくなった。

もう二度と買わないと私に云った。

 

 

  とうさんの畑

 

秋草がいちだんと伸びて

もう見る影もありませんね。

 

とうさん あなたが元気な時

ここは半分を菊づくり

半分を家で食べる分くらいの

さまざまな野菜を育てていた所です。

今ごろになると

出品用の菊の大鉢

転びそうに長い菊の懸崖で一杯でした。

とうさん あなたがこの畑で倒れてから

もう4年が経ちます。

今の医学でも閉じた脳組織まで

よみがえらせることはできない。

あなたにあるのは内臓を動かすだけの脳と

寝たり起きたりするだけの眼

姿勢をかえた時の驚く顔

咳をする時の苦しい表情だけです。

とうさん いま瞳にうつっているのが

私の顔だとわかっていますか。

何も憶えていない識別しない学習しない

人間の尊厳に必要な

何の意志も残っていません。

この状態で4年

もう脳組織は死んでしまって還ってくることはありません。

とうさん あなたは体が丈夫で

腕っぷしが強くて

隠居して畑仕事をするようになってからさえ

私は腕相撲であなたを負かすことができなかった。

とうとう1回も勝てないままです。

今も体は強くて丈夫で

食事用の腹のチューブ穴と

痰とり用の胸の穴があいていること以外

健康なものです。

うんちをかえる時や

体を拭く時なんか

体が重くて大変です。

姿勢をかえようとする意志がないから

なんにも協力してくれない。

こっちは体重そのまんまを

かついで上げなきゃならないから大変です。

喜びの表情もないからつまらないけど

でも半身不随で意識があって

動く片手で物を投げつけてきて暴れたり

死にたい死にたいと言って付き添いを泣かせたりしないだけ

とうさんはまだましかもしれませんね。

 

とうさん 若い時

よくかあさんを泣かせましたね。

浮気ばかりして

かあさんと会うと喧嘩ばかり

暴力までふるって

私の小学生の時の記憶って

かあさんが泣いているうしろ姿ばかりです。

いい父じゃなかった。

いい夫婦じゃなかった。

とうさんとかあさんが本当に仲良くなったの

とうさんが年老いてからです。

浮気する元気もなくなってからです。

畑に出るようになってからは

休憩にかあさんがお茶を持って現われるのを

本当に楽しみにして汗を流していましたね。

私がとうさんをやっと好きになれたの

あの頃です。

 

私が浮気しないの

とうさんのおかげです。反面教師ってやつですか。

かあさんの泣く姿見て育ってきた私は

いえ私が大学生の頃だって

コンサートでこころ沸いた夜も

演劇見て感動して帰った夜も

家に帰るととうさんとかあさん喧嘩してた。

楽しい心も夢も

家に帰ると吹っ飛びましたよ。

哀しかった。

そんな私が妻に同じこと

できるわけがない。

心ときめく人が現われることもあるけれど

私にはときめいてそこまでで終わりです。

とうさん あなたからもらった

一番のプレゼントです。

うちの子供たち バカで身勝手だけど

その苦労だけはさせていません。

 

とうさんの畑。

秋の夕陽。

ここで見た時のとうさんは好きでした。

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2002/03/22

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島 秀生

シマ ヒデオ
しま ひでお 詩人 1955(昭和30)年 大阪府生まれ。主な詩集『風の話』、『N君のいかだ』など。Webサイト「ネット詩誌MY DEAR」主宰。

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