初編自序
世界各国の諺に。仏蘭西の着倒れ。英吉利の食だふれと。食台に並べて譜ど。衣は肌を覆ふの器。食は命を繋ぐの鎖。心の猿の意馬止て。咲いた桜の花より団子。色即是空色気より。餐気を前の佳美肉食。牛にひかれて膳好方便。仏徒家の五戒さらんパア。虚と実の内外を西洋風味に索混て。世に克熟し甘口とは。作者が例の自己味噌。家言もあしの不果放行。彼小便の十八町。慢々地急案即席調理。刻葱の五分ほども透ぬ測量のタレ按排。生肉の替りは後輯にして、一帙端を採給へと。文明開化開店の。告條めかして演述になん
明治四歳辛未の卯月初の五日
東京本石街萬笈閣の隠居に於て
牛の煉薬黒牡丹の製主
假名垣魯文題 印
標目従初編至貳編
○西洋好の聴取 ○商個の胸会計
○堕落個の廓話 ○藪医の不養生
○鄙武士の独盃 ○文盲の無茶論
○野幇間の諂言 ○半可の浮世談
○諸工人の侠言 ○人車の引力言
○生文人の会談 ○話家の楽屋落
是に洩れたるは嗣編に著すべし
牛店雑談 安愚楽鍋初編全 一名 奴論建
東京市隠 假名垣魯文戯著
開 場
天地は万物の父母。人は万物の霊。故ゆゑに五穀草木鳥獣魚肉。是が食となるは自然の理にして。これを食ふこと人の性なり。昔々の里諺に。盲文爺のたぬき汁。因果応報穢を浄むる。かちかち山の切火打。あら玉うさぎも吸物で。味をしめこの喰初に。そろそろ開化し西洋料理。その功能も深見草。牡丹紅葉の季をきらはず。猪よりさきへだらだら歩行。よし遅くとも怠らず。往来絶ざる浅草通行。御蔵前に定舗の。名も高籏の牛肉鍋。十人よれば十種の注文。昨晩もてたる味噌を挙。たれをきかせる朝帰り。生のかはりの粋がり連中。西洋書生漢学者流。劉訓に似た儒者あれば。肖柏めかす僧もあり。士農工商老若男女。賢愚貧福おしなべて。牛鍋食はねば開化不進奴と鳥なき郷の蝙蝠傘。鳶合羽の翅をひろげて遠からん者は人力車。近くは銭湯帰り。薬喰。牛乳。乾酪(=洋名チーズ)。乳油(=洋名バター)牛陽はことに勇潔。彼肉陣の兵粮と。土産に買ふも最多き。人の出入の賑はしく込合の節前後御用捨。御懐中物御用心。銚子のおかはり。お会計。お帰ンなさい入ラツしやい。実に流行は昼夜を捨ず繁昌斯の如くになん。されば牛はうしづれの同気もとむる肉食群集席を区別しありさまを。一個々々に穿て云はゞ まづざつとしたところがこんなものでもあらうか
○西洋好の聴取
▲ 年ごろは三十四五の男いろあさぐろけれどシヤボンをあさゆふつかふと見えてあくぬけていろつやよくあたまはなでつけかそうはつにでもなるところが百日このかたはやしたるを右のかたへなでつけもつともヲーテコロリといへる香水をつかふとみえてかみのけのつやよくわげはかくべつおほきからずきぬごろのみちゆきぶりにたう糸二タ子のわたいれまがひさらさの下タ着うらははりかへしのがくうらなるべしカナキンではりたるかうもりがさをかたはらへおきくるしいさんだんにてもとめたる袖時計のやすものをえりからはづしてときどきときを見るはそつちのけじつはほかのものへ見せかけなりたゞしくさりはきんのてんぷらと見えたり○となりにうしをくひてゐるきやくにはなしをしかける 「モシあなたヱ牛は至極高味でごすネ此肉がひらけちやアぼたんや紅葉はくへやせんこんな清潔なものをなぜいままで喰はなかつたのでごウせう西洋では干六百二三十年前から専ら喰ふやうになりやしたがそのまへは牛や羊はその国の王か全権と云ツて家老のやうな人でなけりやア平人の口へは這入やせんのサ追々我国も文明開化と号ツてひらけてきやしたから我々までが喰ふやうになつたのは実にありがたいわけでごスそれを未だに野蛮の弊習と云ツてネひらけねへ奴等が肉食をすりやア神仏へ手が合はされねへのヤレ穢れるのとわからねへ野暮をいふのは究理学を弁へねへからのことでげスそんな夷に福澤の著た肉食の説でも読せてへネモシ西洋にやアそんなことはごウせんこの人ござりませんをごウせんござりますをげスなどいふくせあり彼土はすべて理でおして行国がらだから蒸気の舩や車のしかけなんざアおそれいつたもんだネ既にごらうじろ伝信機の針の先で新聞紙の銅板を彫たり風舩で空から風をもつてくる工風は妙じやアごうせんかあれはネモシ斯いふ訳でごぜヘス地球の図の中に暖帯と書てありやす国があるがネ彼所が赤道といツて日の照りの近イ土地だからあついことはたまらねへそこで以テ国の人が日にやけて皆なくろん坊サそれだからその国の王がいろいろ工風をして風舩といふものを造ツて大きな円い袋の中へ風をはらませて空からおろすとそのふくろの口をひらきやすネ。すると大きなふくろへ一ぱいはらませてきた風だから四はう八方へひろがツて国の内がすゞしくなるといふ工風でごスまだ奇妙なことがありやす魯西亜なンぞといふ極寒い国へゆくと寒中は勿論夏でも雪が降ツたり氷が張ので往来ができやせんそこで彼蒸気車といふものを工風しやしたが感心なものサネ一体蒸気車と云ものは地獄の火の車から考出したのださうだが大勢をくるまへのせて車の下へ火筒をつけてそのなかで石炭をどんどん焚からくるまの上に乗てゐる大勢は寒気をわすれて遠道の通行ができやせうナント考へたものサネ。何サこのくれへな工風は彼土の徒はちやぶちやぶ前でげス此大千世界の形象せへ混沌として毬の如しと考へたはサ。その以前は釈迦如來が須弥山と号けたところが西洋人はまんまんたる海上を渡ツて世界の果からはてまでを見きはめたのだから釈迦坊も後悔したさうサそこで以て海をわたる工風を西洋じやア後悔術といひやすはナヲヤモウ御帰路かハイさやうならヲイヲイねへさん生で一合。葱も一処にたのむたのむ
○堕落個の廓話
▲ 年は二十四五いろなましろくあたまのかみはたくさんにていてうにゆひはなしかの圓てうまがひおめしのあゐみぢんの小そで一ツどう着はさだめし女の物をなほしたりとおもはれ二三日ゐつゞけでぼんやりしたすがたすこしやつれを見せるたちなりぎんぐさり十六ほんのたばこいれしやうのあやしきにしちどやきぢよしんばりのきせるねつけはぞうげのかゞみぶたにてこれも仕いれものとみへたりときどきうでをまくりてうでまもりのぎんかな具をひけらかしつれとふたりさしつおさへつのみかけ目のふちをあかくしてきいろいこゑをたかてうし 「半ちやんゆふべの世界はおいらはじつにふさいだヨ彼楼へは三四たび登楼たことのあるのだからけんのんだといふのに竹坊がむやみにあがらうといふからおめへは一件の処へ脱走してしまうしおいら一人ほかへあがるのもおもしろくねへから野面であがりこんだところがあひにくと二会までいつた遊女がおいらに出ツくわせたらうじやアねへかこいつは不見識だとおもつたけれどひきつけのときごまかしてわきを向いてゐたからお茶屋が気をきかしてヘイおめしかヘトはやく切あげたのでその場はきりぬけたが番新めがおいらの顔を見おぼへてゐやアがつて。ひけて座しきへ這入るとすぐにモシヱぬしやアよくきなました人がわるウざんすヨこれサお茶屋の人このきやくじんは跡の月の三日に田町の弁天平野から三人一座で二会に来なましたお客だますヨト敵にこゑかけられたからうしろを見せるのも外聞がわるいとはおもつたが馴染金散財にやア代られねへこれをきくがいなや小便にいつて。その帰り足にはしごをトントン。はきものヲトみづからこゑをかけて茶屋の女を。おきざりまいねんさつサとござれやといふ身で飛出して茶屋まですたすた帰ツたところが女中が跡から追ツかけて来てなにかお気にさはツたことでもございましたかは。ヱヽコウ。いゝじやアねへか。ダガノおいらのやうに年びやく年中吉原へ計りはいりこんでゐちやアかほがわるくなつてさきがこわがつて相手にしねへから嶋ばらへでも巣をかへやうとおもツてゐるのサなんだツても丸三年といふもの一トばんもかゝしたことがあるめへじやアねへかそれだから宝槌楼のことばの「かうなんしあゝなんし」から鶴泉の「くされてゐる」「だしきつてゐる」平泉じやア客を古風にぬしといひサ、「なんだます」「ぢれツてへ」といふことから松田屋のつの字ことば。角ゑびのはやことに岡本の「くるはヨ」「ゆくはヨ」金瓶大黒じやア「あゝやだヨ」といふことばを禁じられたシ尾彦の朝のむかひのはやいのヤ大文字屋の気のかるいの。伊勢六の大見識の内ゆるみまでを知ツてゐるシ。岡田屋のおいらんたちは傾城水滸伝の種本で甲子屋のしん造衆が客のくるかこねへかを茶屋に念をおすことまでしようちしちやア楽屋が見どほしで客になつてもおもしろいあそびはできねへからずつと世界を見やぶつて新造買もして見たが次の間あそびはがうせい気ぼねのをれるものだしいまの壮年サにあんまり老人じみるからそれも廃して藝者と出かけたが組で八十匁はつゞかねへ。うら茶屋ばいりの汐待もたいぎだからグツト色気を去ツて幇間を買ツてあそんでも見たが彼奴等はどうも友を呼でならねヘヨ此あひだも新孝をさそツて金子へ夕飯を喰ひに行とあとから喜代寿に正孝序作露八なんぞといふ流行ツ子がどかどかとおしこんで来てかけがへのねへ大楮幣をとうとう一枚こすらせられたぜモウモウなか(吉原)はごめんごめん。しかし今夜は廓の名残に。彼一件の処へ出かけるつもりだが。もうひとばん附合ふべしサなに又株ダ。イヤサ実にこんやで根ツきり葉ツ切りほんとうにこれぎりこれぎり扨おてうしもおつもりダ
○鄙武士の独盃
▲ としごろは三十ばかりいろあくまでくろくあたまは自びんのくさたばねもつともそうがみの火のつきそうなみだれがみくろもめんのもんつきとんつくぬの子に小くらのよごれくさつたるはかまみぢかき一ぽんがたなのつかのよごれをいとふかあるひはつかいとのほつれをかくさんためかしろもめんにてぐるぐるとまきつけつんつるてんのきものをうでまくりしてしやにかまへよほどゑひがまはりしと見へてわりばしのさきにたれのつきたるを二ほんつかみて手びやうしをうちながら大きなどすごゑにて 詩「衣は骭にいたりイそではア腕にいたるウ腰間秋水。鉄を断べしイ。人触れば人を斬。馬ふるれば馬を斬るウ。十八交をむすぶ健児の社ア引。是ヤ是ヤ女子酒ヱもてこずかイ。こやこやそしてナ生の和味のをいま一皿くれンカ。アヽ愉快じや愉快じや トあたりをきよろきよろみまはしてとなりにゐたるさむらひをじろり見やりくづしたるひざをたてなほし ハア失敬ごめんコヤ女子なにを因循(=マゴマゴ)してをるか勉強(=ツトメ)して神速(=スミヤカ)にせい トいひながら又こちらのさむらひにうちむかひ 君牛肉は至極御好物とすゐさつのウ仕るが僕なぞも誠実(=マコトニ)賞味いたすでござるイヤかゝる物価沸騰の時勢に及ンで割烹店(=リヤウリヤ)などへまかりこすなんちふ義は所謂激発(=ヤケニナル)の徒でござる此牛肉チウ物は高味極まるのみならず開化滋養の食料でござるテ。イヤ何かとまうして失敬。御めんコヤコヤ女子一寸来ンかコヤ。あのうナ生肉をナ一斤ばかり持参いたすンで。至極の正味を周旋いたイてくれイアヽ酩酊きはまツたヲヽ生肉かゑゝはゑゝは会計はなんぼか じんく「愉快きはまる陣屋の酒ゑん中にますら雄美少年引 トはなうたをうたひながらあらあらしくかたなをさげたけのかはづゝみをつかにかけて女子またくるぞ トほうの木ばのはきものがらがらおもてへたちいで うた「しきしまのやまとごゝろを人とはゞアヽヽヽヽあさひにイ匂ふウ山さくら花アヽヽヽ引
○野幇間の諂諛
▲としごろは三十二三かほほそながくせいのひよろりとしたをとこあゐみぢんのおめしちりめんたうざらさはへりばかりの下タ着にそろへきぬちゞみのくりうめにそめたはおりへちひさく五ツところもんをつけ上しうはかたのふながうしのりのつよいおびをしめまがひさんごじゆのをじめをつけたるくろざんの一ツさげねつけは角にてからしゝをつくりたる古風なさいくきせるは石州ばりのてんぷらなりときどきまゆげをあげさげしてくちをつぼめて物を云くせ有 ○つれはかねてとくいのきやくとおぼしくあさくさの地内あたりでゆきあひとりまきてはなれぬやうす のづ八「モシ若旦那どうでげスこのせつはでへぶ柳橋辺でおうかれすぢじやアごぜへせんかヱヽモシあまりまよはせすぎると罪になりやすぜ柳のすぢは誰でごぜへスはくじやうはくじやうヲツト忘れたり忘れたり二三日めへに嶋原の晩花から飛札到來すなはちたねは爰に有馬の人形筆ツ トくわいちうのかみいれよりうやうやしくふみをだしてみせかけ ヱモシあの娼妓はあなたにやアつとめをはなれた仕うちでげスぜイヱサ油をかけるなんぞといふのはひととほりのお客でげスあなたと拙がその中はきのふやけふのことじやないツマアおきゝなせへし此間内證の千臆さん 晩花楼主人の俳名をしかいふ へ甘海宗匠からの伝言をたのまれやしたから一寸顔を出したつひでに楼上へ参ツたところが私を見るとおいらんが野図八さん浮さんと同伴かへと次の間へかけだしてきなすツたから私がいちばんだまをくらはせてヘイ浮さんはいまさめや 清元栄喜の宅引手茶やなり へ寄ておいでなさるからすぐに跡からモシおいらん御愉快。なんぞお饗応なさいと十八番の銕をきめるとアヽまつてくんなヨとなにかそはそはしながら新造しゆうに耳こすりサ私は尾車さんや連山さんのところをまはつてくるうちに金花楼の珎味たつぷり手形の「びいる」が一ぽんとあらはれやした。ところでしやアしやアと御馳走てうだいの間がおよそ西洋時計一字三ミニウトばかりのひまだから娼妓の曰。のづ八さんうきさんはどうしなましたらうあんまりひまがとれるのだヨといはれてハツと胸にくぎ露顕ぬうちこつちからきりあげ揚貝ちよんちよんまく。ちよツくら私がおむかひに。ゆきますさいづちたばねのし廊下とんびも羽をのしてスタスタにげてきたさのサツサ。モシこんどはあなたとでもおともでねへと見つかりやアどんなめにあふかしれやせんヨアヽあんまりしやべツて咽がひつゝくやうになりやしたいきつぎにちやわんで一杯いたゞき女郎衆はよい女郎衆チト時代だがヲツトヽヽヽヽヽごぜへすごぜへす トぐつとのんであたまをたゝきなべのうしをむちやむちやくひまたはしをしたへおき わかだんなわかだんなちよつとごらんなせへやしとなりの年間はサちよつとあくぬけた風俗だが牛をば平気岡本で食る達者サはありやアたゞものじやアごぜへせんぜ。なんでも北里のお茶屋の妻君かさもなけりやア山谷堀あたりの舩宿の女房かしらん堀じやア見かけねへかほだがどうもわからねへヲツトほりと云やア紫玉の処へ絵短冊を客さきからたのまれやしたから今戸の弁次郎へ風炉の注文ながら一昨日ちよつくらよりやしたら外を藝の有明楼行が二タ組ほど通りやす。たそやと見れば豈はからんモシそれ一件のネ。お猫サそらいつか大七からはしけて浜中やへ連出した藝サ。ホンニおめへさんほど罪作りなみやうりのわるいお方はごぜへませんぜ彼奴私を見ると紫玉の敷居をまたいで若だんなはどうなさいましたあれぎりじやアあんまりでスからモウ一ぺん後生でございますヨとあたりをはゞかつて手をあはしてわかれやしたネモシあなたはどういふ腕を出して婦人をおころしなさるのでげス実にふしぎ妙でごぜへす。アヽおそれべおそれべ
○諸工人の侠言
▲ としごろは四十ぐらゐ大工か左官らしきふうぞくしるしばんてんもゝひきはらかけ三尺おびはよごれたれど白木のそろばんぞめよどばしまがひのたばこいれにあつばりのしんちうぎせるかみはしのをたばねたるごとくつれも同じくしよくにんながらこのじんぶつはとしかさといひことにあにでしにてもあらんかと思はれたるはなしぶりよほどゑひがまはりしとみへてまきじたのたかごゑにてゐばりをつけるくせあり 「ヱヽコウ松やきいてくれあの勘次の野郎ほど附合のねへまぬけは西東の神田三界にやアおらアあるめへとおもふぜまアかういふわけだきいてくりや夕辺仕事のことで八右衛門さんの処へつらア出すとてうど棟梁がきてゐて酒がはじまツてゐるンだらう手めへの前だけれどおらだつて世話やきだとか犬のくそだとかいはれてるからだゝから酒を見かけちやアにげられねへだらうしかたがねへからつツぱへりこんで一杯やツつけたがなんぼさきが棟梁でゑくでもごちそうにばかりなツちやア外聞がみつともねへからさかづきをうけておいてヨ小便をたれにゆくふりでおもてへ飛出して横町の魚政の処へ往てきはだのさしみをまづ一分とあつらへこんで内田へはしけて一升とおごつたはおらアしらんかほの半兵へで帰ヘツてくると間もなく酒と肴がきた処から棟梁もうかれ出して新道の小美代をよんでこいとかなんとかいツたからたまらねへ藝妓が一枚とびこむと八右衛門がしらまで浮気になつてがなりだすとノ勘次のやらうがいゝげい人のふりよをしやアがつて二上りだとか湯あがりだとか蛸坊主が湯気にあがつたやうなつらアしやアがって狼のとほぼへでさんざツぱらさわぎちらしやアがつてそのあげ句が人力車で小塚原へおしだそうと成とかん次のしみツたれめへおさらばずゐとくじをきめたもんだから棟梁も八さんもそれなりになつてしまツたがヱヽコウおもしろくもねへ細工びんばう人だからだあのやらうのやうに銭金ををしみやアがつて仲間附合をはづすしみつたれた了簡なら職人をさらべやめて人力の車力にでもなりやアがればいゝひとをつけこちとらア四十づらアさげて色気もそツけもねへけれど附合とくりやアよるが夜中やりがふらうとも唐天ぢよくからあめりかのばつたん国までもゆくつもりだアあいつらとは職人のたてがちがはゝ口はゞツてへいひぶんだがうちにやア七十になるばゝアにかゝアと孩児で以上七人ぐらしで壱升の米は一日ねへし夜があけてからすがガアと啼きやア二分の札がなけりやアびんばうゆるぎもできねへからだで年中十の字の尻を右へぴん曲るが半商売だけれど南京米とかての飯は喰ツたことがねへ男だあいつらのやうにかゝアに人仕事をさせやアがつてうぬは仕事から帰ツてくると並木へ出てやすみにでつちておいた塵取なんぞヲならべて売りやアがるのだアすツぽんにお月さま下駄にやき味噌ほどちがふおしよくにんさまだアぐずぐずしやアがりやアすのうてん(=素脳天)をたゝきわつて西瓜の立売にくれてやらアはゞかりながらほんのこつたが矢でも銕砲でももつてこいおそれるのじやアねへはヘトいひがゝりやアいひたくなるだらうのウ松てめへにしたところがさうじやアねへかヲイヲイあンねへ(女)熱くしてモウ二合そして生肉もかはりだアはやくしろウヱヽ
○生文人の會話
▲ ちかごろりうかうの書画会れん中としごろ三十一二ぐらゐやぼなるこしらへ身なりもさのみわろきにはあらねど世を見やぶつたつもりにてきものも上下ふぞろひなるをいくぢもなくきなしくろのはおりむらさきのふとひもをむなだかにむすびてけんしきははなばしらとともにたかくかたはらにたう紙のまきたると扇子のつかねたるをあめりかざらさのふろしきにつゝみかけておき下タ地よほどさけの匂いのあるはなかむらやか萬八あたりの会くづれと見えつれはさそひてつれゆきたるたゞの人物とみえたりもつともをりをりうけこたへありとしるべし 「アヽけふの会はよわつたよわつたあのやうに唐紙扇面の攻道具でとりまかれてはさすがの僕もがつかりだこれだから近頃はどのやうにまねかれても謝義ばかりもたせて書画会へは出ぬことゝきめたがけふは南溟老人が喜寿の莚といひ殊に南湖翁の三十三回の追福じやから先生が出て給はらなければ枕山松塘芦洲雪江東寧帆雨柳圃随庵桂洲波山の諸先生たちが不承知じやからぜひに出席をねがふとわざわざ扇めん亭の善公と広小路の一庭が使者に来たので止を不得出かけたところが肴札五枚がけの一局へ合併して一杯のむが否やどうか先生おあとでねがひますと左右から扇面の鎗ぶすまサさてうるさいことだとギヨツとしたがかねて期したことでアヽ是も会主への義理じやと観念して書画の注文でも扇面が貳百疋唐紙なら五百疋と極札がついてある腕を一言の礼のみで先四五本かゝせられたと思ひなさい僕がからだの居まはりを雲霞のごとく取巻てお跡で一本どうか諸先生の合作でござりますから一寸ねがひますのヤレ遠国からたのまれました書画帖だのとたちまち扇紙の山をなしたは実にうるさいはやく切あげて脱しやうと身じんまくをしてゐる最中隣の方で生酔がけんくわをはじめた騒ぎで人々が奔走する間に早々下タヘ来ると膳所に琴雅乙彦などいふ風流雄が内食をきめてゐるむかふの隅には諏訪町の松本がヱ何サ楓湖先生がサ藝者の房八を合手に大なまゑひでこれから舩で上手へ出かけるから是非附合とこまらせるので爰にも足をとめることがならんそれは偶の附合だから止を得ぬが明日は大藩の知事公から召されてお席に於て絹地三幅対の山水を即席にしたゝめンければならんからチトつきあひははづすじやが後日として尊公のそでをひいてぬけ出したがなにか呑たらんやうじやによつて牛店ときめたは中村のかまびすきところより落ついてのめるから妙だてナ扨まづ春木氏の義理もすんだがエヽまた来月の朔日は萬八で虚堂の展覧会二日がカウト寺嶋の梅隣亭で席画の約速アヽうるさいうるさい実に高名家には誰がしたモウモウ名聞は廃すべし廃すべしヲツトヽヽヽこぼれるこぼれる