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消えない灯

  1

 

 母娘の再会を祝うその夜の晩餐は、物資の乏しい戦時下としては驚くほど豪華なものだった。床の間の香炉からは気品ある香りが仄かに立ちのぼり、朝、通されたとき見た仏像の掛物も、いつのまにか慶事用の鶴の軸に取りかえられている。緑の絨毯(じゅうたん)を敷きつめたその十畳の客間は、珍客のときだけ使う特別の部屋らしく、大きな床の間・違い棚の、人を威圧するほどに立派なのが、この家に馴れぬ慧子には却って落ち着けない感じだった。一同が席につくと、和服の背を床柱にもたせてゆったりと坐った義父の須藤は、

「親子の盃だ」

 と、まず第一番に、今宵の正客である慧子に盃をさした。そして、妻の道子、慧子には父の違う弟妹である小学五年生の健一、七歳のヨシ子にまで、次々と盃をまわすと、広い額と意志的な眼を持った痩せぎすな体格の、見るからに性格的な鋭どさを感じさせる慧子を、穏やかな眼で見まもりながら言った。

「慧子さんは今日、しばらく離れていた親の懐ろへ戻ってきたんだ。これから先は困ったことが起きたら、いつでも此処へ来ればいいんだ」

 無造作な五分刈りの頭はまだ白髪もまばらで、童顔という形容のあてはまる日焼けした顔が五十九歳という年齢よりは遥かに若々しい。高い背に似合った恰幅のよい身体は、膝をくずさずに坐ると古武士然とした風格がある。そんな須藤に、慧子は今朝、はじめて会った時から、義理の父という間柄を抜きにして好感が持てた。今夜も、わざわざ料理屋から仕出しを取り寄せての歓待を受けるとは思わなかったので、恐縮して固くなっていたのだが、この須藤の言葉に温いものを感じて、急に心が和むのを覚えた。床の間に香を()き、膳部を整えて盃をめぐらす。他の人がすると気障(きざ)に見えるかも知れぬそのやり方も、須藤がすると如何にも身についた感じなのを、やはり人柄なのであろうと思った。

「それにしても、お母さんのところへ来るのが、ちっとばかり遅すぎたじゃないか」

 慧子がやっと部屋の空気に溶けこんできたのを見ると、須藤は胡坐(あぐら)を組み、姿勢をくずして、結婚して半年も経つのにまだ女学生っぽい感じの彼女に、まっすぐ眼を向けて、ちょっとからかうように言った。

「結婚する前だって、いくら厳しいお祖母さんのそばでも、手紙ぐらいは書けそうなものだったが……」

「ほんとうに、慧子は情の(こわ)い子だ、母親が恋しくはないんだろうかって、いつもお義父さんと話し合っていたのよ。住所は茨城の伯父さんに訊けば、いつでも分かるようにして置いたのに……」

 和服に白い割烹着をつけ、末席に坐って何かと食事の世話を焼いていた道子も、顔をあげて、ほそい眼をしばたたきながら口を挟んだ。その恨みがましい口調に、母から逆にそんな風に言われようとは思いがけなかったので、慧子は困惑の表情で二人の顔を見くらべた。そう言われゝば、つい最近まで、自分を置いて去ったことについて母を責める気は起きても、一度も住所を知ろうとしたり、会おうとしたことはなかった、と今更のようにそんな自分をかえりみた。「お前の母親は、自分の仕合せのためにお前という者を捨てて他所へ()ったんだから、親だなどと思うと間違いだよ」 と事あるごとに言う祖母の言葉を信じて、ともすれば母恋しい心をわざと抑え、却ってそんな母を憎もうと努めたあの切なかった少女の日々を、いったいどう説明したらよいだろうかと思った。

問われるまゝに、道子のいう父方の伯父は、ときどき慧子の様子を見に上京したが、激しい気性の祖母に遠慮して何も言わなかったので、もちろん住所など知らなかったこと、また祖母に、「お前の母親は悪い人間だ」と聞かされて、それを信じていたので、会いに行っても仕方がない、と思い込んでいたことなどを、ポツリポツリと語りながら、慧子はそれがいつのまにか、自分自身で積極的に母に会おうと努めなかったことへの弁解になるのを意識すると、急に反発するように、それにしても母は究極において、やはり自分を捨てたのではないか、と例の疑問がむくむくと頭をもたげた。

「そうかぁ、すっかりお祖母さんに教育されちまってたんだなあ。来れば、いつでも良いお父さんになる積りでいたのに……。それじゃあ、待てど暮らせど手紙もこないわけだ」

 須藤はその四角っぽい顎をなでながら声を立てゝ笑ったが、ふと傍らの健一がまだ箸をとらないでモジモジしているのに気づくと、

「どうした、健一、ちゃんとして食べなさい」

「だってえ、ヨシ子の魚の方が、あんなに大きいんだもん」

 健一は隣りのヨシ子の皿にチラチラと横目を遣いながら、不服そうに言った。母親似とみえて色白の優しい顔立ちをしている健一にくらべて、四角張った顎、蟇口を思わせる大きな口元、色の真っ黒なところまで皮肉にもほとんど須藤そっくりのヨシ子は、母親に魚の身をむしって貰いながら、すまして言った。

「兄ちゃんのだって大きいじゃないけ」

 須藤は笑いをこらえて、

「そんなさもしいことを言うもんじゃない。黙って食べなさい」

 わざとおどし声で言うと、急に眼をほそめてヨシ子を見やりながら、

「この子は面白い子でな。悪戯ばかりするからゲンコツをくれようと思って手をふりあげると、父ちゃん、そんな怖い顔して怒るなよ、と言うてけろりとした顔しとるんで、怒ることもできやせん」

 慧子もつりこまれて思わず笑ったが、母に寄りかゝるようにしてむしって貰った魚を食べている無邪気なヨシ子の様子を見ると、四歳のとき父に逝かれ、五歳の声を聞いたときにはすでに母の手を離れていた自分を思い、どこの家庭にもよく見られるこんな情景も自分の記憶に残っていないことが、ふと寂しく思われた。このヨシ子よりもさらに幼なかった自分を気強く手離して去った母の心を、またしても分からないと思った。

 やがて程よく酔った須藤は、文学を勉強しているとかいうこの義理の娘にどんな話題が向くだろうかと気を遣う様子で、「こんなに無骨に見えても儂はデパート勤めの経験があるから、これで結構、女の着物の柄や品質は分かる」と自慢しながら、若いころの失敗談を語り始めた。

「儂は初め士官学校を出て軍人だったが、軍人をやめて、まず財界に乗り出してやろうと思うてな。その頃は兄貴が実業界で相当にやっとったので、その世話で、東京の、いま伊勢丹になっている『ほてい屋』というデパートに入った。すると支配人が、手始めに客を大勢呼ぶ工夫をせいと言うから、女優を呼んでマネキンをさせた。これは当時初めての試みでな。もう大当たりで、いや客が来るの、来ないの。ひどい混雑で、迷子が出るやら窓ガラスが割れる騒ぎだ。そこまではよかったんだが、さて商品はちっとも売れない。そりゃあ、その筈だよ。客は買うのが目的ではなくて、女優を見るのが目的だもの。それで、高いマネキン代はとられる。ガラスは張り替える。デパートは大損さ。あとで支配人がこぼすから、わしはすまして言うてやった。客を沢山集めろと言うから、あんなに集めたじゃないか。それで目的は立派に達したのだから、窓ガラスや商品の売れ行きまでは責任は負えん、とな。それで、たちまち、お払い箱さ」

 そんな話に声を立てて笑いながらも、慧子の意識はともすると、母の道子の上に行った。頬から顎のあたりにかけて中年女特有の柔らかな脂肪を蓄え、白粉気はないが色の白い、やゝ下ぶくれの顔に、絶えず何かを眩しがっているような薄い眉の下のほそい眼。その感情のよく現れないほそい眼の故に漠然とつかみどころのない微笑。ときどき須藤に指図されては、料理を運ぶために落ち着いた動作で立つたり坐ったりする。十五年ぶりの母娘の再会という、この上もなく嬉しい筈の晩餐なのに、感情の乱れは微塵も見えない。「道子叔母さんは滅多に感情を現わさない人だから、そのつもりで行かないと失望するよ。すこしでも喜んでいる風が見えたら、それは、よっぽど喜んでるんだからね」伯父の家での従兄の言葉をひそかに思い浮かべながら、けれど慧子にとって、そんな母の様子は、やはりどうにも物足りなかった。

 母は本当に心から喜んでいるのだろうか。それとも喜怒哀楽を人前に出さぬ、あの日本の女の美徳を忠実に守っているのだろうか。

 そんな疑問が心に浮かび、その疑いはまたしても、母はわたしを愛して居るのだろうか、と幼い自分を置いて去ったその根本の行為に、いつか繋がっているのだった。

 

 父の死に次いで母に別れ、幼いときから祖母の手に育って、その後の母の消息も殆んど聞かされないできた慧子が、思いがけなく今まで見も知らなかった母方の伯父から部厚い封書を受け取ったのは、つい半月ほど前だった。

「突然でお驚きのことゝ思うが、小生は貴女の母の兄であります」

 そんな書き出しのその手紙は、つい最近、道子の便りで、結婚してからの慧子の住所が同じ東京であることを知ったので、とりあえず便りを書く気になった、と述べ、電車の乗り換えや道順をくわしく書き、在宅の時間まで書き添えて、ぜひ一度来るように、と繰り返してあった。嫁の道子を悪しざまに罵る祖母の手前ばかりでなく、自分を捨てゝ去ったということに強い反感を抱いていたので、二十歳になるその時まで母に会うことなどは考えても見なかったのだが、肉親の情の溢れたこの手紙は慧子の心をゆすぶった。行こうか、行くまいか、と思い迷った挙句、まるで見えないものに引かれるように伯父の石部の家を訪ねた彼女は、そこで、道子は決して自分から慧子を置いて去ったのではなく、逆に、無理に離縁されたのだという、今まで祖母に聞かされていたのとは正反対の思いがけない事実を知った。祖母の家では母の道子が悪い嫁であったが、ここでは祖母は恐ろしい悪人であり、母を苦しめた冷酷な姑なのであった。

「お祖母さんは道子さんに離縁の判を押させるために、弁護士を連れてこの家にも来たの。本当にあの時のことは、いま思い出しても胸がむかむかしてくる。道子さんは二階にかくれて、私が代わりに応対したんだけど、それはひどいことを言って、私はもう聞いているだけで頭の芯がガンガンしてしまって……」道子には嫂にあたる小柄で気の勝った伯母が、当時の憤激を新たにしながら激しい口調で語りだすと、

「あまりひどくされたので、一時はもう半狂乱になってな。わしは道子があのまゝ本当の気狂いになってしまうかと、どんなに心配したことか……」

 頭のよく禿()げた見るからに善良そうな伯父の石部は、小柄で気の勝った、いかにも下町っ子らしい伯母と共に、当時の憤激を新たにしながら、かわるがわる慧子に語った。また石部は、夫の遺産を高利貸しの手に委ねて却って一切を失った道子のために、階下に用心棒が幾人もごろごろしている物騒な金貸しの二階へ、内心ビクビクしながらも、せめて騙し取られた財産の一部を取り返してやろうと談判に行ったときの武勇伝などを、ユーモラスな調子で話したりした。

「金貸しに預けるなど危ないことをするな、と言っても、あの当時の道子は、子供を抱えて一人立ちせねばならんと思う一心で鬼のようにきつくなっていたから、その金貸しの婆さんにうまく言いくるめられて、(はた)の者の言うことなどに耳を傾ける余裕がなかったんだ。まあ、結果としてはそんな風になったが、慧子も、お母さんのその時の、血の出るような思いは汲んでやらねばならないよ」

 世渡りの術にうとく、機械技術者としてコツコツと勤め上げて、最近ようやく工場長から重役に昇進したというこの伯父は、末の妹である道子をいかにも愛しているらしく、すでに老境に入った額の皺の奧から慈愛深げな眼で慧子を見まもりながら、姪に対して、その母の立場をいたわることを忘れなかった。その後、この兄夫婦の家に厄介になっていた道子は、やがて、先妻を亡くし二人の娘を抱えて困っていた石部の親友の須藤と再婚の話がまとまり、慧子の父の七年忌をすませてから、新潟県・新発田市の須藤の家に入ったということだった。

 涙ぐんで何度も頷きながら、慧子の心はすでに母に傾いていた。そのような祖母の仕打ちも、常日頃の気性の激しさを思えば、如何にもありそうなことに思えた。当時の二十七歳という母の若さを思い、その心身に受けた苦しみを思って、矢も楯もたまらぬ思いで、慧子はその日、帰るとすぐ道子への第–信を書いた。折り返し、夢ではないかと喜びに溢れた道子の返事がきて、やがて二三度の文通の後、今まで抑えに抑えていた愛情が俄かに堰を切って溢れ出たように、慧子は昨夜、上野から北陸線の汽車に乗りこみ、一夜を揺られてきたのだった。

 けれど、手紙から受けた感じや幼いときの微かな記憶から、気の勝った多分に理知的な母の面影を描いて来た慧子は、今朝、この新発田の駅に着いた瞬間、七三に分けて無造作に束ねた髪、野暮ったい着物の好み、中背で小肥りの、そこら辺の田舎道でよく見かけるような、あまりにも田舎じみた中年女を発見して、戸惑わねばならなかった。この家で一日をすごすうちに、その戸惑いはますます強くなった。

 最初は軍人だったが、大正時代の軍縮会議前後の不況な軍人生活に見切りをつけて退役し、兄の死後、家督を相続してこの郷里に引っ込んだという経歴の須藤は、土地の人に立てられて名誉職など引き受けながら、生活に困らぬまゝに、これという職にもつかず、釣りに、碁に、いわば若隠居の状態で今日まで来たらしいが、その日常も如何にも殿さま然としていて、たとえばお茶が飲みたくなっても、すぐ目の前に茶器があるのに決して自分で淹れようとはしないで、わざわざ台所にいる道子を呼ぶという風だった。道子はそんな須藤の傍らで、まるで彼の一部のように、こまごまと身の廻りの用を足し、絶えず気を配る人になっていた。手伝いの少女が台所仕事の合間にするとみえて、朝、彼方の部屋でハタキの音がしていたかと思うと、昼過ぎ、また別の方角で座敷を掃く音がきこえる。そんな広い家の中を、道子は落ち着いた緩慢な動作で、ゆるゆると動きまわり、夫と子供と、それを賄う食事のほかには何の他念もないらしかった。慧子は、十五年ぶりに逢った母はすでに須藤の妻であり、父の異なる二人の弟妹の母であり、またこの家の主婦であって、決して自分の母ではないことを感じた。

 そんな眼で見ると、今のこの席でも特別の感動を示すこともなく、さりげない様子で振舞っている道子の態度が絶えず物足りなく思われて、自分のために催された豪華な晩餐に、溢れるような須藤の好意を感じながらも、慧子はときどき、まるで一隅から隙間風でも吹き込んでいるような妙な寂しさに陥るのだった。

 

  2

 

夕飯が終わって茶の間の炉端に戻ると、健一が「慧子姉ちゃんに俺の活動写真を見せる」と言い出した。引っ張られるまゝに廊下を隔てた十畳ほどの子供部屋へ行くと、彼はいそいそと正面の襖に白布を張り、小型映写機を部屋の中央に据えて、勿体ぶった表情でその前に坐った。100Wの電球を映写機に取りつけ、部屋の電球が消されると、やがて襖の白布に動物の漫画が動き始めた。健一は懸命にハンドルをまわしながら、「慧子姉ちゃん、面白い?」と、時々慧子の方を向いて尋ね、「ええ、面白いわ」と答えてやると、ますます張り切ってあとを続けた。

 手廻し式のその映写機は幻燈の絵が動く程度の幼稚なものだったが、幼い者たちはそれで充分満足らしく、もう何回か繰り返されたであろうこの活動写真を、手伝いの少女もいつの間にか出てきて、キチンと坐って熱心に見物し、ヨシ子はお河童頭をかしげながら、ときどきフィルムを取り替えたりする兄の動作の一つ一つを、尊敬の眼で見上げていた。

 慧子はそんな情景を微笑ましく思い、またこの健一の精一杯の歓待がうれしく、つい昨日まで逢ったこともなく、殆んど関心も持たなかった父違いの弟妹が、逢えばこんなにも身近く感じられるということにある感動も覺えるのだったが、ふと茶の間の炉端にいる母のことが意識にのぼると、三日の予定しかない限られた時間が俄かに惜しく思われて、こんな事をしてはいられない、もっと有効に使わなければ、と急に余裕のない心になるのだった。

 やっと活動写真が終わって炉端へ戻ると、今度は、まだ酔いが冷め切らないでますます上機嫌の須藤が、慧子をつかまえてお国自慢を始めた。「これは別に貴女に言うわけではないが」と前置きしては、「だいたい東京者は浮薄でいけない。そこへ行くと越後者は粘り強くて、実直で……」と東京人を貶しつけては越後人を褒め上げる。慧子がつい釣り込まれて東京人の弁解をすると、それがつけ目であるらしく、その四角っぽい顎をなでながら、ハツハツと機嫌よく笑った。やがて健一が「慧子姉ちゃん、明日の晩また活動の続きするからね」とよくよく念を押してヨシ子と共に別の部屋へ寝に行き、まもなく須藤も炉端を去ると、母娘はやっと二人きりになった。慧子は何かしらホッとすると同時に、いよいよ心待ちにしていた機会のきたのを感じ、母の心に触れられなかった今朝からの物足りなさを、今こそ突き極めなければならないと思った。母はなぜ自分を置いて去らねばならなかったのか。決して子を手離さぬ強い気持ちがありさえしたら、たとえ婚家を去るにしても、万難を排して連れて出られた筈ではないか。いまに分かる、大きくなれば分かる、と尋ねるたびに親類の人々から身を躱わされながら、物心ついて以来、忘れる暇なく抱き続けてきたこの疑問を、今こそ母の顔を見、その口から直接に聴かねばならない……。

 慧子は重大なことを切り出す前の緊張に妖しく心を昂ぶらせながら、囲炉裏ごしにそっと道子の表情を窺った。けれど道子は、そんな慧子の思いには気づかぬ様子で、ふと柱時計に眼をやると、

 「それじゃあ、もう遅いから貴女もお寝みなさい」

 と言いながら、どっこいしょ、とその小肥りの身体を持ちあげた。

 気負って息を詰める思いでいた慧子は、身体ごとぶつかろうとして、突然、体を躱わされた時のように、ちよっとぼんやりして、茶箪笥の抽斗から懐中電灯を取り出し、先に立って廊下へ出ようとする道子の動作を眼で追っていた。が、さあ、という風に敷居際でふりかえるのを見ると、期待を裏切られたことに気づき、急に惨めな気持ちになりながら、仕方なく腰をあげた。

「お義父さんは普段むっつりしている人なんだけれど、今日は貴女の来たのがよほど嬉しかったとみえて、あんなにお喋りして……。こんなことは珍らしいんですよ」

 暗い廊下を客間へ案内するため慧子の足元を懐中電灯で照らしながら、道子はふりかえって、いかにも嬉しそうに言った。

「亡くなった須藤の母はしっかりした偉い人で、客に出す布団なんかも八釜しく言ってね。人はそれぞれの身分に応じて待遇せねばならぬ。一番大切な客は羽二重の夜具、普通の客は銘仙、もとの奉公人などが泊まりに来た場合は、木綿の布団でないと却って泊りづらいもんだ、って。母さんは今日、貴女に、羽二重の一番良い布団を敷いたの」

 慧子は道子の言葉に頷き、その母の心づくしはよく分かったが、やはり、どうにも満たされぬ思いで黙っていた。今朝この家に着いて初めて顔を見たときから絶えず感じ続けて居た母への物足りなさは、結局、互いの心と心とがピッタリと触れ合わぬこのチグハグな気分にあるのだと思い、何とかしてこれをハッキリさせなければ、と思った。途中、幾部屋かを越して長い廊下を鍵の手に曲がる、その一番端が最前の客間であった。

 部屋へ入ると、道子は例のゆっくりした動作で、枕元にスタンドを置き、寝巻きをそろえ、もう足りないものはないか、という風に四辺を見まわしてから、

「じゃあ、ゆっくりおやすみなさい」とそのまま廊下へ出て行こうとした。

「お母さん」と、慧子は思いきって声をかけた。

「あたし、もっとお話がしたいんですけど」

「でも、昨夜は汽車でよく眠れなかったんでしょう? 睡眠不足になるといけないから、また明日ね」

「ええ、でも、何だか、ちっとも眠くないんです」

 道子は何かしら思いつめている慧子の様子に気づくと、立ったまゝ暫く黙っていた。が、やがて深い眼で頷いた。

「そう、それじゃあ、こちらの部屋へいらっしゃい。まだ、お炬燵(おこた)がかたづけないであるから」

 もう時刻は十一時を過ぎて、寝静まった家の中は深山のように静かだった。

 道子は慧子をすぐ隣りの自分の居間へ導き入れ、やがて母娘は、炬燵を挟んで向かい合った。

 瞬間、二人の間に改まった空気が流れる。

 慧子は訊きたいことが山ほどあるような切ない思いを抱きながら、さて、こうして道子と向かい合って見ると、何をどう言い出したらよいか、さっぱり分からなかった。はるばると夜汽車に揺られながら一晩中まんじりともせず思い憬れてきた母と二人きりのその瞬間が今なのだ、何か口に出して言わなければ、と焦れば焦るほど、ますます固くなって、たゞ凝っと眼の前の炬燵布団を見つめ、今更のように母との間に横たわる十五年の距離を感じた。

 そんな慧子を柔らかい眼で見まもりながら、道子は沈黙を破って言った。

「今晩は疲れているといけないから、明日にしようと思ったんだけれど……。母さんも貴女にぜひ聞いて貰いたいことがあるの」

 そして立ちあがると、箪笥の小抽斗から古ぼけた和紙の書類を取り出して慧子の前に広げた。

「亡くなったお祖父さんの筆跡、見たことあるでしょう? これは、母さんが貴女のお父さんの遺産を渡したときのお祖父さんの受領証なの。もう石部の伯父さんのところで大体は聞いたでしょうけど、本当に何から話したらよいか……」

 道子は思いを整えるように暫く眼を瞑っていたが、やがて、慧子の父の芳樹が東京に医院を開き、舅が地方の公立病院の院長を勤めて、各々独立の経済を保って別居していた当時の経済状態から説明し始めた。

 

 婿養子として谷村の家に入り、家付娘であるその妻に先立たれた芳樹のもとへ、道子が後妻として嫁いできたのは、彼が開業当時の苦しい経済状態を切りぬけて、ようやく医院の基礎が固まりかけた頃だった。慧子の姉の祖父母である舅姑との間にも何事も起らず、医院の建設に協力しながらの新婚時代は、それでも張りのある楽しいものだった。初め手伝いの女が一人だけだった医院は、ぐんぐん発展して、看護婦が増え、薬局生も置き、まもなく代診まで雇うほどになった。やがて慧子が生まれ、幾らかの土地家作も持つようになり、その後の何年かは安定した生活と家庭の和楽に満ちて、いま思えば、あれが幸福というものだったかも知れない。けれど、ひとたび芳樹が病を得て斃れると、子を抱えて後に残された若い寡婦の上には、ちょうど眼の前の防波堤が俄かに崩れ去ったように、忽ち激しい荒波が襲いかゝってきたのだった。

「いったん主人が亡くなったとなると、それまで親切だった人たちも、まるで手の裏を返すように急に変わってしまうものなの。まして此方が幾らかの財産でも遺された場合にはね」

 話して行きながら、道子はまざまざと当時の姑の豹変ぶりを思い浮かべた。

 一人娘をなくした上は頼るのは金ばかり、と土地家作は買わずにせっせと現金を貯めこみ、却って手許の苦しい芳樹に、「年寄りは先が心細い。いつになったら仕送りして貰えるようになるやら」と言って、あくまでも婿養子の責任を忘れさせまいと努めるのだったが、それでも老後を世話になる打算から比較的おだやかだった姑の態度は、芳樹の死んだ翌日からガラリと変わった。葬式のごたごたに些細なことまで取り上げては、いちいち嫁の落ち度と責め罵り、挙句のはてに芳樹の死んだのも道子の看護が足りなかったからだ、とまで言い出した。

 道子は、嫁をそのまま置くと、戸籍上、子供の親権者になるから芳樹の遺産に手が出せない、という利害のほかに、それまで将来への打算から感情を抑えていた姑が、せっかく愛娘の婿として得た芳樹を中途から奪う結果になった後妻としての自分へのひそかな憎しみを、今こそ偽りなく現わし始めたことを感じ、これはどうにも一緒に暮らすことはできないと思い定めて、必死に自活のことを考え始めた。けれど、ちょうど慧子のあとを姙って葬式のときには臨月に近い腹を抱えていたので、何の方策も立たないまゝにたゞ焦るばかりだった。

 そんなときに現れたのが戸沢コトという女金貸しであった。それにしても、あのとき、自分はなぜあんな老婆の言葉に耳を傾ける気になったのだろう、と後になって考えれば当時の自分の心理状態に疑問さえ持つのだったが、あの四面楚歌とも言える中にあって、「奥さん、これだけのものがあれば、なあに、子供の一人や二人、立派に育てゝ行けますよ。私も亭主に先立たれて、子供を抱えてやってきたんですから、決して他人事とは思えません。まぁ、私が確実な方法で利子を産んであげるからお任せなさい」と慰めてくれたその顔は、世にも温かい誠実なものに見えた。そして藁にもすがる思いで任せた金は、融通先が二重にも三重にも担保に入っていて遂に戻らず、これを知った舅姑は道子をどうしても家に置いておけぬといきり立った。自責と悔恨にさいなまれ、絶望に喘ぎながら、産後の身に激しい神経衰弱が昂じ、ほとんど狂人のようになって夜の街を彷徨い歩いたこともあった。

 ありとあらゆる心労のはてに急性肺炎を起こして寝込み、生死の境を彷徨しているその枕許に、弁護士を連れこんで離縁の判をつかせたときの、顴骨(ほおぼね)の高い頬を歪め、冷酷な三白眼をつりあげたあの姑の無慈悲な表情は、今でもまだ昨日のことのようになまなましく浮かんでくる。そんな中で、一時、知り合いに預けた慧子の妹は、おそらく母親なら冒さなかったであろう些細な不注意がもとで、たった一晩病むと、その小さな命を終えた。

 そして最後にあのすさまじい遺産争い。道子は生きるためのぎりぎりの立場で何としてでも夫の遺産が欲しく、また姑は決して困るわけではなく、豊かな暮らしであるのに、一人娘の忘れ形見である実の孫娘のために、やはり少しでも余計に婿の遺産が欲しいのであった。醜さに徹し、前途に些かの光明も見出せず、すべての光を見失ったようなあの苦しかった嘗ての日々を、いったい、どう話したらこの子に分かって貰えるだろうか。

 けれど道子は、金貸しに騙されて遺産の大部分を失った、その重大な過失だけは、さすがに慧子に語る勇気はなかった。

「くわしく話すと、お祖父さんお祖母さんの人格問題になるけれど、それはそれはひどいゴタゴタの挙句に、一切合財整理して、残ったお金を三等分して、その三分の一を母さんが生きるために貰って、あとは全部、貴女と貴女の姉さんの分としてお祖母さんたちに引き渡すことになったの。もちろん貴女のお父さんの遺産といっても、初めの苦しい時代から母さんが一生懸命協力して残してきたものだし、世間の人は、無理に家を出されるのに渡す人がありますか、逆に貰って出るものです、と言ったけれど、母さんは残してくる貴女の立場のよいようにと、それだけを思って、涙を呑んで渡す決心をしたの」

 これが一切を始末して残った金額、これがお祖母さんたちに渡した分、「戸沢コト殿」というこの宛名は、間に立って代わりにお祖母さんたちへお金を渡してくれた人の名、と道子は慧子の前にひろげた証文の金額を指で示しながら、こまかく説明し始めた。残してきた慧子を思い、さぞ母を怨んでいるであろうと心が痛むたびに、やがて逢った時これを見せて、苦しかったあの頃の立場も話し、事情も分かって貰おうと、ただ、それだけの思いで、今まで大切に保存して置いたのだった。

 けれど伯父の石部から、すでに金貸しの一件を聴いている慧子は、道子がことさらそれに触れないのに気づいていた。母はすべてを語っていない。或いは自分に都合のよいことばかり話しているのではないだろうか。そんな疑いも胸に浮かび、証拠物件を示して金額を説明する、そんな道子のやり方が、慧子の若い潔癖さにはひどく事務的で馴染めないものに思えた。

「いいじゃないの、もう、そんなお金のことなんか……」

 眉をひそめた慧子は、腹立たしい気持ちで、後を続けようとする道子をさえぎった。

「それに、そのお金は、結局、お祖母さんたちの手には渡らなかったんでしょう?」

 物心ついて以来、母に関しては半ば本能的な嗅覚を持っていた慧子は、やはりその遺産の整理に立ち合ったという父方の伯父に聴いて、その戸沢という金貸しの老婆が、当時、直接顔を合わせて金の受け渡しの出来ぬまでに双方の感情がこじれているのを利用して、巧みにこの小規模なお家騒動に立ち入り、祖父には言葉巧みに持ちかけて事前に仮受取りを書かせ、道子にはその仮証文を見せて金を出させ、結局、その金を横領してしまったという事情を知っていた。母はこの点も隠している。

 けれど道子はかぶりを振って、その慧子の言葉を驚くほど強い語調で否定した。

「いいえ、そんな筈はない。母さんは確かにこれだけの物を取り上げられたのよ。ほら、この筆跡、確かにお祖父さんのでしょう?」

「それじゃあ、お母さんは知らなかったの?」

 なおも躍起になって祖父の筆跡を説明しようとする道子を、慧子は呆れたように見まもった。それでは、双方のこじれきった感情の激しさを恐れて真相を告げる人もないまゝに、母は祖母に取り上げられたと信じ、祖母は母が一人占めしたと思いこみ、二人はその誤解の解ける折もなく、二十年もの間、互いに憎悪し合って今日まで生きてきたのだろうか。多分、良心の呵責もなく何度も同じような悪辣(あくらつ)さを繰返したであろう、その証文の「戸沢コト」という名を今更のように見つめながら、嘗ての日の嫁姑の激しい憎しみ合いを想像して、ふと溜息の出る思いだった。汚れた物に対するように証文から顔をそむけながら、慧子はなだめるように道子に言った。

「もう、いいじゃないの、そんなこと。そのお祖母さんのおかげで、私がこんなに大きくなったんですもの」

 道子はさすがに気おくれしたように黙って書類を引っ込めたが、お祖母さんのおかげで大きくなった、という慧子の言葉を耳にすると、その金が向方の手に渡らなかったという事実をあくまでも否定するように、キッパリとした語調で言った。

「でも、谷村の方にはそれだけの養育費はわたしてあるんだから……」

 その最後の言葉がぐっと慧子の胸にきた。

 遺産を渡したということを、子を置いて去ったことに対するせめてもの心遣りとしてきた道子の立場を思えば、今となってその真偽を争う気は毛頭なかったが、養育費を渡してあるから、というような言い方には、鋭い反撥を感じないではいられなかった。そして、遺産を渡すことなどより先に、なぜ自分を連れて出ることを考えなかったのか、と例のわだかまりが急に胸に突き上げた。

「でも、母さんは、貴女には本当に済まないと思っているの。もし貴女が男の子だったら、どんなことがあっても決して離しはしなかったんだけど……」

 突然黙り込んだ慧子の複雑な思いを察したように、道子はそっとその顔を見まもりながら言った。

「男の子なら、どんな思いをしても、とにかく育て上げさえすれば、あとは一緒に暮らしても差支えないけれども、女の子はいずれお嫁に遣らねばならないでしょう? それには、もし母親が無一文で女中か掃除婦にでも身を落としているようだと、良い縁談もないし、充分な支度もしてれやれないし、それに肺炎で死にはぐった挙句だったので、育てる途中で、もし自分が斃れるようなことがあったらと、それが一番恐ろしかったの。それで、一時は辛くとも手放して自分の身を固めた方が、貴女の将来のためにも賢明な方法だと思ったの」

 けれど慧子は、そんな道子の言葉も素直には聞けなかった。

「それじゃあ、お母さんは、子供がどんな暗い性格に育っても、どんな辛い思いをしても、お嫁入りの支度や良い縁談の方が大切だと思ったの?」

 むらむらとこみあげる憤りに、慧子はキラッと瞳をあげ、思わず頬を歪めながら、

「私はそんな物は要らなかったわ。私はどんなに貧乏でも、ひどい境遇でもいゝから、精一杯の愛情で育てゝもらいたかった」

 両親の合意の上でこの世に生まれ出た以上、子はその親に育てゝ貰うことを主張する権利がある。また純粋な母の愛情の前には、男の子、女の子の区別などない筈だ。

 慧子は唇をかむ思いで、自分の少女時代を思い出していた。

 それは、なるほど母の計算したように物質的には乏しくなかった。けれど、成長期に何よりも大切な愛情という点で、あまりにも惨めであった。生さぬ仲の祖母にとっては、実の孫である姉の綾子は唯一の愛情の対象だったが、後妻の子である慧子はたゞ厄介者にしか過ぎなかった。たとえば髪ひとつ洗うにしても、姉の髪は祖母自身が洗い、慧子の髪は手伝いの女に洗わせた。姉は跡取り娘だからという名目で事毎に甘やかされたが、五つ歳下の慧子は「嫁に出すのだから」と箸の上げ下ろしにも厳しく叱言を言われた。あとから考えれば、その祖母の厳しい躾はむしろ大きな慈悲ということもできるが、着物一枚買って貰っても、芝居ひとつ見せて貰っても、慧子だけが、いちいち手をついて礼を言わねばならないということは、幼い心には、やはり寂しいことに思われた。もちろん誰に対しても甘えた覚えなどは一度もない。

 そんな厳格さと冷たさの中で、何度家を出ようと風呂敷包みをこしらえたことだろう。そんな時でも「お前の母親は自分の仕合せのためにお前という者を捨てゝ他処へ嫁ったんだから、親だなどと思うと間違いだよ」という祖母の言葉が胸にしみついていたので、母のところへ行こうという考えは露ほども起きなかった。そして、いつか理性だけが勝って感情的な面の欠けた固い性格に育って行った。

 人生の最初に最も純粋であるべき母の愛に裏切られたことを思えば、愛情ということも信じられなかった。その現世の愛情への不信は現実に対する極端な無感動となって現われた。もちろん、そのような慧子には恋愛もできなかった。愛情に酔う前に、そのうつろい易い現世の愛を軽蔑してしまうのである。

 良人の杉田宏吉との結婚は、平凡な見合い結婚だった。しかも、女子挺身隊か、結婚か、というような昭和十八年の戦時下の激しい世相の中で、「挺身隊員として軍需工場へとられるよりは」という祖母の考えから選ばれた慌しい結婚だった。ゆっくり婚前交際をして、お互いの愛情や性格を確かめるというような悠長なことは望めない厳しい時代では、それはやむを得ないことだった。そして慧子はその結婚の話が起きたときも、生涯の岐路に立っての不安と、祖母の家を出られるという歓びのほかには、娘らしく胸をときめかせるというようなこともなかった。人生の流れの中で、単にひとつの場所から別の場所へ身を移すような、感動のない機械的な気持ちだったとも言うことができる。けれど、いざ結婚生活に入ってみて、いわば精神的な片輪ともいうべき自分自身の性格に気づいて、深く苦しまねばならなかった。

 そんなにも子の性格を歪め、心を傷つけ、それでも母は残してきた方が賢明だったと言うのだろうか。

「それはね、母さんだって、貴女を引き取ろうと思って、いろいろな方法を考えたのよ」

 道子は慧子の激しい視線に耐え、それが癖のほそい眼をしばたゝきながら言った。

「もといた看護婦で、とても忠実にしてくれた女が、産婆の免許を取って東京にいたので、そこへ預けて仕送りしようかと計画してみたり、それとも、どこか適当な所を見つけて預かって貰おうかと思ったり……。それに、こゝのお義父さんも、もちろん貴女がいるのは了解の上のことだったので、もし母親を慕ってくるようだったらいつでも引き取る、と言ってくださったのよ」

「だけど、私は結局、何もしては頂かなかったじゃないの」

 慧子は自分の言葉の残酷さを意識しながら、殊更に強い語調で言い返した。

「それに、お母さんは慧子の将来を思って身を固めたとおっしゃるけれど……」

 さすがにその先までは言えず、ふっと口をつぐみながら、キラキラと光る瞳に捨てられた子の怒りを籠めて、慧子はその深奥を窺うようにまじろぎもせず道子の眼を見た。

 それは弁解ではないのか。結局は母自身の幸福のためではなかったのか……。

 今まで慧子といえば別れた五歳のときのお河童頭を思い浮かべ、どんなに大きくなって現れても、いつでも自分に所属するものと安心しきっていた道子は、そこに意外にも自分とはまるきり別な一人の女の眼を発見して、思いがけぬ物につき当ったように、ハッとたじろいで眼をそらした。

 それ見ろ、やはり嘘ではないか。

 慧子は思わず心に叫び、ふと、何故こんな意地悪い見方をするのだろう、とそんな自分自身に驚きながら、急に力なく肩をおとした。

 たとえ母が女としての幸福を求めて再婚をしたとしても、それが何故いけないのか。また今更それを言ったところで何になろう。すべてはもう終わっていて、別れぬ昔には戻らないのだ。

 突然、胸の底の方から寂しさがこみあげた。慧子はいつか、うなだれて黙りこみ、母娘はそのまゝ言葉もなく長いこと向かい合っていた。

 

 やがて、二人は寝るためにそれぞれの部屋に別れたが、慧子は寝床へ入ってもなかなか寝つかれなかった。

 もう三月も末というのに北国の夜はまだ真冬の寒さだった。厚い夜具を透して浸みこんでくる厳しい寒気にじっと身をすくめ、スタンドの灯を消したあとの部屋の闇を見つめながら、慧子は昨夜、清水トンネルを過ぎるころから夜汽車の窓に眺められた、闇の中の仄白い積雪を思い浮かべていた。そして今朝、薄れ行く朝霧の中に現われ始めた見渡すかぎりの雪の田。その涯に平野をかこむように聳えている越後の連山の、曙光をうけて薔薇色に輝いていた神々しい雪の峯。母との再会に妖しく心を躍らせながら、一夜をまんじりともせず汽車に揺られてきた眼に、それら見馴れぬ北国の風景は、どんなに新鮮なものに映ったことだろう。歓びにあふれ、期待に満ちたあのときの心に較べて、たった一日しか経たないのに、今はあまりに惨めであった。

 慧子はいま聞いたばかりの母の言葉をあらためて反芻してみた。けれど、いくら考えても母という人間がわからなかった。

 慧子は、女も男と同じように、愛情生活のほかに何かひとつ精神面の仕事を持つべきだという考えの持ち主だった。それは愛情というものを信じられぬ少女時代の、現世への不信から出発した考えであったが、良人の宏吉によって現世の愛情を肯定できるような気持ちになっている今でも、その信条は変わらなかった。少女時代に、どんな場合にも裏切られることのない精神上の支柱として文学を選んだのもそのためであり、人妻として生活上のさまざまな障害と闘いながら、いまだにそれを守り続けているのも、やはりその信条からである。つまり慧子は何よりも自我を大切にし、人間性を重視し、結婚だけが女の唯一の目的とはどうしても考えられぬ、現代の女であった。そのような慧子には、男の子なら育てたが女の子だから手離したという考え方は愛情の打算としか思われず、嫁入りの支度とか良縁とかいう言葉は弁解としか考えられないのである。そして、母はやはり祖母に聴かされていたように利己的な人間なのだろうか、とそんな悲しい疑問さえ沸くのであった。

 決して、いわゆる血の繋がりという言葉に憬れて甘い気持ちできたのではなかった。また心の隅にわだかまってはいるものゝ、子を手離した理由を問い詰めようと、はるばるやって来たのでもない筈だった。けれど慧子は、母に対して、もっとピタリと心に触れるものを欲していた。母が本当に自分を産んだ人ならば、もっとじかに感じられる何かゞあってもよい筈だと思うが、精一杯のもてなしを受け、こうして羽二重の夜具にくるまり、須藤の心尽しにも、道子のもてなしにも、何ひとつ手落ちはないのに、慧子はその大切なものが感じられないのである。

 慧子は昨夜上野駅まで送ってくれた宏吉の、プラットホームに立って窓越しに言った、発車間際の言葉を思い出していた。

「何の批判もなしに素直な気持ちで行った方がいゝ。お母さんのお乳をたっぷり、今までの分まで一緒に吸ってくるといゝよ」

 けれど、何かしらが邪魔をして、自分にはどうしても甘えられない……。まじり気のない子の心で母の懐ろへ戻るには、自分はあまりに育ちすぎた。逢うのがあまりに遅すぎたのだ。

 慧子は深い吐息を洩らしながら、何度も何度も寝返りを打った。

 

  3

 

 少しまどろんだような気がして眼をさますと、いつのまに雨戸を明けたのか廊下の方の欄間から天井に光線が射しこみ、もう朝になっていた。昨夜の思いはまだ重苦しく胸底に澱んでいる。それを振り払うように慧子は急いで起き出した。空気が凍っているのかと思われるような北国の朝の寒気が、しびれるように肌を刺す。神経が冴えているせいか、寝不足は少しも感じなかった。

 茶の間へ行くと、まだ誰の姿も見えず、家の中はひっそりとしていた。手伝いの少女の立ち働くらしい物音だけが、台所の方から微かに聞こえる。

 慧子は廊下に戻って硝子戸越しに外を見た。まだ一面に雪の残っている庭の中央に、まるで築山のようにこんもりと雪の山が見られ、垣根の外には庭をかこむようにして、ささやかな小川が流れている。小川を隔てゝ広々と続く雪の田、その涯にやはり雪を頂いて連なる山々など、昨日の朝、汽車の窓から眺めたのとそっくりの景色が見わたせた。旅馴れぬ慧子はその見馴れぬ雪国の風景にふと旅情に似た感傷をそそられ、それが昨夜以来の重い心に作用して、急に啜り泣きたいようなもの悲しい衝動に駆られた。

 硝子に額を押しつけるようにしてぼんやりと眺めていると、やはり今起きたばかりらしい道子が、羽織の紐を結びながら別の廊下から出てきて、驚いたように立ちどまった。

「あら、もう起きたの? ゆっくりやすんでいればよかったのに……」

 口をとんがらせるようにして、やや不機嫌に庭を眺めている慧子の様子が、道子には妙に子供っぽく見えた。幼いとき、朝の寝起きに着ぶくれた着物の胸をふところ手でふくらませ、硝子戸にお河童の額をこすりつけるようにしながら、よくこんな風に外を眺めていた姿を彷彿と思い浮かべ、その横顔にまだ幼な顔の残っているのを見ると、何かしら幸福感が胸いっぱいに満ち溢れた。

 道子は寄り添うように慧子とならんで外を見ながら、庭の真ん中の雪の山を指して、あれは冬のあいだ屋根につもる雪を下ろした跡だと語り、屋根に雪をそのままにしておくと、あとからあとから降りつもって重みで家のつぶれることもあるので、冬の間に何度か雪下ろしの人夫を雇わねばならないのだが、そのため雪のない地方の人には分からない余分の費用がかゝる、などと説明した。

 やがて、道子は慧子を促すと、洗面所へ案内するために立ち上がった。茶の間をよこぎって、片側に板敷の広い台所といくつかの小部屋を見ながら、あまり広くない廊下を行くと、突き当たりが湯殿で、その一隅に洗面台があった。

「この新発田はガスも水道もあるのよ。東京とちっとも変わりないでしょう?」

 そんなことを言いながら水道の蛇口をひねって、洗面器に水を満たし、こだわりのない様子で歯ブラシの世話など焼く道子を、後ろから黙って見まもりながら、慧子は、母の心にはもう昨夜のことなど何も残っていないのだろうか、と沈んだ心で思っていた。

 湯殿から戻ってくると、茶の間の入り口に立っていた道子は、つと帯の間から紙包みを取り出して慧子に渡した。

「ねえやにやって頂戴。貴女からとしてね」

 慧子は今まで気のつかなかった自分の迂闊さを恥じながら、言われるまゝに台所へ行った。眼がクリクリして頬が林檎のように赤い、まだ十五歳だという小柄な少女は、紙包みを渡されると、思いがけない、という風に眼を(みは)ったが、すぐ嬉しそうな顔をして、「すみません」と小さな声で不器用に頭を下げた。

 まもなく台所へ入って行った道子に客からの心づけを報告している少女の声が聞こえ、茶の間の炉端で手をかざしている慧子は何か間の悪い思いだった。そして、朝の食事が始まると、道子は茶碗に御飯を盛りつけながら、素知らぬ顔で須藤に言った。

「あのぅ、ねえやがお客様に心づけを頂きましたよ」

「うん?」

 聞きとれなかった須藤が道子の方を向いて訊き返すと、彼女はすまして同じことを繰り返した。

「ねえやがお客様からお心づけを頂いたんですって」

「ほぅ」

 まだ世馴れぬ感じで、とてもそんなことに気がつくようには見えないので、須藤は思いがけないという表情で、チラと慧子の顔を見た。思わず耳もとまで赧くしながら、瞬間、慧子はそんな道子のやり方を厭だと思った。客にきてその家の女中に心づけひとつ与えることを知らぬありのままの娘を、そのまゝ見せればよいではないかと思い、須藤の手前をそんなにまでして取り繕おうとするそのやり方に、鋭く反撥しないではいられなかった。

 道子はそんな慧子の気持ちには気づかぬように、味噌汁をつけながら越後味噌の美味しさを自慢したりした。

 朝飯がすむと、須藤が食後の運動に弓を引くというので、慧子もヨシ子たちと一緒に見物した。茶の間の横の、南側が庭に面している幅一間ほどの廊下の一方の端に立って、もう一方の突き当たりに設けられた俵の的を射るのであった。片肌脱いで下着のシャツを現わし、弓を眼の上に高く揚げるようにして引き絞って荘重な動作で弓を放つ、その須藤の物腰は、ますます古武士然として見えた。道子は奥の客室の横手にあるそのさゝやかな矢場の天井を指して、二三年前に家を改築したとき、彼処だけわざわざ天井を高く抜いて造らせたが、後から手を入れる仕事なのでずいぶん費用がかかった、とやゝ誇らしげに説明した。家計簿と首っぴきで夫から渡される月給を遣り繰りしている慧子の眼には、ほとんどが食べることに追われている今の世相と思い較べて、それが如何にも贅沢なものに映った。

 また道子は慧子に家の中も案内して廻った。親子四人の暮らしではあまり使うこともないであろうと思われる幾つもの部屋には、それぞれに整然と家具が置かれ、家全体が如何にも代々の旧家らしいガッシリした造りであった。天井や柱が年代を経てやゝ古びているのも却って重々しい威厳が感じられた。武家時代を偲ばせる表玄関の式台、その隣りにずっと引っこんでいる内玄関、玄関の脇の小部屋から見えるいかめしい冠木門など、いそいそと先に立つ道子に尾いて見て歩きながら、慧子は、嫁入り支度と良い縁談とを何よりも大切に考えているらしい昨夜の道子の言葉を思い浮かべて、これが母にとっての良縁だったのであろうと、皮肉な気持ちになるのだった。

 やがて、玄関の鈴がそのたびに鳴って、須藤の客がぽつぽつと出入りし始め、活気のあるような沈滞しているような須藤家の一日が始まった。名誉職などしている関係で町の用事の客も少しはある様子だったが、だいたいが同年輩の碁将棋や釣の仲間であるらしかった。須藤は入れ代って訪れる客を、その都度、玄関脇の客間に通させては話しこみ、また茶の間の炉端に戻ってくるという風だった。

 主婦の道子の一日もなかなか忙しかった。須藤に「お茶」と呼ばれると何処にいても立ってくる。玄関の鈴が鳴ると出て行って客を通す。そのたびにお茶を出す。合間に子供の世話、食事の支度……。そんな道子が、慧子の眼には、極端に言えば須藤の意に従って家の中の事を取り運ぶ、まるで自分の意志を持たぬ機械のようにさえ映った。多分に士族臭の残っているこの家で、起きるも寝るもすべて須藤の意志に支配されているようなその雰囲気に、慧子はふと、立派な家に住み、地方の町の小さな名誉にとりかこまれて、母はこの生活に案外幸福を感じ、満足しているのかも知れないと思った。そして、学校は試験休みの健一が外へ遊びに出かけ、ヨシ子も人形箱を抱えて遊びにきた同じような友達と子供部屋に籠り、しいんと静かな茶の間の炉端で、慧子は昨夜と同じように心の底を冷たい風が吹き過ぎているような寂しさをもてあました。茶の間に続く台所で自分へのご馳走をつくるために割烹着をつけて忙しげに立ち働いている道子の後ろ姿を見まもりながら、どうしてもピタリとその心に触れられぬことを思い、いったい自分は何のために来たのだろうと、身体の力がふつふつと抜けていくような気持ちだった。

 それでも道子は須藤が客と話しこんでいる合間を見ては、慧子の傍らへきて坐り、慧子の薄い膝を見ては、

「私が二十歳ぐらいの頃には坐るとむっちり膝が盛りあがったもんだけれど、割合に厚味がないのね。別にどこも悪いわけじゃないんでしょう?」と尋ね、服を透して沁みるような寒気にすっかりかじかんで赧くなった指先を見ては、「冷たい手をして……。寒くないの? もっと何か着ますか?」と手を触れて見たりした。

「貴女は小さい時は、そりゃぁ、ふっくりとよく肥った子だったんですよ。髪なんかも艶々して真っ黒でね。今は割合に毛の艶がないけれど、パーマネントをかけてるせいかしら」

 そんなことを言いながら、そっと髪の毛にも触れて見る道子に、慧子は流石にその母親らしい心遣いは感じられたが、やはり素直になれなかった。昨夜気まずい思いで別れたそのことについては触れようとせず、そんな外面のことに気を向けている母が、何か肝腎な話を避けているようにも思えるのである。

 道子はそんな慧子の不満には気もつかぬように、時計が十時を打つとニコニコと茶箪笥から大きなブリキ缶を出し、

「貴女がくるというので、わざわざ農家へ頼んで作って貰ったのよ」

 言いながら、蓋をあけてかき餅を取り出すと、悠長な動作で囲炉裏に炭をつぎ足し、餅焼網をのせて焼き始めた。

「かき餅は畳の上でも千回返すと焼けるっていう位で、気長に焼くといいのよ」

 小さい固いかき餅は、金網の上で何度もひっくり返されるうちに、まるで生物がのたうつように次第に膨張し始めた。

「ほら面白いでしょう?」

 初めの三倍程の大きさに次々とこんがり焼き上げると、道子は慧子に頻りと食べるようにすゝめた。けれど慧子は、底にしこりでもできているような気持ちで胸がいっぱいだったので、お義理に一枚食べたきりで、あとは手を出す気になれなかった。

「どうして食べないの? とても美味しいのに……」

 皿に何枚も積みあげられたかき餅を見ながら、「もう沢山」と首をふる慧子に、道子はたゞ不思議そうな顔をしていた。

 お八つが欲しくなったとみえて、健一が外から戻ってくると、ヨシ子も一緒に茶の間へきた。道子は二人にかき餅を分けてやりながら、

「この子たちにはね、慧子姉ちゃんは生まれた時、お母さんのお乳が出なかったので、仕方なく他所へ預けたら、そこのお家で可愛くて離せなくなってしまったので、預けたまんまになってたんだけれど、それが今度お家へ帰ってきたんだよ、って言い聞かせてあるの」

 ちょっと悪戯っぽく笑って慧子の耳に囁くと、すぐ真面目な表情になって、

「お前たちはお母さんのお乳が出たから、ずっと傍にいられて、何よりも仕合せなんだよ」

 と言いきかせるような語調で言った。健一は「うん」と無造作に頷き、ヨシ子は分かったような分からないような表情で母と姉を見くらべた。

 几帳面な性質の慧子は、そんな道子に、またしても自分とは違う肌触りを感じた。健一とヨシ子に新しい姉を身近く感じさせようとする、その心遣いはよく分かるけれど、この二人の前にそれがいつまで真実として通るであろうかと思い、父の異なるという事実はあくまでも事実として、その上でこの幼い弟妹に馴れ親しんで貰いたいと思うのだった。

 健一はそんな道子や慧子の気持ちには頓着なく、何とかしてこの新しい姉を歓待しようと思うらしく、ふとよい事を思いついたという風に、慧子姉ちゃんに写真を見せようよ、と頻りと母にせがみ、やがてヨシ子と二人でエッサエッサと写真のぎっしり詰まっている大きな木の箱を運んできた。その箱の中から、慧子には未知の、須藤家につながる人々の消息が次々と引き出された。

 本来なら没落士族である筈の須藤家が、比較的豊かに暮らしていられるのは、大正時代、関西の財界に名を馳せ、実業界に活躍した須藤の兄が、財政的に家を再興したからだということだったが、その亡兄の写真を初め、才色兼備だったというその夫人、また、つい四五年前まで生きていたという須藤の母、そして現在この土地に住んでいる須藤の二人の姉たち、さらに、すでに他家へ嫁いでいる二人の先妻の娘たち……。

 名うてのしっかり者だったという須藤の母については、慧子も東京の石部の家での話から、母の嫁としての苦労を察して慰めたい気持ちでいたのだったが、道子は、

「母さんは、谷村のお姑さんには辛い目にあったけれど、こゝのお姑さんには、とても可愛がって貰ったの」

 と、その人がいかに立派な人格の婦人であったかということのみを、色々な例を挙げて説明した。また一人は某県の副知事に、一人は東北の県の大きな酒造家に嫁いでいるという、先妻の娘たちに関しても、二人ともよく懐いてくれた、とだけしか語らなかった。

 来客が途切れて、やがて須藤も炉端に戻ると、一緒になって写真を見た。長女の良人の副知事は彼の自慢の種であるらしく、須藤はまだ四十そこそこのいかにも秀才型のその人物の写真を取りあげて、高文合格の成績の優秀であったこと、どんなに才幹ある切れ者であるかということを、何度もくりかえして慧子に語った。

「富子もああいう良人を持ったのだから、まあ仕合わせと言わねばなるまい」

 いかにも満足そうな面持ちでふりかえる須藤に、道子は大きく頷いて、それから、やゝ残念そうに慧子に言った。

「お父さんはねぇ、貴女のことも、ここの家から(かたづ)けてやろうと言っていてくださったのよ。二番目の清子さんが貴女と三つ違いだから、それを嫁けたら貴女にも良い縁談をみつけて、と思ってたんだけれど。なかなか思うようにはいかないものねぇ」

 慧子はその口ぶりから、道子が先妻の娘たちの嫁ぎ先に較べて、大して財産家というわけでもなく、民間会社の、しかもまだ平社員である宏吉を、婿として不満に思っているのだと敏感に察した。いわゆる良い縁談とは、家柄の良い財産家か、社会的な地位の高い男の処へ嫁ぐことだと思い込んでいるらしい道子に、六十近い須藤はもう仕方がないとしても、まだ四十をいくつも過ぎぬ母がそんな考え方しかしないということが、むしろ情なく思われた。女の幸福とは決して良人の社会的地位や財産で決まるものではない筈だ。会社の都合で一緒に行けぬことを残念がっていた宏吉は、おそらくこんな冷たい物指しで計られていようとは夢にも思っていないだろう。慧子は妻の留守をあの郊外の小さな家で不自由に自炊しているであろう彼に済まない気持ちでいっぱいになり、無意識のうちに庇いながら、そのような道子がひどく物質的な考えの持ち主に思われ、自分とは違う世界に住む遠い存在のように、急によそよそしく感じられてくるのであった。

 

 昼飯がすみ、須藤が碁敵の家へ招かれて留守になると、道子はこれから親類の家へ挨拶に行こうと言い出した。洋装の慧子には、和服を着せて行きたい風であった。慧子は見も知らぬ母の親類などには何の興味も持てなかったが、言われるままに立ち上がり、着換えのために道子の後について納戸へ入った。

 茶の間と廊下を隔てて、ちょうど隠れ部屋のようになっているその細長い部屋は、窓がないので薄暗くて、両側に幾桿もの箪笥がギッシリ並んでいた。道子は、

「母さんは若いときから地味だったから、ちょうど貴女に合うようなのがなくてね」

 言いながら、楽しそうに箪笥の抽斗から柄の大きい大島の着物を撰び出したが、まだ赤いものの方が似合う慧子をふりかえると、ちょっと考える風をして、また別の抽斗から、空色地に糸巻きの模様が散らばっている大柄な錦紗の羽織を探し出した。

「この羽織はね、上の富子さんから次の清子さんに譲って、それをまた清子さんがお嫁に行くとき、ヨシ子に譲って行ったの。今日、貴女が着て、あとヨシ子が大きくなって着ると、順々にみんなが身につけるわね」

 慧子はその母の義理の娘たちに対しても、別に何の親しみも感じられないのだったが、道子はそんなめぐり合わせに一人で感慨を催しているらしかった。そして着物に長襦袢をかさねると、下着だけになった慧子に嬉しそうに着せかけながら、そっと両掌で挟んでその胸の厚みを計った。

「胸が薄いのね、もっと肥らなくては」

 慧子は自分がすでに女であることを思い、そんな母の前にふと頬を赧らめたが、まだ手離した当時のほんの子供のような気がしている道子は、手で触れてその成長ぶりを確かめないではいられないように、

「母さんより高いのね」

 とまた脊を較べてみたりした。

 やがて道子も羽織をとりかえ、母娘はつれ立って外へ出た。

 新発田は堀部安兵衛で名高い新発田藩のあった町であるが、須藤の家のある一画は昔は藩士の役宅にでもなっていたのか、いかにも落ち着いた昔風の軒並がつゞいている。道子はこの土地に初めての慧子に、玄関の外側に一尺ほど隔てゝ塀のようにめぐらしてある板囲いをふりかえって、これは雪囲いと言って冬のあいだ吹雪を防ぐもので、もうそろそろ取り外すのだと教えたり、小川沿いの道を歩きながら、向うの岸の木立の下にまだ深く残っている雪を指して、道路の方は人夫を使ったり川に流しこんだりしてかたづけるけれど、こんな所は構わないからそのまゝになっている、などと説明した。また道子は歩きながら、これから訪れる佐伯という家について語った。

「佐伯の大お祖母さんという人は、もう七十過ぎで、母さんの伯母さんに当たるんだけれど、母さんはこの佐伯の伯母さんには、小さい時から面倒をみて貰ってね。母さんはやはり、早く両親に別れて兄夫婦の世話になったでしょう? だから、いろいろと辛いこともあったの。東京の石部の伯父さんも、今でこそ重役に納まって、今度の貴女のことについても色々と面倒をみてくれたけれど、そのころはまだ若くて経済的に苦しかったから、母さんが女学校へ入ってからも、一度退学の話の出たことがあったの。そのときも佐伯の伯母さんが、いざというときは私が学資を出してあげるから、かまわず続けなさい、って励ましてくれたので、そのまま学校を続けることができたの。ちょうど同じ町に住むようになったので、今でも何か心配ごとがあると、母さんはいつでもこの伯母さんの所へ相談に行くの。それで貴女のことも伯母さんにだけは見て貰いたいと思ってね」

 そして道子は、ふと話を途切れさせると、大切なことを思い出したように言った。

「あのね、佐伯の家へは杉田さんのこと課長だって言うから、貴女も、そのつもりでね」

 突然なので何のことか分からず、不思議そうな顔を向ける慧子に、道子は流石に、ちょっときまり悪そうな表情をしながら、

「だって、上の富子さんのとこが副知事でしょう? 貴女の所もせめて課長位にしなければ口惜しいもの」

 やっとその意味が呑みこめると、慧子はそんな道子の前に、宏吉が課長になっていないということが、ひどく引け目に感じられ、急に不愉快になって、むっつりと黙った。

「佐伯の家というのは、混み入った家でね、家業は呉服屋なんだけど、四代続いての女暮らしなの」

 道子はそんな慧子の様子には無頓着で訪問先の話をつづけた。

「まず、大お祖母さんでしょう? 次が、その大お祖母さんの息子の嫁の中お祖母さん。その下が、そのまた息子のお嫁さんのお八重さん。それと、お八重さんの娘でまだ女学生の昌子ちゃん。不思議に男が若死にの家でね、三代続いて、それぞれ嫁姑の間柄の後家さんが、下の昌子ちゃん一人を血のつながりにしているわけなの」

 そんな話に仕方なく頷いてみせながら、その実、慧子はすこしも身を入れて聞いてはいなかった。慧子は何よりも、初めて逢った母があまりにも自分とはかけ離れた型の人間であることを感じていた。世俗的な虚栄心の強い物質主義者。それは自分が育てられた祖母の上にも多分に見られ、慧子は、世間体を気にし、なにごとにも打算をとる、そんな祖母の一面にいつも反撥していたのだったが、やっと逢うことのできた母にそれと同じ面を発見するということは、やはり幻滅でしかなかった。けれど、母そのものにどんな欠点があろうとも、ピタリと心に触れてくる何かが感じられゝば、それで満足することもできるが、常に薄い膜を隔てゝ対するように、慧子にはそのぎりぎりのものが感じられないのである。

 空はどんよりと曇って、ときどき吹きすぎる風が、道行く人を鳥肌立たせる日であった。もう明日は帰る予定であることを思い、やっとの思いで逢いにきた母に、こんな程度の触れ合いでまた別れねばならないのかと思うと、慧子はただ言いようもなく寂しかった。底のない深い所へ滅入りこんで行くような気持ちで、一様に帽子つきの黒いマントを着て往来している土地の人の姿をぼんやりと眼で追っていると、道子は、慧子がその丈の長い黒羅紗のマントを珍らしがっているのだと思い、あのマントは雪深いこの地方には男にも女にも欠くことのできない防寒具なのだと、くどくどと説明するのだった。

 まもなく二人は商店街の小さな呉服屋の前に立った。古風な店構えの中へ道子が声をかけると、甲斐々々しいモンペ姿の三十四五の女がでてきて、待っていたように、「さあさあ」と愛想よく招じ入れた。

 暖簾をくゞり、土間を通って店続きの座敷へあがると、店のくすぶっている割に内部は広くて小綺麗だった。まもなく奥から品のよい切髪の老女が曲がった腰を伸ばしながら、おぼつかない足取りでそろそろと出てきて、席に着くなり慧子に眼をとめて言った。

「おお、これが慧子さんか。このたびは、ようおいでしましたのう」

 中風でも病んでいるのか、低い震え声だった。慧子が手をついて挨拶すると、眼脂(めやに)のたまった眼をほそくして頷きながら、

「東京のお祖母さんの所でよう辛抱しなすったから、こんなに大きう立派になって、阿母さんとも逢えたのじゃ。ほんにのう、よかった、よかった」

 そして初めて道子の方を見て言った。

「このたびはさぞ嬉しうありましょうなあ」

 道子は素直に頷いて、

「はい、ひとつ屋根の下にいるのかと思うと、もう何だかわくわくするような気持ちで、昨夜はとうとう、まんじりともできませんでした」

「おゝ、おゝ、そうでのうてはなりませぬ。人間というものは、嬉しうても悲しうても、よう眠られぬものであります」

 慧子は何でも打ち明けにくるというこの年寄った伯母の前に、滅多に感情を現わさぬそのほそい眼に信頼をこめて、全身で甘えている道子を見て、須藤の家では見られなかった別の母を見たような気がした。

 そんな道子を慈愛深い眼で見遣りながら、大お祖母さんは慧子に言った。

「貴女も東京のお祖母さんのところで、さだめし苦労をしなすったゞろうが、阿母さんも今までは、えかい苦労でなあ。亡くなった須藤の阿母様というのは、お武家の娘じゃから権式が高うて、それはシャンとしたお人じゃった。その上、二人の娘が我儘で、阿母さんが台所でどんなに忙しがって働いているときでも、知らん顔で奥でお琴を弾いているという風でな。おまけに小姑が二人、入れかわり立ちかわり出入りして、あらを拾うときているから、一年じゅう気の休まる暇がのうて、よくここへ泣きに来なさったもんじゃ。でもまあ、無事に成人しなさって逢うことができたのじゃから、こんなめでたいことはない」

 やはりそうだったのかと、前こごみに坐っている道子を見かえりながら、それなら須藤の母には可愛がって貰った、二人の娘もよく懐いてくれた、などと取り繕って話さないで、母さんもこんなに辛い思いをした、と何故ぶちまけてくれないのだろう、といつも薄いヴェールを隔てゝ決して裸の心を見せようとしない道子のやり方が、慧子にはまたしても不満に思われるのだった。

 やがて、品がよくて華奢な大お祖母さんにくらべて、背は低いが働らき者らしい身体つきの中お祖母さんが、お茶がわりにと甘酒を運んできた。そして「せっかく来なすったのに何も御馳走がのうて」と済まながりながら、大お祖母さんと二人で頻りと慧子にお代わりをすゝめた。昼食を食べてきたばかりなので、「もう沢山です」とお辞儀をすると、たった一杯という法はない、と熱心に奨めるのが、いかにも田舎の人らしい素朴な感じだった。

「もうほんとうに沢山なんです」

 あまりに奨められるので当惑している慧子に、傍らから道子が口を挟んだ。

「この子は一度に沢山食べられないタチなんですよ。胃袋が小さいらしいんです」

 いかにも娘の体質を知悉している口ぶりだった。慧子はちぐはぐな気分だったあのかき餅のときを思い出して、それで胃袋が小さいと一人合点しているのか、と思わず苦笑した。

 中お祖母さんが慧子の良人について問いかけると、道子は待っていました、というように、

「お蔭さまで、これの主人は、もう課長になっていますの。民間会社ですから富子さんの主人のようなわけにはまいりませんけれど……」

 まるで、いつのまにか自分もそう思いこんでいるような、自信に満ちた言い方だった。

「おゝ、おゝ、それは、それは。何のあなた、どちらの会社でも課長さんになれば大したものじゃ。まだお若くていなさると伺っとりましたが……、ほう、二十八、それはお偉い。それでは慧子さんもお仕合わせじゃ」

 大袈裟な褒め言葉に、いかにも満足そうに受け答えしている道子を見遣りながら、今頃は会社の昼休みをぶらぶらと古本屋でも覗いているであろう宏吉の、帽子などあみだに冠って精励格勤の課長タイプには凡そ縁遠い姿を思い浮かべて、慧子はもう苦笑するほかなかった。

 そのうち、初めに出てきたお八重さんも加わって、話題はいつか暮し辛い日々への愚痴になった。

「こうして女手では商いもはかばかしゅう行きませず、いまに店に覗き穴でも作って、道行く人に、どうぞ一文、と頭をさげるようになりはせぬかと、心細うてなりませぬ。昌子は師範へ入って学校の先生になる言うとりますが、如何なることになりますやら」

 大お祖母さんの震え声が泣くような調子に聞こえた。座敷の正面に据えられた仏壇が手狭な住居に不釣合いな立派さであるのも、心細いこの家の成り立ちを物語っていた。閾や廊下がよく磨きこまれているのも、いかにも女所帯らしい。まだ一緒になって世間話をするほど世馴れていない慧子が、一人、取り残された感じで四辺を見まわしていると、その手持ち無沙汰な様子に気づいたお八重さんが、思いついたように隣りの部屋へ声をかけた。

「昌子、慧子さんに池でも見せてあげんか」

「はい」と小さな返事が聞こえて、すぐ、お下げの髪を両肩に垂らした制服の女学生が現れた。

 はにかみながら先に立つ、その後から、狭い廊下を鈎の手に曲がると、思いがけなく東京の下町の商家などによく見られるような、小さな凝った庭が現れた。隣家と接した板塀のわきに形ばかりの築山が築かれ、その手前の小さな池には、雛形のような石燈籠が、これも盆栽のような小さな松と共にひっそりと影を落とし、ほんの二坪ほどの狭さが、小じんまりとまとまっている。気がつくと、廊下のすぐ下まできているその池には、金魚も何匹か泳いでいた。

 廊下に蹲んでぼんやりと眺めながら、慧子は思うともなしにこの家の人々の上を思った。

 すでに五十をすぎながら、まだ大お祖母さんに対して姑に仕える嫁の態度をくずさぬ中お祖母さん。早く良人に死に別れ、若いころから家を支えるために男まさりに働きぬいているという引っつめ髪のお八重さん。この人たちは、それぞれ曽孫であり、孫であり、子である一人の女学生の成長のほかに、いったい何の楽しみがあるのだろう。

 そして思いは自分の母の道子の上にもつながった。

 嫁入った初めの家で姑に傷めつけられた挙句、たった一人の娘さえ手離してふたたび複雑な家に嫁ぎ、我儘な先妻の娘たちと、うるさい小姑にとりかこまれながら、厳しい二度目の姑にも辛抱強く仕え通してきた母。その卑屈さがしみこんで、現在の良人である須藤に対しても、今朝のあの女中への心づけのようなからくりをしないではいられない。女はそんなにまでして自分を殺しきらなければ、生涯の安住の座を築き上げることができないのだろうか。そして慧子は、自分はこの轍は踏むまい、と自身に鞭を打つのだった。

 女が文学なり何なり自分自身の仕事を持つということ、それはまたそれなりに、やはり厳しい生き方であるが、与えられた一生を甲斐あらしめるために、自分だけは苦しくともこの道を生き抜こうと思った。

 彼女はやはり同じように廊下に蹲んで、水面に浮かんでくる金魚に黙って麩をやっている傍らの少女の、水蜜桃の膚のようなふっくりした頬を見ながら、このおとなしそうな女学生の上にはどんな運命が訪れるのか、とひそかに思い遣ったりした。

 そのまま、ひっそりと金魚の餌を奪い合う様子を見ていたが、やがて二人は、どちらからともなく立ちあがった。もとの座敷まで戻ってきた慧子は、ひそひそと囁くような話し声があまりにもしめやかなので、すぐには入りかねる思いでそっと入口に佇んだ。が、ふと、途切れ途切れに洩れてくる道子の言葉に、思わず息をつめた。

「伯母さん、察してください。やっと逢うことができたと思ったら、もう、あの子はよその男のもので、思うようにそばへ置いておくこともできないんですもの。三日と手許に置けないで、もう明日には帰さなければならないのかと思うと……」

 道子の嗚咽する声につゞいて、大お祖母さんの泣くような震え声が聞こえた。

「おゝ、察するとも。察するとも。ほんに世の中はまゝならぬものであります」

 慧子は流石に深い感動を受けて、擬っと立ちつくした。が、急に(いきどお)ろしい気持ちになって、思わず心の中で叫んだ。

 今になってそんなことを言う位なら、なぜ初めに手離したんです。どんな思いをしても育てゝいてくれさえしたら、誰に遠慮することもなく一緒に暮らしていられたのに……。

 眼いっぱいに溢れようとする涙をやっとの思いでこらえながら、慧子はまたしてもぎりぎりと母への怨みがこみあげてくるのだった。

 帰りには来るときと別の道をまわって、あれが市役所、これは商工会議所と、道子は舗装された道路に流石に市の面目を示している幾つかの近代風な建物を慧子に見せ、また、わざわざ寄り道をして、藁でつくった安兵衛人形を祀る小さな堂に案内したりした。

 道子は、この大きくなった娘をどうしたら喜ばせられるかと心を砕く風に、朝からの雲が切れて漸く洩れてきた薄い陽の中を、尚もあちこちと連れ歩くのだったが、歩きながらチャンと道順を考えているらしく、同じ町内に住んでいる須藤の姉たちの家の前は、巧みによけて通った。ひとつの小路にうかうかと足を踏み入れようとしては「そうそう、こゝを通ると上の義姉さんの家の前に出るんだっけ」と恐ろしいものを避けるように慌てゝ戻ったりする。そんな道子の様子を見ながら、慧子は深くもしみこんだその卑屈さが胸に痛くさえ感じられた。これが日本の「嫁」の典型的な姿なのではないだろうか、と今更のように思った。

 それでも、その日の午後は、慧子にとって思いがけなく楽しいものになった。

 家に帰ると待ちかまえていた健一が、炉端に図画や習字などの成績物を持ち出してきた。ヨシ子も負けずに塗絵などを持ってきて、慧子は左右から、代わる代わる見せられた。両方から競争で代りばんこに突き出されるので、ゆっくり見ている暇がなく、あれも上手、これも上手、と、どの絵を見ても同じことしか口に出ないでいると、

「変だなぁ、慧子姉ちゃんは……。どれを見ても上手だ、上手だ、って同じことしか言わないんだもの」

 とうとう健一からそんな不服を言われた。

「だって、どれもこれも上手に見えるんですもの」

 と胡魔化しながら、慧子は両側から身をすり寄せるようにしてくるこの幼い弟妹が、無性に可愛く思われた。

 やがて、お三時に一同が炉端に集まっての寛ぎ話に、ふと、いけ花の師範免状を持っていると洩らしたことから、慧子は花を活けて見せることになった。

 須藤は庭の梅の木の背丈ほどのを指して、どうせ枯れかゝっているから、あれを大きいまゝで活けてみろ、と難題を出した。慧子は勇気を出して庭へ下りた。やゝ離れて木全体の線を見ながら、彼処、此処、と慧子の示す箇所を、鋸をもった須藤が傍らから次々と切り落としてくれた。最後に根元から伐り下ろすと、慧子はそれを例の緑の絨毯の部屋へ運んで貰って、床の間の真ん中に据えられた大きな花器に苦心して活けこんだ。それは、水が小バケツに三杯も入るほどの豪華な堤燈型の花瓶であった。道子が手伝いの少女を花屋へ走らせて求めた葉牡丹と水仙を根じめにあしらって活けあげると、慧子が花材の大きさに閉口したら「口程にもない」とからかう積りで、面白そうに見物していたらしい須藤は、大きく枝を張って、まだ固い蕾を持った梅の木が、豪華な花瓶にしっくりと入り、殿様が小姓を従えて坐れるほどの床の間に釣り合って結構立派に見えるのを眺めて、彼にしては珍らしく褒めた。

「いや、お世辞ではなく、師範の力量充分だ」

 花器に水を汲みこむのを手伝ったりして、花を活ける様子をはらはらと見まもっていた道子は、その須藤の言葉に、いかにも嬉しそうに眼をほそめた。

「この大きな(ぼく)を預けられて、一体どうすることかと思っていたら、それでもまあ、どうやら、うまくこなして……」

 そして佐伯のお八重さんが、先刻、挨拶に行ったお返しに、と、慧子に土産の半衿を持って訪れると、

「慧子の活けた花を、ちょっと見てやってください」

 とわざわざ奥の客間へ通した。

「まあ、よう立派に活けられましたなぁ」

 褒められて、ほそい眼を益々ほそくして相恰をくずしながら、それでも師範免状のことをつけ加えて自慢するのを忘れぬ道子に、慧子はもう本気で腹を立てる気にもなれず、しっかり者のお八重さんに対して、そんな母を、たゞ、きまり悪く思うだけであった。

 夕食の後は炉端で、さまざまに話が弾んだ。

 健一はまた、頻りと昨日の活動写真の続きをすると主張したが、

「慧子姉ちゃんは、もう明日帰るんだから、今夜はすこし母さんたちとお話しさせてね」

 と道子が言い聞かせて待たせておいた。

 慧子は、今夜こそは、ひょっとして母の心に触れられるだろうか、と思った。

 道子はいかにも名残りを惜しむ風に、話の合間に、ときどき、ふっと口を噤んでは、そのほそい眼で慧子を見まもり、また何か喋らないではいられないように、次々と話題を引き出した。けれど、それは殆んど須藤の身内に関するとりとめのない話で、須藤家に埋もれてきた道子には、慧子に対してもそんな話題しかないらしかった。十五年ものあいだ、別々の境遇に暮らしてきては、それも仕方がない、と慧子は思った。そして、そのとりとめのない話から、何かしら母の溜息のようなものを感じながらも、母娘の間に何ひとつ共通の話題がないということが、慧子には寂しかった。

 須藤はまだ人生の一歩を踏み出したばかりの若い慧子を見て、頻りと自身の青年時代を思い出すらしく、

「これでも若いころは色々な望みを持っていたんだが、こうして、とうとう此の田舎に埋もれてしまったよ」

 と五分刈りの頭をなでながら、空虚な笑い声を立てたりした。

 だいぶ時刻が経ってから、ふと、まだ健一を待たせてあることに気づいて、慧子が子供部屋を覗いてみると、待ちくたびれた健一とヨシ子は、部屋の一隅の行火でこしらえて貰った炬燵に、頬をくっつけ合うようにして他愛なく眠りこけていた。

 

 一夜明ければ、別れの朝であった。

 道子は早朝から起きて、弁当や汽車の中で食べる物を用意し、また昨日あたりから少しずつ用意していた土産物を、せっせと慧子のトランクに詰めこんだ。戦争前に買い置きの良質の化粧石鹸とか、ガーゼの手拭いとか、縮緬の風呂敷とか、新所帯である慧子の家庭には貴重に思われるそれらの土産物は、その小さなトランクに詰めきれず、道子はまた木綿の大風呂敷を持ち出してきて、別に風呂敷包みを作ったりした。

 そして道子は、隙をみて慧子を玄関脇の小部屋に呼ぶと、生後百ヶ日、満一年、とそれぞれ丹念に日付を記してある慧子の幼いときの写真を何枚か手渡しながら、

「こんな小さいときの写真を見ながら、いつも貴女の歳を算えて、それはもう、考えない日はなかったの」

 としみじみとした調子で言った。

「ひょっとお祖母さんの所が辛くて逃げて来はしないかと、そんな気ばかりして、いつ来ても、上から下まで着せられるようにと、それだけのお金はいつも帯の間に用意して、年じゅう心待ちにしていたの。でも、貴女はとうとう逃げて来はしなかったけれど……」

 それほどまでに思っていてくれたのなら、何故、積極的に引き取ろうとしなかったのか、と、そんな母の態度がひどく優柔なものに思われ、心の一方では、またしても歯がゆさと一種の憤りを感じるのだったが、その道子の言葉は、さすがに慧子の心に沁みた。

 道子は最後に、ビロード張りの小函から小さなダイヤの指環を取り出すと、慧子の左の薬指に嵌めた。

「貴女のお父さんは尺八の上手な方で、母さんにもお琴を習わしてくださって、二人でよく合奏したんだけれど、お琴を弾くとき、指に何もないのが寂しいとおっしゃって、この指環を誂えてくださったの。母さんはいつか貴女に逢ったとき上げようと思って、今まで大切に蔵って置いたの」

 囁くように語りながら、まるで慧子の為につくられたようにピッタリと指に合うその指輪を、懐かしげに見つめていたが、突然、顔をあげると、ひたと慧子の眼を見ながら言った。

「貴女のお父さんさえ生きていてくだすったら……」

 そして慌てうつむくと、クッと咽喉のつまったような声を立てた。

 慧子は眼を(みは)って、そんな道子を見まもった。急に熱いものがこみあげて、思わずその肩を抱きたいような衝動に駆られた。慧子の脳裏にありありと父の面影が浮かびあがった。眼鏡をかけて、長身にいつも白い手術着をつけていた父。診察室でその白衣の腕にやさしく抱かれた遠い記憶。幼いときの悲しさに顔はハッキリと思い出せないが、三十五歳の男盛りに亡くなったという父は、今もその頃の面影のまゝ慧子の胸の奥深くに生きている。もの心ついてからは、肉親の愛に満たされぬ寂しく辛かった日々を、父さえ生きていてくれたら、と何度その面影を慕って涙を浮かべたことだろう。そんな慧子にとって、その自分の父を母がいまだに愛しているということは、思いがけない嬉しさだった。慧子は母の家へきて三日目のいま、この時になって初めて、自分と母との間に切っても切れぬ骨肉のつながりがあることをハッキリと感じたのである。

 朝飯がすむと、一同は炉端へ集まってお別れにお茶を飲んだ。

 乳不足でよそへ預けたのが今度帰ってきたのだという母の言葉を信じているヨシ子は、「せっかく戻ってきたのになぜ帰ってしまうの?」と不思議そうに訊いた。道子が、慧子姉ちゃんはもうお嫁に行っているからそのお家へ帰るのだ、と説明すると、そんならもっと泊って行けとせがんだ。

 健一はまた彼の活動写真のことを言った。

「俺、昨日、お炬燵で慧子姉ちゃんのこと待ってゝ、知らないうちに眠っちゃったんで、あの続き、とうとう見せられなかった。今度きたとき見せるからね」

 待ちくたびれて眠りこけていた昨夜の健一たちの姿が思い浮かんで、可愛さがこみあげた。

 慧子は、たゞ、「えゝ、えゝ」と何度も頷いてみせながら、ふと東京と新発田との距離を思い、またいつ来ることができるだろうかと思った。

 もう出かけねば汽車に間に合わぬぎりぎりの時刻に、慧子はやっと立ちあがった。

 道子が納屋から乳母車を引き出してトランクと大きな風呂敷包みをのせると、須藤は玄関まで送ってきて、立ったまま、慧子を見おろしながら、

「また来なさい」と優しい眼で言った。

 門の外まで送って出た健一は、「俺、今日、友達と野球する約束なんで、留守の間に迎えにくるといけないから」と帽子を脱いで、あっさりと別れを告げた。そして、口を固く結び一途な表情で乳母車を押して行く道子の後から、ヨシ子は半分駈け足で、一生懸命、尾いてきた。

 慧子は乳母車の横を歩きながら、何か口をきくと涙が溢れそうだった。

 今日もどんよりと曇って厳しい朝の大気の中を、汽車の時刻の迫っているためもあったが、母娘はほとんど言葉を交わさず頻りと道を急いで行った。

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2007/02/28

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佐藤 和子

サトウ カズコ
さとう かずこ 作家 1921年 東京生まれ。昭和17年、文芸誌「女子文苑」の五十枚懸賞で女子文苑賞。

掲載作は昭和26年「文芸首都」に緒野和子の筆名で初出。底本は、昭和52年 尾鈴山書房刊『慧子』に拠る。

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