最初へ

一九二八年三月十五日

     一

 

 お恵には、それはそう仲々慣れきることの出来ない事だった。何度も——何度やってきても、お恵は初めてのように驚かされたし、ビクビクしたし、周章(あわ)てた。そして、又その(たび)に夫の竜吉に云われもした。然し女には、それはどうしても強過ぎる打撃だった。

 ――組合の人達が集って、議題を論議し合っているとき、お恵がお茶を持って階段を上って行くと、夫の声で、

(かかあ)の意識の訓練となると手こずるッて……。」そう云っているのを一度ならず聞いた。

「革命は台所から――これは動かせない公式だからなあ。小川さん、甘い、甘い。」

「実際、俺の嬶シャッポだ。」

ワイフとの理論闘争になると、負けるんだなあ。」と、そして、皆にひやかされた。

 夫は声を出して、自分で自分の身体を抱えこむように、恐縮した。

 朝、竜吉が歯を磨いていた。側で、お恵が台所の流しに置いてある洗面器にお湯を入れてやっていた。

「ローザって知ってるか。」夫が楊枝(ようじ)で、口をモグモグさせながら、フト思い出して訊いた。

「ローザア?」

「ローザさ。」

「レーニンなら知ってるけど……。」

 竜吉はひくく「お前は馬鹿だ。」と云った。

 お恵はそういうことをちっとも知ろうと思い、又はそうするために努めた事さえ無かった。それ等は覚えられもしないし、覚えたって、どうにもならない気がしていた。「レーニン」とか「マルクス」とか、それは子供の幸子(ゆきこ)から知らされた位だった。一旦それを覚えると、自家(うち)にくる組合の工藤さんとか、阪西さんとか、鈴本さんとか、夫などが口ぐせのように「レーニン」とか「マルクス」とか云っているのに気付いた。何かの拍子に、だから、お恵が、「マルクスは労働者の神様みたいな人なんだッてね。」と、夫に云ったとき、夫が、へえ! という顔付でお恵を見て、「何処から聞いてきた。」と()められても、そう嬉しい気は別にしなかった。

 然しお恵は、夫や組合の人達や、又その人達のする事に悪意は持っていなかった。初め、然し、お恵は薄汚い、それに何処かに凄味をもった組合の人達を見ると、おじけついた。その印象がそうすぐ近付けないものを、しばらくお恵の気持の中に残した。けれども変にニヤニヤしたり、馬鹿丁寧であったりする学校の先生{夫の同僚}などよりは、一緒に話し合っていて気持よかった。物事にそう(こだわ)りがなく、ネチネチしていなかった。かえって、子供らしくて、お恵などをキャッキャッと笑わせたり、初めモジモジしながら、御飯を御馳走になってゆくと、次ぎからは自分達の方から「御飯」を催促したりした。風呂賃をねだったり、煙草銭をもらったりする。然し、それが如何にも単純な、飾らない気持からされた。だんだんお恵は皆に好意を持ちだしていた。

 港一帯にゼネラル・ストライキがあった時、お恵は外で色々「恐ろしい噂」を聞いた。あの工藤さんや、鈴本さんなどの指導しているストライキが、その「恐ろしい」ストライキである事が、どうしても初め分らない、と思った。

誰にとって、一体あのストライキが恐ろしいッて云うんだ。金持にかい、貧乏人にかい。」

 夫にそう云われた。が、腹からその理窟が分りかねた。

「理窟でないよ。」

 新聞には、毎日のように大きな活字で、ストライキの事が出た。(オー)全市を真暗にして、金持の家を焼打ちするだろうとか、警官と衝突して検束されたとか、(そういう中に渡や工藤がいたりした。)このストライキは全市の(のろい)であるとか……。お恵は夫の竜吉までが、殆んど組合の事務所に泊りっきりでストライキの中に入っている事を思い、思わず眉をひそめた。竜吉が、寝不足のはれぼったい青い、険をもった顔をして帰ってきたとき、「いいんですか?」ときいた。

「途中スパイに尾行(つけ)られたのを、今うまくまいて来たんだ。」

 そして、すぐ蒲団(ふとん)にくるまった。「五時になったら起してくれ。」

 お恵はその枕もとに、しばらく坐っていた。お恵はこんな場合、何時でも夫のしていることを言葉に出してまで云った事がなかった。然し、やっぱり、そんなに苦しんで、何もかも犠牲にしてやって、それが一体どの位の役に立つんだろう。皆が昂奮(こうふん)すると叫ぶような、そんな社会——プロレタリアの社会が、そうそう来そうにも思えない、お恵はひょいひょい考えた。幸子もいる、本当のところ、あんまり飛んでもない事をしてもらいたくなかった。夫のしている事が、ワザワザ食えなくなるようにする事であるとしか思えなく、女らしい不服が起きてくる事もあった。

 然しお恵は組合の人達の色々な話や労働者の悲惨な生活を知り、労働者達は苦しい、苦しくてたまらないんだ、だから彼等は理窟なしに自分達の生活を搾りあげている金持に「こん畜生!」という気になるのだ。組合の人達はそれを指導し、その闘争を拡大してゆく、お恵にはそういう事も分ってきた。夫達のしている事が、それがお恵には何時見込のつくことか分らない事だとしても、非常に「大きな」「偉い」事をしているのだ、という一種の「誇り」に似た気持さえ覚えてきた。

 竜吉は三度目の検束で、学校が首になり、小間物屋でどうにか暮して行かなければならなくなった。その時——何時か来る、その漠然とした気持は持っていたとしても、お恵は何かで不意になぐられたようなめまいを感じた。然しそのことにこだわって、クドクド云わない程になっていた。

 竜吉は勤めという引っかかわりが無くなると、運動の方へもっと積極的に入り込んで行った。それからスパイがよく家へやって来るようになった。お恵は店先をウロウロしている見なれない男を見ると、寒気を感じた。それだけなら、だが、まだよかった。そういう男が標札を見ながら家へ入ってくると、「一寸警察まで来てくれ。」そう云って、竜吉を引張ってゆくことがあつた。夫が二人位の私服に守られて家を出てゆく、それは見て居れない情景だった。行ってしまってからは、変に物淋しいガランドウ

な気持が何時迄も残った。お恵は人より心臓が弱いのか、そういうことのあった時は、何時迄もドキついた鼓動がとまらなかった。お恵は胸を押えたまま、紙のように白くなった顔をして、家の中をウロウロした。

 ――それは全くお恵には、そう仲々慣れきれる事の出来ないことだった。何度も――何度やってきても、お恵は初めてのように驚かされたし、ビクビクしたし、周章(あわ)てた。そして又その度に夫に云われたりした。然し女には、それはどうしても強過ぎる打撃だった。お恵にはそうだった。

 三月十五日の未明に、寝ている処を起され、家の中をすっかり捜索されて、お互にものも云わせないで、夫が五六人の裁判所と警察の人に連れて行かれたとき、お恵はかえってぼんやりしてしまって、何時迄も寝床の上に坐ったままでいた。思わず、ワッと泣きだしたのは、それから余ッ程経ってからだった。

 

 その朝、幸子はオヤッと思って、何かの物音で眼をさました。幸子はパッチリ開いた眼で、無意識に家のなかを見廻してみた。何時だろう、朝だろうかと思った。何故って、次の(へや)からは五、六人の人達の何かザワついている音が聞えてきていた。真夜中なら、そんな筈はない。だが、まだ電灯が明るくついている。朝ではない。どうしたんだろう。畳の上をひっきりなしに、ミシミシ誰か歩いている音がする。

「次の室も調べる。」(ふすま)そばで知らない人の声がした。

「寝る処ですから、何んにもありません。」お母さんが殊更に低くしている声だった。

「調べてもらったっていいよ。」父だった。

「幸ちゃんが眼でも覚すと……。」

 幸子には所々しかはっきり聞こえなかった。彼女は人が入って来たら、眠っている振りをしていなければならないのだ、と思った。

 棚からものを下したり、新聞紙がガサガサいったり、畳を起すような音がしたり、タンスの引出しを一つ一つ——七つ迄開けている。それで全部だった、幸子はそれを心で数えていた。すると、台所の方では戸棚を開けている。幸子は身体のずゥと底の方からザワザワと寒気がしてきた。そうなると、身体をどう曲げても、どう向きを変えても、その寒気がとまらず、身体が(ふる)わさってきた。ひょいとすると、歯と歯が小刻みにカタカタと鳴った。びっくりして(あご)に力を入れて、それをとめた。父と母の一言も云うのが聞こえない。どうしているんだろう。何か云っているのは、よその人ばかりだった。

 自分の家には、何時でも沢山の人達がくる。然し今来ている人達はそういう人達とは、まるッきり異った恐ろしい人達である直感を感じた。

 襖が開いた。急にまばゆい光が(はば)広く、斜めに射しこんだ。幸子は周章(あわ)てて眼をとじた。心臓の鼓動が急にドキドキし出した。が、寝がえりを打つ振りをして、幸子は薄眼をあけて見た。母が胸の上に手をくみながら、自分の寝顔を見ていた。血の気のない不気味なさえ顔をしている。父は少し離れて、よその人達の探す手先を見ていた。電灯の下っているすぐ横にいるせいか、父の顔が妙にいかつく見えた。

 知らない人は五人いた。一人はひげを生やした一番そのうちで上の人らしく、大きな黒い折かばんを持って、探している人達に何か云った。云われた人達は、するとその通りにした。巡査が二人いた。あとの二人は普通の服を着ていた。——お父さんは何をしたんだろう。この人達はそして何をしようとしているんだろう。よその人は幸子の学校道具に手をかけたり、本を一冊一冊倒さに振ったりした。色々な遊び道具を畳の上へ無遠慮に開けた。幸子は妙に感情がたかぶってきた。そして、それが眼の底へヂクリ、ヂクリと涙をにじませてきた。

「それは子供のばかりです……。」

 母が立ったまま、低い声で云った。よその人達は生返事を口の中で分らなくして、然しやめなかった。

 一通りの取調べが終ると、皆は一度室の中をグルグル見廻して、出て行った。襖が閉った。――室が暗くなった。幸子は危くワッと泣きだす処だった。

 父と折かばんが始め低く何か云っていた。だんだん声が高くなってきて、何を話しているか幸子にも聞えてきた。

「とにかく来て下さい。」折かばんが云っている。

「とにかくじゃ分らないよ。」

「ここで云う必要がないんだ。来て貰えばいいんだ。」だんだん言葉がぞんざいになって行った。

「理由は?」

「分らん。」

「じゃ、行く必要は認めない。」

「認めようが、認めまいが、こっちは……。」

「そんな不法な、無茶な話があるか。」

「何が無茶だ。来れば分るッて云ってるじやないか。」

「何時もの手だ。」

「手でも何んでもいい。――とにかく来て貰うんだ。」

 父が急に口をつむんでしまった。と、力一杯に襖が開いて、父が入って来た。後から母がついてきた。五人は次の間に立って、こっちを向いている。

「ズボン。」

 父は怒った声で母に云った。母は黙ってズボンを出してやった。父はズボンに片足を入れた。然し、もう片足を入れるのに、何度も中心を失ってよろけ、しくじった。父の頬が興奮からピクピク動いていた。父はシャツを着たり、ネックタイを結んだりするのにつッかかったり、まごついたりして――殊に、ネックタイが仲々結べなかった。それを見て、母が側から手を出した。

「いいいい!」父は邪険にそれを払った。父は妙に周章てていた。

 母はオロオロした様子で父に何か話しかけた。

「お互に話してもらっては困る。」次の間から、折かばんがピタリ釘を打った。

 又幸子の寝ている室が暗くなった。ドヤドヤと沢山の足音が乱れて、土間に降りたっている。――表の戸が開いた。一寸そこで足音が(よど)むと、何か話声が聞えた。幸子はたまらなくなって、寝巻のまま起き立った。ブル、ブルンと一瞬間で頭から足の爪先まで寒気がきた。襖を細目に開けて覗いた。――父は(あが)(はな)に腰を下して、かがんで靴の(ひも)を結んでいた。よその人は土間につッ立っている。母はやっぱり胸に手をあてたまま、柱に自分の体を支えて、青白い顔をしている。変な沈黙だった。

 不図(ふと)――不図幸子は分った気がした。それもすっかり分った気がした。「レーニンだ!」と思った。これ等のことが皆レーニンから来ていることだ、それに気付いた。色々な本の沢山ある父の勉強室に、何枚も()りつけられている写真のレーニンの顔が、アリアリと幸子に見えた。それは、あの頭の禿()げた学校の吉田と云う小使さんと、そっくりの顔だった。そして、それに――組合の人達がくる度に、父と一緒に色々な歌をうたった。幸子は然し、子供の歌に対する敏感さから、その当の誰よりも早く「赤旗の歌」や「メーデイの歌」を覚えてしまった。幸子は学校でも家でも、「からたちの唄」や「カナリヤの歌」なぞと一緒に、その歌を意味も分らずに、何処ででも歌った。それで、何度も幸子は組合の人から頭を撫でてもらった。――父は決して悪い人でないし、悪いこともする筈がない。幸子には、だから、それは矢張り「レーニン」と「赤旗の歌」のせいだとしか思えない気がした。――そうだ、確かにそれしかない。

 父が立ち上った。幸子は火事の夜のように、歯をカタカタいわせていた。皆外へ出た。母の青い顔がその時動いた。唇も何か云うように動いたようだった。が、言葉が出なかった。出たかも知れないが、幸子には聞えなかった。母の、身体を支えている柱の手先に、力が入っているのが分った。――父は一寸帽子をかぶり直し、母の顔を見た。それから、チョッキのボタンの一つかかっていたのを外し、それを又かけ直した。落付きなく又母の顔を見た。――父の身体が半分戸の外へ出た。

(ゆき)(きイ)付けろ……。」

 かすれた乾いた声で云うと、父は無理に出したような咳をした。

 母は後から続いて外へ出た。

 幸子は寝床に走り入ると、うつ伏せになって、そのまま枕に顔をあてて泣きだした。幸子は泣きながら、急に父を連れて行ったよその人が憎くなった。「憎いのはあいつ等だ、あいつ等だ。」と思った。そう思うと、なお泣かさった。幸子は恐ろしさに(ふる)えながら、何度も「お父さん」「お父さん」と父を呼びながら、心一杯に泣いた。

 

     二

 

 空気が空間を充しているそのままの形で、青白く凍えてしまっているようだった。何んの音もしないし、人影もなかった。――夜が更けていた。ジリジリと寒気が骨まで()みこんでくる。午前三時だった。

 カリカリに雪が凍っている道に、五、六人の足音が急にした。それは薄暗い小路からだった。静まりかえっている街に、その足音が案外高く響きかえった。電柱に裸の電灯がともっている少し広い道に、足音が出てきた。

 ――顎紐(あごひも)をかけた警官だった。サアベルの音がしないように、片手でそれを握っていた。

 ドカドカッと、靴のまま(!)警官が合同労働組合の二階に、一斉にかけ上った!

 組合員は一時間程前に寝たばかりだった。十五日は反動的なサアベル内閣の打閣演説会を開くことに決めていた。その晩は、全員を動員して宣伝ビラを市内中に()らせたり、館の交渉をしたり、それに常任委員会があったり――ようやく二時になって、一先ず片付いたのだった。そこをやられた。

 七、八人の組合員は、いきなり掛蒲団(かけぶとん)()ぎとられると、靴で蹴られて跳ね起きた。皆が丸太棒のようにムックリと起き上ると、見当を失って身体をよろつかせ、うろうろした。

 鈴本は、しまった! と思った。彼は実は、或はと思っていた。言論の自由は完全に奪われている、そこへもってきて、無理にねじ込んで、御本尊——田中内閣の打閣運動をやろうとする、警察がその当日になって、中止中止で弁士を将棋倒しにするのは分り切っているし、覚悟はしていたが、その前に或は{野郎達のことだ!}総検束でもしないか、よくやりたがる手だ、そう思っていた、それが来たんだ、そう瞬間、鈴本は思った。

「組合のドンキ」で通っている阪西が、猿又一つで、

「何んかあるのか。」と、顔なじみのスパイに()いた。

「分らんよ。」

「分らん? 馬鹿にするなよ。――睡いんだぜ。」

 続いて上ってきた私服が片ッ端から、書類を調べ始めた。

「貴様等、こんな処にゴロゴロしてるから(ろく)なことをしねえ事になるんだ。」

 巡査が、横着な恰好に構えている「関羽(かんう)」そっくりの鈴本をじろり、じろり見ながら、毒ッぽい調子で皆に聞えるように、はき出した。鈴本はそんなものにからかってはいられなかった。

「働いてみろ、つまらん考えなんか無くなるから。」

 ――独りでしゃべろ、誰が相手になっていられる!

「一つ世話して貰いたいもんです。」

 阪西は何時もの人の好い笑い声をして、を入れた。――組合の連中は阪西を足りない事にしていた。何処へもって行っても、つぶしがきかないし、仕事がルーズだった。然しその人のよさが憎めない魅力をもっていた。

 その時、渡が周章(あわ)てて階段をかけ降りようとした。が、巡査がすぐその前に立ってしまった。

「何処へ行くんだ。」

 鈴本はその渡の態度を見て、おや、と思った。渡はその態度ばかりでなしに、顔の色がちっとも無かった。普段若手として、実際には何時でも一番先頭に立って働いている、がっしりした、「鉄板」みたいな渡が、――渡らしくない!鈴本は変な予感を渡に対して感じた。

 皆は前と後と両側を巡査に守られながら、階段をゾロゾロ降りた。然し渡を除くと皆元気だった。こういう事には慣れていた。一つ、二つ平手が飛んだ。

 普段何かすると、すぐ「我々は戦闘的でなければならない。」と、誰れ彼れの差別なく振りまわして歩く斎藤は、然し矢張り一番元気だった。彼が鈴本のところへ寄ってくると、

「明日の演説会(あれ)に差支えるから、頑張ろう。」

「うん、やる必要がある。」

 斎藤が、そして何か云おうとした。

「オイオイッ!」いきなり斎藤の後首に警官が手をかけると、こづき廻すようにして、鈴本から離して別な方へ引張って行った。

 

  民衆の旗、赤旗は……

 

 前の方で、誰か突然歌い出した。――ピシリ、という平手の音がした。

「何んだ、この野郎!」身体でもって、つッかかって行く声だった。サアベルでなぐりつける音が、平手打ちの音に交って聞えた。

 皆は前と後と、すっかり腕をつなぎ合わせていた。ワザと強く足ぶみをして歩いた。

「うるせえッよ!」斎藤が、小さい身体一杯に叫んで、立ち止ってしまった。「おい、皆、わけも分らないで引ッ張られてゆくのは反対だ。なアッ! 一つ訊くんだ。」

「んだ、んだ!」皆それに賛成した。

 鈴本は渡だけに眼をつけていた。何時でもこういう時には、弾んだバネのように一緒にはじけ上る渡が、棒杭の様につッ立っている。――警官は小さい斎藤のまわりをぐるりと取捲(とりま)いてしまった。外の組合員は、警官の肩と肩の間に自分の肩を楔形(くさびがた)に割り込ませようとした。その身体と身体のモミ合いが、そこに小さい渦巻を起した。

「馬鹿野郎、理由を()れ!」

「行けば分る。」――ここでも、これだ。

「行けば分るで、一々(くせ)え処さ引張られて()ってたまるか。」

「人権蹂躙(じゅうりん)だ!」後からも叫んだ。

 警官の一人が斎藤をなぐりつけたらしかった。人の輪が急に大きく揺れた。握りこぶしを固めた組合員が輪の外から、それを乗り越そうと、あせった。それで急に騒ぎが大きくなった。

「貴様等は!……貴様等はな!」口を何かで抑えられて無理に出している斎藤の声が、切れ、切れに聞えた。――「貴様等が、いくらこったら事したって、この運動が……な、無くなるとでも……畜生、無くなるとでも思ってるのか!糞ッ!」

 皆は興奮して、ワッと声をあげた。

 何かに気をとられた形でいた渡が、この時肩幅の広い、がっしりした身体で、その渦の中に割り込んで行った。それを見ると、鈴本は、何んでもなかったのか、そう思ってホッとした。

「正当な理由が()えうち、俺達この全部の力にかけて、行くこと反対だ!」かすれた、底のある低い声で云った。渡の低い声は皆に対して何時も不思議に大きな力を持っていた。

 渦巻から離れて立っていた石田は、空元気(からげんき)を出して騒いでいる組合員を、何時ものように苦々しく思い、だまって見ていた。石田は騒ぐ時と、そうでない時——そうあってはならない時がある、と思っている。この事をよくわきまえて、そうする事は、何も非戦闘的なことであるとは思えなかった。斎藤などは、石田には狂犬病患者であるとしか考えられなかった。石田はこの運動をしているものに、特に「斎藤型」の多いのを知っている。それ等を見ると、石田は何時でも顔をそむけた。それ等には「小児病」と、人間らしい侮蔑語を使うのさえ勿体なかった。「こんな時に、それが何んになる。フン、勇敢な無産階級の闘士だ。」――石田は自分の周囲に唾をはくと、靴の爪先でそれを床にこすりつけた。

 渡が出て、皆の結束ががっしりした。―と、その時、入口からもう七、八人の巡査がどやどやッと突入してきた。それで、結束はその力で一もみにもみ(つぶ)されてしまった。皆は大きな渦巻になって、表へ、入口の戸をメリメリさせ、もみ出た。

 戸の外からは、剃刀(かみそり)の刃のような寒気がすべり込んできた。夜明けに近く、冷えるにいいだけ冷えきった、零下二十度の空気だった。それに皆は寝起きのすぐの身体なので、その寒さが殊にブルンブルンとこたえた。皆は(あご)と肩に力を入れて、ふるえをこらえた。

 夜はまだ薄明りもしていなかった。雪を含んだ暗い空の下で、街は地の底からジーンと静まりかえっていた。歩くと、雪道は何かものでも(こわ)れる時のようにカリッカリッと鳴った。(あか)でベタベタになっているシャツをコールテン地の服の下に着ていた石田や斎藤は、直接(じか)(はだ)へ寒さを感じた。皮膚全体が痛んできた。そして、しばらくすると、手先や爪先が感覚なく、しびれてくるのを覚えた。

 皆は一人一人警官に腕を組まれて外へ出た。

 一週間程前に組合に入ったばかりの、まだ二十にならない柴田は始めっから一言も、ものを云えず、変にひきつッた顔をしていた。彼は皆がどなる時、それでも、それについて自分でもそうしようと努めた。が、半分乾きかけた粘土のようになっている頬は、ピクピクと動いたきり、いうことをきかなかった。彼は、何時でもこういう事には、これから()ち当る、だから早く慣れきってしまって置かなければならない、そう思っていた。今、然し始めての柴田には、やっぱりそれはドシンと体当りに当ってきた。彼はひとたまりもなく、投げだされた形だった。彼は寒さからではなしに、身体がふるえ、ふるえ——歯のカタカタするのを、どうしても止められなかった。

 皆は灰色の一かたまりにかたまって、街の通りを、通りから通りへ歩いて行った。寒さを防ぐために、お互に身体をすり合わせ、もみ合わせ、足にワザと力を入れて踏んだ。ひっそりしている通りに、二十人の歩く靴音がザック、ザック……と、響いて行った。

 組合の者達は妙にグッと押し黙っていた。そうしているうちに、皆には然し、不思議に一つの同じ気持が動いて行った。インクに浸された紙のように、みるみるそれが皆の気持の隅から隅まで浸してゆくように思われた。一つの集団が、同じ方向へ、同じように動いて行くとき、そのあらゆる差別を押しつぶし、押しのけて必ず出てくる、たった一つの気持だった。「関羽」の鈴本も、渡も、「ドンキ」の阪西も、斎藤も、石田も、又新米の柴田も、その他のそれぞれの差別を持ち、それ故に又その各自の存在をもっている四、五人の組合員も、たった一つの集団の意識の中に——同じ方向を持った、同じ色彩の、調子の、強度の意識の中に、グッ、グッと入り込んでしまっていた。「それ」は何時でも、こういう時に起る不思議な――だが、然しそれこそ無くてはかなわない、「それ」があればこそ、プロレタリアの「鉄」の団結が可能である――気持だった。が、この気持はただ単純に、それぞれの差別を否定するというものではなしに、その差別自身が一定の高度にまで強調された時、必然にアウフヘーべンされる(だから、それに依ってかえって強固になる)――従って、没個人的な、大きな掌でグッと一掴(ひとつか)みにされた気持だった。

 今、この九人の組合員は、九人という一つ、一つの数ではなしに、それ自身何かたった一つのタンクに変っていた。彼等は互に腕と腕をガッシリ組合わせ、肩と肩をくっつけ、暗い然し鋭い眼で前方を見据え、――それは(あた)かも、彼等のたった一つの目標に向って――「革命」に向って、前進しているかの如く、見えた。

 

     三

 

 お恵は夫があんな風にして連れて行かれてから、何処かガランとした家の中にいる事が、たまらなかった。自家(うち)へ時々やって来る組合の書記の工藤の家へ行ってみようと思った。それに、組合の人達の様子や、今度のことの内容や、その範囲なども知りたかった。然し工藤もやっぱり検束されていた。

 ――工藤の家へ、警官が踏みこんだ時は、家の中は真暗だった。警官は、「オイ、起きろッ!」と云いながら、電灯のつる下っているあたりを、手さぐりした。三人いる子供が眼をさまして、大きな声で一度に泣き出した。電灯の位置をさがしている警官は「保名(やすな)」でも躍る時のような手付きをして、(くう)を探していた。と、闇の中でパチン、パチンとスウイッチをひねる音がした。「どうしたんだ、ええ?」

「電灯はつかんよ。」

 それまで何も云わないでいた工藤は、警官の周章(あわ)てているのとは反対に、憎いほど落付いた声で云った。

 工藤の家は電灯料が滞って、二カ月も前から電灯のスウイッチが切られてしまっていた。然し、と云って、ローソクを買う金も、ランプにする金もなかった。夜になると、子供を隣の家に遊ばせにやったり、妻のお由は組合に出掛けたりして、六十日も暗闇の中で過していた。「明るい電灯、明るい家庭。」暗い電灯さえ無い彼等には、そんなものは糞喰(くそくら)えだった。

「逃げないから大丈夫。」そう云って、工藤が笑った。

 お由は泣いている子供に、「誰でもないよ。何時も来る人さ。何んでもない、さ、泣くんでない。」と云っていた。子供は一人ずつ泣きやんで行った。工藤の子供達は巡査などに馴れてさえいた。組合の人達は、冗談半分だけれども、お由が自分の子供等に正しい「階級教育」をほどこしているというので、評判をたてていた。が、お由は勿論自分では何か理窟があって、そうしているのではなかった。――お由は秋田のドン百姓の末娘に生れた。彼女は小学校を二年でやめると、十四の春迄地主の家へ子守にやられた。そこでお由は意地の悪い、気むずかしい背中の子供と、所嫌わずなぐりつける男の主人と、その主人よりもっと残忍な女主人にいじめられ、こづき廻された。五年の間、一日の休みもなくコキ使われた。そして、ようやく其処から自家へ帰ってくると、畑へ出された。一日中(えび)のように腰を二つに折り、そのために血が頭に下って来て、頬とまぶたが充血して()(あが)った。十七の時、隣村の工藤に嫁入した。が、その次の次の日から(!)――丁度秋の穫入(とりい)れが終った頃なので――工藤と二人で近所の土工部屋のトロッコ押しに出掛けて行かなければならなかった。雑巾切(ぞうきんぎ)れのように疲れきって掃ってくると、家の仕事は、そして山のように(たま)っていた。お由は打ちのめされた人のように、クラックラッする身体でトロッコと台所の間を往き来した。ジリジリ焼けつく日中に、トロッコを押しながら、始めての夫婦生活の疲労と月経から気を失って、仰向けにひッ倒れた事があった。

 子供が生れてから、生活は尻上りに、やけに苦しくなってきた。そんな時になって、どうすればいいか分らくなった工藤は、自分とお由とで行李(こうり)を一つずつ背負って、暗くなってから村を出てしまった。暗い、吹雪(ふぶ)いた、山の鳴る夜だった。そして北海道へ渡ってきた。

 小樽(おたる)で二人は或る鉄工場に入った。が、北海道と内地とは、人が云うほどの大した(ちが)いはなかった。ここも矢張りお由達には住みいい処ではなかった。では、何処へ行けばよかったろう。だが、何処へ行くところがある! プロレタリアは何処へ行ったって、締木(しめぎ)鰊粕(にしんかす)か大豆粕のように搾り取られるのだ。——お由の手は、自分の身体には不釣合に大きく(かに)のはさみのように、両肩にブラ下っていた。皮膚は樹の根のようにザラザラして、汚れが真黒に染み込んでいた。それは、もう、一生とれッこが無い程しみていた。子供が背中をかゆがると、お由は爪でなくて、そのザラザラした掌で何時も掻いてやった。子供はそれでそうされるのを、非常に気持よがった。

 お由はその長い間の自分の生涯で、身をもって「憎くて、憎くてたまらない人間」を、ハッキリと知っていた。殊に夫が組合に入り、運動をするようになってから、それ等のことが、もっとはっきりした形でお由の頭に入ってきた。

 工藤はそれから仕事には無論つけなくなった。組合の仕事で一週間も家へ帰れない事が何度もある。お由は自分で――自分一人で働いて、子供のことまでしてゆかなければならなかった。が、今迄とは異った気持で、お由は仕事が出来た。お由は浜へ出て石炭担ぎや、倉庫で澱粉(でんぷん)や雑穀の袋縫いをしたり、輸出青豌豆(あおえんどう)手撰(てより)工場へ行ったり、どんな仕事もした。末の子が腹にいた時、十ヶ月の大きな腹をして、炭俵を皆に交って、(はしけ)から倉庫へ担いだ。見廻りに来た巡査も、それには驚いて、親方が叱られた事さえあった。

 家の障子は骨ばかりになった。寒い風が吹き込むようになっても、然し障子紙など買う金がなかったので、組合から「無産者新聞」や「労働農民新聞」の古いのを貰ってきて、それを貼った。煽動的なストライキの記事とか、大きな「火」のような見出しが斜めになったり、(さか)さになったり、半分隠れたりして貼られた。お由は暇な時、ボツリ、ボツリそれを読んでいた。子供の「これ何アに、あれ何アに」を利用して、それを読んできかせた。家の壁には選挙の時に使い余ったポスター、ビラ、雑誌の広告などをべたべた貼りつけた。渡や鈴本が工藤の家にやってくると、「ほオ!」と何度もグルグル見廻って歩いて、「我等の家」だなんて云って、喜んだ。

 …………工藤は起き上ると、身仕度をした。身仕度をしながら、工藤は今度は長くなると思った。そうなれば、一銭も残っていない一家がその間、どうして暮して行くか、それが重く、じめじめと心にのしかかってきた。これは、こんな場合、何時でも同じように感ずる心持だった。然し何度感じようが、鬼のようなプロレタリア解放運動の闘士だとしても、この事だけは何処迄行こうが慣れッこになれるものでは断じてない、陰鬱(いんうつ)な気持だった。組合で皆と一緒に興奮している時はいい、然しそうでない時、子供や妻の生活を思い、やり切れなく胸をしめつけられた。プロレタリアの運動は笑談(じようだん)にも呑気(のんき)なものではなかった。全く!

 お由は手伝って、用意をしてやると、

「じや、行っといで」と云った。

「ウム。」

「今度は何んだの。当てがある?」

 彼は黙っていた。が、

「どうだ、やって行けるか。長くなるかも知れないど。」

「後?――大丈夫」

 お由は何時もの明るい、元気のいい調子で云った。

 漠然ではあるが、何んのことか分っている一番上の子供が、

「お(どう)()ってお()で。」と云った。

「こんな家へ来ると、とてもたまったもんでない。」警官が驚いた。「まるで当りまえのことみたいに、一家そろって行ってお出で、だと!」

「こんな事で一々泣いたりほえたりしていた日にゃ、俺達の運動なんか出来るもんでないよ。」

 工藤は暗い、ジメジメさを取り除くために、毒ッぽく云い返した。

「この野郎、要らねえ事をしゃべると、たたきのめすぞ。」

 警官が変に息をはずませて、どなった。

「気をつけて。」

「ウム。」

 彼は妻に何か云い残して行きたいと思った。然し口の重い彼は、どう云っていいか一寸分らなかった。妻が又苦労するのか、と思うと、(勿論それは自分の妻だけではないが)、膝のあたりから、妙に力の抜ける感じがした。

「本当、どうにかやって行けるから。」

 お由は夫の顔を見て、もう一度そう云った。夫はだまって、うなずいた。

 戸がしまった。お由は皆の外を歩く足音を、しばらく立って聞いていた。

 自分達の社会が来る迄、こんな事が何百遍あったとしても、足りない事をお由は知っていた。そういう社会を来させるために、自分達は次に来る者達の「踏台」になって、さらし首にならなければならないかも知れない。蟻の大軍が移住をする時、前方に渡らなければならない河があると、先頭の方の蟻がドシドシ川に入って、重なり合って溺死(できし)し、後から来る者をその自分達の屍を橋に渡してやる、ということを聞いた事があった。その先頭の蟻こそ自分達でなければならない、組合の若い人達がよくその話をした。そしてそれこそ必要なことだった。

「まだ、まだねえ!」

 そうお由はお恵に云った。

 お恵は半ば暗い顔をしながら、然し興奮してお由にうなずいてみせた。

 

     四

 

 今度の検挙が案外広い範囲に渡っていることをお恵はお由から知らされた。××鉄工場の職工が仕事場から、ナッパ服のまま連れて行かれたり、浜の自由労働者や倉庫の労働者が毎日五人、十人と取調べに引かれたり、学生も確か二、三人入っていた。 

 竜吉の家で毎火曜の晩開かれる研究会に来ていた会社員の佐多も、それから二日遅れて警察へ引張られて行った。

 佐多は竜吉達に時々自分の家のことをこぼしていた。――家には、佐多だけを頼りにしている母親が一人しかいなかった。その母は自分の息子が運動の方へ入ってゆくのを「身震い」して悲しんでいた。母親は彼を高商まであげるのに八年間も、身体を使って、使って、使い切らしてしまった。彼はまるで母親の身体を少しずつ食って生きてきたのだった。然し母親は、佐多が学校を出て、銀行員か会社員になったら、自分は息子の月給を自慢をしたり、長い一日をのん気にお茶を飲みながら、近所の人と話し込んだり、一年に一回位は内地の郷里に遊びに行ったり、ボーナスが入ったら、温泉にもたまに行けるようになるだろう、……今迄のように、毎月の払いにオドオドしたり、言訳をしたり、質屋へ通ったり、差押えをされたりしなくてもすむ。それはまるで、お湯から上ってきて、襦袢(じゆばん)一枚で縁側に横になるような、この上ない幸福なことに思われた。母親は長い、長い(――実際それは長過ぎた気がした。)苦しさの中で、ただ、それ等のことばかりを考え、予想し、それだけの理由で苦しさに堪えてきた。

 毎日会社に通う。――月末にちゃんちゃんと月給が入ってくる。――何んとそれは美しい、静かな生活ではないか! 佐多が学校を出て、就職がきまり、最初の月給を「袋のまま」受取ったとき、母親はそれを膝の上にのせたまま、じいッとしていた。が、しばらくすると母親の身体が、見えない程小刻みに、(ふる)えてきた。母親は何度も、何度も袋を自分の額に押しあてた。佐多は矢張り変な興奮と、逆に「有りふれて、古い、古い。」と思いながら、二階に上った。一寸すると、下で仏壇の(りん)のなる音がした。

 晩飯まで本を読んで、下りてくると、食卓には何時もより御馳走があった。仏壇にはローソクが明るくついて、袋がのっている。「お父さんに上げておいたよ。」と母が云った。

 それまではよかった。

 母親は、今までなかった色々の写真が、佐多の二階の(へや)にだんだん()られてきたのに気を使いだした。

「これは何んという人?」

 母親は佐多の机のすぐ前の壁にかかっているアイヌのような、ひげにうずまった――ひげの中から顔が出ている、のを指差した。佐多は曖昧(あいまい)にふくみ笑った。

「お前、別に何んでもないかい。」

 何所(どこ)から聞いてくるか、然しハッキリではなく、こんな云い方をすることもあった。表紙の真赤な本が殖えて来たのにも気づいていた。労農党××支部、そう言う裏印を押した手紙がくると、母親は独りで周章(あわ)てて、自分の懐にしまい込んだ。佐多が帰ってくると、何か秘密な恐ろしいものででもあるように、それを出して渡した。「お前、そのう、主義者(しぎしや)だか、なんだかになったんでないだろうねえ。」

 佐多は、母親がだんだん浮かないような顔をする日が多くなり、夜など朝まで寝がえりをうって、眠れずにいるのを知った。会社から帰ってくると、仏壇の前に坐って、泣いているのも、何度も見た。それが皆自分のことからである、とハッキリ思った。特別な事情で育てられてきた佐多には、そういう母親を見ることは心臓に鶴嘴(つるはし)を打ち込まれる気がした。竜吉やお恵は随分佐多から、この事では相談されたことがあった。

 佐多が二階にいると、時々母が上ってきた。その回数がだんだん多くなってきた。母親はその度に同じことをボソボソ云った。――お前一人がどうしようが、どうにもなるものじやない、()しもの事があり、食えなくなったらどうする、お前は世間の人達の恐れているようなそんな事をする人間ではなかった筈だ、キット何んかに()かれているんだ、お母さんは毎日お前のために神様や、死んだお父さんにお祈りしている……。佐多はイライラしてくると、

「お母さんには分らないんだ。」と、半分泣かさっている声で、どなった。

「それより、お母さんにはお前の心が分らないよ。」母は肩をすぼめて、弱々しく云った。

 佐多は面倒になると、母を残して二階をドンドン降りてしまった。降りても然し、佐多の気持はなごまなかった。俺をこんなに意気地なくするのは母だ、「母親なんて案外大きな俺たちの敵なのだ。」彼は興奮した心で考えた。

 その後で、もう一度そういう事があった。佐多はムッとして立ち上ると、

「分った、分った、分ったよ! もういい、沢山だ!」いきなり叫んだ。「もうやめたよ。お母さんのいうように、やめるよ。いいんだろう。やめたらいいんだろう。やめるよ、やめるよ! うるさい!」

 彼は母をつッ飛ばすようにして表へ出てしまった。外へ出てしまうと、然し逆な気持が帰ってきた。

「お母さんには分らないんだ。」

 佐多は十六日に、仲間から竜吉の方や組合に大検挙のあった事をきいた。然しその仲間も、それが何んのことでやられたのか見当がついていなかった。佐多は家へ帰ると、色々な書類を(まと)めて近所の家へ頂け、整理してしまった。その日は何んでもなかった。彼はホッとする一方、組合へ出掛けて行って、様子をみてみようと思った。そこへ前の仲間が来て、組合や党の事務所には私服が沢山入りこんでいて危いことを知らせてくれた。そして組合にウッカリ来る者は、それが関係のあるものであろうと、無かろうと、引張ってゆく。組合の小さい小林が十五日の午後、何気なく組合に行くと、私服がドカドカと出てきて、いきなり小林をつかまえた。小林はハッとして、咄嗟(とつさ)に、俺は印刷屋の掛取りだ、掛を取りに来たんだ、と云ったら、今誰も居ないから駄目、駄目、と云ってつッ返されてきた。彼は勿論その足で、組合員の家を廻って、注意するように云った。仲間はそんな事を話した。彼は行かないでよかった、と思った。

 然し検束のために、警官がやって来たのは、十七日の夜、佐多が夕刊を読んでいた処だった。佐多はイザとなったとき、自分でも案外な覚悟と落着きが出来ていた。

 彼は活動写真や古い芝居で、よく「腰をぬかす」滑稽(こつけい)な身振りを見て笑った。然し! 彼が外套(がいとう)を取りに行った二階から下りてきた時だった。彼は室の片隅の方にぺったりへたばったまま、手と足だけをバタバタやっている母親を見たのだった! 唇がワナワナ動いて、何か一生懸命ものを云おうとしているらしく、然し何も云えず、サッと凄い程血の気の無くなった顔がこわばって、眼だけがグルグル動いている。手と足は何かにつかまろうとしているように振っている。然し母親の身体はちっとも動かないではないか。佐多は障子を半分開きかけたそのままの恰好(かつこう)で、丸太棒のように立ちすくんでしまった。

 佐多は三人の警官に守られながら外へ出た。彼は道々母のことを考え、警官に見られないように、独りで長い間泣いていた。 

 お恵は工藤の家からの帰り、市の一番(にぎや)かな花園町大通りを歩いてきた。まだ暮れたばかりの夜だった。そんなに寒気(しばれ)がきびしくなかった。街には何時ものように、沢山の人が歩いていたし、鈴をつけた馬橇(ばそり)、自動車、乗合自動車はしきりなしに往ったり来たりしていた。明るい店のショウ・ウインドウに、新婚らしい二人連れが顔を近く寄せて、何か話していた。――温かそうなコートや角巻(かくまき)の女、厚い駱駝(らくだ)のオーヴァに身体をフカフカと包んだ男、用達しの小僧、大きな空の弁当箱をさげたナッパ服、子供……それ等が皆、肩と肩を擦り合わせ、話し合い、急ぎ足であったり、ブラブラであったり、歩いている。お恵は不思議な気持がしてくるのを覚えた。今、この同じ××の市で、あんなに大きな事件が起き上っている。然し、それと此処は何んという無関係であろう。それでいいのだろうか。あの何十人——何百人かの人達が、全く自分等の身体を投げてかかっている、誰でものためでない、無産大衆のためにやっているその事が、こんなに無関係であっていいと云うのだろうか――お恵は分らなくなった。ここには、そのちょッぴりした余波さえ来ていない気がした。政府が新聞に差止めしているズルイ方法のためがあったかも知れない。ずるい方法だ! 然しどの顔も、そのどの態度もみな明るく、満足し、皆てんでの行先に急いでいるように思われた。

 夫達は誰のためにやっているのだ。お恵は変に淋しい物足りなさを感じた。夫達がだまされている! 馬鹿な、何を云う! 然し、暗い気持は馬虻(うまあぶ)のように、しつこくお恵の身体にまつわって離れなかった。

 

    五

 

 十五日の夜明、警察署から帽子の顎紐(あごひも)をかけた警官が何人も周章(あわ)てた様子で、出たり入ったりしていた。それが何度も何度も繰返された。空色に車体を塗った自動車も時々横付けにされた。自動車がバタバタと機関の音をさせると、警察のドアーが勢よく開いて、片手で剣をおさえた警官が走って出てきた。自動車は一きわ高い爆音をあげて、そこから直ぐ下り坂になっている処を、雪道の窪みにタイヤを落して、車体をゆすりながら、すべり下りて、直ぐ見えなくなった。一寸すると戻ってきて、別な人を乗せると、又出た。

 

 留置場は一杯になっていた。

 先きに入れられた者等は、扉の錠がガチャガチャし出すと、今迄勝手にしゃべり散らしていたのを、ぴたりやめて、其処だけに目を注いで――待った。入ってきたのが、渡、鈴本、斎藤、阪西達だと分ると、思わず一緒に歓声をあげた。警備に当っている巡査が鶏冠(とさか)のように赤くなって、背のびをしながら怒鳴ったが、ちっとも効きめがなかった。一緒にされた十四、五人は皆何時も顔を合わせ、第一線に立って闘争してきたものばかりだった。彼等は、それぞれ自分の相手に、興奮してこの不法行為に就いて、大声で論議をし合った。十七、八人ものその声で、(へや)の中は喧噪(けんそう)した。そして彼等は、皆が一緒になったという事から、それに(たの)んで、無茶苦茶な乱暴をしたい衝動にかられた。

 斎藤は、いきなり身体をマリのように縮めると、ものも云わずに、板壁に身体全部で()ち当って行った。唇をギュッとかんで、顔を真赤にして力みながら、闘牛のように首を少しまげて、それを繰り返した。

「チェッ!」

 駄目だと分ると、今度は馬のように後足で蹴り出した。皆も真似をして、てんでに、板壁をたたいたり、蹴ったりした。石田は(彼だけ)腕ぐみをして、時々独り言をしながら、室の中央を歩いていた。

 又扉が開いた。然し今度は鈴本と渡が呼び出されて行った。「どうしたんだ。」――皆は頭株の二人がいなくなると、変に気抜けしてきた。そして、壁をたたくものが、一人やめ、二人やめ、だんだんやめてしまった。

 石田は、壁の隅ッこに両足を投げ出したまま眼をつぶっている竜吉に、気付いた。彼は、小川さんも! と思うと、今度の事はとてつもなく大変な事である気がした。と、同時に、その親しさから、何処か頼りある気持にされた。

「小川さん。」石田は寄って行った。

 竜吉は顔をあげた。

「今度のは何んです。」

「ウン、俺にも分らないんだよ。今、渡君にでも聞こうと思ってたんだ。」

「今日やる倒閣――。」

「そうかとも思ってるんだ――が。そうなら今日一日でいいわけだ――が……。」

 皆が二人を取巻いてきた。何等理由もきかせず、犬の子か猫の子を処置するように、引張ってきて、ブチ込んだことに対して憤慨した。竜吉もそれはそうだった。

「ねえ、法律にはこう決めてあるんだよ。日出前、日没後に於ては、生命とか身体とか財産に対して、危害切迫せりと認むる時だ、又はさ、賭博(とばく)密淫売(みついんばい)の現行ありと認むる時でなかったら、そこに住んでいる人の意に反してだ――どうだ、いいか――現居住者の意に反して、邸宅に入ることを得ず、ッてあるんだ。それを何んだ、夜中の寝込みを襲って! それに理由も云わずに検束するなんて! 警察はこんな事をする処だよ。」

 労働者達は一心に聞いていた。そして、畜生、野郎、と叫んで、足ぶみをした。

 竜吉は興奮していた。「所が、どうだ、憲法にはこうあるんだ、憲法にだぜ。――日本臣民は、だ、法律によるに非ずして逮捕、監禁、審問、処罰を受くることなし。俺達は、ところがどうだ、ちァあんと正式の法律の手続をふんで、一度だって、その逮捕、監禁、審問を受けたことがあったとでも云うのか。――このゴマカシと嘘八百!」

 こう云われて、皆は今の場合——現実に、その不当な仕打のワナにかかって、身もだえをしている場合、それらの事がムシ歯の神経に直接(じか)に触わられるように、全身にこたえて行った。

「おい、そこの扉を皆でブチ割って、理由を聞きに行こうじやないか。」

「やろう!」他の者も興奮して、それに同意した。「ひでえ騒ぎ、たたき起してやるべえ!」

「駄目、駄目。」竜吉が頭を振った。

「どうしてだい!?」

 斎藤は組合などでもよくする癖で、肩でつッかかるように竜吉に向って行った。

「こう入ってしまえば、何をしたって無駄さ。逆に、かえってひでえ目に会うが落ちさ。――万事、俺達の運動は、外で大衆の支持で! 五人、十人の偉そうな乱暴と狂噪は何んにもならないんだ。俺達が夢にでも忘れてはならない原則にもどるよ。」

「そ、そんなことで、じっとしてられるか! それこそ偉そうな理窟だ、理窟だ!」

 石田は側で、相変らずだなア、と思った。巡査が四人入って来た。

 皆はギョッとして、そのままの恰好(かつこう)に、じいッとしていた。顔一面ザラザラしたひげの、背の低い、がっしりした身体つきの巡査が、留置場の中をグルグル見廻してから、

「貴様等、ここは警察だ位のことは分ってるんだろうな。何んだこのやかましさは!」

 一人一人の肩をグイグイと押しのめした。斎藤の処へ来たとき、彼はひょいと肩を引いた。はずみを食らって、巡査の手と身体が調子よく前にヨロヨロと泳いだ。と、巡査は「この野郎!」と不気味な声で云うと、いきなり、斎藤の身体に自分の身体をすり寄せた。斎藤の身体は空に半円を描いて、竜吉の横の羽目板に「ズスン」と鈍い音をたてて、投げつけられていた。

 巡査はせわしく肩で息をして、少しかすれた声で「皆、覚えておけ、少しでも騒いだりすると覚悟が要るんだぞ!」と云った。

 後から入って来た巡査は、紙を見て、一人一人名前を呼んで、その者だけを廊下に出るように云った。ブツブツ云いながら、呼ばれた者は小さい潜り戸を、(かが)みながら出て行った。あとに六人残った。

 倒れた斎藤が横になったまま、身体を尺取虫のようにして起き上ろうとしていた処を、先の巡査は靴のまま、続けて二度蹴った。

 しばらくして、又別な巡査が入ってきて、中にいる六人に一人ずつ附添って、話も出来ないようにしてしまった。

 

 竜吉は高く取り付けてある小さい窓の下に坐った。汚く濁った電灯の光が、皆の輪廓(りんかく)をぼかして、動いているのは影だけででもあるような雰囲気だった。それが五分経ち――十分経って行くうちに、初め黄色ッぽい光だった電灯が、へんに薄れて行くようで――一帯が青白くなり、そしてだんだんするうちに、室の中が深い海底(うみそこ)ででもあるような色に変ってゆくのが分った。何処か一部分だけがズキズキする頭で、竜吉は夜が明けかかっているのだな、と思っていた。夜明けらしい、底に()みこんでくる寒気が、ジリジリときた。寝足りない短い生あくびが室の隅ッこから、それから飛びとびに起きた。竜吉も顔をしかめたまま、生あくびをした。が、そうしても何かカスのようなものが頭と胸にごみごみと不快に残った。

 構内は静かになった。凍え切った静かさだった。時々廊下を靴をはいて、小走りにゆくコツコツという音がした。足音が止んで扉を開ける、それが氷でも砕ける響のように聞えた。ドタドタと足音が乱れて、誰か腕をとられながら、何か云い争うようにして前を通ってゆくのもあった。それが終わると、然し、もとの夜明けらしい何処か変態的な静けさにかえった。誰か、やっぱり短い生あくびをして、表を通り過ぎて行った。

「睡むてえ。寝せてけないのか。」

 ボソボソした調子で、片隅からそう云うのが聞えた。

「もう夜明けだ。夜が明けるよ。」

 巡査も、寝不足の、はれぼったい、ぼんやりした顔をしていた。

 竜吉は板壁に身体を寄りかからせて、眼をつぶっていた。身体も神経も妙に疲れきっていた。じっと、そうしていると、船にでも乗っているように、自分の身体が静かに(はば)大きく、揺れているように感じた。彼は検束された時、何時でもそうする癖をつけていたように、取りとめのないことの空想や、想像や、思い出やに疲れてくると、一度読んだ事のある重要な本の復習や、そこから出てくる問題を頭の中で理論的に筋道をつけて考えることに決めていた。又組合や党などで論争された自分の考えなどについて、もう一度始めから清算してみることにしていた。それを始めた。

 竜吉は、この前の研究会の時、マルクスの価値説とオーストリア学派の限界効用説に就いて起った議論を、自分が考え、又読んだことのある本の中から材料を探してきて、もう一度考え直そう、そう思っていた……。

 彼はすっかりアワを食っていた。ズボンをはきながら、のめったり、よろめいたり、自分ながらそういう自分に不快になるのを感じさえした。然し、彼は襖一重(ふすまひとえ)隣の(へや)で自分を待っている巡査の、カチャカチャするサアベルの音が幸子の耳に聞える、今にも聞える、そう思って、ハラハラしていた。彼はその音が幸子に聞えれば、幸子の「心」にひびが入ることを知っていた。

「お父さんはねえ、学校の人と一緒に旅行へ行くんだよ。」

 幸子が黒い大きな眼をパッチリ、つぶらに開いて、彼を見上げる。

おみやに何もってきて?」

 彼はグッとこたえた。が「うんうん、いいもの、どっさり。」

 と、幸子が襖の方へ、くるりと頭を向けた。彼はいきなり両手で自分の頭を押えた。ピーン、陶器の割れるその音を、彼はたしかにきいた。彼は、アッと、内にこもった叫声をあげて、かけ寄ると、急いで幸子の懐を開けてみた。乾葡萄(ほしぶどう)をつけたような二つの乳房の間に、陶器の皿のような心がついている――見ると、髪の毛のようなひびが、そこに入っているではないか!

 あっ、あっ、あっ、あっ……竜吉は続け様にむせたような叫び声をあげた……。

 眼を開けると、室の中はけぶったような青白い夜明けの光が、はっきり入ってきていた。皆は疲労しているような恰好で、大きな頭を胸にうずめたり、身体を半分横にしたり、ぼんやり(うつ)ろな眼差しを板壁の中位の処に浮かばしていたり、していた。竜吉は軽くゴツンゴツンと板壁に自分の頭を打ちつけてみた。頭の左側の一部分が、やはり、そこだけズキ、ズキしていた。彼は今うつつに見た夢が、不気味な実感の余韻を何時迄も心に残していることを感じた。

 然し、竜吉は今では自分でもそうと分る程、こういう処にたたき込まれた時のおきまりの感傷的な絶望感から逃れ得ていた。それは誰でもが(とら)われる――そして、それは或る場合、当人を事実全く気狂いのようにしてしまうかも知れない――堪え難い、ハケ口のない陰鬱な圧迫だった。このためにだけでも、何人もこの運動から身を引いて行った人のあることを竜吉は見て来ていた。竜吉だっても、勿論そこを危い綱渡りのように通ってきた。そして一回、一回不当な残虐な弾圧を受ければ、受けるその度毎に、今迄に彼のうちに多分に残されていた末梢神経がドシドシすり減らされて行った。ムシ歯に這い出ている神経のように、一寸したことにでもピリピリくる彼の{軽蔑の意味でのデリケートな}心がだんだん鋼鉄のように鍛えられて行くのを感じた。それは、然し竜吉にとっては、文字通り「連続した拷問」の生活だった。竜吉のように、「インテリゲンチャ」の過去を持ったものが、この運動に真実に、頭からではなしに、「身体をもって」入り込もうとする時、それは然し当然の過程として課せられなければならない「訓練」であった。それは又、そして、単純な道ではあり得なかった。――髪の毛をひッつかんで引きずり廻されるような、ジグザックな、しかも胸突(むなつき)八丁だった。

 竜吉は、インテリゲンチャはその階級的中間性の故に、結局中ぶらりんで、農村と工場からの健康な足音に対しては没落することしか出来ないものであり、或はその運動に合流して行ったところで、やっぱり其処には、どこか膚合(はだあい)の決して合わないところがあり、又その知識の故に、ブルジョワ文化に対しては強いなり、淡いなり、又はこっそりと、未練と色気を抱き勝ちであり、――そして、ひっくるめて云って、インテリゲンチャはそういう事を、あまりに強く、度々、意識するために「自己催眠」的に、俺は駄目だ、とし、結局何ごとも出来ないし、しない事になるのを、彼は知っていた。自分が、とどのつまり何んにもしない、という事に一生懸命理窟をつける、そんな事は馬鹿げ切ったことでしかない、と思った。そういう事を本気に、()かれたように考えることは危険であり、そのために、この時間さえ贅沢(ぜいたく)にも消費することは、どうしたって正しい事ではない、と思った。彼は、自分達は胸突八丁を一つ、一つの足場を探し、踏みしめ登って行きさえすれば、結局何かを「している」事になるのではないか、そう思うと、青白く考えこんでばかりいる彼等が不思議でならなかった。

 頭の中でばかり考え込んでいれば、それは室の中に迷いこんだ小鳥のように、その四つの壁に頭がつッかえるのは分り切ったことではないか。考えるのはもう沢山だ。お前達は「理窟」が小うるさく多すぎる。理窟で家の出来たためしが無いんだ!

 竜吉は今では警察に留置されることには、無意識に近くなれた。東京からの同志たちは監獄{今では、ただ言葉だけ上品に! 云いかえられて刑務所}に行ったり、検束されることを、ブルジョワの口吻を借りて「別荘行き」と云っていた。いくら無産階級先鋒(せんぽう)の闘士だって嬉々(きき)として別荘行きはしなかったが、一般人の生活にとっては可なりの重大事件でなければならない監獄行きを、そう云える程の気楽さに迄なれていた。自分達の運動で、何時でもクヨクヨ監獄に(こだわ)っていたのでは、クサメ一つさえ気儘(きまま)に出来ないではないか。この運動は道楽なスポーツではないんだ。

 ――竜吉は妙に、然し心にしみこんで来る幸子のことを頭から払い落そうとするように、大きくあくびをした。片隅で斎藤が余程長く伸びている髪を、やけに両手の指を熊手のようにして逆にかき上げた。

 交代の時間が来て、一人に一人ずつ付いていた巡査が出て行った。時々竜吉の家にくるので知っている須田巡査が、出て行きしなに彼へ、

「ねえ、小川君、実際こんなことがあるとたまらないよ。――非番も何もあったもんでない。身体が参るよ。」――そう言ったのに、変な実感があった。

 彼は、人をふんだり、蹴ったりする巡査らしくない親しみを感じ、ひょっとすると、それが彼の素地であるかも知れないものを其処に見た気がして、意外に思った。

「実際、ご苦労さんだ。」

 皮肉でなく、そう云わさった。

 斎藤は「ご苦労――お。」と、ブッ切ら棒に捨科白(すてぜりふ)のように巡査の後に投げつけた。

 外の巡査が皆出てしまうと、須田巡査が、「何か自家(うち)ことづけが無いか。」と、ひくく()いた。

 竜吉は一寸何も云えずに、思わず須田の顔を見た。

「いいや、別に――有難う……。」

 須田は頭でうなずいて出て行った。少し前こごみな官服の円い肩が、妙に貧相に見えた。

「あ――あ、煙草飲みたいなア。」誰かが独言のように云った。

「もう、夜が明けるぞ……。」

 

     六

 

 竜吉と一緒の(へや)にいた斎藤が便所に行く途中、廊下の突き当りの留置場の前で、

「おい。」――その留置場の中にいる誰かに呼ばれた、と思った。

 斎藤は足をとどめた。

「おい。」――声が(わたり)だった。小さい窓へ、内から顔をあてているのが、そう云えば渡だった。

「渡か、俺だ。――何んだ、独りか?」

「独りだ。皆元気か。」何時もの、高くない底のある声だった。

「元気だ。――うむ、独りか。」独り、というのが斎藤の胸に来た。

 少し遅れて附いてきた巡査が寄ってきたので、

「元気でいれ。」と云って、歩き出した。

 歩きながら、何故か、これは危いぞ、と思った。室に帰ってから、斎藤はその事を竜吉に云った。竜吉はだまったまま、それが何時もの癖である下唇をかんだ。

 石田は、渡とは便所で会った。言葉を交すことは出来なかったが、がっしり落付いた、何時もの(はがね)のように固い、しっかりした彼の表情を見た。

「おい、バンクロフトって知ってるか。」ご石田が斎藤にきいた。

「バンクロフト? 知らない。コンムュニストか?」

「活動役者だよ。」

「そんな、ぜいたくもの覚えてるかい。」

 石田は渡に会ったとき、ひょいと「暗黒街」という活動写真で見た、巨賊に(ふん)したバンクロフトを思い出した。渡――バンクロフト、それが不思議なほど、ピッタリ一緒に石田の頭に焼付いた。

 

 渡は、自分が独房に入れられたとき、(最初組合に踏込まれたときと同じように、)自分等が主になってやっている非合法的な運動が発覚した、と思った。瞬間、やっぱり顔から血がスウと引けてゆくのが自分でも分った。彼にとっては、然し、それはそれっきりの事だった。すぐ何時もの彼に帰っていた。そして殊に独房にどっかり坐ったとき、遠い旅行から久し振りで自家(うち)に帰って来た人のような、広々とくつろいだ気持を覚えた。――渡でも誰でも、朝眼をぱっちり開ける、と待っていたとばかりに、運動が彼をひッつかんでしまう。ビラを持って走り廻る。工場の仲間や市内の支部を廻って、報告を聞き、相談をし、指令を与える。中央からのレポートがくる。それが一々その地の情勢に応じて、色々の形で実行に移されなければならない。委員会が開かれる。石投げのような喧嘩腰の討論が続く。謄写版。組合員の教育、演説会、――準備、ビラ、奔走、演説、検束……彼らの身体は廻転機にでも引っかかったように、引きずり廻される。それは一日の例外もなしに、()ッ続けに、何処迄行っても()りのない循環小数のように続く。――もう沢山だ! そう云いたくなる位だ。そしてそのあらゆる間、絶え間なく彼等の心は、張り切り得る最高の限度に常に張り切ッていなければならなかった。然し「別荘」はその気持に中休みを入れさせてくれる効果を持っている。だから「別荘行き」には皮肉な意味を除けば、ブルジョワの使う「休息」そういう言葉通りの意味も含まっていた。然し誰もこの後の方の事を口には出して云わなかった。そんなことを云えば、一言のもとに非戦闘的だとされることを皆はこっそり知っていたからだった。   (以下「九」までを割愛)

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2002/12/18

背景色の色

フォントの変更

  • 目に優しいモード
  • 標準モード

ePubダウンロード

小林 多喜二

コバヤシ タキジ
こばやし たきじ 小説家 1903・10・13~1933・2・20 秋田県生まれ。幼児期に一家で北海道小樽に移住。小樽高商卒業後、昭和初期へかけて日本社会の思想的な動揺のさなかに共産主義思想に共鳴、しかも「主人持ち」の文学を否認する白樺派志賀直哉の心境的なリアリズムに深く影響された。労働運動に関与しながら小説を書き、日本プロレタリア作家同盟中央委員になり、「蟹工船」「不在地主」「党生活者」などの作品を発表。共産党入党後、潜行して政治活動をしていたが、街頭連絡の際、1933(昭和8)年、言論表現思想の自由を弾圧した「特高」警察により捕らえられ、東京築地警察署で拷問を受け、虐殺された。

掲載作は多喜二のリアリズム表現が切迫と余裕との両面の魅力で光った優れた抵抗の文学として、プロレタリア文学の代表的古典と評価されてきた。

著者のその他の作品