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火の柱(抄)

十四 承前)

 と篠田はお花を(はげ)ましつ「(まこと)に世の中は不幸なる人の集合(あつまり)と云うても差支(さしつかへ)ない程です、現に今ま(こゝ)団欒(よつ)てる五人を御覧なさい、皆な社会(よのなか)の不具者です、渡辺の老女(おば)さんは、旦那様が鹿児島の戦争(=西南戦争)で討死(うちじに)をなされた後は、賃機(ちんはた)織つて一人の御子息を教育なされたのが、愈々(いよいよ)学校卒業と云ふ時に肺結核で御亡(おなく)なり、――大和君の家は()と越後の豪農です、阿父(おとつ)さんが国会開設の運動に、地所も家も打ち込んで仕舞ひなすつたので、今の議員などの中には、大和君の(うち)の厄介になつた人が幾人あるとも知れないが、今ま一人でも其の遺児を顧るものは無い、()かし大和君は我も殆ど乞食同様の貧しき苦痛を()めたから、同じ境遇の者を救はねばならぬと、此の近所の貧乏人の子女(こども)の為め今度学校を開いたので、今夜のクリスマスを以て其の開校式を挙げた積りのです、――兼吉君のことは花さん、既に御聞になつたでせう、兼吉君の阿父(おとつ)さんが、自分の財産(しんだい)を挙げて保証(うけにん)の義務を果たすと云ふ律義な人で(なか)つたならば、老婆(おばあ)さんも今頃は塩問屋の後室(おふくろさま)で、兼吉君は立派に(よね)さんと云ふ方の良人(をつと)として居られるのでせう、――私自身を言うて見ても、秩父(ちゝぶ)暴動と云ふことは、明治の舞台を飾る小さき花輪になつて居るけれ共、其犠牲になつた無名氏の一人の遺児(かたみ)が、父母より譲受(ゆづりう)けた手と足とを力に、亜米利加(アメリカ)から欧羅巴(ヨウロツパ)まで、荒き浮世の波風を(しの)ぎ廻つて、今日コヽに同じ境遇の人達と(へだて)なく語り合つて居るのです、私の近き血縁を云へば(たつ)た一人の伯母がある、今でも訪ふ人なき秩父の山中に孤独(ひとり)で居る、世の中は不人情なものだと断念して(どう)しても出て来ない、――花さん、屈辱(はぢ)を言へば、貴女一人の生涯ではない、()だ屈辱の真味を知るものが、始めて(ひと)を屈辱から救ふことが出来るのです」

 一座しんみりと(かしら)を垂れぬ、

「御覧なさい、救世主として崇敬(うやま)はるゝ耶蘇(イエス)の御生涯を」と篠田は壁上の扁額(がく)を指しつ「馬槽(うまぶね)に始まつて、十字架に終り給うたではありませんか」

 

     十五

 

 多事多難なりける明治三十六年も今日に尽きて、今は其の夜にさへなりにけり、寺々には百八煩悩の鐘鳴り響き、各教会には除夜の集会(あつまり)開かる、

 永阪教会には、過般篠田長二除名の騒擾(さうぜう)ありし以来、信徒の心も離れ離れとなりて、日常(つね)例会(あつまり)もはかばかしからず、信徒の希望(のぞみ)なる基督降誕祭(クリスマス)さへ極めて寂蓼(せきれう)なりし程なれば、除夜の集会(あつまり)人足稀(ひとあしまれ)なるも道理(ことわり)なりけり、

 時刻(とき)には()(ひま)あり、(まう)で来し人も多くは牧師館に赴きて、広き会堂電燈(いたづ)らに寂しき光を放つのみなるに、不思議や()へなる洋琴(オルガン)調(しらべ)、美しき讃歌の声、固く(とざ)せる玻璃窓(はりまど)をかすかに洩れて、暗夜の寒風に(ふる)へて急ぐ憂き世の人の足をさへ、()ばし(とゞ)めしむ、

 洋琴の前に座したるは山木梅子、(かたへ)に聴き()れたるは渡辺の老女、

「今度は老女(おば)さんのお好きな歌を弾きませう」と、梅子が譜本繰り返へすを、老女はジツと見やりて思はず酸鼻(はなすゝ)りぬ、

()うかなさいまして、老女(おば)さん」

 老女は袖口に()瞼拭(まぶたぬぐ)ひつ「何ネ、――又た貴嬢(あなた)亡母(おつか)さんのこと思ひ出したのですよ、――斯様(こんな)立派な貴嬢の御容子(ごようす)を一目亡奥様(せんのおくさん)にお見せ申したい様な気がしましてネ、――」

 答へんすべもなくて、()だ鍵盤に(うつぶ)ける梅子の横顔を、老女は()()くとながめ「(どう)して、梅子さん、貴嬢は()うまで奥様に似て居らつしやるでせう、さうして居らつしやる御容子ツたら、亡母(おつか)さん其儘(そのまゝ)()らつしやるんですもの――此の洋琴(オルガン)はゼームス(さん)が亡母さんの為めに寄附なされたのですから、貴嬢が之をお弾きなされば、奥様(おくさん)(みたま)何程(どんな)に喜んで聴いてらつしやるかと思ひましてネ――オホヽ梅子さん、又た年老(としより)の愚痴話、御免遊ばせ――」

「アラ、老女(おば)さん、そんなこと――此の教会で亡(はゝ)のこと知つてて下ださるのは、今は最早(もう)老女さん御一人でせう、(うち)でもネ、乳母(ばあや)が亡母のこと言ひ出しては泣きます時にネ、きツと老女さんのこと申すのですよ、(わたし)、老女さんに抱いて戴いて、亡(はゝ)永訣(おしまひ)の挨拶をしたのですとネ、――私、老女さん、此の洋琴に向ひますとネ、()うやら亡母が背後(うしろ)から手を取つて、弾いてでも呉れる様な気が致しましてネ、不図(ふと)、振り向いて見たりなどすることがあるんですよ、――私ネ、老女さん、此の教会を棄てることの出来ないのは、こればかりなんです――」

「まア、貴嬢(あなた)、飛んでも無いこと(おつ)しやいます、此上貴嬢が退会でもなさろものなら、教会は(まる)で闇ですよ、篠田さんの御退会で――」

 思はず言ひ掛けて、老女は(にはか)に口に手を当てぬ、

「ほんとに老女(おば)さん、篠田さんのことでは私、皆様にお顔向けがならないのです、――老女さん、近く篠田さんに御面会(おあひ)なさいまして――」

「ついネ、此の廿五日にも参上(あが)つたのですよ、御近所の貧乏人の子女(こども)御招(および)なすつて、クリスマスの御祝をなさいましてネ、――其れに余りお広くもない御家(おうち)に築地の女殺(をんなごろし)八釜(やかまし)かつた男の(おや)だの、自由廃業した藝妓(げいしや)だのツて御世話なすつて居らつしやるんですよ、ほんとに感心な方ですことネ――」

「其の藝妓(げいしや)のことで、老女(おば)さん、新聞などには大層、篠田さんの悪口が書いてあつたぢやありませんか」梅子の声は低く震へり、

左様(さう)ですツてネ、貴嬢(あなた)、篠田さんが自分の妾になさるんだとか何とか(かき)ましたつてネ、()まり、馬鹿々々しいぢやありませんか、ナニ、皆な自分の心で(ひと)を計るのですよ、クリスマスの翌日、()の慈愛館へ()れてお(いで)になりましたがネ、――貴嬢、私の(せがれ)が生きてると丁度(ちやうど)篠田(さん)と同年のですよ、私、()の方を見ると何時(いつ)でも涙が出ましてネ」

 梅子はホツと面赧(かほあか)らめつ「何と云ふ失礼な新聞でせうねエ」

 此時、ベンチにはボツボツ人の顔見えぬ、長谷川牧師は扉を排して入り来れり、浅き微笑を頬辺(けふへん)に浮べて、

 

     十六の一

 

 午後五時三十分、東海道の()ぼり汽車、正に大磯駅を発せんとする刹那(せつな)、プラットホームに(にはか)に足音(いそが)はしく、駅長自ら戦々兢々(せんせんきようきよう)として、一等室の扉を(ひら)けば、厚き外套に身を固めたる一個の老紳士、平たき(おもて)に半白の疎髯(そぜん)ヒネリつゝ傲然(がうぜん)として乗り入る(うし)ろより、()だ十七八の盛装せる島田髷(しまだまげ)の少女、肥満(ふとつちよう)なる体をゆすぶりつゝ(ゑみ)(かたむ)けて従へり、

 発車の笛、寒き(ゆふべ)の潮風に響きて、汽車は「ガイ」と()()りして進行を始めぬ、駅長は鞠躬如(きくきゆうじよ)として窓外に平身低頭せり、()れど車中の客は元より一瞥(いちべつ)だも与へず、

 未だ座には着くに至らざりし彼の少女は、突如たる汽車の動揺に「オヽ、()ワ」と、言ひつゝ老紳士の膝に倒れぬ、

 紳士は其儘(そのまゝ)かき(いだ)きて、其の白きもの(ほど)こせる額を恍惚(うつとり)と眺めつ「どうぢや、浜子、嬉しいかナ」と言ふ顔、少女は(こび)(たゝ)へし()に見上げつゝ「御前(ごぜん)、奥様に御睨(おにら)まれ申すのが(こは)くてなりませんの」

「ハヽヽヽヽ何に奥が怖いことあるものか、あれは梅干婆と云ふのぢやから、最早(もう)()くの()うのと云ふ年ぢや無いわい、安心しちよるが()い、——其れよりも世の中に野暮(やぼ)なは、其方(そち)の伯父ぢや、昔時(むかし)は壮士ぢやらうが、浪人ぢやらうが、今は兎に角藝人の片端(かたはし)ぢや、此頃の乱暴は()うぢや、(めひ)を売つて権門に(へつら)ふと世間に言はれては、新俳優の名誉に(かゝ)はるから、其方(そち)を取り戻すなどと、イヤ、飛んだ活劇をし居つたわイ、第一其方(そち)心中(こゝろ)を察しない不粋(ぶすゐ)な仕打ぢや、ナ、浜子」

「あの時は、御前、()うなることかと(わたし)、ほんとに(こは)う御座いましたよ、けども御前、伯父も本心から彼様(あんな)こと致したのでは御座いませぬでせうと思ひますの、御前の御贔屓(ごひいき)に甘えまして一寸(ちよつと)狂言を仕組んで見たので御座いますよ」

「ウム、其方(そち)の方が余程物が解つちよる、――アヽ、僅かの間でも旅と思へば、浜子、誰憚(はゞ)からず、気が晴々としをるわイハヽヽヽヽ」

「ほんたうに左様(さう)で御座いますのねエ、ホヽヽヽヽ」

 人なき一室を我が世と楽みて、又た他事もなき折こそあれ、「バタリ」響ける物音に、何事と彼方(かなた)を見れば、今しも便所の扉開きて現はれたる一客あり、陽春三月の花の(そら)遽然(きよぜん)電光(きら)めけるかとばかり眉打ち(ひそ)めたる老紳士の(かほ)を、見るより早く()の一客は、殆ど()はんばかりに腰打ち(かゞ)めつ、

「是れは是れは伊藤侯爵閣下――」

 伊藤と呼ばれし老紳士は、膝より浜子を下ろしつゝ「ウム、山木か――」

「閣下、久しく拝謁(はいえつ)を見ませんでしたが、相変らず御盛(ごさかん)なことで恐れ入りまする」

「山木、隠居役になると、貴公等には用が無くなるからナ」

 と侯爵の(ひやゝ)かに笑ふを、山木剛造は額撫でつゝ「()れは閣下、決して左様な次第では御座りませぬが――、併し今日(こんにち)は誠に()い所で拝謁を得ました、実は是非共閣下の御権威(おちから)を拝借せねばならぬ義が御座りまして――」

 空嘯(そらうそぶ)ける侯爵「金儲(かねまうけ)のことなら、我輩(わがはい)の所では、山木、チト方角が違ふ様ぢや――新年早々から齷齪(あくせく)として、金儲も骨の折れたものぢやの」

「閣下、実は旧冬から九州へ出掛けましたので――或は新聞上で御覧になりましたことかとも愚察(つかまつ)りまするが、此度(このたび)愈々(いよいよ)炭山坑夫の同盟罷工が始まりさうなので御座りまして――」

「ふウむ」と侯爵は葉巻(シガー)(けむ)よりも淡々(あはあは)しき鼻挨拶(はなあしらひ)、心は遠き坑夫より、直ぐ目の前の浜子の後姿にぞ傾くめり、

 浜子は彼方(あちら)向いて、(はる)か窓外の雪の富士をや詮方(せんかた)なしに眺むらん、

 

     十六の二

 

「閣下、近来社会党がナカナカ跋扈(ばつこ)致しまして、今回坑夫の同盟なども全く、社会党の煽動(せんどう)から起つたので御座ります、此分では将来何の事業でも発達上、非常な妨碍(ばうがい)(かうむ)りまするわけで、何卒(なにとぞ)此際厳重に撲滅策を執らるゝ様、閣下より一言、政府へ御指図下ださる義を懇願致しますので――」

 伊藤侯爵は空吹く風と聞き流しつ「二三の書生輩の空理空論を、左迄(さまで)恐るゝにも足らぬぢやないか、()して労働者などグヅグヅ言ふなら、構まはずに棄てて置け、直ぐ食へなくなつて、先方(むかう)から降参して来をらう」

「所が閣下、()うやら亜米利加(アメリカ)の労働者などから、内々運動費を輸送し来るらしいので御座りまして、――()し外国の勢力が斯様(かやう)なことから日本へ這入(はい)つて来るやうになりませうならば、国体上容易ならぬ義かと心得まするので」

「ナニ、山木、別段不思議無いではないか、労働者が労働者の金を輸入するのと、君等実業家連が外資輸入を()り居るのと、何の違もあるまいではないか」

「では御座りまするが、閣下」と、山木は額を撫でつ「探知致しましたる所では、近々東京に労働者等の大会を開いて、何か穏かならぬ運動を企てまする様子で、()うせ食ふことが出来ぬ乱暴漢(らんばうもの)の集りで御座りまするから、何事が出来(しゆつたい)せんも(はか)られませぬ次第で――それに新聞と云ふ程のものでも御座りませぬが、兎に角同胞新聞など申す毒筆専門の機関を所持致し居りまするから、無智無学の貧民共は、ツイ誘惑されぬとは限りませぬ、(もつと)も警察が少こし確乎(しつかり)して居りまするならば彼れ等程のものに別段心配も御座りませぬが、何分にも閣下が総理の御時代とは違ひまして、警察の方なども緩慢(きはま)つて居りまするから――」

 薄き眉ピリと動くと共に、葉巻(シガー)の灰(ふる)ひ落としたる侯爵「山木、其の同胞新聞と云ふのは、篠田何とか云ふ奴の書き居るのぢやないか」

「ハ、篠田長二と申すので、閣下御存(ごぞんじ)で御座りまするか」

()や、顔は見たことないが、実に()しからん奴ぢや、我輩のことなど公私に関はらず、攻撃を――」

 と言ひさして、浜子を見やれば、浜子は(なまめ)かしく仰ぎ見つ、「御前(ごぜん)、あの(わたし)のこと悪口書いた新聞でせう、御前、何卒(どうぞ)讐討(かたきう)つて下ださいな」

「ウム」と首肯(うなづ)きたる侯爵「先年、彼等が社会民主党を組織した時、我輩(わがはい)は末松に(いひつ)けて(たゞち)に禁止させたのぢや、我輩が憲法取調の為め独逸(ドイツ)に居た頃、丁度(ちやうど)ビスマルクが(さかん)に社会党鎮圧を()りおつた、然るに現時(いま)の内閣の者共が何も知らないから、少しも取締が届かない――可矣(よし)、山木、早速桂に申し付けよう」

「閣下、誠に有難う御座ります」と山木は足の爪先まで両手を下げつ、「イヤどうも、政府の大小、御世話なされまするので、御静養と申すこともお出来なされず、御推察致しまする」

「ウム、何かと云ふと、直ぐ元老が呼び出されるので、()てもかなはん――()美姫(びき)(さいはひ)(わが)労を()するに足るものありぢや、ハヽヽヽヽ、なア浜子」

 汽車は早くも大船に着けり、一海軍将校、鷹揚(おうやう)として一等室に乗り込みしが、(たちま)ち姿勢を(たゞし)うして「侯爵閣下」

 (おもむ)ろに顧みたる侯爵「やア、松島大佐か——何処(どこ)へ」

「横須賀からの」

 

     十六の三

 

「松島さん」と慇懃(いんぎん)に挨拶する山木剛造を、大佐は軽く受け流しつ、伊藤侯爵と相対して腰打ち掛けぬ、

 夕陽(せきやう)()ほ濃き影を遠き沖中(おきなか)の雲にとゞめ、汽車は既に淡き燈火(ともしび)を背負うて急ぐ、

 ポケットより巻莨(たばこ)取り出して大佐は点火しつ「閣下、又た近日元老会議ださうで御座りまして、御苦労に存じます」

「松島、実に困らせをるぞ、(山本)権兵衛に()こし確乎(しつかり)せいと言うて呉れ」

「閣下、其れは私共の方で申上げたいと存じまする所です、ヤ、モウ、先刻も横須賀へ参れば、艦隊の連中からは、大臣が弱いの、軍令部が腰抜だのと勝手な攻撃を受けます、元老方からは様々御注文が御座りまする、民間からは出法題(ではふだい)な非難を持ち掛ける、斯様(こんな)割の悪い役廻りは御座りませぬ」と言ひつゝ、烟草(たばこ)の煙の間より、浜子の姿をチラリチラリと横目に(にら)む、

 大佐の目遣(めづか)ひに気つきたる侯爵「や、松島、(こゝ)に居る山木は君の(しうと)さうぢやナ、——先頃誰やらが来て(しき)りに其の(うはさ)し居つた、()の様子では()ても尊氏を長追ひする勇気があるまいなどと嫉妬し居ったぞ、非常な美人さうぢやな、何時(いつ)ぢや合衾(がふきん)の式は――山木、何時ぢや、我輩も是非客にならう」

 山木は頭掻きながら「ハ、未だ何時(いつ)と確定致す所にも運び兼て居りまする様な次第で——何分にも時局の解決が着きませぬでは――」

「ハヽヽヽヽ、時局と女とは何の関係もあるまい、戦争(いくさ)門出(かどで)祝言(しうげん)するなど云ふことあるぢやないか、松島も久しい鰥暮(やもめくらし)ぢや、可哀さうぢやに早くして遣れ――それに一体、山木、誰ぢや、媒酌(ばいしやく)は」

「ハ、表面(おもて)立つた媒酌人と申すも、(いま)だ取り定めたと申す儀にも御座りませぬ、(いづ)れ其節何殿(どなた)かに御依頼致しまする心得で――」

「フム、()りや(さいはひ)ぢや、我輩一つ媒酌人にならう、軍人と実業家の縁談を我輩がする、(みん)な毛色が変つてて面白ろからう、山木、どうぢや」

「ハ、閣下が御媒酌下ださりまするならば、之に越したる光栄は御座りませぬが――」

「松島、君の方は(どう)ぢや」

 苦笑しつゝ(けむり)吹かし居たる大佐「御厚意は感謝致しまするが、其れは最早(もう)御無用です」

「ナニ、無用ぢや、松島」

 大佐は(ひやゝ)かに片頬(かたほ)に笑みつ「はア、閣下、山木には無骨(ぶこつ)な軍人などは駄目ださうです、既に三国一の恋婿(こひむこ)内定(きま)つて居るんださうですから」

「フウ、(ほか)に在るのか、其りや一ときは面白い、山木、誰ぢや、君の恋婿と云ふのは」

 剛造は顔中撫で廻はして「閣下、其れは松島さんのお戯れで、決して(ほか)に約束など有る義では御座りませぬが——」

 殆ど困却の山木を、松島は愉快げに尻目に掛けつ「然らば閣下、山木の恋婿をば自分から御披露に及びませう――日本社会党の領袖(りやうしう)、無政府主義の張本(ちやうほん)、同胞新聞主筆篠田長二君と仰せられるのださうでツ」

「ヤ、松島さん」と色を失つて周章する剛造を、侯爵は稍々(やゝ)垂れたる目尻にキツと角立てて一睨(いちげい)せり、

「閣下、其れを御信用下だされましては、遺憾(ゐかん)千万に御座りまする、全く松島様の誤解で御座りますから――」

「松島、事実相違ないか、()うぢや」

 大佐は冷然たり「閣下、私も帝国軍人で御座りまする」

「フム」と軽く首肯(うなづ)きて侯爵は又た山木の(おもて)(にら)めり、

「閣下、其れは余りに残酷なことで御座りまする、私が社会党などに娘を()ることが出来まするものか出来ませぬものか、少し御賢察を願はしう存じまする、――近い御話が、閣下、今回(このたび)炭山の坑夫同盟でも明かでは御座りませぬか、九州の方へは菱川だとか何だとか云ふ二三人の書生を遣つて奇激な演説などさせて、無智曚昧(もうまい)な坑夫等を煽動させ、自分は東京に居て総ての作戦計画をして居るので御座りまする、皆な篠田長二の方寸から出でまするので――非戦論など(とな)へて見ても誰も相手に致しませぬ所から、今度は石炭と云ふ唯一の糧道を絶つ(ほか)ないと目星を着けて、到底(たうてい)相談のならない法外な給料増加の請求を坑夫等に教唆(けうさ)し、其の請求の貫徹を(はか)ると云ふ口実の(もと)に、同盟罷工(ひこう)()らせると云ふのが、篠田の最初からの目的なので御座りまする、悪党とも国賊とも、名の付けられた次第では御座りませぬ、——閣下、(どう)して私が其様(そん)なものへ娘を遣ることが出来ませう――其れで坑夫共の生活を支へる為めに亜米利加(アメリカ)の社会党から運動費を取り寄せる手筈をする、其ればかりでは駄目ぢやと申すので、近々東京に全国労働者の大会を開く計画する、(いづ)れも其の張本は()の篠田で御座りまする、()ればこそ先刻も、閣下、彼奴等(きやつら)取締(とりしまり)に就て、御尽力を歎願したでは御座りませぬか――」

「ウム」と思案せる侯爵「成程――()うぢや松島、山木の言ふ所道埋至極(しごく)と聞かれるでは無いか」松島は(たばこ)くゆらしつゝ「()かし、閣下、御本尊が()きたいと申すものを、之を束縛する親の権力も無いでは御座りませぬか」

 山木は顔突き出し「其れは閣下、全く松島様の御聞き誤りで御座りまする、先頃迄は娘共の参る教会に篠田も居たので御座りました、其れで何かとあらぬ風評を致すものもあつたらしいで御座りまするが、()の様な不都合な漢子(もの)を置くのは、国体上容易ならぬことと心着きまして、(わたくし)から教会へ指図して放逐致した次第で御座りまする——承りますれば、彼奴等(きやつら)平生、露西亜(ロシヤ)の虚無党などとも通信し合つて居るさうに御座りまするし、其れに彼奴(かやつ)、教会を放逐された後は、何でも駿河台のニコライなどへ出入(ではひり)するとか申すので、警視庁でも、露西亜の探偵ではあるまいかなど、内々注意して居られるとか聞きまして御座りまする」

 侯爵は(しき)りに首肯(うなづ)きつ「左様(さう)ぢやらう、松島、別段疑惑する点も無いでは無いか――何うぢや、我輩が(はか)らず()かる話を聞くと云ふも何かの因縁ぢやらうから、一つ改めて我輩が媒酌人にならう、山木、貴公の娘にも必ず異存あるまいナ」

 

     十六の四

 

 山木剛造は平身低頭「御念(ごねん)には及びませぬ、閣下、是迄の所、何を申すも我儘育ちの処女(きむすめ)で御座りまする為めに、自然決心もなり兼ねましたる点も御座りましたが、旧冬、私出発の前夜も()く利害を申聞(まうしき)け心中既に理会致して居りまする、兎に角私帰宅の上、挨拶致す様にと猶予を与へ置きましたる(やう)の始末、帰京次第今晩にも判然致す筈で御座りまして——特に閣下が表面御媒酌下ださると申聞けましたならば、一身の名誉、一家の光栄、如何(いか)ばかり喜びませうか」

「ハヽヽヽ松島と篠田、こりや必竟(ひつきやう)帝国主義と、社会主義との衝突ぢや、松島、確乎(しつかり)せんとならんぞ」と侯爵は得意満面に松島を見やりつ「然かし松島、才色兼備の花嫁を周旋する以上は、チト品行を(つゝし)まんぢや困まるぞ、此頃は(しき)りと新春野屋の花吉に熱中しをると云ふぢやないか」

 浜子は侯爵の顔さしのぞき「御前(ごぜん)、其の花吉と申す藝妓(げいしや)は先頃廃業したさうで御座んすよ」

 侯爵は打ち驚き「オ、廃業しをつた――新聞に在つたと、浜子、其方(そち)()う新聞を見ちよるな、感心ぢや――松島、其の根引き(ぬし)は貴公ぢや無いか、白状せい」

 松島の()がり切つたる容子(ようす)に、山木は気の毒顔に口を開きつ「——実は、閣下、其れも矢張篠田の奸策で御座りまする」

「ナニ、花吉を篠田が落籍(ひか)せをつたと――フム、自由廃業、社会党の()りさうなことぢや――彼女(あれ)には我輩も多少の関係がある、不埒(ふらち)な奴、松島、篠田ちふ奴は我輩に取つても敵ぢや、可也(よし)、此上は山木の(むすめ)は何事があるとも、必ず松島へ()らねば、我輩の名誉に(かゝ)はるわい」

 意気軒昂(けんかう)面色(めんしよく)朱を(そゝ)ぎたる侯爵は忽然(こつぜん)として山木を顧みつ「然かし山木、君もナカナカ(ひど)い男ぢやぞ、(どう)ぢや、ぽん子は相変らず奇麗ぢやろナ、今を蕾の花の見頃と云ふ所を、突如(だしぬけ)に横合から根こぎにするなどは、乱暴極まるぢやないか、松島のは社会主義に対する帝国主義の敗北、我輩のは金力に対する権力の失敗ぢや」

 頭掻きつゝ山木の困却の(てい)に、侯爵は愈々興を催ふしつ「何程(なんぼ)花婿が放蕩(はうたう)して、大切(だいじ)な娘が泣きをつても、苦情を申入れる権利があるまい、ハヽヽヽヽ山木、君の様な(おやぢ)の機嫌取つて日蔭の花で暮らさせるは、ぽん子の為めに可哀さうでならぬぢや」

 剛造は只だ赤面恐縮、

 大佐はニヤリと浜子を一瞥しつ「が、閣下、山木は閣下に比ぶれば、未だ十幾つと云ふ(おとゝ)ださうですよ」

 剛造ほツと一道の活路を得つ「大きに松島様の(おほせ)の通りで、へヽヽヽヽ」

 侯爵も頭撫でて大笑しつゝ「ヤ、松島、最早(もう)(しうと)の援兵か、余り現金過ぎるぞ」

「品川々々」と呼ぶ駅夫の声と共に汽車は停りぬ、

「オヽ、もう品川ぢや、浜子」と侯爵は少女の手を採りて急がしつ「今夜は杉田の別荘に一泊するから失敬する」と言ひ棄てたるまゝ悠然降り立ちて、闇の(うち)へと影を没せり、

 窓に()りて見送り居たる松島は舌打ちつ「淫乱爺(いんらんおやぢ)耄碌(まうろく)ツ」

 

     十七の一

 

 麹町は三番丁なる清風女学校には、今日しも新年親睦会、

 校友の控所に()てられたる階上の一室には、盛装せる丸髷(まるまげ)束髪(そくはつ)のいろいろ居並びて、立てこめられたる空気の、(きぬ)の香に薫りて百花咲き(きそ)ふ春とも(いふ)べかりける、

 中央の椅子に(かゝ)りたる年既に五十にも近からんと思はるゝ麦沢教授、小皺見ゆる頬辺(ほゝのあたり)(ゑみ)の波寄せつ「皆さんが立派な奥様におなりなすつたり、阿母(おつか)さんにおなりなすつた御容子(ごようす)を拝見する程、私共(わたしども)に取つて楽しみは御座んせんのね、之を思ふと私などは()くまア腰が(まが)つて仕舞はないと感心致しますの――(いゝ)エ、此頃は、もう、ネ、老い込んで仕様(しやう)がありませんの、自分ながら愛想が尽きる程なんですよ――()う御見受け申した所、夏野様の旦那様は内務の参事官、秋葉様のは衆議院議員、冬田様のは日本銀行の課長さん、春山様のは陸軍中尉、蓮池様のは大学教授、何殿(どなた)も国家の大任ですねエ、桜井様のは留学中で御帰朝の後は医学博士、松村様のは弁護士さん」

 と、次第に読み上げ行きしが、(さて)其次席に列なれる山木梅子が例の質素の容子を見て、(しば)躊躇(ためら)ひつ「山木様は独立で、婦人社会の為に御働(おはたらき)なさらうと云ふ御志願で、(こと)阿父(おとつさん)は屈指の紳商で(いら)つしやるのですから」

 と、相当なる理由を発見して、頌徳表(しようとくへう)を呈したる時、春山と呼ばれたる陸軍中尉の妻女「あら、麦沢先生、山木様は()くに御約束で、最早(もう)近々に御輿入(おこしい)れになるんですよ」と、黄色な声して(くち)()れぬ。

左様(さう)ですか」と、麦沢女教授は(まる)くしたる(まなこ)を、忽ち細くして笑みつくろひ、「山木様、まア、お目出度(めでたう)御座います、存じませんでしたもんですから、ツイ、失礼致しましてネ、――シテ、春山様、何殿(どなた)

「先生が御存無(ごぞんじなか)つたとは驚きましたねエ」と春山は容子つくろひ「あの、海軍大佐の松島様へ」

「オヽ、あの松島さんへ」と女教授は驚きしが「実権海軍大臣などと新聞で拝見する松島さんへ——左様(さう)ですか、山木様、貴嬢(あなた)にはほんとに御似合の御縁組ですよ」

 一座の視線は皆な沈黙せる梅子の面上に集まりぬ、

 松村と言へる弁護士の妻女は、独り初めより怪しげに打ち()もり居たりしが「先生、(わたし)も山木様の御縁談の御噂をお聞き申しましたが、只今の御話とは()こし違ふ様ですよ」

「エ、松村様、ぢや何殿(どなた)(おつ)しやるのです」

 松村は梅子の顔恐る恐る見やりながら「間違ひましたら山木様、御免下ださいな――あの、同胞新聞社の篠田様へ――」

 麦沢教授は反歯(そつぱ)()き出してハツハと打ち笑へり「松村様、何を仰しやる、山木様が何で彼様男(あんなひと)の所などへお()でになるもんですか、(わたし)何時(いつ)でしたか、何かの席で篠田と云ふ人見ましたがネ、貴女(あなた)(あれ)は壮士ですよ、(どう)して彼様(あんな)貧乏人と山木様が御結婚出来ますか」

「いゝえネ、先生、只だ私は山木様の教会と関係のある人から聞いたのですから――」

 と松村の穏かに弁疏するを、()の春山はシヤちやり()でつ「(わたし)良人(やど)から聞きましたのです、現に松島様が御自分で御披露になりましたさうで、軍人社会では誰知らぬものも無いので御座います」

 曰く松島自身の披露、曰く軍人社会の輿論(よろん)(しか)して之を言ふものは、現に陸軍中尉の妻女、何人(なんぴと)か又た之を疑はん「山木様はタシカ軍人はお(きらひ)の筈でしたがネ」「独身主義の御講義を拝聴した様にも記憶致しますが」「オールド、ミスも余り立派なものでありませんからね」、など、聞えよがしの私語(さゝやき)も洩れぬ、

 梅子が余りの沈黙に、一座いたくシラけ渡りぬ、

 扉開かれて、歴年の老小使、腰打ち(かゞ)めつ「山木様——菅原の奥様が五号室に御待ち受けで御座います」

 之を機会に梅子は椅子を離れつ「失礼」と一揖(いちいふ)して温柔(しとや)かに出で行けり、

 

     十七の二

 

 第五号教室のピヤノの(わき)に人待ち顔なる大丸髷(おほまるまげ)の若き婦人は、外務書記官菅原道時の妻君(さいくん)銀子なり、扉しとやかに開かれて現はれたる美しき姿を見るより早く、嬉しげに立ち上がりつ、「オヽ梅子さん」

「銀子さん」

 相見て嫣然(えんぜん)、膝つき合はして椅子に座せり、

「梅子さん、ほんとに久闊(しばらく)ですことねエ、私、貴嬢(あなた)に御目に(かゝ)りたくてならなかつたんですよ、手紙でとも思ひましたけれどもね、其れでは(どう)やら物足らない心地しましてネ――今日も少こし他に用事があつたんですけれども、多分、貴嬢が御来会(おいで)になると思ひましたからネ、差繰(さしく)つて参りましたの」

「私もネ、銀子さん、此頃(しき)りに貴女(あなた)が懐しくて堪らないで居ましたの、(いつ)そ御邪魔に上らうかと考へましたけれどネ、外交のことが困難(むつかし)いさうですから、菅原様も定めて御多用で(いら)つしやらうし、貴嬢にしても矢張(やつぱ)り御屈托で(いら)つしやらうと遠慮しましてネ」

「あら、梅子さん、いやですことねエ、――結婚すると御友達と疎遠になるなんて皆様仰しやるんですけれど、貴嬢まで矢張(やつぱり)其様(そんな)事を仰つしやらうとは思ひも寄りませんでしたよ」

「銀子さん、左様(さう)ぢやありませんよ」

 銀子は熟々(つくづく)と梅子の(かほ)打ちまもり居たりしが「梅子さん、貴嬢ほんとに御憔悴(おやつれ)なすツたのねエ、如何(どうか)なすつて――」

(いゝえ)、別に如(どう)も致しませんの」

「けども、何か御心配でもおありなさらなくて」

(いゝえ)――心配と云ふ程のこともありませんがネ――」

「心配と云ふ程で無くとも、何か御在(おあ)りなさるでせう」

 と銀子は顔差し付けて声打ちひそめ「(わたし)貴嬢(あなた)御聴(おきゝ)せねば安心ならぬことがあるんですよ――梅子さん、貴嬢、ほんとに()の海軍の松島(さん)と御約束なさいまして――」

 梅子は目を閉ぢて無言なり、

「梅子さん、私ネ、其を道時から聴きましても、貴嬢から直接に聴かなければ安心が出来ないんですもの」

「銀子さん、貴女まで其様(そんな)風評を御信用下ださるんですか――」涙ハラハラと膝に落ちぬ、

 銀子は梅子の手を握れり「梅子さん、貴嬢(あなた)は私が、其様(そんな)風評を信用するものと御疑ひ下ださいますの――」

 梅子は握られし銀子の手を一ときは力を()めて握り返へしつ「(いゝえ)、銀子さん、私は学校(こゝ)に居た時と少しも変らず、貴嬢を真実の姉と(おも)つて居るんです」

「梅子さん、有難う――()うしたわけか、初めて入学した時から貴嬢とは心が合つて、私が一つ年上ばかりに貴嬢の姉と呼ばれる様になつたことは、何程嬉しいとも知れないのです、道時が何か私の非難など致します時には、()かし私の(いもと)に山木梅子と云ふ真の女丈夫(ぢよぢやうぶ)が在りますよと誇つて居るのです――丁度昨年の十月頃でしたよ、外交問題が八釜敷(やかましく)なり掛けた頃と思ひますから――道時が晩餐(ばんさん)の時、冷笑(わら)ひながら、お前の御自慢の梅子さんも、到頭(たうとう)海軍の松島の所へ行くことになつたと言ひますからネ、私は断然之を打ち消したのです、梅子さんも御自分で是れならばと信じなさる男子(ひと)を得なすツたならば、(すゝん)で御約束もなさらうし、又た強ひても御勧め申すけれど、軍人は人道の敵だとまで思つて居なさる梅子さんが、(こと)に不品行不道徳な松島様などに御承諾なさる筈が無い、又た()し其れが真実ならば必ず梅子さんから、御報知(おしらせ)がある筈だと頑張(ぐわんば)つたのですよ、スルと()くらしいぢやありませんか、道時が揶揄(からかひ)半分に、仮令(たとヘ)梅子さんからの御報知は無くとも、松島の口から出たのだから仕様(しやう)が在るまい(など)と言ひますからネ、彼様(あんな)松島様などの言ふことが何の証拠になりますと拒絶(はねつけ)て遣りましたの、(それ)ツきり道時も何も言ひませんでしたがネ、昨日ですよ、外務省(やくしよ)から帰りましてネ、服も(あら)ためずに言ふんです、梅子さんの結婚談も愈々(いよいよ)進んで、伊藤侯が媒介者となられ、近日中に式を挙げらるゝさうだと、大威張に(いふ)ぢやありませんか、私には如(どう)しても解らないのです、相手が松島様で、媒介が伊藤侯と云ふんでせう、梅子さん、貴嬢(あなた)が地獄の子にでも生れ変つて来なすつたのを見た上でなくては、私は仮令(たとひ)道時の言葉でも、信用することが出来ないんです」

「銀子さん、姉さん、――有難う――」梅子は目を閉ぢて涙を()きぬ、

 

     十七の三

 

「けどもネ、梅子さん、」と銀子は(かたち)を改めつ「貴嬢(あなた)は飽く迄も独身主義を()(とほ)さうと云ふ御決心なの」

 梅子は只だ首肯(うなづ)きつ、

(わたし)ネ、梅子さん、貴嬢(あなた)の独身主義には、心から同情を持つてるんですよ――貴嬢の家庭の御事情は私も(よう)く存じて居るんですからネ――けれど私、梅子さん、怒りなすつちや厭よ、日常(いつも)さう(おもふ)んですの、貴嬢の深い心の底にほんとに恋と(いふ)ものが(ない)んだらうかと――学校(こゝ)に居た頃の貴嬢のことは私、()く知つててよ、貴嬢の御心は、只だ亡き阿母(おつかさん)(おも)(うる)はしき(きよ)き愛に溢れて、(ほか)には何物をも容れる余地の(なか)つたことを——皆さんが各々(てんでに)理想の(ひと)を描いて泣いたり笑つたり、(うつ)したりして騒いで居なさる時にでも、真正(ほんたう)に貴嬢ばかりは別だつたワ――他人様(ひとさん)のことばかり言へないの、私だつてもネ、梅子さん、笑つちや厭よ、道時のことでは何程(どんなに)貴嬢の御世話様になつたか知れないワ、私、貴嬢の御恩を忘れたこと有りませんよ――彼頃(あのころ)の貴嬢の御面(おかほ)は全く天女でしたのねエ――けれど梅子さん、()ま貴嬢を見ると、何処(どこ)とも無く(うれひ)の雲が(かゝ)つて、時雨(しぐれ)でも降りはせぬかの様に、憂欝の色が見えるんですもの、そりや梅子さん貴嬢ばかりぢやない、誰でも、(とし)と共に苦労も増すに(きま)つて居ますがネ、只だ私、貴嬢(あなた)の色に見ゆる憂愁の底には、女性(をんな)の誰も(まぬが)れない愛情の(ひそ)んで居るのぢや無からうかと思ふんですよ――私などは斯様(こんな)軽卒(がさつ)なもんですから、直ぐ挙動に(あら)はして仕舞(しまひ)ますがネ、貴嬢の様に強意(しつかり)した方は、自ら抑へるだけ、苦痛も一倍(ひど)いだらうと祭しますの――」

 (うつむ)ける梅子に、銀子は身をスリ寄せつ「()し、梅子さん、御気に(さは)つたなら(ゆる)して頂戴な、私只だ気になつて堪らないもんですから、心の有りたけを言ふのですよ――私だつて道時のことでは何程(どんな)恥づかしいことでも皆な打ち明けて、貴嬢に御相談したでせう、其れでこそ始めて姉妹(きやうだい)の契約の(じつ)があると言ふんですわねエ――梅子さん後生(ごしやう)ですから貴嬢の現時(いま)の心中を語つて下ださいませんか」

「銀子さん」と良久(しばし)ありて梅子は声(ふる)はしつ「四年前の貴女(あなた)の苦痛を、今になつて始めて知ることが出来ました――」

()く言うて下ださいました梅子さん」と銀子は嬉しげに、「今度は私が先年の御恩返しに何様(どんな)奔走でも致しますよ――梅子さん、ツイ、御名を知らして下ださいな」

「銀子さん、貴女の御親切は御礼の申しやうもありませんが、到底事情の許さないのですから、只だ此れだけは私に取つて秘密の一ツに許して下ださいませんか――貴女に打ち明けないと云ふのは、私も何様(どんな)に心苦しいか知れないのですけれど――」梅子は唇を噛んで声を呑みぬ、

 銀子は()ばし思案に暮れしが、独り心に首肯(うなづ)きつ「――梅子さん、私知つてますよ」

 梅子は愕然として銀子を見たり、

「若し梅子さん、間違つてたなら勘弁して下ださいな――あの、篠田長二さんて方ぢやありませんか――」言ひつゝ銀子は凝乎(じつ)と梅子を見たり、梅子は胸を押へて()た只だ(うつむ)きぬ、

「梅子さん、私、それを或る方から聞いたのですよ――ほんとに不思議なものですねエ、自分では夢にも洩らしたことの無い秘密を、世間が何時(いつ)か知つてゐるんですもの――(たしか)に宇宙の神秘(ミステリー)なのねエ――私、梅子さん、此の風説は心に信じたの、何故(なぜ)と云ふに篠田さんて方の御性質や其の御行動が、如何にも貴嬢(あなた)嗜好(しかう)に適合してるんですもの――梅子さん、私は未だ篠田さんをお見掛け申したことが無いのです、けども私それと無く道時に尋ねて見ましたの、道時は()れ迄も()く御目に懸るさうでしてね、大層讃めて居りましたの、恐るべき偉い人物であると敬服して居るんですよ――けれど梅子さん、私何程(どれほど)一人で心を痛めたか(しれ)ないワ――貴嬢の阿父(おとつさん)は篠田さんを(かたき)の如く憎んで居らつしやるんですとねエ――まア、()うしたら()いんでせう――梅子さん」

「銀子さん、皆様(みなさん)は私の独身主義を全然(まるで)砂原の心かの様に思つて下ださいますけれど、――(すべ)ては神様が御承知です」梅子はハンケチもて眼を(おほ)ひつ「銀子さん貴女とお別れして三年の心の歴史を、私の為めに聞いて下ださいますか」

 

     十七の四

 

「梅子さん、何卒(どうぞ)聴かして頂戴」

 梅子は()ばし心に談話の次序整へつ、「学校時代の私は、銀子さん、貴女能く御存(ごぞんじ)下ださいますわねエ――()一時(いつとき)バイロン流行の頃など、貴女を始め皆様(みなさん)(しき)りに恋をお語りなさいましたが、(どう)したわけか私には、其の興味を感ずることが出来ませんでしたの、貴女に疑はれたことなども私()く記憶して居りますよ――私も折々自分で自分を怪しんだこともありますの、私の心が不健全であるのでは無からうか、愛情と云ふものを宿()どさない一種の精神病のではあるまいかと――けれど私は()だ亡き母を(おも)ひ、慕ひ想像する以外に、如何にしても私の心を転ずることが成らなかつたのです――皆様能く男子の集会などへ行らつしやいましたわねエ――あら、銀子さん、貴女のこと言ふのぢやなくてよ――けれど私の楽しみは日曜に、青山の母の墓に参詣して、其れから永阪の教会へ行つて、母の弾いた洋琴(オルガン)の前に()わることの外は無かつたのです、私の文章も歌も何時(いつ)も母のことばかりなんですから、貴嬢の思想は余り単調だと、先生にお(こゞと)(うけ)ましたの——其れから学校を卒業する、貴女は菅原(さん)(いら)つしやる、(ほか)人々(かたがた)も其れ()れ方向をお(さだめ)になるのを見て、私も何が自分に適当した職分であらうかと考へたのです――貴女に御相談したことがあつたでせう――貴女も賛成して下だすつたもんですから、私は貧民の児女(こども)を教育して見たいと思ひましてネ――亡(はゝ)の日記などの中にも同じ教育を()るならば、貧乏人の児女を教へて見たいと云ふことが沢山書いてあるもんですからネ——其れを父に懇願したのです、けれど銀子さん、貴女も御承知の如き私の家庭でせう、父は私が実母(はゝ)の顔さへ知らないのを気の毒に思つて居ます所から、余程私の願ひに傾いて呉れましたけれど……後には父から私に頼む様にして、其れを思ひ止まつて呉れよと言ふのですもの――私は、銀子さん其時(そのとき)始めて世の中に失望と云ふことの存在を実験したのです」

「銀子さん」と梅子は語を継ぎつ「其頃私は貴女(あなた)(かつ)ての傷心(なげき)に同情しましたの、何時でしたか、貴女は夜中に私の寄宿室(へや)(いら)しつて(おつ)しやつたことがありませう、――()し如(どう)しても菅原様へ()くことが出来ないならば、私は一旦菅原様へ献げた此の(きよ)生命(いのち)の愛情を、少しも破毀(やぶ)らるゝことなしに(いだ)いた儘、深山幽谷へ行つて(しま)心算(つもり)だつて――」

「あら梅子さん」と銀子は面赧(かほあか)らめつ「貴女も思ひの(ほか)、人が悪くつてネ――」

左様(さう)ぢやありませんよ」と、梅子も思はず片頬(かたほ)に笑みつ「只だ私も其時始めて、貴女と同じ様な痛苦を感じたと云ふ迄のことお話するんぢやありませんか――それで銀子さん、私は全然(まるで)砂漠の中にでも居る様な寂寞(せきばく)に堪へないでせう、(さう)すると又た良心は私の甚だ薄弱であることを責めるでせう、墓所(はか)(まゐ)りましても、教会へ参りましても、私の意気地(いくぢ)ないことを叱る様な亡(はゝ)の声が聞えるぢやありませんか、ああ(いつ)そ死んだならば、斯様(こんな)不愉快な苦境から脱れることが出来ようなどと、幾度思ひ浮んだか知れませんよ――()う云ふ厭な月日を送つて、夜も安然に夢さへ結ぶことなしに思ひ悩んで居た時、私は――銀子さん――何とも知れない一種の感動に打たれましたの——」

 言ひ渋ぶる梅子の容子(ようす)に銀子は嫣然(えんぜん)一笑しつ「篠田(さん)に御会ひなすつたと(おつ)しやるんでせうツ」手を挙げて思ふさま、ビシヤリと梅子の膝を打てり、

 梅子は真紅(まつか)になりて(うつむ)きぬ、

 

     十七の五

 

「それから梅子さん、如(どう)なすつて」

 と銀子はホヽ笑みつゝ促がすを梅子は首打ち振りつ、「私、いや、貴女(あなた)はお(なぶ)りなさるんだもの――」

 上気せる美くしき梅子のあどけなき(かほ)を銀子は女ながらに惚れ()れと眺め「私が悪るかつたの、梅子さん、何卒(どうぞ)聴かして下ださいな」

「何だか可笑(をか)しいのねエ」と、梅子は(はづ)かしげにホヽ笑みつ「一昨々年の四月の初め、丁度(ちやうど)桜の咲き()めた頃なの、日曜日の夜の説教をなすつたのが――銀子さん、私、何だか――」

 と(かほ)背反(そむ)くるを、銀子は声低くめて「其方(そのかた)が篠田様であつたんでせう」

 梅子は俯目(ふしめ)首肯(うなづき)きつ「左様(さう)なんです、長く米国に留学なされた方で、今度永阪教会へ転会なされたと云ふんでせう、何様(どん)(かた)であらうと思つて居ますとネ、やがて講壇へお立ちになつたのが、筒袖(つゝそで)の極めて質朴な風采で、()華奢(はで)な洋行(がへり)容子(ようす)とは表裏の相違ぢやありませんか、其晩の説教の題は『基督(キリスト)の社会観』と(いふ)のでしてネ、地上に建つべき天国に就て、基督の理想を御述べになつたのです、今の社会の組織は全く基督の主義と反対の、利己主義を原則とするので、之を根本から破壊して新時代を造るのが、基督教の目的だと仰しやるのです――初め私は、現在の社会の罪悪を攻撃なさる議論の余り恐ろしいので、殆ど身体(からだ)戦慄(ふる)へる様でしたがネ、基督の平和、博愛、犠牲の御精神を、火焔(ほのほ)の様な雄弁でお()べなすつた時には、何故(なにゆえ)とも知らず聴衆(きゝて)の多くは涙に暮れて、二時間(ばかり)の説教が終つた時には、満場只だ酔へる如き有様でした、――()の時の説教は私、今でも音楽の如く耳に残つて居ますの——其晩は私、一睡もせずに考へましたの、そして基督の十字架の意味が始めて心の奥に理解された様に思はれましてネ、嬉しいとも、勇ましいとも(わか)らずに、心がゾクゾク躍り立つて、思ふさま有りたけの涙を流したんですよ、インスピレーションと云ふのは、彼様(あゝ)した状態(さま)を言ふのぢやないか知らと思ひますの、其れからと云ふもの、昨日迄の無情の世の中とは(うつ)(かはつ)て、(たしか)に希望のある楽しき我が身と生れ替つたのです、――そして日曜日が誠に待ち遠くて、教会が一層()つかしくて――彼人(あのかた)の影が見えると只嬉しく、如(どう)かして御来会(おいで)なさらぬ時には、非常な寂寞(せきばく)を感じましてネ、私始めは何のこととも気が(つか)なかつたのですが、或夜、何でも五月雨(さみだれ)の寂しい夜でしたがネ、余り徒然(つれづれ)(まゝ)、誰やらの詩集を見てる時不図(ふと)、アヽ(わたし)ヤ恋してるんぢや無いか知らんと、始めて自分で(さと)りましたの、――」

 涙に満てる梅子の眼は熱情に輝きつ、ありし心の経過一時に燃え出でて恍然(くわうぜん)として夢路を辿(たど)るものの如し、

 銀子も我が(かつ)ての実験と思ひ(くら)べて、そゞろに同情の涙()へ難く「梅子さん貴嬢(あなた)の御心中は私能く知ることが出来ますの」

「けれど銀子さん」と梅子はうな垂れつ、「其の心の(うち)の喜びも(つか)の間で、苦痛(くるしみ)の矢は忽ち私の胸に立つたのです、其れは貴女も御聞き及びになりましたやうに、私の父と篠田(さん)とが、仇敵(かたき)の如き関係になつたことです、けれど——銀子さん、私は篠田様の御議論が至当だと思ひました、私は常に父などの営利事業に不愉快を感じて居たのです、決して道理にも徳義にも(かな)つたこととは思ひませんでしたが、篠田様の御議論を拝見して、始めて能く父等の事業の不道理不徳義なる、説明を得たのでした、其れで私は、彼人(あのかた)良人(をつと)にすると云ふことは事情の()るさないものと思ひ諦め、又た一つには、私の様な不束(ふつゝか)な者が、彼様(あのやう)な偉い方の妻となりたいなど思ふのは、身の程を知らぬものと悟りましてネ、其れに彼人(あのかた)は既に家庭の幸福など云ふ問題は打ち忘れて、只だ(ひとへ)に主義の為めに御尽くしなさるのを知りましたものですから、私は心中に理想の良人と奉仕(かしづ)いて、此身は最早(もは)や彼人の前に(さゝ)げましたと云ふことを(たしか)に神様に誓つたのですよ」

 彼女(かれ)は心押し(しづ)めつ「ですから銀子さん、私の心は決して孤独(ひとり)ではありません、――節操は女性(をんな)の生命ですもの、王の権力も父の威力も、此の神聖なる愛情の花園を犯すことは出来ません、――此頃父が九州からの帰途で、伊藤侯と同車したとやらで、侯爵が媒酌人になられるからと、父が申すのです、まア何と云ふ(けがら)はしいことでせう、伊藤侯と云ふものは我々婦人に取つては共同の讐敵(かたき)ではありませんか、銀子さん、私が松島様の申込を拒絶する為めに、仮令(たとへ)私の父が破産する如き不幸に逢ひませうとも、私は決して節操を(けが)すやうな弱い心は起しません、父の財産は不義の結果です、私は富める不義の家に悩める心を(いだ)いて(ある)よりも、貧しき清き家に楽しき団欒(だんらん)を望むで居るのです——銀子さん、何卒安心して下ださいな」

 梅子の美しき(おもて)は日の如く輝けり、   ——以下・割愛——

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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木下 尚江

キノシタ ナオエ
きのした なおえ 小説家・思想家 1869・9・8~1937・11・5 現長野県松本市に生まれる。幼来自由民権運動に心動かし国会開設に歓喜し憲法発布を歓迎し「信陽日報」の記者時代には基督教に関心を深め、代言人(弁護士)資格試験に合格して法律事務所を開き、のち「毎日新聞」に入社、廃娼運動や足尾鉱毒事件で活躍、社会主義非戦論者として重きをなしつつ、幸徳秋水・堺利彦等の「平民新聞」を外から支援した。

36歳、1904(明治37)年の元日より3月20日まで「毎日新聞」に連載、5月「平民社」より刊行したのが長編『火の柱』で、事実上の処女創作であり近代日本の社会主義小説の一代表作というに恥じない。掲載作は、その要所を抄出。

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