當世商人氣質自叙
錦織なす花の都に軒を並べての繁昌。いつも変らぬ其家かと見れば主人大半非なりといひし白楽天の憾にも似て四代五代と一つ暖簾を掛け続くは稀なり。町並を見ては何処も同じやうなる中にも心掛けのよいと悪いとは有りて隣りの家は日々に儲け出して弥が上に家質を取れば其隣りは美服美食に奢りて身体は肥満すれど身代は日々に衰弱して商ひの薄き上に人知れぬ利の勤め。貧乏に鑢をかけて内外より耗り減らし金気とては銕の粉も身につけずして。己が物好して建たる家を人の重宝とはなしぬ。しかして其の産を失ふ人を愚かと見ればかへりて身代仕出す人よりは利口才発なる者多し。畢竟貧福は智恵のみにはよるまじ。只其の業を楽しみてよく勤むると。己が業に飽いて勤めを疎にするとの二のみ。今ま其の善悪両道の誡を集めて当世商人気質と名づけぬ。これを見ん人家業といふ大事の車に油の断れぬやう心づけてよく繰り廻し玉へと云爾 饗庭 篁邨
當世商人氣質一の巻
第一 我子に塩を踏み固めた身代の講釈
無理は内義が畳たゝいての歎きも
余所に吹く風身にしみる親の慈悲
商人に系図なし、金を以て氏筋目とす、抑も是は桓武天皇九代の後胤平の知盛の末孫なりと名乗つて、白柄の長刀水車の如くに廻しても、盆と暮との二季の戦場に槍くりといふ打物を敵に取られては、幽霊の縁をひいてドロンと消えるより詮方なく、先祖は龍宮へ渡つた藤太秀郷でござると肩肱をいからした処が、俵の底を叩いても米一粒なき仕合せでは、三上山を七巻半も巻くほどな酒屋魚屋の書出しを見て、百足に草鞋足早に駆落するより外に策なし。正一位に陛つた家の落胤と誇つても、埃に埋む四辻に稲荷寿しの店を出しては、身代の尾が見えて貴からず。たとへ昔しは街道にたゝずみし雲介なりとも、儲け出して富豪の身となれば、肩に残つた荷物瘤までが福相のうちに称さるゝものぞかし。左れば商人の目ざす的の黒星は金といふ字に止めたり。稼ぎの上には何を仕やうと耻にあらずと、真黒になつて木挽町に団炭屋をして夫婦共稼ぎの山形屋萬助といふ者が、わずか二十年経つか経ぬに八丁堀辺へ立派な質店を出し、角から折り廻して地面三ケ所、土蔵の地形も千萬年を期して堅牢地神の頭まで届くほど深く石を築き込み、動きなき身代と人にも称せられて、御蔭を蒙ぶらぬ者までが旦那々々と崇めるを、見やう見真似に横町の洋犬までが尾を揺つて愛想するは偖も金の威徳の有難や。是につけても麁末にすべきに非ずと身代が太るほど活計向きを細くさるゝは、節倹の垣根を超えて吝嗇の囲ひ内へ入りたりと人の蔭言、よくは云ひたがらぬ世の癖と聞ても知らぬ顔で通しけり。独り子の千太郎と云は父にも母にも似ぬ色白の優形にて生れつき情深く、乳母下女はじめ召仕ひに憫れみを加へければ、出入る者も有難がり、栴檀は二葉お十一にして此のお心持、末は嘸と年の上にまでおの字を付けて尊敬すれば、親の心はいかばかり嬉しからん、片輪なるさへ褒めらるれば悪き心はせぬものなればと萬助の気を推し量つて傍の者が云ふとは大きな違ひ、萬助は我子が年にませて慈悲深き行為を見て密かに眉をひそめ、折角是までに稼ぎ出した身上も、彼の心入では能く持堪へはせまい、偖も苦々しい事ぞと呟やきしが、千太郎は或時乳母と共に店へ出て遊んで居るとき猿曳が来たりて、ヘイ御目出たうと店へ猿を下せば、可愛らしき子猿が躍りながら千太郎の傍へ行くと、糊入へ包みて手に持ちたる上等の干菓子を、これ遣らうぞと猿に投げ与へしを見て、店の者共は偖も大気なお生れやと称賛するに引かへ、萬助は顔色かへて奥へ立ちぬ。
我子千太郎が猿に干菓子を投げ与へしを見て、萬助は急に奥の間へ来て、別家同様にして置く深川森下辺の伊勢屋仁助といふ小質屋の主人を使して呼び寄せ、偖貴公に少し御頼みの筋が有ると申して別の事ではござらぬ、倅千太郎豊かなる中に育ちて銭儲けの苦しみを知らず、先程も店へ来た小猿にまだ我等などは口へ入て味はふて見た事もない上菓子を投げ与へたる所、傍の者は大気の鷹揚のと申せど、我等の目から見れば是ほど冥利に外れたる事はなし、甘く育てゝは辛き世渡りはならず、三子の魂百までと申せば、彼がちと銭金の有難味を知るやうに貴公方で丁稚代に二三年使ふて下され、尤も我等倅と思ひ用捨せられては何の為にもならねば、随分厳しく追廻し使はるべし、貴公方も当時さし当り召使も入らぬところ強てお頼み申す訳なれば、月々食扶持として金二円、外に小遣湯銭等に五十銭づゝ送るべし、何分よきに頼むと有るに、仁助も驚き、兎角の返答もなし兼ねて頭を掻くうち、萬助の女房お角は涙を押へかねて夫の方へ膝突掛け、何と思はれて左様急に無慈悲な事は仰有るぞ、少しばかりの菓子を猿にやればとて、夫を奢りの冥利に外れるのと云ひたまふ事かは、殊に千太郎は脾弱き質、丁稚がはりに使はれては生命に障らうも知れませぬ、悪い事が有らば幾重にも詫びませう、手許を放す事はお免しあれと云へば、萬助は目に角立て、貴様も最う今の身の上に馴れて昔しの事を忘れてか、其心得ゆゑ倅をば彼の様に育て上げたので有らう、よく聞けよ、奢りといふに何処から何処までと区限はない、用ひ所によりては椿一輪を十円で買うと、蜜柑十で百円出そうと、強ちに奢りとは云はず、左れど我等が分際で華族方の若君が召上るほどな干菓子、たとへ貰ひ物にもせよ、平生口になづみ目になれて居ればこそ惜気もなく猿に投げ与ふるなれ、夫も先がよい家の子供たちなら別義はないが、人参の尻尾を常食にする猿にやりしが奇怪なり、斯く奢りくせの付きし者、教訓を加へたりとて自ら苦しみて見ねば直らぬものゆゑ、彼が行末の為を思ふて仁助殿に頼む事ぞ、また脾弱ゆゑ丁稚奉公させたなら生命が堪るまいとは以ての外の心得違ひ、商人が家業の道を覚ゆる為めに死んだなら夫こそ武官の方々が戦場の討死と代らぬ誉れ、我家に召使ふ丁稚子者も、其の母の目から見れば御身が千太郎をかばふと同じにて、いづれも手放して他人の中へ出しては、いかなる憂目を見るで有らうと歎くは当然、されど其処を忍ぶが修行といふものなり、木馬で習はせたばかりにては口強き生た馬に乗れず、痛はし悲しと思ふて家に置いては為にならぬ、我も千太郎を可愛と思ふこといかで御身に劣るべきや、悪くはせまじ黙ツて居よと窘めける。
仁助はやをら座を進め、千太郎殿に世渡りの険しさを学ばせんの思し立ち、流石は愛に溺れぬ御気質は感服仕つります、去ながら塩を踏ませるの、世間を見せるのと申すは、親の油汗で稼いだものを湯水と遣ひ散す放蕩者の上のこと、千太郎殿は行儀大人しく常からの御孝心、丁稚から塗り上げずと木地の堅い御生れ付き、天晴此家督を曲みなく御受継なされる事は私しが印形捺して御受合甲します、母御様も仰有る通り天にも地にも掛替なき若旦那、ならはぬ下司業に御病気でも出ては大変、畢竟貴君が此の御身代を斯やうに御丹誠になツたは御自分一代の事ではなく、御子孫の為めに御苦労もなされたのでござりませう、千太郎殿に凶事もあらば是までの御骨折は皆な無益事と成りませうと理を尽して止むれど、萬助は頭を振ていツかな聞かず、貴公は其の心入れで渡世さるゝか、イヤサ妻子に楽をさせやうとの励みばかりで家業に精出さるゝか、左りとは商人の本意を取失ひたる口上、近ごろ貴公に似合しからず、身代仕出すは妻子々孫の為めなりと云はゞ、妻も子もなき独身者は一生自分だけ食て通れば夫で商人の一分を尽したもの、家蔵を持固めて跡へ残すは入らぬ土持でござらう歟、抑も商人と身をなしては自分の栄耀子孫の為めばかりに利を争ふにあらず、息有る間は一銭も多く儲け溜め、一尺も拡く間口をせんと励むが商人の本分にして、一銭も無益に棄てず一厘も入らぬ所に費やさぬが冥利を知るといふものなり、貴公は兼て聞知ツても坐さん、我等夫婦は遠国より元手もなくて此の地へ来たり、日傭稼ぎより少しづゝ儲けためて木挽町へ炭団屋を出し、夫婦ゆツくりとは鼻息もせず、夜はまた粉によごるゝ饂飩売り、昼夜黒白に稼げども、鷺を烏と無理非道はせず、正直を看板に勉めたる甲斐あつて、年々に儲け溜め、今は此の身になツたれど、まだ南の窓へ枕して長々と昼寝一度した事はござらぬ、楽をしたいは人の情なれど、それを堪へるは亦人の勤めなり、一人怠たれば家内中の怠たり、奢りは尚ほうつるが早し、此まゝ千太郎の奢りくせを棄置けば、当人は勿論、後には我家に勤め居る者までの毒なれば、偖こそしばしの可愛さを棄て貴公にお頼み申すなれば、お角も末の涙を今溢ぼして倅の後来を祝へかしと、直に千太郎を呼んで木綿物の衣類に着替へさせ、仁助に連れ立せてやりたるは、偖も気強き親御と謗るあれば、商人の心入れは誰も斯くこそ有りたけれと褒むるも有るは人の心の取々なり。
第二 人こそ知らぬ内證の繰廻に沖の石
かはく間もなき肱笠のなみだ雨に
水嵩まさりて防がれぬ流れの質物
質といふもの誰が置き初めて流れの末を止めあへぬ恨をば世に残しけん、其の品々は馬琴翁の質屋の庫に尽したれば、今さら利上げの小繕ひも未練に似たり。左れども此業には大ひなる高下ありて、高きは外国の鉱山を質に取りて政府へ金を貸す西洋の大質屋、亦は華族の商法に、丈夫を取得の安利貸、百円以下は御断わり申し候といふ向もあれど、下りての下に至りては、五銭三銭付く付かぬを争ひて客と組打をするがの通ひかめいは伊勢屋、これで苗字が片岡なら、とんだ四天王の口上茶番、芝居の書割めいた云訳ばかりの板倉も、中は行き抜け、品物は取ツたか見たかに小僧が背負出して親質へ送れば、ホンの遣繰の中宿に借直の夢をみるのやうな衣服、邯鄲か魂胆か一炊の代に、肱ならずして入用の道具を曲げる職人あれば、瑞歯ぐむ老女が片手は涙片手には鍋を携げて、今ま孫めが驚風で死にましたが、倅は旅へ稼ぎに出て帰らず、嫁は内職の鼻緒を精出し過て指を脹し、左りの手は利かぬ悩み、さし当り線香も枕団子も買へぬ始末なれば、御無理ではござりませふが、御慈悲にこれで十二銭貸して下されと手を合して拝ぬばかり。主人は算盤の手も止めずして其の鍋は何時も六百より貸されぬ代物、お前の孫が死んだとて五銭六銭貸し過しをして流されては此方が助からぬ、どう蹈み直しても七銭よりは付きませんと、跡はいくら口説も取合はねば、婆は涕汁を啜りながら、我しめて居た木綿のクタクタ帯を解いて鍋に添へ、漸やく十二銭借りて帰る。左りとは憐れな有様、実に気が弱くて出来ぬものは丑の刻参りと小質屋の主人なり。萬助の倅千太郎は親の云付に是非なくも仁助の家へ来ての小僧代り、身の苦しさ辛さは厭はねど、毎日来る質置きたちの余り気の毒なのを見て涙たもち兼ね、仁助に向ひて、誠に御面倒ではござりませうが、乳母の所までやる手紙を一通お書きなされて下されと言へば、仁助は顔を打守り、夫は定めて此家に居るが辛いゆゑ御家へ帰りたいとの文言でござらうが、爰をよく御合点なされませ、親旦那とて貴君を憎んで私方へ遣されたのではなく、全く修業の為めなれば、辛いと思ふを堪へ玉ふが御孝行、私方にてもお痛はしくは存ずれど、親旦那が深きお頼みゆゑ、わざと他人の小僧並に使ひ立てるを悪しくは思召さぬものと諭せば、千太郎はホロリと溢し、否々此家が辛いとの手紙にてはなし、先ほど参た婆さんのような質置達が余り不便でござりますゆゑ、乳母より金を貰ふて、彼の人たちに欲がるだけづゝ遣たうござります、としやくり上るぞいぢらしき。 (以下・割愛)