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四百年の鍋(抄)

目次

  面食いの国にて

あのマルコ・ポーロがここから麺を持ち帰り

世界に広めたという中国・山西省を訪ねた。

近ごろウドン王国といわれる埼玉の姉妹省で

「麺在山西」(麺は山西に在り)を謳歌する。

こちらの人を見ならって三食麺食の舵の続く中

明代の城郭都市平遥城(へいようじよう)の手前の町で

ぼくらのバスはウンカのように湧き出した

無数の屋台に取り囲まれて小一時間も立往生した。

仕方なく下車しご当地麺類事情の拝見と洒落たのだ。

午後の二時。大通りを埋めた屋台はほとんど麺の店。

米の獲れない山西では小麦はもちろん、燕麦、高梁、

玉蜀黍、大豆、緑豆など雑穀は何でも麺にする。

あるわ、あるわ、まるで麺料理の見本市みたいで

どの店の出しものも違って見える。

莜麺(ヨウメン)というオートミールの一種から作る麺に

赤大根と胡瓜の千切りを載せ、辛いタレをつけるのが

日本のザルそばのルーツというが、どうれ、と

見渡すと、あちこちでやっていた。向こうでは拉麺(ラーメン)

原点そのもののような大男が大きな麺種を手玉にとり

顔を真っ赤にしながら、何度も何度も引き伸ばしている。

拉麺の(ラー)は引っぱること、これも山西が発祥地だそうな。

ぼくの真ん前は汁そば屋で、大鍋のふちに

製麺機を取り付け、二の腕大の麺種を

無理矢理押し込むと、大鍋の熱湯に即席の麺が躍る。

その隣は焼きそば屋で、フイゴを激しく動かして

大鍋を熱し、麺を鷲づかみにして放り込む。

どちらも客が麺を口するのに十数秒とかからない。

道理で、そこここに「快餐(クワイサン)」の幟が立っていた。

この辺りはまたファーストフーズの元祖でもあったのだ。

山西省は美人の産地としても知られる。

簡体字のせいで、麺は面となり

麺食いも面食いも一緒になってしまったが

幸い、ぼくは、そのどちらも嫌いではない。

  苦い豆腐

臭いっ! 辛いっ! 苦い! 不味い!

いったい、これなんだと ぼくは驚いた。

焼き豆腐の上にどろりとしたタレが塗ってあり

とても、食えたものではない、これじゃ

中国人の沽券にかかわる不味さではないか……

と、しかめっ面をしてみせると、ガイドのMさんは

「わざと不味くしているのです」と

こともなげに言う。

なんでも錬金術のように美味に化かすことで

知られる中国人が、そんなことするとは

意外千万と思いきや

このあたりは紀元前二百年以上も前の長平の戦いで

  秦の白起将軍が戦国七雄の一趙の軍勢を破り、降

  った兵四十万を欺いてみな生き埋めにしてしまっ

  た古戦場だ。

「それで趙の子孫たちは、白起に深い恨みを抱きそ

  の怨念を晴らすために、白い豆腐を彼に見立てそ

  れを火で炊き 熱湯で茹で、さらに辛くて臭い香

  辛料を塗ったくって味わい、昔の恨みを忘れない

  ようにしているのです」

うまくなくて不味いからいいのだという。苦い

思いをすれば、坑殺された兵士の無念さを

偲ぶことも白起への怒りを呼び戻すこともできる。

中国人は、味覚の中に、故事を刻みつけるのだ。

長平の戦いから正確に二千二百五十五年を経た一九

  九五年四月、ここ山西省高平市の郊外にある永録

  村。この村の農夫、李某さんが人骨に突き刺さっ

  ている矢尻を発見、それが戦国時代のものと分か

  って考古学者は色めいた。

天下分け目の長平の戦いの戦場になったのがこの永

  録村の周辺で

「骸骨山」というのがあって人骨がよく出てきたが

  いつの時代のものか分からなかったのだ。

その年の秋から本格的な調査が始まり、長い列にな

  っている骸骨が次々に発見され、五体の揃ったも

  のが百四十体にも。刀傷はほとんどなく、後手に

  縛られた遺骨もあった。

史記によると長平の戦さは、秦軍の圧倒的な勝利に

  終わり、反乱を恐れた白起将軍は、降伏した趙兵

  のほとんどを生き埋めにし、許されたものは僅か

  二百人に過ぎなかったという。

それが本当ならば、このあたりにはなお四十万人近

  くの骸骨が埋まっていることになる。

悪党のことを忘れないための食べ物に、もうひとつ

 「油炸檜(ユウチヤクイ)」というのがある。「油条(ユウチヤオ)」とも言って小

  麦粉をこねて揚げた細長いパン、二本ひと組にな

  っている。

南宋の愛国者、岳飛を陥れた秦檜夫妻がモデルでこ

  いつを粥に浸したりして食うのだが

これがなかなかにうまくて、すぐ病みつきになる。

  いまも中国の大衆の朝飯には欠かせない存在でこ

  れを食いながら、岳飛の忠節を偲び、かつ秦檜の

  奸計を憎む

一方、不味いものを食べて憎む焼き豆腐のほうはさ

  すがに全国には、広まらず、山西省でも永録村や

  高平市だけに伝わる不味い名物だ。

続々と見付かる骸骨をまのあたりにして趙の国の後

  裔たちは、きょうもまた苦虫を噛みつぶしたよう

  な顔をしてあの焼き豆腐を食べていることだろう。

  四百年の鍋

四百年もの間、一度も火を絶やさずに煮え続けている幻の煮

 込みよお前は不思議な味がする

お前は、スッポンの縁側の味がする

パンツのゴムによく似た豚の瞼の筋肉の味がする

冬眠前の雪蛙の背油の味がする

駱駝の瘤の日向っぽい味がする

(さそり)の唐揚げの味がする

蝙蝠の糞から採取した蚊の目玉の味がする

強制給餌で肥大させた家鴨の胆の味がする

蜜に漬けた鼠の胎児の味がする

左利きの雄熊の掌の味がする

崖から落ちた男の手に握られていた岩燕の巣の味がする

皇帝でも滅多に食べられなかった豹の胎盤の味がする

大黄魚(いしもち)の浮き袋の味がする

活きたままの猿の脳味噌の味がする

痩せた猩々の唇の味がする

清の康煕帝が延べ三千頭の馬で運ばせた惜鱗魚(ひらこのしろ)の味がする

これらを合わせて、複雑にしてしかも簡明な味がする

果物ばかり食べている果子狸の甘酢っぱい匂がする

駱駝の蹄の埃っぽい匂がする

人間の乳と桑の実だけで育てた子豚の匂がする

草原の象の鼻の匂がする

人肉によく似た茘枝(ライチー)の匂がする

焼けた鉄板の上を歩かせた鵞鳥の水かきの匂がする

蝉の乳漬けの匂がする

グウルモンの詩のシモーヌという女の匂がする

その他もろもろのものがもろもろと重なった匂がする

お前は、これらすべてのものを合わせた味と匂がする

これまで、おれが食ったすべてのものの味と匂がする

枯淡かと思うと新鮮で、濃厚かと感じると淡麗でもあり

単一にして複雑なアンビヴァレントな味と匂がする

中国四川省のどこかにあるというこの幻の煮込み料理を

不幸にして、おれはまだ食べたことがない

四たび、彼の地を捜し回ったが、まだ見つけられないのだ

その代わり何度も夢の中で見た、そして食った

雑多な食材を大鍋の奥のほうに注ぎ足してゆくから

ドブのような色をしているに違いないと思っていたが

夢の中では、意外にも銀白色に輝いていた

永年煮込み続けていて、どろどろになっているから

日本のおでんのように一個いくらではなくて

一椀いくらで、売っているのだそうな

中国の奥地のどこかで、今もぐつぐつ煮え続けている大鍋よ

どうか、おれの行くまで火を絶やさずに待っていてくれ

うま味をじんわりと、いよいよ深めながら待っていてくれ

  道

この国にあっては、道は必ずしも人馬や車が通る

だけのものとは限らない

渋る亭主を無理矢理表に引っぱり出して

道路で夫婦喧嘩の再開をやらかす女がいる

どちらの言うことが正しいか

みんなに聞いて貰おうというのだが

亭主のほうは、にわかに旗色が悪くなり

辟易してしまって、すごすごと退散する

郊外の工場などは、ほとんどが給食のようだが

なぜか、歩きながら食べる人が少なくない

いつか南京の近くの衣料品工場を見学したとき

数十人の女子工員が、アルミの食器に入れた

あんかけ飯をかきこみながら道路を歩いていて

あっけにとられて眺めたのを思い出す

世界のパスタ料理の原点とされる山西省では

うどん・そばの屋台が数百軒も出るため

昼食時にメインストリートを閉鎖する街もある

食事といえば香港や台湾では、商店が

「ただ今、昼食中」の張り紙を出して店を閉め

外の歩道にテーブルを持ち出し、これ見よがしに

衆人環視の中で食っている姿をよく目にした

田舎では、バス停は表示もなければ時刻表もない

バスが来るころ人が集まってくるし

人が集まっているころバスは来る

日に二度ほどバスが来るまで村の四辻は

またとない格好の社交場となる

秋の収穫期に郊外に向かうといたるところで

道路が(すだれ)を敷いたようになっている

道路に稲穂や雑穀の穂を撒き敷いて

車に脱穀をしてもらっているのだ

夕方、車の往来が少なくなると大きな竹箒を

持った農夫たちがやってきて殻を取り除き

道路を掃いて袋に詰めると

労せずして、脱穀の完了となる

炭鉱は、僻地にあるから未舗装の道が多いのだが

これには、わざと凸凹がつけられていることがあり

発電所用に細かくした石炭を積んだトラックが

通るたびに大きく揺れてザラザラと荷台からこぼれる

すると道の両側から、おばさんたちが湧くように集まり

小さなシャベルですくう

よく見るとどの家の前にも石炭の小山が並んでいた

そしてまた中国の道路は、僕らが目にしなくなって久しい

野辺の送りや賑やかな葬列にしばしば遭遇させてくれる

それも、たいていは、陽気な楽隊付きで……

道路は、討論の場であり食堂であり社交場であり

脱穀機であり、燃料の補給所であり、& etc.

こちらでは、こんなにさまざまな用途と効用がある

けれどもそれだけだろうか……

道という字は、しんにゅうに首で、古代に

異族の首を埋めて道を清めたことに由来する

いま、異族のものの首が埋められることはないが

重罪のものは、何族であろうが二審も三審もなく

場合により、市中引き回しのうえ、公開で処刑される

始皇帝の陵のそばから出土した陶人形の頭を

200ドルでアメリカ人に売り渡した農夫も

パンダの生皮を外人に売った男も直ちに銃殺された

ヒト科ヒト属ヒトも、ここでは、時に古代同様

大熊猫の皮やテラコッタ人形にも及ばない

背筋にふと、ひんやりしたものを感じて振り向くと

古代から、中世も近世をも経ることなしに

現代に直接つながってしまったこの国の道路の一本が

うんざりするほど真っすぐに伸びていた

ガイドのMさんが、ぽつりと言った

「中国は広いの国だから道路曲げる必要ないのです」

  対牛弾琴(たいぎゆうだんきん) 故事新釈(2)

 とんとむかしおもしろい学者がおったと。後漢の末に弁融(べんゆう)という

おもしろい仏教学者がおったと。儒学者たちに仏教を教えるのに仏

典ではなくて儒学の詩経や書経を引用して説いたのだそうな。儒者

たちがこれを咎めると弁融は言った。卿らは仏典を読んだことはあ

るまい。それゆえ卿らのよく知る経書を引用するのが分かりやすい

からだ、と。それからおもむろに公明儀(こうめいぎ)の故事を持ち出したそうな。

 あるとき公明儀が草を食べとる牛に琴の名曲清角(せいかく)(そう)を聞かせた

ところ、牛は知らぬふりをして草を食べ続けたと。それでこんどは

蚊、蝿、小牛などの鳴き声によう似た音を琴で弾いたところ、牛は

草を食べるのをやめ、尾を振り耳をそばだてて聴き入ったと。卿ら

に詩経を引用して説法するのも同じ道理からじゃよ、と言われて儒

者たちは感心してしゅんとなってしまったと。それから弁融の言う

ことに熱心に耳を傾けるようになったそうな。けれどもな、だいぶ

経ってから対牛弾琴つまり牛に(むか)って琴を弾くとは、牛に経文、馬

の耳に念仏と同じ意味だと、自分らが愚かな牛に喩えられたと知っ

て学者たちは地団駄ふんで口惜しがったが、あとの祭りだったと。

だからひとに馬鹿にされたときは、その場で怒って一矢報いねばな

らんものだと気が付いたがこれもあとの祭りだったとさ。それでお

しまい、もうないと。

 *昔、公明儀、牛ノ為ニ清角ノ操ヲ弾ズ。伏シテ食フコト(もと)ノ如シ。

 牛ノ聞カザルニ非ズ。其ノ耳ニ合ワザルナリ。

         (梁の釈僧佑の撰、「弘明集」理惑論)による。

  人非人(ひとでなし)犬非犬(いぬでなし)

      ひと攫ひめく男覗きて 珠女

     入り混じる人面犬と犬面人 瓶也

街ゆく人びとの面相が日増しに悪くなってきた。

人の皮をかぶった獣と獣の皮をまとった人が闊歩し

人面犬に混じって犬面人や人非人もやたらに増えた。

大辞典に曰く、人非人は(人であって人でない)の意味

ならば、犬非犬は(犬であって犬でない)ということだ。

前者は、すでに巷にあふれているが、犬であって犬でない犬

 など逆立ちしてもお目にかかれない。

つまり、犬非犬より人非人のほうがずっと多いのだ。

俺は、あるじゆずりの正義感もだしがたく

人非人どもに、ひと泡吹かせようと決意した

俺の出生やら為犬(いぬとなり)を語ると長くなるが、飼主は

俺にムラヤマという名を付け、呼び捨てにして

ひとり悦に入っている

記者あがりと言うべきか、くずれと言うべきか

ともかく元新聞記者のあるじは、リンカーンに似た

M元総理の大ファンで眉毛の長い俺を見付けたのだ

ご本尊ミスター・ブラウは意外に相当な洒落老で

絶えず大小二本の櫛を持ち歩き、その短いほうで

しょっちゅう物陰で眉毛をなでつけているとか

それに倣って俺も月に一度は犬の美容院に行き

頭をゆわえ眉毛を整えて貰っている

さて、俺は手始めにまず筆を銜えて走り回り女子大の

周囲の電柱に、いっぱい貼られた愛人クラブの看板に

ちょっと細工をして、風俗業者に致命的な打撃を与えた

どんな落書をしたのかって そうさな

「愛人クラブ会員募集!」 の人のところに

1本の線と1個の点を書き足して

「愛犬クラブ会員募集!」に変えてしまったのだ

日本表彰状発行協会(NHK)というところから

さっそく立派な表彰状が来た。 曰く

〔アナタハ、人間風俗の矯正ニオイテモ

 短足ナガラ、長足ノ進歩ヲ遂ゲ、セクハラノ

 解消ニ大キナ足跡ヲ残シマシタ…うんぬん〕と

父親は公園の砂場に変な足跡を残しただけなので

短足の俺は思わず、自分の足元を見た

けれども、立派なのは賞状だけで、賞金はなく

副賞は松阪牛の骨だけだった

が、曹操の鶏肋より、ずっと味もヴォリュームもある

そう思って短田町のムラヤマは、にんまりとした

  * 筆者らによる連句「白魚の巻」より

  間もなく満員

この国が戦さに敗れたあと

なぜ、戦争を放棄することにしたのか?

いろいろな事情があったのは事実だが

われわれ犬族の間で密かに囁かれていることにも

しばし耳を傾けてほしい

この国が戦争を放棄した本当の訳は

さる筋からの要請によるもので

実は、神様が増えすぎたために他ならない

八百万神(やおよろずのかみ)とかいって昔からこの国の

神様の定員は八百万と決まっているが

それが、戦没者を祭るY神杜の

祭神だけでもすでに二百四十六万柱

神様は木製ではないはずなのに

なぜ、なん「柱」と勘定するのか

とんと見当が付かないが

ここだけで神様定員の三分の一を超えてしまうのだ。

そのうえこの国には、お稲荷さんだけでも

三万とんで七百五十社あまり

全国で八万以上の神社が、欲ばって

たいてい複数の祭神をもっているから

このうえ、大戦争が起こって

神様にゴマンとではない

数百万も増えられては

たまったものではない

たった一人、(あき)(かみ)として生きながら祭られた

さるお方も敗戦後さっさと人間宣言をしたので

神様の枠は一柱分増えたが焼け石に水だ

間引かなければ、神の座から

こぼれ落ちる弱小の神様も出よう

一体にこの国では、なんでも神様になる

なんでもと言っては失礼だが

歴代の天皇や歴史上の人物や

百済の王や高麗人などの帰化人ならまだしも

N将軍のような自殺者や、救国の雄とはいえ

T提督のような軍人を神様に祭り上げるのは

どういうものかな

われらのような犬を祭った神社はまだないが

東北には、河童を祭神とする神杜まである

多神教の神様たちにも人ベらしならぬ神ベらしが必要だと……

昨今はあの世もなかなかに厳しいご時世であるそうな

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2009/08/04

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狩野 敏也

カノウ トシヤ
かのう としや 詩人。1929(昭和4)年、北海道生まれ。北海道大学法学部卒。1952(昭和27)年~1987(昭和62)NHK勤務。

詩集に『おほうつく』(第3回埼玉文芸賞)、『四百年の鍋』(埼玉詩人賞)、『鶏(とり)たちの誤算』など。掲載作は独特のアイロニーという薬味を効かせた味のある詩群で、『四百年の鍋』(1999年、土曜美術社出版販売)より抄録。

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