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岩魚

   

 

 清沢の光景を早瀬村の信助に知らせたのは、猟師の佐次郎である。

 佐次郎は、早瀬村に隣接する湯元温泉町役場の農林水産課に勤務している頃から、早瀬村の西北に聳える塔ヶ峯山腹一帯を猟場にしていた。数年前、定年退職してからは、年金生活者の気楽さもあって、本格的に狩猟をはじめ、仲間と組んで塔ヶ峯に連なる聖岳へかけて、猪狩りに出かけるほどであった。

 佐次郎の説明によると、村の北面を流れる早瀬川上流の清沢流域は、信助が釣り場としている村の南側を流れる太古川など比較にならない好釣り場が、至る箇所にあるというのである。

 早瀬川の上流には、清沢をはじめとして藪ノ沢、猪ノ沢と、源流へ向かって支流が続いている。なかでも水量が多く好釣り場が多いと噂の清沢へ、信助は以前から一度入ってみたいと考えた時もあったが、あえて新しい岩魚釣り場を求めて竿を入れるほど、釣り場に不自由はしていなかった。

 しかし、一年増しに釣り人の姿が多くなる状況と共に、奥へ奥へと入り込んでくる釣り人を阻止できない事態に変わってきた。夜半に車で釣り場に着いて、白々と明けはじめる川へ竿を入れている釣り人の姿を見ては、いままでのように地元の釣り仲間だけで、次の年のことを考えて小物は放し、釣り場を温存する申し合わせを守ることは不可能な条件下にある。このままでは岩魚は根絶しかねないと共に、湯元温泉場旅館からの注文にも応じきれなくなるのは目に見えている。そうした事態になると収入が減って、町に住む孫たちへの小遣いも事欠くことになる。特に頻繁に訪れる次男の息子の明には親密さが加わり、他の孫たちには感じられない情が移っているが、そのために互いの気持ちが遠のく結果を招くかもしれないと思うと、信助は辛かった。

 その年の秋、信助は清沢までの道順を尋ねようと、湯元温泉街のはずれにある佐次郎の家を訪れた。色付きはじめた庭木を前に、廊下に出て猟銃の手入れをしていた佐次郎は、

 「その気があるなら案内するよ」

 山鳥でも撃ちながら行っていいというのである。

 数日後、仄かに明るみを帯びる頃、二人は早瀬村を出発した。

 聖岳の山麓にかかると、足許が明るくなった。黄ばんだ草の中の踏み跡を辿りながら、二人は 背丈ほどに繁る雑草を分けて山頂へ向かった。

 やがて陽が昇り、見透しがきくようになったかと思う頃、熊笹がまじる草原の尾根に出た。彼方に聳えた塔ヶ峯の頂の色付きが見える。麓の灌木林で、ひときわ鵯がさわぎ立った。

 下りにかかった場所で、佐次郎が信助をふり返った。

 「聞こえてきただろう?」

 川の音である。

 風の音かも、と思えるほど定かではないが、足許から吹き上げるように流れてくる。

 中腹を過ぎる辺りから、はっきりと流音が聞こえ、水量がありそうな音律が手にとるようであった。

 しばらく行くと、不意に目の前がひらけ、川幅七メートルほどの清流が眼下に出現した。

 「どうだい?」

 佐次郎は得意げに笑っていた。

 清沢の中流辺りと思えるが、大岩もある岩が組合ってできた川筋を、縫うようにして流れる水色は、見馴れた太古川の水とは比較にならない澄明度で、木陰を流れる秘めやかな淵の面は間もなく色付きの季節に入る木々の枝を映していた。

 信助は、想像していた以上に魅力的な流域に身を沈め、流れてくる餌を待つ岩魚の色彩の素晴らしさを脳裡に描きながら、釣り竿を継ぎはじめた。

 岩陰に身をかくした信助は、瀬のひらき場を狙って竿を振り、上手から手許へ引き寄せるようにして餌を流れにのせた。

 当たりはなかった。

 岩魚の向きが、餌が流れ込む方角を向いていなかったのではないかと考え直した信助は、流れの構図から判断しても必ずいると自信があった。

 今度は岩角ぎりぎりに流してみた。日陰にひそんだ岩魚を幾度となく釣り上げている体験から、陽の当たる場所での釣りには、岩陰を狙う心得も必要である。

 流れのままに移動する目印は、水面と平行して変化を示さず、手許へと寄ってくる。

 佐次郎は、信助から離れた川下で流れの中を覗き込んでいたが、

 「あれだけの深さがあるのに、当たりがないのはどういうことだ……」

 不可解な面持ちで、信助が振り込む竿先を眺めながら首を傾げた。

 岩魚は必ずいる、と信じ込んでいる信助は場所を移動しながら遡っていった。

 しかし、一向に当たりがないことを察した信助は、岩陰から上体をのり出して流れの中へ視点を凝らしていた。

 色付きの前の深い緑の木々を映した水色は、川底の小石が数えられるほど澄んでいる。こういう場所に棲む岩魚は、周囲の色彩を染み込ませた淡紅色の素晴らしい姿態に、鮮やかな朱色の斑点を浮き出しているものが多い。

 信助は、さらに上流へ移動しながら岩陰や淵を覗き、岩魚の姿をさがした。

 佐次郎がいったとおり、岩魚が棲むには好条件を備えた自然の造形が、澄明な流れの底に続いている。しかし、求める岩魚の姿は見当たらず、小魚の影すらなかった。

 清沢は、奥へ行くほど二坪程度の淵が随所にあって、その上に覆い被さるようにして、数年前に倒れたとおぼしき古木や枝が日陰をつくっている。その淵から淵へと流れる瀬は、蛇骨状となって白く泡立ち、ひらき場の川底に敷きつめた小砂利場は、人工的に設けたような格好の産卵場のようであり、岩魚の棲み家として申しぶんない流域が、遠く源流まで続くかと思える情景であった。

 陽が西に傾く頃になっても、岩魚の姿を見ることができなかった信助は、魚が棲めるに充分な水量があり、川底に川虫などの水生昆虫の姿はあるのだが、岩魚がいないことが不思議でならなかった。また、餌が合わなかったとは考えられないし、一般的に釣れない時間帯でもなかった。

 魚が棲息しない川、そんな川があろうとは信じ難い信助は、思いもよらない体験に呆然としていた。

 川辺に佇み、気の毒そうに眺めていた佐次郎は、

 「こんな素晴らしい川に、魚一尾姿がないとはどういうことか」

 信助に話しかけた。

 「信じられないが、何が原因だろう……」

 呟くような口調で答えた信助は、不可解な面持ちで清沢の流れを見詰めていた。

 翌朝、信助はにぎり飯を持って藪ノ沢へ入った。

 早瀬川を清沢が合流する場所から二キロほど遡ると、川筋は二俣に分かれている。左手聖岳山裾を迂回するように流れる早瀬川に、右手の小高い丘沿いに流れ込んでいるのが藪ノ沢である。清沢に比べて谷は深くないが、早瀬川の釣り仲間からは岩魚釣りに入った話を聞いていないから人跡未踏といえなくもない比較的浅い谷である。しかし奥へと進むうちに、草藪や葛、藤蔓などが両岸から覆い被さり、その下をくぐるようにして釣ることになる、呼び名どおりの川相である。

 谷の入口はわりに足場がよく、太古川下流の状態に似た感じであったが、重要なことは流れを形成する水質と水量と、川底の石や小砂利の状態にある。

 藪ノ沢は、清沢の岩場状の川相に比べ、岩石は散在しているにすぎず、いわゆる河原状の川であった。

 釣り支度を整えた信助は、念入りに探っていった。川の様子から判断しても多くは期待できないと予測しながらも、岩陰やざら場の裾など、岩魚がひそみそうな個所へ竿を入れていった。

 一向に当たりはなかった。川岸へ出て覗き込んでみたが、魚影はない。

 信助は、清沢同様に無駄な時間を費やしているのかもしれないと思いながらも、飽きずに釣り竿を振って探っていた。そうしている間にも、藪ノ沢にも岩魚はいないのかといった気持ちと共に、岩魚釣り場の行末が暗示されているような不安さに駆られていた。

 信助は、藪ノ沢までも岩魚がいないとは思いたくなかった。この分ではさらに上流の猪ノ沢にも、棲息していないことになろう。確認することが自分でも堪え難い思いが、胸の内でゆれていた。

 しばらくして、陽の翳りを感じた信助は頭上を見上げた。藤蔓やあけびの蔓が木の枝にからんで頭上を覆い、噂どおりの様相を呈し、上流に向かうほど深まりを見せ、やがて、竿の長さ一間程度しか操作できない悪条件に変わっていた。

 しかし、岩魚が釣れさえすればよいと思う一心で、信助は長さを縮めた竿先に道糸を三尺ほどに詰めて探り続けた。

 相変わらず当たりはない。いたずらに時間だけが経っていく。体力は消耗し、石の上を渡る足許や釣り竿を構える気力が衰え、腕や手首まで疲労を覚えるばかりであった。

 藪ノ沢に岩魚がいない結果を得て、信助は日暮れて家へ戻った。

 禁漁期には、もう間もなかった。紅葉の季節がすぎて、冬が訪れた。塔ヶ峰の山頂が雪に覆われ、聖岳の山麓に雪が降りはじめると、早瀬川一帯は雪に埋もれていく。

 清沢についで藪ノ沢にも岩魚がいないことを知った信助は、禁漁に入るわずかの間に猪ノ沢へも出向いていた。しかし、猪ノ沢には岩魚はおろか魚影一つ見ることができなかった。

 冬の間中は、町へ出て世帯を持っている息子や嫁いだ娘たちからの仕送りと、岩魚を売って得た収入の貯えですごす信助は、雪が消える日を待ち望んでいた。

 それにしても、清沢の素晴らしい情景は忘れることができなかった。自然が与えた谷川に、一尾の岩魚も棲息しないことが信じられなかった。清沢へ入る手前に滝や堰があって、上流へ遡れない悪条件でもあるのかと思ったが、影響を及ぼす障害物はない。水質にしても太古川と大差ない地質を水源としているから、岩魚たちが棲息できないはずはない。

 信助は、佐次郎と清沢へ行ったとき、澄んだ流れに手を入れて感じた冷ややかな水温を甦らせ、いま頃は氷雪と化した谷となっているであろうと思った。冬期には比較的水温が安定する地帯を求めて下降する習性をもつ山女魚に比べ、四季定住する場所を離れようとしない岩魚の性格を知っている信助は、冬季には岩魚掘りもできようというのに惜しい話だと思った。そして、なぜに岩魚が棲息していないかを調査してみる必要があると考えていた。

 信助の計画に賛成したのは、佐次郎だけであった。清沢が岩魚釣り場として好適地ではないかと、信助に情報を入れた結果が予想に反したための義理立てからかと思える面もあったが、目先のことと自分のことしか頭の中にない他の仲間たちに比べれば、力強い応援者であり、唯一の理解者として信助は嬉しかった。

 長い冬がすぎて、谷川の流音が日ごとに増してくると雪が消える。若芽が雪景色を覆いはじめる五月になって、二人は清沢の水質を調査するため、再び早瀬川を遡り、清沢へ入った。

 早瀬川については、清沢が早瀬川と合流する下流一キロの地点から合流地点の上流までとし、清沢は早瀬川との合流点から上流へ約一キロの間、およそ百メートル間隔に採水した。その水を保健所へ持ち込み、水質検査を依頼したのである。

 早瀬川上流は、殆ど他の川の水質に等しく、清沢の水質より不純物の含有量がやや多い程度で、岩魚が棲息できないことはない。

 保健所の技術員は、早瀬川下流から清沢の合流点へ、一方清沢については上流から下流へと交互に水質を比較調査していった。

 採水地点を貼った二十本のビーカーを、念入りに検査している佐次郎と顔見知りの若い技術員は、

 「異常なさそうです。強いていえば、やや酸が多いというくらいですよ」

 こういいながらも、次々と試験していた。

 やがて、清沢が早瀬川に合流する地点近くの水質を検査していた技術員が目を見張った。

 「大変な濃度です。これでは魚は棲めないでしょう」

 多量に炭酸を含んだ水質が検出されたのである。

 化学反応によって変色したビーカーの水を見詰めた技術員は、二人に示して説明した。

 岩魚は、その地点から上流へ遡れずにいたことになる。従って清沢へ魚は入れず、藪ノ沢、猪ノ沢も同様な状態にあった。しかし、それより上流の水質は、岩魚をはじめとして魚が棲める結果を得たのである。

 信助は、試験管の中の濁った水を太陽の光に透かして見詰めながら、この水質の上流は、たとえようもなく澄明な流域であることを思うと、自然が造り出した好条件を清沢ほど備えた谷が他にあろうか、魚がいない川は死んでいるに等しいと考えた。そして、この悲しみから救うためにも、この自然環境の中へ岩魚を放流しよう。加えて、岩魚釣り場の悪化傾向の現状にあって、幻の魚と化す前に、高地の深山幽谷に、四季を通じて棲息する岩魚を絶やしてはならない。妻を失って三年、独り身になって惜しくはない生命である。谷の精かとも譬えられる岩魚存続のため、体力が続く限り努力しようと、その時、信助は心に固く決めていた。

 

    

 

 岩魚釣りの季節は、山野の緑が萌える頃からはじまる。

 早春の頃の岩魚は、岩陰や倒れて水没した古木の陰に身を潜めて上流から流れてくる昆虫や蛹、みみずなどを、じっと待ち構えている状態にある。

 本格的な季節になるのは、山野に山桜が咲き、川岸に山吹の花が目立つ初夏の頃である。岩魚の動きは活発になり、淵から瀬へ出て瀬尻のひらき場、流れの落ち込み場で遊泳するようになる。あるいは瀬尻の岩陰に身を潜めていて、飛来する蛾や蝶を積極的に捕食する行動を示すようになる。この状態の岩魚をうき魚と呼び、岩窟や樹根に潜んでいた頃の黒味を帯びて醜い体色とは対照的に美しく、特に澄んだ流れに棲む岩魚は、山女魚かと見違えるほどの淡紅色を帯びて、朱の斑点の彩りも鮮やかな体色となる。そうして夏をすごし、九月の声を聞くと次第に清冽な小渓を遡り、砂礫を掘って産卵するのである。

 新緑の季節を待ちわびていた信助は、町の中ですごすより野山に出て遊ぶことを好む孫の明を伴い、太古川へ釣りに出た。毎年産卵する場所を知り、どの辺りの瀬や淵にはどれくらいの岩魚がついているか、その数さえおよその見当がつく太古川の流域は、信助にとって長年の釣り場である。

 今朝は岩魚を釣って湯元温泉場の旅館へ売る目的ではない。太古川で釣った岩魚を清沢へ運び、放流を試みるはじめての日であった。

 この日、信助は九寸のびくを用意していた。太古川で釣った岩魚を入れたびくに水を入れた場合、相当な重さになる。清沢までの道程を約三時間と計算した山道を、片手でさげて歩くにはこれくらいが限度であると判断したことと、それ以上のびくは地元の釣り具店では手に入らなかったこともあった。

 前日、息子に送られてきていた明は、信助に起こされて眠そうな顔をしていたが、服を着更えて長靴を履く頃には、いつもの元気な明になっていた。

 外はまだ暗く、付近の家からようやく朝餉の煙が立ちはじめていた。

 にぎり飯を食いながら、

 「今日はいやになるくらい歩くぞ」

 信助は、明の顔を見ていった。

 「平気さ」

 紅調した明の頬には、活気が漲っていた。

 集落をはずれて太古川におりると、一面の靄である。川面はまだ眠っている情景であるが、岩魚は目覚めて、流れてくる餌を待ち構えているにちがいない。

 信助は、釣り支度をしながら、掛かった岩魚の力強い竿先のしめ具合を思い浮かべていた。そして、倒れて朽ちかけた木の陰へ、最初の試みを行った。

 狙う個所より上手に落とした餌が静かに流れている。間もなく狙う地点にと思う瞬間、目印が停止した。

 すかさず信助の手首がはねた。

 竿先がしぼり込まれ、辺りの色彩を染み込ませた体色鮮やかな、七寸近い岩魚が水面に出てきた。

 びくの口を開けて、明が待っていた。

 陽が昇るまでに、五尾は釣りたかった。それから雌雄の数を揃えて清沢へ出発する計画を、信助は立てていた。

 薄曇りのせいか好調だった。人影が川面に映る度合いが少ないと、魚は注意力をゆるめ、大胆な行動に出る習性があるから、岩魚や山女魚釣りは曇りの日の方が釣れる条件になる。こういう日を、山女魚日和と山の漁師は呼んでいる。

 予定していた時間より早く目的の数を釣り上げた信助は、幸先のよい成果に、清沢まで岩魚を運べる自身が湧いてきた。

 陽が昇る頃から晴れてきた。周囲の林間に穏やかな陽光が射しはじめていた。

 五尾の岩魚が入ったびくを下げた信助は、聖岳を見上げながら、もう一尾雌岩魚を釣ってから清沢へ出発しよう、最低雌雄三尾ずつは必要であると判断していた。

 しかし、最後の一尾は思うように釣れなかった。

 「早く行こうよ」

 明が空を見上げて、信助に声をかけた。

 信助は、せめて三組の岩魚ぐらいは運びたい気持ちが固かった。明が退屈してきたのだろうと気にしなかったが、考えてみると、大型のびくとはいえ長時間岩魚を入れたままの状態では岩魚は弱まる一方であることに気付いた信助は、釣り道具をしまってリュックサックに入れて背負うと、太古川を後にした。

 色鮮やかな岩魚たちは、びくの中で尾を小刻みにふっている。

 辛夷の花が目立つ聖岳の山麓までは林道があって、足場は安定しているが、聖岳にかかると雑木林の中の林道が途切れ、踏み跡に等しい草藪の中の道になる。その中を左手に聖岳の頂上を見上げながら北の方角へ進めば、清沢の中流へ出られるはずであった。

 先に行く明は、時折り思い出したように立ち止まり、信助を待ってびくの中の岩魚を覗いては、安心したように再び歩きはじめていた。

 踏み跡は中腹へと続き、しばらく行くと下りにかかる。清沢の流音は、そこまで到達すれば聞こえてくるはずである。

 踏み跡を見失うのをおそれた信助は、途中で明を呼び止めて自分が先に立った。

 信助は、熊笹がまじる草藪を分けて、無言のまま歩き続けている。明は相変わらずびくの中を覗き込んではついてくる。

 中腹まで辿り着いた信助は、ひと息いれていた。汗を拭き、ここまでくれば半分は来たに等しいと思うと、急に疲労感を覚えた。そして、肩であえぎながら呼吸を整え、岩魚の状態を調べた。

 岩魚たちはびくの底で動きを止め、活気を失いかけているかのように見える。

 信助は再び歩きはじめた。

 相変わらず、草藪は背丈ほどである。佐次郎に案内されてきた時には、意外にたやすい道程に思えた。これなら案外容易に実現できそうな望みがあった。しかしいまは、びくの重さに加え一滴の水も粗末に扱えない気遣いがある。それは行程が長くなればなるほど重々しく、わが身の体力のなさと共に苛立ちを伴って迫ってくる。

 明は野兎のような軽い足どりで、信助のすぐ背後に迫り、時折りびくの中を気にして、

 「陽に当たると岩魚は弱くなるんだって」

 忠告じみた言葉をかけた。

 「わかっているさ」

 岩魚の生態を充分承知している信助は、体力の衰えと身の不自由さに焦燥感を覚えるばかりであった。

 間もなく、聖岳の頂上が見えてくる頃である。清沢の流音も風にのって聞こえていいはずであった。

 わずかな音でも聞きのがすまいと、信助は耳を澄まして斜面を登って行く。

 やがて、聖岳の山頂が見えてきた。道は左へ迂回するようになって、見晴らしがよくきく台地に行き着いた記憶も甦った信助は、中腹の高台へ一気に登りつめようとして足を早めた。

 その時、びくの中を見ていた明が、

 「岩魚が浮いているよ」

 叫んだ。

 思わず立ち止まった信助は、びくの中を覗いた。

 首筋を伝った汗が、頬を流れている。

 信助は、びくの中に白い腹をさらした岩魚の姿を認めた。最初の岩陰にいた一尾と、その上流の落ち込みの白泡の中で釣った雄岩魚である。強烈な引きを示して川底へ引き込もうと、竿先を弓なりにしぼり続けていた活力は見るかげもなく失せて、大きく口を開けて苦しげにあえぎ、迫りくる死から逃れようと、狭いびくの中を痙攣しながら泳いでいる。こうなる前に、その前兆ともいえる体色の変化をきざしていたはずである。その時、川の音を聞き分けようとして気をとられ、油断していた間の出来事であろう。他の渓流魚に比べたら、岩魚の生命力は抜群である。出水の折り、思わぬ場所へ迷い込んだ岩魚が、水が引いていく場所から逃れるために一間ほどの陸を胸鰭で歩くようにして進んで生き伸びた姿や、仮死状態で陸に放置されていたが気付いて跳ねて身を転じ、川へ入って生き返った例などを聞いてはいたが、死へと赴く岩魚の生命を蘇生させる救いの新鮮な水がない限り、そのような期待はできない。一刻も早くびくの中から取り出して、他の岩魚への感染を防ぐ以外に全滅をさける方法はない。

 信助は、びくの中へ手を入れると、硬直状態になり切ってない岩魚は滑って逃れ、仲間たちからはぐれて独り死んでいくのを嫌うかの如く、一層激しく痙攣した。そして、仲間の間を潜り抜け、他の岩魚たちを驚かした。

 死んで行く時は誰もが独りで逝くのは当然のことながら、たとえようもなく寂しいに違いない。死を迎える岩魚たちは、次代の岩魚を生み残す生命力を持ちながら果たせず、路傍に捨てられていくのかと思うと、信助は魚とは思えない憐れみの感情が湧いてきて、胸がしめつけられた。しかし、びくの中の元気な岩魚たちのためには、葬る以外になかった。

 白茶けた体色に変わりつつある岩魚をびくから取り出した信助は、足許に置いて腰をかがめ手を合わせて、再び聖岳中腹へと向かった。

 背丈ほどの雑草は、次第に低くなり熊笹が目立ちはじめてきた。聖岳中腹から山頂へかけては熊笹で覆われ、時季によっては熊に遭遇することもあると、佐次郎の話を思い出していた信助は、中腹の頂にほど近いと意識しながらも、びくの中に残った岩魚の動きを注意していた。

 しばらくすると、背中の黒色や淡紅色がぼやけはじめてきた。信助は、不吉な予感におびえる胸の中をおさえて足を早めていた。

 岩魚たちが水面に口を揃え、苦しげな表情で呼吸しはじめたのはそれから間もなかった。次にはあぶくを作る症状を示し、疲労した岩魚はびくの底に沈んで横たわり、やがて最後の力をふりしぼるようにして、もがきはじめる。そうなる前に、新鮮な水が欲しかった。

 信助は、清沢の流音が聞こえ、もうひと息という段階に達しているのに、川の音に敏感なはずの岩魚たちは、生への執着を放棄しようとしているとしか思えなかった。追い迫る死期から逃れるように、信助は足を早めた。

 聖岳の中腹は目前に近かった。川の音も聞こえている。熊笹の山肌を吹きぬけるように流れてくるさざめきは、まさしく清沢の水の音であった。

 信助は、精一杯の気力で、中腹へ向かって走った。しかし、岩魚たちを襲う死の影は容赦なく、残った岩魚たちをびくの底へ沈めていった。

 中腹の台地に立って見下ろす彼方の清沢は、白泡を際立たせ、豊かな流れを見せていた。

 横になった岩魚たちは、思い出したように白い腹を痙攣させ、息も絶え絶えの症状に弱りきっている。もうどれほど冷たく新鮮な水に取り替えようとも、すでに蘇生不可能であることが信助にはわかっていた。

 清沢の流れを目前にして、信助は沈痛な面持ちでびくの中の水を開けた。しぶきが足にかかり、意外に高い水温を感じた。そして、いまになって思えば、びくの中に手を入れて死んだ岩魚を取り出している間の自分の体温の影響もないとはいい切れないと、改めて後悔していた。

 びくの中には、息絶えて硬直をはじめた岩魚の死体が、陽の光に白々しく輝いている。

 「またこようよ」

 膝をついて蹲る信助の肩に手をかけた明が、力付けるように声をかけた。

 

   

 

 数日後、早朝家を出た信助は、再び太古川で岩魚を釣り、陽が昇らないうちに早瀬川と清沢との合流点近くまで到達できる計画を立てていた。岩魚は予定どおり釣れたのだが、山の稜線を離れた太陽は、すでに中天にかかろうとしていた。早いうちに清沢近くへ着きたかったのは気温の上昇に伴ってびくの中の水温を高めたくない気配りがあった。しかし、眩ゆいばかりに照りつける陽の光は、容赦なく気温を上げ、岩魚にとっては不利な条件へと移りつつある。しかも、岩魚たちの黒っぽいはずの背の色は、白茶けた死の色を漂わせはじめている。それらを補うには、新しい水を回数多く取り替える必要があった。

 かすんだ目で足許の斜面を眺めながら、額や首のまわりの汗を拭った信助は、びくの中の岩魚たちに一刻も早く新鮮な水を与えたい気持ちに逸りながら、異常に体力の衰弱を覚えていた。ただ歩いている意識があるだけで、頭の中には草原を見下ろす高台に立ったとき耳にしたささやかな川の音だけがあった。そして、明がいる位置を考えるのももどかしく、草藪を抜け出ても重い足取りで歩いていた。その頃、川岸に降りた明は、岩の上に立って信助を待っていた。草藪を抜けて姿を見せた信助に、

 「早く!」

 手を上げて叫び、斜面を駆けあがってきて、びくを支えた。

 目前に清沢の流れを見た信助は、醒めたような面持ちで、はじめて自分が川岸近くにいることに実感が湧いてきた。空の青さを染みこませたような流れの中にびくを沈めた信助は、肩で息をしながら注意深く岩魚の様子を観察していた。

 岩魚たちは、びくの中に新鮮な水が流れ込んでいるのも気付かないのか、横たわったまま身を硬くして、生きることへの環境を甘受しようともしないかのようであった。

 「大丈夫かな」

 信助の顔色と岩魚を交互に見ながら、明は心細げに呟いた。

 「岩魚たちよ、もう一度体力を回復してくれ。生きる気力を取り戻し、活気に溢れる尾の動きを示してほしい」

 胸の中で手を合わせて祈る信助は、この流れは清沢にちがいないが、早瀬川との合流点に目と鼻ほどに近いと考えていた。出水に伴って少しでも下流へ押し流されてしまえば、魚が棲める水質ではない流域にあまりにも近い。岩魚を放流するのは、頗る不安であった。

 当初の目的地は、あと二キロほど上流である。失敗したくはないが、動きはじめようとしない岩魚の姿は、不安この上もない状態に思える。目を閉じていると空しさが胸の奥に流れ、涙が溢れそうになるのを、信助はじっと耐えて待った。そして、びくの選定や運ぶ距離に対して岩魚の数が多すぎたのかもしれないなど、苦い体験に思いを馳せながらも、譬えこの努力が無為に終わったとしても、いままで達しえなかった地点まで岩魚を運ぶことができた実績を生かし、次の望みへと結びつけて諦めようと、信助はわが身にいい聞かせていた。

 しばらくすると、目を閉じていた信助の膝を明がゆすった。

 「おじいちゃん、動き始めたよ」

 信助は、まだ岩魚が生きているからであろうと考えていた。そして、びくの中を一瞥した。

 その時、あれほど白っぽくなっていた岩魚の体色に活気が増し、背には濃い紫色の特色すら蘇らせているのを見た。それは、死期を脱し切った、なによりの証であった。

 泳ぐ姿勢は悠然として、生きることへの喜びを誇示しているとも思える状態に、岩魚たちは蘇っていた。

 「ほんとうだろう」

 明が笑顔を向けて、信助の顔を見上げた。

 信助は、形容し難い嬉しさがこみ上げてきた。

 「これでよし。一本松の下を右へ折れて川へ下り、水を替えれば終わりだ」

 もう一度水を取り替えれば、目的とする清沢の源流に近い流域へ行ける。今度こそ長い間、念願であった夢が実現できる可能性が十分あると思う自信が湧いてきた。

 疲労と失意によって、いまにも消え入りそうであった信助の気力は再び盛り上がってきた。そして、明を促し、再び草藪の中を太陽の方向へ向かって進んだ。

 いつ人が歩いたとも知れない状態の踏み跡は、背丈ほどの雑草に覆われている。その中で信助は、川の音を気にしていた。気温の上昇と共に、びくの中の水温があがりつつあることも考えていた。

 幸い道程はいままでほど急斜面ではない。山肌はゆるやかな起伏の繰り返しの状況に、わりあい足許はよかった。

 疲れを知らない明は、先に立っている。緑なる一面の雑草地帯に見えかくれする明の姿を、時折り顔を上げて追いながら、最期の水を替える地点の目印とした一本松まで、岩魚を殺してはならない。救いは新鮮な水だけである。信助は祈る思いで足早に草藪を踏み分けて行った。

 「松の木が見えるよ!」

 姿の見えない明の声がした。

 はっとした信助が顔を上げると、前方に樹齢三百年は経っていると思える一本松が、傘状の枝を広げて聳えていた。

 あの松の根元を右へ向かって谷川へ下り、水を入れ替えて岩魚に休息を与え、再び一本松の下に戻って最後の道程へ向かえばよいのである。

 岩魚たちの死色は、拭い去ったようにその翳りすら感じられない。しかし、信助の疲労感は対照的に加わり、目の周囲に黒い隈をつくり、顔色は青ざめていた。

 信助の前方に、一本松が影になって覆い被さるようになって迫っていた。その太い根元から右手へ折れて清沢へ下る道程はかなりあるが、どうしても新鮮な水を岩魚に与え、再び一本松の下へ戻ってこなくてはならない。その間果たして自分の体力が保つかどうか、信助の脳裡をふと不安感がよぎった。びくを支える信助の腕は震えているが、岩魚は活き活きとしている。

 信助は、清沢との間を上下している間に体力を消耗し尽くしてしまうのではないかと思った。

そして、当初の計画どおり清沢へ下り、岩魚たちへ新鮮な水を与えてから目的地へ向かうべきか、それともこのまま清沢源流近くへ直行したほうがよいものか迷っていた。

 川の音は、遥か足許の草藪の底辺の方から聞こえてくる。

 霞を置いたように山桜が咲く辺りの梢で、駒鳥が啼いていた。

 谷へ下らず、一直線に聖岳の中腹を横切れば、塔ヶ峯が見える。山肌に生い茂る樹木が認められる辺りになれば、清沢の源流に間近いことを、佐次郎と下見して信助は知っている。

 陽は西へ傾いていた。

 谷へ下だって水を入れ替えて戻り、塔ヶ峯の山裾へ向かって進む頃には落日の時刻になる。時間的なおくれは補う余地はない。ここまでくれば意外に簡単に清沢へ行けそうな気もする。

 老松の根元でひと息つきながら悩んでいた信助は、陽の光の弱まりを見ているうちに、夕暮れを恐れる気持ちへと傾いていた。そして、

 「谷へは行かぬぞ!」

 明へ知らせた信助は、松の梢を見上げるようにして、清沢源流の方角を目指して歩きはじめた。

 踏み跡をそれてから雑草地帯へ入ると、予想以上に足許が悪かった。春に繁って夏に盛る草木は、冬に枯れる繰り返しを重ね、腐葉化した雑草に加えて、葛や藤蔓が一面に繁っていた。びくの中の水を少しでもこぼすまいと気遣う信助の足許は心許なく、揺れるたびに岩魚は怯えてしぶきをあげて水をはねている。

 しばらく行ってから、信助はびくの中の岩魚を調べてみた。

 いつの間にか水量は半分近くに減り、陽の光を直接受けた岩魚の背鰭は、露出して乾いていた。水が必要であることを直感した信助は、清沢を見放したいまとなっては離れすぎている、流音さえも聞こえない位置にいることを知った。

 風は凪いで、鳥の啼き声もない。

 信助は、明の姿がないのにはじめて気付いた。谷へ下らないことは知らせたから承知しているはずである。先へ行ったのだろうかと、信助は考えていた。

 その時、

 「おじいちゃーん」

 谷の方角から、明の叫び声がした。

 遙か彼方に聳え立つ一本松の下の方からである。谷へ行かないことを叫んで伝えたのが聞こえなかったものか、明は信助が水を入れ替えに清沢へ下りてくると思い込んで待っていたのである。

 「ここだよ」

 弱々しいしゃがれた声で、信助が呼んだ。

 びくの中では、二尾の岩魚が横になりはじめていた。白い腹を見せて横になったかと思うと立ち直り、再び安息をとるように身を横たえている。

 川岸に自ら身を投げ出し、蛇がからんだところを跳ねて流れへ入り、水中へ蛇を引き込んで食うほどの獰猛さがある岩魚にも、生命の限界はある。

 横になる回数が多くなった岩魚の銀色にふちどられた目は、気のせいか潤み、生きる気力を失いつつあるように、信助には思えた。

 前方には、塔ヶ峯の山頂が見えてきていた。目的地までは一キロとない場所まで達しているのは間違いないと知りつつも、ことによると岩魚に死に水を与えに清沢へ行く結果になるかもしれない不安感が、信助の脳裡をかすめた。それが予測できていたなら残存への危険率は多くとも、清沢の下流へこの岩魚たちを放すべきであった後悔が、いまさらながらと信助の胸を傷めた。

 一尾二尾と、先に逝った仲間の後を追うようにして、岩魚が息を引き取っていったのは、それから間もなくであった。

 最後の雌岩魚が呼吸を停止した瞬間、びくを落とさんばかりに気落ちして腰がくだけ、座り込んだ信助は、びくの底に白い腹を見せて息絶えた岩魚たちを見詰めて泣いていた。

 明が追いつき、西日を浴びて茫然とした信助の姿を認めると、びくの中を覗き込んだ。そして、汗と涙でまみれた信助の顔を手拭でふきながら、

 「もう一度くればいいよ」

 明が労った。

 

   

 

 二度までも岩魚の放流を試みて失敗したことを知った釣り仲間は、信助の行動を陰で嘲笑った。現状のままで当分は旅館の注文に応じられるから充分ではないかという、安易な考え方の者もいた。

 「気ままに釣りを楽しむのが、人生の仕上げというものよ」

 と信助に意見する隠居仲間もいた。

 清沢に案内したがために、信助を岩魚放流のとりこにしたと思い込んでいる佐次郎は、

 「無理して身体をこわすなよ」

 信助の執念の強さをおもんぱかって気遣った。

 しかし信助は、いまのままの状態が続けば、必ず岩魚が根絶する事態に陥ることを憂いていた。と同時に、長年にわたり釣りを続け、釣りを極めれば極めるほど、醍醐味は深くなり決して忘れることはできなくなるものだ。それを未知なる川で発見した時の感動は、筆舌に尽くし難いものであることを信助は心得ていた。釣り師とは、そうした開拓精神が常に根底にあって、その感激を求めて止まない冒険心を普遍的に持っているものである。

 信助は、自然が創造した豊かな情趣の深山幽谷を、ひっそりと流れる川、清沢を岩魚の宝庫として生かしたかった。岩魚を放流し、それを実現したかったのである。そうなれば岩魚たちの棲息地域も広くなることになる。

 生まれた時も独り、おそらく死ぬ時も独り身であることを考えれば、釣り仲間や誰からも相手にされなくてもよい。自然を慈しむこの気持ちをあえて理解してもらおうとは思わなかった。

 早瀬川のわが家で、信助は、太古川で岩魚を釣って清沢へ運ぶ道順を改めて考えていた。

 清沢の源流へ入るには、早瀬川との合流点から清沢の流れに沿って遡る方法がある。それには、炭酸を含んだ水質の地域を通過するのに一時間は必要である。そこからさらに上流へ達するにはおよそ半日程度計算しておかなくてはなるまい。川伝いに歩くには流れを横切り、岩をよじ登って進むこともあろう。岩間を流れる急流に耐え、水深不明な流れを渡ることになるかもしれないことなどの条件を考えると、体力的に判断しても困難度が多い。

 他の方法は、聖岳山麓の林道から草藪の中の踏み跡を辿りながら、聖岳中腹を進み、塔ヶ峯の山裾へ向かうことである。太古川上流から早瀬川へ出て、清沢が早瀬川に合流する地点から清沢を遡り、一本松を目標として源流へ向かう方法も、すでに試みている。いずれも失敗に終わった道順であるだけに、再度挑戦してみようとは思えないし、成功の見込みは殆どないと信助は判断していた。

 残された方法は、思い切って清沢の源流へ直行することしかなかった。清沢への唯一の入口である踏み跡を右手に見下ろすようにして、聖岳山頂を越えることになる。距離的には最短距離だが、まさしく人跡未踏というにふさわしく、猟師がたまに入る程度の灌木林地帯を通過しなければならない難関がある。危険を覚悟で山へ入る心構えが必要である。

 それよりも、清沢に沿って新鮮な水と替えながら遡り、途中から一本松を目標に進む方法をもう一度試みた方が可能性がある気もする。びくをもっと大型にして、運ぶ岩魚の数を減らせば、長時間酸素が保つことになるかもしれない。

 信助は迷っていた。悩みは夢の中まで続き、清沢の流れの情景と岩魚を運ぶ道程の夢ばかりみていた。

 結論を得ないまま、信助は太古川へ岩魚釣りに出て行った。

 山桜が咲く山肌に緑は深まり、谷間を流れる水辺には山吹の花が目立っている。崖の上には岩つつじも咲いて渓谷は最盛期に入っていた。

 この季節を逃しては、よい釣りはできない。岩魚や山女魚たちの活動期であり、体力が充実する時である。限られた広さのびくの中では、勢いの勝れた岩魚を入手するのが第一条件であり、この好機を失っては清沢へ岩魚を放流する機会はないに等しかった。

 信助の脳裡は、そうした気持ちが逸っていて、手段を選んで計画的にとりかかるより、岩魚を釣ってから清沢へ行く方法を決めようとしていたのである。

 今朝の信助は、びくの代わりに鮎の友釣り用の囮かんを下げていた。大型のびくでは不安であったことを知った信助が、老人会で伊豆の温泉場へ旅行した先で手に入れたものである。金属製の丸形の囮かんは、その地方独特の形体をしているが、信助が知っていた木製長方形の囮箱に比べ、中の岩魚が自由に泳ぐことができる利点があるし、びくよりひと回り大きい点もあった。

 明も一緒だった。

 暗いうちに起きた信助は、普段仲間が入らない太古川の上流へ向かっていた。眠そうな目をしているが、しっかりとした足取りで明は黙ってついてくる。

 信助が太古川へ降りる頃、雲がたなびく東の空に夜明けの光が射しはじめ、川面に深い霧が立ちこめていた。

 陽が昇る前に、信助は四尾の岩魚を釣り上げた。

 風が出て、辺りの林の中に陽の光が射しはじめると、塔ヶ峯の方角から流れるように雲が出てきた。

 晴れわたった空模様よりも、薄日程度であるか曇り日であった方が岩魚の動きはよい。水面に映る人影を認めにくく、岩魚は大胆な行動を示す習性がある。

 山頂の雲間から陽が射すと、急に食いが止まった。四は死に結びつく数である。四尾は縁起が悪い、もう二尾欲しい。最低雌雄三尾ずつの岩魚が欲しいと考えていた信助は、食いが止まったのは、陽を背に受け、川面に影を落としているためかと判断して、岩陰から対岸へ渡ろうとした。

 「おじいちゃん」

 明が信助を引き止めた。

 淵のひらき場の浅瀬に、朽ちた古木が沈んでいるのかと、迂闊にも見過ごしていた信助は、明に指さされて、尺岩魚であることに気付いた。淵を定住場所としている岩魚であることは、背中の黒さで判断できる。おそらく気温が高まり、淵から出て遊泳していたのであろう。岩魚は、すでに信助の姿を発見していて、十分警戒しているに違いない。

 信助はこう思いながらも神経をとがらせ、岩魚のやや上手へ餌を落とした。

 案のじょう、岩魚は目前に流れてきた好物の餌を見向きもしない。

 再び上手へ餌を落とした信助は、ゆるやかな流れにのせて、あたかもごく自然に餌が流れてきたように、竿を上下に軽く動かしてみた。

 餌は遠隔操作されてでもいるかのような正確さで、岩魚の鼻先をちらついている。しかし、岩魚は微動だにしない。匂いは届いているのだが、全く無視して飛びつく気配はない。

 見える魚ほど釣りにくい相手であることを心得ている信助ではあったが、諦め切れずに竿を振った。なぜか信助の胸の中には、岩魚との知恵比べに挑む情熱がその時燃えていた。そして餌を落とす位置を左から右からと試し、あるいはいきなり岩魚に当たるほど大胆な振り込みも行なっていた。

 岩魚は時が経つほど落ち着き払い、動じる気配を全く見せず、長年この川へ生き抜いてきた自信と知恵を誇示するかの如く泰然とした姿であった。

 陽が高くなってきていた。空合いを見計らった信助は、手許へ流れてくる餌に視線を戻し、もう一度試して駄目なら思い切ろうと、体勢を整えて餌を引き上げようとした。

 その瞬間、水中に銀色のきらめきがおきた。

 いましも離れようとする餌の動きに、身をひるがえした岩魚が飛びついた。

 信助の手首がはねたのは同時であった。竿先がしぼり込まれ、道糸が悲鳴をあげて水を切っていた。

 岩魚は、有利な淵へ持ち込もうと必死の力で引き込んでいる。

 竿尻を低く構え、竿を立てた信助は竿を弓なりに矯めて耐え、岩魚が弱まるのを待った。

 釣り上げたのは、見事な体形をした雌岩魚であった。

 思わぬ収穫に、信助はもう一尾、雄岩魚を釣りたかった。

 時折り空を仰いでは、雲間の陽射しの弱まりを気にしていた明は、再び釣りはじめた信助の後ろ姿に、

 「もう行こうよ」

 気忙しげに声をかけて落ち着かなかった。

 しかし、信助の意志は固かった。六尾の岩魚を確保したい気持ちに鎖されて、明の声は耳に入らないのかと思える行動で太古川を遡って行った。

 頭上には張り出した木の梢が覆い被さり、川相は岩場の地形になっていた。雲が多く出てきたせいもあって、陽の光は弱々しかった。

 釣り竿は扱いにくい場所であったが、時折り生じる淵の水色は透明に近く、階段状の棚は白雪を思わせる白泡を巻いていた。

 信助は、この流域で釣れなかったら太古川から上がろうと考えていた。そして、ひときわ目立つ大岩の陰から、岩に沿った淵のひらき場を狙って竿を振り込もうとした。

 「蛇だよ」

 背後にいた明が不意に叫んだ。

 振り向いた信助と明の間を、二尺ほどの山棟蛇(やまかがち)が川へ向かっている。

 「渡るつもりだな」

 鎌首をもたげた山棟蛇は、対岸の日陰の湿地帯へ移るつもりらしい。ゆるやかな流れに入った山棟蛇は、からだをくねらせて水面を泳ぎはじめた。

 その時である。対岸の岩陰から黒い魚影が水心へ向かって動いた。

 岩魚だった。優に尺を越す大岩魚は、蛇を目がけて浮き出てきた。かと思うと水紋を描いて蛇の尾にくいついた。蛇は水中へ引きこまれたが、すぐ浮かび上がって泳ぎはじめた。

 二度目の攻撃は痛烈だった。露骨にからだを浮かせた岩魚は、蛇の尾をくわえると水中へ引きずり込んだ。赤味を帯びた鱗状の腹を見せて山棟蛇は反転し、逃れようと身をくねらせた。しかし山棟蛇は、一メートル進んでは戻されながら水中へ引き込まれている。

 いつの間にか二尾になった岩魚は、澄明な水中を機敏な動作で泳ぎ、動きが鈍くなった蛇の下を回りながら休みなく襲い続けている。

 長いからだをもて余すかの如く動きの衰えた山棟蛇は、下流へと流されはじめ、明らかな勝利を得た岩魚は、自信に漲った攻撃を容赦なく続けていた。

 茫然と見守っていた信助は、幾度となく清沢へ向かう途中で死んでいった岩魚のもろさが、意外に感じられてならなかった。

 そして、狭いびくの中とはいえ、誘う死に対して、蛇を襲うような攻撃的な力強い生命力をもって闘って欲しい願いが、切実な思いで胸の中に湧いていた。

   

 

 木の間から射し込んでいた陽の光は、いつの間にか雲に遮られていた。

 雨になるかもしれない。降られると足許はおぼつかなくなるし、時間的にも余裕がなくなっていることに気付いた信助は、釣り道具を片付けてリュックサックに納め、囮かんの水を入れ替えた。

 太古川をあがった信助は、早瀬川との間に横たわる小高い丘へ向かっていた。丘を越えた場所には早瀬川に合流する藪ノ沢がある。その上流には猪ノ沢が流れ込んでいる。猪ノ沢近くまで早瀬川を遡り、聖岳の山裾から山頂へ向かい、清沢の源流近くへ直行する方法を、信助は選んだのである。

 早瀬川を遡りはじめておよそ三十分、猪ノ沢が合流する地点を遠目に認めた信助は、最後の新鮮な水になるかもしれないと思いながら、早瀬川に囮かんを沈め、見上げるばかりに聳える聖岳の濃い緑に覆われた山肌を眺めていた。

 頂上近くには、一見緑なす雑草や熊笹が繁る地帯になっているが、山麓から中腹へかけて生い繁る灌木林は、さながら砦の如く山裾を取り巻き、熊や鹿撃ちに入る猟師がたまに通う踏み跡ともいえない険しい山道を辿ることになる。いままで体験したどの方法よりも距離的には短いが、歩きにくく近寄り難い地帯であることを覚悟して挑まなくてはなるまいと、信助はわが身にいい聞かせていた。

 囮かんの中の岩魚たちは、直面する苦難を知らぬげに、これから走り出す陸上競技の選手のような快活さで小刻みに尾を動かしている。

 今度こそ失敗は許せない。限りある余命の体力の老化も幾度となく思い知らされている。今回の機会を失ったら気力的にも尽き果てて、再度の挑戦はできまい。信助は囮かんの中の岩魚たちを見詰め、真剣に考えていた。そして、囮かんを水中から引き上げ、

 「行くぞ」

 明に声をかけて、うす暗い灌木の下枝を潜りぬけるようにして身をかがめて分け入った。

 明はすぐ後ろから続いた。

 「今度こそ清沢へ行こうよ」

 元気のいい明の声が、信助を力付けた。

 林の中は、外観から想像していたよりも足場がよかった。久しぶりに体調が整っている信助の足取りは軽かった。この分でいけば案外たやすく聖岳の頂上へ着けそうな気がする。中腹までの灌木林さえ通過すれば、山肌は熊笹や高山植物が目につく雑草地帯となる。さらに歩きやすくなると、信助は考えていた。

 遠い谷で藪鶯が啼いていた。

 囮かんの中の岩魚たちは、少しの衰えも見せていなかった。

 やがて、前方が明るくなった。灌木は斑らになって目の前がひらけると、熊笹がまじった雑草地帯へ出た。その前方には、一気に頂上を極められそうな近さに、聖岳の頂が迫っていた。あの山頂に立てば、眼下に清沢の流れが見えるのではないかと、信助は考えていた。予想以上に早く、聖岳の難所の灌木地帯を抜け出られたことで、今度こそ清沢へ行くことができるのではないかという自信と共に、念願の岩魚を放流することが叶う希望に、信助の気力は充実していた。

 釣り上げた時、淡紅色であった岩魚も、黒っぽい背の体色に白い斑点を浮き出した岩魚も、冴えた色合いを保っている。頂上は目前であった。

 「おじいちゃん」

 後方から、心細げな明の叫び声がした。

 信助は答えなかった。一刻も早く頂上に立って、夢にまでみた清沢を見下ろしたい気持ちが先立っていた。

 熊笹や雑草は膝の高さになり、キスゲなどの植物の花が咲き乱れる草原に達した時、明が追いついた。

 頂上である。うすい霧が流れて足許からなまぬるい風が吹き上げ、清沢の方角には深い霧が立ちこめていた。

 その時まで気付かずにいた岩魚の背中の色がうすれ、疲労が目立ってきていた。しかし、これからは下りになる一方のはずである。もう大丈夫だろうと、信助は自信に満ちた面持ちで、透明な流れに白泡を巻き、随所に見せる好釣り場の清沢の情景を瞼に描き、川の音を聞きとろうと耳を澄ましていた。

 不意に霧が切れて、足許の熊笹地帯を下った位置に、小尾根が認められた。その下方、遥かな木立の間に細々と、清沢の流れが姿を現わした。

 「意外に遠い……」

 信助はこう思った。

 足許に生じた思いがけない小尾根が計算外であったこと。清沢は一気に下れる距離に達していると思い込んでいたことにあった。

 突然、稲妻が走ったかと思うと、雷鳴が轟いた。待っていたように、雨が落ちてきた。

 目をしばたいていた信助は、ここまで到達したからには、一歩も退けず、どのような障害に遮られようとも断念することはできないと考えていた。しかも、眼下には清沢が見える位置に立っているのである。

 疲労感と共に、意外な遠さに崩れそうになる気力をふるい起こした信助は、小尾根へ向かって熊笹の中を下りはじめた。

 信助の後を追って近付いた明が、囮かんの中を覗き込んでいた。そして、

 「水があればいいのに……」

 不安げな口調で呟いた。

 思わず立ち止まった信助は、一斉に水面に浮き出した岩魚がうわ水を飲んでいるのを見た。あれほど活気に溢れていた岩魚たちの姿から、その急変ぶりが信じられなかった。思わず顔を近付けると、岩魚たちは驚いて底へ沈んだが、すぐに水面に浮いてきて口を揃え、忙しく呼吸した。清沢の前方を遮る尾根の窪地にわずかでも水脈があって、細々とした流れがあれば助かる。そこで新しい水を補給すれば、岩魚は活気を取り戻し窮地から脱出できる。尾根を登り切れば、清沢は目と鼻の距離になる。さもなければ、深山幽谷を棲み家となし、幻の魚とまで譬えられる岩魚の強い生命力をもってしても、衰弱から死へ結びつくことを信助は知っている。それだけに自信から狼狽へ転化するのをおそれる信助の苛立ちは、露骨に表面化していた。

 また、目を射るような稲妻がして、雷鳴がした。雨足は衰えをみせなかった。

 窪地に着いた信助は、見上げるほどに高い尾根の狭間には一脈の細流があってもよい地形であると思った。そして、

 「水をさがせ!」

 思わず明に向かって叫び、信助自身弱まりの体色をきざしはじめた岩魚たちの姿に焦りを覚えながら、血走った目を見開き、水をさがし求めた。

 明は、雨に濡れながらも窪地を枯枝で掘り続けている。しかし、絹糸ほどの水流すら発見できなかった。

 稲妻と共に全山に響きわたる雷鳴はひっきりなしに続き、ひときわ激しい雨になった。

 この雨が、早朝から降り続いてさえすれば、窪地に細々とした流れが生じていたかもしれないと考えながら、天を仰いだ信助は、自然の助力を無視し、人間の力だけを頼りに行動した考えの甘さと浅はかさと、自然の中では無力に等しい人間の存在を、いまこそ痛感していた。それと同時に、清沢に岩魚が棲んでいないのは自然の掟によるものであるかもしれない。となると清沢に岩魚を放流する行為は、自然の定めた掟に逆らう人間の思いあがりであるかもしれないとも考えていた。しかし、仮にそうであるとするなら、自然は水晶の如き流れに、淵を設け瀬を作り、産卵に最適と思える小砂利の浅瀬のせせらぎといい、岩魚たちの絶好の棲み家として、類まれな渓谷を創造するような無駄はしまい。こう理由づけて考えた信助は、見たこともない秘境といえる清沢に、岩魚を放流しようと決めた信念が動じないことを祈った。

 次第にうすらぐ岩魚の体色は、死へ赴く前兆である。やがて絶える生命であることを予知しているのか、岩魚たちは時折りからだを横たえて、静かに死へのおびえに耐えている。その間にも銀色の横腹をきらつかせ、必死に立ち直り、生きようとする姿勢を示している。

 突然、信助が走り出した。

 「おじいちゃん……」

 明が驚いて、心細い声をあげた。

 目を射るような閃光と共に轟く雷鳴の中、雨に濡れた信助は、忍びよる死に抗い、生きようとする岩魚の姿を見ているうちに、譬えこの身が尽き果てようとも、この場で岩魚を死なせてはならない衝動に駆られていた。

 いまにも破れそうな激しい心臓の鼓動と共に、薄らぐ意識に堪えながら、信助は必死に走った。そして、この岩魚たちが生きるか死ぬか、自分の生命も同じ運命にあると思った。野や山に神がおわすなら、この悲願を叶えさせてほしいと祈りながら尾根に立った信助は、明が一緒であることを忘れていた。

 見下ろす足許のゆるい斜面は、熊笹が密生し、その前方には、中腹から頂にかけて雨雲に覆われた塔ヶ峯の山裾を、西方から東へと帯状に流れる清沢の源流が、雨にけぶる彼方に姿を現わした。

 「これ以上素晴らしい渓谷が他にあろうか」

 佐次郎に案内されて、はじめて清沢と出会って以来、片時も忘れず夢にまで見た清沢を目のあたりにして、一時われを忘れた信助は感動し、厚いまなざしで凝視していた。

 霧が流れ、清沢の景観が消されていった。

 雨に濡れたからだを引きずるようにして、清沢へ向かう斜面を下りはじめた信助は、神泉に等しい清沢の水を、一刻も早く岩魚たちに与えなければならない気力だけが、歩く支えになっていた。

 再び霧が晴れて、清沢が目の前に近付いていた。水音も手に取るように聞こえている。

 はじめて清沢の水に触れた時、冷ややかさを心地良く感じた流れに、今度こそ自分の手で岩魚を放すことができる。思えば度重なる失敗にもめげず、孤独な挑戦を続けてきた。それも叶えられる瞬間がもう目前であることを意識した信助は、思わず気の弛みを覚えた。そして、熊笹が切れた川岸に辿り付いた時、不意に襲われた眩暈に信助は崩れるように座り込んでいた。

 間もなく追い付いた明が、囮かんを手にしたまま水際に蹲り、動かない信助の姿を発見した。

 そして、

 「どうしたの……」

 思わず声をかけ、信助の肩に手を触れた。

 その時、信助の上体は前のめりに倒れ、鈍い音を立てた。

 驚いた明は、

 「おじいちゃん!」

 泣き出しそうな顔をして、信助のからだを支えた。

 降り注ぐ雨にうたれ、時折り閃く稲妻に血の気が引いた顔を浮かび上がらせた信助は、気を失ったのか、返事もしない。

 「おじいちゃん!」

 走る稲妻と轟く雷鳴の恐怖に加え、答えてくれない信助の姿に、心細さが募る一方の明は、しゃくり上げていた。

 囮かんの中の岩魚たちは、白い腹を見せて横になって沈み、迫りくる死を静かに迎え入れようと苦しげに呼吸している。

 雨に濡れながら、肩をふるわせて泣いている明は、蒼白な顔色の信助を見守っているばかりであった。

 しばらくすると、信助がうっすらと目を開け、明を見上げた。そして、ふるえる指先で清沢の流れを示し、

 「明……岩魚を……」

 か細く苦しげな声で伝えた。

 泣きながら囮かんを持ち上げた明は、水辺に近寄って蓋を開き、岩魚たちを一斉に放した。

 流れの澱みに沈んだ岩魚たちは、白い腹を見せたまま、小砂利の川底にじっとしている。

 しばらくの間、かすかに呼吸していた岩魚は、やがて大きく口を開いたかと思うと、命の水を得た如く力付き、本来の姿勢を取り戻していった。

 降りしきる雨にうたれてじっと見守る二人の前から、岩魚たちが流れに向かって泳ぎはじめたのは、それから間もなくであった。

 身も心も使い果たした信助は、上体を明に支えられながら、遠のく意識の中で、谷の精か幻の魚かとも思える岩魚の旅立ちを、潤んだ瞳で見送っていた。

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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小田 淳

オダ ジュン
おだ じゅん 作家 1930年 神奈川県小田原市に生まれる。

掲載作は1975(昭和50)年、叢文社刊『岩魚』に初出。

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