菊萵苣と和名はついてゐるが、原名のアンディーヴと呼ぶ方が食通の間には通りがよいやうである。その蔬菜が姉娘のお千代の手で水洗ひされ笊で水を切つて部屋のまん中の台俎板の上に置かれた。
素人の家にしては道具万端整つてゐる料理部屋である。たゞ少し手狭のやうだ。
若い料理教師の鼈四郎は椅子に踏み反り返り煙草の手を止めて戸外の物音を聞き澄してゐる。外では初冬の風が町の雑音を吹き靡けてゐる。それは都会の木枯しとでもいへさうな賑かで寂しい音だ。
妹娘のお絹はこどものやうに、姉のあとについて一々、姉のすることを覗いて来たが、今は台俎板の傍に立つて笊の中の蔬菜を見入る。蔬菜は小柄で、ちやうど白菜を中指の丈けあまりに縮めた形である。しかし胴の肥り方の可憐で、貴重品の感じがするところは、譬へば蕗の薹といつたやうな、草の芽株に属するたちの品かともおもへる。
笊の眼から湑つた蔬菜の雫が、まだ新しい台俎板の面に濡木の肌の地図を浸み拡げて行く勢ひも鈍つて来た。その間に、棚や、戸棚や抽出しから、調理に使ひさうな道具と、薬味容れを、おづおづ運び出しては台俎板の上に並べてゐたお千代は、並び終へても動かない料理教師の姿に少し不安になつた。自分よりは教師に容易く口の利ける妹に、用意万端整つたことを教師に告げよと、目まぜをする。妹は知らん顔をしてゐる。
若い料理教師は、煙草の喫ひ殻を屑籠の中に投げ込み立上つて来た。ぢろりと台俎板の上を見亙す。これはいらんといふ道具を二三品、抽き出して台俎板の向ふ側へ黙つて抛り出した。
それから、笊の蔬菜を白磁の鉢の中に移した。わざと肩肘を張るのではないかと思へるほどの横柄な所作は、また荒つぽく無雑作に見えた。教師は左の手で一つの匙を、鉢の蔬菜の上へ控へた。塩と胡椒と辛子を入れる。酢を入れる。さうしてから右の手で取上げたフォークの尖で匙の酢を掻き混ぜる段になると、急に神経質な様子を見せた。狭い匙の中でフォークの尖はミシン機械のやうに動く。それは卑劣と思へるほど小器用で脇の下がこそばゆくなる。酢の面に縮緬皺のやうなさざなみが果てしもなく立つ。
妹娘のお絹は彼の矛盾にくすりと笑つた。鼈四郎は手の働きは止めず眼だけ横眼にぢろりと睨んだ。
姉娘の方が肝が冷えた。
匙の酢は鉢の蔬菜の上へ万遍なく撒き注がれた。
若い料理教師は、再び鉢の上へ銀の匙を横へ、今度はオレフ油を罎から注いだ。
「酢の一に対して、油は三の割合」
厳かな宣告のやうにかういひ放ち、匙で三杯、オレフ油を蔬菜の上に撒き注ぐときには、教師は再び横柄で、無雑作で、冷淡な態度を採上げてゐた。
およそ和へものゝ和へ方は、女の化粧と同じで、できるだけ生地の新鮮味を損はないやうにしなければならぬ。掻き交ぜ過ぎた和へものはお白粉を、塗りたくつた顔と同じで気韻は生動しない。
「揚ものゝ衣の粉の掻き交ぜ方だつて同じことだ」
こんな意味のことを喋つた鼈四郎は、自分のいつたことを立證するやうに、鉢の中の蔬菜を大ざつぱに掻き交ぜた。それでゐて蔬菜が底の方からむらなく撹乱されるさまはやはり手馴れの技倆らしかつた。
アンディーヴの戻茎の群れは白磁の鉢の中に在つて油の照りが行亙り、硝子越しの日ざしを鋭く撥ね上げた。
蔬菜の浅黄いろを眼に染ませるやうに香辛入りの酢が匂ふ。それは初冬ながら、もはや早春が訪れでもしたやうな爽かさであつた。
鼈四郎は今度は匙をナイフに換へて、蔬菜の群れを鉢の中のまま、ざつと截り捌いた。
程のよろしき部分の截片を覗つてフォークでぐざと刺し取り、
「食つて見給ヘ」
と姉娘の前へ突き出した。その態度は物の味の試しを勧めるといふより芝居でしれ者が脅しに突出す白刃に似てゐた。
お千代はおどおどしてしまつて胸をあとへ引き、妹へ譲り加減に妹の方ヘ顔をそ向けた。
「おや。——ぢや、さあ」
鼈四郎はフォークを妹娘の胸さきヘ移した。
お絹は滑らかな頚の奥で、喉頭をこくりと動かした。煙るやうな長い睫の間から瞳を凝らしてフォークに眼を遣り、瞳の焦点が截片に中ると同時に、小丸い指尖を出してアンディーヴを撮み取つた。お絹の小隆い鼻の、種子の形をした鼻の穴が食慾で拡がつた。
アンディーヴの截片はお絹の口の中で慎重に噛み砕かれた。青酸い滋味が漿液となり嚥下される刹那に、あなやと心をうつろにするうまさがお絹の胸をときめかした。物憎いことには、あとの口腔に淡い苦味が二日月の影のやうにほのかにとどまつたことだ。この淡い苦味は、またさつき喰ベた昼食の肉の味のしつこい記憶を軽く拭き消して、親しみ返せる想ひ出にした。アンディーヴの截片はこの効果を起すと共に、それ自身、食べた負担を感ぜしめないほど軟く口の中で尽きた。滓といふほどのものも残らない。
「口惜しいけれど、おいしいわよ」
お絹は唾液がにじんだ唇の角を手の甲でちよつと押へてかういつた。
「うまからう。だから食ものは食つてから、文句をいひなさいといふのだ」
鼈四郎の小さい眼が得意さうに輝いた。
「ふだん人に難癖をつける娘も、僕の作つた食ものゝうまさには一言も無いぜ、どうだ参つたか」
鼈四郎は追ひ討ちしていひ放つた。
お絹は両袖を胸へ抱へ上げてくるりと若い料理教師に背を向けながら、
「参つたことにしとくわ」
と笑ひ声で応けた。
ふだん言葉かたき同志の若い料理教師と、妹との間に、これ以上のうるさい口争ひもなく、さればといつて因縁を深めるやうな意地の張り合ひもなく、あつさり済んでしまつたのをみて、お千代はほつとした。安心するとこの姉にも試しに食べてみたい気持がこみ上げて来た。
「ぢや、あたしも一つ食べてみようかしら」
とよそ事のやうにいひながら、そつと指尖を鉢に送つて小さい截片を一つ撮み取つて食べる。
「あら、ほんとに、おいしいのね」
眼を空にして、割烹衣の端で口を拭つてゐるときお千代は少し顔を赧めた。お絹は姉の肩越しに、アンディーヴ の鉢を覗き込んだが、
「鼈四郎さん、それ取つといてね、晩のご飯のとき食べるわ」
さういつた。
巻煙草を取出してゐた鼈四郎はこれを聞くと、煙草を口に銜へたまゝ鉢を摘み上げ臂を伸して屑箱の中へあけてしまつた。
「あらッ!」
「料理だつて音楽的のものさ、同じうまみがさう晩までも続くものか、刹那に充実し刹那に消える。そこに料理は最高の藝術だといへる性質があるのだ」
お絹は屑箱の中からまだ覗いてゐるアンディーヴの早春の色を見遣りながら
「鼈四郎の意地悪る」
と口惜しさうにいつた。「おとうさまにいひつけてやるから」と若い料理教師を睨んだ。お千代も黙つてはゐられない気がして妹の肩へ手を置いて、お交際ひに睨んだ。
令嬢たちの四つの瞳を受けて、鼈四郎はさすがに眩しいらしく小さい眼をしばたゝいて伏せた。態度はいよいよ傲慢に、肩肘張つて口の煙草にマッチで火をつけてから
「そんなに食つてみたいのなら、晩に自分たちで作つて食ひなさい。それも今のものそつくりの模倣ぢやいかんよ。何か自分の工風を加へて、——料理だつて独創が肝心だ」
まだ中に蔬菜が残つてゐる紙袋をお絹の前の台俎板へ抛り出した。
これといつて学歴も無い素人出の料理教師が、なにかにつけて理屈を捏ね藝術家振りたがるのは片腹痛い。だがこの青年が身も魂も食ものに殉じてゐることは確だ。若い身空で女の襷をして漬物樽の糠加減を弄つてゐる姿なぞは頼まれてもできる藝ではない。生れ附き飛び離れた食辛棒なのだらうか、それとも意趣があつて懸命にこの本能に縋り通して行かうとしてゐるのか。
お絹のこゝろに鼈四郎がいひ捨てた言葉の切れ端が蘇つて来る。
「世は遷り人は代るが、人間の食意地は変らない」「食ものぐらゐ正直なものはない、うまいかまづいかすぐ判る」「うまさといふことは神秘だ」——それは人間の他の本能とその対象物との間の魅力に就てもいへることなのだが、鼈四郎がいふとき特にこの一味だけがそれであるやうに受取らせる。ひよつとしたらこの青年は性情の片端者なのではあるまいか。他の性情や感覚や才能まで、その芽を捥取られ、いのちは止むなく食味の一方に育ち上つた。鼈四郎が料理をしてみせるとき味利きといふことをしたことが無い。身体全体が舌の代表となつてゐて、料理の所作の順序、運び、拍子、そんなものゝカンから味の調不調の結果がひとりでに見分けられるらしい。食慾だけ取立てられて人類の文化に寄与すべく運命付けられた畸形な天才。天才は大概片端者だといふ。さういへばこの端麗な美青年にも愚かしいものゝ持つ美しさがあつて、それが素焼の壺とも造花とも感じさせる。情慾が食気にだけ偏つてしまつて普通の人情に及ぼさないためかしらん。
一ばん口数を利く妹娘のお絹がこんな考へに耽つてしまつてゐると、もはや三人の間には形の上の繋りがなく、鼈四郎はしきりに煙草の煙を吹き上げては椅子に踏み反つて行くだけ、姉娘のお千代は、居竦まされる辛さに堪へないといふふうにこそこそ料理道具の後片付けをしてゐる。一しきり風が窓硝子に砂ぼこりを吹き当てる音が極立つ。
「天才にしても」とお絹はひとり言のやうにいつた。
「男の癖にお料理がうまいなんて、ずゐぶん下卑た天才だわよ」
と鼈四郎の顔を見ていつた。
それから溜つたものを吐き出すやうに、続けさまに笑つた。
鼈四郎はむつとしてお絹の方を見たが、こみ上げるものを飲み込んでしまつたらしい。
「さあ、帰るかな」
としよんぼり立上ると、ストーヴの角に置いた帽子を取ると送りに立つた姉娘に向ひ
「けふは、おとうさんに会つてかないからよろしくつて、いつといて呉れ給へ」
といつて御用聞きの出入り口から出て行つた。
靴の裏と大地の堅さとの間に、さりさり砂ほこりが感じられる初冬の町を歩るいて鼈四郎は自宅へ帰りかゝつた。姉妹の娘に料理を教へに行く荒木家蛍雪舘のある芝の愛宕台と自宅のある京橋区の中橋広小路との間に相当の距離はあるのだが、彼は最寄の電車筋へも出ずゆつくり歩るいて行つた。
一つは電車賃さへ倹約の身の上だが、急いで用も無い身体である。もう一つの理由はトンネル横町と呼ばれる変つた巷路を通り度いためでもある。
いづれは明治初期の早急な洋物輸入熱の名残りであらう。街の小道の上に煉瓦積みのトンネルが幅広く架け渡され、その上は二階家のやうにして住んでゐるらしい。瓦屋根の下の壁に切つてある横窓からはこどもの着ものなど、竹竿で干し出されてゐるのをときどき見受ける。
鼠色の瓦屋根も、黄土色の壁も、トンネルの紅色の煉瓦も、燻されまた晒されて、すつかり原色を失ひ、これを舌の風味にしたなら裸麦で作つた黒パンの感じだと鼈四郎はいつも思ふ。そしてこの性を抜いた豪華な空骸に向け、左右から両側になつて取り付いてゐる二階建の小さい長屋は、そのくすんだねばねばした感じから鶫の腸の塩辛のやうにも思ふ。鼈四郎はわたりの風趣を強ひて食味に翻訳して味はふのではないが、こゝへ彼は来ると、裸麦の匂ひや、鶫の腸にまで染みてゐる木の実の匂ひがひとりでにした。佐久間町の大銀杏が長屋を掠めて箒のやうに見える。
彼はこの横町に入り、トンネルを抜け横町が尽きて、やゝ広い通りに折れ曲るまでの間は自分の数奇の生立ちや、燃え盛る野心や、まゝならぬ浮世や、癪に触る現在の境遇をしばし忘れて、靉靆とした気持になれた。それはこの上堕ちやうもない世の底に身を置く泰らかさと現実離れのした高貴性に魂を提げられる思ひとが一つに中和してゐた。これを佗びとでもいふのかしらんと鼈四郎は考へる。この巷路を通り抜ける間は、姿形に現れるほども彼は自分が素直な人間になつてゐるのを意識するのであつた。ならば振り戻つて、もう一度トンネルを潜ることによつて、靉靆とした意識に浸り還せるかといふと、さうはゆかなかつた。感銘は一度限りであつた。引き返してトンネル横町を徘徊してもたゞ汚らしく和洋蕪雑に混つてゐる擬ひものゝ感じのする街に過ぎなかつた。それゆゑ彼は、蛍雪館へ教へに通ふ往き来のどちらかにだけ日に一度通り過ぎた。
土橋を渡つて、西仲通りに歩るきかゝるとちらほら町には灯が入つて来た。鼈四郎はそこから中橋広小路の自宅までの僅な道程を不自然な曲り方をして歩るいた。表通りへ出てみたりまた横町ヘ折れ戻り、そして露路の中へ切れ込んだりした。彼が覗き込む要所々々には必ず大小の食ひもの屋の店先があつた。彼はそれ等の店先を通りかゝりながら、店々が今宵、どんな品を特品に用意して客を牽き付けようとしてゐるかを、ぢろりと見検めるのだつた。
ある店では、紋のついた油障子の蔭から、赤い蟹や大粒の蛤を表に見せてゐた。ある店では、ショウウヰンドーの中に、焼串に鴫を刺して赤蕪や和蘭芹と一しよに皿に並べであつた。
「どこも、こゝも、相変らず月並なものばかり仕込んでやがる。智慧のない奴等ばかりだ」
鼈四郎は、かう呟くと、歯痒いやうな、また得意の色があつた。そしてもし自分ならば、——と胸で、季節の食品月令から意表で恰好の品々を物色してみるのだつた。
彼の姿を見かけると、食もの屋の家の中から声がかけられるのであつた。
「やあ、先生寄つてらつしやい」
けれども、その挨拶振りは義理か、通り一遍のものだつた。どの店の人間も彼の当身の多い講釈には参らされてゐた。
「寄つてらつしやいたつて、僕が食ふやうなものはありやしないぢやないか」
「そりやどうせ、しがない垂簾の食もの屋ですからねえ」
こんな応対で通り過ぎてしまふ店先が多かつた。無学を見透されまいと、嵩にかゝつて人に立向ふ癖が彼についてしまつてゐる。それはやがて敬遠される基と彼は知りながら自分でどうしやうもなかつた。彼は寂しく自宅ヘ近付いて行つた。
表通りの呉服屋と畳表問屋の間の狭い露路の溝板へ足を踏みかけると、幽かな音で溝板の上に弾ねてゐるこまかいものゝ気配ひがする。暗くなつた夜空を振り仰ぐと古帽子の鍔を外づれてまたこまかいものが冷たく顔を撫る「もう霰が降るのか。」彼は一瞬の間に、伯母から令押被の平凡な妻と小児を抱へて貧しく暮してゐる現在の境遇の行体が胸に泛び上つた。いま二足三足の足の運びで、それを面のあたりに見なければならない運命を思ふと鼈四郎は、うんざりするより憤怒の情が胸にこみ上げて来た。ふと蛍雪館の妹娘のお絹の姿が俤に浮ぶ。いつも軽蔑した顔をして冷淡につけつけものをいひ、それでゐて自分に肌目のこまかい、しなやかで寂しくも調子の高い、文字では書けない若い詩を夢見させて呉れる不思議な存在なのだ。
「なんだつて、自分はあんなに好きなお絹と一しよになり、好きな生活のできる富裕な邸宅に住めないのだらう。人間に好くといふ慾を植ゑつけて置きながら、その慾の欲しがるものを真つ直ぐには与へない。誰だか知らないが、世界を拵へた奴はいやな奴だ」
その憤懣を抱いて敷居を跨ぐのだつたから、家ヘ上つて行くときの声は抉るやうな意地悪さを帯びてゐた。
「おい。ビール、取つといたか。忘れやしまいな」
こどもに向き合ひ、五燭の電灯の下で、こどもに一箸、自分が二箸といふふうにして夕飯をしたゝめてゐた妻の逸子は、自分の口の中のものを見悟られまいとするやうに周章て嚥み下した。口を袖で押へて駆け出して来た。
「お帰りなさいまし。篤がお腹が減つたつてあんまり泣くものですから、ご飯を食べさせてゐましたので、つい気がつきませんでして、済みません」
いひつゝ奥歯と頬の間に挟つた嚥み残しのものを、口の奥で仕末してゐる。
「ビールを取つといたかと訊くんだ」
「はいはい」
逸子は、握り箸の篤を、そのまゝ斜に背中へ抛り上げて負ふと、霰の溝板を下駄で踏み鳴らして東仲通りの酒屋までビールを誂へに行つた。
もう一突きで、カッとなるか涙をぽろつと滴すかの悲惨な界の気持にまで追ひ込められた硬直の表情で、鼈四郎はチャブ台の前に胡坐をかいた。チャブ台の上は少しばかりの皿小鉢が散らされ抛り置かれた飯茶碗から飯は傾いてこぼれてゐる。五燭の灯の下にぼんやり照し出される憐れな狼藉の有様は、何か動物が生命を繋ぐことのために僅かなものを必死と食ひ貪る途中を闖入者のために追ひ退けられた跡とも見える。
「浅間しい」
鼈四郎は吐くやうにかういつて腕組をした。
この市隠荘はお絹等姉妹の父で漢学者の荒木蛍雪が、中橋の表通りに書帖や拓本を売る蛍雪館の店を開いてゐた時分に、店の家が狭いところから、斜向ふのこの露路内に売家が出たのを幸、買取つて手入れをし寝泊りしたものである。ちよつとした庭もあり、十二畳の本座敷なぞは唐木が使つてある床の間があつて瀟洒としてゐる。蛍雪はその後、漢和の辞典なぞ作つたものが当り、利殖の才もあつてだんだん富裕になつた。表通りの店は人に譲り邸宅を芝の愛宕山の見晴しの台に普請し、蛍雪館の名もその方へ持つて行つた。露路内の市隠荘はしばらく戸を閉めたまゝであつたのを、鼈四郎が蛍雪に取入り、荒木家の抱へのやうになつたので、蛍雪は鼈四郎にこの市隠荘を月々僅な生活費を添へて貸与へた。但し条件附であつた。掃除をよくすること、本座敷は滅多に使はぬこと——。それゆゑ、鼈四郎夫妻は次の間の六畳を常の住ひに宛てゝゐるのであつた。一昨年の秋、夫妻にこどもが生れると蛍雪は家が汚れるといつて嫌な顔をした。
「ちつとばかりの宛がひ扶持で、勝手な熱を吹く。いづれ一泡吹かしてやらなきや」
それかといつて、急にさしたる工夫もない。そんなことを考へるほど眼の前をみじめなものに感じさすだけだつた。
鼈四郎は舌打ちして、またもとのチャブ台へ首を振り向けた。懐手をして掌を宛てゝゐる胃拡張の胃が、鳩尾のあたりでぐうぐうと鳴つた。
「うちの奴等、何を食つてやがつたんだらう」
浅い皿の上から甘藷の煮ころばしが飯粒をつけて転げ出してゐる。
「なんだ、いもを食つてやがる。貧弱な奴等だ」
鼈四郎は、軽蔑し切つた顔をしたけれども、ふだん家族のものには廉価なものしか食べることを許さぬ彼は、家族が自分の掟通りにしてゐることに、いくらか気を取直したらしい。
「ふ、ふ、ふ、いもをどんな煮方をして食つてやがるだらう。一つ試してみてやれ」
彼は甘藷についてる飯粒を振り払ひ、ぱくんと開いた口の中ヘ抛り込んだ。それは案外上手に煮えてゐた。
「こりや、うまいや、ばかにしとらい」
鼈四郎は、何ともいひやうのない擽つたいやうな顔をした。
霰を前髪のうしろに溜めて逸子が帰つて来た。こどもを支へない方の手で提げて来たビール壜を二本差出した。
「さし当つてこれだけ持つて参りました。あとは小僧さんが届けて呉れるさうでございますわ」
鼈四郎はつねづね妻にいひ含めて置いた。一本のビールを飲まうとするときにはあとに三本の用意をせよ。かゝる用意あつてはじめて、自分は無制限と豪快の気持で、その一本を飲み干すことができる。一本を飲まうとするときに一本こつきりでは、その限数が気になり伸々した気持でその一本すら分量の値打ちだけに飲み足らふことができない。結局損な飲ませ方なのだ。壜詰のビールなぞといふものは腐るものではないから余計とつて置いて差支へない。よろしく気持の上の後詰の分として余分の本数をとつて置くべきであると。いま、逸子が酒屋へのビールの注文の仕方は、鼈四郎のふだんのいひ含めの旨に叶ふものであつた。
「よしよし」と鼈四郎はいつた。
彼は妻に、本座敷へ彼の夕食の席を設けることを命じた。これは珍しいことだつた。妻は
「もし、ひよつとして汚しちや、悪かございません?」と一応念を押してみたが、良人は眉をぴくりと動かしたゞけで返事をしなかつた。この上機嫌を損じてはと、逸子は子供を紐で負ひ替へ本座敷の支度にかゝつた。
畳の上には汚れ除けの渋紙が敷き詰めてある、屏風や長押の額、床の置ものにまで塵除けの布ぶくろが冠せてある。まるで座敷の中の調度が、住む自分等を異人種に取扱ひ、見られるのも触れられるのも冒涜として、極力、防避を申合せてるやうであつた。かうしてから自分等に家を貸し与へた持主の蛍雪の非人情をまざまざ見せつけられるやうで、逸子には憎々しかつた。
彼女は復讐の小気味よさを感じながらこれ等の覆ひものを悉く剥ぎ取つた。子供の眼鼻に塵の入らぬやう手拭を冠せといて座敷の中をざつと叩いたり掃いたりした。何かしら今夜の良人の気分を察するところがあつて、電灯も五十燭の球につけ替へた。明煌々と照り輝く座敷の中に立ち、あたりを見廻すと、逸子も久振りに気も晴々となつた。しかし臆し心の逸子はやはり家の持主に対して内證の隠事をしてゐる気持が出て来て、永くは見廻してゐられなかつた。彼女は座布団を置き、傍にビール壜を置くと次の茶の間に引下りそこで中断された母子の夕飯を食べ続けた。
この間台所で賑やかな物音を立て何か支度をしてゐた鼈四郎は、襖を開けて陶器鍋のかゝつた焜炉を持ち出した。白いものゝ山型に盛られてゐる壺と、茶色の塊が入つてゐる鉢と白いものゝ横たはつてゐる皿と香のものと配置よろしき塗膳を持出した。醤油注ぎ、手塩皿、ちりれんげ、なぞの載つてゐる盆を持出した。四度目にビールの栓抜きとコップを、ちやうど士が座敷に入るとき片手で提げるやうな形式張つた肘の張り方で持出すと、洋服の腰に巻いてゐた妙な覆ひ布を剥ぎ去つて台所へ抛り込んだ。襖を閉め切ると、座敷を歩み過し縁側のところまで来て硝子障子を明け放した。闇の庭は電燭の光りに、小さな築山や池のおも影を薄肉彫刻のやうに浮出させ、その表を僅な霰が縦に掠めて落ちてゐる。幸に風が無いので、寒いだけ室内の焜炉の火も、火鉢の火も穏かだつた。
彼は座布団の上に胡座を掻くと、ビール壜に手をかけ、にこにこしながら壁越しに向つていつた。
「おい、頼むから今夜は子供を泣かしなさんな」
彼は、ビールの最初のコップに口をつけこくこくこく飲み干した。掌で唇の泡を拭ひ払ふと、さも甘さうにうえーとおくび(=難漢字))を吐いた。その誇張した味ひ方は落語家の所作を真似をして遊んでゐるやうにも妻の逸子には壁越しに取れた。
彼は次に、焜炉にかけた陶器鍋の蓋に手をかけ、やあつと掛声してその蓋を高く擡げた。大根の茹つた匂ひが、汁の煮出しの匂ひと共に湯気を上げた。
「細工はりうりう、手並をごらうじろ」
と彼は抑揚をつけていつたが、蓋の熱さに堪へなかつたものと見え、ち、ちゝゝといつて、蓋を急ぎ下に置いた様子も、逸子には壁越しに察せられた。
ぢかに置いたらしい蓋の雫で、畳が損ぜられやしないか? ひやりとした懸念を押しのけて、逸子にをかしさがこみ上げた。彼女はくすりと笑つた。世間からは傲慢一方の人間に、また自分たち家族に対しては暴君の良人が、食物に係つてゐるときだけ、温順しく無邪気で子供のやうでもある。何となくいぢらしい気持が湧くのを泣かさぬやう添寝をして寝かしつけてゐる子供の上に被けた。彼女は子供のちやんちやんこと着ものゝ間に手をさし入れて子供を引寄せた。寝つきかゝつてゐる子供の身体は性なく軟かに、ほつこり温かだつた。
本座敷で鼈四郎は、大根料理を肴にビールを飲み進んで行つた。材料は、厨で僅に見出した、しかも平凡な練馬大根一本に過ぎないのだが、彼はこれを一汁三菜の膳組に従つて調理し、品附した。すなはち鱠には大根を卸しにし、煮物には大根を輪切にしたものを鰹節で煮てこれに宛てた。焼物皿には大根を小魚の形に刻んで載せてあつた。鍋は汁の代りになる。
かくて一汁三菜の献立は彼に於て完うしたつもりである。
彼には何か意固地なものがあつた。富贍な食品にぶつかつたときはひと種で満足するが、貧寒な品にぶつかつたときは形式美を欲した。彼は明治初期に文明開化の評論家であり、後に九代目団十郎のための劇作家となつた桜痴居士福池源一郎の生活態度を聞知つてゐた。この旗本出で江戸つ子の作者は、極貧の中に在つて客に食事を供するときには家の粗末な惣菜のものにしろ、これを必ず一汁三菜の膳組の様式に盛り整へた。従つて焼物には塩鮭の切身なぞもしばしば使はれたといふ。
彼は料理に関係する実話や逸話を、諸方の料理人に、例の高飛車な教へ方をする間に、聞出して、いくつとなく耳学問に貯へる。何かといふ場合にはその知識に加担を頼んで工夫し出した。彼は独創よりもどつちかといふと記憶のよい人間だつた。
彼は形式通り膳組されてゐる膳を眺めながら、ビールの合の手に鍋の大根のちりを喰ベ進んで行つた。この料理に就ても、彼には基礎の知識があつた。これは西園寺陶庵公が好まれる食品だといふことであつた。彼は人伝てにこの事を聞いたとき、政治家の傍、あれだけの趣味人である老公が、舌に於て最後に到り付く食味はそんな簡単なものであるのか。それは思ひがけない気もしたが、しかし肯かせるところのある思ひがけなさでもあつた。そして彼には、いはゆる偉い人が好んだといふ食品はぜひ自分も一度は味つてみようといふ念願があつた。それは一方彼の英雄主義の現れであり、一方偉い人の探索でもあつた。その人が好くといふ食品を味つてみて、その人がどんな人であるかを測り知り当てることは、もつとも正直で容易い人物鑑識法のやうに彼には思へた。
鍋の煮出し汁は、兼て貯への彼特製の野菜のヱキスで調味されてあつた。大根は初冬に入り肥えかゝつてゐた。七つ八つの泡によつて鍋底から浮上り漂ふ銀杏形の片れの中で、ほど良しと思ふものを彼は箸で選み上げた。手塩皿の溜醤油に片れの一角を浸し熱さを吹いては喰ベた。
生で純で、自然の質そのものだけの持つ謙遜な滋味が片れを口の中へ入れる度びに脆く柔く溶けた。大まかな菜根の匂ひがする。それは案外、甘いものであつた。
「成程なァ」
彼は、感歎して独り言をいつた。
彼は盛に煮上つて来るのを、今度は立て続けに吹きもて食べた。それは食べるといふよりは、吸ひ取るといふ恰好に近かつた。土鼠が食ひ耽る飽くなき態があつた。
その間、たまに彼は箸を、大根卸しの壺に差出したが、つひに煮大根の鉢にはつけなかつた。
食ひ終つて一通り堪能したと見え、彼は焜炉の口を閉めはじめて霰の庭を眺め遣つた。
あまり酒に強くない彼は胡座の左の膝に左の肘を突立て、もう上体をふらふらさしてゐた。おくび(=難漢字)をしきりに吐くのは、もはや景気附けではなく、胃拡張の胃壁の遅緩が、飲食したものゝ刺激に遭ひうねり戻す本ものゝものだつた。ときどき甘苦い粘塊が口中ヘ噎せ上つて来る。その中には大根の片れの生噛みのものも混つてゐる。彼は食後には必ず、このおくび
(=難漢字)をやり、そして、人前をも憚らず反芻する癖があつた。壁越しに聞いてゐる逸子は「また、始めた」と浅間しく思ふ。家庭の食後にそれをする父を見慣れて、こどもの篤が真似て仕方が無いからであつた。
おくび(=難漢字)は不快だつたが、その不快を克服するため、なほもビールを飲み煙草を喫ふところに、身体に非現実な美しい不安が起る。「このとき、僕は、人並の気持になれるらしい。妻も子も可愛がれる——」彼はこんなことを逸子によくいふ。逸子は寝かしついた子供に布団を重ねて掛けてやりながら、「すると、そのとき以外は、良人に蛍雪が綽名に付けたその鼈のやうな動物の気持でゐるのかしらん」と疑ふ。
鼈四郎は、煙草を喫ひながら、彼のいふ人並の気持になつて、霰の庭を味つてゐた。時刻は夜に入り闇の深まりも増したかに感ぜられる。庭の構ひの板塀は見えないで、無限に地平に抜けてゐる目途の闇が感じられる。小さな築山と木枝の茂みや、池と庭草は、電灯の光は受けても薄板金で張つたり、針金で輪廓を取つたりした小さなセットにしか見えない。呑むことだけして吐くことを知らない闇。もし人間が、こんな怖ろしい暗くて鈍感な無限の消化力のやうなものに捉へられたとしたならどうだらう。泣いても喚き叫んでも、追付かない。そして身体は毛氈苔に粘られた小蟲のやうに、徐々に溶かされて行く、溶かされるのを知りつゝ、何と術もなく、ぢーぢー鳴きながら捉へられてゐる。永遠に——。鼈四郎はときどき死といふことを想ひ見ないことはない。彼が生み付けられた自分でも仕末に終へない激しいものを、せめて世間に理解して貰はうと彼は世間にうち衝つて行く。世間は他人ごとどころではないと素気なく弾ね返す。彼はいきり立ち武者振りついて行く。気狂ひ染みてゐるとて今度は体を更はされる。あの手この手。彼は世間から拒絶されて心身の髄に重苦しくてしかも薄痒い疼きが残るだけの性抜きに草臥れ果てたとき、彼は死を想ひ見るのだつた。それはすべてを清算して呉れるものであつた。想ひ見た死に身を横へるとき、自分の生を眺め返せば「あれは、まづ、あれだけのもの」と、あつさり諦められた。潔い苦笑が唇に泛べられた。かゝる死を時せつ想ひ見ないで、なんで自分のやうな激しい人間が三十に手の届く年齢にまでこの世に生き永らへて来られようぞと彼は思ふ。
生を顧みて「あれは、まづ、あれだけのもの」と諦めさすところの彼が想ひ見た死はまた、生をさう想ひ諦めさすことによつてそれ自らを至つて性の軽いものにした。生が「あれは、まづ、あれだけのもの」としたなら、死もまた「これは、まづ、これだけのもの」に過ぎなかつた。彼は衒学的な口を利くことを好むが、彼には深い思惟の素養も脳力も無い筈である。
これは全く押し詰められた体験の感じから来たもので、それだけにまた、動かぬものであつた。彼は少青年の頃まで、拓本の職工をしてゐたことがあるが、その拓本中に往々出て来る死生一如とか、人生一泡滓とかいふ文字をこの感じに於て解してゐた。それ故にこそ、とゞのつまりは「うまいものでも食つて」といふことになつた。世間に肩肘張つて暮すのも左様大儀な芝居でもなかつた。
だが、今宵の闇の深さ、粘つこさ、それはなかなか自分の感じ捉へた死などいふ潔く諦めよいものとは違つてゐて、不思議な力に充ちてゐる。絶望の空虚と、残忍な愛とが一つになつてゐて、捉へたものは嘗め溶し溶し尽きたら、また、原形に生み戻し、また嘗め溶す作業を永遠に、繰返さでは満足しない執拗さを持つてゐる。こんな力が世の中に在るのか。鼈四郎は、今迄、いろいろの食品を貪り味つてみて、一つの食品といふものには、意志と力があつてかくなりはひ出たもののやうに感じてゐた。押拡げて食品以外の事物にも、何かの種類の意味で味ひといふものを帯びてゐる以上、それがあるやうに思はれてゐる。だが、今宵の闇の味ひ! これほど無窮無限と繰返しを象徴してゐるものは無かつた。人間が蟲の好く好物を食べても食べても食べ飽きた気持がしたことはない。あの蟲の好きと一路通ずるものがありはしないか。
これは天地の食慾とでもいふものではないかしらん。これに較べると人間の食慾なんて高が知れてゐる。
「しまつた」と彼は呟いてみた。
彼は久振りで、自分の嫌な過去の生ひ立ちを点検してみた。
京都の由緒ある大きな寺のひとり子に生れ幼くして父を失つた。母親は内縁の若い後妻で入籍して無かつたし、寺には寺で法縁上の紛擾があり、寺の後董は思ひがけない他所の方から来てしまつた。親子のものはほとんど裸同様で寺を追出される形となつた。これみな恬澹な名僧といはれた父親の世務をうるさがる性癖から来た結果だが、母親はどういふものか父を恨まなかつた。
「なにしろこどものやうな方だつたから罪はない」そしてたつた一つの遺言ともいふべき彼が誕生したときいつたといふ父の言葉を伝へた。「この子がもし物ごゝろがつく時分わしも老齢ぢやから死んどるかも知れん。それで苦労して、なんでこんな苦しい裟婆に頼みもせんのに生み付けたのだと親を恨むかも知れん。だがそのときはいつてやりなさい。こつちとて同じことだ、何で頼みもせんのに親に苦労をかけるやうなこの苦しい裟婆に生れて出て来なすつたのだ、お互ひさまだ、と」この言葉はとても薄情にとれた、しかし薄情だけでは片付けられない妙な響が鼈四郎の心に残された。
はじめは寺の弟子たちも故師の遺族に恩を返すため順番にめいめいの持寺に引取つて世話をした。しかしそれは永く続かなかつた。どの寺にも寄食人を息詰らす家族といふものがあつた。最後に厄介になつたのは父の碁敵であつた拓本職人の老人の家だつた。貧しいが鰥暮しなので気は楽だつた。母親は老人の家の煮炊き洗濯の面倒を見てやり、彼はちやうど高等小学も卒業したので老人の元に法帖造りの職人として仕込まれることになつた。老人は変り者だつた、碁を打ちに出るときは数日も家に帰らないが、それよりも春秋の頃ほひ小学校の運動会が始り出すと、彼はほとんど毎日家に居なかつた。京都の市中や近郊で催されるそれを漁り尋ね見物して来るのだつた。「今日の——小学校の遊戯はよく手が揃つた」とか、「今日の——小学校の駈足競走で、今迄にない早い足の子がゐた」とか噂して悦んでゐた。
その留守の間、彼は糊臭い仕事場で、法帖作りをやつてゐるのだが、墨色に多少の変化こそあれ蝉翔搨といつたところで烏金搨といつたところで再び生物の上には戻つて来ぬ過去そのものを色にしたやうな非情な黒に過ぎない。その黒へもつて行つて寒白い空閑を抜いて浮出す拓本の字画といふものは少年の鼈四郎にとつてまたあまりに寂しいものであつた。「雨降りあとぢや、川へいて、雑魚なと、取つて来なはれ、あんじよ、おいしみう煮て、食べまひよ」継ものをしてゐた母親がいつた。鼈四郎は笊を持つて堤を越え川へ下りて行く。
その頃まだ加茂川にも小魚がゐた。季節々々によつて、鮴、川鯊、鮠、雨降り揚句には鮒や鰻も浮出てとんだ獲ものもあつた。こちらの河原には近所の一群がすでに漁り騒いでゐる。むかふの土手では摘草の一家族が水ぎはまでも摘み下りてゐる。鞍馬へ岐れ路の堤の辺には日傘をさした人影も増えてゐる。境遇に負けて人臆れのする少年であつた鼈四郎は、これ等の人気を避けて、土手の屈曲の影になる川の枝流れに、芽出し柳の参差を盾に、姿を隠すやうにして漁つた。すみれ草が甘く匂ふ。糺の森がぼーつと霞んで見えなくなる。おや自分は泣いてるなと思つて眼瞼を閉ぢてみると、雫の玉がブリキ屑に落ちたかしてぽとんといふ音がした。器用な彼はそれでも少しの間に一握りほどの雑魚を漁り得る。持つて帰ると母親はそれを巧に煮て、春先の夕暮のうす明りで他人の家の留守を預りながら母子二人だけの夕餉をしたゝめるのであつた。
母親は身の上の素性を息子に語るのを好まなかつた。たゞ彼女は食べ意地だけは張つてゐて、朝からでも少しのおなまぐさが無ければ飯の箸は取れなかつた。それの言訳のやうに彼女はかういつた「なんしい、食べ辛棒の土地で気儘放題に育てられたもんやて!」
鼈四郎は母親の素性を僅に他人から聞き貯めることが出來た。大阪船場目ぬきの場所にある旧舗の主人で鼈四郎の父へ深く帰依してゐた信徒があつた。不思議な不幸続きで、店は潰れ娘一人を残して自分も死病にかゝつた。鼈四郎の父はそれまで不得手ながら金銭上の事に関つてまでいろいろ面倒を見てやつたのだがつひにその甲斐もなかつた。しかし、すべてを過去の罪障のなす業と諦めた病主人は、罪障消滅のためにも、一つは永年の恩義に酬ゆるため、妻を失つてしばらく鰥暮しでゐた鼈四郎の父へ、せめて身の周りの世話でもさせたいと、娘を父の寺へ上せて身罷つたといふ。他の事情は語らない母親も「お罪障消滅のため寺方に上つた身が、食べ慾ぐらゐ断ち切れんで、ほんまに済まんと思ふが、やつぱりお罪障の残りがあるかして、こればかりはしやうもない」この述懐だけは亦ときどき口に洩しながら、最少限度のつもりにしろ、食べもの漁りはやめなかつた。
少青年の頃ほひになつて鼈四郎は、諸方の風雅の筵の手伝ひに頼まれ出した。市民一般に趣味人をもつて任ずるこの古都には、いはゆる琴棋書画の会が多かつた。はじめ拓本職人の老人が出入りの骨董商に展覧の会があるのを老人に代つて手伝ひに出たのがきつかけとなり、あちらこちらより頼まれるやうになつた。才はじけた性質を人臆しする性質が暈しをかけてゐる若者は何か人目につくものがあつた。薄皮仕立で桜色の皮膚は下膨れの顔から胸鼈へかけて嫩葉のやうな匂ひと潤ひを持つてゐた。それが拓本老職人の古風な着物や袴を仕立て直した衣服を身につけて座を斡旋するさまも趣味人の間には好もしかつた。人々は戯れに千の與四郎、——茶祖の利休の幼名をもつて彼を呼ぶやうになつた。利休の少年時が果して彼のやうに美貌であつたか判らないが、少くとも利休が與四郎時代秋の庭を掃き浄めたのち、あらためて一握りの紅葉をもつて庭上に撤き散らしたといふ利休の趣味性の早熟を物語る逸話から聯想して来る與四郎は、彼のやうな美少年でなければならなかつた。与へられたこの戯名を彼も諾ひ受け寧ろ少からぬ誇りをもつて自称するやうにさへなつた。
洒落れたお弁当が食べられ、なにがしかづゝ心付けの銭さへ貰へるこの手伝ひの役は彼を悦ばした。そのお弁当を二つも貰つて食べ抹茶も一服よばれたのち、しばらくの休憩をとるため、座敷に張り廻らした紅白だんだらの幔幕を向ふへ弾ね潜つて出る。そこは庭に沿つた椽側であつた。陽はさんさんと照り輝いて満庭の青葉若葉から陽の雫が滴つてゐるやうである。椽も遺憾なく照らし暖められてゐる。彼はその椽に大の字なりに寝て満腹の腹を撫でさすりながらうとうとしかける。知恩院聖護院の昼鐘が、まだ鳴り止まない。夏霞棚引きかけ、眼を細めてゞもゐるやうな和み方の東山三十六峰。こゝの椽に人影はない。しかし別書院の控室の間から演奏場へ通ずる中廊下には人の足音が地車でも続いて通つてゐるやう絶えずとゞろと鳴つてゐる。その控室の方に当つては、もはや、午後の演奏の支度にかゝつてゐるらしく、尺八に対して音締めを直してゐる琴や胡弓の音が、音のこぼれものゝやうに聞えて来る。間に混つて盲人の鼻詰り声、娘たちの若い笑ひ声。
若者の鼈四郎は、かういふ景致や物音に遠巻きされながら、それに煩はされず、逃れて一人うとうとする束の間を楽しいものに思ひ做した。腹に満ちた咀嚼物は陽のあたゝめを受けて滋味は油のやうに溶け、骨、肉を潤し剰り今や身体の全面にまでにじみ出して来るのを艶やかに感ずる。金目がかゝり、値打ちのある肉体になつたやうに感ずる。心の底に押籠められながら焦々した恐ろしい想ひはこの豊潤な肉体に対し、いよいよその豊潤を刺激して引立てる内部からの香辛料になつたやうな気がする。その快さ甘くときめかす匂ひ、芍藥畑が庭のどこかにあるらしい。
古都の空は浅葱色に晴れ渡つてゐる。和み合ふ睫の間にか、充ち足りた胸の中に白雲の一浮きが軽く渡つて行く。その一浮きは同時にうたた寝の夢の中にも通ひ、濡れ色の白鳥となつて翼に乗せて過ぎる。はつ夏の哀愁。「與四郎さん、こんなとこで寝てなはる。用事あるんやわ、もう起きていなあ」鼻の尖を摘まれる。美しい年増夫人のやはらかくしなやかな指。
鼈四郎はだんだん家へ帰らなくなつた。貧寒な拓本職人の家で、女餓鬼の官女のやうな母を相手にみじめな暮しをするより、若い女のゐる派手で賑かな会席を渡り歩るいてる方がその日その日を面白く糊塗できて気持よかつた。何か一筋、心のしんになる確りした考へ。何か一業、人に優れて身の立つやうな職能を捉へないでは生きて行くに危いといふ不安は、殊にあの心の底に伏つてゐる焦々した恐ろしい想ひに煽られると、居ても立つてもゐられない悩みの焔となつて彼を焼くのであるが、その焦熱を感ずれば感ずるほど、彼はそれをまはりで擦つて掻き落すやう、いよいよ雑多と変化の世界へ紛れ込んで行くのであつた。彼はこの間に持つて生れた器用さから、趣味の技藝なら大概のものを田舎初段程度にこなす腕を自然に習ひ覚えた。彼は調法な與四郎となつた。どこの師匠の家でも彼を歓迎した。棋院では初心の客の相手役になつてやるし、琴の家では琴師を頼まないでも彼によつて絃の緩みは締められた。生花の家でお嬢さんたちのための花の下拵へ、茶の湯の家ではまたお嬢さんや夫人たちのための点茶や懐石のよき相談相手だつた。拓本職人は石刷りを法帖に仕立てる表具師のやうなこともやれば、石刷りを版木に模刻して印刷をする彫版師のやうな仕事もした。そこから自づから彼は表具もやれば刀を採つて、本彫篆刻の業もした。字は宋拓を見やう見真似に書いた。画は彼が最得意とするところで、ひよつとしたら、これ一途に身を立てゝ行かうかとさへ思ふときがあつた。
頼めば何でも間に合はして呉れる。こんな調法人をどこで歓迎しないところがあらうか。
彼は紛れるともなく、その日その日の憂さを忘れて渡り歩るいた。母は鼈四郎が勉強のため世間に知識を漁つてゐて今に何か掴んで来るものと思ひ込んでるので呑込み顔で放つて置いたし、拓本職人の老爺は仕事の手が欠けたのをこぼしこぼし、しかし叱言といふほどの叱言はいはなかつた。
師匠連や有力な弟子たちは彼を取巻のやうにして瓢亭・俵やをはじめ市中の名料理へ飲食に連れて行つた。彼は美食に事欠かぬのみならず、天禀から、料理の秘奥を感取つた。
さうしてゐるうち、ふと鼈四郎に気が付いて来たことがあつた。このやうに諸方で歓迎されながら彼は未だ嘗て尊敬といふものをされたことがない。大寺に生れ、幼時だけにしろ、総領息子といふ格に立てられた経験のある、旧舗の娘として母の持てる気位を伝へてゐるらしい彼の持前は頭の高い男なのであつた。それがたゞ調法の與四郎で扱ひ済されるだけでは口惜しいものがあつた。彼の心の底に伏つていつも焦々する恐ろしい想ひもどうやら一半はそこから起るらしく思はれて来た。どうかして先生と呼ばれてみたい。
人中に揉まれて臆し心はほとんど除かれてゐる彼に、この衷心から頭を擡げて来た新しい慾望は、更に積極へと彼に拍車をかけた。彼は高飛車に人をこなし付ける手を覚え、軽蔑して鼻であしろふ手を覚えた。何事にも批判を加へて己れを表示する術も覚えた。彼はなりの恰好さへ肩肘を張ることを心掛けた。彼は手鏡を取出してつくづく自分を見る。そこに映り出る青年があまり若く美しくて先生と呼ばれるに相応しい老成した貫禄が無いことを嘆いた。彼はせめて言葉附だけでもいか
つく、ませたものにしようと骨を折つた。彼の取つて付けたやうな豹変の態度に、弱いものは怯えて敬遠し出した。強いものは反撥して罵つた。「なんだ石刷り職人の癖に」そして先生といつて呉れるものは料理人だけだつた。
「與四郎は変つた」「をかしゆうならはつた」といふのが風雅社会の一般の評であつた。彼の心地に宿つた露草のやうないぢらしい恋人もあつたのだけれども、この噂に脆くも破れて、実を得結ばずに失せた。
若者であつて一度この威猛高な誇張の態度に身を任せたものは二度と沈潜して肌質をこまかくするのは余程難しかつた。鼈四郎はこの目的外れの評判が自分のどこの辺から来るものか自分自身に向つて知らないとはいひ徹せなかつた。「学問が無いからだ」この事実は彼に取つて最も痛くていまいましい反省だつた。そして今更に、悲運な境遇から上の学校へも行けず、秩序立つた勉強の課程も踏めなかつた自分を憐むのであつた。しかしこれを恨みとして、その恨みの根を何処へ持つて行くのかとなると、それはまたあまりに多岐に亙り複雑過ぎて当時の彼には考へ切れなかつた。嘆くより後れ走せでも秘かに学んで追ひ付くより仕方がない。彼はしきりに書物を読まうと努めた。だが才気とカンと苦労で世間のあらましは、すでに結論だけを摘み取つてしまつてゐる彼のやうな人間にとつて、その過程を煩はしく諄く記述してある書物といふものを、どうして迂遠で悪丁寧とより以外のものに思ひ做されようぞ。彼は頁を開くとすぐ眠くなつた。それを努めて読んで行くとその索寞さに頭が痛くなつて、しきりに喉頭へ味なるものが恋ひ慕はれた。彼は美味な食物を漁りに立上つてしまつた。
結局、彼は遣り慣れた眼学問、耳学問を長じさせて行くより仕方なかつた。そしていま迄、下手に謙遜に学び取つてゐた仕方は今度からは、争ひ食つてかゝる紛擾の間に相手から捥ぎ取る仕方に方法を替へたに過ぎなかつた。それほどまでにして彼は尊敬なるものを贏ち得たかつたのであらうか。然り。彼は彼が食味に於て意識的に人生の息抜きを見出す以前は、実に先生といはれる敬称は彼に取つて恋人以上の魅力を持つてゐたのだつた。彼はこの仕方によつて数多の旧知己をば失つたが、僅ばかりの変りものゝ知遇者を得た。世間には啀み合ふ鑼、捩り合ふ銅*(=二字で、ねうばち。再現不能の難漢字)のやうな騒々しいものを混へることに於て、却つて知音や友情が通じられる支那楽のやうな交際も無いことはない。鼈四郎が向き嵌つて行つたのはさういふ苦労胼胝で心の感膜が厚くなつてゐる年長の連中であつた。
その頃、京極でモダンな洋食店のメーゾン檜垣の主人もその一人であつた。このアメリカ帰りの料理人は妙に藝術や藝術家の生活に渇仰をもつてゐて、店の監督の暇には油画を描いてゐた。寝泊りする自分の室は画室のやうにしてゐた。彼は客の誰彼を掴へてはニューヨークの文士村の話をした。巴里の藝術街を真似ようとするこの街はアメリカ人気質と、憧憬による誇張によつて異様で刺激的なものがあつた。主人はそれを語るのに使徒のやうな情熱をもつてした。店の施設にもできるだけ応用した。酒神の祭の夕。青蝋燭の部屋、新しいものに牽かれる青年や、若い藝術家がこの宿に集つたことは見易き道理である。この古都には若い人々の肺には重苦しくて寂寥だけの空気があつた。これを撥ね除け撹き壊すには極端な反撥が要つた。それ故、一般に東京のモダンより、上方のモダンの方が調子外れで薬が強いとされてゐた。
鼈四郎はこの店に入浸るやうになつた。お互ひに基礎知識を欠く弱味を見透すが故に、お互ひに吐き合ふ気焔も圧迫感を伴はなかつた。瓢々とカンのまゝ雲に上り空に架することができた。立会ひに相手を倣慢で呑んでかゝつてから軽蔑の歯を剥出して、意見を噛み合はす無遠慮な談敵を得て、彼等は渾身の力が出し切れるやうに思つた。その間に狡さを働かして耳学問を盗み合ひ、捥ぎ取る利益も彼等には歓びであつた。鼈四郎が東洋趣味の幽玄を高嘯するに対し、檜垣の主人は西洋趣味の生々しさを誇つた。かゝるうち知識は交換されて互ひの薬籠中に収められてゐた。
いつでも意見が一致するのは、藝術至上主義の態度であつた。誤つて下層階級に生ひ立たせられたところから自恃に相応はしい位置にまで自分を取戻すにはカンで攀ぢ登れる藝術と称するもの以外には彼等は無いと感じた。彼等は鑑識の高さや広さを誇つた。この点ではお互ひに許し合つた。琴棋書画、それから女、芝居、陶器、食もの、思想に亙るものまでも、分け距てなく味ひ批評できる彼等をお互ひに褒め合つた。「僕等は、天才ぢやね」「天才ぢやねえ」
檜垣の主人は、胸の病持ちであつた。彼が独身生活を続けるのも、そこから来るのであつたが情慾は強いかして彼の描く茫漠とした油絵にも、雑多に蒐められる蒐集品にも何かエロチックの匂ひがあつた。痩せて青黒い隈の多い長身の肉体は内部から慾求するものを充し得ない悩みにいつも喘いでゐた。それに較べると中脊ではあるが異常に強壮な身体を持つてゐる鼈四郎はあらゆる官能慾を貪るに堪へた。ある種の嗜慾以外は、貪り能ふ飽和点を味ひ締められるが故に却つて恬淡になれた。
檜垣の主人は、鼈四郎を連れて、鴨川の夕涼みのゆかゝら、宮川町辺の赤黒い行燈のかげに至るまで、上品や下品の遊びに連れて歩るいた。そこでも、味ひ剰すがゆゑにいつも暗鬱な未練を残してゐる人間と、飽和に達するがゆゑに明色の恬淡に冴える人間とは極端な対象を做した。鼈四郎は檜垣の主人の暗鬱な未練に対し、本能の浅間しさと共に本能の深さを感じ、檜垣の主人は鼈四郎の肉体に対して嫉妬と驚異を感じた。二人は心秘かに「あいつ偉い奴ぢや」と互ひに舌を巻いた。
起伏表裏がありながら、また最後に認め合ふものを持つ二人の交際は、縄のやうに絡み合ひ段々その結ぼれを深めた。正常な教養を持つ世間の知識階級に対し、脅威を感ずるが故に、睥睨しようとする職人上りで頭が高い壮年者と青年は自らの孤独な階級に立籠つて脅威し来るものを罵る快を貪るには一あつて二無き相手だつた。彼等は毎日のやうに会はないでは寂しいやうになつた。
鼈四郎は檜垣の主人に対しては対蹠的に、いつも東洋藝術の幽邃高遠を主張して立向ふ立場に立つのだが、反噬して来る檜垣の主人の西洋藝術なるものを、その範とするところの名品の複写などで味はされる場合に、躊躇なく感得されるものがあつた。檜垣の主人が持ち帰つたのは主にフランス近代の巨匠のものだつたが、本能を許し、官能を許し、享受を許し、肉情さへ許したもののあることは東洋の躾と道徳の間から僅にそれ等を垣間見させられてゐたものに取つては驚きの外無かつた。恥も外聞も無い露き出しで、きまりが悪いほどだつた。「こいつ等は、まるで素人ぢやねえ」鼈四郎は檜垣の主人に向つてはかうも押へた口を利くやうなものゝ、彼の肉体的感覚は発言者を得たやうに喝采した。
彼はこの店へ出入りをして食べ増した洋食もうまかつたし、主人によつていろいろ話して聴かされた西洋の文化的生活の様式も、便利で新鮮に思はれた。
鼈四郎はこれ等の感得と知識をもつて、彼の育ちの職場に引返して行つた。彼は書画に携る輩に向つてはデッサンを説き、ゴッホとかセザンヌとかの名を口にした。茶の湯生花の行はれる巷に向つては、テイパーティの催しを説き、アペリチーフの功徳を説き、コンポジションとかニュアンスとかいふ洋名の術語を口にした。
東洋の諸藝術にも実践上の必需から来る自らなるそれ等はあつて、たゞ名前と伝統が違つてゐるだけだつた。それゆゑ、鼈四郎のいふことはこれ等に携る人々にもほゞ察しはつき、心ある者は、なんだ西洋とてそんなものかと嵩を括らせはしたが当時モダンの名に於て新味と時代適応性を西洋的なものから採入れようとする一般の風潮は彼の後姿に向つては「葵祭の竹の欄干で」青く擦れてなはると蔭口を利きながら、この古都の風雅の社会は、彼の前に廻つては刺激と思ひ付を求めねばならなかつた。彼の人気は恢復した。三曲の演奏にアンコールを許したり、裸体彫像に生花を配したり、ずゐぶん突飛なことも彼によつて示唆されたが、椅子テーブルの点茶式や、洋食を緩和して懐石の献立中に含めることや、そのときまで、一部の間にしか企てられてゐなかつた方法を一般に流布せしめる椽の下の力持とはなつた。彼は、ところどころで「先生」と呼ばれるやうになつた。
彼はこの勢を駆つて、メーゾン檜垣に集る若い藝術家の仲間に割り込んだ。彼の高飛車と粗雑はさすがに、神経のこまかいインテリ青年たちと肌合ひの合はないものがあつた。彼は彼等を吹き靡け、煙に巻いたつもりでも最後に、沈黙の中で拒まれてゐるコツンとしたものを感じた。それは何とも説明し難いものではあるが彼をして現代の青年の仲間入りしようとする勇気を無雑作に取拉ぐ薄気味悪い力を持つてゐた。彼は考へざるを得なかつた。
春の宵であつた。檜垣の二階に、歓迎会の集りがあつた。女流歌人で仏教家の夫人がこの古都のある宗派の女学校へ講演に頼まれて来たのを幸、招いて会食するものであつた。画家の良人も一しよに来てゐた。テーブルスピーチのやうなこともあつさり切上がり、内輪で寛いだ会に見えた。しかし鼈四郎にとつてこの夫人に対する気構へは兼々雑誌などで見て、納らぬものがあつた。藝術をやるものが宗教に捉はれるなんて——、夫人が仏教を提唱することは、自分に幼時から辛い目を見せた寺や、境遇の肩を持つものゝやうにも感じられた。たうとう彼は雑談の環の中から声を皮肉にして詰つた。夫人が童女のまゝで大きくなつたやうな容貌も苦労なしに見えて、何やら苛め付けたかつた。
夫人はちよつと無礼なといつた面持をしたが、怒りは嚥み込んでしまつて答へた、「いゝえ、だから、わたくしは、何も必要のない方にやれとは申上げちやをりません」鼈四郎は嵩にかゝつて食つてかゝつたが、夫人は「さういふ聞き方をなさる方には申上げられません」と繰返すばかりであつた。世間知らずの少女が意地を張り出したやうに鼈四郎にはとれた。
一時白けた雰囲気の空虚も、すぐまはりから歓談で埋められ、苦り切り腕組をして、不満を示してゐる彼の存在なぞは誰も気付かぬやうになつた。彼の怒りは縮れた長髪の先にまでも漲つたかと思はれた。その上、彼を拗らすためのやうに、夫人は勧められて「京の四季」かなにかを、みんなの余興の中に加つて唄つた。低めて唄つたもののそれは暢やかで楽しさうだつた。良人の画家も列座と一しよに手を叩いてゐる。
すべてが自分に対する侮蔑に感じられてならない鼈四郎は、どんな手段を採つてもこの夫人を圧服し、自分を認めさゝうと決心した。彼は、檜垣の主人を語つて、この画家夫妻の帰りを待ち捉へ、主人の部屋の画室へ、作品を見に寄つて呉れるやう懇請した。その部屋には鼈四郎の制作したものも数々置いてあつた。
彼は遜る態度を装ひ、強ひて夫人に向つて批評を求めた。そこには額仕立ての書画や篆額があつた。夫人はかういふものは好きらしく、親し気に見入つて行つたが、良人を顧みていつた。「ねえ、パパ、美しくできてるけど、少し味に傾いてやしない?」良人は気の毒さうにいつた。「さうだなあ、味だな」鼈四郎は哄笑して、去り気ない様子を示したが、始めて人に肺腑を衝かれた気持がした。良人の画家に「大陸的」と極めをつけられてよいのか悪いのか判らないが、気に入つた批評として笑窪に入つた檜垣の主人まで「さういへば、なるほど、君の藝術は味だな」と相槌を打つ苦々しさ。
鼈四郎は肺腑を衝かれたながら、しかしもう一度執拗に夫人ヘ反撃を密謀した。まだ五六日この古都に滞在して春のゆく方を見巡つて帰るといふ夫妻を手料理の昼食に招いた。自分の作品を無雑作に味と片付けてしまふこの夫人が、一体、どのくらゐその味なるものに鑑識を持つてゐるのだらう。食もので試してやるのが早手廻しだ。どうせ有閑夫人の手に成る家庭料理か、料理屋の形式的な食品以外、真のうまいものは食つてやしまい。もし彼女に鑑識が無いのが判つたなら彼女の自分の作品に対する批評も、惧れるに及ばないし、もし鑑識あるものとしたなら、恐らく自分の料理の技倆に頭を下げて感心するだらう。さすればこの方で夫人は征服でき、夫人をして自分を認め返さすものである。
幸に、夫妻は招待に応じて来た。
席は加茂川の堤下の知れる家元の茶室を借り受けたものであつた。彼は呼び寄せてある指導下の助手の料理人や、給仕の娘たちを指揮して、夫妻の饗宴にかゝつた。
彼はさきの夜、檜垣の歓迎会の晩餐にて、食事のコース中、夫人が何を選み、何を好み食べたか、すつかり見て取つてゐた。ときどき聞きもした。それを努めてしたのではないが、人の嗜慾に対し間諜犬のやうな嗅覚を持つ彼の本能は自づと働いてゐた。夫人の食品の好みは専門的に見て、素人なのだか玄人なのだか判らなかつた。しかし嗜求する蟲の性質はほゞ判つた。
鼈四郎は、献立の定慣や和漢洋の種別に関係なく、夫人のこの蟲に向つて満足さす料理の仕方をした。あゝ、そのとき、何といふ人間に対する哀愛の気持が胸の底から湧き出たことだらう。そこにはもう勝負の気もなかつた。征服慾も、もちろんない。
あの大きな童女のやうな女をして眼を瞠らせ、五感から享け入れる人の世の満足以上のものを彼女をして無邪気に味ひ得しめたなら料理それ自身の手柄だ。自分なんかの存在はどうだつてよい。彼はその気持から、夫人が好きだといつた、季節外れの蟹を解したり、一口蕎麦を松江風に捏ねたりして、献立に加へた、ふと幼いとき、夜泣きして、疳の蟲の好く、宝来豆といふものを欲しがつたとき老僧の父がとぼとぼと夜半の町へ出て買つて来て呉れたときの気持を想ひ出した。鼈四郎は捏ね板へ涙の雫を落とすまいとして顔を反向けた。所詮、料理といふものは労りなのであらうか。そして労りごころを十二分に発揮できる料理の相手は、白痴か、子供なのではあるまいか。
しかし鼈四郎は夫人が通客であつた場合を予想し、もしその眼で見られても恥しからぬやう、坂本の諸子川の諸子魚とか、鞍馬の山椒皮なども、逸早く取寄せて、食品中に備へた。
夫人は、大事さうに、感謝しながら食べ始めた。「この子附け鱠の美しいこと」「このえび藷の肌目のこまかく煮えてますこと」それから唇にから揚の油が浮くやうになつてからは、たゞ「おいしいわ」「おいしいわ」といふだけで、専心に喰ベ進んで行く。鼈四郎は、再び首尾はいかゞと張り詰めてゐたものが食品の皿が片付けられる毎に、ずしんずしんと減つて、気の衰ヘをさへ感ずるのだつた。
夫人も健啖だつたが、画家の良人はより健啖だつた。みな残りなく食べ終り、煎茶茶椀を取上げながらいつた。「ご馳走さまでした。御主人に申すが、この方が、よつぽど、あんたの藝術だね」そして夫人の方に向ひ、それを皮肉でなく、好感を持つ批評として主人に受取らせるやう夫人の註解した相槌を求めるやうな笑ひ方をしてゐた。夫人も微笑したが、声音は生真面目だつた。
「わたくしも、警句でなく、ほんとにさう思ひますわ。立派な藝術ですわ」
鼈四郎は図星に嵌めたと思ふと同時に、ぎくりとなつた。彼はいかにふだん幅広い口を利かうと、衷心では料理より、琴棋書画に位があつて、先生と呼ばれるに相応はしい高級の藝種であるとする世間月並の常識を無みしやうもない。その高きものを前日は味とされ、今日低きものに於て藝術たることを認められた。天分か、教養か、どちらにしろ、もはや自分の生涯の止めを刺された気がした。この上、何をかいはうぞ。
加茂川は、やゝ水嵩増して、さゝ濁りの流勢は河原の上を八千岐に分れ下へ落ちて行く、蛇籠に阻まれる花芥の渚の緑の色取りは昔に変りはないけれども、魚は少くなつたかして、漁る子供の姿も見えない。堤の芽出し柳の煙れる梢に春なかばの空は晴れみ曇りみしてゐる。
しばらく沈黙の座に聞澄してゐる淙々とした川音は、座をそのままなつかしい国へ押し移す。鼈四郎は、この川下の対岸に在つて大竹原で家棟は隠れて見えないけれども、まさしくこの世に一人残つてゐる母親のことを思ひ出す。女餓鬼の官女のやうな母親はそこで食味に執しながら、一人息子が何でもよいたつきの業を得て帰つて来るのを待つてゐる。しばらく家へは帰らないが、拓本職人の親方の老人は相変らず、小学校の運動会を漁り歩き遊戯をする児童たちのいたいけな姿に老いの迫るを忘れようと努めてゐるであらうか。
鼈四郎は、笑ひに紛らしながら、幼時、母子二人の夕餉の菜のために、この河原で小魚を掬ひ帰つた話をした。「いまゝで、ずゐぶん、いろいろなうまいものも食ひましたが、いま考へてみると、あのとき母が煮て呉れた雑魚の味ほどうまいと思つたものに食ひ当りません」それから彼は、けふ、料理中に感じたことも含めて、「すると、味と藝術の違ひは労りがあると、無いとの相違でせうかしら」といつた。
これに就き夫人は早速に答へず、先づ彼等が外遊中、巴里の名料理店フォイヨで得た経験を話した。その料理店の食堂は、扉の合せ目も床の敷ものも物音立てぬやう軟い絨氈や毛織物で用意された。色も刺激を抜いてある。天井や卓上の燭光も調節してある。総ては食味に集中すべく心が配られてある。給仕人はイゴとか男性とかいふいかついものは取除かれた品よく晒された老人たちで、いづれはこの道で身を滅した人間であらう、今は人が快楽することによつて自分も快楽するといふ自他移心の術に達してるやうに見ゆる。食事は聖餐のやうな厳かさと、ランデブウのやうなしめやかさで執り行はれて行く。今やテーブルの前には、はつ夏の澄める空を映すかのやうな薄浅黄色のスープが置かれてある。いつの間に近寄つて来たか給仕の老人は輪切りにした牛骨の載れる皿を銀盤で捧げて立つてゐる。老人は客が食指を動し来る呼吸に坩を合せ、ちよつと黙礼して匙で骨の中から髄を掬ひ上げた。汁の真中へ大切に滑り浮す。それは乙女の娘生のこゝろを玉に凝らしたかのやうにぶよぶよ透けるが中にいさゝか青春の潤みに澱んでゐる。それは和食の鯛の眼肉の羹にでも当る料理なのであらうか。老人は恭しく一礼して数歩退いて控へた。いかに満足に客がこの天の美漿を啜ひ取るか、成功を祈るかのやうに敬虔に控へてゐる。もちろん料理は精製されてある。サービス満点である。以下デザートを終へるまでのコースにも、何一つ不足と思へるものもなく、いはゆる善盡し、美盡しで、感嘆の中に食事を終へたことである。
「しかしそれでゐて、私どもにはあとで、嘗めこくられて、扱ひ廻されたといふ、後口に少し嫌なものが残されました」
「面と向つて、お褒めするのも気まりが悪うございますから、あんまり申しませんが、さういつちや何ですが、今日の御料理には、ちぐはぐのところがございますけれど、まことゝいふものが徹してゐるやうな気がいたしました」
意表な批評が夫人の口から次々に出て来るものである。料理に向つてまことなぞといふ言葉を使つたのを鼈四郎は嘗て聞いたことはない。そして、まこと、まごゝろ、かういふものは彼が生れや、生ひ立ちによる拗ねた心からその呼名さへ耳にすることに反感を持つて来た。自分がもしそれを持つなら、まるで、変り羽毛の雛鳥のやうに、それを持たない世間から寄つて蝟つて突き苛められてしまふではないか。弱きものよ汝の名こそ、まこと。自分にさういふものを無みし、強くあらんがための藝術、偽りに堪へて慰まんため藝術ではないか。歌人の藝術家だけに旧臭く否味なことをいふ。道徳かぶれの女学生でもいひさうな藝術批評。歯牙に懸けるには足りない。
鼈四郎はかう思つて来ると夫妻の権威は眼中に無くなつて、肩肘がむくむくと平常通り聳立つて来るのを覚えた。「はゝゝゝ、まこと料理ですかな」
車が迎へに来て、夫妻は暇を告げた。鼈四郎はこれからどちらへと訊くと、夫妻は壬生寺へお詣りして、壬生狂言の見物にと答へた。鼈四郎は揶揄して「善男善女の慰安には持つて来いですね」といふと、ちよつと眉を顰めた夫人は「あれをあなたは、さう、おとりになりますの、私たちは、あの狂言のでんがんでんがんといふ単調な鳴物を地獄の音楽でも聞きに行くやうに思つて参りますのよ」といふと、良人の画家も、実は鼈四郎の語気に気が付いてゐて癪に触つたらしく「君、おれたちは、善男善女でもこれで地獄は一遍たつぷり通つて来た人間たちだよ。だが極楽もあまり永く場塞ぎしては済まないと思つて、また地獄を見付けに歩るいてゐるところだ。さう甘くは見なさるなよ」と窘めた。夫人はその良人の肘をひいて「こんな美しい青年を咎め立するもんぢやありませんわ。人間の藝術品が壊れますわ」自分のいつたことを興がるのか、わつわと笑つて車の中ヘ駈け込んだ。
鼈四郎はその後一度もこの夫妻に会はないが、彼の生涯に取つてこの春の二回の面会は通り魔のやうなものだつた。折角設計して来た自分らしい楼閣を不逞の風が浚ひ取つた感じが深い藝術なるものを通して何かあることは感づかせられた。しかし今更、宗教などといふ黴臭いと思はれるものに関る気はないし、さうかといつて、夫人のいつたまこととかまごころといふものを突き詰めて行くのは、安道学らしくて身慄ひが出るほど、怖気が振へた。結局、安心立命するものを捉へさへしたらいゝのだらう。死の外にそれがあるか。必ず来て総てが帳消しされる死、この退つ引ならないものへ落付きどころを置き、その上での生きてるうちが花といふ気持で、せいぜい好きなことに殉じて行つたなら、そこに出て来る表現に味とか藝術とかの岐れの議論は立つまい。「いざとなれば死にさへすればいいのだ」鼈四郎は幼い時分から辛い場合、不如意な場合には逃れずさまよひ込み、片息をついたこの無可有の世界の観念を、青年の頭脳で確と積極的に思想に纒め上げたつもりでゐる。これを裏書するやうに檜垣の主人の死が目前に見本を示した。
檜垣の主人は一年ほどまへから左のうしろ頚に癌が出はじめた。始めは痛みもなかつた。ちよつと悪性のものだから切らん方がよいといふ医師の意見と処方に従つてレントゲンなどかけてゐたが、癌は一時小さくなつて、また前より脹れを増した。たうとう痛みが来るやうになつた。医者も隠し切れなくなつたか肺臓癌がこゝに吹出したものだと宣告した。これを聞いても檜垣の主人は驚かなかつた。「したいと思つたことでできなかつたこともあるが、まあ人に較べたらずゐぶんした方だらう」「この辺で節季の勘定を済すかな」笑ひながらさういつた。それから身の上の清算に取りかゝつた。店を人に譲り総ての貸借関係を果すと、少しばかり余裕の金が残つた。「僕は賑かなところで死にたい」彼はそれをもつて京極の裏店に引越した。美しい看護婦と、気に入りのモデルの娘を定まつた死期までの間の常傭ひにして、そこで彼は彼の自らいふ「天才の死」の営みにかゝつた。
売り惜んだ彼が最後に気に入りの蒐集品で部屋の中を飾つた。それでも狭い部屋の中は一ぱいで猶太人の古物商の小店ほどはあつた。
彼はその部屋の中に彼が用いつけの天蓋附のベッドを据ゑた。もちろん贋ものであらうが、彼はこれを南北戦争時分にアメリカへ流浪した西班牙王属出の吟遊詩人が用ゐたものだといつてゐた。柱にラテン文字で詩は彫り付けてあるにはあつた。彼はそこで起上つて画を描き続けた。
癌はときどき激しく痛み出した。服用の鎮痛剤ぐらゐでは利かなかつた。彼は医者に強請んで麻痺薬を注射して貰ふ。身体が弱るからとてなかなか注して呉れない。全身、蒼黒くなりその上痩さらばふ骨の窪みの皮膚にはうす紫の隈まで、漂ひ出した中年過ぎの男は脹れ嵩張つたうしろ頚の瘤に背を跼められ侏儒にして餓鬼のやうである。夏の最中のことゝて彼は裸でゐるので、その見苦しさは覆ふところなく人目を寒気立たした。痛みが襲つて来ると彼はその姿でベッドの上で踠き苦しむ。全身に水を浴びたやうな脂汗をにじみ出し長身の細い肢体を捩らし擦り合せ、甲斐ない痛みを扱き取らうとするさまは、蛇が難産をしてゐるところかなぞのやうに想像される。いくら認め合つた親友でも、鼈四郎は友の苦しみを看護ることは好まなかつた。
苦しみなぞといふものは自分一人のものだけでさへ手に剰つてゐる。殊に不快といふことは人間の感覚に染み付き易いものだ。藝術家には毒だ。避けられるだけ避けたい。そこで鼈四郎は檜垣の病主人に苦悶が始まる、と、すーつと病居を抜け出て、茶を飲んで来るか、喋つて来るのであつた。だが病友は許さなくなつた。「なんだ意気地のない。しつかり見とれ、かく成り果てるとまた痛快なもんぢやから——」息を喘がせながらいつた。
鼈四郎は、手を痛いほど握り締め、自分も全身に脂汗をにじみ出させて、見ることに堪へてゐた。死は惧ろしくはないが、死ヘ行くまでの過程に嫌なものがあるといふ考へがちらりと念頭を掠めて過ぎた。だがさういふことは病主人が苦悶を深め行くにつれ却つて消えて行つた。あまりの惨ましさに痺れてぽかんとなつてしまつた鼈四郎の脳底に違つたものが映り出した。見よ、そこに蠢くものは、もはやそれは生物ではない。埃及のカタコンブから掘出した死蝋であるのか、西蔵の洞窟から運び出した乾酪の屍体であるのか、永くいのちの息吹きを絶つた一つの物質である。しかも何やら律動してゐるところは、現代に判らない巧妙繊細な機械仕掛けが仕込まれた古代人形のやうでもある。蒼黒く燻んだ古代人形はほゞ一定の律動をもつて動く、くねくね、きゆーつぎゆつと踠いて、もくんと伸び上る。頽れて、そして絶息するやうにふーむと唵{うめ}く。同じ事が何度も繰返される。モデル娘は惨ましさに泣きかけた顔ををかしさで歪み返させられ、妙な顔になつて袖から半分覗かしてゐる。看護婦は少し怒りを帯びた深刻な顔をして団扇で煽いでゐる。
鼈四郎は気付いた。病友はこの苦しみの絶頂にあつて遊ばうとしてゐるのだ。彼は痛みに対抗しようとする肉体の自らなる踠きに、必死とリズムを与へて踊りに拵へてゐるのだ。さうすることが少しでも病痛の紛らかしになるのか、それとも友だちの、ふだんいふ「絶倫の藝術」を自分に見せようため骨を折つてゐるのか。病友はまた踊る、くねくね、ぎゆーつ、きゆ、もくんもくんそして頽れ絶息するやうにふーむと唵く。それは回教徒の祈祷の姿に擬しつゝ実は、聞えて来る活動館の安価な楽隊の音に合はせてゐるのだつた。
鼈四郎が、なほ愕いたことは、病友は、さうしながら向ふ側の壁に姿見鏡を立てかけさせ、自分の悲惨な踊りを、自ら映しみて効果を味つてゐることだつた。映像を引立たせる背景のため、鏡の縁の中に自分の姿と共に映し入るやう、青い壁絨と壺に夏花までベッドの傍に用意してあるのだつた。鼈四郎に何か常識的な怒りが燃えた。「病人に何だつて、こんなばかなことをさしとくのだ」鼈四郎はモデルの娘に当つた。モデル娘は「だつて、こちらが仰しやるんですもの」と不服さうにいつた。病友はつまらぬ咎め立をするなと窘める眼付をした。
三度に一度の願ひが叶つて医者に注射をして貰つたときには病友は上機嫌で、へらりへらり笑つた。食慾を催して鼈四郎に何を作れかにを作れと命じた。
葱とチーズを壷焼にしたスープ、ア・ロニオンとか、牛舌のハヤシライスだとか、莢隠元のベリグレット・ソースのサラダとか、彼がふだん好んだものを註文したので鼈四郎は拵ヘ易かつた。しかし家鴨の血を絞つてその血で家鴨の肉を煮る料理とか、大鰻をぶつ切りにして酢入りのゼリーで寄せる料理とか鼈四郎は始めてゞ、ベッドの上から病友に指図され乍らもなかなか加減は難しかつた。家鴨の血をアルコールランプにかけた料理盤で掻き混ぜてみると上品なしる粉ほどの濃さや粘りとなつた。これを塩胡椒し、家鴨の肉の截片を入れてちよつと煮込んで食べるのだが、鼈四郎は味見をしてみるのに血生臭いことはなかつた。巴里の有名な鴨料理店の家の藝の一つでまづ凝つた贅沢料理に属するものだと病友はいつた。鰻の寄せものは伊太利移民の貧民街などで辻売してゐる食品で、下層階級の食べものだといつた。うまいものではなかつた。病友はそれらの食品にまつはる思ひ出でも楽しむのか、拵へてやつてもろくに食べもしないで、しかし次々にふらふらと思ひ出しては註文した。鴨のない時期に、鴨に似た若い家鴨を探したり、夏長けて莢は硬ばつてしまつた中からしなやかな莢隠元を求めたり、鼈四郎は走り廻つた。病友はまたずつと溯つた幼時の思ひ出を懐しまうとするのか、フライパンで文字焼を焼かせたり、炮烙で焼芋を作らせたりした。
これ等を鼈四郎は、病友が一期の名残りと思へばこそ奔走しても望みを叶へさしてやるのだが、病友はこれ等を娯しみ終りまだ薬の気が切れずに上機嫌の続く場合に、鼈四郎を遊び相手に労すのにはさすがの鼈四郎も、病友が憎くなつた。病友は鼈四郎にうしろ頚に脹れ上つて今は毬が覗いてゐるほどになつてゐる癌の瘤へ、油絵の具で人の顔を描けといふのである。「誰か友だちを呼んで見せて、人面疽が出来たと巫山戲てやらう」鼈四郎が辞んでも彼は訊入れなかつた。鼈四郎は渋々筆を執つた。繃帯を除くとレントゲンの光線焦けと塗り藥とで鰐皮色になつてゐる堆いものゝ中には執拗な反人間の意志の固りが秘められてゐるやうに思はれる。内側からしんの繁凝が円味を支へ保ち、そしてその上に程よい張度の肉と皮膚が覆つてゐる腫物は、鋭いメスをぐさと刺し立てたい衝動と、その意地張つた凝り固りには、ひよぐつて揶揄してやるより外に術はないといふ感じを与へられる。腫物の皮膚に油絵の具のつきはよかつた。彼は絵の具を介して筆尖でこの怪物の面を押し擦るタッチのうちに病友がいかにこの腫物を憎んだか。そして憎み剰つた末が、悪戯ごゝろに気持をはぐらかさねばならないわけが判るやうな気がした。「思ひ切り、人間の、苦痛といふものをばかにした顔に描いてやれ、腫物とは見えない人の顔に」彼は、人の顔らしく地塗りをし、隈取りをし鼻、口、眼と描き入れかけた。病友はこゝまで歯を食ひ縛つて我慢してゐたが、「た た た た 、 た た た た」といつて身体をすさらせた。彼はいつた。「さすがに堪らん、もう、えゝ、あとはたれか痛みの無くなつた死骸になつてから描き足して呉れ」それゆゑ、腫物の上に描いた人の顔は瞳は一方しか入れられずに、しかも、ずつてゐる。鼈四郎は病友がいつた通り彼が死んでからも顔を描き上げようとはしなかつた。隻眼を眇にして睨みながら哄笑してゐる模造人面疽の顔は、ずつた偶然によつて却つて意味を深めたやうに思へた。人生の不如意を、諸行無常を眺めやる人間の顔として、なんで、この上、一点の描き足しを附け加へる必要があらう。
鼈四郎は病友の屍体の肩尖に大きく覗いてゐる未完成の顔をつくづく見瞠り「よし」と独りいつて、屍体を棺に納め、共に焼いてしまつたことであつた。
病友に痛みの去る暇なく、注射は続いた。流動物しか摂れなくなつて、彼はベッドに横たはり胸を喘ぐだけとなつた。鼈四郎は、それが夜店の膃肭臍売りの看板である膃肭臍の乾物に似てゐるので、人間も変れば変るものだと思ふだけとなつた。病友は口から入れるものは絶ち、苦痛も無くなつてしまつたらしい。医者は臨終は近いと告げた。看護婦もモデルの娘も涙の眼をしよぼしよぼさせながら帰り支度の始末を始め出した。病友は朦々として眠つてゐるのか覚めてゐるのか判らない場合が多い。けれども咽頭奥で呟くやうな声がしてゐるので鼈四郎が耳を近付けてみると、唄を唄つてゐるのだつた。病友がかういふ唄を唄つたことを一度も鼈四郎は聞いたことはなかつた。覚束ない節を強ひて聞分けてみると、それは子守唄だつた。「ねんころりよ、ねんころりねんころり」
鼈四郎の顔が自分に近付いたのを知つて病友は努めて笑つた。そして喘ぎ喘ぎいふ文句の意味を理解に綴つてみるとかういふのだつた。「どこを見渡してもさつぱりしてしまつて、まるで、何にもない。いくら探しても遺身の品におまへにやるものが見付からないので困つた。さうさう伯母さんが東京に一人ゐる。これは無くならないでまだある。遠方にうすくぼんやり見える。これをおまへにやる。こりやいゝもんだ。やるからおまへのお伯母さんにしなさい。」
病友は死んだ。店の旧取引先か遊び仲間の知友以外に京都には身寄りらしいものは一人も無かつた。東京の伯母なるものに問合すと、年老いてることでもあり葬儀万端然るべくといふ返事なので鼈四郎は、主に立つて取仕切り野辺の煙りにしたことであつた。
その遺骨を携へて鼈四郎は東京に出て来た。東京生れの檜垣の主人はもはや無縁同様にはなつてゐるやうなものゝ菩提寺と墓地は赤坂青山辺に在つた。戸主のことではあり、ともかく、骨は菩提寺の墓に埋めて欲しいといふ伯母の希望から運んで来たのであつたが、鼈四郎は東京のその伯母の下町の家に落付き、埋葬も終へて、序にこの巨都も見物して京都に帰らうとする一ヶ月あまりの間に、鼈四郎はもう伯母の擒となつてゐた。
この伯母は、女学校の割烹教師上りで、草創時代の女学校とてその他家政に属する課目は何くれとなく教へてゐた。時代後れとなつて学校を退かされてもこれが却つて身過ぎの便りとなり、下町の娘たちを引受けて嫁入り前の躾をする私塾を開いてゐた。伯母は身うちには薄倖の女で、良人には早く死に訣れ、四人ほどの子供もだんだん欠けて行き、末の子の婚期に入つたほどの娘が一人残つて、塾の雑事を賄つてゐた。貧血性のおとなしい女で、伯母に叱られては使ひ廻され、塾の生徒の娘たちからは姉さんと呼ばれながら少しばかにされてゐる気持があつた。何かいはれると、おどおどしてゐるやうな娘だつた。
伯母はむかし幼年で孤児となつた甥の檜垣の主人を引取り少年の頃まで、自分の子供の中に加へて育てたのであつたが、以後檜垣の主人は家を飛出し、外国までも浮浪ひ歩るいて音信不通であつたこの甥に対し、何の愛憎も消え失せてゐるといつた。しかし、このまま捨置くことなら檜垣の家は後嗣絶えることになるといつた。
甥の檜垣の家が宗家で、伯母はその家より出て分家へ嫁に行つたものである。伯母はいつた、自分の家は廃家しても関はぬ、しかし檜垣の宗家だけは名目だけでも取留めたい。そこで相談である。もし「それほど嫌でなかつたら——」自分の娘を娶つて呉れて、できた子供の一人を檜垣の家に与へ、家の名跡だけでも復興さして貰ひ度い。さすれば自分に取つては宗家への孝行となるし、あなたにしても親友への厚い志となる。「第一、貰つて頂き度い娘は、檜垣に取つてたつた一人の従兄弟女である。これも何かのご縁ではあるまいか」
始めこの話を伯母から切出されたときに鼈四郎は一笑に附した。あのやうやう(=飛揚の意の、難漢字)として藝術三昧に飛揚して没せた親友の、音楽が済み去つたあとで余情だけは残るものゝその木地は実は空間であると同じやうな妙味のある片付き方で終つた、その病友の生涯と死に対し、伯母の提言はあまりに月並な世俗の義理である。どう矧ぎ合はしても病友の生涯の継ぎ伸ばしにはならない。伯母のいふ末の娘とて自分に取り何の魅力もない。「そんなことをいつたつて——」鼈四郎はひよんな表情をして片手で頭を抱へるだけであつたが、伯母の説得は間がな隙がな弛まなかつた。「あなたも東京で身を立てなさい。東京はいゝところですよ」といつて、鼈四郎の才能を鑑検し、急ぎ蛍雪館はじめ三四の有力な家にも小遣ひ取りの職仕を紹介してこの方面でも鼈四郎を引留める錨を結びつけた。伯母は蛍雪館が下町に在つた時分姉娘のお千代を塾で引受けて仕込んだ関係から蛍雪とは眤懇の間柄であつた。
何といふ無抵抗無性格な女であらうか。鼈四郎は伯母の末の娘で檜垣の主人の従姉妹に当るこの逸子といふ女の、その意味での非凡さにもやがて搦め捕られてしまつた。鼈四郎のやうな生活の些末の事にまで、タイラントの棘が突出てゐる人間に取り、性抜きの薄綿のやうな女は却つて引懸り包まれ易い危険があつたのだつた。鼈四郎の世間に対する不如意の気持から来る八つ当りは、横暴ないひ付けとなつて手近かのものへ落ち下る。彼女はいつもびつくりした愁ひ顔で「はいはい」といひ、中腰駈足でその用を足さうと努める。自分の卑屈な役割は一度も顧ることなしに、また次の申付けをおどおどしながら待受けてゐるさまは、鼈四郎には自分が電気を響かせるやうで軽蔑しながら気持がよいやうになつた。世を詛ひ剰つて、意地悪く吐出す罵倒や嘲笑の鋒尖を彼女は全身に刺し込まれても、たゞ情無く我慢するだけ、苦鳴の声さヘ聞取られるのに臆してゐる。肌目がこまかいだけが取得の、無味で冷たく弱々しい哀愁、焦れもできない馬鹿正直さ加減。一方、伯母は薄笑ひしながら説得の手を緩めない。鼈四郎としては「何の」と思ひながら、逸子が必要な身の廻りのものとなつた。結婚同様の関係を結んでしまつた。ずるずるべつたりに伯母の望む如く、鼈四郎は、東京居住の人間となり逸子を妹と呼ぶことにしてしまつた。そして檜垣の主人が死ぬ前に譫言にいつた「伯母をおまへにやる。おまへの伯母にしろ」といつた言葉が筋書通りになつた不思議さを、ときどき想ひ見るのであつた。
京都に一人残つてゐる生みの母親、青年近くまで養つてくれた拓本の老職人のことも心にかゝらないことはないけれども、鼈四郎の現在のやうな境遇には彼等との関係はもとからの因縁が深いだけに、それを考へに上すことは苦しかつた。この撥ぜ開けた巨都の中で一旗揚げる慾望に燃え盛つて来た鼈四郎に取り、親友でこそあれ、他人の伯母さんを伯母さんと呼ぶくらゐの親身さが抜き差しができて責任が軽かつた。責任が軽くて世話をして呉れる老女は便利だつた。しかし生きてるうちは好みに殉じ死に向つてはこれを遊戯視して、一切を即興詩のやうに過したかに見えた檜垣の主人が譫言の無意識でたゞ一筋、世俗な絲をこの世に曳き遺し、それを友だちの自分に絡みつけて行つて、しかもその絲が案外、生あたゝかく意味あり気なのを考へるのは嫌だつた。
伯母が世話をして呉れた下町の三四の有力な家の中で、鼈四郎は蛍雪館の主人に一ばん深く取入つてしまつた。
蛍雪館の主人は、江戸つ子漢学者で、少壮の頃は、当時の新思想家に違ひなかつた。講演や文章でかなり鳴した。油布の支那服なぞ着て、大陸政策の会合なぞへも出た。彼の説は時代遅れとなり妻の変死も原因して彼は公的のものと一切関係を断ち、売れさうな漢字辞典や、受験本を書いて独力で出版販売した。当つたその金で彼は家作や地所を買入れ、その他にも貨殖の道を講じた。彼は小富豪になつた。
彼は鰥で暮してゐた。姉のお千代に塾をひかしてから主婦の役をさせ、妹のお絹は寵愛物にしてゐた。蛍雪の性癖も手伝ひ、この学商の家庭には檜垣の伯母のやうなもの以外出入りの人物は極めて少かつた。新来とはいへ蛍雪に取つて鼈四郎は手に負へない清新な怪物であつた。琴棋書画等趣味の事にかけては大概のことの話相手になれると同時に、その話振りは思はず熱意をもつて蛍雪を乗り出させるほど、話の局所々々に、逆説的な弾機を仕掛けて、相手の気分にバウンドをつけた。中でも食味については鼈四郎は、実際に食品を作つて彼の造詣を証拠立てた。偏屈人に対しては妙に心理洞察のカンのある彼は、食道楽であるこの中老紳士の舌を、その方面から暗んじてしまつて、嗜慾をピアノの鍵板のやうに操つた。鰥暮しで暇のある蛍雪は身体の中で脂肪が燃えでもするやうにフウフウ息を吐きながら、一日中炎天の下に旅行用のヘルメットを冠つて植木鉢の植木を剪り嘖んだり、飼ものに凝つたり、猟奇的な蒐集物に浮身を俏したりした。時には自分になまじひ物質的な利得ばかりを与へながら昔日の尊敬を忘れ去り、学商呼ばはりする世情を、気狂ひのやうになつて悲憤慷慨することもある。そんな不平の反動も混つて蛍雪の喰べものへの執し方が激しくなつた。
蛍雪が姉娘のお千代を世帯染みた主婦役にいためつけながら、妹のお絹に当世の服装の贅を尽させ、芝の高台のフランスカトリックの女学校へ通はせてほくほくしてゐるのも、性質からしてお絹の方が気に入つてるには違ひないが、やはり、物事を極端に偏らせる彼の凝り性の性癖から来るものらしかつた。彼は鼈四郎が来るまへから鼈の料理に凝り出してゐたのだが、鼈鍋はどうやらできたが、鼈蒸焼は遣り損じてばかりゐるほどの手並だつた。鼈四郎は白木綿で包んだ鼈を生埋めにする熱灰を拵へる薪選み方、熱灰の加減、蒸し焼き上る時間など、慣れた調子で苦もなくしてみせ、蛍雪は出来上つたものを毟つて生醤油で食べると近来にない美味であつた。それまで鼈四郎は京都で呼び付けられてゐた與四郎の名を通してゐたのだつたが、以後、蛍雪は與四郎を相手させることに凝り出し、手前勝手に鼈四郎と呼名をつけてしまつた。娘の姉妹もそれについて呼び慣れてしまふ。独占慾の強い蛍雪は、鼈四郎夫妻に住宅を与ヘ僅に食べられるだけの扶養を与へて他家への職仕を断らせた。
鼈四郎は、蛍雪館へ足を踏み入れ妹娘のお絹を一目見たときから「おやつ」と思つた。これくらゐ自分とは縁の遠い世界に住む娘で、そしてまたこれくらゐ自分の好みに合ふ娘はなかつた。いつも夢見てゐるあどけない恰好をしてゐて、そしてかすかに皮肉な苦味を帯びてゐる。青ものの走りが純粋無垢でありながら、何か捥ぎ取られた将来の生ひ立ちを不可解の中に藏してゐる一つの権威、それにも似た感じがあつた。
お絹は人出入稀れな家庭に入つて来た青年の鼈四郎を珍しがりもせず、ときどきは傍にゐても、忘れたかのやうに、うち捨てゝ置いたまゝひとりで夢見たり、遊んだりした。母無くして権高な父の手だけで育つたためか、そのとき中性型で高貴性のある寂しさがにじんだ。鼈四郎が美貌であることは最初から頓着しないやうだつた。姉娘のお千代の方が顔を赧めたり戸惑ふ様子を見せた。
鼈四郎はお絹に向ふと、われならなくに一層肩肘を張り、高飛車に出るのをどうしやうもない。その心底を見透すものゝやうにまたさうでもないやうに、ふだん伏眼勝ちの煙れる瞳をゆつくり上げて、この娘はまともに青年を瞠入るのであつた。すると鼈四郎は段違ひといふ感じがして身の卑しさに心が竦んだ。
だが、鼈四郎は、蛍雪の相手をする傍ら、姉妹娘に料理法を教へることをいひ付かり、お絹の手を取るやうにして、仕方を授ける間柄になつて来ると、鼈四郎は心易いものを覚えた。この娘も料理の業は普通の娘同様、あどけなく手緩かつた。それは着物の綻びから不用意に現してゐる白い肌のやうに愛らしくもあつた。彼は娘の間の抜けたところを悠々と味ひながら叱りもし罵りもできた。お絹はかういふときは負けてゐず、必ず遣り返したが、この青年の持つ秀でた技倆には、何か関心を持つて来たやうだつた。鼈四郎は調子づき、自己吹聴がてら彼の藝術論など喋つた。遠慮は除れた。しかしたゞそれだけのものであつた。この娘こそ蟲が好く蟲が好くと思ひながら、鼈四郎は、逸子との変哲もない家庭生活に思はず月日を過し子供も生れてしまつた。もう一人檜垣の家の後嗣に貰へる筈の子供が生れるのを伯母さんは首を長くして待受けてゐる。
今宵、霧の夜の、闇の深さ、粘りこさにそゝられて鼈四郎は珍らしく、自分の過ぎ来た生涯を味ひ返してみた。死をもつて万事清算がつく絶対のものと思ひ定め、それを落付きどころとして、その無からこの生を顧り、須叟の生なにほどの事やあると軽く思ひ做されるこゝろから、また死を眺めやつてこれも軽いものに思ひ取る。幼時の体験から出発して今日までに思想にまで纒め上げたつもりの考へ。
しかる上は生きてるうちが花と定めて、できることなら仕度い三昧を続けて暮さうといふ考へは、だんだんあやしくなつて来た。何一つ自分の思ふことゝてできたものはない。たつた一つこれだけは漁り続けて来たつもりの食味すら、それに纒る世俗の諸事情の方が多くて自分を意外の方向へ押流し、使ひ廻す梃にでもなつてゐるやうな気がする。
霰が降る。深くも、粘り濃い闇の中に。いくら降つても降り白められない闇を、いつかは降り白められでもするかと、しきりに降り続けてゐる。
夜も更けたかして、あたりの家の物音は静り返り、表通りを通る電車の轟きだけがときどき響く。隣の茶の間で寝付いたらしい妻は、ときどき泣かうとする子供を「 おとうさんがおとうさんが」と囁いて乳房で押て黙らせ、またかすかな寝息を立てゝゐる。鼈四郎が家にゐる間は、気難しい父を憚り、母のいふこの声を聞くと共に、子供は泣きかゝつても幼ごゝろに歯を食ひ縛り、我慢をする癖を鼈四郎は今宵はじめて憐れに思つた。没くなつた父の老僧は、もし子供が不如意を託つて「なぜ、こんな世の中に自分を生んだか」と、父を恨むやうな場合があつたら、「こつちが頼みもしないのに、なぜ生れた。お互ひさまだ。」といつて聞かせと、母にいひ置いたさうだが、今宵考へてみれば、亡父は考へ抜いた末の言葉のやうにも思へる。子供にも彼自身に知られぬ意志がある。
お互ひさまでわけが判らぬ中に、父は自分を遺し、自分はこの子を遺してゐる。父のそのいひ置きを伝へた母は、また、その実家の罪滅しのためとて、若い身空ですべての慾情を断つたつもりでも、食意地だけは断たれず、嘆きつゝもそれを自分の慾情の上に伝へてゐる。少年の頃、自分がうまいものをよそで饗ばれて帰つて話すとき、母は根掘り葉掘り詳しく聞き返し、まるで自分が食べでもしたやうな満足さで顔を生々とさしたではないか。そして自分が死水を取つてやつた唯一の親友の檜垣の主人は、結局その姪を自分に妻あはして、後嗣の胤を取らうとする仕掛を、死の断末魔の無意識中にあつさり自分に伏せてゐる。かう思つて来ると、世の中に自分一代で片付くものとては一つも無い。自分だけで成せたと思ふものは一つもない。みな亡父のいふお互ひさまで、続かり続け合つてゐる。はじめて気の付くのは、いつぞや京都の春で、二回会つたきりの画家と歌人夫妻のいつた言葉だ。「おれたちは、極楽の場塞げを永くするのも済まないと思つて、地獄の席を探してゐるところだ」と。さうしてみると、せんせいたちもこの断ち切れないお互ひのものには、ぞつこん苦労した連中かな。夫人のいつた、まこと、まごゝろといふものも、安道徳のそれではなくて一癖も二癖もある底の深い流れにあるらしいものを指すのか。それは何ぞ。
夜はしんしんと更けて、いよいよ深みまさり、粘り濃く潤ふ闇。無限の食慾をもつて降る霰を、下から食ひ貪り食ひ貪り飽くことを知らない。ひよつと見方を変へれば、永遠に、霰を上から吐きに吐くとも見える。ひつきやう食ひつゝ吐きつゝ食ひつゝ飽き足るといふことを知らない闇。こんな逞しい食慾を鼈四郎はまだ嘗て知らなかつた。死を食ひ生を吐くものまたかくの如きか。
闇に身を任せ、われを忘れて見詰めてゐると闇に艶かなものがあつて、その潤ひと共に、心をしきりに弄られるやうな気がする。お絹? はてな。これもまた何かの仕掛かな。
大根のチり鍋は、とつくに煮詰つて、鍋底は潮干の潟に芥が残つてゐるやうである。台所へ出てみると、酒屋の小僧が届けたと見え、ビールが数本届いてゐた。それを座敷へ運んで来て、鼈四郎は酒に弱い癖に今夜一夜、霰の夜の闇を眺めて飲み明さうと決心した。この逞しい闇に交際つて行くには、しかし、「とても、大根なぞ食つちやをられん。」
彼は、穏に隣室へ声をかけた。
「逸子、済まないが、仲通りの伊豆庄を起して、鮟鱇の肝が、もし皮剥の肝が取つてあるやうだつたら、その肝を貰つて来て呉れ、先生が欲しいといへばきつと、呉れるから——」
珍しく丁寧に頼んだ。はいはいと寝惚け声で答へて、あたふた逸子が出て行く足音を聞きながら、鼈四郎は焜炉に炭を継ぎ足した。傾ける顔に五十燭の球の光が当るとき、鼈四郎の瞼には今まで見たことの無い露が一粒光つた。