熊の出る開墾地
無蓋の二輪馬車は、初老の紳士と若い女とを乗せて、高原地帯の開墾場から奥暗い原始林の中へ消えて行つた。開墾地一帯の地主、狼のような
「ほいや! しつ!」
落葉松林の中の
若い農夫は樹の蔭から、
幾度も同じやうな失敗を繰返しながら、若い農夫は猟銃を構へて、馬車の上を狙ひながらその後を追ひかけた。馬車は、午後の陽に輝きながら散る
突然、
「ほおら! しつ!」
馭者が馬を追ふ声がして、ぎしぎしと車体の軋めく音が近付いて来た。間もなく樹の蔭から馬の首が出て、胴が見当の上を右から左へと移動した。若い農夫は激しく動悸する胸で、猟銃にしがみつくやうにして引金に指をかけた。約三十秒! とそこへ、左から右ヘ人影が現れた。アイヌであつた。
若い農夫は驚異の眼をみはり、ほつと溜息を吐くやうにして、猟銃を自分の足許に立てた。アイヌは其処に立止つて、若い農夫の見当を遮つたまま、珍らしい馬車での通行者を、何時までも見送つてゐた。機会は、馬車と共に原始林から村里へと
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機会を取遁して了つたことは、極度の嫉妬に燃え、復讐心に駆られてゐた雄吾に取つて、前歯で噛み潰したいやうな経験だつた。残念で、口惜しくて堪らなかつた。がしかし、あのアイヌが、自分の将来を、自分の無謀な計画の中から救ひ出してくれたやうにも思はれた。けれども、雄吾の復讐心の火は消されはしなかつた。彼は更に、最も賢いところの
「雄吾!」
彼はびつくりして顔を上げた。彼は濡れた唇を掌で拭ひながら、
「何処へ行つて来た? 顔色をかへて、鉄砲など持つて……」
同じ開墾場の
「熊が出てね。俺、皮がほしかつたもんだから、追つかけて見たのだげつとも……」
「熊だと?
佐平爺は微笑みながらさう言つて、
「まあ、なんにしろ、あまり無鉄砲なごとをして、自分の身を
「本当に、熊だつてばな!」
雄吾は佐平爺の慰めるやうな言葉で、
「
雄吾は、佐平爺の顔を見詰めてゐた眼を、静かに伏せた。同時に顔色が真青になつた。
「何も心配するごとねえ。それだけの度胸と覚悟があるのなら、もつと考へてやるのさ。――貴様は、自分の親父が殺された時の、本当のことを知らねえで、村の
「
雄吾は再び佐平爺の顔を視詰めた。――嘘つき佐平、で有名な佐平爺は、嘘をつくときには、
「併し、それにあ、開墾場の最初から話さねば判らねえから……まあ、火でも焚いてあたりながら…… 馬鹿に寒くなつて来たから……」
雄吾は倒れてゐる大木に猟銃を立掛けて、時雨に濡れた落葉の間に、枯枝を探し歩いた。
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雄吾の父親、岡本
「あんな
併しその悪口は、四苦八苦の生活に喘いでゐる百姓達の、羨望の言葉だつた。
露国との戦争が済んでから間もない頃で、日本の農村は一般に
其処へ岡本吾亮が素晴らしい話を持つて帰つて来たのだつた。――彼の知人が北海道に無代で提供してもいい百五十万坪と云ふ莫大な土地を持つて居ると云ふ話だつた。併しそれは道庁から十年間のうちに開拓すると云ふ条件で貰つたもので、既に二十家族からの人々が開墾してゐるが、なかなか開墾しきれないので、残りの三年の間に開墾して了はなければ道庁から取上げられて了ふのだ。がそれは惜しい。誰か開墾する者は無いだらうか? 自分は道庁から取上げられたものとして提供するし、開墾中の食糧ぐらゐは貸してもいい。それは開墾場から利益があがるやうになつてから年々少しづつ返してくれればいいと、其処の藤沢と云ふ地主が言つてゐるとのことだつた。そして吾亮は、食ふものを作る人間が食へなくなつたからとて、他の職業に就いたのでは、却つて食ふものが少くなるばかりだ。だから農村の失業者は、なるべく開墾地へ行つて、自分で自分の食ふものを作るべきだ。さう云ふ意味で、自分は一人でも行くつもりだが、誰か一緒に行く者は無いだらうかと云ふのだつた。
岡本のこの話は、新しい土地に就いて耕作しなければならぬ村の人達の間に、非常な人氣を呼んだ。彼への
「あの人は、やつぱり何処か偉いところがあるんだよ。
斯{か}うして此処にも二十家族に近い移住開墾者群の一団が成立したのだつた。
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彼等が北海道に渡つたのは晩春の頃だつた。高原地帯の原始林は既に、
開墾地として選定されてゐた場所は原始林に囲まれた処女地だつた。幅三十町、長さ五十町ほどの
彼等の原始的な生活が其処に始められた。深林を背負つて、彼等は南に向けて小屋の入口を並べた。陽があがれば野原に出て男達は木の根を
「斯うして腕の抜けるほど稼いで、こんな馬の食ふやうなものを食つて、着るものも着ずに乞食のやうな
若い女達はさう言ひ合つて泣いた。
「何を言ひやがるんだ。郷里で乞食が出来るかい? 乞食は大抵他国へ行つてするもんだぜ。我我だつて、乞食する積りで此処さ来たんぢやねえか。土地を貰ふんだぞ。余つぽどの
佐平は斯う言つて、
「こんなにまでして稼いだら、郷里の方に居たつて、
斯う、男達さへ云ふのだつた。
「馬鹿なことばかり言つて、貴様達は、買つて自分のものにした土地と、斯うして開墾して自分のものにする土地の、
佐平の、斯う云ふ話は、皆をよく感心させたり笑はせたりした。わけても吾亮の妻、即ち雄吾の母は、佐平の、さう云ふ話を
全く、
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三年の間と云ふもの、彼等は滅茶苦茶に開墾地域を掘り
兎に角、そして一通りの開墾が済むと、初めて地主の藤沢が其処へ顔を出した。そして彼等の小屋の近くに木造の事務所を建てた。今まで札幌の方で待合兼料理屋と云ふやうな稼業をして来てゐる藤沢は、自分の健康のために、夏から秋だけを此処で暮し、開墾場の収穫を売付けてやつたり、開墾場で必要なものは自分が代つて取寄せてやるなど、移住開墾者達と都会人との間に立つて彼等の売買、或ひは物物交換に、いろいろ面倒を見てやり度いと云ふのだつた。同時に、今まで貸付けて来た食糧を、その開墾地からあがる穀類で返納して貰つたり、自分も此処で養鶏をしたり園藝をして夏から秋を暮したいと云ふのだつた。
其頃から、原始林の中を抜けて、村里の所から、折折に巡査も廻つて来るやうになつた。ひどく毛蟲を怖がると云ふ噂のある巡査だつた。
或る真夏のことだつた。開墾場の人々は、事務所の前から原始林を過ぎて村里へ通ずる路の、
若い巡査は軽く頷いて、微笑みながら佐平の方へ歩み寄つて行つた。そして巡査は言つた。
「あの、佐平つて云ふのは、おまへかい?」
「はい。
佐平は起上つて驚きの眼を巡査にむけた。ひくりと口尻を動かして微笑んだ。
「おまへは、この開墾場一の嘘つきの名人だと云ふ噂だが、僕の前で一つ、その名人振りをやつてみせないかい? おまへの噂は、
「どうして、旦那様、旦那様の前でだけは……」
佐平は口尻を歪めて眼で
「誰の前だつていいぢやないか? うむ、一つやつてみろよ。その名人振りを……」
「私も、
「構はんと言つたら、他の人につくのこそやめねばいかん。併し、僕の前で、どれだけうまくやるか、試みにやる分には構はん。」
皆は顔を見合せて、油を
「どうぞ、旦那様、御免なすつて……」
佐平は巡査の
「ほおつ!」
突然、佐平が叫んだ。佐平は巡査の背後から一間ばかりも、
「どうした? 佐平!」
「毛蟲でがす! 大つきな!」
佐平は眼を釣りあげて口尻を曲げた。
「毛蟲? どれ? 何処だ?」
「旦那様の背中でがす。こんな、おつそろしい毛蟲は、初めて見たな。何んて毛蟲だベ?」
佐平は巡査の背中を視詰めながらおそるおそる近寄つて行つた。
「なに、僕の背中に? 取つてくれ取つてくれ?」
若い巡査は佐平の方へ背中を持つて行つた。
「こんな、
「そんなことを言はないで、早く取つてくれ、早く。」
「旦那様、服を脱がいん、服を……」
近くにゐた誰かがその
「何處にや? うむ、佐平、何もゐないぢやないか?」
若い巡査は服の上の毛蟲を見つけようとしながら言つた。
「これが旦那様、
皆は口から飛出さうとする笑ひを
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開墾地の耕作は容易でなかつた。若い荒荒しい土は、直ぐにも以前に還らうとするのだつた。
併し地主の藤沢は、この開墾地の緩慢な成長が待ちきれなかつた。彼は移住開墾者の代表格である岡本吾亮にまで自分の気待を伝へた。
「ね、岡本さん。開墾もこんで済んだのですし、そろそろ、あの食糧の方を戻して貰はれねえですかね。」
臆病な藤沢は、相談するやうな調子で、穏かに云ふのだつた。
「冗談言つちや困りますよ。皆んな食ふや食はずで働いてゐるぢやないですか。まあ、二三年は我慢して貰ふんですね。」
岡本は強情で掛引と云ふものを知らなかつた。
「だがね、無利子同様の安利子で何時までも貸してゐたんぢや、手前の方だつて堪りませんからね。何んとか一つ早く……」
「今、そんなことを言つたら、藤沢さん、あなたは殺されるよ。あの人達は、今やつと息がつけるやうになつたばかりぢやないですか…… 最初の約束だつて、開墾場から穀類があがるやうになつたらと云ふ話だつたし…… それは幾らかの牧穫はあるがね、自分達が食ふのにも足りない位なのだから……」
「いや、それはね、何も今直ぐ無理に頂くと云ふ話ぢやねえですがね。」
藤沢は、岡本吾亮の不機嫌な顔に媚笑ひをむけながら斯う言つて、其場を逃げたのだつた。
併し、地主の藤沢は、なかなかそれだけでは諦めきれなかつた。その翌年、彼は吾亮に隠れるやうにして移住開墾者の間を廻つた。彼等は苦しい中から、幾分かづつを返済することにしたのだつた。吾亮はそのことを後で聞いて、ひどく憤慨した。
「藤沢さん、そりやあんまりぢやないかね? もう一二年の間、あなた、待てないこと無かつたでせう。一体最初私になんと約束したんだ?」
吾亮は事務所へ出掛けて行つて地主に詰め寄つた。
「まあ岡本さん、穏かに……私は決して無理にと云ふのぢやなくて、出来るならと、まあ話の
斯う言つて地主は、吾亮の鋭い詰問と憤激に燃える眼とから遁れて了ふのだつた。
併し藤沢は、抑へてゐる間は縮んでゐる
「ね、岡本さん。この土地にも、そろそろ税金がかかるやうになつたんですがね。一つその、幾らでも一つその小作料を……」
話の途中で藤沢は吾亮の顔を見た。吾亮は何も言はずに、光る眼で藤沢の顔を視詰め続けた。そして吾亮は下唇を噛んだ。
「いや岡本さん、決して無理と云ふのぢやないんですがね。何しろその……」
「あなたは最初に私へなんて約束したです?」
吾亮は太い
「前の話は、前の話ですがね。併しその……」
「あなたは、道庁から取上げられた積りで、開墾した人にやると言つたぢやないですか? 何も私等だつて、あなたから貰はなくたつて、あれだけの難儀をして開墾する積りなら、幾らでも貰はれたんです。唯、手続の面倒が省けるから、あなたが、自分の力で開墾が出来なくて、取上げられて了ふ土地を貰つただけぢやないですか。」
「その手続がね、なかなか金のかかる……」
「手続に使つた金ぐらゐ出しますよ。併し、小作料なら、一粒だつて、一銭だつて出せません。あなたが現在使用してゐる土地だつて、私達が開墾したからこそ、あなたのものになつたんだ。あなたは、それだけの広い土地を自分のものにしただけでも、よすぎる位ぢやないですか。あなたの、名義で貰つたから、あなたの所有地にはなつてゐても、開墾して耕地にしなかつたら、あなたのものにだつてならなかつたぢやないですか。道庁でだつて、開墾したものにくれる意志なんだし……」
「いいです。いいです。私が慾を出したから悪いので、皆さんに差上げますから、幾らにでも、気の向く値段で権利を買取つて下さいな。」
藤沢はさう言つてまた媚笑ひをした。
「金のある時にね。併し、権利は早く私等の方へ移してほしいですね。当然のことなんだから。」
「いいですとも、いいですとも。そんなこと明日にでも。」
言ひながら、藤沢は、岡本吾亮のために、長い間の計画が崩されて行くのを感じた。
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開墾場の小屋を一通り廻り終ると、藤沢は落葉を踏付けて事務所へ戻つた。彼は窓際のテーブルに
突然、硝子窓の
岡本吾亮だ! 藤沢はガンと
「おい! 馬鹿なことを止せ!」
吾亮は右腕を顔に当てながら叫んだ。同時に鉄砲の音が響いた。吾亮は
藤沢は部屋の隅から毛皮の外套を取つて出て行つた。彼は震へる手で、微かに動いてゐる吾亮に毛皮の外套を着せた。そして彼は溜息を吐いた。併し彼の全身の
「おい! 駐在所へ行つて来てくれ。早くだ。駐在所へ行つて巡査を呼んで来てくれ。
藤沢は無我夢中に叫んだ。若者は声に追立てられて直ぐに駈出した。其処へ佐平が来た。
「あ、困つたことをして了つた。大変なことをして了つたよ。あ、あ……」
藤沢は斯う言ひながら溜息を吐いてゐた。
「どうしたのかね? 鉄砲の音がしたつけ。」
佐平はさう言つて屈み込んだ。
「あつ! 吾亮さんぢやねえか?」
叫んで佐平は跳び退いた。そして藤沢の顔を穴のあくほど視詰めた。
「なあにね、岡本さんは、
藤沢は溜息を続けた。佐平は、藤沢のその話の中から、将来に向けた秘密な計画を読み取ることが出来た。佐平は、だが、巡査の来るまでは、何も云ふべきではないと黙り続けてゐた。
巡査の来るまでには大分時間があつた。そのうちに、
「東京から此処まで来て、こんなことになるなんて……私達は此先どうしたらいいんですか……子供だつてまだ働けやしないのに……」
斯う言つて雄吾の母は啜泣くのだつた。
「岡本の奥さん。其方の心配はしないで下さい。私に責任があるんですから。其方の心配はしないで下さい。私は責任を負ふですから。」
併し彼女の心がそんなことで穏かになる筈がなかつた。穏和な情緒を滅茶滅茶に掻立てられた彼女は、何もかも
巡査が来た時には夜が
「それでこの人は、おまへとは、おまへの外套を無断で借着して行くやうな間柄だつたのか?」
「はい。それは、十何年前からの友達で。」
「すると、全然、過失と云ふわけだな?」
「でも、私は、罰を受けないと気が済みません。」
斯う云ふ言葉が交されてゐる間に、佐平は、啜泣いてゐる吾亮の妻の方へ歩み寄つた。
「
「今日は、朝出たきりでしたので……」
彼女は少しも藤沢を疑はなかつた。彼の表面を其まま受取つてゐるのだつた。佐平は巡査のところへ引返した。
「
佐平は斯う彼等の会話の中に言葉を挿んだ。
「おい! おまへは黙つてゐろ。今此処でいいかげんな嘘をつかれちや困るぢやないか。」
巡査は佐平の方に眼を光らせて言つた。
「いや、いや、すつかり暗くなつてからで…」
「
「旦那様、
佐平は斯う言つて、滅多に下げたことの無い頭を下げて頼んだ。自分の見透してゐる藤沢の秘密な計画を、皆んな話してやる積りだつた。
「證人だと? おまへを證人に立てたら、どんな嘘を云ふかわからんぢやないか。嘘つきの名人を證人に立てるわけにはいかんな。」
「ぢや誰か他の人でも……」
「自首して出た者に證人がいるか。そんなことは後のことだ。――さあ、ぢや、その毛皮を背負つて。」
巡査は藤沢を促して其処を立去つた。
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藤沢の罪科は過失致死罪だつた。罰金刑で済んだ。そして吾亮の遺族である雄吾とその母とは藤沢の
「いいえ、さうまでして頂かなくも、私は東京へ帰ります。東京ヘ帰つたら何んとかして食べて行けないことは無いでせうから。」
斯う吾亮の妻は言つた。併し藤沢は、其以前から五六人の作男を使つて自分も耕作をやつてゐたので、其人達のための炊事をしたり、自分の身辺の世話をしてくれる婦人を必要としてゐた。今までは開墾小屋から、百姓女が通つて来てくれてゐたが、吾亮の妻に其役をしてほしいと云ふのだつた。
「さうでもして貰はないと、私も気が済みませんからね。給金は、今までの倍にしますわ。」
藤沢が無理にさう云ふので、雄吾を
翌年の春、藤沢は例年よりも早く開墾地に出て来た。そして其夏中を、雄吾の母は、藤沢と一緒に事務所で寝起きをしなければならなかつた。勿論雄吾も一緒ではあつたが、五六人の作男は、以前から他の建物に寝起きをしてゐるのだつた。
藤沢は、その年はどう云ふものか、ひどく
「小作料をね? この土地は、開墾すれば頂戴出来る筈ぢや無かつたんですかね。」
佐平は斯う呆れた者の調子で言つた。
「冗談ぢやねえ。この土地だつて
「ぢや、道庁から直接貰つて開墾するんだつたな。今頃は自分のものになつてたのに…」
斯う佐平は言つて見たが、それは既に遅い気の付きやうだつた。
藤沢は二夏を雄吾の母とその事務所で暮したのであつたが、初雪が来て、その年もいよいよ札幌へ引上げるとなると、彼は彼女を
雄吾はその翌年の夏から
其頃、開墾地には美しい娘が三人ゐた。お糸。おせん。千代枝。その三人は次から次と五年の間に何れも同じやうにして札幌へ伴れて行かれた。――最初、彼女達は畑から事務所へと、炊事婦に
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「意気地の
佐平爺は悠長に煙草を
「貴様は矢張、雄吾、親父に似てゐるんだなあ。その度胸のいいところは……」
「度胸ぢやねえ。
斯う言つて雄吾は、焚火に屈み込んで枯枝を重ね直した。白い煙があがつた。深い天井からばらばらと落葉がして来た。風が出て来たのだ。
「うむ、うむ。だからやるのさ。一ぺんで、親父の仇を取つて、開墾場の人達皆んなを助けて、その上自分の恨みを晴らせるのだもの……」
「あ、やつてやるとも?」
雄吾はさう言つて膝の上の猟銃を撫でた。
「その上、貴様、
「あんな、人でなしの母親なんか、どうでもいい。」
「いや! しかしな、貴様からお母さんに話して、この開墾した土地を我々の
「併し、世の中つてさう調子よく行くものかなあ。俺、やつつけたら、自分も死ぬ覚悟なのだ。」
「だからさ、馬車に乗つてゐる者を撃つちや、熊だとは言はれめえつてことさ。いいか。其処をよく考へて見ねばならねえんだ。」
落葉がまたばらばらと散つた。白い煙が横に
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開墾地には其年も、そろそろ熊の出て来る初冬が近付いてゐた。
闇夜だつた。まだ宵の口だ。開墾地に散在してゐる移住者の、木造の小屋からは、皆一様に
原始林を背景にして散在した移住者の小屋から、事務所はやや難れたところにあつた。
事務所の燈火が消えた。おきんも寝たのだ。
「熊だあ! 熊だあ!」
若い声が突然叫んだ。暗がりに人影が動いた。
「熊だあ! 馬小屋を気を付けろ!」
移住者の小屋から
「熊だあ! 熊だあ!」
石油鑵が鳴り出した。
「熊だあ! 熊だあ!」
「事務所の方へ逃げたぞう!」
「熊だあ! 熊だあ!」
「熊だとう?」
「おつ! こりや熊でなくて藤沢さんだで。」
佐平爺が倒れて唸つてゐる藤沢に近付きながら言つた。
「善蔵、貴様誰かと駐在所へ行つて
「誰が撃つたつて訊かれたら?」
「あ、
雄吾は猟銃を杖にして
「雄吾、貴様は札幌さ行つて来ねえ気か? 俺が撃つたのだと言つて置いてくれ。」
佐平はこう言つて、雄吾から猟銃を
「この
「何を、馬鹿なことを。――おい、火を焚かうぢやねえか。」
(昭和四年三月五日)
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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