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樹木礼賛

たちくらむ春の名残りの木下闇かるがるきみの腕にいだかる  『衣裳哲学』

 

すれちがう人の匂いの微かのこりくろぐろとたつ冬の針葉樹

 

つかの間の休息ならむ細枝に鳥一羽きて黒くとまれり

 

にんげんら好みて集う陰の部分朴の木のした魂のまうしろ

 

不穏ともいうべきほどに累々と稔らざる実の無花果樹(いちじく)はある

 

落葉樹林 山鳩のこえほのぐらしねむれる脳のなかをゆくごと

 

父母(ちちはは)は梅をみておりわれひとり梅のむこうの空を見ている

 

天寧寺の柘榴はいたくすさめども実りは重くあなどりがたき  『機知の足首』

 

一本は雄木、一本は雌木の公孫樹雌木は半月遅れて芽ぶく

 

樫の木のこずえ細()の痩せ鴉のど上むけてしばらくは啼く

 

電線にとどく樫の木先端に力をあつめひかりをかえす

 

樫の木の梢に風が生まれるかざわざわずわんと高鳴りがして

 

日常のおごりというか無聊なるときに散りくるさくらの花は

 

さくら散る庭に来て佇つ散るものはかくも殷賑かくも奔放

 

にんげんの行きつくところ 桜散る 前にうしろに散りかかりくる

 

さくら吹雪散り納まりてさらにまた渦に巻かれてゆくはなびら

 

かたくなに時をえらびて開花せる桜もついに雨に果てたり

 

海棠は春の日あたり風あたり午後ころあいにゆるみてきたる

 

墓地のわき枳殻(からたち)の実のひしゃげたる乾いた土の犬の遊び場

 

臘梅(ろうばい)に鵯きたりまた一羽きてたがいに枝を(こと)にし止まる

 

人間(ひと)ならば無愛想なる姿にて樹齢二百年の無患樹(むくろじ)

 

梍莢(さいかち)の流れへ(かし)ぐ古幹の上へ向く枝下へむかう枝  『木鼠浄土』

 

木の枝の細きが伸びる方角に別の枝あり、ありてからまる

 

とうてい無理なはなしだがと言いつつ男が木の下を行く

 

上の葉が下の丸葉にかげをおとしともにゆれいるところを過ぎき

 

下から上、上から下へと(ふう)の木の幹にそいつつ視線をずらす

 

枝張りの大きさを誇る金木犀 老樹今年の花をおわりぬ

 

この春に切らんと決めたるもくれんのはや蕾もつ枝を見あぐる

 

杉の木の木肌がねじれ右巻きになんのためにかねじれて伸びる

 

天が地をおおわんとして葉をおとすうろこのような翳をつくりて

 

岸に立つ木がうつりけり古利根のさざなみだてる水のおもてに

 

一本が一本としてきわだてる雑木林の夕映えのとき

 

呼応して白木蓮の咲きはじむ(ふち)かがやかせ夕やみに浮く

 

白木蓮ざわめく下を生きているわが通るときざわめきまさる

 

みはるかす銀杏(いちょう)の梢をゆらしきし風がよわりてここまで達す  『ふたりごころ』

 

上向きの枝にまじりて下向きの枝がおもいのほかにいきおう

 

そこに在る。未来永劫(えいごう)そこにある。何を信じて(かし)はあるのか

 

歩きつつふりかえりつつ見る桜こうしてみれば他人の桜

 

早くとも遅くとも春の挨拶のなかに据えられる桜の開花

 

幹はなかばよじれ傾き空洞(うろ)をもち生きやすからず木というものも

 

剛直な古老のごとし森のおく真横に太き枝張る一位(いちい)

 

近寄りて行けば実のなるくるみの木にんげんの首を上に向かせる

 

平林寺雑木々のなかにまじりたる赤松の幹がほのかにあかし

 

まんさくが日おもてにだけ咲く庭の東西南北わからなくなり

 

われはいつか天恵(てんけい)として歩をはこび熊笹わけて木に至るべし

 

大木となりたる公孫樹(いちょう)の葉の一枚一枚ずつが光りをこぼす

 

臘梅(ろうばい)首夏(しゅか)の大樹はかげふかくきのうのことがあやふやになる

 

寡黙(かもく)なる木に逢いにゆくいつからか(ひと)りに慣れてしまいしわれか

 

まっすぐにひかりのみちを飛びきたる(ひよ)が臘梅の枝を揺らせり

 

冬の空がメタセコイアの上にあり息ととのえて見あげてみれば

 

たましいの抜けたる(くぬぎ)一葉(いちよう)をのせてゆっくり水面(みなも)は動く  『天の穴』

 

おさきにというように一樹色づけり池のほとりのしずけき桜

 

榧の木の向こうの空のおごそかな薄いいびつな三日月のかけら

 

しなやかにたおやかに木はしないつつ葉をおとすときくやしくないか

 

鎌鼬棲む さわれば磁気がありそうで近づけもせぬ楠の古木は

 

在るというそのことにある白樺の一本が冬の野にたたずめり

 

立ち尽くす冬枯れの木が素手をもて今朝の日輪を支えておりぬ

 

やまももはヤマモモとして全うす振り返るとき全容を見せ

 

何の木かわからなくなるまで枯れつくし生きすぎてしまったことの

 

西向きの斜面は温気(うんき)ただよえり受精の後の梅の木の下

 

八分どおり咲き揃いたるところからおもいおもいに花びら散れり

 

下からのかぜにあおられ細枝の揺らぎやまざる白雲木は

 

梢から梢をわたりゆく風のあまれるが下へむかいて吹ける

 

四本の白雲木を持つ庭をひとまわりして四本を見つ

 

杉の秀がなかぞらを指すためらわず中空を指す杉の針

 

木犀の花散ってゆきなにごともなかったようなふてぶてしさの

 

木枯らしになぶられおりしユーカリの葉が宵の間に力を抜けり  『一粒』

 

枯れ落ちて朽つるもこの世のことわりにて何ぞ悲しむことのあらんや

 

捨て身とはこのことならんつぎつぎと身を捨つる葉は根の元による

 

なかぞらに蒔き散らしたる柿の実と見れば細枝に繋がるるらし

 

桑の木がにぎりこぶしをつき出して黒土の上に怒りを噴けり

 

あかんぼの唾液のように垂れさがる細枝がさみしい花をこぼせり

 

行乞のたまものとして掌に受くる花の芯からこぼれし一粒(いちりゅう)

 

垂直の意志はことごとく天を指す北山なだりの杉の羅列は

 

中仙道の冬の欅は麻姑(まこ)の爪かゆいところを掻いてもらいに

 

混じり気のあらざる白にて狩衣と名づけられたるはなびらあわれ

 

青澄める(はなびら)にひとすじ赤き痛みはしりておわる今年の御衣黄(ぎょいこう)

 

白き 赤き うすきくれない 紅まじり 白まじりなる白毫寺椿

 

細枝の枝垂れる尖の雫するごときさくらの蕾のふくらみ

 

二分咲きから三分咲きへとうつりつつ午後のさくらの色あわあわし

 

生まれきて生きて愛して死にてゆく一生(ひとよ)のなごりの白山桜

 

ぼんやりと色を沈めて見えている池をへだつる遠見の桜

 

結界を分つか遮断機おりていて桜並木に差す夕日光(ゆうひかげ)

 

見えざれどいのちあるべし根のあるべし見えざるものにいのちあるべし

 

田木といい畑木と言いて槻木(つきのき)木魂(こだま)()ろう日本の民は

 

右、畑木 左を田木と呼び慣らし占うことしの収穫禍福

 

雨風と土と光にたちむかう民の祈りが木を守りきつ

 

青竹の節のなかなる空洞に静寂が満つ清浄が充つ

 

老谷のさしまた椿藪椿あかい椿の息吐くところ

 

鬱の木と思うまで花の咲ききりてさしまた椿老谷の椿

 

なやましく揺れていたりき藤棚の藤の房々山藤の花

 

これ以上素直になれぬというほどに藤は力を抜きて垂れいる

 

目をあげる度に花数多くなる梢より枝へ昼から午後へ

 

根無しあり寄生ありまた絡まるもありてとにかく生きねばならぬ

 

かすかにも紅を刷きたる山茶花のせつなさを見つ隠すべくもなく

 

この欅いまだ芽吹きのおとずれぬ雑木林にまぎるる老欅

 

冬桜綸子(りんず)のように咲いていて言葉がとぎれる午後のふたりは

 

袖振りあうも他生の縁というならむ袖を連ねて花見すわれら

 

一枚の花弁が反す日のひかり桃の畑は温みに満ちる

 

あの枝もこの木も渾身の力こめ桃のはなびら震えつつ開く

 

ほおずりをするようにして柔らかき風が(すもも)の花をゆらしぬ

 

めくるめくこのいっときは桃の木の至福のときぞ不覚のときぞ

 

身の外にいでざる涙をかかえつつ桃を見に来つ桃咲く里に

 

白粉をこぼした様な斜面から(すもも)の精がため息もらす

 

眠りからさめたる桃はふっくらと夢のつづきのように開きぬ

 

一枚の山欅毛(ぶな)の葉が地にかえるときしずかに雪が積もり始める

 

霧のなかで霧が渦巻き霧を生みいよよ深まる凾南原生林

 

ぞっくりと歯のない口をあけている臥龍の梅の黙秘権行使

 

花と花 押し合うさまの一本が日表(ひおもて)にある南斜面

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2004/11/16

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沖 ななも

オキ ナナモ
おき ななも 歌人 1945年 茨城県古河市に生まれる。現代歌人協会賞受賞。

掲載作は、過去の歌歴より主として樹木の歌を自選。

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