斯う暑くなつては皆さん方が或は高い山に行かれたり、或は涼しい海辺に行かれたりしまして、さうしてこの悩ましい日を充実した生活の一部分として送らうとなさるのも御尤もです。が、もう老い朽ちてしまへば山へも行かれず、海へも出られないでゐますが、その代り小庭の朝露、縁側の夕風ぐらゐに満足して、無難に平和な日を過して行けるといふもので、まあ年寄はそこいらで落着いて行かなければならないのが自然なのです。山へ登るのも極くいゝことであります、深山に入り、高山、嶮山なんぞへ登るといふことになると、一種の神秘的な興味も多いことです。その代り又危険も生じます訳で、怖しい話が伝へられてをります。海もまた同じことです。今お話し致さうといふのは海の話ですが、先に山の話を一度申して置きます。
それは、西暦千八百六十五年の七月の十三日の午前五時半にツェルマットといふ処から出発して、名高いアルプスのマッターホルンを世界始まつて以来最初に征服致しませうと心ざし、その翌十四日の夜明前から骨を折つて、さうして午後一時四十分に頂上へ着きましたのが、あの名高いアルプス登攀記の著者のウィンパー一行でありました。その一行八人がアルプスのマッターホルンを初めて征服したので、それから段々とアルプスも開けたやうな訳です。
それは皆様がマッターホルンの征服の紀行によつて御承知の通りでありますから、今私が申さなくても夙に御合点のことですが、さてその時に、その前から他の一行即ち伊太利のカレルといふ人の一群がやはりそこを征服しようとして、両者は自然と競争の形になつてゐたのであります。併しカレルの方は不幸にして道の取り方が違つてゐた為に、ウィンパーの一行には負けてしまつたのであります。ウィンパーの一行は登る時には、クロス、それから次に年を取つた方のぺーテル、それからその伜が二人、それからフランシス・ダグラス卿といふこれは身分のある人です。それからハドウ、それからハドス、それからウィンパーといふのが一番終ひで、つまり八人がその順序で登りました。
十四日の一時四十分に到頭さしもの恐しいマッターホルンの頂上、天にもとゞくやうな頂上へ登り得て大に喜んで、それから下山にかゝりました。下山にかゝる時には、一番先ヘクロス、その次がハドウ、それからフランシス・ダグラス卿、それから年を取つたところのペーテル、一番終ひがウィンパー、それで段々降りて来たのでありますが、それだけの前古未曾有の大成功を収め得た八人は、上りにくらべては猶一倍おそろしい氷雪の危険の路を用心深く辿りましたのです。ところが、第二番目のハドウ、それは少し山の経験が足りなかつたせゐもありませうし、又疲労したせゐもありましたらうし、イヤ、むしろ運命のせゐと申したいことで、誤つて滑つて、一番先にゐたクロスヘぶつかりました。さうすると、雪や氷の蔽つてゐる足がゝりもないやうな嶮峻の処で、さういふことが起つたので、忽ちクロスは身をさらはれ、二人は一つになつて落ちて行きました訳。あらかじめロープをもつて銘々の身をつないで、一人が落ちても他が踏止まり、そして個々の危険を救ふやうにしてあつたのでありますけれども、何せ絶壁の処で落ちかゝつたのですから堪りません、二人に負けて第三番目も落ちて行く。それからフランシス・ダグラス卿は四番目にゐたのですが、三人の下へ落ちて行く勢で、この人も下へ連れて行かれました。ダグラス卿とあと四人との間でロープはピンと張られました。四人はウンと踏堪へました。落ちる四人と堪へる四人との間で、ロープは力足らずしてプツリと切れて終ひました。丁度午後三時のことでありましたが、前の四人は四千尺ばかりの氷雪の処を逆おとしに落下したのです。後の人は其処へ残つたけれども、見る見る自分達の一行の半分は逆落しになつて深い深い谷底へ落ちて行くのを目にした其心持はどんなでしたらう。それで上に残つた者は狂人の如く興奮し、死人の如く絶望し、手足も動かせぬやうになつたけれども、さてあるべきではありませぬから、自分達も今度は滑つて死ぬばかりか、不測の運命に臨んでゐる身と思ひながら段々下りてまゐりまして、さうして漸く午後の六時頃に幾何か危険の少いところまで下りて来ました。
下りては来ましたが、つい先刻まで一緒にゐた人々がもう訳も分らぬ山の魔の手にさらはれて終つたと思ふと、不思議な心理状態になつてゐたに相違ありません。で、我々はさういふ場合へ行つたことがなくて、たゞ話のみを聞いただけでは、それらの人の心の中がどんなものであつたらうかといふことは、先づ殆ど想像出来ぬのでありまするが、そのウィンパーの記したものによりますると、その時夕方六時頃です、ぺーテル一族の者は山登りに馴れてゐる人ですが、その一人がふと見るといふと、リスカンといふ方に、ぼうつとしたアーチのやうなものが見えましたので、はてナと目を留めてをりますると、外の者もその見てゐる方を見ました。すると軈てそのアーチの処へ西洋諸国の人にとつては東洋の我々が思ふのとは違つた感情を持つところの十字架の形が、それも小さいのではない、大きな十字架の形が二つ、ありあり空中に見えました。それで皆もなにかこの世の感じでない感じを以てそれを見ました、と記してありまする。それが一人見たのではありませぬ、残つてゐた人にみな見えたと申すのです。十字架は我々の五輪の塔同様なものです。それは時に山の気象を以て何かの形が見えることもあるものでありますが、兎に角今のさきまで生きて居つた一行の者が亡くなつて、さうしてその後へ持つて来て四人が皆さういふ十字架を見た、それも一人二人に見えたのでなく、四人に見えたのでした。山にはよく自分の身体の影が光線の投げられる状態によつて、向う側へ現はれることがありまする。四人の中にはさういふ幻影かと思つた者もあつたでせう、そこで自分達が手を動かしたり身体を動かして見たところが、それには何等の関係がなかつたと申します。
これで此話はお終ひに致します。古い経文の言葉に、心は巧みなる画師の如し、とございます、何となく思浮めらるゝ言葉ではござりませぬか。
さてお話し致しますのは、自分が魚釣を楽んで居りました頃、或先輩から承りました御話です。徳川期もまだひどく末にならない時分の事でございます。江戸は本所の方に住んで居られました人で——本所といふ処は余り位置の高くない武士どもが多くゐた処で、よく本所の小ツ旗本などと江戸の諺で申した位で、千石とまではならないやうな何百石といふやうな小さな身分の人達が住んで居りました。これもやはりさういふ身分の人で、物事がよく出来るので以て、一時は役づいて居りました。役づいてをりますれば、つまり出世の道も開けて、宜しい訳でしたが、どうも世の中といふものはむづかしいもので、その人が良いから出世するといふ風には決つてゐないもので、却つて外の者の嫉みや憎みをも受けまして、さうして役を取上げられまする、さうすると大概小普請といふのに入る。出る杙が打たれて済んで御小普請、などと申しまして、小普請入りといふのは、つまり非役になつたといふほどの意味になります。この人も良い人であつたけれども小普請入になつて、小普請になつてみれば閑なものですから、御用は殆ど無いので、釣を楽みにしてをりました。別に活計に困る訳ぢやなし、奢りも致さず、偏屈でもなく、ものはよく分る、男も好し、誰が目にも良い人。さういふ人でしたから、他の人に面倒な関係なんかを及ぼさない釣を楽んでゐたのは極く結構な御話でした。
そこでこの人、暇具合さへ良ければ釣に出て居りました。神田川の方に船宿があつて、日取り即ち約束の日には船頭が本所側の方に舟を持つて来てゐるから、其処からその舟に乗つて、さうして釣に出て行く。帰る時も舟から直に本所側に上つて、自分の屋敷へ行く、まことに都合好くなつてをりました。そして潮の好い時には毎日のやうにケイヅを釣つてをりました。ケイヅと申しますと、私が江戸訛りを言ふものとお思ひになる方もありませうが、今は皆様がカイヅカイヅとおつしやいますが、カイヅは訛りで、ケイヅが本当です。系図を言へば鯛の中、といふので、系図鯛を略してケイヅといふ黒い鯛で、あの恵比寿様が抱いて居らつしやるものです。イヤ、斯様に申しますと、ゑびす様の抱いてゐらつしやるのは赤い鯛ではないか、変なことばかり言ふ人だと、また叱られますか知れませんが、これは野必大と申す博物の先生が申されたことです。第一ゑびす様が持つて居られるやうなあゝいふ竿では赤い鯛は釣りませぬものです。黒鯛ならあゝいふ竿で丁度釣れますのです。釣竿の談になりますので、よけいなことですが一寸申し添へます。
或日のこと、この人が例の如く舟に乗つて出ました。船頭の吉といふのはもう五十過ぎて、船頭の年寄なぞといふものは客が喜ばないもんでありますが、この人は何もさう焦つて魚を無暗に獲らといふのではなし、吉といふのは年は取つてゐるけれども、まだそれでもそんなにぼけてゐるほど年を取つてゐるのぢやなし、ものはいろいろよく知つてゐるし、此人は吉を好い船頭として始終使つてゐたのです。釣船頭といふものは魚釣の指南番か案内人のやうに思ふ方もあるかも知れませぬけれども、元来さういふものぢやないので、たゞ魚釣をして遊ぶ人の相手になるまでで、つまり客を扱ふものなんですから、長く船頭をしてゐた者なんぞといふものはよく人を呑込み、さうして人が愉快と思ふこと、不愉快と思ふことを呑込んで、愉快と思ふやうに時間を送らせることが出来れば、それが好い船頭です。網船頭なぞといふものは尚のことさうです。網は御客自身打つ人もあるけれども先づは網打が打つて魚を獲るのです。といつて魚を獲つて活計を立てる漁師とは異ふ。客に魚を与へることを多くするより、客に網漁に出たといふ興味を与へるのが主です。ですから網打だの釣船頭だのといふものは、洒落が分らないやうな者ぢやそれになつてゐない。遊客も藝者の顔を見れば三絃を弾き歌を唄はせ、お酌には扇子を取つて立つて舞はせる、むやみに多く歌舞を提供させるのが好いと思つてゐるやうな人は、まだまるで遊びを知らないのと同じく、魚にばかりこだはつてゐるのは、所謂二才客です。といつて釣に出て釣らなくても可いといふ理屈はありませんが、アコギに船頭を使つて無理にでも魚を獲らうといふやうなところは通り越してゐる人ですから、老船頭の吉でも、却つてそれを好いとしてゐるのでした。
ケイヅ釣といふのは釣の中でも又他の釣と様子が違ふ。なぜかと言ひますと、他の、例へばキス釣なんぞといふのは立込みといつて水の中へ入つてゐたり、或は脚榻釣といつて高い脚榻を海の中へ立て、その上に上つて釣るので、魚のお通りを待つてゐるのですから、これを悪く言ふ者は乞食釣なんぞと言ふ位で、魚が通つてくれなければ仕様が無い、みじめな態だからです。それから又ボラ釣なんぞといふものは、ボラといふ魚が余り上等の魚でない、群れ魚ですから獲れる時は重たくて仕方が無い、担はなくては持てない程獲れたりなんぞする上に、これを釣る時には舟の艫の方へ出まして、さうして大きな長い板子や楫なんぞを舟の小縁から小縁へ渡して、それに腰を掛けて、風の吹きさらしにヤタ一の客よりわるいかつかうをして釣るのでありまするから、もう遊びではありません、本職の漁師みたいな姿になつてしまつて、まことに哀れなものであります。が、それは又それで丁度さういふ調子合のことの好きな磊落な人が、ボラ釣は豪爽で好いなどと賞美する釣であります。が、話中の人はそんな釣はしませぬ。ケイヅ釣りといふのはさういふのと違ひまして、その時分、江戸の前の魚はずつと大川へ奥深く入りましたものでありまして、永代橋新大橋より上流の方でも釣つたものです。それですから善女が功徳の為に地蔵尊の御影を刷つた小紙片を両国橋の上からハラハラと流す、それがケイヅの眼球へかぶさるなどといふ今からは想像も出来ないやうな穿ちさへありました位です。
で、川のケイヅ釣は川の深い処で釣る場合は手釣を引いたもので、竿などを振廻して使はずとも済むやうな訳でした。長い釣綸を篗輪から出して、さうして二本指で中りを考へて釣る。疲れた時には舟の小縁へ持つて行つて錐を立てゝ、 その錐の上に鯨の鬚を据ゑて、その鬚に持たせた岐に綸をくひこませて休む。これを「いとかけ」と申しました。後には進歩して、その鯨の鬚の上へ鈴なんぞ附けるやうになり、脈鈴と申すやうになりました。脈鈴は今も用ゐられてゐます。併し今では川の様子が全く異ひまして、大川の釣は全部なくなり、ケイヅの脈釣なんぞといふものは何方も御承知ないやうになりました。たゞしその時分でも脈釣ぢやさう釣れない。さうして毎日出て本所から直ぐ鼻の先の大川の永代の上あたりで以て釣つてゐては興も尽きるわけですから、話中の人は、川の脈釣でなく海の竿釣をたのしみました。竿釣にも色々ありまして、明治の末頃はハタキなんぞいふ釣もありました。これは舟の上に立つてゐて、御台場に打附ける波の荒れ狂うやうな処へ鉤を抛つて入れて釣るのです。強い南風に吹かれながら、乱石にあたる浪の白泡立つ中へ竿を振つて餌を打込むのですから、釣れることは釣れても随分労働的の釣であります。そんな釣はその時分には無かつた、御台場も無かつたのである。それから又今は導流柵なんぞで流して釣る流し釣もありますが、これもなかなか草臥れる釣であります。釣はどうも魚を獲らうとする三昧になりますと、上品でもなく、遊びも苦しくなるやうでございます。
そんな釣は古い時分にはなくて、澪の中だとか澪がらみで釣るのを澪釣と申しました。これは海の中に自から水の流れる筋がありますから、その筋をたよつて舟を潮なりにちやんと止めまして、お客は将監——つまり舟の頭の方からの第一の室――に向うを向いてしやんと坐つて、さうして釣竿を右と左とへ八の字のやうに振込んで、舟首近く、甲板のさきの方に亘つてゐる簪の右の方へ右の竿、左の方へ左の竿をもたせ、その竿尻を一寸何とかした銘々の随意の趣向でちよいと軽く止めて置くのであります。さうして客は端然として竿先を見てゐるのです。船頭は客よりも後ろの次の間にゐまして、丁度お供のやうな形に、先づは少し右舷によつて扣へて居ります。日がさす、雨がふる、いづれにも無論のこと苫といふものを葺きます。それはおもての舟梁と其次の舟梁とにあいてゐる孔に、「たてぢ」を立て、二のたてぢに棟を渡し、肘木を左右にはね出させて、肘木と肘木とを木竿で連ねて苫を受けさせます。苫一枚といふのは凡そ畳一枚より少し大きいもの、贅沢にしますと尺長の苫は畳一枚のより余程長いのです。それを四枚、舟の表の間の屋根のやうに葺くのでありますから、まことに具合好く、長四畳の室の天井のやうに引いてしまへば、苫は十分に日も雨も防ぎますから、ちやんと座敷のやうになるので、それでその苫の下即ち表の間——釣舟は多く網舟と違つて表の間が深いのでありますから、まことに調子が宜しい。そこへ茣蓙なんぞ敷きまして、其上に敷物を置き、胡坐なんぞ掻かないで正しく坐つてゐるのが式です。故人成田屋が今の幸四郎、当時の染五郎を連れて釣に出た時、藝道舞台上では指図を仰いでも、勝手にしなせいと突放して教へて呉れなかつたくせに、舟では染五郎の座りやうを咎めて、そんな馬鹿な坐りやうがあるかと厳しく叱つたといふことを、幸四郎さんから直接に聞きましたが、メナダ釣、ケイヅ釣、すゞき釣、下品でない釣はすべてそんなものです。
それで魚が来ましても、又、鯛の類といふものは、まことにさういふ釣をする人々に具合の好く出来てゐるもので、鯛の二段引きと申しまして、偶には一度にガブッと食べて釣竿を持つて行くといふやうなこともありますけれども、それは寧ろ稀有の例で、ケイヅは大抵は一度釣竿の先へあたりを見せて、それから一寸して本当に食ふものでありまするから、竿先の動いた時に、来たナと心づきましたら、ゆつくりと手を竿尻にかけて、次のあたりを待つてゐる。次に魚がぎゆつと締める時に、右の竿なら右の手であはせて竿を起し、自分の直と後ろの方へその儘持つて行くので、さうすると後ろに船頭が居ますから、これがたま(=たも網)をしやんと持つてゐまして掬ひ取ります。大きくない魚を釣つても、そこが遊びですから竿をぐつと上げて廻して、後ろの船頭の方に遣る。船頭は魚を掬つて、鉤を外して、舟の丁度真中の処に活間がありますから魚を其処へ入れる。それから船頭が又餌をつける。「旦那、つきました」と言ふと、竿をまた元へ戻して狙つたところへ振込むといふ訳であります。ですから、客は上布の着物を着てゐても釣ることが出来ます訳で、まことに綺麗事に殿様らしく遣つてゐられる釣です。そこで茶の好きな人は玉露など入れて、茶盆を傍に置いて茶を飲んでゐても、相手が二段引きの鯛ですから、慣れてくればしづかに茶碗を下に置いて、さうして釣つてゐられる。酒の好きな人は潮間などは酒を飲みながらも釣る。多く夏の釣でありますから、泡盛だとか、柳蔭などといふものが喜ばれたもので、置水屋ほど大きいものではありませんが上下箱といふのに茶器酒器、食器も具ヘられ、一寸した下物、そんなものも仕込まれてあるやうな訳です。万事がさういふ調子なのですから、真に遊びになります。しかも舟は上だな檜で洗ひ立てゝありますれば、清潔此上無しです。しかも涼しい風のすいすい流れる海上に、片苫を切つた舟なんぞ、遠くから見ると余所目から見ても如何にも涼しいものです。青い空の中へ浮上つたやうに広々と潮が張つてゐる其上に、風のつき抜ける日蔭のある一葉の舟が、天から落ちた大鳥の一枚の羽のやうにふわりとしてゐるのですから。
それから又、澪釣でない釣もあるのです。それは澪で以てうまく食はなかつたりなんかした時に、魚といふものは必ず何かの蔭にゐるものですから、それを釣るのです。鳥は木により、さかなはかゝり、人は情の蔭による、なんぞといふ「よしこの」がありますが、かゝりといふのは水の中にもさもさしたものがあつて、其処に網を打つことも困難であり、釣鉤を入れることも困難なやうなひつかゝりがあるから、かゝりと申します。そのかゝりには兎角に魚が寄るものであります。そのかゝりの前へ出掛けて行つて、さうしてかゝりと擦れ擦れに鉤を打込む、それがかゝり前の釣といひます。澪だの平場だので釣れない時にかゝり前に行くといふことは誰でもすること。又わざわざかゝりへ行きたがる人もある位。古い澪杙、ボッカ、われ舟、ヒビがらみ、シカケを失ふのを覚悟の前にして、大様にそれぞれの趣向で遊びます。何れにしても大名釣と云はれるだけに、ケイヅ釣は如何にも贅沢に行はれたものです。
ところで釣の味はそれでいゝのですが、やはり釣は根が魚を獲るといふことにあるものですから、余り釣れないと遊びの世界も狭くなります。或日のこと、ちつとも釣れません。釣れないといふと未熟な客は兎角にぶつぶつ船頭に向つて愚痴をこぼすものですが、この人はさういふことを言ふ程あさはかではない人でしたから、釣れなくてもいつもの通りの機嫌でその日は帰つた。その翌日も日取りだつたから、翌日もその人は又吉公を連れて出た。ところが魚といふのは、それは魚だから居さへすれば餌があれば食ひさうなものだけれども、さうも行かないもので、時によると何かを嫌つて、例へば水を嫌ふとか風を嫌ふとか、或は何か不明な原因があつてそれを嫌ふといふと、居ても食はないことがあるもんです。仕方がない。二日ともさつぱり釣れない。そこで幾ら何でもちつとも釣れないので、吉公は弱りました。小潮の時なら知らんこと、いゝ潮に出てゐるのに、二日ともちつとも釣れないといふのは、客はそれほどに思はないにしたところで、船頭に取つては面白くない。それも御客が、釣も出来てゐれば人間も出来てゐる人で、ブツリとも言はないでゐてくれるので却つて気がすくみます。どうも仕様がない。が、どうしても今日は土産を持たせて帰さうと思ふものですから、さあいろいろな潮行きと場処とを考へて、あれもやり、これもやつたけれども、何様しても釣れない。それが又釣れるべき筈の、月のない大潮の日。どうしても釣れないから、吉も到頭へたばつて終つて、
「やあ旦那、どうも二日とも投げられちやつて申訳がございませんなア」と言ふ。客は笑つて、
「なアにお前、申訳がございませんなんて、そんな野暮かたぎのことを言ふ筈の商売ぢやねえぢやねえか。ハヽヽ。いゝやな。もう帰るより仕方がねえ、そろそろ行かうぢやないか。」
「ヘイ、もう一ヶ処やつて見て、さうして帰りませう。」
「もう一ヶ処たつて、もうそろそろ真づみになつて来るぢやねえか。」
真づみといふのは、朝のを朝まづみ、晩のを夕まづみと申します。段々と昼になつたり夜になつたりする迫りつめた時をいふのであつて、兎角に魚は今までちつとも出て来なかつたのが、まづみになつて急に出て来たりなんかするものです。吉の腹の中では、まづみに中てたいのですが、客はわざと其反対を云つたのでした。
「ケイヅ釣に来て、こんなに晩くなつて、お前、もう一ヶ処なんて、そんなぶいきなことを言ひ出して。もうよさうよ。」
「済みませんが旦那、もう一ヶ処ちよいと当てゝ。」
と、客と船頭と言ふことがあべこべになりまして、吉は自分の思ふ方へ船をやりました。
吉は全敗に終らせたくない意地から、舟を今日までかゝつたことの無い場処へ持つて行つて、「かし」をきめるのに慎重な態度を取りながら、やがて、
「旦那、竿は一本にして、みよしの真正面へ巧く振込んで下さい」と申しました。これはその壷以外は、左右も前面も、恐ろしいカヽリであることを語つてゐるのです。客は合点して、「あいよ」とその言葉通りに実に巧く振込みましたが、心中では気乗薄であつたことも争へませんでした。すると今手にしてみた竿を置くか置かぬかに、魚の中りか芥の中りか分らぬ中り、——大魚に大ゴミのやうな中りがあり、大ゴミに大魚のやうな中りが有るもので、然様いふ中りが見えますと同時に、二段引どころではない、糸はピンと張り、竿はズイと引かれて行きさうになりましたから、客は竿尻を取つて一寸当てゝ、直に竿を立てにかゝりました。が、此方の働きは少しも向うへは通じませんで、向うの力ばかりが没義道に強うございました。竿は二本継の、普通の上物でしたが、継手の元際がミチリと小さな音がして、そして糸は敢へなく断れてしまひました。魚が来てカカリへ啣へ込んだのか、大芥が持つて行つたのか、もとより見ぬ物の正体は分りませんが、吉は又一つ此処で黒星がついて、しかも竿が駄目になつたのを見逃しはしませんで、一層心中は暗くなりました。此様いふことも無い例では有りませんが、飽までも練れた客で、「後追ひ小言」などは何も言はずに吉の方を向いて、
「帰れつていふことだよ」と笑ひましたのは、一切の事を「もう帰れ」といふ自然の命令の意味合だと軽く流して終つたのです。「ヘイ」といふよりほかは無い、吉は素直にカシを抜いて、漕ぎ出しながら、
「あつしの樗蒲一がコケだつたんです」と自語的に言つて、チヨイと片手で自分の頭を打つ真似をして笑つた。「ハヽヽ」「ハヽヽ」と軽い笑で、双方とも役者が悪くないから味な幕切を見せたのでした。
海には遊船はもとより、何の舟も見渡す限り見え無いやうになつて居ました。吉はぐいぐいと漕いで行く。余り晩くまでやつてゐたから、まづい潮になつて来た。それを江戸の方に向つて漕いで行く。さうして段々やつて来ると、陸はもう暗くなつて江戸の方遙にチラチラと燈が見えるやうになりました。吉は老いても巧いもんで、頻りと身体に調子をのせて漕ぎます。苫は既に取除けてあるし、舟はずんずんと出る。客はすることもないから、しやんとして、たゞぽかんと海面を見てゐると、もう海の小波のちらつきも段々と見えなくなって、雨ずつた空が初は少し赤味があつたが、ぼうつと薄墨になつてまゐりました。さういふ時は空と水が一緒にはならないけれども、空の明るさが海へ溶込むやうになつて、反射する気味が一つもないやうになつて来るから、水際が蒼茫と薄暗くて、たゞ水際だといふことが分る位の話、それでも水の上は明るいものです。客はなんにも所在がないから江戸の彼の燈は何処の燈だらうなどと、江戸が近くなるにつけて江戸の方を見、それからずいと東の方を見ますと、——今漕いでゐるのは少しでも潮が上から押すのですから、澪を外れた、つまり水の抵抗の少い処を漕いでゐるのでしたが、澪の方をヒョイッと見るといふと、暗いといふ程ぢやないが、余程濃い鼠色に暮れて来た、その水の中からふつと何か出ました。はてナと思つて、其儘見てゐると又何かがヒョイッと出て、今度は少し時間があつて又引込んでしまひました。葭か蘆のやうな類のものに見えたが、そんなものなら平らに水を浮いて流れる筈だし、どうしても細い棒のやうなものが、妙な調子でもつて、ツイと出ては又引込みます。何の必要があるではないが、合点が行きませぬから、
「吉や、どうもあすこの処に変なものが見えるな」と一寸声をかけました。客がヂッと見てゐるその眼の行方を見ますと、丁度その時又ヒョイッと細いものが出ました。そして又引込みました。客はもう幾度も見ましたので、
「どうも釣竿が海の中から出たやうに思へるが、何だらう。」
「さうでござんすね、どうも釣竿のやうに見えましたね。」
「併し釣竿が海の中から出る訳はねえぢやねえか。」
「だが旦那、たゞの竹竿が潮の中をころがつて行くのとは違つた調子があるので、釣竿のやうに思へるのですネ。」
吉は客の、心に幾らでも何かの興味を与へたいと思つてゐた時ですから、舟を動かしてその変なものが出た方に向ける。
「ナニ、そんなものを、お前、見たからつて仕様がねえぢやねえか。」
「だつて、あつしにも分らねえをかしなもんだから一寸後学の為に。」
「ハヽヽ、後学の為には宜かつたナ、ハヽヽ。」
吉は客にかまはず、舟をそつちへ持つて行くと、丁度途端にその細長いものが勢よく大きく出て、吉の真向を打たんばかりに現はれた。吉はチャッと片手に受留めたが、シブキがサッと顔へかゝつた。見るとたしかにそれは釣竿で、下に何かゐてグイと持つて行かうとするやうなので、なやすやうにして手をはなさずに、それをすかして見ながら、
「旦那これは釣竿です、野布袋です、良いもんのやうです。」
「フム、然様かい」と云ひながら、其竿の根の方を見て、
「ヤ、お客さんぢやねえか。」
お客さんといふのは溺死者のことを申しますので、それは漁やなんかに出る者は時々はさういふ訪問者に出会ひますから申出した言葉です。今の場合、それと見定めましたから、何も嬉しくもないことゆゑ、「お客さんぢやねえか」と、「放してしまへ」と言はぬばかりに申しましたのです。ところが吉は、
「エヽ、ですが、良い竿ですぜ」と、足らぬ明るさの中でためつすかしつ見てゐて、
「野布袋の丸でさア」と付足した。丸といふのはつなぎ竿になつてゐない物のこと。野布袋竹といふのは申すまでもなく釣竿用の良いもので、大概の釣竿は野布袋の具合のいいのを他の竹の先につないで穂竹として使ひます。丸といふと、一竿全部がそれなのです。丸が良い訳はないのですが、丸でゐて調子の良い、使へるやうなものは、稀物で、つまり良いものといふわけになるのです。
「そんなこと言つたつて欲しかあねえ」と取合ひませんでした。
が、吉には先刻客の竿をラリにさせたことも含んでゐるからでせうか、竿を取らうと思ひまして、折らぬやうに加減をしながらグイと引きました。すると中浮になつてゐた御客様は出て来ない訳には行きませんでした。中浮と申しますのは、水死者に三態あります、水面に浮ぶのが一ツ、水底に沈むのが一ツ、両者の間が即ち中浮です。引かれて死体は丁度客の坐の直ぐ前に出て来ました。
「詰らねえことをするなよ、お返し申せと言つたのに」と言ひながら、傍に来たものですから、其竿を見まするといふと、如何にも具合の好さゝうなものです。竿といふものは、節と節とが具合よく順々に、いゝ割合を以て伸びて行つたのがつまり良い竿の一条件です。今手元からずつと現はれた竿を見ますと、一目にもわかる実に良いものでしたから、その武士も、思はず竿を握りました。吉は客が竿へ手をかけたのを見ますと、自分の方では持切れませんので、「放しますよ」と云つて手を放して終つた。竿尻より上の一尺ばかりのところを持つと、竿は水の上に全身を凛とあらはして、恰も名刀の鞘を払つたやうに美しい姿を見せた。
持たない中こそ何でも無かつたが、手にして見ると其竿に対して油然として愛念が起つた。とにかく竿を放さうとして二三度こづいたが、水中の人が堅く握つてゐて離れない。もう一寸一寸に暗くなつて行く時、よくは分らないが、お客さんといふのはでつぷり肥つた、眉の細くて長いきれいなのが僅に見える、耳朶が甚だ大きい、頭は余程禿げてゐる、まあ六十近い男。着てゐる物は浅葱の無紋の木綿縮と思はれる、それに細い麻の衿のついた汗取りを下につけ、帯は何だかよく分らないけれども、ぐるりと身体が動いた時に白い足袋を穿いてゐたのが目に浸みて見えた。様子を見ると、例へば木刀にせよ、一本差して、印籠の一つも腰にしてゐる人の様子でした。
「どうしような」と思はず小声で言つた時、夕風が一ト筋さつと流れて、客は身体の何処かが寒いやうな気がした。捨てゝしまつても勿体ない、取らうかとすれば水中の主が生命がけで執念深く握つてゐるのでした。躊躇のさまを見て吉は又声をかけました。
「それは旦那、お客さんが持つて行つたつて三途川で釣をする訳でもありますまいし、お取りなすつたらどんなものでせう。」
そこで又こづいて見たけれど、どうしてなかなかしつかり掴んでゐて放しません。死んでも放さないくらゐなのですから、とてもしつかり握つてゐて取れない。といつて刃物を取出して取る訳にも行かない。小指でしつかり竿尻を掴んで、丁度それも布袋竹の節の処を握つてゐるからなかなか取れません。仕方がないから渋川流といふ訳でもないが、吾が拇指をかけて、ぎくりとやつてしまつた。指が離れる、途端に先主人は潮下に流れて行つてしまひ、竿はこちらに残りました。かりそめながら戦つた吾が掌を十分に洗つて、ふところ紙三四枚でそれを拭ひ、そのまゝ海へ捨てますと、白い紙玉は魂でゞもあるやうにふわふわと夕闇の中を流れ去りまして、やがて見えなくなりました。吉は帰りをいそぎました。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、ナア、一体どういふのだらう。なんにしても岡釣の人には違ひねえな。」
「えゝ、さうです、どうも見たこともねえ人だ。岡釣でも本所、深川、真鍋河岸や萬年のあたりでまごまごした人とも思はれねえ、あれは上の方の向島か、もっと上の方の岡釣師ですな。」
「成程勘が好い、どうもお前うまいことを言ふ、そして。」
「なアに、あれは何でもございませんよ、中気に決まつてゐますよ。岡釣をしてゐて、変な処にしやがみ込んで釣つてゐて、でかい魚を引かけた途端に中気が出る、転げ込んでしまへばそれまででせうネ。だから中気の出さうな人には平場でない処の岡釣はいけねえと昔から言ひまさあ。勿論どんなところだつて中気にいゝことはありませんがネ、ハヽヽ。」
「さうかなア。」
それでその日は帰りました。
いつもの河岸に着いて、客は竿だけ持つて家に帰らうとする。吉が
「旦那は明日は?」
「明日も出る筈になつてるんだが、休ませてもいゝや。」
「イヤ馬鹿雨でさへなければあつしやあ迎へに参りますから。」
「さうかい」と言つて別れた。
あくる朝起きてみると雨がしよしよと降つてゐる。
「あゝこの雨を孕んでやがつたんで二三日漁がまづかつたんだな。それとも赤潮でもさしてゐたのかナ。」
約束はしたが、こんなに雨が降つちや奴も出て来ないだらうと、その人は家にゐて、せうこと無しの書見などしてゐると、昼近くなつた時分に吉はやつて来た。庭口からまはらせる。
「どうも旦那、お出になるかならないかあやふやだつたけれども、あつしやあ舟を持つて来て居りました。この雨はもう直あがるに違へねえのですから参りました。御伴をしたいとも云出せねえやうな、まづい後ですが。」
「アヽさうか、よく来てくれた。いや、二三日お前にムダ骨を折らしたが、おしまひに竿が手に入るなんてまあ変なことだなア。」
「竿が手に入るてえのは釣師にや吉兆でさア。」
「ハヽヽ、だがまあ雨が降つてゐる中あ出たくねえ、雨を止ませる間遊んでゐねえ。」
「ヘイ。時に旦那、あれは?」
「あれかい。見なさい、外鴨居の上に置いてある。」
吉は勝手の方へ行つて、雑巾盥に水を持つて来る。すつかり竿をそれで洗つてから、見るといふと如何にも良い竿。ぢつと二人は検め気味に詳しく見ます。第一あんなに濡れてゐたので、重くなつてゐるべき筈だが、それがちつとも水が浸みてゐないやうにその時も思つたが、今も同じく軽い。だからこれは全く水が浸みないやうに工夫がしてあるとしか思はれない。それから節廻りの良いことは無類。さうして蛇口の処を見るといふと、素人細工に違ひないが、まあ上手に出来てゐる。それから一番太い手元の処を見ると一寸細工がある。細工といつたつて何でもないが、一寸した穴を明けて、その中に何か入れでもしたのか又塞いである。尻手縄が付いてゐた跡でもない。何か解らない。そのほかには何の異つたこともない。
「随分稀らしい良い竿だな、そしてこんな具合の好い軽い野布袋は見たことが無い。」
「さうですな、野布袋といふ奴は元来重いんでございます、そいつを重くちやいやだから、それで工夫をして、竹がまだ野に生きてゐる中に少し切目なんか入れましたり、痛めたりしまして、十分に育たないやうに片つ方をさういふやうに痛める、右なら右、左なら左の片方をさうしたのを片うきす、両方から攻めるやつを諸うきすといひます。さうして拵へると竹が熟した時に養ひが十分でないから軽い竹になるのです。」
「それはお前俺も知つてゐるが、うきすの竹はそれだから萎びたやうになつて面白くない顔つきをしてゐるぢやないか。これはさうぢやない。どういふことをして出来たのだらう、自然にかういふ竹が有つたのかなア。」
竿といふものの良いのを欲しいと思ふと、釣師は竹の生えてゐる藪に行つて自分で以てさがしたり撰んだりして、買約束をして、自分の心の儘に育てたりしますものです。さういふ竹を誰でも探しに行く。少し釣が劫を経て来るとさういふことにもなりまする。唐の時に温庭筠といふ詩人、これがどうも道楽者で高慢で、品行が悪くて仕様がない人でしたが、釣にかけては小児同様、自分で以て釣竿を得ようと思つて裴氏といふ人の林に這入り込んで良い竹を探した詩がありまする。一径互に紆直し、茅棘亦已に繁し、といふ句がありまするから、曲りくねつた細径の茅や棘を分けて、むぐり込むのです。歴尋す嬋娟の節、翦破す蒼莨根、とありまするから、一々此竹、彼竹と調べまはつた訳です。唐の時は釣が非常に行はれて、薛氏の池といふ今日まで名の残る位の釣堀さへ有つた位ですから、竿屋だとて沢山有りましたらうに、当時持囃された詩人の身で、自分で藪くぐりなんぞをしてまでも気に入つた竿を得たがつたのも、好の道なら身をやつす道理でございます。半井卜養といふ狂歌師の狂歌に、浦島が釣の竿とて呉竹の節はろくろく伸びず縮まず、といふのがありまするが、呉竹の竿など余り感心出来ぬものですが、三十六節あつたとかで大に節のことを褒めてゐまする、そんなやうなものです。それで趣味が高じて来るといふと、良いのを探すのに浮身をやつすのも自然の勢です。
二人はだんだんと竿を見入つてゐる中に、あの老人が死んでも放さずにゐた心持が次第に分つて来ました。
「どうもこんな竹は此処らに見かけねえですから、よその国の物か知れませんネ。それにしろ二間の余もあるものを持つて来るのも大変な話だし。浪人の楽な人だか何だか知らないけれども、勝手なことをやつて遊んでゐる中に中気が起つたのでせうが、何にしろ良い竿だ」と吉は云ひました。
「時にお前、蛇口を見てゐた時に、なんぢやないか、先についてゐた糸をくるくるつと捲いて腹掛のどんぶりに入れちやつたぢやねえか。」
「エヽ邪魔つけでしたから、それに、今朝それを見まして、それでわつちがこつちの人ぢやねえだらうと思つたんです。」
「どうして。」
「どうしてつたって、段々細につないでありました。段々細につなぐといふのは、はじまりの処が太い、それから次第に細いの又それより細いのと段々細くして行く。この面倒な法は加州やなんぞのやうな国に行くと、鮎を釣るのに蚊鉤など使つて釣る、その時蚊鉤がうまく水の上に落ちなければまづいんで、糸が先に落ちて後から蚊鉤が落ちてはいけない、それぢや魚が寄らない、それで段々細の糸を拵へるんです。どうして拵へますかといふと、鋏を持つて行つて良い白馬の尾の具合のいゝ、古馬にならないやつのを頂戴して来る。さうしてそれを豆腐の粕で以て上からぎゆうぎゆうと次第々々にこく。さうすると透き通るやうにきれいになる。それを十六本、右撚りなら右撚りに、最初は出来ないけれども少し慣れると訳無く出来ますことで、片撚りに撚る。さうして一つ拵へる。その次に今度は本数を減らして、前に右撚りなら今度は左撚りに片撚りに撚ります。順々に本数をへらして、右左をちがへて、一番終ひには一本になるやうにつなぎます。あつしあ加州の御客に聞いておぼえましたがネ、西の人は考がこまかい。それが定跡です。此竿は鮎をねらふのではない、テグスでやつてあるけれども、うまくこきがついて、順減らしに細くなつて行くやうにしてあります。この人も相当に釣に苦労してゐますね、切れる処を決めて置きたいからさういふことをするので、岡釣ぢや尚のことです、何処でも構はないでぶつ込むのですから、ぶち込んだ処にかゝりがあれば引かゝつてしまふ。そこで竿をいたはつて、しかも早く埒の明くやうにするには、竿の折れさうになる前に切れ処から糸のきれるやうにして置くのです。一番先の細い処から切れる訳だからそれを竿の力で割出して行けば、竿に取つては怖いことも何もない。どんな処へでもぶち込んで、引かゝつていけなくなつたら竿は折れずに糸が切れてしまふ。あとは又直ぐ鉤をくつつければそれでいゝのです。この人が竿を大事にしたことは、上手に段々細にしたところを見てもハッキリ読めましたよ。どうも小指であんなに力を入れて放さないで、まあ竿と心中したやうなもんだが、それだけ大事にしてゐたのだから、無理もねえでさあ。」
などと言つてゐる中に雨がきれかゝりになりました。主人は座敷、吉は台所へ下つて昼の食事を済ませ、遅いけれども「お出なさい」「出よう」といふので以て、二人は出ました。無論その竿を持つて、そして場所に行くまでに主人は新しく上手に自分でシカケを段々細に拵へました。
さあ出て釣り始めると、時々雨が来ましたが、前の時と違つて釣れるは、釣れるは、むやみに調子の好い釣になりました。到頭あまり釣れる為に晩くなつて終ひまして、昨日と同じやうな暮方になりました。それで、もう釣もお終ひにしようなあといふので、蛇口から糸を外して、さうしてそれを蔵つて、竿は苫裏に上げました。だんだんと帰つて来るといふと、又江戸の方に燈がチョイチョイ見えるやうになりました。客は昨日からの事を思つて、此竿を指を折つて取つたから「指折リ」と名づけようかなどと考へてゐました。吉はぐいぐい漕いで来ましたが、せつせと漕いだので、艪臍が乾いて来ました。乾くと漕ぎづらいから、自分の前の処にある柄杓を取つて潮を汲んで、身を妙にねぢつて、ばつさりと艪の臍の処に掛けました。こいつが江戸前の船頭は必ずさういふやうにするので、田舎船頭のせぬことです。身をねぢつて高い処から其処を狙つてシャッと水を掛ける、丁度その時には臍が上を向いてゐます。うまくやるもので、浮世絵好みの意気な姿です。それで吉が今身体を妙にひねつてシャッとかける、身のむきを元に返して、ヒョッと見るといふと、丁度咋日と同じ位の暗さになつてゐる時、東の方に昨日と同じやうに葭のやうなものがヒョイヒョイと見える。オヤ、と言つて船頭がそつちの方をヂッと見る、表の間に坐つてゐたお客も、船頭がオヤと言つて彼方の方を見るので、その方を見ると、薄暗くなつてゐる水の中からヒョイヒョイと、咋日と同じやうに竹が出たり引込んだりしまする。ハテ、これはと思つて、合点しかねてゐるといふと、船頭も驚きながら、旦那は気が附いたかと思つて見ると、旦那も船頭を見る。お互に何だか訳の分らない気持がしてゐるところへ、今日は少し生暖かい海の夕風が東から吹いて来ました。が、吉は忽ち強がつて、「なんでえ、この前の通りのものがそこに出て来る訳はありあしねえ、竿はこつちにあるんだから。ネエ旦那、竿はこつちにあるんぢやありませんか。」
怪を見て怪とせざる勇気で、変なものが見えても「こつちに竿があるんだからね、何でもない」といふ意味を言つたのであつたが、船頭も一寸}身を屈めて、竿の方を覗く。客も頭の上の闇を覗く。と、もう暗くなつて苫裏の処だから竿があるかないか殆ど分らない。却つて客は船頭のをかしな顔を見る、船頭は客のをかしな顔を見る。客も船頭も此世でない世界を相手の眼の中から見出したいやうな眼つきに相互に見えた。
竿はもとよりそこにあつたが、客は竿を取出して南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と言つて海へかへしてしまつた。
(昭和十三年九月)