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女の幼き息子に

  潜水夫

 

潜水夫は武装した星の兵卒である。

 

 (きん)の頭を

(やみ)の中にとぢこめ

全身に

風と水の鱗や獣皮をつける。

 

 兜をもつて、星を閉ぢ、世界を隔て

波濤の眼鏡一重が

同じ船の人々と千萬里を異にし

水と星の世界へ出発する。

 

 潜水夫は怒濤から生れた新らしき竜である。

 

 金星の眼をかゞやかせ

麻に赤絹の生命をよりまぜた綱と

悲しき呼吸機管を引いて

水中のふしぎな花咲く岩地へ降りてゆく。

 

 海底は無人の荒野の如く

夜の恐怖とたゝかひ、死に襲はれ

海の亡霊と打交つて、深紫の牛のやうに

重々しい水中の開拓にかゝる。

 

 潜水夫は哀れな海の十字架である。

 

 港の下や荒磯の底にゐて

はれやかな星や愛情といつしよに生活する

地上の妻や妹を

天の燭光のやうに仰ぎながら

 

 電気ランプをともし、(をの)をもち

難破船の死骸の上に

この世の金貨をさがしにゆく

武装した骸骨である。

 

  青い桃をもつて

 

 青い桃をもぎとつて

ふところへ入れると

女のやうな

華麗な感情になる

心臓に

桃がかちあふ

田舎道は熱烈で

喰ひ缺くと桃は真赤になる

自分は松の木によりかゝつて

川の南風をうけながら

大きい田舎の女と

真夏のおしやべりをする

 

  過ぎし日

 

うつくしかつた情熱の煙ともわかれ

もつともわびしい田舎へやつて来たものにとつて

四月のうすい春蘭やまつ白な木の花の

ざわざわとして吹きすさぶ色にふれるとき

さらにさらにあざやかな淋しさが

夕暮の匂ひとともにしんめりと身にながれる

いかなれば今さらに自然界の春の

こんなにもすがすがしくはれやかなるぞ

その眼その身にも似る事なく

日日に遠のく美しいいろいろの思ひを

いきいきととびちらしてしまつて。

 

  めぐりあひ

 

ふかい年月のあひだ僕のこころに

るゐるゐとしてかくれてゐた美しいものが

今こんなにも明るい地球の春の朝紅(あさやけ)となつて

宝玉をふくんだともし火のやうに

かくかくと僕の眼にうかんで来たのか

それは逢ふべくして逢へなかつた

心の城の姉妹のやうに

このきよらかな朝の境界線にたつて

ふたたびめぐりあひし喜び!

あらあらしかつた僕は今さらに

その尊い姉妹を尊敬しようと思ふ。

 

  青胡瓜

 

昧爽(よあけ)の胡瓜をもいでくれ、従妹よ

風に洗はれる三日月のやうな眼つきをして

僕はその青い小さな錨を畑でたべよう

何よりもうれしく露をかんじ、露にしみ

僕の目ざめを感じてゐて

朝焼けの光線に吹きつらぬかれ

僕の眺めの中に

鮮紅色の季節の娘のやうに扮装して

朝の胡瓜をもいで来てくれ。

 

  青 梨

 

水よりしづかな、しづかな

葉がくれの、曇れる野の色に

つやつやした風のふるるところを愛せよ

その颯とした新しい匂ひと

そのささやかな梨の実の

午前中の青い孤独が

静かな汝の眉の上に

画のやうに懸かるところに立つて。

 

  千鳥の帆走

 

空気の笛を吹けよ、若者ら

爽涼たる宝石いろの砂原を

あちこちと帆走する千鳥を喜びながら

あの色のよい形と声の

朝の半影を身にうつし、影を射つて

海青いろの波濤と岩との

このわびしい清らかな場所を

遊星の羽のやうに耀やかしめよ。

 

  所有権

 

村村の静かな地主達!

僕はこの立派な雑木林と草つ原の

あたらしい二重三重の権利を感情で争ふ

僕は君達の風と大気と精神を

木木がしつとりととりかこみ

どんなに地球の生の神神と

あでやかな季節の娘たちによつて

大きく味方され力を得てゐるかが

うらやましくてたまらないから。

 

  女の幼き息子に

 

幼き息子よ

その清らかな眼つきの水平線に

私はいつも真白な帆のやうに現はれよう

おまへのための南風のやうな若い母を

どんなに私が愛すればとて

その小さい視神経を明るくして

六月の山脈を見るやうに

はればれとこの私を感じておくれ

私はおまへの生の燈臺である母とならんで

おまへのまつ毛にもつとも楽しい灯をつけてあげられるやうに

私の心霊を海へ放つて清めて来ようから。

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2002/10/02

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佐藤 惣之助

サトウ ソウノスケ
さとう そうのすけ 詩人 1890~1942 神奈川県に生まれる。俳句から詩に転じ詩集を次々と上梓。小説や「赤城の子守唄」「人生劇場」など歌謡曲の作詞も手がけた大正期詩壇の異才。

掲載作は、1921(大正10)年日本評論社刊『深紅の人』以降の詩集から抄出。

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