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記者クラブ制度改革論 ──『脱・記者クラブ宣言』の問題点──

 インターネットの普及や情報公開法の施行など高度情報社会化が進む中で、記者クラブによる記者室の独占的な利用など便宜供与の問題や、記者会見の主催権、クラブあるいは記者会見の閉鎖性などをめぐって、記者クラブ問題が一部の地方自治体で再燃、日本新聞協会は二〇〇二年の初頭に向けて、問題解決のため新しい方針の策定を急いでいる。
 田中康夫長野県知事は二〇〇一年五月十五日、『脱・記者クラブ宣言』を発表、県政記者クラブなど県庁内にある三つの記者クラブに同年六月末までに退去するように求めるとともに、この空きスペースにメディアや市民が利用できる「プレスセンター」(現・仮設表現道場)を設置すること、また、記者会見を記者クラブ主催から長野県主催に切り替えると表明した。会見は同日から県主催に変わり、クラブは期限までに退去した。しかし、記者クラブ側は、この宣言を受け入れておらず、会見のクラブ主催などを主張、意見の対立が続いている。
 また、東京都も二〇〇一年六月八日、都庁内の鍛冶橋、有楽記者クラブに同年十月クラブからスペースの使用料を支払うよう申し入れた。しかし、その後、石原慎太郎都知事がこれを撤回、同年十月一日から、改めて光熱・水費と内線電話代に限って徴収することになった。また、同知事からは、一定の基準を満たす週刊誌、海外報道機関などの記者を記者会見から排除することには疑問を感じるという問題提起がなされている。
 このような地方自治体の記者クラブ制度改革の動きは神奈川県鎌倉市の竹内謙市長が一九九六年二月二十三日に鎌倉記者会に提案した「広報メディアセンター」が初めての試みである。
 この広報メディアセンターでは、(1)新聞、テレビ、ラジオ、雑誌、専門・地域・外国紙が自由に取材できる、(2)市広報課が記者会見を主催するほか、行政や市民、公共団体の情報提供に便宜をはかる、(3)市を拠点とする記者には希望に応じて専用の机や椅子を提供する、(4)電話、ファックス、写真現像室を整備し、費用は利用者が負担する、となっている。
 このように「広報メディアセンター」の構想は、記者会見の主催者を自治体側とする点や、記者室の利用をクラブ加盟社以外に拡大した点など今回の田中知事の「『脱・記者クラブ』宣言」と重なる所が多いが、常駐記者を認め、スペースや備品の提供は行う点や、政党機関紙や宗教機関紙の記者の会見出席や記者室の利用は、認めない点は、田中知事とは異なっている。
 

 くすぶり続ける記者クラブ問題

 太平洋戦争中は、記者クラブはただ当局の発表を記事にするだけで事実上、完全に戦争宣伝の道具と化していた。アメリカ占領軍新聞課のインボデン少佐は、昭和二十四年(一九四九年)九月、「『クラブは新聞の自由を妨害するものとして解散あるいは改組すべし』という警告を日本新聞協会に行った(『日本新聞協会十年史』)。この警告を受けて、同協会が「記者クラブは取材に関与しない社交的な集団であるべきだ」とする同少佐の了承を得て作ったのが、一九四九年十月二十八日の「記者クラブに関する新聞協会の方針」である。
 この方針の骨子は、(1)記者クラブは親ぼく社交の組織であること、(2)取材報道には関与しない、(3)官公庁は記者室を設け、取材に必要な机、椅子、電話など什器備品を提供し、無償で全新聞(報道機関)に利用させる、などである。
 しかし、この方針は多くの問題をはらんでいた。この問題については拙稿「記者クラブ制度改革のために」(天野勝文・桂敬一ら編『岐路に立つ日本のジャーナリズム』一九九六年、日本評論社所収)に詳述したが、取材も報道にも関与しない単なる「親ぼく社交組織」のために官公庁が部屋などを無償で提供するというのは、どう見ても無理である。
 ところが、占領下の日本では、これがアメリカ占領軍のいわば超法規的な措置として、官公庁に通達され、何の疑問もなく、受け入れられたのである。
 一九五八年に大蔵省管財局長名による「国の庁舎等の使用又は収益を許可する場合の取扱基準について」は、新聞記者室は、警察詰め所等と並んで「国の施設で目的外使用に当たらないもの」とされたが、これも先の方針を公式に追認するものだった。
 ところで、この「親ぼく社交の組織」との規定は、必然的に、気に入らないメディアの人間を入れる必要はないという論理的防波堤になり、閉鎖性を生み出すことになった。この結果、当然のことながら、日本にいる外国人特派員、雑誌記者、フリーランサー、政党・宗教機関紙の記者などは、記者クラブに加盟できず、また、主要クラブでは、記者会見がクラブ主催になっている所が多いため、記者会見からも閉め出されることになった。
 このような記者クラブの閉鎖性について、当初、激しい批判を展開したのが、日本に駐在する外国人特派員たちだった。毎年十月に開かれる新聞・放送・通信の経営者など最高幹部による新聞大会には、外国特派員協会の代表が出席し、一九五〇年代にはほとんど毎回、記者クラブの開放を強く訴えた。
 こういう激しい批判と、日本の国際的地位の向上という状況変化に対応するため、新聞協会は、外務省、大蔵省などに外国人特派員に対して英語で取材を受ける窓口を設けるよう要望するとともに、主要記者クラブに対し、外国人特派員がオブザーバーとして記者会見に出席できるような制度を作るように要請した。
 こうして一九五六年霞クラブ(外務省)がこの制度を設けたのを皮切りに、六五年の内閣記者会以後、かなりの数の記者クラブが外国記者が記者会見に出席できるようなオブザーバー制度を取り入れている。
 在日外国人特派員の強い批判とクラブ加盟の要望を受けて、日本新聞協会は一九九三年六月十日、外国記者の記者クラブへの正式加盟も認めるべきであるという方針を打ち出した。
 「記者クラブは、参入を希望する外国報道機関の記者については、原則として正会員の資格でクラブへの加入を認めるべきである。公式、非公式記者会見への出席はもとより、取材源への公正かつ平等なアクセスを妨げてはならない。(この場合、外国報道機関の記者とは、外務省発行の外国記者証を持ち、日本新聞協会加盟社に準ずる報道業務を営む報道機関の記者とする)」
 こういう方向は記者クラブの定義を「親ぼく社交の組織」から「取材拠点」へと抜本的に改めた九七年十二月十一日の新聞協会の記者クラブに関する「新見解」でも引き継がれ、現実に外国記者がクラブに加盟する事例も増えている。このため、在日の外国人特派員の場合に限って見れば、クラブの閉鎖性の問題は、ほとんど解決したともいえる状態になっている。
 

 『脱・記者クラブ宣言』の内容

 長野県庁には、新聞、放送、通信など日本の主要メディアが加盟している「県政記者クラブ」(十六社)のほか、「県政専門紙記者クラブ」(七社)、「県政記者会」(七社)の合わせて三つの記者クラブがある。
 田中知事は、宣言の中で、(1)これらの三つの記者クラブが共同で開催している記者会見にクラブ加盟社以外の「表現者」が出席することが困難であるなど、記者クラブが「時として排他的な権益集団」となる可能性がある、(2)三つの記者クラブは合わせて、二六三・四九平方メートルのスペースを無償で占有しており、駐車場、電気・冷房・清掃・ガス・水道・下水道などの管理経費、クラブ職員の給与など便宜供与の総額は年間一五〇〇万円にのぼる、ことを指摘、今後県は、以下の方針で対応すると発表した。
(1)二〇〇一年六月末を目途に三つの記者クラブを撤去して「県政記者クラブ」があった三階のスペースにはスタッフを常駐させ、コピー、ファックスなどは実費で受け付けるほか、テーブル付きの折り畳み椅子を数多く用意して、雑誌、ミニコミ、インターネットなどの媒体、さらにはフリーランスで表現活動に携わる全ての市民が利用可能とする、また、使用時間を予約の上、長野県民が会見を行う場としても開放する、(2)二階の「県政専門紙記者クラブ」のスペースも「ワーキングルーム」として同様の椅子を並べる、(3)平日の一〇時四五分と一六時三〇分の二回、政策秘書室の担当者がプレスリリースを掲示し、希望者には無料配布するほか、質疑応答を受け、必要に応じて関係部課長(場合によっては知事を含む)が会見に出席し、資料説明を行う、(4)従来記者クラブ主催だった知事会見は今後県主催とする、(5)知事の記者会見を毎週行う自治体は長野県と東京都だけで、長野の場合、しばしば一時間を超えるほか、県庁内外でのいわゆる「ぶら下がり」といわれる取材もこれまで一度も拒んだことがなく、この精神は変わらない。
 今回の「宣言」や都庁のクラブの問題についての動きを見ると、二つの共通点がある。
 一つは、問題提起者が作家であるという点である。田中康夫は『なんとなく、クリスタル』で文芸賞を受賞、石原慎太郎は『太陽の季節』で芥川賞を受賞してそれぞれ作家活動を展開して来た人であり、メディアにむしろ近い人たちで、他の地方自治体の長と違って、個人的に発言力の強い人であった。また、作家ということで、出版雑誌ジャーナリズムにはとくに親近感を抱く人々ではなかったかと思う。
もう一つは、先発の鎌倉市も含めて中央の官庁でなく、いずれも地方自治体の長の問題提起であったことである。これは一つには地方自治体の厳しい財政事情があって、諸経費の見直しという側面があったということだろうし、もう一つは中央官庁では、むしろ現在の閉鎖的なクラブの方がコントロールしやすいという官僚的な判断が今も根強く残っているためと思われる。
また、田中知事の場合は、県議会での根強い反対勢力を飛び越えて一般市民に直接アピールする戦略的な意味もあり、個人的なパフォーマンス的な要素も否定できないだろう。
 こういう点を配慮しても、今回の「宣言」や都庁の諸経費の見直しなどの動きには、記者クラブの改革に向かっていわば、ショック療法的な積極的な意味があったと考える。
 その第一は、新聞、放送、通信など大きな報道メディアだけでなく、雑誌記者、フリーランサー、ミニコミ、さらには政党機関紙や宗教機関紙の記者にまで、記者室や記者会見を大胆に開放しようとした点であり、もう一つは、既成記者クラブを退去させるという荒療治で、官公庁のいわゆる便宜供与の問題を広く社会に提起したことである。第三としては、記者会見の主催者を県とするという形で会見のあり方についても、問題を提起したことである。
したがって、日本新聞協会の渡辺恒雄会長のように「地方政治家の発作的行動」として一蹴することはできない。しかし同時に、問題点もあって、そのまま容認できない側面もある。
 その問題点を対立する長野県政記者クラブの主張と突き合わせて、一つずつ考え行くことにしよう。

 

 「『脱・記者クラブ』宣言」の問題点

五月十五日に発表された「『脱・記者クラブ』宣言」を受け入れられないとする長野県政記者クラブの見解が出されたのは、一ヶ月以上経った二〇〇一年六月二十一日だった。

 この県政記者クラブの「見解」は、(1)報道の役割を評価すべきです、(2)公的機関の記者会見は原則として記者クラブ主催で行うべきです、(3)県管理の「プレスセンター(仮称)」には疑問があります、(4)開かれた記者会見を目指す考えです、の四点からなっている。
 しかし、いくつかの正しい指摘もあるにもかかわらず、せっかくの問題提起があいまいで実にわかりにくいものになっている。
私の意見では、(1)は正しい指摘だが、(2)には問題があり、(3)は、「プレスセンター」に疑念があれば、どのようにすべきかについての明確な対案が示されておらず、(4)は、当然のことだが、それではなぜ田中知事が指摘している、十万部近い発行部数を持つ市民タイムズが記者会見に出席できなかったのかについて、まったくの反省も改善策も示されていない。
 つまり、一ヶ月以上かけたこの「見解」には、県民にも報道機関の意味を訴え、記者クラブ問題を理解してもらうという基本的な姿勢が欠けているのである。田中知事の「『脱・記者クラブ』宣言」は、記者クラブに対するものというより、県民やその他の市民、メディアに広く訴えたものであった。ところが、記者クラブの「見解」には、県民の視点が欠落している。
 これでは説得力があるだろうか。
 例えば、(1)の問題は、この見解の後ろの方にある「(知事)が報道機関と『全ての表現者』を同一視するのは間違いです」という主張と関連する重要な論点である。その点は私も同感なのだが、きちんと説明がなされず、「知る権利に応えるのが報道機関の使命です」といった抽象的な言葉の羅列に終わっているは残念である。 知る権利に応えるという点では、程度の違いや質の違いはあるにしても週刊誌も雑誌もミニコミ誌も地域紙も変わりはないともいえるのでないだろうか。
 ただ、新聞、通信、放送などニュース報道を主軸とするマス・メディアには、大多数の市民に日々の膨大な公共性の高いニュースを刻一刻伝える速報機能やそのニュースをいち早く評価し位置づける議題設定機能があり、その機能は、他のメディアでは代替できないし、記者には、プロフェッショナルな問題意識と取材・表現能力が要求される。それだからこそ、海外でも主要な官公庁がそれらの報道機関を一定の基準を下にプレスとして位置づけ、無償で記者室を設けたり、常駐記者には机や椅子を置くスペースを用意したりしているのである。したがって、報道機関に対する適正な便宜供与は、決して「血税」の無駄使いではない。現実に、三つの記者クラブが撤去された後のスペースは、実態としては、そのまま残されているわけだから、スペースだけを取って見れば、節税になったということは実質的にもなさそうである。この便宜供与の適正の範囲については後に触れるが、もし常駐が認められれば、過剰なものについては、「見解」が最後に触れているように、県側と協議して負担する必要があるだろう。
 完全に仮定の話だが、もし、新聞、通信、放送が完全に機能を停止し、現在の日本の週刊誌やフリーライターやミニコミ誌などだけしか県政を報道しないようなことが起こったら、県政情報はほとんどの市民のもとに届かないことはだれでもわかるはずである。インターネットも県政の情報を伝える重要なメディアの一つには違いないが、パソコンの普及度からいっても、また、実際に県政ホームページにアクセスする数からいっても、到底、マス・メディアとは比較にならない。
県には、県政情報をできるだけ公開し、できるだけ多くの人々にそれを伝える責任があるのだから、その最も有効な手段である報道メディアを活用するのは当然で、費用対効果という角度から見ても、これら報道メディアへの対応を前提としての改革でなければならないはずである。
 ところが、「『脱・記者クラブ』宣言」では、何らの実質的な話合いもないまま、唐突に三記者クラブへの撤去通告が行われ、空いたスペースは、後に「表現道場」などと改称される「プレスセンター」に変更されることになった。
 「プレスセンター」については、「記者クラブの枠を越えて、すべての表現者に自由に取材や報道活動ができる場を提供するとともに、知事及び表現者等の会見や資料提供を行う場として『プレスセンター』(仮称)等を設置する」として、(1)プレスセンターは、県庁三階の元県政記者クラブ室、(2)ワーキングルームは、県庁一階の元県政記者会室、(3)ロッカールームは県庁二階にそれぞれ作られることが明らかにされた。
 しかし、長野在住ライターによる「メディアは、一人の個人に立脚できるか」(GALAC十二月号)によると、「表現道場」のための改修費三千百万円は、県議会で「高すぎる」として否決、千三百万円減額した予算も九月の県議会で、「クラブとの合意ができていない」として否決され、五階の会議室が「仮設」の「表現道場」として使われる状態が続いている。また、「仮設でも問題はない」、「もっと簡素なもので十分だ」という声もあるようである。
 新聞労連が主催した「『脱・記者クラブ』宣言を考える」というシンポジウムで知事が明らかにしている所によれば、三階が「表現道場」、二階が「テレビ機材をなどをお預かりする」「表現倉庫」、一階は「静かに原稿などをメディテーションして頂く」「表現工房」となるはずのものであるという。
しかし、その内容やその意味はもう一つ明確でないように思う。「道場」とは、もともと仏道を修行する場所であり、また、武芸を教授したり、練習したりする場所を意味する。確かに日常の取材報道活動に、そういう研鑽の要素があることは認めるとしても、「静かに原稿などをメディテーション」する「表現工房」には、どちらかというと「書斎」的なにおいがする。そういう場所はむしろ図書館などに必要なのではないだろうか。

 

 記者会見の主催者の問題

 県政記者クラブと田中知事が最も明確に対立している点は、従来クラブが主催した記者会見を県主催に改めた点である。
 この点について、クラブの「見解」は、次のように述べている。
 「公的機関の記者会見は原則として記者クラブ主催で行うべきです。
 公的機関の記者会見は、取材する側が『国民の知る権利に応えるために必要』と判断するときは、必ず開かれることが保証されるべきだと考えます。公的機関の恣意的な設定に委ねると、主権者である国民に真に必要な情報が伝えられなくなる恐れがあるためです。県主催の知事会見だけに一本化するという今回の『宣言』を受け入れるわけには行きません」
確かに、情報公開の理念が確立していない日本では、発表をすべて官公庁側に委ねると発表が恣意的になる恐れはあると思う。鎌倉市役所のクラブ改革でもこの点が一つの焦点だった。したがって、県の主催とする場合、定例会見の最低の回数とか、記者クラブが記者会見を申し入れた場合は応じること、そのような会見は原則としてオープンとする、また、ニュースソース側が質問者を指名する場合は、批判的な記事を書いた記者を差別するなどの行為をしないなどの条件を確認することが必要だろう。
 しかし、ニュースソース側が必要な会見をしなかったり、必要な情報まで発表しない場合、これに抗議し、記者会見や情報公開を実現する努力をすることは当然であり、これこそが記者クラブの本来の任務なのではないかと私は考える。もしニュースソースが長期にわたって恣意的に会見を開かなかったり、必要な情報公開を行わない場合は、情報公開法や情報公開条例を武器にしたり、あるいは、そういうニュースソースを客観的な事実に基づいて批判するキャンペーンなどもやるべきだと思う。
 そういう点をきちんと踏まえていれば、どちらが主催するかはそんなに大きな問題ではないのではないか。というのは、欧米では、ほとんどすべてがニュースソース側が主催する形で記者会見が行われているからである。 また、新聞協会報の編集部が七月に発表した調査結果でも、全国の中央官庁、地方自治体の記者クラブの内回答のあった六十クラブ中、クラブ主催が四十四で最も多かったが、
行政主催が二、共催が十六、どちらともいえないが八ある。つまり、二十六はすでにクラブ主催とはいい切れない形で行われているのである。
 さらに、新聞労連が北海道、下野、埼玉、共同通信社、毎日、京都、神戸デイリー、西日本、琉球新報の九社の組合員に対して実施し、千五百六十八の回答を得た「記者クラブに関する意識調査」によると、「記者会見の形式はどれが適当だと思いますか」という設問に対し、「形式にこだわらない」が最高の四十七%、「あくまで記者クラブが主催する」が四十三・九%、「行政など取材対象が主催する」が二%、その他が五・二%、無回答一・八%となっている。
 私が問題にしたいのは、現状のクラブ主催という形の記者会見には、これまで大きな問題点があったという点である。つまり、記者クラブ主催という口実の下に、雑誌記者や政党機関紙、宗教機関紙、フリーランサー、ミニコミ紙などはもちろんのこと、加盟社以外の報道機関の記者さえも記者会見から閉め出す役割をメディア自体が演じて来たということである。
 また、情報公開に積極的でないニュースソース側も記者クラブをいわば防波堤として利用して来た側面があるということである。つまり、国民の知る権利に奉仕するはずのメディア自身が、他のメディアの知る権利を制限する役割を演じて来たのだ。
 在日外国特派員が日本の記者クラブの閉鎖性を激しく攻撃して、記者クラブへの加盟を求めたのも、結局、記者会見に出られないためだったし、「『脱・記者クラブ』宣言」が出版ジャーナリズムの記者やフリーランサー、編集者に好意的に受け入れられたのも、結局、この問題が今でも関係者の間にくすぶっているからだと思う。
 したがって、もしクラブ主催ということに記者クラブが固執するのならば、記者会見への参加は、原則フリーとし、セキュリティその他の問題から、特に出席者を選別しなければならない場合は基本的にニュースソース側に判断を委ねることが必要だと考える。
 その理由は、会見の主催者ということになると、セキュリティの問題を重視せざるを得ないし、会見が波乱なく終わることをどうしても配慮せざるをえなくなり、その結果、どうしても刺激的な質問や問題提起がなされるかも知れないメディアや個人を排除することにならざるを得ないからである。
 クラブ主催の記者会見出席のメディアの選別等を原則的にニュースソースに委ねる理由は、日本ではニュースソースの側にまだ、外国報道機関はいいが、週刊誌は駄目とか、政党機関紙や宗教機関紙は認めないなどの考えが残っているからである。
 例えば、田中知事は主要な報道機関以外に政党機関紙、宗教機関紙あるいはミニコミの記者などをも自由に参加させるべきだと考えているが、竹内鎌倉市長や石原都知事は外国報道機関や週刊誌などは認めるべきだが、政党機関紙や宗教機関紙その他の記者は対象外と考えているようである。
 つまり、主催する記者クラブが原則自由というルールを確立しても、ニュースソースがそれを拒否する場合もあり得るわけだが、その場合は、取材の自由を求める記者クラブが制限するのでなく、ニュースソースが制限しているのだから、閉め出された当該メディアとニュースソースの対立ということが明確になるわけである。

 

 クラブ加盟や会見の完全開放は可能か

 一口に記者クラブとか、記者会見といっても、ニュースソースが違えば、当然クラブの性格や取材方法、会見の中身も変わって来るし、セキュリティの問題も違って来る。したがって、千篇一律のルールを確立しにくいのが実情であり、特定の取材先によっては、当然さまざまな規制が厳しくなることも考えられる。
 「『脱・記者クラブ』宣言」の田中知事の場合、「表現者」ならば、プレスセンターの利用も記者会見への参加も自由といういわば完全開放の姿勢を明らかにしているが、日本はもちろん、海外にもそういう例はない。
 なぜかといえば、まず、セキュリティの問題がある。長野県庁の場合はそういう恐れはないのかも知れないが、北海道庁では、確か爆破事件が起きたことがあるし、長崎の市長は右翼にピストルで撃たれたこともある。警視庁、警察庁、あるいは県警本部などでは、当然セキュリティ確保のため、出入りは厳しいチェックの対象になるだろう。もちろん総理大臣官邸をはじめ、国会や外務省、財務省その他中央官庁も、かりに幅広いメディアに利用を許す記者室が設けられたとしても、「表現者」なら自由に出入りできるということにはならないはずで、当然、報道業務を行っているかどうかの資格審査が必要とされるだろう。
 例えば、アメリカのホワイトハウスの場合、八〇年代以降、記者証を申請してももらえるまで四ヶ月から六ヶ月もかかるようになったといわれる。新聞、放送、通信の場合、パスポート、日本大使館発行の記者であることの証明書、支局長の推薦書などをプレス・オフィスに提出、シークレット・サービスの身辺調査を経て、大統領府に出頭、面接があり、指紋も採取される。
 こういう手間がかかる傾向は二〇〇一年九月十一日のアメリカ同時多発テロ事件以降、さらに深まる可能性が考えられる。
 英国、フランス、ドイツなどでも、外務省に申請して記者証をもらわないと記者活動ができないのは、同じである。
 資格審査によって出入りする記者を選別しなければならないもう一つの理由は、記者室や会見会場のスペースなど物理的制約がある。
 アメリカでは、特に常駐が認められるためには、日常の取材報道活動の実績が問題にされ、机だけ置いて仕事もしない場合は、ニュースソース側からすぐ別のメディアに換えられてしまう、など厳しい措置が取られる。
 常駐できるかどうかの前に、米国務省では、プレス・パスそのものがちゃんと取材報道しているメディア以外には発行されない。プレス・パスを持っていない記者も出席できる昼のブリーフィングにどのくらい顔を出しているかをプレス・オフィスがチェックして、出席率の悪い記者には、パスを出さないというわけである。
 常駐の新しい申請はもっと難しく、特に米財務省の場合は、記者室が狭いこともあって、まず認められないといわれる。AP、UPI、ダウ・ジョーンズ、ロイター、CBSなどの既得特権になっている。
 このように海外では、ニュースソース側が記者を選別することはあっても、同じ取材報道をするメディア同士が会見参加を制限したりすることは通常ではあり得ないことなのである。しかし、セキュリティやスペース難から「表現者」であれば、だれでも自由に記者室や会見スペースを利用できるということを認めている所は私の知るところ皆無である。 ただし、きちんと日常的に報道活動を行っていて、テロ行為を行う危険もないと判断すれば、赤嫌いのアメリカでもホワイトハウスのように、日本では中央官庁はもちろん、地方自治体の記者会見にも出られない日本共産党機関紙「赤旗」の記者の会見出席も認めるということになる。
 日本では、田中知事以外には、ニュースソースも記者クラブもそこまで記者会見をオープンにする考えは今のところない。
 もちろん、日本で政党機関紙や宗教機関紙の記者の会見への参加を認める場合には、報道目的のための取材活動に限定するなど、会見を特定の政治運動や宗教布教活動の場にしないような確認をする必要があるように思う。  

 

 親睦機関化と便宜供与の問題

 戦後の記者クラブ制度が、占領軍の命令で一九四六年十月二十六日の日本新聞協会の新しい方針の下に「親睦機関」として再発足したことはすでに触れたが、戦前一部の政府機関から「厄介者」扱いされていた日本の記者クラブが、優遇され、親睦機関化したのは、山本武利の『新聞記者の誕生』(新曜社、一九九〇年)によると、第二次桂内閣(筆者注一九〇八年七月十四日~一九一一年八月三十日)以降だという。
 氏は、明治四十四年(一九一一年)『新公論』四月号に掲載された鉄如意禅という筆者の「新聞記者去勢術」という論文から「然るに今の桂内閣に至りては、全然趣きを異にし、大いに門戸を開放するのみならず、当局官吏が内々肝煎となりて記者会を組織せしめ、室の提供は勿論、椅子、卓子、茶道具、将棋、碁等の設備をし、専任給仕まで置いて遣る事となりたり」という文章を引用して次のように述べている。
 「第二次桂内閣は第一次のときの世論軽視の反省から、新聞操縦による世論操作をはかるようになった。そして桂が新聞への接近の際に注目したのが、記者クラブというものの存在である。個性やアクの強い個々の記者を操縦することは容易ではない。ところが社の命令で取材のために役所に顔を見せる記者を集団的に優遇するのは簡単である。かれらは集団的にサービスを受けると、プライドの高い記者も反発はしないものである。こうして記者クラブの排除から保護育成へと転換したのは、人心収攬術にたけた桂一流の巧みな戦略からであった」
 「以後、記者クラブでは、役所の部屋、設備、小使などを無料で使用できるシステムができあがった。記者は臨時の控え室にじっと集まっている『厄介者』ではなくなり、居心地の良い常設の部屋を堂々と取材の拠点とすることができるようになった」
「それどころではない。大臣や局長以下役所の幹部が出席し、クラブ所属の記者連中を年二~四回、無料で接待するように様変わりした」
もちろん、このような優遇措置が取られたからといって、当時の新聞記者および記者クラブがその時以降すべて牙を抜かれ、「チョウチン記者」になり下がったわけでは決してない。
また、政府が取材に門戸を開放したこと自体は、その真意は別として、情報公開の面では一つの前進であった。
 けれども、アメリカ占領軍が戦争直後に廃止した言論統制の法律が二十六もあったといわれる戦前の日本では、徹底した言論弾圧の一方で、新聞記者を市民から切り離し、特権意識を育てる場所として記者クラブを利用するいわゆる「飴と鞭」の政策が取られたことについて改めて考える必要があるように思う。
 戦後の「記者クラブに関する新聞協会の方針」が、国民の知る権利との関係で記者クラブの役割を十分に考えることなくいわば戦前の「親睦社交」の場としての記者クラブを追認したことが、現在も問題を残しているように思えるからである。
戦後の記者クラブも、また記者もニュースソースとの関係では、長らく戦前の特権と特権意識を引きずっていたように思われる。
 国鉄時代には支給されていた無料パスをクラブの記者から借りて新婚旅行に行ったという記者もいたし、告白すると私自身新聞協会の編集担当の責任者時代には社会部長や論説委員などと一緒に招かれて新任の警察庁の長官に料亭でご馳走になったこともあるが、正直にいって当時ほとんど抵抗を感じることもなかったのが実態である。
 現在はそういう無料パスはないし、官公庁の幹部から接待を受けることもほとんどなくなり、相互に経費を負担する簡素な会合に切り替えられている。その意味では、戦前と違って改善されていることは事実である。
昔なら、ほとんど問題にされなかった、手待ち時間にやる麻雀なども最近では、問題視されるようになった。警視庁のクラブなどでは、大事件が発生すれば、人が寝ている早朝や深夜に不眠不休の夜討ち朝駆けの取材をやるのだから、昼間の勤務時間中の手待ち時間に息抜きにやる麻雀くらいいいではないかという気持ちは私もわかる。だが、とくに都道府県の記者クラブでは、一般市民が来ることも多いだけに、麻雀牌をかき混ぜる音を聞いて、勤務時間中に何をやっているのかという疑問や批判が出るのは当然だし、記者室のスペースを無料で占有しているのだから、そういう批判が出ないような配慮が やはり記者の側にも必要ではないだろうか。

 

 常駐記者は許されないのか

 すでに触れたように諸外国でも官公庁の負担で記者会見室や記者室のスペースが確保されており、日本のようにほとんど全国の官公庁に設置されているのとは違うにしても、いくつかの取材先では常駐を認めた社には別に机や椅子、電話などを置く場所が与えられている。そして常駐の権利が認められているのは、日常的にニュースソースの領域の情報を活発に取材報道しているメディアに限られているのである。したがって、海外でも雑誌記者やフリーランサーが常駐を認められている例はほぼ皆無だと思う。
 政府や地方自治体には国民や地域住民に自分の施策や活動の内容を知らせる義務と責任があるのだから、国民の知る権利に応え、報道活動を行うメディアに取材報道に役立つ必要最小限のスペースや設備を提供するのは、私は当然のことだと考える。
 ただ、日本では記者室のスペースが狭く、実態としてはこれまでその大半を既成の記者クラブの常駐記者が独占していたため、事実上、クラブに加盟していない外国報道機関や雑誌記者、地域紙記者、フリーランサーなどは、記者室そのものから閉め出されていたし、クラブが主催するという口実で、記者会見からも排除されていたという事実がある。
 「『脱・記者クラブ』宣言」の本当の意図は、そういう閉鎖性の根源になっている記者クラブの特権意識、排他性、閉鎖性を打破するということにあったのではないか。
 とすれば、長野県の場合、(1)東京都が十一月に開設したように記者クラブ加盟社以外の記者が利用できる共同記者室を既成の記者クラブ・スペースのほかに新設するか、三つののクラブ・スペースを多少縮小して空きスペースに共同記者室を新たにオープンすること、(2)記者会見に参加できるかどうかのメディアの選別は、県、クラブ主催のいかんにかかわらず原則としてニュースソースの側に委ねる、(3)記者クラブへの便宜供与を見直し、双方の話し合いで過剰なものは削減したり、クラブ負担とすることなどを検討する、(4)記者クラブへの加盟もできるかぎりオープンとする方向でクラブ規約を改正する、などを話し合うことで解決の糸口がつかめるのではないだろうか。 
 県政記者クラブと田中知事は、現在、記者会見の主催権や「報道機関と『表現者』とは違う」という問題で確かに対立している。
 この対立と、予算が県議会を通らなかったこともあって、これまでの三つの記者クラブがあった一、二、三階のスペースはそのまま使われずに閉鎖され、五階の会議室が新しい仮設の「表現道場」として使われている状態だという(労連シンポジウムでの知事の発言)。 
 もし、そうならその五階のスペースを共同記者室とすれば、便宜供与の中身の見直しと、記者会見への参加問題さえ解決すれば、従来の記者クラブが存続しても、会見の閉鎖性や過剰な便宜供与などの問題は基本的には解決するように思われる。
 その前に、「『脱・記者クラブ』宣言」によって、記者クラブを退去させ、代わって田中知事が作った「表現道場」の成果を見ることにしよう。まだ、予算も通らず、「表現倉庫」や「表現工房」などはオープンしていないが、クラブに加盟していないメディアやフリーランサー、市民など、いわゆる「表現者」が、「表現道場」を実際にどれだけ有効に利用しているかを見れば、他のスペースの利用の方向もある程度予測がつくと思われるからである。
 週刊文春の十月十一日号には、この意味でまことに興味深い記事が掲載されている。ジャーナリスト田中有香による「田中康夫『脱記者クラブ』から五ヶ月 長野県政記者クラブ密かに『復活』観察日誌」である。
 このリポート自体、記者会見に参加して書かれたはずだから、その意味では、改革の一つの成果ともいえるわけだが、「『脱・記者クラブ』宣言」を擁護して来た週刊ジャーナリズムとしてはかなり客観的な記事である。 それによると、(1)すべての「表現者」に開放されているはずなのに記者会見の出席者はこれまでと同じ報道機関の記者で占められ、市民は一人も目につかなかった、(2)緊急を要する食中毒注意報の発令の知らせが記者クラブが常駐していた時期に比べて五時間も遅れた、(3)複数の企業や県庁が「表現道場」でなく、報道機関に資料を直接送付するようになった、(4)「表現道場」に関する意見交換会が開かれたのに、来たのはそれを取材する報道陣だけで、市民は一人も現れなかった、などほとんど「表現道場」が活用されていない実態が浮き彫りにされている。
 また、私も指摘していたセキュリティの問題なども取り上げると同時にこのリポートでは、かつての記者クラブの常駐記者らしい人物が「冷蔵庫ないの?」とか「冷たいビールが飲めない」といった通常の市民感覚や社会常識を逆撫でするような甘ったれたことをいっていることも取り上げられているが、この問題については後に論じたい。
 ライターの田中有香は、終わりの部分で「客観的な立場で観察すると、記者クラブというのは、県庁にとっても記者にとっても便利な制度だったことが分かる」と指摘しているが、まさにそのとおりで、さまざまな問題、弊害を抱えながら、長い間記者クラブ制度が存続して来た背景には、こういう双方の利益があったからだと思う。
 常識的に考えて、大きな事件が起きた時とか特集などで年に何回か外国報道機関や週刊誌の記者やフリーライターが取材に来ることはあっても、常駐している報道機関のように日常的に県政報道のために取材するとは到底考えられないし、県政に関心のある市民といっても、仕事を持っている人が昼間、毎日来られるわけがない。「表現道場」の実態が週刊文春が報道している通りだとしたら、知事が認める非加盟の報道機関や雑誌記者、フリーランサー、地域紙、政党機関紙などの記者や「表現者」などの記者室スペースの利用は現状ではほとんどないことを意味するわけである。
 とすると、毎日のように継続的に県政を取材報道する常駐記者を追放して、ほとんど取材も報道もせず、記者室も利用しない人々のためにそのスペースを開放するという改革が果たして妥当なのかという疑問がわく。
 記者会見を知事の主張する通りに完全開放することを記者クラブ側が了承し、光熱費など必要経費については支払うこと受け入れれば、県が記者クラブの常駐記者を認めない合理的根拠はほとんどなくなるのではないか。 というのは、記者クラブ側にとっても、記者会見が県主催なら、セキュリティの問題にしても、何もわからない人がとんちんかんな質問をしたり、演説をするなど会見が混乱したとしても、それはすべて県の責任なのだし、田中知事は、これまで通り情報公開をすると述べているのだから、取りあえずは会見の主催者の問題にそれほどこだわる必要はないと思われるからである。
 

 便宜供与の範囲はどこまでが妥当か?

 日本における記者クラブへのいわゆる便宜供与が時の権力者の飴と鞭の政策の一環として、第二次桂内閣時代に協力に推進され、スペースだけでなく、給仕が配置され、囲碁将棋などもできるようになったほか、酒食の接待も行われるようになったという山本武利の研究についてはすでに触れた。
 戦後、アメリカ占領軍によって、上からの民主主義が進められたが、昭和二十四年の新聞協会の記者クラブに関する方針では、記者クラブを国民の知る権利に応え、権力を監視するための取材組織とする捉え方はなされず、戦前の飴の部分である「親睦社交の組織」とする規定だけが残された。そして、官公庁は、「親睦社交の組織」には必要のないはずなのに、「記者室を作り、電話、机、椅子など記事執筆、送稿などに必要な施設を設け、全新聞社に無償且つ自由に利用させる」ことになったのである。
 国民の知る権利に奉仕するという自覚も使命感もない記者が、昔ながらの「親睦社交の組織」という居心地のいい記者クラブに常駐しているとどうなるか。知らず知らず一般市民の生活感覚とは異質の特権階級的な感覚を身につけてしまうことは、先の週刊文春のリポートにもうかがわれる。ある記者が「ここビールが飲めないもん……。冷蔵庫置いてよ」などと発言しているのに驚いたライターが、確認したところ、「県政記者クラブではそういうことはなかった。でもね、同じ県庁にある県警記者クラブでは飲んでいるよ。麻雀卓もあるし」という回答だったと書いている。
 普通の職場なら、勤務時間中にビールを飲み、麻雀をやるということはまず許されないことだが、昔の記者クラブでは全部ではないにしても一部では許されていたし、それは当時の感覚ではそれほど悪いことではなかったのである。
 だが、経済不況のあおりを受けて残業もカットされる厳しい労働環境の下で、必死に働く一般市民がリストラの波におびえている時、クラブの記者がこういう意識を持ち続けていれば、いくら「国民の知る権利」を振りかざしてもだれも信用しなくなるに違いない。
 記者クラブへの過剰な便宜供与や接待など、ニュースソースと記者との癒着の問題について、鋭いメスを入れたのは、岩崎達哉の『新聞が面白くない理由』(講談社、一九九八年)である。
 この本には、記者室あるいは、記者クラブの常駐スペースをもすべて有料にすべきだとするなど、私の考えと違う点もあるが、ジャーナリストとして真剣に受け止めなければならない部分も多く含まれていると思う。
 例えば、佐々木伸の『ホワイトハウスとメディア』(中公新書、一九九二年)によれば、アメリカの記者室は、「テレビやラジオ各社の電話ボックスのようなブースがあり、常駐の新聞、通信社の机、そして各々の電話があるくらいのものだ。日本の記者クラブのどこでも見られるようなソファやテレビ、冷蔵庫などはないし、無論休憩用のベッドなども一切ない」という。つまり、純粋に取材報道機能に徹したスペースであり、そのための備品設備に限られている。 
 これに対して、『新聞が面白くない理由』で「新都庁の豪華記者クラブ」として取り上げられている「有楽」、「鍛冶橋」の記者クラブの設備はアメリカの常駐記者用のものと比べて格段に贅沢なようである。
 すでに述べたように、私は官公庁や地方自治体は国民に実際の活動を広く報せる義務があるのだから、報道機関にそういう機能的な簡素な記者室や会見室を無償で提供する義務があると考えており、欧米でも基本的には長い間そういう考え方で運営されて来たし、現在もそのようである。
 「現在もそのようである」と私があいまいないい方をしたのは、アメリカでは、一部のメディアに一九七二年のウォーターゲート事件以後、そのような便宜供与の利用料も負担すべきではないかとする動きが出たらしいからである。 
H・ユージン・グッドウィンの「ジャーナリズムの倫理を求めて」(H .Eugene Goodwin Groping for Ethics in Journalism Second Edition、Iowa State University press、一九八七年)には、次のようなことが書かれている。
 「最近まで、ニュースメディアはどれも、アメリカ合衆国議会のプレス・ギャラリーやホワイトハウスの記者室、州議会や市役所の記者室などを利用するための賃貸料を支払っていなかった。ウォーターゲート事件が記者と政府高官との関係を厳しく意識させるようになって、七〇年代に変化が見られるようになった。二、三の大きな報道メディアは、官公庁のビルの利用スペースの費用を支払うようになっている。また、例えば、カリフォルニア州のサクラメントとか、フロリダ州のタラハシなど、いくつかの州の首都では、州議会のビルから出て、別に自分たちのプレスルームを作っている」
 「官公庁ビルから撤退したり、記者室の賃料を支払う動きは小規模だし、その動きが見られるのは、ワシントンDCよりも、市や州の首都である。二、三のニュース・メディアはホワイトハウスや連邦議会、財務省などの設備の利用料として財務省に金を出しているが、大部分のメディアはそうしていない。二、三の州政府と違って、連邦政府はいかなる形の賃貸も拒否している。ウォールストリート・ジャーナルとナイトリッダー系新聞はワシントンで利用している官公庁の記者室の費用として一年に千ドル以上を財務省に自発的に払っている」
 「ノースカロライナ州ローリーにあるニューズ・アンド・オブザーバー紙とタイムズ紙の論説委員長クロード・シトンは、官公庁ビルで働く記者の電話代や駐車場代が無料なのには反対だが、官公庁に設けられる記者室については理由があるとしている。州議会の記者室の費用を支払おうとしたところ、州政府は賃貸の対象でないと回答があったことに特に言及して、氏はプレスは政府を報道する時は、『公衆の代理人として』奉仕するのだと思う。『議会も他の公共機関と同じように、その審議経過を報告する義務がある。我々は伝達ベルトとして活動しているのだ』とつけ加えている」
 他の著者が引き継いだ同じ題名の本の新版には、なぜかこの問題は扱われていない。また、私の知る限りでは、こういう問題が他の研究書で扱われたこともない。したがって、もし、新しい情報があれば、ぜひご教示願いたいと思うが、現状の正確な状況はつかめていないというのが正直の所である。
 しかし、この文章からもアメリカでも連邦政府や州政府の大半は記者室などのスペースを 賃貸の対象とは考えていなかったようだし、メディア側も記者室に常駐しても使用料をずっと支払って来なかったのは明らかである。
 ただ、日本のように記者室を利用していない他メディアから批判が出て報道機関が対策を講じるのではなく、アメリカでは主流の報道メディアが自発的に便宜供与のあり方を考え、対処しようとしていたのは、対照的といえよう。
 新聞協会報編集部や毎日労組が二〇〇一年七月に実施した各官公庁や地方自治体の記者クラブへの便宜供与に関する調査結果ではクラブごとに実態にかなりばらつきがあるが、光熱費、電話代、職員の常駐、記者室の清掃費、駐車場代などのニュースソース側負担が目立っている。(新聞協会報二〇〇一年七月二十四日号、新聞労連新聞研究部編『記者クラブはこのままでいいのか』参照)
 東京都では、有楽・鍛冶橋両クラブが十月一日から光熱水費や内線電話代を都に支払うことになった。
 また、二〇〇二年一月一日には、有楽、鍛冶橋両クラブが統合することになり、同年四月以降、都はクラブに職員を派遣しないことを決めている。
 このように、各地方自治体でもそれぞれの事情を踏まえながら、記者クラブとの間で便宜供与の見直しを進めており、クラブ側が応分の費用を負担する動きが今後加速するものと思われる。
 要するに、便宜供与は取材報道するために最低限必要なことのみにできるだけ限ることを原則とすべきであり、新聞協会のガイドラインなどによって今後、各クラブごとに常識的な範囲に収斂して行くことが望まれる。
 

 海外の記者クラブ批判と廃止論

 すでに触れたように在日外国特派員の日本の記者クラブへの加入問題や、記者会見への参加問題は、度重なる新聞協会の方針の変更によって、ほとんどが解決したため、外人記者からの記者クラブの閉鎖性に関する批判はこの数年ほとんど無くなった。
 しかし、海外の日本マスコミの研究者の間には、日本のマスコミが権力監視の役割を果たせない主要な原因が記者クラブ制度にあるという考え方が根強く残っている。
 ニューヨーク・タイムズは二〇〇〇年二月六日付けで、ハワード・W・フレンチ記者の
「スキャンダル・ニュースに飽きたら、日本にお行き」(Howard W. French Tired of News That Rocks the Boat?Visit Japan)
という皮肉な題名の日本のマスコミについての特集記事を書いている。
 日本では、政治スキャンダルのニュースなどは、新聞やテレビではなく、週刊誌を読まないとわからない。日本の主流メディアはそういう題材を扱わないが、その理由の一つに記者クラブ制度がある。週刊誌は記者クラブに入れないが、その代わり政治家と癒着することもないので、政治スキャンダルも報道できる、という趣旨の批判である。
 田中金脈問題が立花隆の雑誌『文藝春秋』に掲載された論文から燃え広がったのは周知の事実であり、こういうフレンチ記者の見方はすでに日本でも常識化しているといってもいいだろう。
 こういう政治報道の問題は、古くはオファー・フェルドマンの『日本における政治とニューズ・メディア』(Ofer Feldman Politics and the News Media in Japan、The University of Michigan Press、一九九三年)とか、スーザン・J・ファー&エリス・S・クラウス共編の『日本のメディアと政治』(Susan J.Pharr&Ellis S.Krauss Media and Politics in Japan、University of Hawai'i Press、一九九六年)などにかなり詳細に論じられている。特に後者に収録されているMaggie Farley の Japan's Press and the Politics of scandalの論文はなかなか興味深い。
 しかし、これらの諸論を踏まえながら日本の記者クラブ制度そのものを論じたものとしては、ローリー・アン・フリーマンの『クロージング・ショップ 情報カルテルと日本のマス・メディア』(Laurie Ann Freeman、Closing the Shop Information Cartels and Japan's Mass Media, Princeton University Press、二〇〇〇年)が豊富な資料を駆使して最も優れていると思う。
 この本の中で、氏は日本の記者クラブ制度から生まれる日本のマス・メディアの報道の特徴を次のように指摘している。
 (1)事実の権威付け=日本のマスコミは、だれも文句が付けようもない政府高官や与党の首脳など公式のニュースソースに大きく依存するため、それとは異なる見方や多様なニュースが報道されない、(2)権力監視機能の弱体化=特に主流メディアの政治権力に対する監視機能が弱い、(3)議題設定機能の不全=日本のマスコミは世論の後追いが多く、メディア側の議題設定機能が十分に発揮されない、(4)非伝統的メディアの軽視=記者クラブから疎外され、公式ニュースソースに接近できない週刊誌などの代替メディアを軽視する傾向がある、(5)各メディアの記事と社説の類似化=日本の主流メディアの記事や社説などがどれもこれも似たり寄ったりの内容になっている。
 確かにここに指摘されている日本のマスコミの特殊性は当たっており、否定できないように思うし、反省しなければいけない点が多く含まれていると考える。
 だが、それでは記者クラブ制度を無くせばこういう日本のマスコミの問題を解決できるだろうか。
 ウイリアム・デ・ランゲは、『日本ジャーナリズム史』(William de Lange :A History of Japanese Journalism、,japan Library一九九八年)の副題を「成熟したプレスの最後の障害としての日本の記者クラブ」として、記者クラブ制度があるかぎり日本のプレスは本当の意味の言論の自由を享受できないと指摘している。日本でも記者クラブ制度の批判が起こると、必ず、このようなクラブ廃止論が提起される。
 しかし、私はこの意見は、逆立ちした意見だと思う。
 日本ではいわゆる五五年体制による自民党支配が長く続き、連合政権になっても、自民党の支配は基本的に変わっていない。そして企業としての新聞や放送は最高幹部が、日本の政権党や財界と太いパイプがないとやって行けない構造になっているのである。
 現在の日本の主流メディアの最高経営者の経歴を見ればほとんどが政治部か経済部記者出身で、自民党や財界にパイプのある人が占めていることは一目瞭然である。 
 もちろん、経営権力は相対的に独立しており、経営トップが時の権力と近いところにあるからといって、そのメディアの現場で働く人がすべて同じ意識を持つわけでもなく、商業ジャーナリズムである以上、受け手である読者、視聴者の動向も無視するわけにも行かないし、メディアの伝統的性格もある。したがって、直ちに紙面がそのまま権力べったりになるわけでもない。しかし、そういうメディアの経営首脳の意見が決定的な場面で微妙に社内に反映することも否定できない。
 そうなると、書くことに自己規制が働いてしまい、政治スキャンダルの情報を主流メディアの記者が入手しても、その手の情報は週刊誌などに流れるということになる。したがって、現実には主流メディアの得た情報もかなりの量が週刊誌などに流れているはずである。
 もう一ついえるのは、日本ではメディアの数が少なく、新聞を例に取るとアメリカの千四百に比べ約百紙しかない。労働市場の流動性も乏しく、一つの社を辞めると、他社への転職はまず不可能で、フリーランサーになるくらいしかない。アメリカでは、フィラデルフィア・インクワイアラーの編集局長だったジーン・ロバーツがメリーランド大学の教授になった後、ニューヨーク・タイムズの編集局長になるというようなことが起こり得るが、日本ではまずそういうことがない。
 そうなると、社内でなかなか思い切ったことをいうのも難しいということにもなるのである。
 日本のマスコミば、政治権力に対する監視機能が弱いのは、確かに記者クラブ制度の問題もあるとは思うが、こういう日本の社会、政治体制の特徴から来る所も否定できないはずである。
 戦後の日本は情報公開の面でも大きく変わり、二〇〇一年には情報公開法が施行されるまでになった。しかし、スウェーデンやアメリカに比べると、実態は依然として情報閉鎖社会である。
 海外のマスコミ研究者も注目している日本の「夜討ち朝駆け」という特異な取材方法も、そういう日本的な社会の特質から生まれたものだと考える。そういうニュースソースからのオフレコ情報が重んじられる結果、公式の記者会見は形骸化する傾向があり、時には記者クラブの幹事によって会見のシナリオまで作られるといったことまでもが、海外の研究書にも紹介されている。また、そういう所で得たスキャンダル情報は日本のいわゆる主流メディアでは報道されず、週刊誌などに流れることも多いのが実態である。
 日本でも最近はぼつぼつ内部告発者も出始めているが、とてもアメリカのようには行かない。
 アメリカはだれでも知っているとおり、二大政党制になっており、共和党、民主党が政権を交代する可能性を常に秘めている。野村浩太郎の『政治記者』(中公新書、一九九九年)には、政権が交代すると、五千人もの政府高官、高級官僚が一斉に椅子を去り、新しい政権党の据える人材に取って代わることが紹介されている。
 共和、民主党の勢力の差はわずかで、いつ政権交代が起こっても不思議がなく、その時には上級官僚も代わるとすれば、時の権力に不利な情報を提供する政府内の内部告発者も出ようというものである。日本のように官僚が逆に政府を間接的に支配するという構造では、情報公開も思うように進まないのである。
 また、日本の新聞はどれも皆、主な記事は同じということは、確かにそのとおりだが、一つは日本は中央集権国家で、都道府県の独立性がアメリカの州政府のように高くないこと、全国紙と地方紙が激しく競争し、地方紙も部数が多いなど、欧米などに比べると構造的に大きな違いがある。日本では国土が狭いだけに地方の人も、中央の動きに敏感な側面があるだけに、地方紙でも中央や国際ニュースを報道しないわけに行かないのである。アメリカの場合はほとんどが地方紙であり、千四百もある新聞の八割以上が五万部以下で、その多くは国際問題や連邦政府の動きなどより、地元のニュースに大きなスペースを割いているが、日本ではそういうわけに行かないのである。
 要するに、日本の記者クラブ制度にはさまざまな弊害があることは事実だが、日本の記者クラブ制度を廃止すれば、主流メディアの権力監視機能が強くなり、記事の同質性がなくなり、重要な問題の議題設定がより積極的になるかといえば、私ははなはだ疑問だといわざるを得ない。むしろ、官公庁の情報公開は記者クラブが廃止されれば後退する恐れのほうが強いと思う。
 さまざまな問題があっても、官公庁の中に記者が居るということは、もし、その記者が本当の意味で国民の知る権利に応えるという使命感を持っているならば、大きな意味があると考える。
 

 記者の意識改革こそが急務

 要するに、記者クラブ制度の改革と並んで、というよりそれ以上に、現場の記者の意識改革が必要だということである。
 私は、石原都知事が民放テレビで「優秀な者も中にはいるが、記者の七割はバカだ」と発言していたのを聞いたことがある。
 勤務時間中にビールを飲んだり、麻雀をやったりしていると、いつしか自分は一般市民よりも偉い特権階級であるかのような錯覚に陥ってしまう。しかし、それは戦前の権力者が便宜供与の拡充で記者に与えようとした幻想に過ぎない。
 社会全体にまだ余裕があった時代なら、それも許されたかも知れない。しかし、今日本全体が必死になって生きる道を模索している時代なのだ。
 記者クラブの記者はなぜ自分たちが、税金で作られた官公庁に無償で記者室を与えられているのかを自問自答する必要があると思う。それらの一種の特権は、記者の親睦社交のために与えられているのではなく、記者が市民に代わって「知る権利」を行使する使命に対して与えられているのである。記者も市民との連携を強め、ニュースースソースからも一目置かれる存在にならないと、社会から見放されてしまうのではないだろうか。
 今回の「『脱・記者クラブ』宣言」をきっかけに報道界では、記者クラブ制度に関する従来の方針の見直しが進められているが、それだけでなく、報道各社が各社ごとに(1)記者クラブの整理・統合、(2)クラブへの記者の配置の見直し、調査報道のための機能強化、(3)通信社の利用、(4)第一線記者の研修の徹底、(5)クラブ加盟社以外の記者が利用できる共同記者室の実現、などを考えて行く必要があると考える。
 本稿を執筆後、二〇〇二年一月二三日、日本新聞協会理事会は、編集委員会(日本の有力新聞・放送、通信社五十八社の編集・報道局長で構成)が新たにまとめた「記者クラブに関する日本新聞協会編集委員会の見解」(同年一月十七日)を承認した。
 この新しい見解では、次のような点が明らかにされている。
 (1)九七年の見解で記者クラブの定義を「取材拠点」としていたのを「取材・報道のための自主組織」と改めた、(2)記者クラブがより開かれた存在でなければならないとしながら、加盟要件として、a報道という公共的な目的を共有、bクラブ運営に一定の責任を負う、c報道倫理の厳守などを挙げ、「日本新聞協会加盟社とこれに準ずる報道機関から派遣された記者など」のほか、報道活動に長く携わり一定の実績を有するジャーナリストにも門戸を開放すべきだとしている、(3)記者会見は公的機関の恣意的運用を避けるためにも原則として記者クラブ主催とすることを明確化、(4)公的機関には国民への情報開示義務と説明責任があるとして、記者室の公共的役割を明示するとともに、この記者室は記者クラブだけが独占的に使用できるものでなく、利用に伴う諸費用も報道側が応分の負担をすることを明らかにした、(5)解禁時間の設定や、協定などについてはごく限定的なものしか認めるべきでないという従来の方針を踏襲、(6)集団的過熱取材などの訴えがあった場合、クラブが積極的に調整機能を果たす、などである。
 (1)については、私がかねがね主張して来たことであり、当然のことだと思う。(4)も賛成だが、すでに触れたように、(2)(3)の記者会見の主催者の問題やクラブ加盟の条件などについては、この「新見解」では、記者クラブの閉鎖性を解消することは事実上不可能だと考える。
 「新見解」については、別の機会に詳しく検討したいが、現時点でいえば、「新見解」の意義は認めるものの、問題が多く残されているというのが、取りあえずの私の結論であり、これを是正するためには、やはり現場の記者の抜本的な意識改革と情報公開を求める市民の意識の高まりが必要だと考える。

   (専修大学人文論集 第70号2002.3から転載)

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権田 萬治

ゴンダ マンジ
ごんだ まんじ 評論家

掲載作は、2002(平成14)年3月「専修人文論集」第70号に初出。

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