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文学と世論 ─『人生と文学』より─

 文学と政治との間に考えられる関係を例證するような短い講義をしたいと私はずつと考えていた──すなわち、どんな問題であろうと、これほど相反する問題はなさそうにみえるが、しかも密接な関係をもつている問題なのである。諸君も御承知の通り、諸君のなかから日本の将来の文学の、新しい時代の文学の、創造者のなかに加わるものがでてきてほしいという期待を、私は度々述べてきた。このことに関連して日本文学の創造は(文学とは特に小説と詩とをさすのであるが)、私が考えるところでは、政治上からみても必要なことだと言いたい。「政治上からみて必要なこと」というのが諸君には強すぎる言葉と思えるなら、国民として必要なもの、と言おう。しかし、この講義が終りにならないうちに、「政治上からみて必要なこと」という言葉を、極めて正確な意味で私が用いたことを諸君は認められるだろう。

 私の言おうとしていることをはつきり説明するためには、先ず一国の政治において世論のしめる意義を諸君に考えてもらわねばならない。恐らく今日、日本では政治上の問題を決定するにあたつて、世論が一番重要なものとは諸君には思えぬかもしれない。世論は政治家が善処すべきもの、常に善処せねばならぬ一勢力であると諸君が認めるにしてもだ。ところが社会状態がおおいに異つており、しかも、中流階級が一国の富力を代表するような西欧諸国では、世論は全能といつてもいい位の力となりうるのだ。イギリスでは最大の力が世論であると、諸君にいう必要もないくらいである。すなわち世論とは、何か重要な問題にたいする一般国民の意見、いやむしろ感情のことなのだ。時としてはこの意見が間違つていることもあろう。しかし、正しくとも間違つていようともここでは問題ではない。これこそ戦争の賛否を決する力である、改革の賛否を決する力なのである、これこそイギリスの外交政策を極めて大きく支配する力なのだ。同様のことがフランスの世論についても言える。また、ドイツは、ロシアについで、ヨーロッパ列強のうちで最も帝国主義的な国であり、しかも、世界史上最大の軍事力を保有するのだが、世論はこの国においてもやはり政治上の大勢力なのである。なかでも、アメリカは政治としての世論の好例を示しているのである。アメリカでは、まさしく国民の感情こそ国内問題であれ、対外問題であれ、殆んどすべての重要な問題を決定すると言つてよろしかろう。

 さて、西洋ではこの世論のもつ力は一切、知識によつてその性格が決定されてくる。ある問題について正しい情報をえているときには、世人は、全体として言えば、その問題を正しく判断するものである。その問題について無知なときには、世人は勿論その問題に誤つた判断を下しがちである。ところがこれだけにはとどまらない。われわれが知識をもたない事件はいつでも不安、疑惑、あるいは、恐怖のもととなつてくる。ある問題について一国民が猜疑の感情をいだくときには、無知のせいであろうと、またはその他の理由によろうとも、この問題にたいするその国民の行動はまず間違いなく不当なものとなろう。各国民は、各個人と同様に、それぞれの偏見や、迷信や、不信義や、背徳の行為をもつているものである。こういうものはすべて、勿論のこと、無知か利己主義の、或いはこの両者双方から生れるものだ。むしろ、この世界に存する一切の悪弊は無知の結果するところだと率直に言つた方がよろしかろう。利己主義というものでさえ無知ということがなければ到底存在しえぬものであるからだ。諸君は現代史を読んでいるときに気づかれたであろうが、一国民の知性と教育の程度とが高ければ高いほど、言葉をかえれば無知でなければないほど、対外問題にたいして、その国民のとる政策はどこか正義を思わせる特徴をおびているものである。

 ところで、今日、遠く離れた外国の問題にたいして、国民の感情はどのようにしてつくられているのだろうか。諸君のなかには新聞紙による、と答える人もあろう──この答はある程度正しかろう。しかし、いささか正しいにすぎないのだ。そのわけは、新聞紙は一般に当面の問題以外には取扱わないし、新聞記者でさえ外国のしかも不慣れな問題についてたまたま持合わせている知識をもとにして記事をかきうるにすぎないからだ。新聞紙はこのような問題については正確な知識をひろめるよりも、偏見をつくりだすほうにまわつている、それに、新聞紙の影響はいつでもその場かぎりのものだと、私は言いたい。他国民や他国の文物にたいする意見をつくりあげるほんとうの力は文学──すなわち小説と詩なのだ。ヨーロッパの一国民が他国民について知つていることは、統計とかまじめな史書とか学究的な旅行記などからではなくて、その国民の文学──その国民の感情生活の表現である文学、これから主としてえられているのだ。

 西洋諸国の世論が偉人の教訓や、少数者のもつ学識で形成されうるなどと決して考えてはならない。世論とは、私の言う意味では、決して知識の生みだす力ではない。到底、世論は知的な力となれるものではない。世論は概して感情的なものである。道義的なものではあろうが、決してそれ以上のものではない。それなのに、イギリスの国務大臣はいつも世論を尊重せねばならないし、また世論に服從しなければならないことが実に多いのである。しかるに世論は、すでに述べたように、空想の書、感情の書によつてつくられるのである。純粋の科学や哲学の書物が読めるのはわずか数千の人々にすぎない。ところが数百萬の人間が、感情にふれ、そして感情を通じて判断力を支配する物語りや詩歌を読むのである。

 諸外国にたいするイギリス人一般の感情はおもにこういう文学によつてつくられてきたと私は言いたいのだ。しかし、注目すべき一例──すなわち、ロシアの場合を、諸君に示す余裕しかない。私が少年のころイギリスの大衆はロシアについては、ロシアの兵士が極めて頑強な軍人であるということをのぞけば、知り甲斐のあることは全く何も知らなかつた。しかし戦闘能力というものは、イギリス人はおおいに賞賛するのであるが、野蛮人の間にさえみいだせるものだ。それにイギリス軍がロシア軍と戦つた経験では、もつと高級な賞賛の辞を與えてよい理由はえられなかつたのである。実際のところ十九世紀の中葉までは、イギリスではロシア人は正眞正銘の人間の仲間とはまず考えられていなかつた。ロシア人の習慣やロシアの政治について知られていたわずかな知識は、反感を是正するようなものではなかつた──いや正反対であつたのだ。軍律の苛酷、シベリアの監獄の恐怖──こういつたことが屡々噂されていた。テニソンの初期の詩のなかにさえ、「王女」という詩の詩句のなかにすら、ロシアについてかかれた実に恐ろしい描写をみることだろう。

 こういつたことは程なく一変するにいたつた。間もなくロシアの大作家達の作品の佛訳、独訳、英訳が出はじめてきたのである。英語に直接翻訳されたこの種の作品のうちで、第一に注目すべきものは、トルストイの「コサック」であつたと私は思う。その翻訳者はぺトロブルグ駐剳(ちゆうさつ)アメリカ公使スカイラー氏であつた。フランスの大作家メリメはゴーゴリやプーシュキンの傑作を二つ三つすでに翻訳していた。これらの訳書は異常な関心をよびおこしかけていた。しかし、ツルゲネフ、ドストエフスキー、その他の大小説がひきつづいて訳出されて、それ以上の異常な関心が喚起されたのである。ツルゲネフは特にヨーロッパ各国の知識層の間で人気をえた。彼は生きているロシアの実状を描いていた──すなわち、ロシア国民の本心を、ロシア国民の本心だけでなくロシア大帝国のすべての階級の感情と風習とを描きだしていたのである。彼の小説はたちまち世界的な小説、十九世紀の古典となつた。彼の小説を読むことは文学的教養として不可缺のものと考えられたのである。ツルゲネフにつづいて、ロシアの小説のなかの多数の傑作がヨーロッパのほとんど各国語に翻訳された。これだけにとどまらなかつた。ロシアの偉大な知性は、突如として覚醒したのであるが、応用科学の深遠な各部門にまで大きく影響力をもつようになつた。現代の最も注目すべき化学上の発見、すなわち原子量の法則に関する発見はロシア人の発見したものであつた。北部アジア地方で達成された人文地理学上の最も立派な業績はクロポトキン公の業績であつた。公は今日なお存命であつて、素晴しい書物や回想記を著している。私は幾百というなかから二つの例をあげているにすぎない。医学で、言語学で、そのほか多くの科学の部門で、ロシア人の業績と思想とのあたえる影響が今日ひろく認められている。しかし、科学者がロシア人の知性を尊敬すべき理由をどれほど見出そうとも、一国民が外国で理解されるようになるのは決して知性によるのではない。ロシアを理解させるという偉大な事業は主にロシアの小説家と物語り作家とがなしとげたことだ。少数のスカンディナヴィアの作家の作品をのぞけば西洋の文学には匹敵すべきものがないほどの素朴な力をもつて描かれているあの作品を読んでみたとき、西洋の諸大国は、ロシア人を自分達と血縁関係のない国民と考えることはもうできなかつたのだ。人間の心がロシアでは、丁度イギリス、フランス、ドイツでみられるように、ものに感じ、愛を抱き、悩んでいることをこれらの作品は明らかにしていた。しかもこれらの作品はロシア国民に、ロシアの大衆に特有な、実に立派な美徳について──彼等の無限の忍耐力、勇気、偉大な信念についてもまた語るところがあつたのである。こういう作品の描く人生が美しいとは言えないにしても(こういう描写は極めて恐ろしい、残酷なものが多い)、その紙背には人間性のもつ美しさがおおいにひそんでいるのである。ツルゲネフとその一派の作家たちとが小説のなかに漂わす暗さは、対照によつて明るさを一層美しくみせる役を果しているにすぎない。ところで、その結果はどういうことになつているのであろうか。ロシア国民にたいする西洋人の感情が一変したのである。ロシア政府について西洋人の考えがすつかり変つたというのではない。政治的にはロシアは依然としてヨーロッパの悪夢である。しかしロシア人とはどんな国民か、これはロシア文学によつて知られたし、しかもはつきりと知られたのだ。そして世間の人々は憎悪と嫌悪との情の代りに温かい、人間として互いに感じあう気持をいだいたのである。この憎悪と嫌悪とはロシア人一般について世人が論ずるとき、從来特徴となつていたものであつた。

 今となれば諸君には私の言おうとすること、私の目的とするところがはつきりしたであろう。ロシアの国民は巨大な強力なものではあるが、この日本の人々の間には数千年にわたつてみられなかつたような大変な缺点を、もつているのである。文明というものが行儀作法や道徳、教育や産業を意味するのであれば、日本人は数百年前においても今日のロシア人より、否、今後遠い未来のロシア人よりも、遥かに文化的であつた、と私はほんとうに言いたい。しかるに日本については、西洋諸国にどんなことが知られているのだろうか。絶無にちかいのである。日本に来てみたことがあつて、日本について何か知識をもつている数百人の富豪連中がいないなぞと言うのではない。数千という日本見聞記がこういう旅行者の手で著わされている。しかし、こうした旅行家や著作家が代表している背景はとても狭い。確かにこの連中はどんな点からみても国民の世論を代表しているのではない。西洋の諸大国の国民──諸国の大衆──は丁度十九世紀の初めにほとんどロシアを知らなかつたように、同じ程度に日本を知らないのだ。日本は戦争に強い、鉄道がある、軍艦がある、のだと知つている。しかもこれが、大衆の心に印象を與えている殆んど一切のものなのだ。ヨーロッパの知識階級はもつともつと日本のことを知っている、だが、すでに述べたように、この知識階級が世論を形成するものではない。世論は主に感情的なものであつて、思考的なものではない。一国民の感情に知性を通じてふれることはできない、感情には心を通じてふれねばならないのだ。これができるのは一団の人々しかいないのだ──それはこの国の文藝家なのである。大臣、外交官、学界の代表者──こういう人々は誰もこれはできない。たつた一人でも大小説家が、大詩人がいれば、立派にそれを実行するだろう。外国生れの、日本語を知らぬ者ではどんなことをしても誰もできることではない。日本人が考え、日本人がかいた、しかも外国風の思想や、外国風の感情に全然おかされていない日本文学によつてのみ、このことは達成されるのである。

 実例をあげてこの事実をもう少し明瞭に諸君に示すことにしよう。今日では日本について外国人が著わした書物の数は数千という数に及んでいる。毎年この問題を扱つた新刊書が少くとも十二冊はでる。それだのに西洋の読書人たちは日本のことを何も知らないのだ。それからまた、西洋人が東洋の全国民にたいしていだいているとても強い偏見を和げるような結果を、これらの書物が招来したとは決して言えないのである──この偏見とは一部は生来もつている民族的感情の結果するものであり、また一部は宗教的感情の結果するものなのだ。宗教的偏見に反抗してみて初めてこの偏見の強大さを思い知ることができると、ハックスレーが言つたことがある。一般的に言えば、他国民の宗教にたいして西洋人の抱いている偏見に反抗しようとする人々は、軽蔑できるときはいつでも軽蔑されるし、軽蔑できないときには、あらゆる手段をつくして無視されるか、反撃されるか、このいずれかである。東洋諸民族の宗教書を翻訳しようとしたオックスフォード大学の壮挙でさえ、各方面でひどく非難されたほどである。そして翻訳に従事した人々は、今でも、東洋の宗教を実際以上に深遠なものとみせかけていると言つて非難されているのだ。偏見の一つの形を示す例としてこの事実を私はあげたのである、その他に数百という実例がある。今日、こういう偏見に反抗しようと企てる人は誰でも公平な立場で意見をきいてもらえない。しかし、日本の文物、倫理、産業、或は信仰について表明された賛辞は利己的な動機から──すなわち追従(ついしよう)や畏怖や個人的な利得をもとにして、発言されている。しかるに、ひどい、誤つた、馬鹿げた発言は、勇敢な、率直な、自主独立の、非常に賢明な人々の発言である、以上が世間一般の意見である。では、なぜこうなつているのだろうか。賞賛非難ともに外国人のみが発言しているからだ。日本人の生活、思想、性格について外国人が今日言つていることは、不利な影響を相当大きく與えるかもしれないが、有利な影響はまずもたらさないものであろう。これは避けがたいことなのだ。その上、最高の識見と高邁な精神とを必要とする方面で外国人が完成した業績は、西洋の読者大衆などの到底理解しえないような種類のものであつたことを忘れてはならない。そういう業績は知識人の狭い世界でのみ理解されるにすぎない。諸君は偉大な民族の精神に、一片の旅行記や随筆や、或いは西洋人の感情と少しも共通点をもたない文学の翻訳によつて、ふれることはできないのだ。もつと人間味にみちた文学、小説と詩、小説と物語りによつてはじめてそういう心にふれることができる。外国人だけがロシアのことをかいていたのであれば、イギリス国民は今でもロシアの上流階級を野蛮人と考えているだろうし、この偉大な民族が自分たちと人間同士のつながりをもつていることは考えつきもしなかつたであろう。一切の偏見は無知によつて生ずる、無知は一段と高尚な感情に訴えることによつて、一番よく一掃できるものだ。しかしてこの一段と高尚な感情は純粋な文学によつて一番よくめざめさせられるのだ。

 諸君のなかには、「西洋諸国の無知な連中の偏見や愚鈍さを気にする必要が何があるのか」と反問したくなつている人が一人ならずあるように私には思える。さよう、私がすでに述べたところであるが、どちらかと言えば無知で愚昧な幾百萬の大衆が国策をおおいに左右しているのである。西洋諸国の政府の対外政策を律するものは、賢明な人々の意見どころか、実に無知な人々の意見なのだ。これだけでも立派な理由となるだろう。しかし私は話をすすめよう。そして、近代的な日本文学が、私が今唱えているような文学が存在していない事実が、間接には、通商上の理由からも遺憾とされるべきだと言おう。たしかに通商貿易は必ずしも道義的な仕事でない。そういうものは絶対的な道義によるのでなく、相対的な道義によつて営まれる。ひとことで言えば、実業は道徳ではない。それは一種の競争である。そしてどんな競争でも戦争という性格をおびているものだ。しかしこの戦争でも、必然的なことであつてしかもさけられないことなのだが、双方の当事者が相手にいだく感情がおおいに力をもつているのである。実業においてさえ、共感というものに、また、正邪と苦楽とにたいする極めて素朴な感情の理解に、よるところが実に大きいのである。なぜならば、結局においては、一切の人間の利害はこういうものに基いているからである。外国で共感をよびおこしうるような日本文学は取引状態を改善し、取引先を拡大する上に大きな効果をもつであろうと私は確信している。商業の大半は冒険なのである。吾人が相手方の実情をすつかり知りつくさないで冒険をおかすときには、吾人は多少とも敵の立場に立つているのである。手短かに言えば、人々には自分たちののみこめないことはこわいのである。しかるにこの理解は、まじめな文藝家の労作によつて行きわたるときほどすみやかに行きわたる道はないのである。話のついでに申上げておくが、私は最近、日本の国情を知らせてくれと言つてきた外国商人の手紙をみたのだが、その手紙は筆者が月に関する知識よりも、はるかに日本に関する知識に乏しいことを示していた。十年の歳月があれば、二、三冊の本が──いや、一冊の立派な本でもよいが──実業人の世界に、幾百萬という人々に、日本の正しく、すぐれたところを知らせることができるだろう。

 こういう考えを私はできるかぎり大ざつぱな単純なやりかたで諸君の前にならべたのである。それは、これらの感想がこの問題について十分議論をつくしていると私に思えるからではなくて、諸君を刺激してこの問題をまじめに考えさせるようなものを何か含んでいる、と思うからである。吾人は、戦争に勝利を収めるのと全く同じ程度の功労を、書物を著わすことによつて国家へつくしうるのである。諸君は先日この事実を立證する證拠をみた。すなわち、イギリスのある若い作家が病気になつたところ、その結果、世界中で、幾百萬人という人々の見舞を彼につたえるため電信が活動させられたし、また一方では諸国の国王や皇帝がその病状を見舞つたのであつた。この青年は何をしていたのであろうか。イギリス国民に、お互い同士の心を今までよりももつと理解させ、そしてまた、他国民にイギリス人を愈々理解させていた短篇小説を少しと、短い詩を少しかいた以外には何もしていなかつたのだ。このような人間こそ一人の国王よりもその国にとつてほんとうに尊いのである。諸君がこのことを心に銘記されるなら、私が講義してきたことも将来いつか立派な実をむすぶことを私は深く信ずるものである。

 

     読書論

 

 学期も終りに近づいてきたので、書物や典拠をはなれて、諸外国の文藝創作家の間にみられる実地経験の成果をできるかぎり説明するような連続講義を約束した私の責任を果したと思つている。この学期の講義題目は「読書論」としよう──みかけは極めて簡単な題目であろうが、実際にはそれほど簡単ではなく、諸君が考えるよりはずつと大切なものである。読書のしかたを知つている人は殆んどいない、という言葉でこの講義を始めることにする。

(以下。割愛)

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2002/09/03

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小泉 八雲

コイズミ ヤクモ
こいずみ やくも=ラフカディオ・ハーン 文学者・思想家 1850・6・27~1904・926 ギリシャ・アイオニアのリュカディヤに生まれる。父はアイルランド人、母はギリシャ人か。1890(明治23)年来日、山陰松江の中学に教鞭をとり、熊本五高等を経て1895(明治28)年「小泉八雲」として日本国に帰化、同年12月東京帝大に招かれ英文学講座を担当した。

日本への愛と理解を示す多くの著作があるなかで、掲載作は新鮮な視線と視野を以て「文学」を講じたみごとな講義録であり、巻頭一編が示唆する政治的とも自称した高邁な文学観は卓越していた。八雲は自分の講義を聴く学生から勝れた小説家や詩人の出ることを実際に期待していて、その気合いは掲載の一編にも発露し力がある。夏目漱石は小泉八雲の後任であった。

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