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冬の蝶・農夫

  冬の蝶

灰色深き冬空の

見る/\雨のこぼれきて

(はだへ)に告ぐる寒き日を

覚束なくも飛ぶ蝶よ。

春は菫の花に泣き

夏は小百合の香に酔ひて

闌なりしその夢は

萩吹く風にさめたるか。

つらく悲く淋くて

われも泣きたきこの雨よ

なが脆くして美しき

羽をうたするになど耐へん。

夕くれさればこの雨は

やがて雪ともかはるべし

さらば凍えんなが命、

それとも知らで飛ぶことか。

長らふまゝに吹きつのる

嵐烈しき世と知らば

紅葉が(もと)()(から)

埋めたらんに口惜しく。

われもこの世は佗び果てゝ

暫しは歌にかくるれど

まださめやらぬ胸の血ぞ

来ても縋れや冬の蝶。

   ◯

石の上に白き胡蝶の凍えたり。

  農 夫

帰牛(きぎう)の群にまじりつゝ

帰る農夫の簑の()に、

胡桃の葉散る村外れ、

秋の葉黄ばむ森の上。

牛と無心に野辺に出で、

牛と悠々家を指す、

あゝ生涯は(たひらか)の、

村の(こみち)の如くなり。

美なる自然の(ふところ)に、

かき抱かるゝ幼子(をさなご)と、

言はゞや言はん、聞けうたふ、

罪なき恋の一節(ひとふし)は、

彼等の父も其父も、

ここに(とな)へし調なり。

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2009/03/04

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大塚 甲山

オオツカ コウザン
おおつか こうざん 詩人、俳人、歌人。明治13年(1880)~明治44年(1911)。青森県生まれ。明治35年(1902)上京、河東碧梧桐、与謝野鉄幹などの知遇を得る。その後、森外、上田敏らと交流。明治37年(1904)、社会主義協会に入り、坪内逍遥の紹介で反戦詩を「新小説」に発表したほか、多数の詩を「新小説」、「明星」、「平民新聞」などに掲載した。その後、故郷に戻り、「東奥日報」の俳壇・歌壇の選者を務めた。肺結核で31歳の短い生涯を閉じた。

掲載作のうち「冬の蝶」は「文庫」1901(明治34)年1月号、「農夫」は、「読売新聞」1904(明治37)年10月16日付で初出。『明治文学全集83 明治社会主義文学集(一)』(1965年7月、筑摩書房刊)により収録。

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