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方舟の光景(抄)

目次

  虫

私たちより先に来ていたものたちが壁をはっている。

そいつを、

私たちは殺す。

おおさわぎのあげく取り逃がす。

私たちの夢は永遠の愛。

そいつらの夢は私たちを殺すこと。

パチンとぷっつぶし、

ごみ箱にポイと捨てること。

私たちは壁に頭をぶつけては泣く。

そいつらは壁を広場のように遊ぶ。

私たちは自殺する。

そいつらはすぐやってきて卵を産みつける。

  あらいぐま

無邪気なお客の、

「かわいいっ!」という声ばかりつかまされて、

毎日虚しく手ばかり洗っている。

たまに手にするりんごは妙にテカテカしていて、

洗っても洗ってもりんごにならない。

  たまご

生まれたくなかったたまごを、

ぼくたちは食べてよいのだろうか。

こんな時、どこかで、

やさしい音楽を聴いている牛たち。

どこかで、

やさしい音楽の中に立っている、樹たち。

その牛たちの乳房はあまくみなぎる。

その樹たちはゆっくりと息をし、のびをする。

かおる。

そこへ鳥がやってきて自慢ののどをきかせてくれる。

鳥のうたが聞こえるところ、

鉄の檻に閉じ込められて、

ただただたまごをひり出すことだけが、

この世での勤めと、

命じられたとりたちがいる。

ころがってきたたまごはまだ暖かい。

生まれることを拒めずに、

たまごは穏やかに封じられて、

ころがる。

  ある母と子

ぼうや、水の中に入っちゃいけません。

どうして?ぼく魚だよ。

この川がどれだけ汚れているかお前には分からないでしょうけど、

わたしたちの住むところじゃなくなったのです。

だけど、魚は歩けないし、空も飛べないよ。

わたしたちはそう。

だけどお前は忘れたの?

お父さんもおじさんもおばさんも、

お前のお友だちもみんなみんな、

いっぺんに死んでしまったじゃないの。

お前とわたしはね、

ちょうどその時木のぼりごっこをして遊んでいたから、

生き残ったのよ。

うん、そうだったね、みんないなくなったね。

水に入らなくても生きられるように訓練するのよ、もっともっと。

そんなのむちゃだよ。

ぼくは今だって背中がひりひりしているのに。

聞きなさい。

遠い遠い親戚には肺で息をする魚がいます。

木のぼり魚もいます。

地面を歩く魚もいます。

走る魚もいるのです。

魚だって飛ぶのです。

それって山椒魚じゃないの?

犬や猫じゃないの?

鳥じゃないの?

みんなぼくらの親戚なの?

ぼくらを食べるのに。

そうよ。

わたしたちの先祖が水の中でがんばったから、

水からはい上がる仲間に付いて行かなかったから、

わたしたちは魚のままなのよ。

ぼくたちどうなるの?

お母さんに付いてきなさい。

だけど引っ越せる川はまだあるのかなあ。

お母さんを信じなさい!

  笑 い

何ものかにだまされたことを知った時

私はある動物を発見した

明日に不安を感じた時

黒い人間を見つけたように

信じるも信じないも

そいつを通り抜けなければ生きてはいかれない

現われた言葉の檻

「森の人」が幻視する森のように

檻はいつでもそこにあり

笑いながら見えかくれする

隠れる場所は棲む場所

そいつを通り抜けてしまうと生きてはいかれない

  便 り

黒い点々つらねて、

音楽の卵も眠っているよ、

冬の底。

衣がえした光と風と、

音楽を揺りおこしにくるよ、

わき水のたまり、

たまり水のわき。

卵がかえる。

水はゆるやかな五線譜をつくるよ。

水辺もうたいはじめる。

そんなふうに、

戻ってくると、

便りをください、春よ。

  読 経

沈黙は誰のためにあったろう。

叫びは誰のために。

それはかなしみであり、

よろこびであるもの。

『沈黙の春』が現実になる時、

私は蝉のいなくなった夏を思う。

その時「思う」は罪である時。

昨日まで叫びつづけていたものが、

今日は黙ってじっとしている。

「うるさくってごめんなさいでした」と、

手足をちぢめて、かたまって。

聞こえている時は聞こえず、

いなくなったら聞こえてきた。

ジワジワと読経のように。

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2009/01/25

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小林 尹夫

コバヤシ タダオ
こばやし ただお 詩人 1949(昭和24)年 大分県佐賀関生まれ。主な詩集は『ヘルンの耳』、『時間の橋から渚へ、水の童たち』など。

掲載作は『方舟の光景』(2002年、書肆青樹社刊)より抄録。『方舟の光景』にて熊日文学賞を受賞。

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