一塊の土
お
仁太郎の葬式をすました後、まづ問題になつたものは嫁のお民の身の上だつた。お民には男の子が一人あつた。その上寝てゐる仁太郎の代りに野良仕事も大抵は引受けてゐた。それを今出すとすれば、子供の世話に困るのは勿論、暮らしさへ到底立ちさうにはなかつた。かたがたお住は四十九日でもすんだら、お民に婿を
それだけに丁度
「のう、お民、おらあけふまで黙つてゐたのは悪いけんど、お前はよう、この子とおらとを置いたまんま、はえ、出て行つてしまふのかよう?」
お住は
「さうずらのう。まさかそんなことをしやしめえのう。……」
お住はなほくどくどと愚痴まじりの歎願を繰り返した。同時に又彼女自身の言葉にだんだん感傷を催し出した。しまひには涙も幾すぢか皺だらけの頬を伝はりはじめた。
「はいさね。わしもお前さんさへ好けりや、いつまでもこの家にゐる気だわね。――かう云ふ子供もあるだものう。すき好んで外へ行くもんぢやよう。」
お民もいつか涙ぐみながら、広次を膝の上へ抱き上げたりした。広次は妙に羞しさうに、奥部屋の古畳へ投げ出された桜の枝ばかり気にしてゐた。……
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お民は仁太郎の在世中と少しも変らずに働きつづけた。しかし婿をとる話は思つたよりも容易に片づかなかつた。お民は全然この話に何の興味もないらしかつた。お住は勿論機会さへあれば、そつとお民の気を引いて見たり、あらはに相談を持ちかけたりした。けれどもお民はその度ごとに、「はいさね、いづれ来年にでもなつたら」と好い加減な返事をするばかりだつた。これはお住には心配でもあれば、嬉しくもあるのに違ひなかつた。お住は世間に気を兼ねながら、兎に角嫁の云ふなり次第に年の変るのでも待つことにした。
けれどもお民は翌年になつても、やはり野良へ出かける外には何の考へもないらしかつた。お住はもう一度去年よりは一層
「だがのう、お民、お前今の若さでさ、男なしにやゐられるもんぢやなえよ。」
「ゐられなえたつて、仕かたがなえぢや。この中へ他人でも入れて見なせえ。広も可哀さうだし、お前さんも気兼だし、第一わしの気骨の折れることせつたら、ちつとやそつとぢやなからうわね。」
「だからよ、与吉を貰ふことにしなよ。あいつもお前この頃ぢや、ぱつたり
「そりやおばあさんには身内でもよ、わしにややつぱし他人だわね。何、わしさへ我慢すりや……」
「でもよ、その我慢がさあ、一年や二年ぢやなえからよう。」
「好いわね。広の為だものう。わしが今苦しんどきや、此処の家の田地は二つにならずに、そつくり広の手へ渡るだものう。」
「だがのう、お民、(お住はいつも此処へ来ると、真面目に声を低めるのだつた。)何しろはたの口がうるせえからのう。お前今おらの前で云つたことはそつくり他人に聞かせてくんなよ。……」
かう云ふ問答は二人の間に何度出たことだかわからなかつた。しかしお民の決心はその為に強まることはあつても、弱まることはないらしかつた。実際又お民は男手も借りずに、芋を植ゑたり麦を刈つたり、以前よりも仕事に精を出してゐた。のみならず夏には牝牛を飼ひ、雨の日でも草刈りに出かけたりした。この烈しい働きぶりは今更他人を入れることに対する、それ自身力強い抗弁だつた。お住もとうとうしまひには婿を取る話を断念した。尤も断念することだけは
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お民は女の手一つに一家の暮らしを支へつづけた。それには勿論「広の為」と云ふ一念もあるのに違ひなかつた。しかし又一つには彼女の心に深い根ざしを下ろしてゐた遺伝の力もあるらしかつた。お民は不毛の山国からこの界隈へ移住して来た所謂「渡りもの」の娘だつた。「お前さんとこのお民さんは顔に似合はなえ力があるねえ。この間も
お住は又お民に対する感謝を彼女の仕事に表さうとした。孫を遊ばせたり、牛の世話をしたり、飯を焚いたり、洗濯をしたり、隣へ水を汲みに行つたり、――家の中の仕事も少くはなかつた。しかしお住は腰を曲げたまま、何かと楽しさうに働いてゐた。
或秋も暮れかかつた夜、お民は松葉束を抱へながら、やつと家へ帰つて来た。お住は広次をおぶつたなり、丁度狭苦しい土間の隅に据風呂の下を焚きつけてゐた。
「寒かつつらのう。
「けふはちつといつもよりや、余計な仕事をしてゐたぢやあ。」
お民は松葉束を流しもとへ投げ出し、それから泥だらけの
「
「風呂よりもわしは腹が減つてるよ。さきに芋でも食ふべえ。……煮てあるらねえ? おばあさん。」
お住はよちよち流し元へ行き、惣菜に煮た薩摩芋を鍋ごと炉側へぶら下げて来た。
「とうに煮て待つてたせえにの、はえ、冷たくなつてるよう。」
二人は芋を竹串へ突き刺し、一しよに炉の火へかざし出した。
「広はよく眠つてるぢや。床の中へ転がして置きや好いに。」
「なあん、けふは莫迦寒いから、下ぢやとても寝つかなえよう。」
お民はかう云ふ間にも煙の出る芋を頬張りはじめた。それは一日の労働に疲れた農夫だけの知つてゐる食ひかただつた。芋は竹串を抜かれる
「何しろお前のやうに働くんぢや、人一倍腹も減るらなあ。」
お住は時時嫁の顔へ感歎に満ちた目を注いだ。しかしお民は無言のまま、煤けた
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お民は
しかしお民の「稼ぎ病」は容易に満足しないらしかつた。お民は又一つ年を越すと、今度は川向うの桑畠へも手を拡げると云ひはじめた。何でもお民の言葉によれば、あの
「好いかの、お民。おらだつて逃げる訳ぢやなえ。逃げる訳ぢやなえけどもの、男手はなえし、泣きつ児はあるし、今のまんまでせえ荷が過ぎてらあの。それをお前飛んでもなえ、何で養蚕が出来るもんぢや? ちつとはお前おらのことも考へて見てくんなよう。」
お民も姑に泣かれて見ると、それでもとは云はれた義理ではなかつた。しかし養蚕は断念したものの、桑畠を作ることだけは剛情に我意を張り通した。「好いわね。どうせ畠へはわし一人出りやすむんだから。」――お民は不服さうにお住を見ながら、こんな
お住は又この時以来、婿を取る話を考へ出した。以前にも暮しを心配したり、世間を兼ねたりした為に、婿をと思つたことは度たびあつた。しかし今度は片時でも留守居役の苦しみを逃れたさに、婿をと思ひはじめたのだつた。それだけに以前に比べれば、今度の婿を取りたさはどの位痛切だか知れなかつた。
丁度裏の蜜柑畠の一ぱいに花をつける頃、ランプの前に陣取つたお住は大きい夜なべの眼鏡越しに、そろそろこの話を持ち出して見た。しかし炉側に
「でもの、さうばかり云つちやゐられなえぢや。あしたの宮下の葬式にやの、丁度今度はおら等の家もお墓の穴掘り役に当つてるがの。かう云ふ時に男手のなえのは、……」
「好いわね。掘り役にやわしが出るわね。」
「まさか、お前、女の癖に、――」
お住はわざと笑はうとした。が、お民の顔を見ると、うつかり笑ふのも考へものだつた。
「おばあさん、お前さん隠居でもしたくなつたんぢやあるまえね。」
お民は胡坐の膝を抱いたなり、
「なあん、お前、そんなことを!」
「お前さん広のお父さんの死んだ時に、自分でも云つたことを忘れやしまえね? 此処の家の田地を二つにしちや、御先祖様にもすまなえつて、……」
「ああさ。そりやさう云つたぢや。でもの、まあ考へて見ば。時世時節と云ふこともあるら。こりやどうにも仕かたのなえこんだの。……」
お住は一生懸命に男手の
「お前さんはそれでも好からうさ。先に死んでつてしまふだから。――だがね、おばあさん、わしの身になりや、さう云つてふて腐つちやゐられなえぢやあ。わしだつて何も晴れや自慢で、
お住は唯茫然と嫁の顔ばかり眺めてゐた。そのうちにいつか彼女の心ははつきりと或事実を捉へ出した。それは
「だがの、お民、中中お前世の中のことは理窟ばつかしぢや行かなえせえに、とつくりお前も考へて見てくんなよ。おらはもう何とも云はなえからの。」
二十分の後、誰か村の
「どら、寝べえ。朝が早えに。」
お民はやつとかう云つたと思ふと、塩豌豆を一掴みさらつた後、大儀さうに炉側を立ち上つた。――
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お住はその後三四年の間、黙々と苦しみに堪へつづけた。それは云はばはやり切つた馬と同じ
お住は実際はた目には殆ど以前に変らなかつた。もし少しでも変つたとすれば、それは唯以前のやうに嫁のことを褒めないばかりだつた。けれどもかう云ふ些細の変化は格別人目を引かなかつた。少くとも隣のばあさんなどにはいつも「後生よし」のお住だつた。
或夏の日の照りつけた真昼、お住は納屋の前を覆つた葡萄棚の葉の陰に隣のばあさんと話してゐた。あたりは牛部屋の蝿の声の外に何の物音も聞えなかつた。隣のばあさんは話をしながら、短い巻煙草を吸つたりした。それは伜の吸ひ殻を丹念に集めて来たものだつた。
「お民さんはえ? ふうん、干し草刈りにの? 若えのにまあ、何でもするのう。」
「なあん、女にや外へ出るよか、内の仕事が一番好いだよう。」
「いいや、畠仕事の好きなのは何よりだよう。わしの嫁なんか祝言から、はえ、これもう七年が間、畠へはおろか草むしりせえ、唯の一日も出たことはなえわね。子供の物の洗濯だあの、自分の物の仕直しだあのつて、毎日永の日を暮らしてらあね。」
「そりやその方が好いだよう。子供のなりも見好くしたり、自分も小綺麗になつたりするはやつぱし浮世の飾りだよう。」
「でもさあ、今の若え者は一体に野良仕事が嫌ひだよう。――おや、何ずら、今の音は?」
「今の音はえ? ありやお前さん、牛の屁だわね。」
「牛の屁かえ? ふんとうにまあ。――尤も炎天に甲羅を干し干し、粟の草取りをするのなんか、若え時にや辛いからね。」
二人の老婆はかう云ふ風に大抵平和に話し合ふのだつた。
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仁太郎の死後八年余り、お民は女の手一つに一家の暮らしを支へつづけた。同時に又いつかお民の名は一村の外へも拡がり出した。お民はもう「稼ぎ病」に夜も日も明けない若後家ではなかつた。
或秋晴のつづいた午後、本包みを抱へた孫の広次は、あたふた学校から帰つて来た。お住は丁度
「ねえ、おばあさん、おらのお母さんはうんと偉い人かい?」
「なぜや?」
お住は庖丁の手を休めるなり、孫の顔を見つめずにはゐられなかつた。
「だつて先生がの、修身の時間にさう云つたぜ。広次のお母さんはこの近在に二人とない偉い人だつて。」
「先生がの?」
「うん、先生が。嘘だのう?」
お住はまづ狼狽した。孫さへ学校の先生などにそんな大嘘を教へられてゐる、――実際お住にはこの位意外な出来事はないのだつた。が、一瞬の狼狽の後、発作的の怒に襲はれたお住は別人のやうにお民を罵り出した。
「おお、嘘だとも、嘘の皮だわ。お前のお母さんと云ふ人はな、外でばつか働くせえに、人前は偉く好いけれどな、心はうんと悪な人だわ。おばあさんばつか追ひ廻してな、気ばつか無暗と強くつてな、……」
広次は唯驚いたやうに、色を変へた祖母を眺めてゐた。そのうちにお住は反動の来たのか、忽ち又涙をこぼしはじめた。
「だからな、このおばあさんはな、われ一人を頼みに生きてゐるだぞ。わりやそれを忘れるぢやなえぞ。われもやがて十七になつたら、すぐに嫁を貰つてな、おばあさんに息をさせるやうにするんだぞ。お母さんは徴兵がすむまぢやあなんか、気の長えことを云つてるがな、どうしてどうして待てるもんか! 好いか? わりやおばあさんにお父さんと二人分孝行するだぞ。さうすりやおばあさんも悪いやうにやしなえ。何でもわれにくれてやるからな。……」
「この柿も
広次はもうもの欲しさうに籠の中の柿をいぢつてゐた。
「おおさえ。くれなえで。わりや年は行かねえでも、何でもよくわかつてる。いつまでもその気をなくなすぢやなえぞ。」
お住は涙を流し流し、
かう云ふ小事件のあつた翌晩、お住はとうとうちよつとしたことから、お民とも烈しいいさかひをした。ちよつとしたこととはお民の食ふ芋をお住の食つたとか云ふことだけだつた。しかしだんだん云ひ募るうちに、お民は冷笑を浮べながら、「お前さん働くのが厭になつたら、死ぬより外はなえよ」と云つた。するとお住は日頃に似合はず、気違ひのやうに
「広、かう、起きろ。広、かう、起きて、お母さんの云ひ草を聞いてくよう。お母さんはおらに死ねつて云つてゐるぞ。な、よく聞け。そりやお母さんの代になつて、銭は少しは殖えつらけんど、一町三段の畠はな、ありやみんなおぢいさんとおばあさんとの開墾したもんだぞ。そりようどうだ? お母さんは楽がしたけりや死ねつて云つてるぞ。——お民、おらは死ぬべえよう。何の死ぬことが怖はいもんぢや。いいや、手前の指図なんか受けなえ。おらは死ぬだ。どうあつても死ぬだ。死んで手前にとつ着いてやるだ。……」
お住は大声に罵り、泣き出した孫と抱き合つてゐた。が、お民は
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けれどもお住は死ななかつた。その代りに翌年の土用明け前、丈夫自慢のお民は腸チブスに
お民の葬式の日は雨降りだつた。しかし村のものは村長を始め、一人も残らず会葬した。会葬したものは又一人も残らず、
お民の葬式をすました夜、お住は仏壇のある奥部屋の隅に広次と一つ蚊帳へはひつてゐた。ふだんは勿論二人ともまつ暗にした中に眠るのだつた。が、今夜は仏壇にはまだ燈明もともつてゐた。その上妙な消毒薬の匂も古い畳にしみこんでゐるらしかつた。お住はそんなこんなのせゐか、いつまでも容易に寝つかれなかつた。お民の死は確かに彼女の上へ大きい幸福を
お住は思はず目を開いた。孫は彼女のすぐ隣に多愛のない寝顔を仰向けてゐた。お住はその寝顔を見てゐるうちにだんだんかう云ふ彼女自身を情けない人間に感じ出した。同時に又彼女と悪縁を結んだ伜の仁太郎や嫁のお民も情けない人間に感じ出した。その変化は見る見る九年問の憎しみや怒りを押し流した。いや、彼女を慰めてゐた将来の幸福さへ押し流した。彼等親子は三人とも悉く情けない人間だつた。が、その中にたつた一人
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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