円錐形の鎮火山、秀然として海を抜き、屹立一万余仭、千年万年の氷雪、皚々として其峰嶺に堆積するものは、実に富士の峯に非ずや、而{しか}して幾多の山系之と綿亙し翠を空に挿み碧を雲に横へ、遠く佇望すれば真個に一幅の活画の如く、転た人をして知らず識らず美術的の観念を発揮せしめ、而して漸くこれが発育を誘致したるものは、蓋し偶然にあらざる可耶、又一方より観れば、我日本の海島は温帯圏裡の中央に点綴し、其沿岸は均しく是れ温暖潮流の洗ふ処となり。天候和煦、風土潤沢なるを以て桜花此処に爛発し旭日と相映ずる処、一双の丹頂鶴が其間に翺翔するの状を倩視すれば、人をして自から優婉高尚なる観念を養成せしむる事ならん、而して又日本の海島を環繞せる天文、地文、風土、気象、寒温、燥湿、地質、水陸の配置、山系、河系、動物、植物、景色等の万般なる囲外物の感化と、化学的の反応と、千年万年の習慣、視聴、経歴とは、蓋し這裡に生息し這際に来往し這般を覩聞せる大和民族をして、冥々隠約の間に一種特殊なる国粋(Nationality)を剏成発達せしめたる事ならん。蓋し這般の所謂国粋なるものは、日本国土に存在する万般なる囲外物の感化と、化学的反応とに適応順従し、以て胚胎し生産し、成長し発達したるものにして、且つや大和民族の間に千古万古より遺伝し来り化醇し来り、終に当代に致るまで保在しけるものにしあれば、是れが発育成長を愈よ促致奨励し、以て大和民族が現在未来の間に進化改良する物の標準となし基本となすの、正しく是れ生物学の大源則に順適するものなり。斯の如くなれば、予輩が懐抱する処の大旨義は実に日本の国粋を精神となし、而して後能く機に臨みて進退去就するにあり。
然ればには予輩は国粋を以て進退去就の標準となせども、力めて宇内の大勢に牴牾せず、能く正流に随ひて以て諸般の境遇に処すること、猶生物が機に臨みて自己が身体を外物の感化に適応せんとし、或は蓬々たる毛髪を蒙り、或は爪蹄を磨き、或は歯牙を尖ならしむるが如くならんことを欲する者なり。
然り生物が機に臨みて変応するが如く、大和民族も亦有形に無形に均しく是れ変応せざる可からずと雖も、這般変応の標準は、「国粋保存」に是れ帰因するは真個に打ち崩す可からざる大法律ならん。
当代の日本に大和民族が至大至剛の注意と研究とを需要す可き最重最急なる二問題あり、一に曰く、日本将来の大経綸は実に日本在来の旧分子を悉皆打破し、泰西の新分子を以て之と交換するにありと、二に曰く、大和民族が現在未来の嚮背を裁断するは、実に日本の国粋を保存し、之を以て日本国民が、進退変応の標準となすにありと、語を換へて謂へば前者は蜻蜒洲の首尾をして均しく西洋的に是れ為さん事を奨説する者にして、後者は日本を日本とし、而して後西洋学問の長所を以て其短所を補はんとする者なり、想ふに採長補短てふは折衷比較的にして、其説ふる処偏に古色を帯び、転た快活果敢ならざる者に似たり、然り予輩も亦血性多感の一男子なり。
快活果敢の行業を喜ぶの一事に致りては恐くは他者に譲らざる処あるも、若し夫れ細雨油の如く燈火炯然たるの時、独り几に倚りて深座し、源因結果の原理を尋討し、引いて国粋と生物進化の大法と縁故するの所因を探究すれば、転た「日本分子打破」説の妄誕なるを悟了し「国粋保存」の至理なるを剏見するに至れり、且夫れ「日本分子打破」論者の所説を数理学上に徴すれば、日本の開化は後進するを以て仮りに1234となせば西洋の開化は12345678910なり、故に日本国裡に西洋の開化即ち10を輸入せよと奨励するに過ぎず。
焉んぞ知らん日本在来の分子を打破して0となし、而して遽然10の開化を輸入せば、0より10に飛起跳踵する者にして即ち其間に太だ空隙を生じ、為めに根柢基礎は偏に脆弱にして間撩倒するの畏れ無とせず、寧ろ1234を漸次に増進し来り、5678910となすの安全鞏固なるに若かず。
且つ又予輩が這般に関係し偏に研究すべき大問題は「西洋の開化を悉く是れ根抜して日本国土に移植せんとするも、此植物は能く日本国土の囲外物と化学的反応とに風化して、太だ生長発達し得べき乎」の一項なり。
然り西洋の開化と雖も固より日本国裡にて生長発達し得可しと雖も、固、風土天候の偏差せる個処より移植せるものなるを以て設令枯死せざるも、園丁たる日本人民は力を尽して之が保護培養に周旋せざる可からざれば、寧ろ此方に胚胎し、生産し、成長し、発育したる植物の健全強勁なると兼て培養に転た容易なるに若かざるなり。若し夫れ天魔を賃し来りて日本の風土と天候とを数学的に西洋と等一ならしめ、而して後西洋の開化を此方に移植せんとの事なれば、此樹が発育の度も亦此方の樹木と正に等一なる可けれど、這般の事業たる当代の人力を以て是れを成就せんには特に至艱至難なるを以て、予輩は竟に之れに周旋するを悦ばざるなり。好し人力を以て成就し得べしとなすも、這般の至艱至難なる事業に大勢力を費用するよりは、寧ろ之を転用して日本の国粋を能ふ丈け及ぶ丈成長発育せしむるのは太だ経済的なるに若かざるなり。
斯くの如く予輩に「日本分子打破」論者を排撃せりと雖も、予輩は其心事の転た磊々落々たるを愛する也、光風明月の如くなるを欽するなり。然れ共爰処に予輩が偏に同感を表示し能はざる一党与あり、予輩は這般の党与が懐抱する処の者を名けて「塗抹旨義」と云ふ。「塗抹旨義」とは何ぞや、泰西の開化てふ栄養物を日本国土なる身体に飲食せしめ之を咀嚼し之を消化し、以て日本国土に同化せしむるに非ずして、只管之を以て日本の外面を虚飾塗抹せんとする是れなり、彼の白皙人種の一顧を購はんとし、故更に不急なる土木を興し、不生産なる事業を剏起し、虚飾是れ本領とする壮宏華麗なる建築物を新造し、無用の道路を修繕し、踏舞を勉強し、仮装舞会を奨励するてふ策略の如きは、是れ豈に「塗抹旨義」の本色に非ずして何ぞや、而して這般忌む可き怪む可き「塗抹旨義」の為めに悲む可き憐む可き千万の蒼生が汗血を圧搾し来るの状況を倩視すれば、日本男子にして腸胃なき者はいざしらず、苟も些の気骨ある者をして慷慨悲愴に禁へざらしむるは抑も非なる耶、然れ共予輩は嘵々口に任せて之を罵詈する者に非ず追糾する者に非ず、唯伊蘇布物語を借用して、以て「塗抹政略家」並に「塗抹旨義」の拝崇者に演繹せんとする者あり。物語に曰く、昔者一羽の鴉あり、平素孔雀が羽毛の豊美艶麗なるを欽羨して措かず、竟に自己も亦之に模倣せんとし、幾多孔雀の羽毛を採取し以て自己が羽毛の間に挾み、宛然一双の孔雀と仮装偶装しつゝ其群に投じたり、然れ共這般の仮装は焉んぞ能く暴露せざらん。未だ幾何もなく此鴉は其天然の本性を現はすや、忽ちにして孔雀の排斥するところとなり、而して亦鴉群の駆逐する処となり、遂に自己が亡を速きたりと云ふ、吁嗟彼の「塗抹旨義」を以て得意とする者よ、又我日本国土に存在する最大数の同胞姉妹よ、借問す、卿等は果して這般孔雀を仮装するの鴉を学ばんとするか、将た又鴉は天然生得の鴉を以て足れりとなし、鋭意自己が内部を改良し骨格を強勁にし筋肉を豊肥にし羽翼を軽快にし、以て四方に雄飛するの鴉に習はんとするか、前鴉か後鴉か、冀くは半宵孤枕、夢覚むるの秋、偏に沈思深慮し、以て能く卿等が嚮背を裁断せんか。既に然り、予輩は「日本分子打破旨義」が天地自然の大原則に違戻するを徴證したり。而して特に「塗抹旨義」の如きは民を賎し国を亡ぼすの大原素たるを叙述したり。
然れば這般後者の如き旨義は日本国民の為め天地の公道の為め学術の真理の為めに、一秒時間も速かに之を日本国土より放逐蕩掃せんことを希望して措かざるなり。然り予輩と雖も亦聊か事理の何物たるを解道する者なり、然れば彼の所謂国学者流の口吻に傚ひ、漫りに神国、神州、天孫等の文字を陳列するものにあらず、又彼會澤氏の「新論」、大橋氏の「闢邪小言」を拝崇する者に非らず、唯彼「日本分子打破論」と「塗抹旨義」とは原因結果の大法律が認許せざる所のものにして、兼て這般を日本国裡に拡充伝播せば、三千八百万の蒼生が運命は真個に風前の燈の如くなるを以て、感憤自から措く能はず、乃ち起ちて「國粋保存」の大義を鋭意熱心に奨説する所因なり。
予輩は「国粋保存」の至理至義なるを確信す。故に日本の宗教、徳教、教育、美術、政治、生産の制度を選択せんにも、亦「国粋保存」の大義を以て之を演繹せんとするものなり、然れども予輩は徹頭徹尾日本固有の旧分子を保存し旧原素を維持せんと欲するものに非ず、只泰西の開化を輪入し来るも、日本国粋なる胃官を以て之を咀嚼し之を消化し、日本なる身体に同化せしめんとする者也。然り而して之を宇内の歴史に徴するも、国粋なる胃官を以て他邦より輸入したりたる開化を消化し同化したる実例は太だ尠しとせず、彼の欧州文物典章の淵源たる希臘の開化は如何、「ヘリーン」民族(希臘の人種)がフェニシヤより輸入したる文明開化を自己が固有の国粋を以て消化同化したるものにして、所謂一種特殊なる「希臘の開化」を剏起したるものなり、彼の羅馬の開化は如何、羅甸民族{羅馬の人種}が希臘より輸入したる文明開化を自己が国粋を以て消化同化したるものにして、所謂一種特殊なる「羅馬の開化」を剏起したるものなり、シャルレマン大帝国の開化は「フランク」民族が周有の天性を以て模範となし、羅馬の文物を資料となし、以て一種の開化を鋳造したるものなり。英国の開化は如何、「チュートニック」の国粋を以て基礎となし、羅甸、「ノルマン」の材料を将て経営し、以て新に建築したる者也。然れば我日本も亦我国粋を精神となし骨髄となし、之を以て大和民族が現在未来の間に変化改良するの標準となし基本となし、而して後他の長処妙処を輸入して、爰処に所謂「日本の開化」なる者を剏起するは豈に之れ一大快活の事業に非ずや、彼の西洋の開化に眩惑し他の糟粕を甜むるが如きものは、之れ豈に日本男子の本色ならんや。
吁嗟富士の峰、琵琶の湖、美なる邦土なる哉、斯る山、斯る水、上帝室に偶然に日本人民に付与せんや、蓋し神算の在る処を測知するに、必ずや大和民族をして斯の山を利し斯の水を用ひ以て偉蹟を歳月の後に奏せしむるものならん、然るに百載の後、斯の山下、斯の水畔は他人種の剏起し、他人種より輸入したる空気をして磅礴拡充せしめなば、博愛の上帝は大和民族の為めに其無識を吊し、山霊は潜然として泣き、水伯は叫然として哭することならん、想ふて斯処に至れば、仮令予輩をして江州司馬ならざるも、転た青袗を湿はさしむるものあらん、然れども斯の秋に際し斯の境遇に逢遭し、徒らに慷慨痛哭するは復た益なけん、起きん哉、我が三千八百万の兄弟姉妹よ卿等は自己が現在未来の安寧幸福を保維せん為め、何ぞ自ら奮て「日本分子打破旨義」と「塗抹旨義」とを日本国外に放逐蕩掃するの方策を講究せざる、借問す其方策とは如何。曰く彼等「日本分子打破旨義」と「塗抹旨義」は上流社会と大先達の学士世界との間に眼前自今大団結を為し、滔々として日本国土を汎濫せんとするものなれば、卿等も亦た大団結を組成し、敢て以て這般の両党与に衝らんとする即ち是れなり。
知得せよ我が親愛なる三千八百万の兄弟姉妹よ、予輩は自ら量らずといへども、亦た聊か学問の何物たる事理の何物たるを悟了するものなり、然り而して這般の言辞を発出するものは豈に偶然ならんや豈に徒爾ならんや。要するに当代今日は実に之れ大日本国の興廃、盛衰、安危と、大和民族の隆替、進退、嚮背とを裁断すべき千載一遇の機会なるを以て、予輩は舌の在らん限り、筆の在らん限りは「国粋保存」の大義を極言極論して已まざらんとする者なり、吁嗟斯の機去矣、復た追ふべからず、然らば眼前自今に際し日本国民が護国報国の義気を発揮し「国粋保存」の大旨義を懐抱せる一大党与の日本国裡に団結せざるに非ざれば、堂々たる大日本国の運命は真個に旦にして夕を計らざるものと云ふべし、起きん哉三千八百万の兄弟姉妹よ、日本の大気を呼吸し、日本の井水を飲み、日本の土壌に棲息しながら、日本士女の本分を尽さず本職を為さず、恬として顧みざるものは、豈に卿等が本心に愧ぢざらんや、人生五十、酔生夢死豈に卿等が期する処ならん哉。豈に卿等が期する処ならん哉。
(明治二十一年四月「日本人」)