季感に就いて
季感、季語、季題等について、以前いろいろに考へ、研め、悩みもしたことがあり、又たそれを書いたこともあります。それ以上、今日新たに会得したこともなければ、是非書いて見たいと思ふこともありません。強ひて書けば、以前のおさらひをするに過ぎないのであります。
以前西洋を旅行してゐる時、或人が
これはほんの一例に過ぎないので、私自身イタリーの山岳地帯を歩いた時も、数丈の高さに伸びた大木の林檎が、今や花盛りで、日本の櫻以上に美しいと思つた広大な林檎園をいく度も見たのでありますが、そこでは誰一人花見をするといふ様子もない。花と人間の繋がりが全く絶たれてゐる光景を、如何にも物淋しく感じたことがあります。これが日本であるなら、林檎花下の蜂歌蝶舞、さぞ狼藉を極めることでせうが。
月に親しみ、花にうかれる、それは日本人の
これがやがて我々の季感であり、俳句の季語、季題となる素地であると思ひます。民族的に培はれたものが、俳人の敏感性によつて、より深く、より広く、よりデリケートに感受されて
元日や神代のことも思はるゝ 守 武
では、まだ一般民族性の自然感を出てゐないやうです。
元日や一系の天子不二の山 鳴 雪
が、大衆に
元日や畳の上の米俵 北 枝
になると、大分俳人的敏感性が働かなければ会得出来ないものがあります。畳の上に積まれた米俵に、言ひ知れぬ悦びと、豊かさと、めでたさと、美しさと言つた複雑なショックをうける。それは今日の生活を迂闊に鈍感に見過してゐる者には、むしろ不可思議な世界であります。又たそれが厳粛なといつていゝ元日感を象徴するものとなるといふのも、この作者の持つ、いや俳人的詩人の持つ敏感のゆゑでもあります。一方から言へば、元日といふ季感が、俳人的敏感によつて、深められ、又た微妙化されて行くのであります。
元日や草の戸ごしの麦畑 召 波
になると、更に一層俳人化いや詩人化されたものになつて行きます。季節と言ひ、米俵と言ひ、
一般民族性を基調として、それが派生的に特種化されて行くのは、総ての文化の通則と言つても宜しいやうです。一般民族性に訴へるものを、排斥する
細かく一般民族性の内容を検討し、それから派生し、又た特種化されて行く径路を、季感の上にも解剖し図示することを得るなら、それも、俳句発達史上に有意義のことであるでせうが、それには緻密な頭と、浩瀚な材料が必要になります。生涯の研究を竢つても恐らく成し遂げられない大事業となるとも考へられます。著しい例を言ひますれば、
露をおきて花やたわゝの深見草 宗 牧
花よりも団子で見たし二十日草 紹 巴
二十日余りさくや我名を忘れ草 宗 養
などのやうに、牡丹を詠むにも伝来の其の異名を借りて、花の豊かさを理知的に現はさうとした俳句初期時代の作に比べて
僧正の牡丹動かぬ朝日かな 子 珊
冬花亭に山鳥の庭籠ありければ
山鳥を庭に絵かきて牡丹哉 乙 由
広庭にゆたかに開く牡丹哉 智 月
などの次ぎの時代になると、牡丹をもつと、まともに、自然の存在として見ようとする傾きを生じます。深見草、廿日草、忘れ草、鎧草などといふ伝統的な異名は、もう忘れられたものになつて、牡丹の自然に即しようとする運動を起してゐます。さうしてそこに、牡丹といふ季感の変化が感ぜられます。伝統的な異名に拘泥する概念化が、自然を自然として見る具象化に推移して行くのです。
牡丹散つてうちかさなりぬ二三片 蕪 村
園ふりて
花守のけふ申上ぐる牡丹かな 正 名
次ぎには其の具象化が、段々精彩な細かい局部的な観察を誘致します。牡丹といふ花の実質的存在がいよいよ明らかにされます。花の王とか、富貴な花とかいふ伝統観念が、全く取り去られないまでも、我見たる、我感じたる牡丹、そのものを主張し諷詠し、伝統よりも、経験に突入して行くことになります。さうして他方に、
方百里雨雲よせぬ牡丹かな 蕪 村
日光の土にも彫れる牡丹かな 同
蟻王宮朱門を開く牡丹かな 同
閻王の口や牡丹を吐かんとす 同
広庭の牡丹や天の一方に 同
のやうな、作者の趣味性によつて想化した或理想美をも生みます。かうなると余程牡丹の季感も変動して、豪壮華麗ともいふべき絢爛目を奪ふものになります。即ち蕪村によつて初めて闡明さるゝ、余程個的なものになります。言ひ換へれば、蕪村の創造した牡丹美であつて、詩の創造性から言へば、季感にまで一時期を劃する重大な一飛躍でもあります。蕪村の個人性の創造した牡丹美であるからと言つて、それが牡丹の素質自然を
これは単に牡丹の一例の、或著しい尖端を言つたのに過ぎませぬが、総ての自然感、季感も、亦た大体かやうに、一般性、伝統性、実在性、想化性と時代又たは個人によつて変化し推移するもののやうに思はれます。ですから、或天才の創作によつて、飛躍的な変化を来す場合もあり、又た時代の思想趣味性によつて、いつの間にか変化してゐると言つた事も有り得るのであります。
と言つて、元日と年の暮が転倒したり、梅の花が牡丹の花になつたりするやうな混乱が発生し得るとは考へられません。季感も其の先天性が失はれ、無限の後天性の変化を見るものとも想像されません。こゝに季感の恒久性と流転性といふことが明らかにされるやうであります。元日感はいつまでも元日感であり、梅は梅、牡丹は牡丹、其の季感に或不動のもののある、それが恒久性であり、其の恒久性の上に派生して行く時代又たは人によつて生ずる変化、それが流転性であります。
本来季感も、人生と共に生きてゐるものであり、死灰と同じに不動固定のものではありません。昔の歳時記を見ますと、何々神社の祭日とか、何々寺の供養といふやうな項目が澤山あります。が、今日ではもはや過去に属して何等の感興をも惹きません。これらは大きな季感の動きで、概観的に季感及び季語の流転を示してをります。さういふ流転は、神佛の祭日ばかりでなく、自然の草木禽獣にも亦た有り得ると想像していゝと思ひます。
かやうな初期的根本観念を述べてゐるうちに、もう所定の枚数に達してしまひました。季感問題も尚ほ此の上に多くの考ふべき項目がありまして、俳句に季感を必要とする所以にまで説き及ぼさうとすれば、前途甚だ遼遠であります。已むなくこゝで筆を
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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