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スターバート・マーテル

   

 

 弁護士 田岡 錠治 先生

                  浦野 千恵子

 浦野千恵子です。覚えていますか?

 あの人が前の弁護士さんを解任して、先生があの人の弁護士さんになってすぐに、先生から、私に会いたいと言って何度も電話をもらった浦野千恵子です。

 あの時はどうしても会いたくないと断っておきながら、今になって、私の方から手紙を出して、すみません。お許しください。

 ひとつだけお願いしたくて、これを書いています。

 

 あの時は、私はもう、あの人と関わりたくなくて、もう、どんな小さなことでも、あの人と関わらない、あの人と関係のあることには、絶対にさわりたくない気持ちでした。

 そのことは今も変わりません。あの人のことでの電話には出ない。来る人には絶対に会わない。

 そうしていてもマスコミはしつこく来るし、それと本当は先生から電話が来るのも困って、あのあとアパート変わったんです。

 あの人が逮捕されて、「離婚した前妻」って私の名前が新聞に出て、マスコミが毎日私のアパートを取り巻いて、勤め先の学校へも毎日いっぱい来て、学校からは「全校の授業に支障が出るので、しばらく休んでいてほしい」といわれて、休まされました。

 何日も部屋の中に一人でいたのです。外に出ようにも、ドアをあければすぐにマスコミにいきなり写真を撮られたり、ビデオを回されたりだから、買い物にも行けなくて、飢死(うえじに)しそうでした。

 夜中もマスコミが張ってましたから、明け方、ちょっとの間、誰もいなくなったすきにあわててアパートを出て、私が一人だけ信用している親友の明代に頼んで、アパートに転がり込んだのです。しばらくの間、明代のアパートに置いてもらってたんですけど、いくら女同士といっても、一部屋に二人いつも一緒だと、両方とも気疲れするので、明代は「いてもいいよ」って言ってくれたけれど、そう言ってくれているうちが花だから、別になろうと思って、独立したんです。

 私の名前だと、またマスコミが来ると思って、明代の名前を使わせてもらってアパートを借りたんですけど、借りるのに給料の証明がいるから、それも、みんな明代が勤めている会社から明代の証明をとってもらって、女一人だからって貯金の残高証明までとられて。だから無理して「むじんくん」でお金を借り足して、明代の貯金通帳の残高をふやして、千円も取られて残高証明をとってもらって、やっとボロの、風呂もない安いアパートを借りました。

 だから私はここでは辻本明代で通しているんです。

 友達にも、親にも、このアパートを教えていないんです。

 すみませんけど、先生へのこの手紙にも住所は書きません。

 

 マスコミがいつも張っているから、前のアパートから荷物を出せなくて、出てくるとき、バッグ二つに持てるだけ着るものとかつめて持ち出しただけで、今でもそのまんま、家賃も払ってないから、前のアパートどうなってるのか。

 夏だからいいけど、ふとん一枚と毛布一枚安いのを買って、小さな電気釜と、小さな鍋二つ、お皿や茶碗、どうしても要るものはみんな百円ショップで一つずつ買って、ここで暮らしてるんです。

 勤めていた学校もマスコミのせいでずっと行けなくて、辞めなければならなくなりました。明代の名前でスーパーのパートに入って、一時間八五〇円もらって、生きているんです。だから、今は、誰にも会いたくない。手紙も出したくない。その気持ちは変わりません。

 でも、昨日新聞を見て、考えてしまって夜ずっと眠れなくて、今日パートの帰りに便箋を買ってきてこれを書いているんです。

 これだけはどうしても先生にお願いしたくて。

 昨日あの人の裁判があったって、新聞に出ていました。

 裁判官に、事件についてどう考えているかって聞かれて、あの人は「やったことは間違いありません。自分の命で償います。早く死刑になりたい」だけ言ったって。

 裁判のあとで先生はマスコミに「もっとたくさん話すように、紙に書いて渡したのに、本人はそれを読まないで、自分勝手にあれだけ言った」って言ったって書いてありました。

 あの人は「何にもしゃべらないで裁判を終わらせて、早く死刑にしてほしい」って言ってるって。事件のことも、自分の家のことや、家族のこと、自分の育ち方、私のこと、みんな言いたくない。何も言わないでこのまま死刑になりたいって、言っているって。

 でも先生は、あの人の言うようにはしないで、これから裁判を一通り全部やることにした。あんな事件をやったあの人は精神病かもしれないから精神鑑定をする、それから本人にこれまでのことを振り返って手記を書かせるって。

 弁護士さんが裁判所にそう言って、そうきまった。だから裁判はこれから一年も二年もかかるって、書いてありました。

 

 先生にお願いしたいんです。

 そんなことをしないであの人の言うようにしてやってください。

 精神鑑定とか、裁判一通り全部とか、もうやめて、早く、一日でも、一時間でも早く、あの人が死刑になれるようにしてやってください。お願いです。お願いします。このことだけお願いしたくて、手紙を書いているんです。

 

 あの人は、もう、何をやったって死刑しかないんでしょう。

 前に私のとこへたくさん来たマスコミもみんなそう言っていたし、ほかの誰だってみんな、あの人には、死刑しかないって言います。

 裁判で何をしたって無駄だって。

 一人ね、とってもよくしてくれる新聞記者がいたんです。

 いろんなことを教えてくれたんです。

 その人が言ったことがあるんです。

 精神鑑定をするのは、もし被告人が精神病だって鑑定が出れば、その被告人は無罪になるからだって。でもこの事件で、精神病だって鑑定を出す医者はいないって。

 あの男は、なんにも悪くない幼稚園の子供を七人も殺したんだから、精神病だって鑑定を書いて、世間からこんなに憎まれている被告人を無罪にするなんてことをできる医者はいないって。

 今までに、もう何度も鑑定しているんでしょう?

 私と別れたあとで、あの人が勤め先で人を殴って逮捕されたときも精神病じゃないって鑑定が出た。だから無罪ではなくって、執行猶予になったんだって。新聞にも出てました。

 それにあの人、高校のときから、もうずっと何度もいろんな精神病院に通っていて、今度の事件でマスコミや警察がそういう精神病院をみんな調べて、あの人を見ていたお医者さん達にも、あの人のこと精神病だって言う人は少なくって「ただの性格異常だ」って言っている人が多いっていうじゃないですか。

 精神病と性格異常と、どう違うのか、そんなに違うのか、私にはわからないけれど、もう一度鑑定をしたって、精神病だってことにはならないって、あの記者さんが言ったんです。前に掛かっていたいろんな病院で、全部の医者が精神病だって言っているんなら別だけど、性格異常だって言っている医者の方が多いのに、今ここで精神病だなんて鑑定は書けない、って。鑑定を書くお医者さんにも自分の立場があるからって。

 だから裁判で鑑定をしても、結果は同じだよって、性格異常の鑑定しか出ないよって、教えてくれたんです。

 それなら、もうあの人は助からないんでしょう。

 あの人もそれを知っているんでしょう。

 それなら、早く死刑にならせてやってください。

 あの人が、死刑になりたいって言っているうちに。

 あの人が、自分は本当は死刑になんかなりたくないんだって思いはじめないうちに。

 お願いします。

 お願いします。

 お願いします。

 早くしないと間に合わないんです。

 あの人は明日気がつくかもしれないんです。ほんとうは死にたくない。殺されたくないんだってことを。一時間先には、気がついてしまうかもしれないんです。

 

 あの人は、ほんとうは死刑になりたくないんです。

 中学のときから、死にたいとか言っていて、高校のときに遺書を書いたって新聞にでてました。私も前にちょっと本人から聞いています。でもそれはあの人の本心じゃないんです。本当は死ぬのが恐くて、恐くて仕方がないんです。死刑なんて、なお、恐くて、どうしようもないほど恐いんです。

 生きているのが(いや)だって、中学のときから言っているけれど、それは本当は、自分の不幸せな暮らしが嫌なだけなんです。幸せに生きたいのに、うまく行かない。どうしても幸せになれないから、それでこんな人生嫌だって言ってるだけで、本心は死にたいわけじゃないんです。

 それなのに、死にたいって、あの人は言ってしまう。

 だけど本当は死ぬのが恐い人だから、自分で死ぬ勇気がないんです。だから、死刑になりたい、なんて言うんです。そういい出すと、はじめは格好つけて言ったのに、自分で言っておいて、ほんとにそうだと思い込もうとする。

 恐いから、わざと死刑になりたいふりをするんです。自分は死刑になりたいんだと思おうとしているんです。

 

 あの人は、そういう人なんです。自分が本当にしたいことが、わからない。それで、本当は一番したくないことをしてしまったり、したいって、言ってしまったり、そういうことをする人なんです。

 あ、こう言うと少し違います。

 ほんとうは、知らないわけじゃない。心の中ではよく知っているんだけど、自分で自分に知らないふりをしているんです。一番したいことができないから、そうやって自分をだましてるんです。

 

 あの人が、そういう人だってこと、私だから、わかるんです。

 あの人に殴られて、蹴られて、何度も死ぬ目にあった、私だからわかるんです。

 あの人が、私を殴ったり、蹴ったり、死ぬ目にあわせるとき、本当はそんなことしたくないんだ、私をこんな目にあわせたくないんだ、ってことが私にはわかるんです。

 あの人、泣きながら暴力を振うんですよ。

 あんなに悲しそうな人を、見たことがない。

 私を殴りながら泣いている。あんな悲しそうな顔をする人を見たことがない。

 私にはわかるんです。

 私を殴るなんて、一番したくないことなんだって。それなのにしてしまうんだってことが。

 なぜ暴力をふるうのか。それは悲しくて、淋しくて、どうしようもないからなんです。自分が悲しい時、ふつうの人は、泣いたり、悲しいって人に訴えたりしますよね。あの人は素直にそれができなくて、かわりに人に乱暴をするんです。

 もちろん、そんなのふつうじゃない。してはいけない悪いことです。あの人だって、よくわかっているんです。わかっていて、そうしかできないんです。悪いことだとわかっているから、やりながら、どんどんやけになって、なおひどくやってしまうんです。

 そんな自分が嫌で、情けなくて、悲しくて、あの人は泣いているんですよ。私を殴りながらいつも泣いている。あんなかわいそうな人いないんです。

 だから、何度も、何度も、死ぬ目にあわされても、私、別れようと思わなかった。

 

 先生、あの人は、本心はとってもやさしいんです。

 やさしくなければ、私だって結婚なんかしませんよ。

 初めて会ったのは、駅なんですけど、私が階段を上っているとき、上から来た大きな男の人につき飛ばされたのね。それで階段から転げ落ちて、倒れたら、あの人が起こしてくれたの。それで私をつき飛ばした男を追っかけて捕まえて殴ったのね。警察が来て、相手が、おかしな人だったから、あの人が殴ったことは、まあかんべんされたんですけど。

 私が手と足に怪我してるのを見て、ぬり薬買ってくれたんです。

 駅前のスーパーへ連れていって、「薬買ってくるから」って、私をベンチに座らせて、自分のジャンパーを脱いで、私に掛けてくれて「こういうときって寒いだろ」って言ったんです。その時私、本当に寒かったんです。春なのに。階段から転げ落ちたショックと恐かったのとで、ああいう時って寒くなるもんなんですね。足ががくがくして歩けないしジャンパーを掛けてもらって座らせてもらって助かりました。

 薬と、ストッキングも買ってきてくれました。破れていたのを見てたんです。口では言わなかったけど。そういう人なんです。

「つけてくれば。トイレはあっち」って。

 薬をつけて、ストッキングを履き替えて出ていくと待っていてくれて家まで送ってくれました。

 やさしい人だな、って思って、つき合うようになったんです。

 

 ほんとにやさしい人、なんでもよく気がつくんです。

 私が病気のときはお粥作ってくれたり。

 お粥作るの、私よりうまいんです。あんなおいしいお粥、それまで食べたことがなかった。はじめにお粥作ってくれたときに聞いたんです。

 なんでこんなに上手につくれるの? って。

 そしたら「頭いいからさ」なんて言ってました。

「どうやったらうまく作れるか、考えるからだ」なんて。

 ほんと、そうだと思います。あの人は頭いいんです。

 何でも、よくわかるし、いろんなことをすぐ覚えます。

 でも「おふくろにいつも作ってやってたから」とも言いましたよ。

 どういう時にかっていうと、お母さんがお父さんに殴られて動けなくて、自分では何にも作ることもできないし、食べることもできないで寝ている時なんですって。

 あの人のお父さんも、ほんとによく、お母さんを殴ってたみたい。

 何度も救急車が来たって。

 近所の人が救急車呼んだって。

 救急車が来たときは仕方がないけど、お母さんがお父さんに殴られて、怪我をして自分から病院に行くと、お父さんはまた怒って殴ったって。家の恥さらしだって。

 救急車が来る方がもっと恥さらしなのに、アイツはバカだって、あの人言ってました。あの人はお父さんのことをお父さんとか、おやじとか言わないんです。アイツってしか言いません。親とは思っていないって。

 

 あの人はお母さんのことは好きで、お母さんを殴るお父さんを憎んでいたんです。でも、ここからがおかしいんだけど、中学になると、あの人が自分でお母さんを殴るようになったんですって。

「どうしてそんなことをするの」って聞いたんです。そうしたら、

「なさけないから」って。

「男に殴られっぱなしで、だらしなくって、きらいだ」って。

 理屈にも何にもならないじゃない、と人は思いますよね。

 そうなんですけれど、私、あの人のそういう気持ちはわかるんです。

 お父さんに殴られてばっかりで、みじめなばっかりのお母さんが、かわいそうで、本当はかばってあげたい。だけどお父さんにはかなわなくって、お母さんを助けられない。そういう自分もみじめで、自分とお母さんの両方がかわいそうで、なさけなくって、腹が立つんです。そうすると、かわいそうだと思うお母さんを、逆に殴ってしまう。悲しいから、みじめだから、殴るんです。それが自分でもどうにもならない、あの人の悪いところなんです。

 他人とうまくやれないのも、これと同じで、自分が悪いとわかっていて、そう思うと、逆に相手にもっと悪いことをしてしまう。言わなければいいのに、悪いことを言って喧嘩にしてしまったり、そのあげく手を出してしまったり。

 

 私にも、そうなんです。おんなじなんです。

 でも私、今になって、考えるんです。

 結婚したすぐのころ、はじめのうちに、殴られた時、私からも殴り返せばよかったのかもしれないって。そうしたらあの人案外「なんだお前」なんて言って笑っちゃったりして、それから仲良くしたりしたかもしれない。あの人、そうしたかったんだろうなって。

 でも、最初に殴られた時は、私が悪かったから、殴り返そうとか思わなかったんです。結婚してすぐのころだったんだけど、あの人、就職しても、すぐ喧嘩してやめてしまうから、仕事がないことが多くて、そうすると私の給料で暮らしてました。

 そうなると機嫌が悪くてね。

 引け目からだとわかるから、引け目を感じさせないように気をつけてるんですけど、それがわかって、よけいに絡むんです。そうやって喧嘩したとき、つい、嫌味を言ったのが悪かったんです。

 いきなり張り飛ばされて、顔が腫れ上がって、仕事に行けなかった。

 今でも思うんですよ。あのときあんな嫌味言わなければ、あの人私を殴るようにはならなかったんじゃないか。ずっとやさしく一緒に暮らせたんじゃないか。

 一度殴るとあと、くせになったみたいに、ほんのちょっとしたことでも手を出すようになりました。どういうときに手を出すか、あの人なりに理屈は通ってるんです。あの人はとってもよく気がついてやさしいのに、私がそれをわからなくって、あの人の親切を無にしたり、あの人が考えてるのと逆なことを平気でしたりするときなんです。

 はじめの時に、あの人が私に食べさせてもらってると引け目に思ってるのに、私があんな嫌味言ったのとおんなじなんです。私がそんなことしなければ、そのあとのこと、みんな違ったようになっていたんじゃないか。

 今でもそう思っています。

 私が悪かったんだって。

 

 あの人、自分でいいことだと思ってやっているわけじゃないんです。

 あの人は、お父さんに殴られてばかりいるお母さんを、自分も殴るなんて理屈にもならない悪いことだってわかってるんです。

 それなのにそうやってしまって、お母さんが起き上がれなくって寝ていると、お粥作ってあげてたんです。

 なんてことだろう、とあきれますよね。ふつうの人が聞けば。

 こんなこと言っても、誰にも、わかってもらえませんよね。

 でも、ほんとうにそうだったんだ、ってことが、私にはよくわかります。

 あの人は、泣きながらお粥作ってたんだと思います。

 私には目に見えるようなんです。

 私にもそうしてましたから。

 私を殴っておいて、私が動けなくなると、あの始めの時、駅で変な男に突き飛ばされた時とおんなじで、やさしく世話をしてくれるんです。私をふとんに寝かせて、暖かくしてくれて、薬つけてくれたり、お粥作ってくれたり。それを泣きながらしてるんです。

「おれなんか嫌いだろう? 嫌いだろうな? 千恵子はかわいそうだ。おれにこんなことされて。おれなんか捨てて出ていった方がいい」って泣くんです。

 そうすると私も悲しくなってね。乱暴される私より、するこの人の方がずっと悲しいんだ、って思って、かわいそうで、私も泣きました。

 あの人のやさしさ、乱暴、弱虫さ、みんな一緒の一つのものなんです。

 ふつう、人にはいいところと、悪いところがあって、この悪いところさえなければ、とか言いますよね。でも、あの人のは、いいところと、悪いところが一緒なんです。片方だけなくなるなんてことはない、そんな人なんです。

 やさしさが、乱暴のもとなんです。そんなこと誰も信じないでしょうけれど。そうなんだってことが、私にはよくわかるんです。

 だから、かわいそうで。

 

 そして乱暴は困るんですけれど、もちろん恐いし嫌なんですけれど、あの人の、あのやさしさは、誰にもない、ほんとうに誰にもないやさしさなんです。

 もう二度と、あんなにやさしくしてくれる男の人に出会うことはないでしょうね。

 

 あの人、ほんとうは乱暴な人じゃないんですよ。

 ほんとうはすごく弱虫なんです。

 私よりずっと、弱虫なんです。

 ほかの男の人より弱虫なんです。

 弱虫だから、暴力をふるうんです。

 弱虫だから、あんな事件を起こすんです。

 こんなこと、人に言ってもわからないでしょうか。

 

 こんどのことでやめるまで、私は小学校に勤めていたから、わかるんですけど、暴力をふるう子供って、弱虫なんです。

 先生や親から叱られないように、上手にいじめをやれる子は心がこわい、強い子です。上手にいじめをやれないし、上手にいじめをかわせない子が、いじめられて、そうすると自分より弱い子に暴力をふるうんです。

 

 私が、あの人と一緒になる気になったのは、あの人の弱虫なところがわかったからなんだと思います。私がついててあげなければ、と思ったんです。

 弱虫で、やさしい子が、そのやさしさを、自分が好きな人に受け止めてもらえない、世の中から受け止めてもらえないと、その悲しい気持ちを暴力で表すんです。

 

 だから、ずっと私が一緒にいてあげようと思っていました。

 でも結局離婚してしまった。

 別れたころ、このままだと殺されてしまうと思ったからです。

 あの人はずっと、私を殴りながら泣いていたんだけれど、私はだから、あの人の心がわかって、だから、毎日殴られても、別れることは考えなかったんだけれど、そういう私の気持ちが、あるときあの人にわかってしまったんです。

 あの人が私の肋骨を折ったときに、それでも私が出ていかないのは、あの人の悲しい心を、私が知っているからだと、あの人にわかってしまったんです。

 私は言いませんでしたよ。そんなこと。言ったら、あの人は私を殺します。あの人は、自分が悲しいことを、知られたくないんです。

 でもわかってしまった。私が知っていることが、わかってしまった。あの人、ひとの心がよくわかる人なんです。

 それから、あの人は私を殴るとき、泣かなくなったんです。

 悲しくないふりをするために、鬼みたいな顔をして殴ったり蹴ったりしました。

 だから、私は逃げたんです。

 もう、それが近いんだ。本当に私が殺される時が近いんだってわかって。

 

 私ね、殺されてもいい気持ちもあったんですよ。

 私を殺したら、この人は死ぬんですから。

 一緒に死んであげよう。

 あんまりかわいそうで。

 一緒に死んであげてもいい気持ちもあったんですよ。

 あの時、一緒に死んであげてたら、あの人は、今度の事件を起こさなかったんです。自分一人では死ねないから、他人に死刑にしてもらうために、関係ない人をたくさん殺して、死刑になろうなんて、そんなこと、うそでも考えつかなかった。

 私が殺されてあげたら。あの人はそれで、自分一人で死ぬ勇気が出たんです。

 私にはわかるんです。あの人はそういう人です。

 

 どうして、逃げたんでしょうね。

 わかっているのに。

 結局、そこまで、愛せなかったんでしょうね。

 私は、自分の方がかわいかったんでしょうね。

 

 あの人があの事件を起こしたのは、だから私のせいなんです。

 私が、なんにも気がつかないで、逃げたんならいいんです。

 ほかの女の人のように。

 でも、私はあの人の気持ちが全部わかっている。一緒に死んであげれば、あの人には一人で死ぬ勇気があるんだってことも。

 みんなわかっていながら、私が逃げたから。

 だから、あの人はあの事件を起こした。

 あの人はそういう人です。

 

 私があの人から逃げたとわかって、私を殴っていた時よりもっと悲しくなったんです。

 あの人は、自分の悲しさが強ければ強いだけ、暴力がひどくなる人なんです。

 私が逃げたあとすぐ、勤めていた会社の人を殴ってけがさせて、逮捕されました。それまで他人にはそんなにひどい乱暴したことはなかったのに。

 私にしていたよりひどく、他人を殴ったんです。悲しみがもっとひどくなったから。

 そのあと、今回の事件です。

 

 何の関係もない幼稚園の子供を七人も殺して、十何人も怪我させて。

 事件のことを知ったとき、私、真っ先に感じました。

 あの人は、もうどうしようもないほど、悲しくなっていたんだなと。とうとう無関係な相手を手当たりしだい手に掛けるとこまで来たんだなって。最後のところに来てしまったんだな、って。

 

 新聞やテレビでは、「別れた妻に復しゅうするためにあの犯罪をやった」って出てました。復しゅうってどういうことなのか。あの人がそう言ったのかどうかわからないけれど、もし、あの人がそういう言葉を使ったんなら、「千恵子が逃げたからやったんだ」って言ったんなら、それは、あの人の気持ちを全部知っているのに逃げた、私が憎いんです。

 それが「復しゅう」っていうことなのかどうか、よくわからないけど、あの人は、もう終わりだと思ったんでしょうね。自分の人生終わりにするほかないんだって。

 一人や二人殺したんじゃあ、今は死刑にはならないんだって、前に自分で言ってましたから、間違いなく死刑になるようにするには、たくさん殺すんだって、人にもそう言うでしょう。自分でも思おうとしているでしょう。でも本当の気持ちはただ、どうしようもなく悲しかっただけなんです。

 

 離婚させないで、私を殺せばよかったのにね。

 

 私が、離婚してほしいって言った時、あの人はやさしかったんですよ。

 私はその前、肋骨を折られたあと、殴るときの顔が変わって鬼みたいな顔になったあの人のところから逃げ出して、別に住んでいました。先生が電話をくれた前のアパートです。

 あの人が勤め先の人を殴って刑事事件になって、それが終わったあと、気持ちをきめて、電話して離婚したいって言うと、

「千恵子がそういうのは当たり前だ。おれがお前だったら、もっと、とーっくの昔に離婚してる」って。

 離婚届の紙をもらってきて、名前を書いてもらいに行ったときに、何かあるかな、と覚悟もしてたんだけど、殺されるかなって思ってたんだけど。なんにもなかった。

 あの人はやさしかったんですよ。

 紙を出すと、黙って受け取って、名前を書いて、判こを押したんです。

「これでいいか」って。

 あの人、ほんとうはやさしいんです。

 あの時、私は離婚届の紙を破いて泣こうと思ったんです。

 あの人をこのままここにおいて、自分だけ立ってここから出ていくことなんかできない、私がいなくなったら、どうなるかわかってましたから。この紙を破いて、ここであの人とまた暮らそうかって考えてしまって、紙を手に持ったまま、座ってました。

 かわいそうで。

 あの人、離婚は三回目です。

 でも、もうこれで終わりだ。あの人は。今私が出ていったら終わりだ。わかってましたから。座ったままでいたんです。

 そうすると、あの人は、そういう私の気持ちを見抜いていらいらするんです。「早く出て行けよ。おれを馬鹿にしてるのか。そんなもん書かせといて何でそこにいるんだよ。出ていけ」って。

 そう言った時には、あの鬼みたいな顔になりかけていて、私はぞっとして、殺される、って思って、走ってあの部屋を出たんです。あの時が、あの人に会った最後でした。

 

 私は、結局自分がかわいかったんでしょうね。あの人より。

 

 あの人三回結婚していても、私との離婚は、前の二人の奥さんとの離婚とは違うんです。あの人、前の奥さんたちも殴ったらしいけど、私みたいにひどくはなかったって。あの人のお母さんがそう言ってた。

 あの人は私を愛していたんです。頼りにしてたんです。

 愛しているから、ひどくあたるんです。

 悲しみを受け止めてほしいんです。それだけ甘えてるということかもしれない。

 私に愛してほしいからあたるんです。

 それなのに私、それだけ愛してあげられなかった。

 私が悪いんです。

 

 私とお母さんが似てるからっていうこともあったみたい。

 よく言ってましたよ。

「千恵子はおふくろに似てる」って。

「どういうとこが似てるの」ってきくと、わざと「男に殴られるところがさ」なんて言ってました。

 でもあの人も小さいときから、お父さんに殴られてばっかりいたって。

 それで、はじめのうちは、お母さんが「子供を殴らないで、私があやまるから」ってあやまってたんだけど。そうするとお父さんは、あやまるお母さんのことを、もっとひどく殴るんだって。

「アイツはおれに焼き餅焼いてたんだ」って。あの人は言ってました。覚えてるって。三歳のときに、お母さんに言ったんだって。

「かあちゃんが口出すとアイツもっと暴れるから、口出すな」って、そう言ったんだって。三歳の子供がですよ。それで小さい子供が、自分でかわりに殴られていたんだって。

 お父さんには、生まれてから一度もかわいがってもらったことがなかったって。あの人は、どんな子供よりも淋しがりで、かわいがってほしい弱虫の子供なのに。親から逆の扱いをされたんです。

 お父さんとは一度も親子らしくできなかったようです。今回も裁判のあとの新聞に、お父さんが「あんな奴は死刑しかない」って言ってるって出てました。

 私も結婚してから、お父さんにはいつも嫌な思いばかりさせられてきました。お父さんが、あんなでなければ、あの人も、ふつうの人生を送ることができたかもしれません。お父さんが、あの人の人生を壊してしまったのかもしれません。

 でも、今、離れて考えてみると、お父さんも、あの人と同じで、人生が悲しい人だったのかもしれません。悲しいから妻子に乱暴していたのかも。不幸って、親から子に続いていくのでしょうか。

 

 不幸な親の子に生まれてしまったんですね。

 先生、あの人頭いいんです。なんでもよくわかってるんです。

 私、思うんですよ。もし、あの人が、いいうちに生まれて、両親にかわいがられて、大事に育てられて、行きたい学校に行けてたら、偉くなれたし、やさしいいい男になっていたんだろうなって。

 お父さんが働かないから、あの人のうちは貧乏で、小さいときから満足にご飯を食べられたことはないようです。人からばかにされてたって。だから友達もできなかった。あの人、なんでもよく知ってる子だったから、出来ない子とは友達になる気がしなかった。

 逆に自分の方から友達になりたい子がいても、自分は着てる洋服とかもボロで、住んでる家もみっともなくって、変なお父さんが居るから友達を家に連れて来られなかった。だから、出来る子や、いいうちの子には、つき合ってくれって言えなかったみたいです。

 落ち着いて勉強することもできないし、あの人、頭はいいのに、自分より頭の悪い子が、自分よりいい成績取ったり、いい学校に行く。いいとこに就職するの見てて、いつも悲しかった、って。

 あきらめてみじめな落ちこぼれになれば、それですむんでしょうけれど、中にはそういう子もいるけれど、あの人は、自分は頭がいいんだってプライドがあるから、あきらめられないんです。

 逆に要領のいい子なら、あの人とおんなじ立場でも、うまく立ち回ってのし上がることができるかもしれないけど、そういうことをするのが下手だし、するのは自分でも嫌な人なんです。

 どっちもできないで、みじめで、悲しい気持ちだけが、大きくなればなるだけ、強くなっていったんですね。

 

 自分は、悲しいまんまで、でも他人に迷惑にならないように、暴力なんか振わないでいるのが、他人からみれば一番いいんです。

 でも、そうして気弱になったら、多分あの人は、とっくに自殺していたんでしょうね。あの人は、そうならないために、暴力を振ったんですよ。無理して意地をはって、強がって、悪ぶって、暴力を振ったんです。

 先生は、弁護士さんなんだから、そういうことわかっているんでしょう。

 わかっているから、あの人を弁護するんでしょう。私そう信じていますから。

 あの人が弱虫だということを、もっとよくわかってあげてほしいんです。

 先生は、あの人を弁護する人なんでしょう。あの人をかばって、助けてくれる人なんでしょう。

 

 それでお願いしたいんです。

 新聞で見たんですけど、先生はあの人に、どうしてあんな事件を起こしたのか、どういうことを考えて生きてきて、あの事件をやることになったのか、これからの裁判で全部言うようにって、裁判のときに被告人に法廷で言った、と書いてありました。君はどうしてあんな犯罪を犯したのかを、この法廷で全部話して、世間に知らせなければいけない、それがあんな事件を起こした君の責任だ、って。

 そのために、手記を書かせる。本人に自分がやったことをわからせるために、被害者の親を裁判の証人に呼んで、子供を殺された親の気持ちを聞かせるために、裁判を一通り全部やるんだって。先生が記者たちにそう言ったって新聞に書いてありました。

 そんなことをしないで下さい。

 あの人は、自分がどうしてあんな犯罪を起こしたか、そのわけを自分でよくわかっています。私がここに書いた通りのことを自分で知っています。よくわかっているから、言いたくないんです。

 これまで誰にも言わなかった、って新聞に書いてありました。逮捕されて警察で取り調べられても言わなかったし、今も、裁判で一切言いたくないって言ってる。なにも言わないで、全部そっちの言う通り認めるからすぐ死刑にしてくれって。

 あの人の言うようにしてやって下さい。

 申しわけないことをした。自分の命で償いますって、言ってるんでしょう? そう言っているんですから。

 

 あの人が人殺しをしたわけは、私がここに書いた通りです。

 そうですね。

 もうひとつ、みんなが聞くことがありますね。おんなじ殺人をするにしても、どうして関係のない子供をたくさん殺すなんてあんな事件を起こしたのか。それがわからないって。

 あの親切にしてくれた記者さんも、私に、どうしてだろうかって聞くんです。

 子供は力が弱いから、とか、逃げ足が遅いから、とか、新聞には書いてあったけど、それは警察の人がそうだろうと言ってるだけだって。どうもそれだけではわからないって、私に聞くんです。奥さんならわかるんじゃないかって。

 そのときは、私もわからない、って言って通しました。

 親切にしてくれた記者さんだから、言ってしまおうかな、と思った時もあったんだけど、言わないで通しました。

 本当のことを私がしゃべって、それが新聞に出たりして、警察の人に知られて、あの人の耳に入ってしまうと大変だから。

 

 先生から何度も電話をもらったときも、会ったら、言ってしまうかもしれないと心配だったので、行かなかった。

 でも、今日はほんとうのことを全部言いますね。

 そうしないと、先生に、早く死刑にするようにしてもらえないと思うから。ただ、あの人には言わないで下さい。

 ほんとうはね。あの人子供を亡くしているんです。

 おれが殺した、って自分で言ってました。

 私のおなかの中にいたとき、あの人が私を殴ったり蹴ったりして、それで死産になってしまったんです。

 そうなって、あの人、真っ青になってね。泣いてばっかりいました。 

 そんなことになる前には、あの人ね、子供に名前をつけていたんですよ。

 正人っていうんです。おれと違って正しい人になるようにって。

「男か、女か、わからないじゃないの」って私が言うと「わかってる。男だ」ってね。

 妊娠したってわかった時から「正人だ」って決めていたんですよ。

 死産したとき、七ヵ月でした。男の子だったって、お医者さんが教えてくれました。

 もちろんお医者さんには「駅で階段から落ちて」って言いました。

 あの時のこと、あの人にはじめて会ったときのことを思い出して、「私が階段を上がっていたら、上から来た大きな男の人につき飛ばされて」って話したんです。

 お医者さんは、ほんとと思ったのか、面倒臭かったのか、病院はその話で通りました。

 あの人はあのあとずっと泣いていました。

「正人、おれを許すなよな。おれに罰をしろよ。うんとうんと罰をしろよ」って泣くんです。何日も、何日も、そう言って泣いていました。

「おれは死んでお前にお詫びするからな。今におれは死んでお前にお詫びするからな。見てろよな」って。

 

 あの人、中学のときから、死にたがってたって。生きていても仕方ないとばっかり言っていたって。

 でも、自分の子供をあんなことしてしまって、それでほんとうに、自分は死ぬしかない人間なんだ。生きていると、人に悪いことをしてしまうんだから、と考えたと思います。ただ死にたい、だけじゃなくて、死ななければいけないって。

 それと正人にお詫びするために死刑になりたいと思うようになったと思います。

 

 こうして書いていて思うんですけど、誰だって、そんなに泣いたり、後悔したりするんなら、妊娠している私に乱暴なんかしなければいいのに、と思うでしょう。

 あの人だって、それはわかっているんです。

 わかっていて、できない人も、世の中にはいるんです。自分でも悪いと思うことを、思いながらしてしまう人もいるんです。

 どうしてなんでしょうね。人間って、どうしてこんな悲しいことがあるんでしょうね。

 

 自分の子供をあんなことで死なせてしまって。

 だから、あの人は、子供を見ると、正人みたいに思うんです。正人がこんなとこで、ちゃんと生きてると一瞬思うんです。私が死産で入院して、退院したとき、あの人が迎えに来て、一緒に歩いているとき、子供が歩いてきたら「正人」って駆けて行って、抱こうとしたんです。子供の親が驚いて子供を抱いて逃げたんです。そうしたらあの人泣いちゃって。

 そうして急に「殺してやる」って言うんです。

 ぞっとしました。この人本当にするだろうって感じました。

 私やお母さんにしたように、あの人は自分の好きな人に乱暴するんです。好きだという気持ちが、裏返しになると暴力になってしまう。

 あの人、子供がかわいいんです。正人の代わりにかわいいんです。

 だけどまた、元気でかわいく生きている子供を見ると、正人のことを思い出してたまらなかったと思います。

 自分の子供はあんなにみじめな、父親に殺されるなんてことになってしまってるのに、よその子供は、幸せな家庭で親にかわいがられて、きれいな服を着て、楽しそうに生きている。それがたまらない。

 その両方の気持ちから、子供にあんなことをしたと思います。

 

 これを言うと、誰もあの人を許さないでしょうけれど、だから言いたくないのですけれど、本当のことを言ってしまえば、そうなんです。私が今まで、このことを誰にも言わなかったのは、あの人のためと、もう一つは子供を殺された親御さんが、こういうことを聞いたら、たまらないだろうと思うからです。

 そんなわけで、あいつは自分の子供を殺したのか、と知れば、それこそ自分の手であの人を殺してやりたいと思うでしょうね。私が自分の子供をそうされたら、そう思いますもの。

 

 あの人も自分でそのことをよくわかっているでしょう。

 あの人は、気が狂っているんじゃないんです。物事がよくわかる人なんです。自分でしたことがわからないわけではないんです。わかっているのにやってしまうんです。一番してはいけないことをしてしまう。

 でもわかっていてもできない人が、この世の中にはいるんです。

 あの人は、そういう人。

 だからこの世の中から許されない人間なんです。

 もともと、この世の中に生まれてきてはいけない人だったのかもしれません。

 そのことを、私はよくわかっています。あの人も、本当は自分でよくわかっています。

 だから、本当は恐くて、恐くてしょうがないんだけど、死ぬしかない、死刑にしてほしいって言っているんです。

 お願いですから、あの人がそう言っているうちにしてやってください。

 今は死にたいとか死刑になりたいとか意地で言っていますけど、本当はそうじゃない、死ぬのは恐い。まして死刑になるなんてもっと恐い、そういう自分の本心を認めたくないんです。

 今は辛うじて意地を張って、強がって、裁判の時に態度が悪いって新聞に書いてありましたけど、わざとそうしているんです。私を殴るとき、泣き顔を見せないために、鬼みたいな顔をしたのと同じなんです。そうしていないと、全部が恐くなって、ほんと気が狂ってしまうからなんです。

 だから、あの人は、自分の生い立ちとか、どうして事件を起こしたかとか、何も言いたくないんです。何も言わないで、早く死刑になりたいんです。

 先生 裁判を長引かせて、無理に、わけを言えとか、手記を書けとか言わないで下さい。

 私がここで書いたようなことを、あの人は本当は心の底ではわかっているんです。でもわからないふりをしているんです。

 もし無理に手記なんか書かせたりしたら、あの人、うそのことを書きますよ。

 こういうときは「自分はこういう悪い人間だったけど今は後悔してます。反省して真人間になります」って書くようにって言われているんだとわかっているから、わざと反対に悪いことを書くと思います。自分が思っていないことを。もしかしてたとえば「殺人やってみたかったから」とか、「子供が憎らしいんだ」とか。

 きっと、殺された子供の親御さんがもっと怒って、もっと悲しむようなことをわざと書きます。そんな人なんです。

 だからあの人「自分の命で償います」だけ言ってるんです。自分の悪い癖をよくわかっているから、何も言わない方がいいと知っているんです。

 もう、事件を起こしたわけを言ったって、書いたって、何をしたって、助けてください、とは言えないんでしょう? 死刑になるしかないんでしょう? 

 だから、お願いです。

 あの人が口だけででも「死刑になりたい」と言っているうちに、死刑にしてやって下さい。

 お願いですから、もうこれで裁判を終わらせてください。

 一日も、一時間も早く、死刑になるようにしてやってください。

 田岡先生 ほんとうに、心からお願いします。

 

   

 

 弁護士 田岡 錠治 先生

                 浦野 千恵子 

 

 先生 私のお手紙ついたでしょうか。

 もう一度、お手紙を書くことをお許しください。

 この前の手紙に「一つだけお願い」と書いたのですが、もう一つお願いしたいことがあります。

 

 前のお手紙を書いて、出して。そうしてわかりました。

 私はもうあの人と関係ない、離婚すれば赤の他人なんだ。あの人のことにはもう一生さわらない、って考えて、マスコミがどんなに来ても、そうできていたつもりでした。でも、先生にお手紙を書いてしまって、もうこれで終わりだ、終わりにできるって思ってポストに入れたのに、自分で書いたことが頭から離れなくて、毎晩眠れません。

 あの人は、今、どんなとこで、寝ているんだろうか、何を食べてるんだろうか、どうして生きているんだろうか。考えてしまいます。死刑のことを考えて恐がって、脂汗を流しているんじゃないだろうか。そう思うと、居ても立ってもいられなくなります。

 私はまだあの人と切れていない。切れることはできないんだ、とわかったんです。

 

 どうして出会ってしまったんだろう。

 出会わなければ、こんなに苦しむこともなかったのに、と思います。

 でもきっと、出会わなければならなかったんでしょうね。そう決められていたんでしょうね。

 だから、私は、あの人が死刑にされてこの世からいなくなるまで、いいえ多分いなくなっても、あの人と離れられないんです。体は離れていても、戸籍は他人になっても、心からあの人を切り離してしまうことはできないんです。

 先生に前のお手紙を書いてそうわかりました。そのことを自分で確かめるために、手紙を書いたのかもしれない。

 

 先生 私今、毎晩、眠れないで夜の間中、一枚のCDをかけています。

 

 あの人が逮捕されて、マスコミが毎日来て、外にも出られなくなって明代のアパートに逃げ込んだ時、明代も、ご主人と離婚したあとで、一人だったので、二ヵ月ぐらい置いてもらいました。

 朝、明代が会社に行ってしまうと、することがなくて、テレビをつけると、あの人の事件のことばかりやっていて。

 私があの人を見捨てたから、あんな事件をやってしまったんだと思うと、身の置き所がなくて。泣いたり、床を転げ回ったりでした。

 そのとき明代から「これ聞いていて」って言われたんです。

 それがこのCDです。私が明代のアパートから、このアパートに引っ越す時には、ラジカセも一緒に貸してくれました。

「悲しみの聖母」っていう曲です。ビバルディという作曲家が作った曲だそうです。

「私も、そうだったのよ。今のあなたみたいだったのよ。あのとき。それでこれを聞いていたの」って。

 あのときっていうのは、明代が辛かったとき。

 明代は子供をなくしてるんです。

 ミナちゃんっていって、四歳でした。

 ミナちゃんって、漢字では「聖名」って書くんです。明代はクリスチャンです。

 小児癌でした。発病から一年半でした。

 私も何度かお見舞に行ったんですが、最後はお見舞に行くのも辛くて。苦しいのに、抗癌剤を打たれて、あんまり吐いて、吐いてももう出すものがなくて苦しむんです。小さい体を折るみたいにして、泣く力もなくなって、ただ呻いているんです。子供が呻くってほんとうに見ていられない。

「がんばってね」とか言えなくて。

 がんばれば、なおると、言える間はまだよかったけれど、がんばっても、もうなおらないと、子供ながらにわかっているだろう状態で、なんと言ってお見舞したらいいかわからなくて、だんだん行くのが辛くなって、しばらく行かないでいたら、亡くなったと知らせがありました。

 私はほんとうにひどい人間なんです。明代はもっと辛いのに、自分が、辛いからって、行かないんですから。

 そうそう、その時にも、あの人に殴られたんですよ。

「何で行かなかったんだ」ってね。

「お前はやさしくない。いじ悪い奴だ」ってね。

 ほんとにそうだと思います。

 

 明代もそう思ったでしょう。でも明代は嫌な顔を見せませんでした。明代は神様みたいな人です。

 明代は言いました。

「早死にする子は賢いっていうでしょ。ミナもとっても賢くって、やさしい子だった。

 死ぬ半年前にはもう自分は助からないって知ってたと思う。

 でも、わがままを言って私を困らせちゃいけないと思って、抗癌剤をイヤって、言わなかったの。もう死ぬんだから、それしか私にできる親孝行はないと思っているっていうか、そんな感じ。

 それで辛くても我慢するんだけど、どうしても我慢できないことがあるのね。

 私に聞くの。イヤだって言わないで、ただ聞くの。どうして、やめちゃいけないの?

 そう聞くの。

 ミナはもういいのに、って。

 ミナはもうなおらなくていいのに、って。

 そんなときは、何言ってんの、きっとなおるから、って言うほかないでしょう。

 そうすると、じっと私の目を見るの。何も言わないで。

 ママ、あたしにうそ言うの?

 ママ、あたしを苦しめるの?

 ミナはそんなこと思ってないけれど、私はそう言われてるみたいに感じちゃうの。

 ミナはそんなこと言わなかった。私を責めなかった」

 そんな時、明代は心の中でこの曲をくり返したそうです。

「この曲は日本では『悲しみの聖母』って名前になっているけど、もとの題はスターバート・マーテル。立っている母なの。『立ちつくす母』って訳す人もいるのよ。

 どこに立っているかと言うと、(はりつけ)になって死んでいくキリストの十字架の脇なの。わが子が、十字架に架けられて、脇腹を槍で突かれて、手足を十字架に釘で打たれて、苦しみながら死んでいくのを、そばにいて、助けてやることができず、何をしてやることもできず、見ていなければならない。そういうマリアのことを歌った歌なの。

 キリストは、死ぬ少し前に、あまり苦しくて、神である父を恨むのね。

『わが父、わが父、なにとて我を見捨てたもう』って叫ぶのね。でも、足もとで自分を助けないで立っている母親には何も言わないの。

 私は、ミナがああなる前は、磔になるキリストの十字架の下に立っている聖母って、心のこわい人だったんだろうかって思ってたの。私だったら、子供が磔になるのを見て、何もしないで、そばに立ってるなんてできない。自分の子供を助けようと、かなわなくっても、キリストを磔にする兵隊たちに向かっていく。それで殺されたら、子供と一緒に死ねばいい、って。聖母はどうして、何もしないで脇に立っていられたんだろうかってね。

 ミナが苦しんでいるとき、私はそのことを考えようとしたの。

 それで、心の中でこのメロディをくり返したの。

 ミナは他人に磔にされているんじゃないから、私は兵隊たちに向かっていくことはできない。

 ミナをこれ以上苦しませないために、できることって、何か。

 考えると、ミナを殺すことしかないのね。

 ミナをこれ以上苦しませないために、ミナを殺して、私も死のうか。ミナのために、そうしたほうがいいのなら、そうしようかって。

 するとこう思えてきたの。

 もしかしたら、聖母マリアも、十字架の下で、自分の手でキリストを殺してしまった方が、苦しませないでいいのではないのかと考えたんじゃないか。ずっとそう考えて、迷いつづけていたのだろうかって。

 聖母マリアは、結局そうしなかった。

 兵隊に向かっていくことも、自分の手でキリストを殺すこともしなかった。

 それはどうしてだろうかって。

 自分の手でキリストを殺すことは、兵隊が見張っていてできなかったのだろうか。

 兵隊に向かっていくことは、そうしないで、ただ見ている方が、子供を苦しめないのだと、もし、自分が目の前で兵隊たちにさからって殺されたりしたら、キリストはもっと苦しむから、そうしない方がいいんだって。そう結論を出したんだろうか。

 もしかして、考えているだけで、結論が出せないでいるうちに、キリストが死んでしまったのだろうか、って。

 千恵子はピエタって知ってる? キリストが死んだあと、十字架から下ろしたキリストの死体を、聖母が抱き(かか)えている絵なの。

 たくさんの画家がピエタを描いているんだけど、今まではピエタを見るときに、キリストの死に顔の方を見ていたのね。絵の中のマリアの表情を、ミナのベッドのそばで、思い出そうとするんだけど、よく思い出せないの。

 それが思い出せれば、自分がどうするべきかわかるんじゃないかと思って『マリアさま、お顔を見せてください』って祈ったこともあった。毎日、毎晩、苦しんでいるミナのそばで、迷って、こんないろんなことを考えてた。

 結局、いくら考えてもわからなかったの。

 私は、あとで思った。自分はそういうことを考えて、自分をまぎらわしていただけじゃないだろうか、って。苦しんでいるミナのことを少しだけ忘れたかったんじゃないかって。

 結局、人殺しになるのが嫌だったんじゃないか。自分の命が惜しかったんじゃないか、って。

 だから、ミナのこと、成り行きまかせにしたんじゃないかって。

 そのために、長いこと、ミナを苦しめたんじゃないか、って。

 今もわからないのよ。

 だから、『悲しみの聖母』はいつでも、私の心の中で鳴っているの」

 明代の旦那さんから、ミナちゃんがだめだったって電話で知らされて、病院に行くと、明代は干からびた小さな木みたいになったミナちゃんを抱いて「ごめんね。ごめんね」って、病院中に聞こえるような声で泣いていました。

 その時は、治して上げることができなくてごめん、ってあやまっているんだと思ってましたけれど、それだけじゃなかったことが、この話を聞いてわかりました。

 

 先生

 私は明代に、この前の手紙に書いたようなことを、詳しく話したわけではないんです。私が離婚しないで、あの人に殺されても一緒にいればよかったんじゃないかとか。あの人がどんな家庭で育って、なぜ、私やお母さんを殴ったのかとか。

 でも、明代が、ミナちゃんと自分のことを話す中で、私は、明代は私の考えていることをわかっているような気がしました。

 だから、自分の話をして、「悲しみの聖母」のCDを貸してくれたのだと。

 私は、これから、あの人が死刑にされるのを、待たなければならない。

 あの人は拘置所の中です。私は、あの人を自分の手で殺してあげることも、拘置所の番人に向かっていくことすらできない。何一つできない。私は、毎日、毎晩、「悲しみの聖母」を聞きながら、十字架の下で、自分の息子が苦しむのを、何もできずにじっと立って見ている聖母マリアのことを考えます。

 私も、何もできないで、あの人が死刑にされるのを、待たなければならない。

 でも、もっと苦しい人もいると思うんです。あの人のお母さんです。

 あまり何度も会っていないし、もうずっと会っていないのだけれど、私はあの人のお母さんをいい人だと思っていました。

 あの人が何をしても、何にも言えないで、ただいつも心配そうに、あの人の方を見ているお母さんでした。お父さんや、あの人に殴られても、ただ黙って耐えていたことが、私にはわかりました。

 今度のことで、あの人の実家には、私のところよりも、もっとたくさんマスコミが行ったことは、知っています。今でも、裁判があったとか、何かがあるたびに、大勢押しかけるのでしょう。お母さんは、今、どうしているでしょうか。

 お母さんは、あの人をかわいがっていたんですよ。あの人には弟がいるんですけど、弟よりも、あの人の方をかわいがってることが、私にはわかりました。

 弟は、お母さんに手を上げたりしないんですよ。でも、それは、やさしいからじゃない。弟は両親のことをあまり考えないで、自分だけ家から外に出て、自分には関係無いことだって態度なんです。そうやって自分だけを守っているんです。

 あの人はそれが出来ないんです。知らん顔できない。やさしいから。

 だからって、逆にお母さんを殴るんですから、弟の態度のほうが正しいんでしょうね。でも、やさしいのは、あの人の方なんだってことを、お母さんはわかっているんです。人間ってほんとに不思議な、悲しいものですね。

 お母さんは今、どんな気持ちでしょうか。

 あの人が死刑になる以外にはないことは、知っているでしょう。お母さんこそ「立ちつくす母」の気持ちでしょう。

 自分の子供が死刑になるんです。

 あの人のお母さんが苦しんでいるなんて言えば、世間はそんなこと言えた義理かって言うでしょう。殺された子供の親のことを考えて見ろ、って言うでしょう。そうですけれど、もちろんそんなこと言えた義理ではないから、お母さんはきっと一言も言わないで、顔も上げられないでいるでしょうけれど、でも、どんな子供であれ、どんな理由であれ、子供を殺される親の気持ちはおんなじなんです。

 ミナちゃんが死んで、お葬式やあとかたづけがすんでから、明代はご主人と離婚しました。ご主人もクリスチャンなのですが、ミナちゃんが大変だったとき、明代がミナちゃんへの、一緒に死んだ方がいいのだろうかという思いを話しても、ご主人が、何も一緒に考えてくれなかったのです。明代はそのとき、ミナちゃんのことが全部終わったら離婚しようと決めたと言いました。

 明代のご主人には、私は何度か会っています。普通の旦那さん。というより、普通より優しい人だと思ってました。でも、明代のようには苦しまなかったのね。

 男は、女より、こういうことで苦しまないんでしょうか。

 夜、このCDをかけながら、戦国時代とかには、きっとこういう思いをした女はたくさんいたんだろうなとか、考えます。

 そうそう、織田信長の妹のお市は、兄に自分の幼い息子を殺されたんですよね。

 殺されるのがどんな理由であれ、あの人のように、この世にいることが許されない人間、殺されても仕方がない人間であっても、その男を愛している女、その男が殺される脇にいて、何もしてあげることができずに、苦しみ続ける女がいます。

 

 この前のお手紙を書いたあと、毎晩こんな、いろんなことを思いながら、夜が明けてしまうまで「立ちつくす母」を聞いていると、今の私にも、あの人に、少しはしてあげられることがあるんではないか、と気がつきました。

 あの人が死刑になるとき、そばにいてあげたいのです。

 あの人弱虫なんです。あんなに弱虫な人が、一人で死刑になるなんて、あの人は、どんなに恐いか。

 口では、早く死刑になりたいとか言っているうちであっても、その場になったら、きっとすごく恐がると思います。どんなに恐いか。あの人は、普通の人よりずっと弱い、本当に弱虫なんです。考えると、私まで気が狂いそうになります。

 せめて、私が、そばにいてあげたいのです。

 ただ、そばにいてあげることだけでいいんです。そばにいて「恐くないよ。私もすぐあとから行くから」って言ってあげたいんです。

 できないでしょうか。そんな話は聞いたことがないんですけれど、だめでしょうか。

 明代にそう言ったら、外国ではできるんじゃない? と言ってました。なんか、映画でそういうの見たことがあるって。

 日本ではどうかわからないけどって。

 日本ではどうなんですか。

 もし、戸籍が入っていればいいんなら、もう一度婚姻届を出します。なんとか、そうしていただけないでしょうか。

 

 一つだけお願い、と言っておきながら、二つになってしまいました。

 どうぞ、お願いします。

 あの人が死刑になりたいと言っている間に、早く死刑になれるように。

 そしてその時、私がそばにいられますように。

 

 田岡先生

 どうぞ、お願いします。ひとりの女の一生のお願いです。

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2003/10/24

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朔 立木

サク タツキ
さく  たつき 作家 1932年 東京に生まれる。

掲載作は、2002(平成14)年9月光文社刊『深層』所収の一編。

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