夜嵐於衣花廼仇夢初篇緒言
さきかけ
我さきがけ新聞第三百廿号(本年五月廿八日)の紙上を以て其発端を説起し、号を逐て連日掲来りし毒婦阿衣の伝は、其実録に拠て余が戯れに筆を走らせしに、図らず看客の喝采を蒙り、新紙の発売多を加ふるの栄を得たれど、既に紙上に示せし如く、俳優市川権十郎が嵐璃鶴たりし時、同人を懲役に陥れ、其身の厳刑に処せられたる大眼目は、只阿衣が末路の一事のみ。其生涯の奸悪を数ふれば数條の珍説奇談多端に渉り、新聞の紙面に悉す能はざるのみならず、一場の説話も数号に渉るを以て、看客或は其首尾照応を誤るの憾なきにあらねば、金松堂の主人が乞に応じ、半途にして紙上の掲載を止め、岡本(=勘造)子をして之を双紙に綴らせ、爰に初編を発兌せり。題して夜嵐阿衣花廼仇夢といふ。其顛末を記するや、曾て新紙に掲げしものと故らに参差表裏を示すを以て、頗る看客の心を楽ましむるものあらん。
明治十一年六月 芳川俊雄記
初編上
発端
夜嵐にうつろひ見せし山桜、八重もひとへに徳川の政事におさまる八百八町、まだ東京も江戸とよぶ頃、本町辺の薬種問屋で、人も知る紀の国や角太郎といへるは、早く両親に別れ、十八歳にして家名を相続せしが、性来歌俳諧茶の湯、その外遊藝をのみ好みしかば、兎に角家業をうるさく思ひ、僅か両三年にて弟竹二郎へ名跡を譲り、自分は予てしつらへおきし、牛島の辺りなる小梅の別荘へ移りすみて、まだ定まれる妻もなく、朝には花を楽しみ、夕べには月を賞して、風流にのみ世を送りし。今年は残暑のつよくして、凌ぎかねたるより思ひたち、箱根の湯治から江の島へんを見物せんと、常に出入の宗匠と幇間の豆八を引連、両掛一荷を男に担がせ、江戸を出しは七月のはじめ、急がぬ旅とて路すがら打たはむれて興じつゝ、其夕ぐれに神奈川宿へたどりつき、石井といへる旅籠屋へ泊り、互ひに滑稽の雑言に、夜もはや四ツをすぎしころ、隣座敷の女連の客の内一人の娘が急に癪をおこしてとぢらるゝ様子にて、其母親と思しきが、頻りにお八重お八重と呼いけれど、更に治る模様もなければ、皆々当惑の体なるを、角太郎は気の毒に思ひ、家業がらとてさいはひに良薬を貯たれど、見知らぬ女の其中へ、さすがは夫といひかね、宿の女を近く招いで、薬のことをいふふくめ、隣座敷へいひ入しに、此方はことに悦こびて、少しなりともいたゞきたいとのことなれど、強き薬なれば分量が過てはならぬと、自身に行て手づからに、とぢつめられし病人の口ヘ薬をそゝぎこみしに、その效めにや、強くさしこみたる癪も一時にひらきしかば、母は尚さら、附そふ女のたれかれも、神かとばかり角太郎をふし拝み、かはるがはるに礼をのべ、茶など煎じてもてなさんとせしが、女子ばかりの座敷に長居をするもいかゞならんと思へば、夜もいたく更たれば、明朝ゆるりとお目にかゝるべしと其場を立さり、互ひに臥床へいりたるが、かゝる混雑の中なりければ、双方とも名前などを尋ねることを失念せしとぞ。扨も紀角の一群は、用ある旅にあらねば、日中暑気のはげしき間を休まん程に、涼しき内に少しも行んと、その翌朝、となり座敷の人々がまだ起出でぬまへに、支度をとゝのへ、急いで此家を立いでしを、少しも知らぬ女連、ゆふべお八重の介抱につかれたるのか、但しまた、今日はおそくも宅へ帰ると心にゆるみが出たるにや、つひ寐わすれて、東なる連枝の窓から朝日のさすに眼を覚し見れば、お八重がおらぬより、母は驚ろき皆々を呼起し、其処よ此処よと探せども、更に知れねば、母親が座敷へかへつて娘の臥床をあらためると、枕の下から出た一封は、お八重の手跡にて書置とあるに、胸轟き、先だつ涙のみこんで、急ぎ披いて読くだせば、私し事訳ありて、迚も宅へは帰れぬゆゑ、世になきものと御あきらめ被下度、母さまへは不孝の上もなけれど、平におゆるしをねぎまいらせ候云々と、手短かに書のこしたる一通を、顔におしあて、母親がワツとばかりに泣伏て、仔細は何かしらま弓、引て返らぬ訳あらば、なぜ打あけて此母に、斯してたべといはねにも、矢のたつ例もあるものを、仮令どのよな事にもあれ、只た一人の娘じやもの、徹してやらいでおくものぞ、是ほど思ふ此母の心もしらで、身をかくす其方の心は安かろが、跡に残つた人々の心を少しは汲わけて、無分別なる量見を必らず起してたもるなと、其処にお八重の居る様に、かきくどきしが、其内も心せかれて、若ひよつと淵川へでも沈みはせぬかと、宿屋の主人へ頼んで人を雇ひ、諸方へ手わけをして、其近在を隈なく尋ねしが、更にゆくゑが分らねば、ひとまづ江戸へ帰つた上、また兎も角もせんものと、力おとして女連、是非もなくなく此家を立いで、江戸の住家へ帰りける。
夫に引替、角太郎の一群は、憂事知らぬ気散じの旅は道くさ夜は早く宿に着て、箱根なる湯治も、病のあらぬ身は、汗を流すの外ならず、涼しき内はあちこちと、鄙珍らしき見物に、疲れて帰る宿屋の椽ばな、風入りよきに簾を巻あげ、碁など囲んで楽しみけるが、庭の彼方の離れ座敷、端近く折々立出で、此方を眺め、附の女中と何やらん囁き合て打戯れるけだかき婦人は、年の頃二十余りにて縹致勝れて麗はしく、起居の様のしとやかに、折目正しき振舞は、さる大名のお部屋さま、少しの病気をいひたてに、遊散ながらの湯治とは、其附人の少なきにてぞ知られける。紀角は朝夕顔見合せ、世に美くしき婦人ぞと、交みに尻などつゝきあひ、又も天女の来迎と眼を慰むるばかりにて、互ひに心ありそ海、ふかき底意を汲かねて、まだ言ばさへかはさぬうち、はやお暇の日限が逼りしと見へ、女中の群は当所を立出で、江戸の方へと帰りしのち、紀角は爰に四五日余り逗留せしが、同所にあきたるのみか、天女が影をかくせし故、せめて天女の岩屋なりとも拝まんものと、二人の連を促がして、江の島へとこそは赴きける。
此処は東海道程ケ谷宿の裏手にあたり、金澤鎌倉への近路なる下大岡の山中にて、まだほの暗き路傍に、繁る並木の松がえの梢はなれる暁烏があいあいの声聞も、今更此の身につまされて、思ひまはせば人でなし、道にそむける、ぎりある父へよからぬ名をばきせまじと、恩愛深き母親の歎きをあとにやうやうと、人の談しに聞きおきし、闇路をたどるお八重の心も細き流れの岸にそふ、路のかたへの松の根に、腰うち掛てホツと一息つくづくと、我身ながらも怖ろしや、よう爰までは来た事ぞ、斯脇路へまはつては、最早逐手は来はすまい、思ひの外に草臥れたれば、日の昇るまで休まんと心に少しゆるみが来しか、宵に発りしつかへの癪が、また胸さきへきやきやと差こまれては大変と、細帯かたく引しめて、がまんはすれど疲れた躰、堪へきれねば其儘に倒れて苦しむ折もよく、雑色村の方から爰へ通るは、是も女の独旅、年の頃は二十五六にてどこやら垢抜たる都の風俗、だるま返しに髪を結び▲
初編中
▲白地の浴衣を高く端折て、笠を片手にすたすたと通りがゝつて、お八重を見つけて立どまり、独りでうなづき、帯の間の紙入から何やら薬を取出して、お八重の後へ廻り、抱き起して背をなでおろし、錫の中なる薬を少しお八重の口ヘふくませ、傍への流れに手拭をひたして、其水をしぼりこみなどせし手厚き介抱に、やうやう開きがつきしかば、お八重は地獄で佛の思ひ、厚く礼をば述けるに、女はさのみ恩ともせず、旅する人は相たがひ、女子同志はわけての事、よい塩梅に薬がきいて私も嬉しう思ひます、お供の衆はお薬にても買にばしゆかれしかと問はれて、お八重は涙を払ひ、私や独りで鎌倉へゆく者で、供をもなんにもつれません、夫ゆゑ猶さら病気などには困ります、お蔭でさつぱり治まりましたといふに、女は不審顔、みれば爰らのお方でなし、独りで旅をなさるとは、何か仔細のあらましを、苦しからずばはなしてと、他事なきことばに、お八重も今さらその親切にほだされて、包みもならず鼻うちかみ、実わたくしは江戸本石町の呉服店松坂屋の八重ともうす者なるが、先年親父が亡なつて、と聞いて女は打おどろき、さう仰しやればどうやらおみうけもうした事もある、元わたくしが日本橋へんにおりし頃、お宅はかねて知ております、あの御大家の娘子が、供をもつれず只独り、こゝらあたりへまいらるゝ仔細は大方分りましたが、爰は山中、朝風は身にひやひやとからだの大毒、お召も夜露にぬれてあるゆゑ、里へ出て乾かしながら、ゆつくりとおはなしもうすこともあり、兎にかくわるくはいたしませぬゆゑ、あとへお返りなされませと、無理にすゝめて程ケ谷の方へとこそは伴なひける。
扨も角太郎は残暑しのぎに、いまだ見ぬ箱根の湯治場から江の島鎌倉と憂を知らぬ湯散旅、二人の伴の興ずるを、笑ふてうかうか日数もたち、はや秋風の身にしむ程になりしかば、土産のしなじな買とゝのへ、馴し隅田の牛島わたり、小梅の寮へ帰りしは、八月なかばの頃なりし。角太郎はたゞ風流にのみ心をよせ、浮世の事をいとふより、奉公人は多くつかはず、庭の掃除や植木の手入は自分もしたり、折々は出入の者があれこれと程よくするに任せおき、小女一人を手元に使ひ、食事の世話などさせおきしが、旅の留主中は不用心なりとて、本町の本宅に年久しく召使ふお芳といふ四十二三の心きゝたる女を留主居におきしと知るべし。
今朝は角太郎おそく臥所をおきいでゝ、椽ばなにたちいであたりを見廻し、少しの間みずにゐたれば、庭の景色がかはつたと、のびあがつて隣りの寮をのぞきこみ、不審な顔でお芳をよび、隣は是まで明家であつたがどなたか越してこられしかと、尋ねにお芳は両手をつき、まだ申しあげねど、つひ此頃さるお大名のお妾にて、たしかお名前はおきぬ様とか、その殿様がなくなられたので御隠居をなさるため、此玉屋の寮をお買なされたとかきゝました。余程うつくしいお妾さまでござります、夫についても昨晩一寸申しあげましたが、先生や豆八さんの前をかねて、詳しくお咄しいたしませなんだが、こりやわたくしから折入てお願ひ申すも、本はといへば長い咄しを一通りお聞きなされて下さいまし。
旦那のお留主へ預かつた娘といふは、その以前、此わたくしが下総から初めて江戸へ出て来たおり、草鞋をぬいだお主さま、本石町の呉服店松坂屋さまの娘子にて、十四の時に父御が亡なり、母御は後家をたてんとて、夫々覚悟をなされしが、まだうら若き後家だては、却つて世間の口もうるさし、手広き家業に女主は届かぬがちと、親類方のすゝめにより、店をあづかる番頭の弥兵衛といふを入婿に跡へなほした其頃は、此わたくしは暇になり、夫も誰ゆゑ、番頭の弥兵衛は四十に近き身で見かけによらぬ色好み、間がなすきがなわたくしを捕へていやなことばかりいふのをすげなく断はりしを、遺恨に兎や角ないことをいひこしらへて追出せし、夫から旦那の処へ上り、今日が日までも御恩にあづかる嬉しさに、又引かへて面の憎きは弥兵衛にて、仮にも親とよばれる身で、いはゞ主人の娘子へ無体な恋慕、あさな夕なに附まはるうるさき仕打を、母親へ咄さば必らずことのもと、父とよびなす其人へ恥かゝするは子の道ならず、殊に世間の外聞をいとふものから、身一ツに憂を忍んで日を送る深閨女の気苦労から、つゐに病を引おこし、ぶらぶらなやむその上に、癪まで知て折々に煩ふことの多かりければ、医者の勧めで五月雨のやゝ晴るころ、母ごと外に女中二人を引つれて、伊豆の熱海へ湯治の保養に二月あまり、世の中の憂をわすれし甲斐あつて、顔の色つや身体の衰ろへ原の通りに全快せしとて、先月初めに女連四人で江戸へ帰る時、神奈川宿の泊りにて、明日は我家へ立帰り、又も弥兵衛に種々とかき口説るゝこともやと、思ひまはせば廻すほど、此よにあられぬ悲しさを、誰に語らん人もなければ、こよひ窃かに此家をぬけ出し、かねて往来に見ておいた鎌倉道を左りへ入り、松ケ岡なる尼寺へ其身をよせんと覚悟はしても、娘気の案じわづらふあとやさき、久しく忘れた持病の癪にとりつめられ、開きのつかぬを隣座敷のお客に救はれ、疲れて伴の寝入りしころ、身を隠すとのみ書置して、其庭口から忍び出し、たしかに夫と見ておいた程ケ谷宿の横道から迷ひ入たる山中で、其夜も明て烏のなく頃、又もや癪にとりつめられ、悩む所へ通りかけしは、本店の四郎吉どんの一件で此方へは顔出しかねる私の姪のお吉が、在所から此地へ帰る途中にて、種々介抱をした上で、名前をきけば伯母の私が大恩うけたお主の娘なれば、その儘にしてもおかれず、さりとて宅へは帰らぬ覚悟、うかうか街道へ伴て出ば尋ねる人に見つけられんと、神奈川宿の裏手を通り、野毛の知音へ立より、芝浜へ出る押送りへ便船して、此地へつれては来たものゝ、お吉も今は他人の家の居さふらふ、人の世話まで届かぬゆゑ、旦那のお留主と少しも知らず、此わたくしを外へ呼出し、以前の咄しを委しく語り、その娘子をわたくしへ渡して、後の計らひは万事よろしく頼むといへど、弥兵衛めがなき科きせてわたくしに暇を出したるその後は、一度も今に尋ねぬ事ゆゑ、本石町の様子も知れず、又なまなかに此事を知らさば、却つて娘子のなんぎになるも計られねば、旦那のお帰りなされた上で、よい御分別もある事と、かくまひおきし娘子にあふて力をそへて下されと、昔しの恩を忘れざる、その深切があらはれる長物語りを、角太郎感心しながら聞き終り、咄しの次第は分つたが、若もその娘はお八重といふではあるまいか、と問ふにお芳はびつくりし、如何して旦那がそのお名を、と不審するのは尤もなれど、お八重といへば、神奈川で泊りあはせて癪にとぢられ、母御がお八重と呼いけるさわぎを見かねて、此私が進ぜた薬で、漸々と開きがついた娘子ならん、何にしても不思儀な事と、お八重を爰へ呼よせて、互ひに見かはす願とかほ、尽せぬ縁、またこゝであふとは誰か白髭の神ならぬ身を如何にせん、世をうし島とふりすてゝ、尼になるみの浴衣のまゝで、癪にとぢられ取乱したるその様を、見られし方かと思へば今さら恥かしく、礼の辞もあとやさき、只この上はよき様に、力になつてたまはれと、優しきことばに、角太郎、お前がたよりに思はるゝおよしは、私しが少さい時から世話になり、知つての通り何事も家を任せておくほどなれば、及ばずながらおよしと共に力になつて、どの様にか、お前が難儀をなさらぬやうしませうほどに、不自由なりとも心おきなくおられよと、情の言葉に、お八重はなほさら、およしも嬉しく、一日一日と送るうち、互ひに心ありま山、いなの笹はら否ならぬ、二人はいつか下紐のとけてうれしき中となり、日に睦まじき有様を、およしは知れど今さらせんなく、却つてお八重の仕合せならんと心の内に喜こべど、人の娘を沙汰なしに、かうしておくはよからねど、なまなか先へ咄しをなさば、又もお八重の身の上と思へば、そのまゝ捨おいて、そのうち首尾をせんものと、千々に心を苦しめつゝ、うかうか送る秋の空、梢の紅葉はや散て、手洗水に薄氷はるや来ぬらん師走のなかば、忙がしきとて本町より迎ひをうけて、およしは一先本宅へこそ立かへる、年の首めの賑ひは、昨日にひきかへ何となく庭の景色もとゝのふて、さきがけみせる梅の花、東風のまにまに香ひける。
初編下
四季の眺の色々と変る浮世をうし島と、表を飾る菩提心、つまぐる数珠の袖の内、とめきの薫煩悩の花の色ある小梅の里、紀角が住る別荘に、隣る玉屋の寮を買うけ、引移来し其人は、元浅草鳥越の甚内橋の辺に任む原田某の娘おきぬとて、幼少ころより手品を習ひ、其藝名を鈴川小春と呼なして、江戸町々の寄席で美人と評判高かりければ、諸大名の館へも召され、座敷手品の御所望に、愛敬ふくむ手先の早業、御意に適つて、十七の春の半に、大窪家の若殿が妾に抱ひ玉ひしより、其両親も浮み出でしが、其翌年コロリといへる病のため、枕を並べて両親とも、此世を去し跡々は、外に親族もなきものか、残りし妹のお峯まで、御殿の内へ引取て、栄耀に送る春秋も、はや二替り三年目に、寵愛うけし殿様が頓に卒去たまひし後は、此世をうしと一間に籠り、嘘かまことか看経にたじなく月日を送るのみ。痩衰へて食事さへほそきと聞て、後室より二週間の暇を賜はり、箱根の温泉で保養をせよと有がたき仰せを受て、侍女其外附の侍諸共、宮の下なる奈良屋といふ旅宿に暫し逗留する頃、対ひ座敷の相客を見初て頻りに慕はしけれど、いひよる術もながき暇にあらぬみは、はや日限の迫りきて、やしきへかへる思ひでに、せめては焦るゝ其人の名所だけも問たしと、宿の女へ窃かに頼み、探つて聞けば、本町の紀角といへる薬種問屋の若隠居といふを頼みに、心残して立かへる。江戸の屋敷の究屈を厭ふが上に、湯治場のざんじの保養が身に染て、折目正しき礼式をうるさく思ふのみならず、今は屋敷に用なき躰、身儘になつて彼人にあふよしもがなと、物思ふ心知たる婢女のおさよといふは四十の上を二ツ三ツこしぢの雪のとけやすく、腹いと黒きおきぬの合口、始終を聞て容易く引うけ、小者へ頼んで紀角が上を悉しく探り、今は小梅の別荘に住むよし知て、奥向の首尾をつくろひ、おきぬを病気と云做て、保養かたがた亡君の後世を吊ふ庵室にと、爰へは移り住みしにて、其時屋敷の重役から、若も此後良縁あつて方付ならば、屋敷で世話もしてとらせん、又一生を潔く送るとあらば、扶助もせん、身の振方は何れとも心の儘に任せよと、月々に多く手当を賜はりければ、妹のお峯とお小夜の外に、下婢二人、男といふは此頃新たに抱へたる下部の甚八のみにして、主従六人豊かにこそは暮しける。
打はやす拍子も同じ七種の声の方から明そめて、霞たな曳庭の戸を、押て入来る二人の客は、彼宗匠と豆八にて、年首の礼はそこそこに、今日は節句に初卯を持込み、殊に恵方も午の方、是非とも出初のお供をせんとそやし立るに、角太郎さらば初卯に詣でんと、世を忍ぶ身の是非なくも、お八重を家へ残しおき、二人を伴てふらふらと出かけた跡へ、引ちがへ訪来し人は、日頃から隣の寮や此家へお幇間半分出入する橋場辺りの藪医にて、其名を黒林玄達と呼者なり。案内もせずに庭先から、ヤア御慶でござる、大将宅かな、美人の側にばかり侍つて居ては健康を害します、是から初卯へ御出馬とは如何と音なふ声に、お八重は奥から走りいで、年首の礼を一通り述て、只今斯々にて三人伴立、初卯へ参ると出たばかり、まだ其辺におりましよと聞て、玄達のそのそ座敷へ上り、辺り見廻し、夫では美人はお留主居か、隣へ行ても初卯の留主、此方の主人も又お留主、是で漸く読た読た、貴嬢は何も知られぬが、主人は隣のレコと湯治場からのお馴染で、末は夫婦と約束のしてあることも知ております、貴嬢はどうしたお方やら、度々お尋ね申しても、お咄ないのは余程不思議、何を頼みに此宅におらるゝことやら、是も分らぬ、今に苛酷を見らるゝかと思へば実にお気の毒、早う分別なされよといふは実か、底気味わるく、お八重は何と言葉さへなくよりつらき胸の内、さし俯くを玄達は得たりと側へにじりより、其所を愚老がよい様に主人へ甘く説得して、隣の縁を切して進ぜる、お礼の印に、お八重さん、只た一度でよい程に、ウンとおいひ、と抱きつく手先を払ふて飛退く所へ、下女が慌て障子を引あけ、本町から四郎吉どんが御年首に見へました、と聞て驚く玄達は、七種なづな遠どの所をお早々、ドレドレ、此地へござらぬ先に、ストントンと足踏ならし、残りおしげに帰りける。
夫とは知らぬ角太郎、二人の末社を引伴て、柳島から亀井戸の梅には少し早けれど、此所まで来る次にと、梅屋敷をも見物せうに、爰で逢しは玄達から咄のあつた隣の主婦、箱根で去年見知りたるおきぬの一群、春の初といひながら、最嬋妍に着飾て、休らふ床机も隣あひ、始めて爰で言葉を交へ、附の女中と豆八が戯る事の面白さに、遂打解て、夫からは此二群が一ツとなり、料理店橋本にて一酌を催ふし、互に興を尽せしは、兼ておきぬが願にて、如何なる神の引合せにや、是まで度々玄達から夜なと遊びに来られよ、と云送りしが、物堅く女子ばかりの其宅へ出入するのは如何ぞと断はりおりし其人が、斯まで和らぎ玉ひしとは、春はありたきものなりと、おきぬは痛く酒を過して苦しき様子に、其場を切あげ、打伴だつて帰り路、角太はおきぬを扶けつゝ、隣の寮へ送り込み、二人の伴を門から返して入る座敷に、しよんぼりとお八重が物を案じるは、例の事と角太郎、側へ座て顔打眺め、斯ポカポカと陽気になつたに、外へ出られぬお前の身の上、気分の欝ぐは尤もじや、其内お芳の働きで、どうとか咄が極るであらう、少しの間辛抱すれば、表向ての夫婦となれる、今日は計らずお隣のおきぬさんの女中連に出あひ、橋本で一杯やつたが、七種の初卯のせいか、近年にない人の出、といふ端々が玄達の云し辞に思ひあたれば、扨はとお八重は驚けど、口はしたなく云出て、軽蔑れては恥しと、彼玄達が猥らなる振舞せしも押包み、只本宅から番頭が年首に越せしことなどを告て、其場を取なせしが、角太は夫より折々に隣の寮へ往通ひ、親しく交はる其内に、恋に手鍛錬のおきぬの取なし、夫といはねど情あることの葉草の露けきに、春風うけて靡けてふ、おさよが軽き媒酌に、つの打解けてから、角太郎、以前に変つて日毎の様に、隣へばかり入込むにぞ、お八重は始めて玄達の虚が実と鳴海潟、汐干に見へぬ沖の石、人こそ知らぬ朝夕に便なき身のみ嘆ちつゝ、袂の乾く間とても泣より外に、此事を相談するはおよしのみ、夫も此頃家におらねば、只此上は身を慎み、怨を包んでいつまでも、身を任したる角太の主へ仕へた上で、見捨られなば夫までと、諦めて見ても、娘気の又も兎やかう行末を案じ出しては、物思ふ心の内ぞ憐れなり。
扨もおきぬは去年の秋見初た恋が漸々に叶ふて嬉しき此上は、世間晴ての夫婦とならば、又楽しみも格別ならん、屋敷の方は縁付の願も済ど、恋人にお八重といへる附者あれば、角太の方が面倒なり、只此上はお八重さへ除かば、此方の望は叶はん、何か手段はないものかと、胸に余つた相談に、おさよも困じて那是と思案に其夜の更行て、燈火暗き一間から、怜悧な様でも女は女、二人で一晩考へても、出る物とては座睡ばかり、是でも愚老は男だけ、直に浮んだ一工夫、智恵をお貸申さうかと、のつそり出たは他人にあらず、彼黒林玄達にて、兼て此家へ出入する内、おさよといつか馴染て、人目を忍び語らふを、おきぬは知れど、二人とも腹いと黒き性なれば、何かの用にたつことあらんと見て見ぬ態で、慈悲をかけておいたるも、是等のことを謀らんためと、おきぬは心に黙答て、手箱の内から黄金を取出し、紙に捻て玄達が前に差おき、仕上た上の褒美は格別、是は手附じや、お八重を除く手段といふを、早く早くとおきぬとおさよが急立るを、じらしておいて小声になり、夫は斯々なされよと、聞て二人は顔見合せ、暫し辞もなかりしが、おさよが又も声を窃まし、夫を其儘にしておかば、ことの露顕の本にもならん、夫ゆゑ跡は根性を見抜ておいた下部の甚八へ頼んで、斯々するならば跡腹やまぬ上策ならん、左様じやと三人囁きあふ、工みの程ぞ怖しけれ。
今日とすぎ、昨日と遊ぶ、春の日の長きも暮て、今日ははや二十日といふて仕舞正月、骨牌の遊びの名残とて、おきぬは文もて紀角の許へ、今日は少しく用意もあれば、まだおめもじをせぬお八重さまをもおつれなされて、夕刻から是非ともお出下されと、いひ越たるゆゑ、承知の旨を答へおきしに、お八重は心もすゝまぬと断りいはゞ何とやら、吝気の様に聞へもせんと、故と悦び支度を調へ、角太と共に隣なるおきぬの寮へ到りしに、今日は殊更座敷を飾り、おきぬは御殿にありし姿の襠に、四方まばゆく見ゆるほど粧り立たる容体にて、褥に座をしめ、お八重を近づけ、初対面の会釈して、今年十五の莟の花、善か悪かは白絲のまだ馴染なき妹のお峯を呼出して引合せなどする内に、煇く数の燭台と共に持出す酒肴、おさよが始終座敷を取持、勧むる杯の廻るにつれ、おきぬは角太を側へ引寄、是見よがしの振舞に、お八重は妬く思へども、自分の夫といふではなく、此方も元は徒事、口惜けれど胸を摩つて忍ぶ所へ、おさよが別の徳利を持出し、是は甘いで飲ますと、無理な勧めに二三杯、お八重が飲と忽ちに眼暗んで、手足が慄ひ、胸の辺りが苦しくて、何分座敷に堪られぬ様子を、おさよが見て取て、以前の徳利を取方付、お八重様には上らぬせいか、余程お酔なされた御様子、お休みなさるがよからうと、おさよがいへば、角太郎、少しも飲ぬ不意気な女、お手数ながら一寸宅まで送つて下され、役にたゝぬと構ひもせぬを、お八重は悔しと思へども、胸苦しきに堪かねて、挨拶とてもそこそこに、女中の肩に扶けられ、我家の座敷へ入るや否や、其儘そこへ打臥して、正体なければ、下女は驚き、むりに臥所へ担ぎ込み、風を引せぬ手当して、己も臥床の用意をする時、隣の女中が言伝に、貴家の旦那は私方へお泊りなさると聞て、其所爰戸締して己が臥床に入にける。
其夜も更て丑満頃、庭の籬根を乗越て、忍び入たる一人の曲者、手拭まぶかに面を包み、裳を高く引からげ、庭石伝ひに椽先の雨戸を一枚こぢ放し、お八重の臥床を伺ふて、独ほくほく打点頭き、有あふ手拭引延し、正体もなきお八重の口へ猿轡、帯にて体をぐるぐるまき、やおら起して肩へ引かけ、急いで庭の切戸から、裏を廻つて田甫路、いきせき駆て、牛島の堤へ登つて辺を見廻し、爰は名ばかり長命寺の前の岸、又候小堤へ担ぎあげ、爰らでよいと思ひしか、肩にかけたるお八重を卸し、足と首とへ両手をかけ、中に釣して南無阿彌陀佛の声もろとも、隅田の流へざんぶとこそは投こんだり。こゝの小舟に棹さす男は何者にて善なるや悪なるや二編をよみてしりたまふべし。
二編上
花見小袖の色さへ疾うつろひて、今ぞひとも思ひ袷着る頃なん、夜半の嵐にあへるてふ、衣のやれにし跡をものせよといはれぬ。遮莫、まだすぢ棲もそぐはしかねし身の面なき業ながら、たゞよし川うしの仕附苧(苧=そ)を便として、漸く初篇を綴くりしに、僥倖にも後をとの促しありときゝ、そゞろに編をつぎあてがひくらき手元の夜なべ仕事に、またポツポツとつゞり出しつ。
明治十一年七月下浣
岡本勘造題
扨も角太郎は思はずもおきぬが相手に、夜の更るまで酒をのみ酔つぶれたるまゝ、其所へ打臥し、まだ起もせぬ其翌朝、宅に留守せし婢女が、いと慌たゞしく取次もて、お八重さまには昨夜の内どこへかおいでなされしのみか、雨戸が一枚外れたまゝ、椽のあたりに泥の足跡つきたるは、常事とも思はれねば、早うお帰り下され、といふを聞ども、角太郎、昨夜の酒がまだ醒ねば、是はお八重が事をこしらへ、早く帰つてくれとの事ならんと、兎や角なして、漸々と宅へ戻れば、いひしに違はず、雨戸がはづれてゐるのみならず、庭の切戸も破れており、曲者入し様子にて、お八重がおらぬは殊に訝かし、夜半に何処へ行べきぞ、扨は此身がおきぬの許へ通路しげきを恨みに思ひ、便りなき身はいとゞなほ胸にせまりて、若ひよつと悪い覚悟をしはせぬか、何にもせよ不思議ぞと、お八重の臥床を調べしに、あたりに落たる文の切端、これはと取あげよく見れば、男の手跡で始めはなけれど、此程申しあげし通り、今宵こそ首尾してまたれよかし、合づはかねておはなし申せし通りなれば、必らずとも人に暁られぬ様お支度なされよ、まづは用事のみ、取いそぎあらあらかしこ、と筆はとめても、留らぬは此道ばかりといふものゝ、お八重に限つて其様な事のあるべき様子はなけれど、現在男の此手紙は、心せくまゝ取落せしに相違なし、アヽ七人の子はなすともと古人がいひしも今更に思へば憎き女ながらも、其を伴出せし男は誰ぞ、
(以下・割愛)