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近松半二の死

登場人物

 近松半二

 竹本染太夫(たけもと そめだいふ)

 鶴澤吉治

 竹本座の手代(てだい) 庄吉

 祗園町(ぎをんまち)の娘 お作

 女中 おきよ

 醫者

 供の男

天明(てんめい)三年、二月下旬の午後。

(きやう)山科(やましな)、近松半二の家。さのみ廣からねど、 風雅なる家の作りにて、(かみ)(かた)に床の間、それに近松門左衞門(もんざゑもん)の畫像の一軸をかけてあり。つゞ いて違ひ棚、上には古き雛人形をかざり、下には淨瑠璃本その他を乘せてあり。(しも)のかたには出入りの(ふすま)あり。中央のよきところに半二の病床のある心にて、屏風を立てまはしてあり。上のかたは廻り縁にてあとへ下げて障子をしめたる小座敷あり。庭の上のかたは一面の竹藪。縁に近きところに木ぶりの好き櫻ありて、花は(まば)らに咲きかゝりゐる。下のかたには出入り口の低き枝折戸(しをりど)あり。枝折戸の外は、上の方より下の方へかけて小さき流れありて、一二枚の板をわたし、 芽出し柳の立木あり。薄く水の音。鴬の聲きこゆ。

(下の方よりは板橋をわたりて、醫者が供の男を連れて出づ。)

供の男(枝折戸の外にて呼ぶ)頼まう。

おきよ はい、はい。

(奥の襖をあけて、女中おきよ出で、すぐに庭に降りて枝折戸をあけ、醫者を見て會釋(ゑしやく)する。)

醫者 御病人はどうだな。

おきよ けふもやはり机に向つてゐられます。

醫者 けふも机に??。(顔をしかめる)()て扠て不養生なお人だ。兎もかくもお見舞い申さう。(内に入る)

おきよ(屏風の外にて)お醫者様がおいでなされました。

(半二はだまつてゐる。)

おきよ もし、お醫者様のお見舞でござります。

半二 (うるさそうに)今はすこし忙しいところだ。又お出で下さいと云つてくれ。

醫者 はゝ、相變わらず我儘な病人だ。(おきよに)まあ、屏風をあけなさい。

(おきよは屏風をあけると、近松半二、五十九歳、寢床の上に坐りて机にむかひ、病中ながら淨瑠璃をかきつゞけてゐる。)

醫者 あいにくお天氣はすこし曇つたが、陽気は大分春めいて來ましたな。

半二(よんどころなく筆を()く) 二月ももう末になりましたから一日増しに春めいて來るやうです。

(おきよは奥に入る。)

醫者 今年はいつもよりも餘寒が長かつたから、急に又、暖かになるかも知れません。(云ひながら半二の顔を見る)そこで、どうです。ちつとは良いやうですな。

半二(笑ふ) 良いか惡いか自分にも判りませんが、なにしろ書きかけてゐる物が氣になるので、けふも朝から起きてゐました。

醫者 それがどうも(よろ)しくない。この間からもたびたび云ふ通りここ十日か半月が大事の所だから、なるべく無理をしないで下さい。去年の秋頃からお前さんのからだは餘ほど弱つてゐるところへ、今年の餘寒が身に(こた)へたのだから、だんだんに時候が好くなつて、花でも咲くやうになれば、自然に癒る。(笑ひながら)それまではまあ醫者の云ふことを()いて、おとなしく寢てゐて下さらなければ困るな。

半二 おとなしくしてゐれば癒りませうか。

醫者 癒る、癒る。きつと癒ります。

半二 わたしも癒りたいのは山々だが??。それがどうもむづかしさうに思はれるので、せめて書きかけてゐる物だけをしまひまで仕上げて置きたいと、かうして床の上に起きてゐるのですから、我儘な奴だと叱らないで下さい。

醫者 どうも困るな、まあ、まあ、お脈を拝見。

(半二は澁々ながら手を出せば、醫者は脈をみる。おきよは銅盥と手拭を持つて出で、醫者のそばに置きて奥に入る。鶯の聲。)

半二 どうです。きのふよりも惡くなりましたか。

醫者 さあ。(躊躇して)別に惡くなつたと云ふ程でもないが、 なにしろ病人が床の上に起き直つて、よるも晝も書きづめでは、耆婆扁鵲(きばへんじやく)も匙を投げなければならない。お前さんは(あやつ)りの爲には無くてならない大事のお人だ。せいぜい養生をして早く癒つて両白いものを見せて下さい。

(醫者は手を洗つてゐると、おきよは奥より茶を持つて出づ。)

醫者 いや、もうお構ひなさるな。くどいやうだが、半二どの。十日の辛抱が出來なければ、せめて三日か五日のあひだは、仕事を休んで寢てゐて下さい。かならず無理をしてはなりませんぞ。

半二 (うるさゝうに)はい、はい。

醫者 では、どうぞお大事に…。

(醫者はおきよに送られて、供の男と共に枝折戸の外へ出づ。半二はすぐに机の方へむき直りて筆を()る。 おきよは銅盥と手拭を持ちて奥に入る。)

供の男 これからどちらへ參ります。

醫者 やはり昨日の通りだ。

(二人は向うへ行きかゝる時、下のかたよりお作、十八九歳、 祗園町の揚屋(あげや)の娘、派手なこしらへにて、手に桃の花を持ちて出づ。)

お作(呼びとめる) もし、もし…。

醫者(みかへる) おゝ、お作どのか。

お作(進みよる) 早速でござりますが…。(内を(うかが)ひて)}病人の容態は如何(いかゞ)でござりませうか。

醫者(嘆息して} お氣の毒だが、どうも宜しくない。

お作(愁はしげに) 惡うござりますか。

醫者 一日ましに惡くなるばかりだ。あれほどの大病人が起きてゐては、どうにもしやうがない。あんな無理をしてゐては、所詮長くは持つまいと思はれる。

お作 さうでござりませうな。

醫者 今殺すのは惜しい人だから、わたしも色々心配してゐるのだが。なにしろ強清だからな。まま、お前からもよく意見をして下さい。

お作 はい。

(醫者は供の男と共に向うへ去る。お作はそのあとを見送り、更に枝折戸の外より内をうかゞふ。鶯の聲。)

お作 御免下さりませ。

(半二は見返らず、一心に書きつづけてゐる。)

お作(再び呼ぶ) 御免くださりませ。

おきよ(奥より出づ) おゝ、お出でなされましたか。どうぞこちらへ…。  

(お作は内に入る。)

おきよ(半二に) お作さんがお出でなされました。

(半二はやはり默つてゐる。お作は打つちやつて置けと眼で知らすれば、おきよはそこにある茶碗を片附けて奥に入る。お作は無言にて持參の桃の花を床の間に生ける。)

半二(初めて氣がつく) おゝ、お作どの…いつの間にか來てゐたな。

お作 御氣分は如何でござります。

半二 どうも良くないやうだ。いや、良くないのが本當らしい。(床の間をみる)桃の花を持つて來てくれたか。おゝ、見事に咲いてゐる。 (違ひ棚を指す) やがて三月の節句が來るので、子供のない家でも雛を飾つた。

お作(雛を見る) よほど古いお雛樣のやうでござりますな。

半二 それは十二三年前に染太夫から貰つたのだが…。いや、それで可笑(をか)しい話がある。染太夫がその雛人形をくれると、それから間もなく私が「妹脊山(いもせやま)」を書いて、染太夫は春太夫と掛合ひで三の(きり)の吉野川を語ることになつた。 妹脊山の屋形(やかた)は三月の雛祭で雛鳥が人形の首を打ち落す。その本讀みが濟むと、染太夫め、わたしの傍へ來て、にやにや笑ひながら、先生、わたしが雛人形を差上げたばつかりに、飛んだ御返禮を頂戴しました。これは實にむづかしい語り場ですと、(しき)りに頭をおさへてゐたよ。はゝゝはゝゝ。

お作 あの「妹脊山」の淨瑠璃は近年の大當りであつたと、わたしも子供のときから聽いて居りました。去年も竹田の芝居で 「妹脊山」が又出るといふので、わざわざ大阪まで見物にまゐりましたが、今度もやはり大層な評判でござりました。

半二 さうは云つても書きおろしの時にくらべると、半分も日數が打てない。わづか十二三年の違ひだが、操りが一年ごとに(すた)れて來るのがありありと眼に見える。いつも云ふやうだが…。(床の問の畫像をみかへる)門左衞門先生が御在世の時は勿論、又そのあとを受け繼いで出雲(いづも)松洛(しようらく)が「忠臣藏(ちゆうしんぐら)」や「菅原(すがはら)」をかいた頃は、操りは繁昌の絶頂であつた。(その當時を追想するやうに、はれやかな眼をする)大阪中の贔屓(ひいき)や盛り場から贈って來るので、芝居の前に(のぼり)は林のやうに立つてゐる、積み物は山のやうに飾つてある。見物は近郷近在からも夜の明けないうちに押掛けて來る。道頓堀(だうとんぼり)の人氣はみな操りにあつまつて、歌舞伎は有れども無きが如しと云ふ有樣…。(又俄に嘆息する)それがどうだ。此頃ではまるで裏表(うらはら)になつてしまつて、歌舞伎は一年ましに繁昌して、操りは有れども無きが如くではないか。それを思へば、出雲は好いときに死んだ。松洛は長生きをして「妹脊山」をかく頃までは私の後見をしてくれたが、それも既うこの世にはゐない。いや、そんな愚癡(ぐち)を云つても始まらない。自分ひとりの力でも歌舞伎の奴等を蹴散らして再びあやつりの全盛時代にひき戻さなければならないと、わたしも一生懸命に働いた。まつたく根かぎりに働いた。あらん限りの智慧を絞つて働いた。壇の浦の知盛(とももり)や|教經{のりつね)のやうな心持で大童(おほわらは)になつて戰つた。

(云ひかけて半二は咳き入る。お作は立寄つて脊を撫でさする。)

半二 この机は…。この机は門左衞門先生が形見のお机だ。先生はこの机で「國姓爺(こくせんや)」も書けば「天網島(てんのあみじま)」も書き、「博多小女郎(はかたこぢよろう)」も書かれたのだ。わしが讓り受けてからも三十三年になる。先生があやつり芝居を興して、その弟子のわたしが操り芝居を滅亡させては、先生に對しても申譯がない。朝に晩にその畫像を拝むたびに、あんなに柔和な先生の顔がなんだか怖ろしいやうに思はれてならない。あの優しい眼がわたしを睨んでゐるやうにも見える。 (又咳き入る)

お作 御病気のなかで、そのやうに氣をお揉みなされては惡うござります。歌舞伎が榮えて、あやつりが衰へたと申しても、廣い世間には淨瑠璃好きはまだまだ澤山ござります。

半二 淨瑠璃を聽く者はあるだらうが、操りを觀る者はだんだんに減つて來る。論より證據、竹本も豊竹も(やぐら)の名前ばかりで半分は(つぶ)れたも同樣ではないか。わたしも(おの)づと肩身が狹くなつて、世間の人に顔を見られるのが恥かしいやうな氣もするので住み馴れた大阪を立退いて、この山科に隱れてゐるのだ。おなじ山科に隱れても、大石内藏之助(おおいしくらのすけ)は見事にかたき討の本意(ほい)を遂げたが、近松半二は駄目だ、駄目だ、 いくら燥つても藻掻いても歌舞伎に對してかたき討は出來ない。(又咳き入る)

(奥よりおきよは藥を持つて出づ。)

おきよ 大分お咳が出るやうでござりますな。

お作 丁度よいところへ…。(藥を受取る)さあ、お藥が出來ました

(お作は半二に藥を飲ませる。)

おきよ(お作に) お醫者樣は少し仕事を止めてゐろと仰しやるのでござります。

お作 わたしもさう思つてゐますが。……。(半二に)さつきから餘ほどお疲れのやうでござります。ちつお休みなされませ。

(お作とおきよは半二を寢かさうとすれば、半二は力なげに振拂ふ。)

半二 いや、なかなか寢てゐられない。醫者がなんと云はうとも筆を持ちながら倒れゝばわたしは本望だ。さあ、邪魔をしないで退いてくれ、退いてくれ。どうで長く生きられないのは自分にも判つてゐる。息の通つてゐるうちに、遣りかけてゐる仕事を片附けてしまはなければならないのだ。

(女ふたりは争ひかねて、顔を見合せながら手を弛むれば、半二は机に()りかゝかりて苦しさうに息をつく。 お作はその脊を撫でる。下のかたより竹本染太夫、五十歳前後、鶴澤吉治、四十歳前後、竹本座の手代庄吉、 三十餘歳。いづれも大阪より尋ね來たりし體にて、供の若者は、三味線と菓子折を持ちて出づ。)

若者 御免くだされ。

おきよ はい、はい。(おきよは縁を降りて出れば、庄吉も進み出づ。)

庄吉 おゝ、女中さん。道頓堀から又おなじみのおどけ者が參りました。

おきよ(笑ひながら) ほゝ、先日は失禮を…さあ、どうぞお通り下さりませ。

(おきよは枝折戸をあける。道頓堀といふ聲に、半二もお作も見返る。)

半二 なに、道頓堀?? おゝ、庄吉どのか。

庄吉 けふは山科の隱れ家へ戸南瀬(となせ)小浪(こなみ)をお連れ申しました。

半二 戸南瀬と小浪??。誰だな。

染太夫 先生。わたしでござります。

半二 おゝ、染太夫??。吉治さんも一緒か。

吉治 戸南瀬と小浪よりも、九太夫(くだいふ)伴内(ばんない)かも知れませんな。

染太夫(庄吉をみかヘる) いや、伴内はこの男が本役だ。

(染太夫、吉治、庄吉は笑ひながら縁にあがる。お作とおきよはそこらを片附ける。)

半二 この通りの狹いところへ病人が寢てゐるのだ。まあ、我慢して坐つてください。

(三人は會釋して坐る。)

半二 染太夫さん。今もおまへの噂をしてゐた所だ。

染太夫(笑ひながら) 噂は善い方か、惡い方かな。

庄吉 大かた獅子身中(しししんちゆう)の蟲とでも云はれたのでござりませう。

染太夫 やかましい。だまつてゐなさい。

半二 なに、いつかの「妹脊山」の雛の話をしてゐたのだ。(違ひ棚を指さす)あれ、あの人形の昔話さ。

染太夫(うなづく) ほんにあの人形がまだ飾つてある。考へると昔のことだな。

吉治 そこで、御病氣は…。大阪でもみな案じて居りますが…。

庄吉 座元がお見舞ながら伺はなければならないのでござりますが、正月の芝居のあと始末がまだごたごたして居りますのでこの力彌(りきや)めが名代に參上いたしました。(形を改めて)座元からもくれぐれも宜しくと申しました。これは疎末ながらお見舞のおしるしでござります。(供の若者に指圖して、菓子の折を持ち出す) おめづらしくもござりませんが、虎屋の饅頭を少々ばかり持參いたさせました。主人の逮夜(たいや)蛸肴(たこざかな)とも思召して、なにとぞ御賞翫(ごしやうぐわん)をねがひます。

半二 おゝ、虎屋の饅頭??。それを見ると、大阪がなつかしくなる。お見舞、たしかに頂戴しました。

庄吉 御挨拶では痛み入ります。(供の若者に) わたし達は少し手間取るであらうから、この状を持つて清水(きよみづ)まで一走り行って來てくれ。

若者 かしこまりました。

庄吉 きつと返事を貰つて來るのだぞ。さつき云ひ聞かせた口上(こうじやう)も忘れるなよ。

若者 はい、はい。手負ながらもぬからぬ本藏、萬事こゝろ得て居ります。(會釋して下のかたへ立去る)

庄吉 あいつめ、おれに輪をかけたおどけ者だ。

半二 折角遠方を來て下さつたが、この通りで何もお構ひ申すことも出來ない。お持たせの饅頭でも持ち出して、お茶をあげろ。

おきよ はい、はい。

(おきよとお作は奥に入る。)

庄吉(見送る) お女中はかねてお馴染でござりますが、あの若い美しいお人は??。

染太夫 はゝ、庄吉どのは眼が早いな。

吉治 女と見れば、いつもこの通りだ。

庄吉 力彌さんのお屋敷へ、小浪が先廻りをしてゐるには驚きましたな。

半二(笑ひながら) あれは祗園町の揚屋の娘で、お作といふのだ。

庄吉 はゝあ、祗園町の揚屋の娘??。道理で、派手な美しい娘だと思ひました。それが先生の御看病に參るのでござりますか。

吉治 お前はひどく氣になるとみえて、根ほり葉掘りの詮議だな。

半二 おやぢは先年死んでしまつて、今は女あるじだが、おふくろも娘も揃つての、淨瑠璃好きで、娘は淨瑠璃の稽古をするひまに、自分も慰みに淨瑠璃をかいて、ときどき私のところへ添削を頼みに來るのだ。

庄吉 あの娘が自分で淨瑠璃をかきますか。それはいよいよ頼もしいことだ。 あゝいふ娘に色つぼい心中物でも書かせて見たうござりますな。して、これまでにどんな物を書きました。

染太夫 いや、この男は惡い癖で、女の話をはじめたら際限がない。それよりも肝腎の用向きを早く話したらどうだ。

庄吉(あたまを掻く) はい、はい。では、早速ながら先生に申上げます。大かたお聞き及びでもござりませうが、この正月の芝居は「新薄雪物語(しんうすゆきものがたり)」と「加々見山(かゞみやま)」でござりました。何分にも「新薄雪」は蒸返し物の上に、「加々見山」は江戸仕込みで、上方(かみがた)の人氣にしつくりと合はぬところがござりましたせゐか、どうも思はしくござりませんでした。

染太夫 気の毒にも座元はかなりの痛手を負つて、その跡始末に困つてゐるやうに見受けられるが…。

庄吉 お察しの通りで、唯今使を出して遣つたのも、その金策の件でござります。

吉治 さなきだに景氣の引き立たないところへ、又ぞろ座元に痛手を負はせてまつたく氣の毒だ。

染太夫 わたし等もかゝり合ひだから、なんとか景氣を盛返してみせたいと、色々に(あせ)つてはゐるものゝ、何分にも歌舞伎といふ大敵に蹴壓されて、殘念ながらどうにもならない。まつたく平家の壇の浦だ。

半二(ため息をつく) その壇の浦はわたしもよく知つてゐる。 更にため息をつく) この正月もやはり不入りであつたか。

(奥よりお作とおきよは茶碗と菓子鉢を運び出で、 人々に茶をすすめる。)

お作 ほかに御用はござりませんか。

(半二はうなづく。女二人は奥に入る。染太夫等はしばらく默つて茶をのんでゐる。鶯の聲。)

染太夫 おゝ、鶯が鳴く。こゝらは矢はり閑靜でいゝな。大阪のやうな土地に住んでゐると、なんだか苛々(いらいら )して気が落ちつかない。いつそ太夫の商賣をやめて、かういふ靜なところに隱居するかな。

吉治 その苛々するといふのも、操りの衰微をあまりに苦に病むからのことだ。藝人は藝に遊ぶといふ心持を忘れてはならない。 勿論興行の入り不入りを何うでも構はないと云ふのではないが、けふは今日に生き、明日は、あしたに生きて、自分の藝を樂しんでゐれば好いのだ。

染太夫 おまへの悟りにはいつも感心させられるが、この年になつても私には、どうもその悟りが開けないのだ。

庄吉 悟りが開けても開けないでも、太夫さんが商賣をやめるなどは大禁物で、この上にもせいぜい、働いて貰はなければなりません。それから今のお話でございますが、もうかうなるとどうしても、先生にお縋り申すほかはござりません。就きましては舊冬からお願い申して置きました伊賀(いが)の仇討でござりますが…。(云ひにくさうに又あたまを掻く) 御病氣中おせき立て申すのは餘りに心ないやうで、なんとも申兼ねる次第でござりますが…。(あとを云ひ兼ねて又躊躇してゐる)

染太夫 御病氣を知りながら、押して無理を願ふのは餘りに勝手過ぎるやうだとわたし等も一應は止めてみたが、何分にも座元の方では必死の場合で、今度は是非とも先生の新淨瑠璃を出したい。さもなければ次興行の蓋をあける見込みが立たないと云ふのでな。

吉治 庄吉殿ひとりでは何うも行きにくいとか、云ひ辛いとか云ふのでわたし等もよんどころなく連れ出されて、お見舞ながらお頼みに出たわけですが…。この御様子ではなあ。(染太夫と顔をみあはせる)

半二(興奮して) いや、さう聞けば猶さら書かなければなりません。あの淨瑠璃は去年の暮に六つ目までの草稿をお渡し申して、 正月中には殘らず書き上げてしまふ筈のところを、この通りの始末でだんだんにおくれました。かうしてゐても、そればかりが氣になるので、醫者から叱られるのも構はずに、枕元に机を控へて、どうやら七つ目と八つ目を書いてしまひましたよ。

庄吉(のり出して机の上を覗く) では、もう七つ目と八つ目が出來ましたか。

半二 まだ清書は出來ないが、けふの午頃までに八つ目の草稿は出來上つた。(笑ひながら)八つ目は岡崎の段で、政右衞門の人形を手一杯に働かせなければならない。それだけに、ちつと手堪へのある場であつたが、先づ思ひ通りに書けたらしい。その次は伏見(ふしみ)の宿屋と大詰(おおづめ)の仇討??。それで十段物がとゞこほりなく(まと)まるのだ。庄吉(手をついて) ありがたうござります。有難うござります。 天を拝し地を拝しとは全くこの事で、わたくしも先づほつといたしました。座元も定めて大喜びでござりませう。歸りましたら早速に、表看板だけでも揚げて置いて、前景氣を附けたいと存じますが、その外題(げだい)はどういふことに決まりました。

半二 外題(げだい)は…。「伊賀越道中雙六(いがごえだうちゆうすごろく)」はどうだな。

庄吉 「伊賀越道中雙六」??。なるほど、それは結構でござりませう。

染太夫 むゝ。道中雙六は面白いな。

吉治 面白い、面白い。七つ目からの先は知りませんが、六つ目まででも確に近來の當り作だと、本讀みを聽いた者がみな感心してゐました。

(半二はだまつて笑つてゐる。)

染太夫 そこで、今度は吉治さんとわたしとが六つ目の沼津の段を受持つことになりました。(吉治をみかへる) この人も節附にはなかなか苦勞しましてな。けふこゝへ來るのを幸ひに、急所急所の節附を一度お互に入れて置きたいといふので、 二人はそのつもりで出て來ました。

吉治 お気に入るか何うかは判りませんが、先づ出來るだけは工夫してみました。せめてはお(よね)のサワリだけでも、一度お聽き下さいませんか。

半二 聽きませう。(形をあらためる) 聽かせて下さい。

吉治 (しか)しこゝは少し狹いやうでな。殊に病人の枕元では餘りに騒騒しからう。ほかにお座敷は無いかな。

庄古(上のかたの小座敷を指す) では、あすこではどうでござります。

吉治 むゝ、それがよからう。お前、案内してくだされ。

庄吉 はい、はい。(三味線を持ちて先に立つ)

吉治 では、染太夫さん。

染太夫 あい。すぐにあとから行きます。  

(吉治と庄吉は縁傳ひに、上のかたの小座敷に入る。

染太夫は()ちかけて又坐る。)

染太夫 先生。さつきから見てゐるに、お顔の色がどうも好くないやうだが、そんなに無理をしても好うござりますか、くどくも云ふ通り、操りは今が檀の浦でその大事の時節に先生のやうなお人を失つたら、平家の運命末危ふしと、わたし等も常々から案じてゐますぞ。

半二 それはお前がたに云はれるまでもなく、わたしもふだんから案じてゐます。門左衞門先生から出雲、松洛。そのあとを受け繼いで兎も角もこゝまで(つな)いで來たのは、及ばずながらこの半二の力で、見渡すところ操りの世界には私に代るほどの作者はない。

染太夫 それだから今度の御病氣が一倍案じられるのでござります。

半二 あやつりの作者では近松半二が最後の一人で、その亡い後が思ひやられる。流れる水に(さか)らつて、今までどうにか漕ぎぬけて來たが、その船頭のない後は…。(かい)が折れるか船が沈むかその行末が眼にみえるやうで…。(嘆息して) まあ、お前がたが精出して働いて下さい。

染太夫 太夫や人形使ひばかりが幾ら働いても、好い作者がなくては…。いつもいつも古い淨瑠璃の蒸返しばかりでは、いよいよ見物に飽きられるばかりですからな。

(上のかたの障子をあけて、庄吉が聲をかける。)

庄吉 もし、太夫さん、染太夫さん。

染太夫 あい、あい。

(薄く雨の音、染太夫は起ち上りて空を見る。)

染太夫 おゝ、たうたう降り出したか。

半二 降つたら今夜は泊まつておいでなさい。

染太夫 山科の里で春雨(はるさめ)を聽きながら、一夜を明かすのも好いかも 知れませんな。まつたくこつちは閑靜だ。

庄吉 太夫さん、太夫さん。

染太夫 はて、せはしない男だ。

(染太夫は上のかたの小座敷に入る。薄く雨の音。鴬の聲。やがて障子の内にて義太夫の三味線の調子をあはせる音がきこえる。半二は机に倚りかゝつてゐる。 奥よりお作出づ。)

お作 あちらではお淨瑠璃が始まるのでござりますか。

半二 むゝ、今書きかけてゐる伊賀越の節附がもう出来たといふので、染太夫と吉治が六つ目を語つて聞かせるさうだ。

お作 それはよい所へまゐり合せました。

庄吉(再び障子をあける) 先生、これから沼津の段の口を鳥渡(ちょっと) お聽きに入れます。(障子をしめる)

(これより吉治が三味線をひき、染太夫が語るこゝろにて、伊賀の沼津の淨瑠璃がきこえる。)

  あづま路に、かうも名高き沼津の里、富士見白酒名物を、

  一つ召せ召せ駕籠(かご)に召せ、お駕籠やろかい參らうか、

  お駕籠お駕籠と稻むらの蔭に巣を張り待ちかける、蜘蛛

  の(ならひ)と知られたり。浮世渡りはさまざまに、草の(たね)かや

  人目には、荷物もしやんと供廻(ともまは)り、泊りをいそぐ二人連れ――

半二 あ、絲が切れたな。

お作 ほんに絲が切れたやうでござります。

庄吉(又もや障子をあける) どうも相濟みません。絲が切れましたので、しばらくお待ち下さりませ。(障子をしめる)

半二(お作に) 絲が切れたので思ひ出したが、おまへに云つて置くことがある。わたしは我慢して八つ目までは書いたものゝ、無事に大詰まで書き負せるか何うだか、我ながら覺束(おぼつか)ないやうに思はれる。

お作 え。なんでそんな事が…。

半二 誰がなんと云はうとも、自分のからだの事は自分が一番よく知つてゐる。萬一わたしが今夜にも倒れてしまつて…。中途で筆を捨てるやうなことがあつたら、あとはお前が書き足してくれ。

お作 あれ、飛んでもないことを…。御存じの通り未熟者がどうして先生の御作に書き足しなどが出來ませう。木に竹をつぐと世の(たと)へにも申すのは、ほんにこの事でござります。どなたか書く人を大阪からお呼びなされては…。

半二 いや、その大阪にも呼んで來るほどの者がゐないのだ、なまじひの者に繼ぎ足しをされるよりも、いつそお前に頼む方が好い。わたしが頼むから書いてくれ。九つ目の筋のあらましはかねて話してある筈だ。それを土臺にして大詰の仇討まで??。この淨瑠璃はおそらく私の絶筆であらう。それが中途で切れてしまつては、座元も困るに相違なく、わたしも殘念だ。おまへのことは庄吉にも話して置いたから遠慮はない。(すこし考へて)  さうだ。 おまへの名はお作といひ、それがわたしの作に書き加へるのだから、近松加作…。正本(しやうほん)には近松半二と名をならべて、近松加作と署名するがよからう。

お作(感激したやうに) はい。

半二 好いか、きつと頼むよ。

お作 はい、萬一のときには一生懸命に書いてみます。

(障子の内にて又もや三味線の調子を合せる音きこえる。半二は咳き入る。)

庄吉(又もや障子をあける) 今度はお米のサワリのところを、鳥渡お聽きに入れたいと申します。(云ひかけて覗く) 大分お咳が出るやうでござりますな。

半二 いや、かまはない。早く聽かせてくれ。(又咳き入る)

お作 お藥を持つてまゐりませうか。

半二 いや、お前もこゝで聽いてゐろ。

(障子の内にて又もや淨瑠璃がきこえる。)

  問はれてお米は顔をあげ、恥かしながら聞いて下さりませ。

  樣子(やうす)あつて云ひかはせし、夫の名は申されぬが、

  わたし故に騒動起り、その場へ立合ひ手疵(てきず)を負

  ひ、一旦本復(ほんぷく)あつたれど、この頃はしきりに痛

  み、いろいろ介抱盡せども(しるし)なく、立寄る(

  た)も旅の空、この近所で御養生。長いあひだに路銀も盡き、

  そのみつぎに身のまはり、櫛笄(くしかうがい)まで賣り拂

  ひ、最前もお聽きの通り、悲しい金の才覺も男の病が治した

  さ。さきほどのお話に、金銀づくではないとの噂、ともしびの

  消えしより、あの妙藥はどうがなと、 思ひつきしが身の因果。

  どうぞお慈悲にこれ申し、今宵のことはこの場ぎり、お年寄ら

  れしお前にまで、苦勞をかけし不孝の罪、けふや死なうか、あす

  の夜は、わが身の瀬川(せがは)に身を投げてと、思ひしこと

  は幾たびか、 死んだあとまでお前の嘆きと、一日ぐらしに日を

  送る。どうぞお慈悲に御料簡と、あづま育ちの張りも抜け、戀の

  意氣地(いきぢ)に身を碎く、こゝろぞ思ひやられたり。

(この淨瑠璃を聽くあひだに、半二はをりをりに咳き入る。奥よりおきよは藥を持つて出づれば、半二は要らないと押退けて、机に倚りかゝりながらぢつと聽いてゐる。そのうちに、だんだん弱つてゆくらしいので、お作とおきよは不安らしく見つめてゐると、半二はやがて“がつくり”となりて机の上にうつ伏す。お作とおきよは驚いて半二をかゝへ起さうとする。薄く雨の音。小座敷の内ではそれを知らずに淨瑠璃を語りつゞけてゐる。)

 

——幕——
 

(昭和三年十月「文藝春秋」)

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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岡本 綺堂

オカモト キドウ
おかもと きどう 1872・10・15~1939・3・1 劇作家・小説家 東京都の芝に生れる。日本藝術院会員。

「近松半二の死」は昭和3年10月「文藝春秋」に初出。上演されていない。講談社版「日本現代文學全集」34に拠る。

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