馬糞石
三造さんのうちの馬が宝物をうんださうな、と云ふ大した村中の評判であつた。「虎は死して皮を残すとかいふが、さすがに三造さんとこの馬だけあつて、えらい物をひり出したもんぢやないか」などと、ヘンに唇をひん
半月ほど前のことであつた。三造は役場で村の元老株三四人と寄り合つて、酒を飲んでゐた。そこへ家から使ひが来て「馬が病気をおこしたからすぐ来て呉れ」と云つた。で、三造は「あの馬鹿野郎が馬に
「手前、誰かに毒でも喰はされたんだらう。薄ぼんやりだからだ!」と、三造は倅を罵りつゞけた。
「そんなことはない」と倅は抗弁したが、二言目にはおやぢの拳固が飛んで来た。
その日も倅は村の製材所から
「あした広さんに解剖して貰へば何の病ひだつたかわかるだらうが、俺らのせゐぢやない……」と倅は暗い顔をして
「何が俺らのせゐぢやないことがあるか! 手前の使ひかたがわるいから
翌日死骸が炎天の川原へ担ぎ出されて、やつぱし解剖されることになつた。直腸が
「これ僕に呉れ給へね?」といつた。
「いゝとも……」と倅はこたへた。
獣医は川の砂でごしごしと洗つた。まつたく、暗灰色をした、たしかに石ころに違ひなかつた。獣医はそれを手にすると、倅にもまたそこらに集つてゐた子供等にも碌すつぽ見せず、さつさと引きあげて行つた。三造は倅からその話を聞いたが、
三造も近年は不幸つゞきの方である。この十年の間に二度も焼け出されたのは別として、彼のたつたひとりの弟で北海道で教師をしてゐたのが、気ちがひになつて、細君に逃げられて、三人の子供を連れて、二三年前に帰つて来た。そして昨年の暮に二階の薄暗い物置で、碌な手当も受けずに狂死した、村ではいゝ評判を立てなかつた。また彼の死んだ姉の息子の
「あの三造さんともあらうものが、どうしてまたあんな山師者なんかに引かゝつたのか。……やつぱし慾得づくだんべ?」
「何でもあの人の姉さんの死ぬ時に、息子の嫁を
村の人達は斯んなやうな噂まで立てた。
「何だこの途方抜け共が! まだまだな、これしきのことではな、三造のかまどにひゞは寄らんぞ!」
三造は
馬のゐない厩の中は淋しかつた。怠け者の倅はいゝことにして、野良へも出ずにぶらぶら遊び廻つてゐる。三造はこの頃自分の女房の弟が村長の候補に立つてゐて、自分は村会議員の元老株でもあり、
ところがぶらぶらと毎日遊び歩いてゐた倅が、白い長い
「だから貴様等はどいつもこいつも大馬鹿者だと云ふんぢや。何と云ふ
村の物識りは白い鬚をしごきながら、好き放題なことを吐いては、七十近い老人の腹からは出さうにもないやうな元気な笑ひ声を響かせて、膝をだいた身体を前後にゆすぶつた。
おやぢとは違つて、身体も大きく、物に動じないやうなうつそりした気性の倅も、さすがに
おやぢは台所の大
「何だと! この阿呆! 糞垂れ! もう一度云つて見ろ!」
と歪めた下唇をつん出して、ぎらぎらした眼光を倅に向けたが、いきなり手にしてゐた大
「この途方抜けが! 手めえが阿呆だからな、あのゴホンケ者にまで阿呆あしらひされて、何だと──馬糞石……? まあまあこの途方抜けがまあ、宝物……どの
三造は酒もそつちのけにして、罵りわめいた。
「だつて、父さんのやうにさう
「さう云へば、あの時の広さんの様子に腑に落ちねえところがあつたつけ。あの珠が出るとな、いきなり庖丁をおつぽり投げて、川の砂でごしごし洗つてやがつたが、呉れと云ふからわしあ生返辞してる間に、とつとと駈けて行つてしまつたでごいす。広さんめ──して見るとあいつ学校で知つてたんだな、そんげえらい宝物だちふことちやんと知つとつて、それで奴のぼせあがつて……うぬ! どうするか覚えてやがれ。わしが承知せんぞ!」
倅は横目でおやぢを警戒しながら、離れた炉ばたへ坐つて、煙草を吹かしながら、覚悟の
「何をわし
「うゝん、なんでおれにだつて出来ねえことがあるか! わしも呉れてやるとはつきりとは云はなかつただ。わしは裁判問題にしたつて
倅は
「フム、うぬに取り返して来られるやうだつたら、世の中の阿呆ちふのが無い勘定だに」とおやぢは鼻のさきに冷笑を浮べたが、顔色も急に青ざめたほどの真剣さを現はしてゐた。
「本家のやつら、おいそれと云つてすぐには渡すまいて。本家のやつらもなかなか悪党の腹が出来てるでな、うちの阿呆なんかの手にやおへめえて。だが承知するもんぢやねえ。おれは本家へ暴れ込んで行つても、とつ返さずにや置かねえ。あいつらのすることはまるで詐欺だ!」
三造は倅の出て行つたあと、冷めたくなつたのをぐびりぐびり飲みながら、むつかしい顔して斯う女房に云つた。……
が、やつぱしおやぢの鑑定通り、その晩倅は空手で帰つて来た。それから二三度も足を運んだが、若い獣医──と云つても学校を出たばかしで、それに狭い村のことで開業も出来ないので役場へ出てゐる彼は「だつて君は呉れると云つたぢやないか。だもんだから僕はすぐ学校へ送つてしまつたんで、今更取返すと云ふ訳には僕としては行かんよ。それに君はあのゴホンケの話をほんとにしてるやうだが、それはたしかに珍らしい物には違ひないけれど、そんなあのゴホンケの云ふやうに金になるもんぢやないんだよ。君達はあのゴホンケにすつかりかつがれてゐるんだよ。昨日も役場へ見えて、わざわざ君の父さんも聴きに行つたさうだがね、大いに
「それはさうでもあらうが、或はそれほどの大金にはならんでも、何しろわしんとこでも四百両五百両と云ふ馬を一頭殺してゐる際だで、おやぢの考へとしては幾らかでもその補ひをつけたいちふ考へでね、……それは屹度あんたへはこの間の解剖賃はあげます、屹度相当の解剖賃は払ふで……」
倅はどこまでも相手を疑つてかゝつて、併しふだんから学問者の本家の兄弟には何目も置いてることで、どこまでも下手に出たが、斯う同じやうなことをしつこく繰り返した。
「ほんとに君等にも困るねえ。ほんとにそんな金になるもんぢやないんだよ。ほんとに君達はどうかしてる……」
「ほんとに、まあさう云はないで、……ほんとだ、広さんこの通り頼む! この通りわしが頼むでどうか取り寄せて下せえ。ほんとに幾らかにでも売れれば屹度相当のお礼はします。どんなにおやぢを説きつけてでもお礼だけは屹度させます。わしだって一旦約束したことを
「それでは兎に角学校へ手紙を出して取寄せよう」と相手も云はない訳には行かなくなつた。
「有難い! これでやうやう安心した。ほんとに広さん頼んだ……」と倅は
斯んな風で、三造の馬が五万十万と値の知れないほどの宝物をひり出したと云ふ評判が、近村にまでひろがつたのであつた。例の、葬祭などの村の年中行事は勿論、天文地理一切の顧問格を以て任じてゐるゴホンケ(駄ぼら吹きといふほどの意味)は、例の調子でおのれの博聞をほこり歩いた。が話のあとでは「あの三造の慾たかれ、すつかりのぼせてしめえやがつた、アハゝ、慾馬鹿とはよく云つたものだ、アハゝゝ」と例の白い鬚をしごき、薄黒い舌をのぞかせては筒抜けの笑ひ声をひゞかせてゐた。
宝物拝見と出かける村の
「お前さまはどこからわしのうちに馬糞石があるちふ話を聞いて来たか知れんが、わしのうちには馬糞石はございせんでがす。馬糞石なら本家へ行つて見せて貰ひなせえ。わしのうちにはそんなものはございせんでがす」
三造は斯う、まるで訪ねて来た人に喰つてかゝるやうな調子であつた。彼も初めのうちは、この馬糞石と云ふ言葉を口にするのが、何やら侮辱されたやうな気がしたが、この頃では幾度それが口にされることだか!
「ほんとにわしのうちには
三造はさうと信じてしまつたのだ。本家の今の若い主人は
「十万円──いや一万円と見たところが大したものだ。いや千両と見たところが、馬の代りも買へるし、あの
斯う考へて来ると、酒びたりになつてゐる三造の頭はぐらぐらと煮え立たずにゐなかつた。
「いや、それともまたほんとにあのゴホンケの云ふやうに、十万二十万と値の知れねえ程の宝物かも知れんてな、
近頃本家の主人達の仲間が、近くの坊主山に亜炭の大礦脈を発見したと云つて騒ぎ廻つてゐるが、そしてこのおれを仲間はづれにしてゐるが、併しそんなことは最早屁の皮でもないと云ふ気がした。そしてふだん馬鹿者あつかひにしてゐるあのゴホンケまでが、何となくえらいところのある人間のやうな気さへした。
三造は、本家の主人が亜炭の用件にかこつけて上京でもするやうな形跡がないかと、うちの者たちにも気をつけさせた。
獣医が学校へ出すと約束した時から四五日も経つたが、やつぱし本家からは沙汰無しである。倅は度々催促に行つたが、獣医は「いや、ほんとに手紙を出したんだがなあ、どうしたんだらう……」と云つた調子で、要領を得なかつた。
朝酒で顔を真赤にして、禿頭を炎天に
「皆さんお暑うございます」と云つて、三造は這入つて行つた。
「これは築館さんかお久しう……この頃はさつぱり役場をお見限りでしたが、相変らずこの方でお忙しいこんで?……」と、受附のテーブルを占めてゐる巡査部長あがりの年輩の助役は、盃を持つ手真似をしては、笑顔で迎へた。
「いや、そんなことでもござんせんが……」と三造は無愛想にこたへて置いて、こちらに顔を向けずに
「広さん、今日はお前さまに少し
獣医は鉄縁の眼鏡のかげの細い眼が、おびえたまたゝきにパチパチした。
「一体その……馬糞石のことについておめえさまが三本木の学校へ手紙を出して呉れてから、もう幾日頃になりますべ?」
「もう四五日も前で……」
「一体その三本木とこゝとで郵便の往復するには幾日かゝることでごわすかな? へい、わしはまた三本木とこゝとでは三日もあればもう、余つて返る頃だと思ふんですがな、……へい、してまだ何とも返事がごわせん? へい……ふふん?」
三造は斯うねつこい調子で云つて、鋭く眉を立てて下唇をやけにひん歪めたが、
「……でな、広さん、わしもおめえさまとは他人の中ぢやねえ、切つても切れねえ親類同士だでな、……それに、ここにはこの通りの大勢さまの実証の聴き人も居ることだで、わしもその馬糞石が何万両に売れようと、わしもその決して、自分の懐ろばかり
室内の人たちの物ずきな耳目は、三造の這入つて来た時からの恐ろしく勿体ぶつた態度や、
「三造さんいよいよどうかしてるな……?」誰もがさう思つた。少年の小使などは三造の顔にすりつけるやうに覗き込んで、少年らしい物ずきな目を輝かしてゐる。
まだまるで子供らしい顔した二十一二の若い獣医も、最初おびやかされた気持をいつか無くしてゐて、ぷかぷか敷島を吹かしながら、
「をぢさん、併しそれは……それは無論取り寄せますがね、併し……」と微笑を浮かべて、もぢもぢ云ひ出した。
「何? 何が、併しでごいすだ?」と三造は体をひとゆすりして云つた。
「いや、併し、をぢさん、それは屹度間違なく取寄せますがね、……多分今日あたり着く頃だと思ふんですがね、併し……」
「ほう? それではわしが一寸おめえさまとこへ廻つて見てもいゝがな……」
「えゝそれはもうどんなに遅れても二三日中には屹度来ますがね、併しをぢさん、あれはですね、あれは確かに馬糞石と云つて珍らしいものには違ひないですがね、併しをぢさんの考へてるやうなそんな金になる──ハゝ、僕はどうもをぢさんとこの運造さんが、あの寺田の爺さんにかつがれた……」
「何だと! この聾たはけめが! もう一遍云つて見ろ!」
三造は歯をがちがちさせながら云つた。
「うゝん……阿呆もな、休め休め吐くもんだぞ。おれがあのゴホンケにかつがれてる……? この鼻垂れが、生意気こくとはり飛ばすぞ。俺もな、まだまだあのゴホンケにかつがれるほど
三造は恐ろしい権幕で出て行つた。……
その今にこの貧乏村にも成金を沢山出すに違ひないと云ふ取沙汰のやかましい亜炭の大礦脈だつて、較べものにはなるまいと云ふ、十万二十万の値の知れないほどの
「いや、斯うして拝見を許すのもやつぱし評判を立てさせるひとつの術だつてなあ。婆さんよ! 酒などけちけちすることねえだ。おめえなぞにはわかるめえがな。新聞社などへ送つて評判を立てさせれば、それは一番早いこんだがな、それでは
斯うしたものの売買ごとには慣れつこの本家の主人と喧嘩してしまつたことは、今更に三造にも心細い気がされたが、併し斯うして訪ねて来る多くの人たちに拝見させて評判を立てさせてゐるうちには、屹度明日にも東京の三井とか大倉とか云ふ大金持から人が出張して来るに違ひないと云ふ気がされて、三造は朝から酒の飲み場を台所の大囲炉裡のわきから、座敷の床の間の前へと移した。
「さうに違えねえだとも! あの多吉さんところの畑から出たアイヌのこさへたちふ壁人形でせえ、東京の博士から百両出してもちうて所望して来たさうでねえかよ。わしんところの馬糞石はそんたら壁人形などとは
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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