鼓打つ
風を受け揃いて廻りはじめたる黄のかざぐるまとわれと距離あり
『佳季』昭和五十年
公示されし毒餌撒かるるまでの日を野犬に優しその仔も呼びて
神を説かれおりつつ信じ得ぬわれを写して凍る夜の玻璃一枚
電球を割りて口金
「仕立て屋さん」と呼びわが技を認めくるる街にて海の匂いがやさし
傾ける廃屋なりしが何時よりか人住み「洋裁」の木の札掲ぐ
声荒らげ別れしのちを会うことなき父の噂を聞き澄ましおり
砂礫質の斜面を代々の墓地として短命なりし従兄も眠る
実を抱きにリスの山より来る話やさしきクルミ植えて眠れり
胎児よりの時数えても子を母の占むるは十二年ほどか、短し
人を憎みいるとき蛇のしなやかに
揚げ油
誰も来ぬ林の家に早くともし翅きらめかす白蛾を待てり
我よりも先に寝入れる
白布の下死に真似なしゐる
乳房痛む期のなおめぐるわれを置き死にたる夫よ 心残りなきか
夫の匂い沁みたるシャツに顔埋むこの香とどめて置く
亡き
夫の死を呼びし災禍は知られざるまま忙しく大機構動く
亡き
いく年を位牌の金文字古びざり春灯淡きに光る
子は任地に勇みて発てり残されてくぐもる音の土鈴耳に振る
今のわが生き甲斐の如く頭垂れ髪洗うことに専念しており
風の野を馳けゆく白き馬迅し誰にも縋らぬわが心乗せ
黒蝶を草に遊ばす時ながく独りのわが
白き小さき石に還りて野仏は風ある萩の花に紛れつ
大寒に梅咲く林めぐるわれの片側常に海光りいる
ユエの地に生き埋めの髪震うとぞ われらアジアの長き黒髪
街中の四条河原に蛙なく夜を目覚めいつ 京はふるさと
人は生まれ死につぎ永き時経たり礎石のみある国分寺の雨
未来への夢断ち切られ兵として死にし墓あり われと同年
不遇にて終るべからず直角に道曲りて会う秋あかね雲
世の中よりずり落ちそうなる今細く単純音にふきいる口笛
踏み越えゆく
全く丸く平らの野ありひたなかに智恵なし光る沼を置きたり
『藍青平野』昭和六十年
廃水に汚れて鈍く光りつつ沼に平たき黄昏きたる
地に出でし
水際に蝦蟇のぬるめる卵揺れ一つぶごとより大き目のぞく
野の川に写る雲より掬ひたる
墓あなを掘る男らの冬の
将門をたばかりし
わが胃液に緊められてゆく白魚の
汚染しるき沼に
頭の芯を衝きチェンソーの音起る雨霧深くこめたる森に
森の奥に入りゆく男の持つ銃らし余光に瞬時光れるものは
炎昼に真白く照れる母の墓 石の熱さを計る
ある日わが死にたるのちの鏡の上うすき微塵の積りゆくべし
握りしむる手摺の熱さ 大空に
松の葉に平行になり毛虫眠る 灰色の毛を朝風に立て
松毛虫の羽化は力のみなぎるを見守りて午後激しく疲れぬ
腕ほどの太くなめらの青蛇と夕野の雨を分かちあひたり
森の奥の井戸垂直の暗がりに
夜を
野の井戸を埋めし瓦礫の築きゐる地中に
筑波野に公孫樹ひと木のそびえ立ち振りこぼすべき金色に満つ
山国の斜面耕し生きつぎて類似の相に老いゆく人ら
出稼ぎの
夜の餌に狸の親仔来る時刻音ひそませて山の湯を浴む
虎つぐみの
月の夜のわれを訪ふ
野葡萄の小さき一粒づつを
奥歯噛み生くる存念こめて打つ真夜これのみのわが鼓の音
秋の日の木橋行きつつためらへりわが骨格の透きゐるならずや
朝白き霜野の涯より鈍行の短き列車われを乗せに
神官の
志賀の妃ら佇ちし険しき石の丘石の芯まで日は白く射す
手を伸べて北斗の星を掬ひあぐ砂漠秋なる風のもなかに
拳銃を秘め
風の芯に坐り見てをり枯れ草の吹き分けらるる先も枯れ色
祖母の巫女 母の助産の業継かず霜踏み出でて畑に
凍る野の闇重たしと肩あげてけものの厚き脂身を
産むときの聖母も血潮流ししと枯れ草の野に住みて親しむ
母われを
若さ先づ指より去ると灯に眺め春の澱みに身は沈みたり
跡絶えし女系一家の木の墓標斜面の風に真向ひて立つ
岬山の空にゐる鳶声に知り病む目を凝らし遂に見えざり
移り来て見えず住みつぐ街なかに白梅低く十輪咲くとぞ
盲癒えぬ 十方世界花ざくら
散る桜 光る桜を身に受けてまなこ癒えたるわが花曼陀羅
高層の窓に寄り来る鳩の眼の
組まれたる鉄筋コンクリート最上階わが部屋「大空街一番地」
『総帆展帆』平成十二年
地表よりいくばく薄き空気吸ひ職
内臓の柔らに収まる胴を締め冬帯きりり黄椿咲かす
雪はまこと宙を楽しみ踊り降る高層わが窓
高層の部屋にこもりて豆煮をり豆の匂ひは
触れしわが
待つ人の来ぬ雪の夜をうなじ伸べざんざばさりと髪洗ひをり
ピーナツを不意に買ひたく高層より垂直一気に運ばれくだる
淡雪の解け
輝きあふ花の
雪の上に雪降り積る無音界太郎花子の村眠りたり
太郎戦死次郎も戦死の墓の草その母
なだり
二十世紀過ぎむとしつつ忘れ得ぬひとつ 雪降りしきりし二・二六
染井吉野咲き照る下の長き道故郷の土は踏むに柔らかし
わが知るは祖父母までなる故里に落花巻き込み宇治川早し
老いず飢ゑぬレリーフ啄木夕暮れの銀座に霧の湿り帯びをり
照り繁り寒き山家に電話鳴り「ベルリンの壁」明きしを伝ふ
木々芽ぐむ朝を化粧し町に行きレースふはふはのブラウス買はむ
「赤い靴」の少女の像の撫でられて丸き靴先なかんづく光る
新しき服に春風膨らませフランス坂を手を振りくだる
吹き荒るる風に葉桜の森撓み小雀一羽揉まれ出でけり
軍靴堅く地を踏み征きし若き脚 一途に戦ふほかなかりし日や
森の小さき茸の傘も青ませて満月輝き天心にあり
高原に轢かれ平らになれる蛇臓腑はなべて風に散りたり
死に顔をわれも見らるる日のありと枇杷
大き朱印なかなか乾かぬ集印帳
挽き立てのコーヒーを買ひゆるりと行く絶えず霧笛の鳴る梅雨の街
寝入りたる幼子
世の常の型なる二尺の墓となり平賀源内故郷に陽を浴ぶ
トンネルのかなたほかりとあかるむは君住む村か 紅葉してゐる
旅遠く来りて山の夕の膳に添へられし菊髪に挿したり
島国に住みて叶はぬ夢ひとつ「えい」と声あげ国境越ゆること
敗戦にうからら沈みし日本海天皇少しも知りまさぬこと
耳元にサイカチの実を振りて聴く安政生まれ亡き祖母の声
青墨の一本買ひたく奈良の街の薄日の冬を漂ひ行けり
パン ワイン 林檎 かたへの冬ごもり われは死なずと暫く信ず
マネキンの外されたる腕横たはりしな作る指
わか
「総帆展帆」号令のもと日本丸の白帆大空にゆるゆる広がる
青空に広げられたる日本丸の総帆白きを風ふくらます
十歳は若く見ゆとの世辞信じ雪に蛇の目傘音たて開く 以下「近作」
春遅く芽吹く峠の木々撓め吹き過ぐる風冷えを伴ふ
名も財も得ざりし果ての一人旅芽吹きの遅き峠に躓く
白系露人見しが チャールストン踊りしが 大正昭和うす闇の中
こばみ得ぬ「召集令」受くる手の震へ二次戦前の若妻に見き
「召集令」なぜ拒否せぬと戦前のわれらを
時雨来て枯れ野の色を深くせり又の逢ひ言ひ手を振りかはすに
宵早く戸を
城壁の厚き石組みおもむろに濡れつつ西安今日も春の雨 (西安二首)
夕雨に濡るる城壁に耳を当て過ぎにし代々の人の声聞かな
二十年経て再び見る北京の空春柔らかき藍色に澄む
小学生五十人ほどの運動会車窓に見えて忽ちに過ぐ
年齢を最もあらはす手に白きレースの手袋はめ逢ひに行く
記者の日の同僚大かた亡き銀座歳晩大き月出でてをり
言ひ返ししわが一言の正しきを幾度も思ひ眠りに
われを捨てし父除く祖の万霊に
風さやに吹く港町買ひ持てるガラスの風鈴絶えず
トンネルを出でて明るき街のあり鼓笛隊ゆるく
林芙美子 内田百間 思ひ出に畳みてわれの記者の日も古る
雨しきる街に電池買ふ電子辞書わが為機敏に動きくれむため
若ければ戦時を知らぬ者ら易々と自衛隊派遣定めて気負ふ
岸壁を打つ波の音和らげり
成り行きにて二十回重ねし転居終り信濃に堅茹で蕎麦
──以上──
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2002/08/14
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