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有時(うじ)

ぶつかりもせず綿虫の盲飛び  (平成十年)

 

冬霧につぎつぎ裸灯となれり

 

脚長き椅子が軋みて夜泣蕎麦

 

地平枯れ第九聴かむと集ふなり

 

雪景色よき隔たりの橋二つ

 

風収まれり枯蓮の折られ損

 

満身で悔い若鮎の釣られたる

 

引鶴の一羽遅れしあかね空

 

午後居らず朧の辻の刃物研ぎ

 

岐れ路やユダの裔なる蛇苺

 

山頭火得度の寺や地虫出づ  報恩寺

 

鐘失せし味取観音笹鳴けり

 

薩軍墓地陽炎蔽ふには足らず

 

梅固し崩落しるき士卒墓

 

無念でごわす田原坂寒かと

 

逆襲の幻を待つ木の芽坂

 

マンションに残る佃湯春のれん

 

三味線草まづ呆けたり芝翫河岸

 

茎立ちや上品づくり浅蜊めし

 

春愁や佃煮匂ふ舟溜り

 

雨雲の寧波(にんぽう)埠頭燕来る

 

道元上陸地に立つ小雨青き中

 

橡咲けり古塔の階に裸の灯

 

楼上飛燕西湖一望青時雨

 

行く春の弥勒布袋となり給ふ

 

春惜しむには雑然と黄甫江

 

泰山木の月夜が見たし魯迅墓

 

天童寺の精進料理梅雨典座(てんぞ)

 

五月雨に傾ぎて虎丘雲巌寺

 

梅雨四壁出口封じて鏖殺(みなごろし)  盤門

 

思ひきや寝釈迦に夏掛実布団

 

僧衣みな黄なり空木(うつぎ)の飛花落花

 

熱烈歓迎額大仰や梅雨ホテル

 

龍井(ロンジン)茶蓋ずらし喫み涼しけれ

 

生ま足といふ語汗して唾棄すべし

 

塀の上長歩きして月下の猫

 

絵金屏風裸火で見る夏まつり

 

風死せり殺し絵に燭伸びあがり

 

熊蝉や欠け墓武市半平太

 

川無くて播磨屋橋や夏つばめ

 

ジャズ化して甦る曲秋ざくら

 

遠見には姉と空似の秋遍路

 

肥後盆唄哀調は恋の本音にて

 

秋蝉の無傷息災なるに死す

 

西日ゆゑ修羅回想の青春は

 

白地着て手足を羞づる齢かな

 

扱ひにいたはりごころ竹夫人

 

夕澄むは水のみならず追憶も

 

停るときのみ意志ひかり鳥威(とりおどし)

 

自画像に自愛の色の緑さす

 

灯下親しテレビいづこもメロドラマ

 

久女の声知る人絶えて草の花

 

もう鳴かぬえんま蟋蟀高歩む

 

戸島灯台見えて過ぎゆく秋の航

 

阿蘇の裾芒峠となるを越ゆ

 

息白く面壁開祖肯へり宝慶寺

 

寂円の寺へ雪降る胸突き坂

 

面壁の山が初雪座禅石

 

頂相(ちんぞう)の「月見道元」雪も佳き

 

九頭竜のいはれの蛇行雪降れり

 

月の夜はさぞやと雪の宝慶寺

 

文人墨客往来の宿隙間風

 

一乗谷冬日光るはみな遺跡

 

雪起しにも膝起す義景か

 

むかし祖母あり存分に冬青空  (平成十一年)

 

声暮るるまで寒禽の遠こだま

 

覚め際に大和坐りの雪をんな

 

日が沈む短か鳴きして嫁が君

 

枯蓮の吹かれて一人芝居かな

 

道元の童子のころの有髪(うはつ)

 

三寒四温せり実朝の海なれば  鎌倉五句

 

東風もをりをり薄ら日の昼渚

 

風切羽ひかる旋回東風(こち)の鳩

 

巫女仰ぎゆけり芽吹きの大銀杏

 

昼餉狙ひて油断がならじ春の鳶

 

夕日いま火の鳥となり雁帰る

 

命終に何思ひしや西行忌

 

地の底も虚構のけはひ地虫出づ

 

愛染や八方に散る子かまきり

 

砂浜へ五体投地の武者絵凧

 

城亡ぶ落花狼藉の黒髪も

 

終章はかがやけと滝凍るなり

 

行きずりの風にも応へ枯蓮(かれはちす)

 

未来志向は港の言葉燕くる

 

赤褌(あかふん)で泳ぎし海洋少年団  さういへば、われも

 

石階で初蝶に会ひすぐ暮色

 

吹かるる方へ初蝶のいのち艶

 

(ほお)咲けり老犬はただ愛咬す

 

澄みきるまで余生はあらじ藤の花

 

すかんぽや最も剛き情脆し

 

風の夜は声出し惜しみ遠蛙

 

幻の兵馬を埋めて春惜しむ  西安

 

燕きて土に戻れず兵馬俑

 

飛燕みな高し蒼天八達嶺

 

長城薄暑女坂とて侮れず

 

やや傾く大雁塔も春の日も

 

夜光杯挙げて敦煌朱夏の月  団員誕生祝

 

春愁の微笑白面脇菩薩

 

砂丘落日駱駝の緩歩日焼けせり

 

陽関灼けこれより西に故人なし

 

霓裳羽衣(げいしょううい)裸身にあらず飛天舞ふ

 

長城より見下ろす万緑的世界

 

武人俑真顔ばかりの木下闇

 

草矢狙ふべし直立の武人俑

 

遠景のひとつ炎天狼煙(のろし)

 

故宮涼し献上時計みな黙す

 

鯉の口()き危しや水すまし

 

駱駝の鈴吊れど風鈴のみ鳴れり

 

潮騒の眼下はけぶり梅雨満月

 

解剖といふ遊びあり葛の花

 

海へ撞く鐘は秋なり瑞巌寺

 

五大堂海へせり出す蜩まで

 

殉死墓整然二列吾亦紅

 

絶景かと唇尖らせて朱のカンナ

 

壺の碑の韃靼遠し草紅葉

 

伊達羽織いまも伊達なり秋燕

 

芭蕉曽良菊人形になりがたき

 

三つ星の二つはすでに露灯  原裕、川崎三郎との三人の会

 

なかんづく風花斜め石舞台

 

色鳥に欝の日もあり中宮寺

 

命終まで一筋ならず花八つ手

 

散る修羅も見えて山茶花月夜かな

 

熟れすぎの身を曳き出され烏瓜

 

巫女衣裳暗きに脱ぎて息白し

 

怠りてまた今日を消す花八つ手  (平成十二年)

 

究極は祷りのかたち枯蟷螂

 

見目よけれ然し鳥肌垢離女(こりをんな)

 

木洩れ日のちらつき嫌ふ浮寝鳥

 

叔母寒き仰臥臨終間に合はず

 

天寿了へ良き顔寒き世に遺す

 

高齢の死顔似たり冬灯

 

叔父の許へ帰り給へと笹鳴けり

 

遺骸に侍しわが家三人凍頒つ

 

永病みを看取りし妻よ寒昴

 

献体の遺髪切らむと悴めり

 

凍枕献体の叔母引取られ

 

在りやうも寂光の中かまど猫

 

闇穢すこともこの世の白障子

 

いつもの辻鋳掛屋(いかけや)がゐて日脚伸ぶ

 

洗ひざらひ見られ不興の枯蓮

 

助走して風に乗る術凧覚ゆ

 

常闇(とこやみ)の秘仏も修羅や冴返り

 

父と酌むことなかりしよ雪見酒

 

夭折の母は居らぬか雪をんな

 

金沢のおせちを好む老いづけば

 

蕪ずし賜ひし井上雪さん亡き

 

山の木に紛れて朴は裸木に

 

点描の冬芽ぞ曇る山毛欅(ぶな)

 

ニコライの鐘は黙せり虎落(もがり)

 

水仙の主張一括束ね活く

 

ミモザの黄怺へて曇る水鏡

 

石組みも虚構のけはひ地虫出づ

 

春愁の瞳はあらず女面

 

溶けそめて涙目で佇つ雪女

 

揚雲雀いづこぞ筑波山まぢか

 

雲雀落ちて石切山真二つ

 

歌垣や踏んではならじ仏の座

 

回廊の下は奈落や木々芽吹く

 

春陰の門の左右に大毛綱  笠間稲荷

 

大津絵の板に描きたる鬼うらら

 

麗らかや魯山人居の五右衛門風呂

 

卓に肘つけば春愁魯山人

 

魯山人の晩年松の芯曲がる

 

好晴や萌え色そよぐ長屋門

 

光りつつまだ裸木や馬籠みち

 

峠路は面伏せのぼる桜東風(さくらこち)

 

かげろへり少年藤村素読(そどく)の間

 

「夜明け前」の稿へ影して恋雀

 

虫出しの雷や半蔵座敷牢

 

冴返る脇本陣の隠し部屋

 

安曇野に山葵が咲けり抱き仏

 

山葵田に大王の名ののどかなり

 

さくら咲き煉瓦古りたる碌山館

 

目借時とんがり頭文覚は

 

惜春の裸婦像なれば臥しまろぶ

 

膝立ちに満身の春を羞らへる

 

中空より蜘蛛吹かれくる和合仏

 

越えなやむ初蝶ひとつ高野槇  空穂生家

 

松の芯曲るありのまま生きたし

 

悪声とおのれ思はず牛蛙

 

誤算かな雨の溜りし蟻地獄

 

必殺わざ一瞬に決め蟻地獄

 

あけぼのや水明りして榛の花

 

囀りのしばらく真うへ天守閣

 

犀星がゐて文士村緑濃き

 

宙吊りの毛虫がひかり義民墓

 

空蝉や自分史なれば「もしも」なし

 

ルーペ界蛾族つくづく古貌なる

 

濃き影が来て本体も黒揚羽

 

鳥肌も自尊のひとつ羽抜鶏

 

試し音にしては度外れ祭笛

 

空よりも水田に濃しや佐久の虹

 

みな落ちて死ぬ蝉たちの山河かな

 

身を投げて修羅の生きざま蠅虎(はえとりぐも)

 

沙羅大樹落花燦たり且つ惨たり

 

流速は光となれり水芭蕉

 

疎開時の空深きかな端居して

 

濃き淡き人への思ひ水澄めり

 

夏逝くと橋が灯りて水鏡

 

影歪ませてゆがむなり月の壺

 

泉の舌触るるてのひら古稀迎ふ

 

秋の蚊の素通りしたる禿げ頭

 

木曽御嶽覗く峠路葛咲けり

 

晩夏なり日向日蔭を川分つ

 

木曽大橋万緑に架け過疎の村

 

浦島の寝覚岩てふ灼けゐたり

 

半世紀後の今浦島や木下闇(こしたやみ)

 

屋根石灼け疎開時の妻小学生

 

昔のままコスモス咲けり関所跡

 

片蔭の濃き昼下り奈良井宿

 

千本格子は朝顔似合ふ宿場町

 

杉玉は灼かじと木曽の(のき)深し

 

日盛りや工房灯るお六櫛

 

義仲の墓の下闇むかし濃き

 

天井桟敷へ夕日が赫と夏了る

 

秋蜥蜴ゆく石畳ばてれん墓

 

遠景は乱れず風の花すすき

 

犇きて発す鴨ともいへぬ声

 

西空は富士が淡くて木の実落つ

 

うしろ姿も衰へをらむ木の葉髪

 

水鏡冬日かがやき来るを待つ

 

頬杖す冬の愁ひといふならむ

 

逆光に徹する木々や寒落暉

 

濃淡の過去のさまざま冬帽子

 

冬満月木立より塔出現す

 

夢殿を出て木枯しの横なぐり

 

晒さるる誤算もありて烏瓜

 

枯蓮の自己流うつす水鏡

 

風船かづら遊ぶにはよき風生れ

 

毒醸しゐるかも蝮深ねむり

 

されど直立花了へし曼珠沙華

 

東北へひろがる仲間鵙の晴

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2002/03/04

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倉橋 羊村

クラハシ ヨウソン
くらはし ようそん 俳人 1931年 神奈川県横浜市に生まれる。本名・裕。

掲載句は、2001(平成13)年5月本阿弥書店刊の句集『有時』より、平成10、11、12年の作句を抄した。