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ミゼレーレ

     (一)

 

一八五二年十一月の晩秋

ニューヨークからミシシッピ号に乗った男は

石炭と水と食糧を積んでノフォーク港を出発した

マディラ諸島から希望峯をまわるころには

大西洋の地図はポルトガル産のマディラ酒にぬれた

モーリシャス島 セイロン島 シンガポール 香港・上海と

インド洋から太平洋へと白いクジラが船をおいかけた

米国東インド艦隊司令長官は

水と食糧と石炭の基地である南の琉球島那覇港に停泊する

小笠原諸島の調査からもどった一八五三年七月

海上から初夏の富士をながめるソルジャーたち

紺碧の海のうえを

緩慢な春風が吹いていた

ミシシッピ号・サスケハナ号・サラトガ号・プリマス号の四隻は

村里浦賀の港に錨をおろした

伊能忠敬の「日本沿海実測図」は

シーボルトの手をへると英国で印刷されていた

ペリーの眺める地図には「YEDO」のしたに

「Kanagawa」「Yokohama」「Uraga」という

まだみぬ地名が記されていた

遠浅の海に

本牧岬より野毛浦へと砂州がつづいている

当時の横浜は小さな漁村だった

東海道をいくひとびとは

神奈川宿からまわり道をすると

畑に点在する人家や松林のむこうにみえる青い海と

小舟を眺めながら旅をした

日本近代の肌寒い夜明け

空には鷹が舞っていた

お台場も日本ではじめての灯台もいまだないころのことである

 

     (二)

 

夏の太陽が照りかえる

いくつもの戦争ののちに

いつの時代にも動物たちがいる

 多くの鳥獣が生まれ

  多くの鳥獣が死んでいった

  都会にでてきたきみにはかろうじて住む家がある

 故郷は喪失したが 田舎にはわずかな親戚が暮らしている

一八六八年九月

黄褐色の大地と空気の乾燥する北越の都市で

西と東の内戦があった

畑地をぬけると桜並木の細い古道が神社までつづいている

老松の枝にはからすの群れがとまっていた

バスは長い鉄橋を渡り

乾燥した黄色い内陸の大地をすすんできた

むこうにはホスピスの建物がある

足に銃弾を受け

会津へ逃れる途上で息絶えた峠の武将

地図をひろげて細い道をたどっていかなければならない

その年の十月に会津若松戦争がはじまる

奥州連合の幻影のなかで

兵士は北へ北へと仮想の独立国へと敗走した

鹿児島の士族のおこした内乱 一八七七年一月

南の地へくだって戦うルサンチマンのとき

桜島の煙をみながらおこなわれた内戦のなかの内戦

・・・日本列島に反復されるエネルギー

「これがあるとき かれがある

 これが生ずるとき かれが生ずる

 これがないとき かれがない

 これが滅するとき かれが滅する」

ひとの縁起

種の縁起

社会の縁起が円環する

江戸から明治の夏の太陽が照りかえる

 

     (三)

 

昭和の初年

今日のような経済の停滞するなかで

次々と不可思議な小さな事件がおこっていたころである

当時の世相では豆腐がひとつ

秋刀魚が一匹が大変なご馳走だった

酒を飲まない大正生まれの父はそれを食べるのが喜びだった

棟梁であった酒ずきの祖父は

かつての江戸時代の城下町の駅で倒れた

以来祖父を愛していた父は酒を嫌うようになる

街の中央を小川が流れ古い旅籠がある

庭先に離れの部屋があり

幕末に活躍した山岡鉄舟や頭山満の書を何点もみることができた

「禅味を盛った」旅籠でにぎりめしをつくってもらい

江戸へむかった剣豪は

勝海舟からの手紙をたずさえて西郷隆盛に会うことになる

父は終戦まで数度も招兵され大陸の中部支那にも渡っている

父の兄は満州へ渡っていった

 

夏の太陽が一年中照りかえる

熱帯雨林の孤島の視察にむかう機上にて

北越の長岡に生まれた連合艦隊司令長官は

刀を握りしめたまま衝撃を受けた 一九四三年四月

島島に太陽は照りかえり

膨張によって疲弊した大東亜の帝国は

なにものかの力によって強く裁断された

鷲が肝臓をついばみつづけるひとの歴史

暗号を解読しつつ南の海から

銀色の飛行機の群れが雪を被った富士をめざした

二月には米艦載機による横須賀への空襲があった

三月の春の夜には下町いったいが焼土の廃都と変わった

南の沖縄島に米軍の大部隊が上陸する 四月一日

山の手が赤い焦土となった五月の後

戊辰戦争の舞台となった北越の都市は産業としての石油を産出したため

街全体が艦載機の空襲を受けて再び廃墟となった

鎌倉からその年の七月小千谷市中子に移った詩人は

「旅人かへらず」の悲しみの情感をたたえながら

八月一日の長岡の大空襲を疎開先の家から目撃する

白い富士をめざした飛行機の群れは

翼の挨拶とともに別れるとそれぞれ東と西にむかった

かつて外国船を受け入れた近代の町々の天守堂のステンドグラスは

うずを巻いて熱風に焼け爛れたきのこ雲のたちのぼる姿をうつしていた

稲妻の光暈は

おびだたしい男たちA・B・C・D・・・の影を切り裂き

晩夏の季節は

おびだたしい女たちO・P・Q・R・・・に秋の風を送りはじめる

敗戦にうちひしがれ草かげに埋もれ闇市を徘徊するもののために

歴史はペリー艦隊ではなく

ふたたび東京湾に米戦艦ミズーリ号を浮かばせたか

「八月三〇日午後九時頃

 横須賀に停泊中の駆逐艦サンディエゴを旗艦とする

 米第三艦隊第三一機動部隊から

 星条旗を掲げた上陸用舟艇が湾内に入ってきた」(川崎洋「EMクラブ物語」)

コーンパイプと濃い緑色の金縁眼鏡ディアードロップの男が

愛機「バターン号」からおりてくる

かれは戦後の二千日の男だった

日本に上陸した二人の越境者ペリーとマッカーサーは同じ人物ではなかった

スクリーンのなかには同じ歴史の姿がうつしだされている

・・・長い戦後の再建の物語

ひとの縁起

種の縁起

社会の縁起が円環する

戦前から戦後の夏の太陽が照り返る

兵隊から帰った本家を守る酒の飲めない父は

分家にでるとなぜか母と幼い兄をよくしかった

父の兄は満州からシベリアへと抑留されて

戦後遅れて帰ってくる

To error is human

(われらは間違える存在である)

・・・かつてのゼロ戦の勇姿のように鳶だけが空に孤円を描いていた

没落する戦後のいくつもの家庭の肖像

 

    (四)

 

『アメリカとアメリカ人』というジョン・スタインベックのエッセイがある

夏のビルの地下街の食料品店で

オレンジとアイスクリームをたべながら映画を鑑賞した

映画館の室内はいつもいっぱいだった

「コロンブス一四九二」

「ダンス ウィズ ウルブス」

「モヒカン族の最後」

「ジェロニモ」

「ワイアットアープ」

「若草物語」

ほぼ三ケ月に一度アメリカ人とアメリカ社会のアイデンティティを模索するような

映画が上映されていた

ATMがブルドーザーで盗まれるような不況のなかではあったが

洋画はビデオやグッズの多品目戦略によって幾分息を吹き返していた

アメリカの文化に批判的なひとも多くいるが

アメリカの文化のもつ自由な開放性はなんといったらよいのだろうか

アメリカ第一のミシシッピ川

その下流にある朝日のあたる都市といえば

ニューオーリンズという名の知れた町と波止場の生活

ヌーベルオルレアンの地名からきているこの街について

渋谷の「門」という酒場のカウンターにすわって

懐かしいフィフティーズの音楽をきくたびに

思い出すことがある

ロアール川沿いにあるオルレアンの地は

パリにならぶフランス王家の町である

十五世紀にはパリはイギリス軍とブルゴーニュ公国との連合軍に落ち

オルレアンの町は包囲されていた

・・・ヨーロッパ大陸の国々に反復するエネルギー

百年戦争の末期

聖少女ジャンヌ・ダルクの軍隊が奪回する

このロワール河流域の城と畑地や葡萄畑の地域に

ルネサンスは南のイタリアフィレンツェからやってきた

メディチ家の料理と香水と革手袋を携え

ナイフとフォークを革の旅行鞄にいれながら・・・

ロアールのワインにはのどごしのよい白のランセールと

居酒屋でいつも飲む酸味のあるムスカデがある

ロアール川支流のシノンの森とモンバソンの間のアンドル川の谷間は

バルザックの「谷間の百合」の舞台であった

 

パリから北東のシャンパーニュ平原には

ランスの大聖堂がある

葡萄畑に囲まれたこの町は「万歳(ノエル)」と叫びながら

ジャンヌ・ダルクと新国王をシノン城からむかえたシャンペンの町である

シャンペンにはピノ・ノアールとシャルドネとピノ・ムニエが使われていた

クローヴィス以来の戴冠式としてシャルル七世の聖別と戴冠は終えたが

第一次大戦ではフランス軍の敗走兵の群れをみた大聖堂

ドイツ軍によって火を放たれて黒く煤ける微笑みの天使

幽霊船になった大聖堂を描くパリに生活する若き日のジョルジュ・バタイユは

この町で狂死した父の歴史を背負っている

 

黒い蟻の群れのようにパリへの道をすすむドイツ機甲師団

 

第一次世界大戦ではドイツの飛行船ツェッペリンが

ロンドンとパリの上空の高みから爆弾を落とした

最初のパリ爆撃は一九一五年三月二十一日

母方がユダヤ人であるマルセル・プルーストは

「見出された時」のなかにこの情景を描いている

日本滞在中に梅若実から能をおそわったフェノロサは

その死後未亡人によって能に関する草稿が若きエズラ・パウンドに届けられていた

ケルト人の神話をしらべているイェーツは

秘書のパウンドからオリエントの芸術について聞いた

「鷹の井戸」(at the Hawks Well)はロンドンの劇場で上演される

 

やがて戦時中の大陸西端のポルトガルのファーティマという寒村に

「第一次大戦はまもなく終わります」と語る聖母マリアが現れる

三人の羊飼いの子どもだけがその平和の声を聴くことができた

聖地には大衆を庇護する大きな教会堂が建てられ

ひとびとはいまなお巡礼する

ルルドと同じように車椅子にのったおおくの老若男女

 

ジャンヌ・ダルクの火刑と復権は

フランス北西部ノルマンディの都市ルーアンが舞台だった

葡萄が採れないノルマンディ地方のひとびとは

林檎酒シードルを飲む

食後には甘いデザートと上質の酒カルバドスがおいしいだろう

白雲の浮かぶ空のしたの農場とノルマンディの北の海を

後に多くの印象派と名のる画家たちと同じようにマルセル・プルーストは愛した

戦後最初期の留学生としてフランスへ渡ったカトリック作家遠藤周作は

ルーアンの街にホームスティをする 一九五〇(昭和二五)年

胸を病み二年間の留学にピリオドを打つと帰国した

「白い人・黄色い人」とは挫折する留学生がみつめた世界であったが

そこにはカソリックの信仰とナチズムの問題もあれば

日本の汎神論的風土の問題もみつめられている

イングランド軍の拠点だった町の聖堂のファサードを

後年モネは下着屋の通りに面した部屋からたびたび描いた

印象派の光と影に色づくルーアンの大聖堂

かつて渋谷の西武百貨店で開かれた「モネ展」では

息をのむように「西洋」の色と香りにふれた

大聖堂の絵も幾枚もの積みわらと同じように数種類のものをみた

百年戦争の終結によって

ロアール地方とノルマンディ地方を失った英国人は

スペインからシェリー酒を輸入して飲み

ポルトガルからは織田信長も飲んだという赤のポルトワインを輸入した

 

ラジオから流れるヴェルレーヌの詩を合図に英・米・仏・ベルギー・オランダの連合軍はノルマンディの岸壁に上陸する 一九四四年六月六日

 

イギリス軍にとって

今はジャンヌ・ダルクやフランス軍は敵ではなかった

人間にとって敵とはなんであろうか

いまは目のまえにドイツ軍という関係性がある

ルーアンの教会にたてこもる現前するドイツ軍

連合軍の現前する飛行機による爆撃は

教会のファサードを無残に崩れ落とし残骸だけが残された

連合軍のパリ入場

ドイツ軍の撤退によるライン川の橋の爆破

東部戦線でのじりじりとする後退

ベルリンの包囲と陥落

「これがあるとき かれがある

 これが生ずるとき かれが生ずる

 これがないとき かれがない

 これが滅するとき かれが滅する」

ひとの縁起

種の縁起

社会の縁起が円環する

ヨーロッパ大陸に戦前から戦後の夏の太陽が照り返る

 

十六年前

まだお化粧もままならなかった学生時代のきみは

赤いアネモネの丘から白い神殿をみあげていた

青い空が円柱の大理石に光を映している

ディピュロンの大門から土着の大地母神デーメーテールの聖域を横にして

パンアテナイ祭の道が丘へとつづいている

暗緑色の糸杉と銀緑色のオリーブの樹のある

幾何学と建築によって象徴されたギリシアの聖域

青い空と蒼い波と灰色の岩山や大地にかこまれた

白亜のアクロポリスのルーインズ

外部の美しさをもとめられた

聖なる建物はエピファニー(聖体顕現)となって

静かなたたずまいをみせている

 

いくどかの冬が過ぎた

ヴァージン・アトランティックの赤と銀色の翼が

「おいでやす」とテムズ川のうえでゆれていた

機長がサービスする飛行機は挨拶するようにテムズ川を斜めに旋回してから

ヒースローの飛行場におりた

夕暮れ 結婚したきみは博物館のなかに設置された古代の疑似エリアに立ち

パルテノンの2面のフリーズと対面する

今ここに 馬に乗る白い青年像も捧げものを運ぶ乙女像も

越境して存在している

崩れ落ちた青年像と乙女像の彫刻群が

切り妻の屋根の軒かざりを飾る

「ヨーロッパ人がギリシアに負うもの」とヴァレリーは書いた

古代ギリシア人は松脂のワインを水で割って飲んだ

世の中には新しければ新しいものほど魅力があるものがあるが

古ければ古いほど興味を抱かせるものもある

古い陶器に今年のボージョレ・ヌーボーをそそげと

渋谷のデパートから垂れ幕が揺れながらおりるシーニュ(記号)

 

柩に収められた

遠い国の砂に埋もれていたもの

灼熱の長い時の流れのなかで

巨大な三角錐の聖域(サンクチュアリ)から

考古学者によって発見されると運びだされたもの

ルクソールから船でセーヌ川を北上するコンコルド広場のオベリスク

遠望するピラミッド

近くに凝視するヒエログリフ(聖刻文字)の刻みのエクリチュール

遠近法の絵画のなかにはいり

空と大地のなかを流れる大河から舟を漕ぎ出せ

彩色された柩のなかに布で巻かれたきみは

「死」を「物象」としての「生」へと凝固させながら

永遠の呼吸をしている

「生」から「死」へ 「死」からふたたびの「生」へと

円環しながらずれていく生の構造

それは浄土との交感を願っていたのか

乾燥した大地にはジャポンと同じ「母」なるものがいるのか

フェノロサと岡倉天心は

法隆寺夢殿の像に固く巻かれていた白布を取りはがした 1884年(明治十七年)

観音の呪いを恐れてひとびとは逃げだしたが

外光を浴びて全身金色の身が鮮やかに輝き出した聖観音像は

翻訳さるべき仏像のシーニュ(記号)だった

古代エジプトでは天と地の子であるオシリスを

復活の王とも死者の王とも呼んでいる

妻のイシスの願いによって集められてミイラとなったオシリスの身体

「物」も「精神」もなく

「天体」と「植物」だけが存在した時代から東洋と現代をみる

 

わたしたちの魂はどこからきてどこにゆくのだろうか

 

東京の下町に生活して広大な砂漠も熱風による砂嵐もまだみたことはなかった

学校の同級生たちは早くに結婚し子どもができるとほとんど外国へは行けなかった

なかには学生時代の旅行や就職して仕事でアジアの国にでかける者もいた

外国は行けるときにどんどんいくべきであるとひそかに思っていた

知り合いの仲間には何人もモロッコまででかけている

ベトナム戦争も

中東戦争も

湾岸戦争も

風のたよりとして聞いていたノンシャラン

オクシデンタリズム(西洋主義)の思考座からみつめられた

オリエンタリズム(東洋主義)という思考座

博物館には繭のように転生する死と再生の物語があった

ナイルのほとりの石と砂のなかで

月のうすいひかりをあびながら字形学的な象形文字の線をひく

その線分に根源のすべてが含まれ包括されている本質

翻訳さるべき象形文字のシーニュ(記号)

砂漠の熱風による蜃気楼のなかで

精神よ 身体よ

マクロコスモスの月の光のなかを泳げ

らくだと歩くひとつのミクロコスモスの身体は

時をこえてわたしたちの精神のまえで生きつづけている

 

雨こそ落ちてはいないが

博物館をでるときみは曇り空をみあげていた

むかいにある「パブ・ミュージアム・タバーン」からは

ひとびとがぬるいビールを片手にして談笑している声がする

ドイツからフランスへフランスからイギリスへと

若き日に詩人であった越境者マルクスは

ディーン街から歩いてかよった大英博物館

マルクスの思索はドイツ哲学からフランス社会主義へ

さらにイギリス経済学をもふくみこむ脱領域の越境であった

彼の墓はハイゲルト墓地にあるという

ベルグソンが心酔した進化論者ハーバート・スペンサーの墓に相対している姿は

三鷹の禅林寺の太宰治の墓が森林太郎の墓に相対しているようだ・・・。

赤い二階建てバスと黒いタクシーが走るロンドンの夕暮れの交差点

パブではビールを片手にマルクスもコナン・ドイルも

時をこえていっしょに会させているのだろうか

ピカデリー・クロッシングまでくるときみは雑踏のなかで財布をぬすまれた

 

    (五)

 

アメリカの最大の内乱は

南北戦争(Civil War)である

南軍の中心地ニューオーリンズの街

一八六一年(文久元年)四月にはじまるこの戦争では

太平洋から帰国した黒船のソルジャーたちも船とともに戦った

すでにペリーはひとびとがひしめいているニューヨークの街で

学校の先生をしたあとに自宅で逝去している

遅れたアメリカが中国市場の進出と対日貿易に乗り出し

スエズ運河開通までの遠路の航路ではない太平洋横断航路の開設を求め

石炭補給地の確保や捕鯨業の発展を期した

彼は「日本遠征記」を

流行作家のナサリエル・ホーソンか

あるいはハーマン・メルヴィルに書かせたかった

 

戦争がはじまる前の年の一八六〇年(万延元年)の春

チョンマゲのサムライたちがアメリカの軍艦ポーハタン号とオランダ製の咸臨丸で

太平洋を渡ってアメリカ西海岸にたどりついていた

「西方の海を越えて此方へ日本から渡来した

 謙譲にして臆せず、色浅黒く両刀をさした使節達は

 無帽にして臆せず、無蓋の四輪馬車に

 反り返り、

 今日マンハッタンを縫って行く。」(「ホイットマン「ブロードウェーの景観」」

一八六一年にはリンカーンが大統領に就任する

南軍のサムター要塞への攻撃によって南北戦争の火蓋がきられていた

一八六三年には内戦のターニングポイントである奴隷解放宣言が発せられる

ゲティスバーグでは北軍が決定的な勝利をおさめる

「人民の、人民による、人民のための政治」という歴史上の演説があり

南軍の首都リッチモンドが陥落する

日本から遣ってきたさむらいたちの使節を詩にする大工の息子のホイットマンは

内乱で負傷した弟ジョ−ジのために南行し

野戦病院で戦病者を看護する

彼はニューオーリンズで混血の黒人女性との青春をもつ

ホイットマンの詩「アメリカの歌」とは

はたしてテロにおびえ砂漠を相手に戦う二十一世紀のアメリカをうらなっていただろうか

七〇年代から八〇年代の日本社会の発展に警告するアメリカの影

無一文でイギリスの移民船に乗った越境者ラフカディオ・ハーンは

ニューヨークをへてニューオーリンズで新聞記者の生活をしていた

ハーンも疲弊した南北戦争後の街の波止場近くで生活をしている

彼はそこで黒人たちの生活を描きクレオール音楽の源流を探っていた

「ニューオーリンズの最後のフェンシング師範」や「ニューオーリンズの迷信」を書く

ハーンはクレオールの研究家だった

「クレオール方言」「クレオール文学覚書」「クレオールの学問的価値」「クレオール方言略記」などの研究がある。

・・・アメリカ大陸に反復されるエネルギー

広大な山脈の麓の大地には

ひとびとと鳥獣たちがいっしょに横たわり

綿ととうもろこしと小麦の畑地に

褐色の混血の太陽が照りかえる

アメリカ人は森や湖のある自然のなかで

ドライブやフィッシングやキャンプを愛した

アメリカの唯一の長い内乱(Civil War)は

リー将軍の降伏受諾によって終わる 一八六五年四月

そのころ北軍の病院看護婦だったオルコットは『若草物語』を書き

南部にくらしていたマーガレット・ミッチェルは『風と共に去りぬ』を完成させた

この長編小説は一九二〇年から一九三〇年までの十年もの歳月をかけて書かれている

彼女はアイルランドからの移民の子であり

小説の最後には再生の祈りをこめて

聖なる丘「タラへ帰ろう」と書かれている

・・・諸民族が融合する長いアメリカの町々の再建の物語

ニューヨークから大陸横断鉄道でヴァンクーバーに着くとアビシニア号に乗り

重度の視覚障害者ハーンは横浜へとむかっていた

日本への冬の旅

フランスに渡った遠藤周作が日本の文化と精神のなかにある

汎神論的風土をみつめていたように

この越境者はかつての西インド諸島の研究を基礎に

日本のアミニズムの存在に気づいていた

運命の歴史は進展したり反転したりしながらも落ち着くところに停泊する

南の海からの燕の便りはどこに届いたのか

一九三九年の九月

欧州のポーランドで第二次世界大戦がはじまる

「一九三九年九月一日

 ナチス・ドイツがポーランドに武力侵攻

 三日 第二次世界大戦勃発

 それからの夏は

 「セルパン」というクラッシック音楽の喫茶店で

 ヴェルリオーズの「幻想交響曲」やドボルザークの

 「新世界より」を聴いてばかりいた」 (田村隆一「いくたびか夏過ぎて」『一九九九』)

この年『風と共に去りぬ』は

世界初の総天然色の映画となって民衆に公開された

 

     (六)

 

シベリアのナホトカに抑留されていた父の兄は

引き上げ船で多くの兵隊たちといっしょに舞鶴に帰国した

わたしたちは一九五〇年五月の朝鮮戦争と

一九六〇年六月の安保騒動の間に生まれた世代である

学園騒動にも乗りおくれ

ITを自在に使いこなす新人類にも世代の隔絶感があった

一九五四年に製作されたフランス映画「過去をもつ愛情」では

ポルトガルの美人歌手アマリア・ロドリゲスが「暗いはしけ」というファドを歌った

舞台はアルファマ地区である

失われたものや会えなくなったひとに寄せる

どうしようもなくやるせない「サウダージ」の思いは大航海時代からつちかわれていた

ポルトガルの下町の隠されたおばさんたちや娘さんたちのエロスの風景

・・・オブリガード

・・・オブリガーダ

ミシシッピ号に乗った男ペリーが

浦賀の村に訪れた一八五三年/四年から百年立って生まれた世代

共有する精神も文化も特にはないが

カラオケでは一世代前の歌をうたっている

一八五三年にはアメリカの国民文学「アンクルトムズケビン」が書かれていた

翌年ホイットマンは「草の葉」を出版する

そのころ『バラの名前』と

テンプル騎士団が登場する『フーコーの振子』を後に書く

イタリア人ウンベルト・エ−コは

「トマス・アクイナスにおける美的問題」という卒業論文を終えて

ミラノの街で働いていた

ローマのべネツィア広場にむかって演説した政治家は

この街で逆さ吊りされていた

ピサの牢獄で書かれた詩集「キャントーズ」にも

漢字の書字とともに彼の姿はでてくる

岩山に残る淡い残雪のように

青い海のうえを飛んでいる白い鳥の群れのように

コラージュとなったたわいもないニュースの記事が流れていく

ダブリンとニューヨークにある聖パトリック教会の鐘がいちどに鳴る

ニューヨークは英国からの移民とアイルランドからの移民の争いがつづいていた

アイルランドの守護神セント・パトリック

アイルランドを象徴する三つ葉のクローバーシャムロック

「タラの丘へ帰ろう」と書いたマーガレット・ミッチェルが

交通事故で不慮の死を遂げたのは

朝鮮戦争のはじまる前の年の一九四八年

片翼ではあったがサンフランシスコの講和会議はその後すぐに成立する

父は父の兄のことをほとんど語らなかった

父の兄も父についてほとんど語らなかった

 

  (七)

 

地球が縮小して

新橋駅から横浜駅まで汽車は走った、一八七二年

 

海の色がかわる

 空の色がかわる

  海は分析することができた

   空も分析することができた

意識のコノテーションが海上を走るとき

海と空は赤く感応した

三層になる赤い灯台と白い灯台を行きすぎる

近代は「西」と「海」のふたつの国から「東」の国へやってきた

ホテルもテニスもアイスクリームもこの港町から発祥し

「東」の七つの丘の街へとつたわった

鳥瞰図となった海のうえで太陽に目薬をさす春の風

・・・球面に点在する異国の島々をのぞくはるか南太平洋に

大航海時代のスペイン船とポルトガル船が沈没している

フィリピン沖に沈むアメリカ船の伝説の国旗が揺れるとき

それ以外のゆらぎは語りえなかった

語りえない沈黙に霧が流れクルーザーが夕闇をすすむ

キングの塔の「旧県庁」は大正二年に建てられたが震災で焼失した

山下公園は震災の瓦礫で埋め立てられた公園である

クィーンの塔の「税関」はイスラム風のドームと二重のアーチ窓にライトがあたっている

毎年七月二十日には国際花火大会で横浜港に七千発の花火があがった

後ろには「MM21」のランドマークタワーがあり

左手にはライトアップした赤い煉瓦の倉庫がみえる

赤い煉瓦の倉庫は内装を新たにして

文化施設の新地域にかわっていた

元町から山手はいくつもの道でつながっていた

丘のうえの公園と墓地と大学と教会の街

洋館でベルギーのダークビールに酔ってしまっているぼくには

遠く海面の表層から霧が宇宙に逆巻いていくようにみえる

晴れ間にのぞく夜空のミッドナイトブルー

二〇世紀の末から二一世紀の薄い夜霧のなかに

花火が幾重もの光彩で闇夜を束ねるとき

未来という世界はどのようにあらわれてくるのだろうか

 

      (八)

 

回転する地球儀は

昭和の葬送を経験し

西と東の冷たい戦いも終焉した

北と南の民族と宗教の熱い砂漠の嵐は

自動販売機の前でコインをいれるぼくの喉を

うるおすことがなかった

平成のクロネコヤマトのお兄さんが元気よく道をかけていく

スターバックスのドアの扉がせわしなく開閉している

犬を連れた美しい長髪の婦人が

携帯電話でメイルをうちながらコーヒーをすすっている

田舎からくる手紙を読みながら

夕食にはときどき魚の料理と

簡単な牛肉と生野菜のカルパッチョをつくって

ビールやワインを飲んだ

基ちゃんとはお父さんがなくなってから

愛するお母さんと会食をしたことがある

その時はぼくの母もいっしょだった

まもなくお母さんもなくした基ちゃんには

すぐに男の子と女の子ができた

横浜から電話が鳴る

・・・横浜港に「クィーン・エリザベス」と「飛鳥」の客船が

同時に入港したと伝言が伝えている

毎年四月二十五日になると

日本から航行する客船「飛鳥」がリスボンのテージョ河口に到着する

丘にあるサン・ジョルジェ城から河口をみおろしながら

画帳に河口と橋のスケッチをしたことがある

・・・オブリガード

・・・オブリガーダ

古い町並みの細い道を

一九六三年型の二八番線がはしる

この港から船に乗って多くのひとびとが

インドやアジアや北欧の都市へと出かけていった

「ここに陸果て

 海はじまる」【カモンイス】

ロカ岬はユーラシア大陸最西端の地であるが

ポルトガルの詩人カモンイスは

修行の期間を終えた夏安居(げあんご)のインドの土地で

母国への郷愁にかられながらこの詩をつづったのだ

南北戦争を詩にした晩年のハーマン・メルヴィルは

カモンイスの詩を読みながら

さらなる長編詩を渾身の力で書きはじめていた

海辺に建てられたジェロニモス修道院前の港から

バスコ・ダ・ガマがインドにむけて出発した 一四八八年

クレオールのコルメシオ広場前の港から

パリ大学で哲学を学んだフランシスコ・ザビエルもアジアにむかう 一五四五年八月

南海をへて来航したポルトガル人は

「南蛮人」と呼ばれていた

今も伝わる幾種類もの南蛮屏風には

ポルトガル人に食事をサーブする白人と

日傘をさしたり荷物を運んだりするアフリカの黒人の姿が描かれている

鹿児島から平戸へ 平戸から山口へ 山口から堺へと

ザビエルとアンジローとの旅はつづいた

山口では瑠璃光寺のあとに

火事で焼失したが再建されているザビエル教会をおとずれた

湯田温泉では中原中也記念館を訪れ

近くの公園で小林秀雄の書いた中也の詩の記念碑を写真におさめた

 

日本から四人の天正使節団が長崎港から船を西にむけた 一五八七年

伊東マンショ 千々石ミゲル 原マルチノ 中浦ジュリアンの四つの名辞

かれらは船の甲板上でラテン語を予習し

楽器の演奏をして孤独と不安の波をまぎらわしていた

四人の少年はリスボンの港に到着する 一五九四年

バイロ・アルトの丘にあるイエズス会のリスボン本部であるサン・ロケ教会に

一ケ月滞在する

リスボンから40km離れたシントラの離宮にも四人はおとずれていた

アズレージョとともにアラブ人の文化がいまも息づいている離宮の街へと

カモンイスもバイロンもおとずれていた

 

リスボンの街を流れる大河テージョ川を地図をさらにさかのぼっていくと

国境を越えてスペインに入り

川の名はタホ川となる

高台から遠望される異様な古い町の風景

そのふもとには白いふたつの橋が架かっている

三方をタホ川に囲まれた人口六万のこのトレドの町にかかるローマ時代の橋である

サンマルティン橋とアルカンタラ橋

ローマ人は荒野のなかに道をつくり道の延長に石橋を築いた

右岸の丘のうえに聳えるアルカサール(王城)と聖堂

そこにはスペイン内乱の時の弾痕が無残にのこされている

「陸の島」にかかる橋は城壁の一部だった

トレドの町は古代トロイヤのふたりの子孫によって

乾いた空気のなかに建設されていた

西ゴート王国の首都でありアラブの雰囲気を残す古都

カソリックとユダヤとイスラムの三つの宗教と文化が共生する

歴史の重層する街である

 

バスは褐色の大地を走った

青い空のしたを雲が移動するたびに

オリーブの樹の茂る大地を光と影が横断した

スペインの昼の光の熱さと夜の影の冷たさ

「時間は大きく弧を描いて

 流れるべきだ

 シェラネバダ山脈のあらわれるのを

 待っている汽車の窓辺で

 時間はまさしく

 そのように流れた。」 (飯島耕一「ゴヤのファースト・ネームは」)

そこはシェラネバダ山脈

グラナダの城門から丘へ登るとヘネラリーフェの庭園には

静かに列をなす噴水の音が響いていた

スペイン人は暑さのなかでペットボトルの水を何度も口いっぱいにふくんで歩いていた

駅で電車をまちながらペットボトルの水を含む日本の若者のように歩いている

ロルカもジプシー歌集のなかで

グラナダやコルドバやセビリアの官能の町について書いていた

スペインの町を揺るがすカソリックかファシストかアナーキズムか

内乱(Civil War)には国際義勇兵として

アンドレ・マルローもアーネスト・ヘミングウェーもジョージ・オーウェルも

そしてジャック白井も参加した

レジスタンスの闘士であったフランスシャルトル県のジャン・ムーランとともに

パリのパンテオンの同じ部屋に埋葬されたマルローの『希望』

『誰がために鐘は鳴る(To whom the bell tolls)』を書くヘミングウェー

『カタロニア讃歌』を書くオーウェル

ドイツはスペインの鉄鋼石が欲しかった

イタリアは地中海を自国の領海と考えていた

北の町ゲルニカをハインケルとユンカースが爆撃する 一九三七年

旧式の武器をもつ人民戦線軍を

反乱軍のメッサーシュミットが機銃掃射する

人民戦線軍も民間人も地面に倒れ伏す

かれらは希望とともになにを失いなにを得たのだろうか

バルセロナにつづいてマドリッドとバレンシアは人民戦線が最後に死守する都市だった

乾燥した畑のなかの赤屋根に緑色の鎧戸と白壁をもつ農家が

遠いスペインの山脈をむかしからずっと眺めている

バスがホテルにはいる

白のマンサレーナスに酔いしれて

ぼくは疲労のためにベッドのなかですぐに深い眠りについた

 

天正の少年使節団もマドリッドをへてトレドの町をおとずれている 

 

スロットマシーンのように生をやりなおすためにやってきた

クレタ島生まれのドメニコス=テオトロプロス

ヴェネチアではティツィアーノに学んだ

クレタ島のギリシア人と呼ばれたエル・グレコ

神に近づくために星のように両眼を輝かせよりよく人間を描く

目の前で両手を組み合わせ天に視線を投げている

<聖ペテロの涙>の絵には天国の鍵がかかっている

この天国の門をくぐるために

西暦二〇〇〇年の年は巡礼者でローマの街が埋まった

顔の表情よりもさらに多くのものを語るために

縦に長く引き伸ばされた手

見あげるところに夕暮れがある

見おろすところに夕暮れがあった

暗いほうから明るいほうへ

明るいほうから暗いほうへと引き伸ばされた空間は

晩年の裸体信仰となってセザンヌの「水浴」に影響をあたえていた

グレコからセザンヌへと言葉による表現ではなくて

絵筆から生まれる色彩の現象によって

風景の印象とひとのこころをぬぐいとった

トレドに三〇年住み

トレドに死ぬ

借金に苦労しつづけたエル・グレコ(ギリシアの人)は

異端審問の責任者である大審問官ゲバラの肖像も描いた

ニューヨークのメトロポリタン美術館にある「トレド風景」と

地形学(トポグラフィー)をねらった「トレド景観と地図」と

トロイア戦争を題材にした「ラオコーン群像」のなかにも

幾つもの聖人像のなかにもトレドの街の風景は描かれている

その幻影的な絵筆は

トレドの町に精神と身体を投げこむことによって

怪奇とも神秘とも映る光学の画風を生む

トレドの町の路地に隠されたエロスの風景

古都のひとびとの精神を

近代の風景画として官能のなかにつたえながら・・・・。

 

第二次大戦に参戦をしていないポルトガルは

現在不況下にある

ひとびとは大衆食堂にはいると食事をとり

テレビにむかいながらサッカーに熱中している

ジブラルタル海峡をこえたスペイン領モロッコの軍部の反乱は

市民戦争のはじまりだった 一九三六年

ムーア人を指揮してスペインにはいるフランコ軍に

ポルトガルから武器弾薬がわたる

一九三七年四月にはゲルニカの爆撃

五月にはバルセローナの内戦がはじまる

そこでは共産主義者とアナーキストによって内乱のなかの内乱がおこなわれる

敵とはだれか

外なるものと内なるものの関係性

内なるものと外なるものの関係性

内なるものと内なるもののねじれた関係性

ひとはみな「たむろ」あり

一九三八年一月のバルセローナの陥落

三月にはフランコ軍がマドリッドにはいる

首都での市街戦が終わると

フランコは第二次世界大戦に参戦しなかった

シエスタで長い時間またされたヒトラーは怒ってパリへ帰っていった

このような戦争はもうしたくはないとフランコは思ったかどうか

ヒトラーとムッソリーニは勝つことに勢いづいていた

戦時中の日本の新聞は「リスボン発共同 リスボン発共同」と

ヨーロッパの戦況を報道した

そのころ勝つことに勢いづいていた日本の国内でも

民俗学へと接近するクレオールの西洋脱出者ハーンの作品は

敵国の文化の賞揚であるために文学史から削除されていた

 

レコンキスタ(国土回復運動)後の異端尋問によって

コルドバやセビリヤやグラナダのユダヤ人たちも

リスボンに移らなければならなかった

リスボンではオランダのアムステルダムへむけて船が出帆する

シナゴーグの残骸を残して

故郷喪失者の民として踊るハシディック・ダンス

カソリックに改宗しあるいはクレオールを拒否して生きるノマドロジー

グラナダは陥落し

海をわたったコロンブスは

サンタ・マリア号に乗って新大陸を発見する 一四九二年

コロンブスの一族もユダヤ系だった

ユダヤ教徒は追放される

日本へ渡来した宣教師のなかにもユダヤの血をひくものがいる

移動するユダヤの民の歴史

連合軍によってパリは陥落する 一九四四年六月

第一次大戦後の世界知識人会議の議長を務めた

ユダヤ人アンリ・ベルグソンはナチスからの招請を拒否しつつ

リュウマチスを病んで風邪のために息をひきとっていた

パリのユダヤ人は非占領地区のマルセイユへと逃げる

しかしマルセイユからの船便はすでに閉ざされていた

後はピレネーをこえてリスボンからアメリカへぬける道だけがのこされている

『パリ・パサージュ論』『ドイツ悲劇の根源』を書いたドイツ系ユダヤ人ベンヤミンは

ピレネーを越えたホテルの一室で自殺を遂げる

パウル・クレーの「微笑みの天使」をひとに託して・・・岩山と砂礫のイベリア半島とともに生きるひとびとに反復されるエネルギー

「これがあるとき かれがある

 これが生ずるとき かれが生ずる

 これがないとき かれがない

 これが滅するとき かれが滅する」

ひとの縁起

種の縁起

社会の縁起が円環する

ヨーロッパの戦前から戦後の夏の太陽が照り返る

 

「日の名残り」の物語

 

由緒ある屋敷ダーリントン・ホール

老執事のスティーブンスはダーリントン卿について語り始める 一九三三年

それはまだスペイン内乱もおこってはいなかった頃のことだった

ダーリントン卿は各国の名士を招いて

ヨーロッパの平和と正義のための会議を開く

ベルサイユ条約によって疲弊するドイツを救うために

ドイツと友好を結ぼうとする

しかし歴史はドイツからの悪魔の使者であるV1とV2のロケットを

ロンドン上空に送りつづけた

ドルンベルガーは宇宙空間をめざしてV2号物語を実現しようとする

終戦をむかえるとダーリントン卿は不名誉な立場に追いこまれる

数年後には

ダーリントン・ホールはアメリカ人の主人をむかえたが

森の奥に真っ赤な夕陽がいつものように沈んでいくのを

老スティーブンスいつまでもその追想とともにみつめている

 

電車が弧線を描いてはいってくる谷間の盆地

その街では若き日に多くの友人が死をいそいだ

音痴の基ちゃんは自動車にギターをつむと

林の奥にある川原にぼくを連れだして

上手ではない歌をうたってはなぐさめてくれた

幼いころからこの盆地のうえには

大きな雲が厚くかかっているようだった

裏山の深い森林につつまれるようにその屋敷は建っていた

大きな池には鯉が何匹も泳ぐ

門を入ると倉と母屋の間の左手には大王松があり

その後ろには隠れるようにちいさな別邸があった

ゆかた姿の幼い姉は父のこぐ自転車の後ろの座席に乗って

日本舞踊をならうためにこの屋敷にかよった

 

終戦まじかになると

この町にも硫黄島からかもめのように飛んできたP51ムスタングが

轟音とともに駅や線路にかけて機銃掃射をした

ひとびとは逃げ惑いながら地面に倒れた

和紙と絹で知られていた町

「横浜海岸通之図」によると

明治時代の英国への輸出品は生糸とお茶が中心だった

その代わりに日本は船舶と兵器を英国から輸入した

特に生糸は連続八十二年間連続で輸出のトップだった

いまは日本は生糸や絹の輸入国である

横浜の歴史は

日本近代の町と文化の象徴である

関内と関外との間の堀と橋をわたるひとり歩き

ペリー来航の記念碑の近くに建つシルクセンターには

旧鎌倉街道ぞいの北の町の物産をめぐるシルクロードの物語がつまっている

 

下町では真夜中の三時になると

いつもけたたましくサイレンが鳴った

消防車と救急車がせわしなく走った

夏の夜の熱い火事現場の横を

暴走族のクラクションが

「ゴッドファーザーのテーマ」を足早にかき鳴らして走っていく

赤いローバーミニが路地裏に消え

ルーズソックスの少女を黒いサイドカーに乗せると

ハーレー・ダビッドソンが中仙道を駆けぬけて行く

小学生のころ毎週買って読んだ

「少年マガジン」や「少年サンデー」のカラーグラビアには

ベトナム戦争で活躍するジェット戦闘機の解説が載っていた

いまでも帰りの電車で居眠りをするビジネスマンがかかえる漫画雑誌

朝から元気なOLは駅のホームで日経新聞を読む

アメリカの文化の自由な開放性は

なにをもたらしたのか

コンピュータと軍隊と軽みの文化のグローバルスタンダード

工場の閉まった土曜日と日曜日だけ夜空に星がみえた

戦争はなくとも

失われた十年の歳月による十分に負債を背負った社会

町のセメント工場は

整理されていまは閉鎖されていた

毎朝走っていたミキサー車も

もう見られない

 

・・・坂をくだって仕事にむかうひとびと

 

月曜日になると

通勤電車はいつも不祥事や事故で止まった

今日も朝からもめごとがおこっているのだろうか

線路と線路の空き地に高級マンションが建ちはじめる

幾本ものクレーンが何回もつりあげられ昼がおとずれた

コンビニエンスストアに昼の弁当を買う行列ができては

いろいろなものがクレーンでおろされると夕暮れになった

不況とはいえ安くておいしい居酒屋に夕暮れの笑い声が絶えなかった

工場の跡地には関西からスーパーマーケットがやってくる

黒いセーターを着た背の高い黒人の夫人が歩いている

 

・・・坂をのぼって仕事から帰ってくるひとびと

 

「イヨーッ いとね」と合いの手がはいる

姉は日本舞踊家花柳糸音となって

国立劇場で「独楽」を踊っていた

夕陽の落ちる下町で

子どものいないぼくは妻とふたりで生きる

自らをともしびとして生きる「自己」とは何かと自問する

葬送と序奏を繰り返す

ビルよ 橋よ

ひとよ 猫よ

地下道よ 下水道よ

レッド・ツェッペリン(鉛の飛行船)の歌う

「天国への階段」(Stairway to heaven)をカラオケで歌った

貸しビデオ店で「「誰がために鐘が鳴る」はありますか」と聴いた

若い店員が「あるよ」とぞんざいに答えると奥で探している

「はい、このCDだね」と

差し出されたのは浜田省吾のCD「誰がために鐘は鳴る」だった

「へミングウェイの文芸ロマン「誰がために鐘が鳴る」だよ」といらだたしげに言う

「ないっす。すいません」奥から顔をみせずに店員のかぼそい答えが帰ってくる

都市よ 始まりがないなら流れよ

代々木の街にエンパイヤ・ステート・ビルが建つ

都市よ 終わりがないなら流れよ

四つの副都心の街でぼったくり防止条例が施行される

歌姫は渋谷のシアター・コクーンで高らかにアンコールをうたっている

「まわるまわるよ 時代は回る

 喜び悲しみ くり返し

 今日も倒れた旅人たちも

 生まれ変わって 歩き出すよ」 (中島みゆき「時代」)

海のむこうで戦争がはじまる

空のうえで飛行機が衝突する

月へむかう海の基地でロケットが傾いてくずれ落ちた

登山家たちがのぼっていく山のうえで宇宙船が爆発して破片が落ちてくる

わたしたちはどこへ行こうというのだろうか

わたしたちには身体があるが

わたしたちの内なる精神はどこへ行こうというのだろうか

歴史の過去へとむかう精神の座

時代の未来へとむかう精神の座

どちらも身体とともに現実という「色(物質)」と「空(精神)」を横切っていくのだが・・・

 

      (九)

 

  地球は回転する

 

海が空の変化にそまると

赤いシュノーケルをくわえて

足ひれをはめた

いっきに身を投げだして海のなかに落ちる

重力は浮力のために不安な心地よさを胃袋と脳髄にあたえた

海面直下を大きなタチウオがくねくねと逃げ惑っている

ソーセージの切り身を小さくほぐして海中にまく

赤色・黄色・緑色の熱帯魚が目の前で群れている

街角の「マンボー」でささやかな誕生日を祝った

海水を飲んであわてて浮かびあがったのは

「人生」の驚きのためだったろうか

それとも異物をふくんだ現代社会の著しい変化のためだったろうか

そこには

海上の上の基地と青空が千年もの間

むかしからの空をながめながら眠っていた

海のなかの人間が酸素を求めて浮きあがる

引きあげ船に幻を詰めたまま

引きあげよと命じているもの それは

大航海時代のパイプの夢想か

海上基地の上でセビリア生まれの老人が

青みかかったパイプの煙をくゆらせ

まどろみに身を投げいれてはスペイン語で夢をみている

ぼくらはともに存立平面上の現存在だ

 

セビリアから世界就航にむけて

マガリャンイス(マゼラン)は五隻の船で出発する 一五一九年

 

南太平洋では

フィリピンのマニラ湾にて

アメリカのアジア艦隊はスペイン艦隊を奇襲する 一八九八年五月

四隻の巡洋艦と二隻の砲艦の大砲から黒煙がたつ

ダグラス・マッカーサーの父アーサー参謀長のひきいる

四八〇〇人のアメリカ陸軍が派遣されていた

フィリピン群島の占領

そこでの総司令官は初代の軍事総督アーサー・マッカーサーである

このときアメリカは

ウェーキ島とハワイ諸島の合併とともに太平洋にむいた国家となった

捕鯨船に乗ったメルヴィルは

人食い人種タイピーの島からようやく逃げ出す

 

  地球は回転する

 

線路のむこうに太陽が浮かんでいた

二本の線路に赤い太陽の残光が反射している

プラットホームには勤めから帰るサラリーマンたちが

手持ちぶさたそうにカバンを大きく揺らせて

電車をまっているいつもの夕暮れの風景

秋の道に猫は寝そべり

青い丘に真っ赤な太陽が沈んだ町の残映

部屋に帰り風呂からあがると全身に疲労がひろがった

空腹感とも解放感ともいわれない不思議な空間

地上の時間がとまり

無意識のなかからいくつかの夢が立ち現れる

ボードレールの詩はマルグリットのパイプの絵

二つのパイプの絵は「パイプ」そのものではなかった

思考をとめたまま

モザイク画のような無意志的な夢が現れては消えていった

(アメリカバクは無意識のなかに隠された

 たくさんの悪い夢を食べてくれるというのだが・・・)

半円を描くように電車は山と丘に囲まれた盆地のなかへとはいっていった

私鉄とJRが交錯する始発電車のでるこの町で

幾人かの友が死ぬ時節にかかわった

カンちゃんもコッペも町ではできのよい生徒だった

寝坊をしてぐっしょりと寝汗をかいていた

ぼんやりとした目覚めだったが

太陽は白くもう午後二時になっていた

タオルで顔をこすりながら食卓に座り

冷蔵庫を開けて冷たいゆで卵を額にあてセロリを齧った

耳の奥に聞こえる夜汽車の音の残響

町には石灰岩をとるために採石場まで引込み線がとおっていた

夕暮れ

お風呂につかりながら夜汽車の汽笛が遠くで鳴っていた幼年期

高校時代の友人たちは小説というものを書いていた

恋愛私小説『サウダージ』(盛田隆二著)と作家水城昭彦

まもなく同じ高校のブラスバンドでフリュートを吹いていた小柄な男が

芥川賞を受賞した

それは無明のなかで

ひとつの明証性を与える行為であったが

同時にそれは

新宿界隈という都市に生きる人間と人間の非理性なるものへの

出会いと思考のはじまりであった

新宿の街に隠されたエロスの風景

 

  地球は回転する

 

水族館の水槽のなかで泳いでいるトロピカルフィッシュは

きみの顔をかすめてゆうゆうと泳いでいる

ベルギーのダークビールを飲んで

いい気分にあがってしまっている胃のなかのプール

青いテーブルクロスのうえのロブスターを

幸福になりたいひとびとへと料理でもするかとレシピにみいる料理人

冷えた白ワインを人間として生まれてきた口腔へと注ぎ込む

つかのまの冷たい幸福感

血管を流れる赤ワインはボルドーとブルゴーニュの河口と丘からやってきた

部屋を流れるジャズのリズムと音が

血管のなかをともになかよく流れる赤のテーブルクロス

「マンボー」というお店での古い話だった

マンボーはランボーではなかった

『地獄の季節』は五百部が印刷されていたが

ランボーには数冊が届いただけだった

以来詩集の発行は五百部となった

うすよごれた革のトランクが開かれる

ヨーロッパから脱出をはかるランボー

帰国して結婚を望んだランボーの乱暴な話

年も押し迫った十二月のことだった

街の駅の構内に鳩が飛びこんできた

英語の「ピジョン」というレストランで

山鳩の硬い足の皮をかじった両手と歯茎の感触

街の働き人の酒場では

森進一が美空ひばりの「悲しい酒」を歌うレコード音の耳のそよぎ

時代の表層から歌う井上陽水と

時代の深層から歌う中島みゆきと

それとも時代を空へと歌うユーミンと

きみはどちらが好きですかと

銀行の暗証番号をチェーザレ・ボルジアの生まれた年にして

人生の悲しい色をしているきみに聞いた

レコードもテープも引越しのときにおいてきた

CDがDVDへと変節を重ねる時代と歌をめぐる現象・・・

ビートルズはインドへ行く

桑田佳祐は沖縄に行く

「No man is an island」と書いた

ジョン・ダンの詩「誰がために鐘は鳴る」(For whom the bell tolls) を歌う

浜田省吾はどこへ行く

ぼくらはともに存立平面上の現存在だ

「蒼ざめたイルミネーション

 孤独を照らす時

 鐘が鳴っている 欲望の地で誇りと理想に生きる者に

 鐘が鳴っている 詩人のように傷ついた心いたわる者に

 輝いてる清く強く・やがて一九九九」 (浜田省吾詩人の鐘「誰がために鐘は鳴る」)

マルセイユに

詩をすてて片足を引いたランボーが

悲痛の思いで帰ってくる

 

 地球は回転する

 

メロディを失った若者たちの歌

ビーズ(Bz)の音楽にあわせて年齢ににあわずぼくだって身体を動かしてみた

雨降る夜の横浜の国際競技場で

右手を上げて一・二・三・・・

ここは二〇〇二年には

ワールドサッカーの決勝戦がおこなわれる競技場だった

駅の構内はこんなに混雑しているのに

これでも不況なのだろうか

東京よりも人出が多かった

若者たちの身の動き

声の合唱

ドーヴァー海峡をこえて聞こえてくる

英国のウェールズ地方にもスペインのバスク地方にも

聞こえる風のメロディは

もののあわれを理解するケルトのひとびとの聴く妖精の歌

かれらは海上を走る不思議な船に乗って

不老国におもむくという

西洋美術館で秘宝展(Keltic Treasure s)をみたことがある

ケルトの歌姫エンヤは歌う「雨にけぶるアフリカ」

船に乗ってたどりつく東西のよみの国の入口には

真っ黄色に咲くやまぶきの花が咲き匂うという

ぼくらはともに存立平面上の現存在だ

「どれ程長い旅になるのか

 私にはわからない

 あとどれくらい

 この道を旅すればいいのでしょう」(「エンヤ」)

 

     (十)

 

霧の丘

七つの丘が霧におおわれる

自動車も橋も

霧のなかでモノトーンになった

坂をのぼると山の手はゆっくりとしている

坂をくだると下町は忙しかった

谷間と水路に浮かぶ橋の風景はいつからできたのだろう

下町と山の手は幾つもの橋でつながっている

武蔵野台地の東端にたつ城跡の森

神秘な丘に霧が流れると

空虚な中心に風が吹きはじめた

かつてこの七つの丘は

震災と戦災の二度の廃墟を経験し

放射する道路をひとびとは移動した

太陽が霧をはらう

バスを降りて鴎外記念館を過ぎ団子坂をくだる

谷中へとつづく道ぞいには

剣豪の墓のある全生庵がある

「国事に殉じた者」を弔うこの寺には

日本近代文学に影響を与えた「怪談 牡丹灯籠」の物語がある

「命も金も名もいらぬ人間」と西郷隆盛にいわせた山岡鉄舟の死にゆく枕許で

三遊亭円朝は泣きながら落語を一席講じた

谷中の徳川慶喜の墓

それをまもるように近くの小さな寺にある高橋泥舟の石墓

かれらは今では幕末の三舟と呼ばれている

桜並木を通って東叡山寛永寺をぬけ

芸術大学から噴水を越えて深い森へとつづく道

かれらにとっては守るものとはいったい何であったか

彰義隊の無縁仏のうえに鹿児島をむいている西郷隆盛の像が立つ

一八七七年の二月に西郷軍出撃

その年の九月城山にて自決

頭山満は西郷の思想を青年たちに鼓舞する

九段坂の森から上野の森を睨んでいるのは

どなたの銅像ですか 日本陸軍の創始者大村益次郎さん

靖国神社は招魂社とよばれている

明治革命のゆくえをうらないつつ

毎年桜前線の開花日をうらなっています

「これがあるとき かれがある

 これが生ずるとき かれが生ずる

 これがないとき かれがない

 これが滅するとき かれが滅する」

ひとの縁起

種の縁起

社会の縁起が円環する

七〇年代から九〇年代の夏の太陽が照り返る

江戸時代からつづく甘味処「みはし」のクリームあんみつをすすり

明治時代からつづく「うさぎ屋」の最中をかじる

水路のうえにかかる高速道路に近代は戦後となってやってきた

鳥が飛んでいく

ビルとビルの谷間を通過するもの

ひとびとがJRで線路上のおおきな円を描くとき

ひとびとは赤い電車で地下壕に線路上のおおきなUの字を描いた

中央線の線路がまっすぐ水路のとなりを走り

三つの線路の交差点には幾つもの電気店の顔があった

東京駅・・・正午の中央駅からアムステルダムの街をみあげている

東京タワー・・・午後のエッフェル塔からセーヌのバトウムッシュをみおろしている

増上寺・・・夕暮れの門にもたれてモーツァルトの結婚式も葬儀もおこなわれたという

聖ステファン教会の鐘をきいている

下町の路地裏にさく朝顔やほうずきに隠されたエロスの風景

江戸の七つの丘のふもとを隅田川が流れ

ローマの七つの丘のふもとにテベレ川が流れている

浅草の町を歩くどじょうと

トラステベレの町を歩くパスタ

黒い帽子をかぶっているのは東京に出てきた中原中也さん

 

・・・霧のコラージュの都市の物語

 

オランダの小さな運河のある街で

日本を描いたまがいものの古地図をみたことがある

それは運河ぞいの家並みのある通りの店だった

タイの街角で帰り際に痩せた男にせがまれてまがいもののルイ・ビトンを買った

東京の銀座の四つ角に出店するブランド店の風景

いつも旅行者は忙しい

トレドの街では街角に飾られている色彩ゆたかな焼き物を買う時間もなかった

アッシジの町ではガスポー二の写真集を買いそびれた

オランダには伊万里焼や日本刀や屏風が日本からもちこまれている

ポルトガル製の華麗な地図(アトラス)には

LAPANと記されていたが

一六〇七年になるとメルカトールのアトラス・マイナーのなかに

不完全ではあるが

「日本地図」として日本列島の全貌がしめされていた

アムステルダムの町の街路樹は

博物誌に興味をもつシーボルトが持ちかえったトチの木である

と司馬遼太郎は書いている

あごひげの老人ばかりが街の塀の近くを歩いていた

アムステルダムの下町のユダヤ人のお店の奥に飾られていた

青いデルフト焼きの絵像

店の一番奥に飾ってあったそれを高価な値で買って持ち帰った

 

冬のブリュージュは

霧のなかにベギン修道院がみえている

水路の石橋を渡りディブヒュ河岸を歩む

海路から遅い春がやってくると

水仙が咲き誇る街

夏になると

森のなかの運河を白鳥を追いながらボートが行きかう街

ローデンバックが『死都ブリュージュ』を書き

クノップフが絵を画いた街

しかし 無垢と死性を示す記号を拒絶して

この石の町を生きてきたものがある

 

中世の時代からひとびとと鳥獣たちが住みともに生活を営んでいた町

ここではなぜか暗い風景の記憶ばかり思いおこされてくる

 

冷たいどしゃぶりの雨のなかを

ノートル・ダム教会と幽霊のように宵闇のなかにたちあがる鐘楼を

サーチライトが照らしだしていた

想像力が時の境界を越境する

中世の文物を陳列したグルーニング美術館やとなりの博物館で

サンスクリット学者ホイジンガーは

ヨーロッパの「中世の秋」へと回帰をはたした

それは「ヨーロッパ的出来事」だった

この国はかつてオランダ、ベルギー、フランスを横断した

ブルゴーニュ公国の一員だった

翌朝遅く空虚なまどろみから覚めると

現在の街には霧が立ちこめ

白い太陽がうすもやの空に浮かんでいた

細い街路を白いミニクーパーが曲がり角にさしかかる

市場で昨日の夕方の雑踏で求めたリンゴは

テーブルのうえで

鮮やかな緑に色づいている

まるで大陸の文化を横断する色に輝きながら・・・

 

       (十一)

 

鉄道の発祥の地新橋駅から「ゆりかもめ」に乗る

東京の街を歩いてもう何年にもなるが

少しも「仕事」がまとまらなかった

湾岸にかかる巨大な橋から

夕暮れの有明埠頭が眼下にうつしだされていた

白と赤の送電線

鉄橋があり工場の煙突から煙が流れている

クレーン車と工場のかなたに海岸がみえている

プレハブの住宅群とくすんだ赤レンガの小学校

モノレールや自動車がゆっくりと動いている

置き忘れたような駐車場には小型トラックが散在している

空打ちゴルフ場

桟橋から沖縄にむけて船に乗るひとびとの姿は

いまはみえるだろうか

二泊三日の旅を終えて

客船は昼

青く光る沖縄の港に着く

広大な沖縄の海には

今でも「とらさん」が「るり子さん」に恋こがれているだろうか

柳宗悦は昭和十三年以来四回も沖縄へおもむいた

沖縄戦で失われたものが

その時に多く収集されて残されている

民芸博物館や池袋の「沖縄レストラン」でみる

琉球製のくすぶりやつやのある骨董品

 

旧仏領インドシナのサイゴンで生まれたパスカル・ローズの物語

彼女はマルグリット・デュラスに影響されて

作家となったひとである

物語はアメリカの軍人とフランスの母をもつ戦争遺児

一九四五年四月

主人公ローラ・カールソンの父は

沖縄の洋上でカミカゼ機の攻撃を受ける

戦艦メリーランドの艦上でソルジャーたちは奮戦するが戦死する

パリの母方の両親の暗いアパルトマンに移り住む

ローラ・カールソンの耳奥で今も苦しめる「ゼロ戦」の轟音

その音は『ゼロ戦 沖縄・パリ・幻の愛』として

昼も夜も九〇年代のパリにいる彼女を追跡しつづける

アーサー・マッカーサーの息子ダグラス・マッカーサーのフィリピンへの再上陸

愛機に乗り太平洋を北上する

国体という幻想に身もこころもからめとられた小さな島々は

かろうじて分割をまぬがれた

江戸開府から四〇〇年

ペリーが来航して一五〇年

マッカーサーが厚木に降り立ってから五〇年

ベトナムでも フィリピンでも 

タイやカンボジアでも東チィモールでも

バルカン半島や朝鮮半島でも

・・・アジアの地域に反復されるエネルギー

「これがあるとき かれがある

 これが生ずるとき かれが生ずる

 これがないとき かれがない

 これが滅するとき かれが滅する」

ひとの縁起

種の縁起

社会の縁起が円環する

九〇年代から21世紀の夏の太陽が照り返る

 

鳥羽・伏見の戦いはその年の一月にあった

江戸城の開場は四月

彰義隊戦争は五月

長岡城攻防戦は五月から七月だった

九月には会津若松城攻防戦があった

遠いいいつたえによる記憶の想起

乾燥した北越の都市長岡を

黄色い女たちの着物の裾が接吻し

原子力発電所のある柏崎の近くでは

高速道路を走るバスのなかから

日本のブッダといわれた良寛と

左手の書家の生まれた大地をみた

まもなくバスの窓から

雪におおわれた元首相の屋敷がすぎていった

市内へはいり海草のへぎ蕎麦を昼食にとった

昭和十八年に画家の川端龍子は

「越後」と題する太平洋の球面をみせる地球儀の前で

地図にみいる山本五十六の像を描いた

山脈に驟雨が降る夏の日が

江戸から明治に移る内戦を戦う男たちのために今日もあるだろうか

帝国の末路にさしかかる兵士や女たちのために今日もあるだろうか

戦後の経済戦争に明け暮れる男たちのために今日もあるだろうか

萩市と会津若松市はいまでも仲が悪いが

長岡に生まれた河井継之介と山本五十六と田中角栄は

ともに同じ土地を故郷とした

ウィリアム・フォークナーは南部人として

南北戦争の敗北と日本の敗戦をむすびつける

インドシナでベトナム戦争がおこったのは南北戦争の後百年がたってからである

外からみた日本の「近代」

内からみた日本の「近代」

 多くの鳥獣が生まれ

  多くの鳥獣が死んでいった

  都会にでてきたきみにはかろうじて住む家がある

 故郷は喪失したが 田舎にはわずかな親戚が暮らしている

毎年むかえるお盆には

朝鮮半島のひとびとと同じように故郷に帰るわたしたちの動作感覚

朝鮮半島のひとたちは不況のために故郷に帰る費用がなかった

暗い世相のなかで

いつの時代にも

沈黙する動物たちがいる

変わらぬ夏の日の繰り返しがある

残存機能を拡張させた障害者たちは協力して

コンピュータにむかっている

「わたし二十七歳のロシア嬢です。夫がなくなり暇をもてあましています。

 だれかわたしとチャットしませんか。」

コンピューターの画像が

さらに横文字のストックフレーズを反復させている

 Tomorrow is another day.

 Tomorrow is another day.

 Tomorrow is another day.

 

——了——

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2003/03/25

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岡本 勝人

オカモト カツヒト
おかもと かつひと 詩人・文芸評論家 1954年 埼玉県に生まれる。主な著作は、『ノスタルジック・ポエジー』、『シャーロック・ホームズという名のお店』ほか。

掲載作表題の「ミゼレーレ」とは、十七世紀の作曲家グレゴリオ・アレグリの作曲した教会音楽であるが、ローマの聖ペテロ大聖堂では、写譜したり、門外に持ち出すことを禁じられている秘曲である。この長編詩は、2003(平成15)年2月15日「ペン電子文藝館」のために、「早稲田文学」および「現代詩手帖」に掲載の作に加筆訂正した新稿である。