雛人形
妻が、小学校二年生の娘のために、雛を飾った。
寒い晩であった。三月一日のビキニデーの集会に出発する平和運動の代表を見送って、遅く帰宅した私は、いくらか上気顔の妻からそれを報告された。
雛を飾ったという知らせは、疲れた私をハッとさせた。もう三月か、という新鮮な思いが、この一ヵ月、カンパ活動や、各労働組合へのオルグなどに追われていた私をとらえた。しかしそれは、三月一日のビキニデーをめざす活動の中心にいながら、三月の近づきを忘れていた感覚のなまりを、後ろめたく気にかけさせるものを持っていた。
飾られた雛は、華やかであった。娘が三つになった時、妻の母が買い与えてくれたもので、かなり高価なものであった。私は、最も愛らしさの溢れた五人囃子に心をひかれたが、緋毛氈の燃えたつ色を、深い記憶の中の同じ色に重ねずにはおれなかった。
「あなたのお雛様は、二階の床の間に置いておきましたよ。まだひらいてないけど」
「うん」
私は再び、もう三月か、と深く思った。
私にとって三月という月は、いつの年もいろいろな意味で、心に籠もる重みをもった日々として過ぎていく。私の記憶はそのたびに深くなり、螺旋の高みからその根元をのぞきこむ時、私が、今生きて、生活をしているということと絶えず均衡しあっている「時間」をそこに見ずにはおれない。別な言い方をするならば、おきあがりこぼしをけっして寝かせてはおかない、底の錘りのようなものとしてそれはある。
それはもう、一九四五年の三月の過ぎ去った日々ではあっても、鮮やかに繰り返される「時間」なのだ。私は、古い内裏雛を、そのことの証しのように大切に持っている。「あなたの家宝ね」と妻が言ったことがある。それは決して揶揄ではなかったが、私の記憶を知った者としては口にすべきではない言葉の軽さがあって、その時、私は不機嫌であった。
私は、コートを脱ぐと、二階にあがった。妻はついて来なかった。私は、古びて黒ずんだ桐の箱から雛人形をとりだし、冷え冷えとした部屋の床の間にそれを並べた。
二十五年前、あるじを失った雛は、老いていた。女雛の五衣や唐衣、男雛の束帯も、その金襴はすでに錦としての華やぎを失っていた。真紅の裳も色褪せ、写実的な顔の肌がくすんで痛々しげであったが、僅かに袖口の手首の白さが、この雛を最後に飾った時の母の手の動きを、私に思い起こさせる。私は、底冷えのする寒さをとおして、ありありと記憶の底の寒さを感じた。
その日も寒かった。その日だけでなく、一九四五年の東京の冬は、激しくなる米軍の空襲が、死への近接と何かしら終末の予感とを人々に与え、あたかも戦争の一部ででもあるかのように険しく寒かった。二月の末には、明治以来と言われる大雪が降った。国民学校五年生だった私は、この年のはじめの異常な寒さも、鉛色の低い空もその大雪も、すべてはじめての経験として、はっきりと記憶している。
私の家は、駒込浅嘉町の吉祥寺と路地ひとつ隔てたところにあった。飛鳥山から駒込を通り、白山上から本郷三丁目に通う電車通りから、吉祥寺山門の右手の石屋の横を入る路地に、私の家はあった。その路地は、裏のごたごたした大通りに通じていたが、そのほかにも迷路のような路地が入りくんでいて、吉祥寺ばかりでなく、小さな寺があちこちにあった。歩いていくと、白壁の寺の塀や山門などが不意に現れ、欅や椎などが高い塀を越えて繁り、天気の悪い日とか、夕暮れの時には薄気味悪く路地を暗くしていた。それは、この年の冬のどんよりした低い空の記憶と重なって、息苦しい時代そのもののように思い出される。
当時私は、毎朝、門口の防火用水槽の氷を割るのが日課になっていたが、少年の手には負えない程に厚く張りつめる朝が多く、母が沸かした熱湯でも、溶かすのは容易でなかった。
その朝も、氷は張りつめていた。二、三日前に降った大雪が屋根にのこっていた。私は、太い釘抜きを使って氷を割りはじめた。手許が痺れるような手応えがあって、真っ白な氷片が飛び散った。私は、しだいに白い息をはずませながら、半透明の表面をたたき続けた。
「かしてごらん」
不意に声をかけられて、私は、はっとして見上げた。声を聞いた瞬間に、「あ、あいつだ」と知った。黒い外套の長身の男が鋭い目で薄く笑っていた。
「いいです」
私は、敵意をむきだしにして言った。そして、氷の破片の輝きに視線を落とした。
「お父さんは、いるかい」
黒外套の声は、いつの時も低く陰鬱に感じられた。
「ゆうべは、大学の宿直だったんだろう」
絶えず見張られているという恐怖がよみがえった。特高は、このように突然現れ、私たち一家に言い知れぬ恐怖を与えて去る。そして、その恐怖の囲繞を忘れかけたころに、再び確実に現れるのであった。
「三日前、お客さんがあったようだね」
「ありません」
思わずはむかうように言って、私は冷たい鉄の棒を握りしめ、振りおろした。細かな氷片が鋭く散って、それは男の外套に附着して光った。革手袋がゆっくり動いて、黒外套は含み笑いをした。そして、さっと歩きだした。
私は「あいつ」の後ろ姿を見つめた。「あいつ」は、吉祥寺の長い石塀に沿って電車道路に通ずる路地を大股に歩いていった。そして、境内から高々と枝を張りだしている銀杏の木のあるあたりで、姿を消した。通用門から寺の中を通り抜けるのだろう。
私は、黒々とした銀杏の枝を見上げ、朝の白い空に定まらぬ視線をおいたが、急に寒気を感じ、それは不吉な予感のように体を走った。私は、今度は緊張した視線を、境内の欅の梢にとめた。欅の木は、高低のあるいくつかの群れになって細かな枝々を網のように空にひろげ、微かにも動かず凍っていた。
「また、あいつが来たよ」
母と姉と三人で食卓についた時、私は言った。
「え、いつ」
「もう帰った。さっき氷を割っている時」
「こわいわ、お母さん」
姉の洋子は、ふだんでも青い顔をこわばらせた。
「だいじょうぶ。心配しなくてもいいのよ」
母は、わざとゆっくり言った。
「お父さんは、何も悪いことなんかなさっていないのよ。教務課で留学生係のお仕事をなさっているからなの。あなたがただって分かっているでしょうに」
「でも、いつか警察に呼ばれた時、あんなに打たれてきたわ。お父さん、かわいそう。あんなに顔を腫らして」
洋子はすぐに涙ぐんだ。
「さ、ご馳走よ」
「あ、お米じゃない!」
私は、母の差し出した芋粥の椀に、小さく叫んだ。そのころの主食と言えば、芋か豆か、コウリャンだったのだ。
「お行儀よくなさい。夜は空襲が続いているから、朝にご馳走よ」
姉も、細い指を揃えてお椀を受けとった。青菜の味噌汁と、酢豆が卓袱台に並んでいた。
「はい、お塩。このお米ね、さきおとつい田端の青木からいただいたの」
「え、さきおとつい」
私は、「あいつ」を思い出して、不安にとりつかれた。
「そう。疎開の荷造りのことで相談に来ていただいたのよ」
田端に住む青木というのは、母の遠い親戚で、植木職人をしていた。
三人は、そのあと押し黙って食事を済ませた。
「和郎ちゃん、ラジオつけといてね」
台所から母の声が届いた。私は奥の部屋に行って、仏壇のわきのラジオにスイッチを入れてから、置き炬燵に足をつっこんで横になった。爆風よけの和紙を貼りつけた硝子戸ごしに、庭をぼんやりと眺めた。
その日は学校は休みであった。一月の末から空襲が激しくなり、東京は連日のように空襲警報下におかれ、赤茶けた焼け跡がひろがりはじめていた。それは、サイパン島を基地とする米軍のB29大型爆撃機による空襲であった。私の通っていた本郷駒本国民学校では、前の年の夏に集団疎開が行われ、残留組が各学年毎に一つずつあったが、空襲のたびに空席が目立っていった。縁故疎開もあったが、死んでいった級友もかなりあった。学校全体が、少年たちの喊声を失って廃墟のように静まりかえった。一日おき、あるいは二日おきの登校日にも授業は行われず、給食のパンを一個ずつ貰って、二時間くらいで下校する日が続いていた。
いつ焼け出されるか、いつ死ぬかという緊張が、子供心にもあった。学校は、すでに学校ではなくなっていて、無気力に残留を確認しあう場にすぎなくなっていた。緊迫した時局に対処する一億決死挺身の決意が、年老いた校長から何回となく披瀝されたりしたが、少年たちの無気力を救いはしなかった。授業も行われず、学校でも、家に帰ってからも集団であることを失った少年たちは、あてどをなくしていた。私にとって空襲警報下の緊張のみが、何かしら生命の充足を感じさせ、焼夷弾投下の凄絶な夜景や、燃えさかる血の色の空の異様な美しさなどが、生きていることの実感ですらあった。
「和郎ちゃんは、今日は休みなのね」
姉の洋子が来て、置き炬燵に手を差し入れ、蒲団の上に頬を寄せた。
「姉さんは」
女学校三年生の洋子は、女子挺身勤労令で動員されているのだ。
「行かなくてもいいの。この間の空襲で工場は焼けてしまったでしょ。あさって登校して、命令があるわ」
洋子は疲れたような声で言った。
「今度行くところ、田舎ならいいね」
私は起きむくりながら言って、姉の顔のそばに顎を埋めた。姉はぱちっと目を開いてから、微かに目のふちを染めて閉じた。
「東京のほうがいいわ。お父さんがかわいそうだもの」
間近になった母と私の疎開のことを姉は言っているのだった。もうじき、一家は散りぢりになる。兄は、熊本の少年航空兵の学校に入っている。母と私は父の郷里の岩手へ疎開し、姉は何処かへ動員され、父ひとり東京に残る。
「あたしは、ここが好きなの。この浅嘉町の家を離れたくないわ」
二人は押し黙った。戦争に勝つためには、何ごとも嘆いてはいけないと教えられていた。死ぬことも恐れてはいけないと知っていた。沈黙の底で私は、これから先どうなっていくか、それは明日のことも分からないが、とにかく仮の生活のような状態が終末に近づいていることだけは、寒さが身にしみいるように感じられた。
「おいで、洋子。和郎ちゃんも」
二階から母の呼ぶ声が届いた。二人は、ハッとしたように顔をあげた。私には、母の声が聞いたことのないような張りを含んでいるように思えた。洋子が先に立って、二階にあがった。
「まあ、お母さん」
ふくらんだ声と一緒に、姉の体が母のほうにのめりこんでいって、母の肩に縋っていた。
「ま、あぶないじゃないの洋子」
真っ赤な毛氈が鮮やかであった。母がしつらえた床の間の雛壇の前で、母と姉は、華やいで嬉しそうであった。色を失った世界に、いきなり鮮やかな花が咲いたようであった。
「いつ灰になるかわからないものね。お白酒も菱餅も何もないけど、飾ってみたくなったの」
母はそう言って、柔わ紙をはいで男雛を飾った。姉が金屏風を立て終わると、待ちきれないように母の白い手が伸びて、内裏雛が整った。私は、除け者にされたような不満を覚えながらも、ふたりの飾りつけを美しいものを見るように眺めていた。
「ありがとう、お母さん」
飾り終わって、姉は涙ぐんだ。泣き虫の姉ではあったが、私は、姉の喜びを理解できた。雛を飾るなどという心は、母が行わなかったら、姉や私には思い起こすことすらできなかったろう。三月が近づいていたのだ。
「このお雛様、洋子が生まれた時、お父さんが喜んで買ってきて下さったのよ。まだ見えないのにって言っても、お父さんきかなかったわ」
何回となく聞く話ではあったが、私はその時、人間の命というようなことを漠然と考えていた。少したって、母は言った。
「あなたがお嫁に行く時、持っていけたらねえ」
正座した姉の視線が、その時、ふと宙に浮いて何かを考え込むようであった。
不意に、あたりは静かであった。私は、雛壇をぼんやりと見つめながら、この雛も、この家も、そのうち焼きはらわれるだろうと思った。そして、そのあとに、今までとはまったく違った生活が始まるだろう。私は、荒涼とした焼け跡のひろがりを眺めるときに感ずる名状しがたい爽快感をひっそりと思い起こしていた。それは、何かしら期待感のようでもあった。
天候までが異常であった。翌日、また大雪となった。一日中降った。午後、私は誘い出されるように、防空頭巾をかぶり、金ボタンのついた外套を着て吉祥寺の境内に行った。
山門から中庭までの銀杏の黒々とした並木は、降りしきる雪に包まれ、水墨画のようにかすんでいた。本堂の大屋根も、鐘楼も厚い雪をかぶっていた。時折、表通りから電車の響きが伝わるだけで、無人の境内はひっそりとしている。私にとって、再びおとずれたその日の大雪は、生まれてはじめて遭遇する異変のように思われた。連日の空襲で異常に馴れ、少年の冒険心の充足を意識していた私にも、この大雪は、それ以上の新鮮な驚きと興奮を与えていた。私は、その熱っぽい心の昂ぶりを抑えることが出来ず、雪の境内を歩き散らした。
墓石の群れの間を、小道が迷路のように巡っていた。裸木の枝が雪そのもののようにかくれ、欅の梢も雪に消えて、薄鼠色の雪片が無限に天空から舞い降りた。さっき歩いた道に戻るころには、私の足跡は消え去ろうとしていた。私は、この雪がいつまでもやまずに降り続くことを願った。そうして、焼け跡も、汚れた街も一切を白々と深く埋めつくしてしまうことを思った。私は、歩けば歩くほど衝動にかられた。私は、いつか母が姉に話して聞かせた八百屋お七のことを思い出していた。火事で焼け出され吉祥寺に逃げた八百屋お七は、この寺で、寺小姓を好きになってしまったのだ。新しい家に戻ってからも、お七は恋する者に会いたくて、遂にわが家へ火を放った。そうすれば、再び吉祥寺へ来られると信じたのだ。お七は、江戸市中をひき廻しの末火あぶりの刑に処せられ、十六歳でこの世を去ったという。息を呑むようにして聞いていた姉の白い顔と同時に、その時、家を焼く焔の色をあやしく想像したことが思い出された。今、東京中が焼きはらわれていく。喩えようのない心の昂ぶりが、私を雪の中に走らせた。
夕方、私は疲れ切って家に帰った。雪は膝を越えるほどに積もっていた。長靴を脱ぐと、濡れた靴下が急に冷たかった。
「どうしたの、こんなに濡れて。何をしていたの」
母は叱責するように言った。外套の袖口や、防空頭巾のふちに、溶けた雪が再び凍りつくように附着していた。
「都電はほとんど止まってしまったんですってよ。洋子ちゃんもやっと帰ってきたばかり」
「お父さん、帰ってこれるかな」
私は、玄関の三畳間に外套を脱ぎ捨てながら言った。
「お父さんは、今夜も泊まりなの。さ、早くご飯にしてやすみましょ。また、空襲があってよ」
母は、乾いたタオルで私の外套をしきりにこすった。かたわらに姉の外套もひろがっていた。
黒い風呂敷で電灯を包んだ奥の部屋には、もう蒲団が敷かれていた。灯りの輪に包まれた置き炬燵で、姉は本を読んでいた。
「すごい雪だね」
私が声をかけると、姉は読みさしの本をかたわらにかくすように置いた。
「何を読んでいたの」
「何でもないわ。お父さんの書斎にあったの。見つかると叱られるわ」
私は、父の書斎に入っても本を手にしたことはなかった。いつか「あいつ」らがあがりこんで、めちゃめちゃに書棚を乱したことがあった。父は警察に連れていかれ、次の日、顔を腫らして帰った。私が学校から帰って、玄関に父の黒い靴を見たとき、安堵と一緒に父に対する憤りのような気持ちがこみあげてきたことを覚えている。私はランドセルを背負ったまま父の書斎に駆け込んだ。父は、私を見て笑ったが、その顔の半分は異様に腫れあがっていた。
「どうして……」
それだけ言って喉がつまって、ただ父の眼を見つめていた記憶がなまなましい。
すこしたった日、晩酌をしていた父が、その事件について話してきかせたことがあったが、以前、家に下宿させたことのある父の大学の朝鮮人学生が、動員先で戦争非協力者として捕らわれ、その巻き添えをくったというふうに私は理解していた。
「このごろは、経済事犯というのが多い」
母と話している父のそんな言葉と、当時家にいた兄が、言葉少なに、しかし激しい口調で父に反抗していた姿が、記憶にある。
父の書斎は、そのあとまた元のようにきちんと整理されたが、私はあまり近づかなかった。その事件のことも、そのあとの「あいつ」のことも、私は他人には言ってはならない隠すべきこととして理解していた。しかし、父に対して抱いた憤りのようなものは、すぐに消えていた。私がその優しい朝鮮人学生を覚えていたせいもあったし、あの時の父の笑いに信頼を持ったからであったが、なによりも、父を痛めつけた「あいつ」らに、恐れとともに憎しみを私が抱いたからだった。
洋子は立ちかけて、
「内緒よ」
と言って部屋を出ていった。私は、置き炬燵のやぐらに足の指をかけて蒲団に寝転んだ。疲れが急に全身を襲った。私は、あの朝鮮人学生の名は、呂明斎だつたなとぼんやり思い起こしていた。
三月に入った。寒い日が続いた。
姉の動員先は、本所の被服工場ということに決まった。姉は東京都内であることを喜んでいたが、連日B29による空襲下での通勤は危険であった。
「白河町の伯父さんのところに厄介になりなさい」
朝の食事時、父が言った。
「あたし、いや。家から通います」
父の言いなりになる姉が、珍しくきかなかった。
「そんなこと言ったって無理よ。白河町なら何の気兼ねもいらないわ。あたしたちも安心だし」
母もしきりにすすめた。白河町の伯父というのは、母の兄で、都の水道局に勤めていた。私より一つ下の、綾子という従妹がいた。
食事が終わった時、ラジオのブザーが鳴った。
「東部軍管区情報、東部軍管区情報、敵数目標、南方海上より伊豆半島に接近しつつあり」
「こんな朝っぱらから」
天井を見上げながら父が言った。その時、警戒警報を告げるサイレンが悪寒をそそるように鳴り、ラジオのブザーが断続した。
「関東地区、警戒警報発令、関東地区、警戒警報発令、横須賀海軍鎮守府発表……」
一瞬、かたずを呑む時間だった。もう少しすると、巨大な悲鳴のように空襲警報のサイレンが鳴るはずであった。そして、春日町の高射砲陣地から発射された砲弾が、上空で炸裂する音が響きだす。
父は、立って、障子をはずし、縁側の硝子戸を一杯にひらいた。そして庭へおり、防空壕の入口の蓋を開けた。冷たい朝の空気が勢いよく部屋に入りこんだ。母も勝手口から庭に廻って、筵を防火水槽につけた。
「さあ、お前たち、入ってなさい」
私と姉は防空頭巾をかぶり、毛布と蒲団を持って防空壕に入った。母も入ってきた。三人とも黙ったままだった。そのしじまを破ってサイレンが断続して鳴った。尾を引かず不意に鳴りやみ、何回もそれをくりかえす空襲警報のサイレンは、不気味な緊張をそのあとに孕んだ。高射砲の炸裂音が、冬の空をびりびりと裂いて響いた。父が身を屈めて入ってきた。ブリキで覆った厚い蓋を閉めたあとの黴くさい闇の中で、父が蝋燭に火をつけ、それからあぐらをかいて坐った。
「大変なことだ。東京中が灰になる。もうじき、みんな焼けてしまう」
父が、吐き捨てるように言った。私と姉はひとつの毛布にくるまっていたから、姉の体のふるえが伝わって、二人とも微かにふるえた。それでも姉は私の肩を抱いていた。
「ほんとうに、東京がこんなになるなんて、恐ろしいこと」
母の声もふるえていた。
「もう硫黄島に敵は上陸したそうだ。これで沖縄が落ちれば、いよいよ本土決戦になる」
私は、父の言葉を緊張して聞いていた。
「洋子」
と父が言った。姉は黙って父を見つめた。
「明日は、白河町の伯父さんの所へ行きなさい。今日でも、役所のほうへ電話しておくから。少しでも危険のないほうがいい。危ない時は、逃げるのだよ。もう少しの辛抱だ。体だけは気をつけてがんばるんだよ」
「はい」
姉は、きっぱりと返事した。そして私の肩を強く抱きしめた。
「和郎とお母さんは、今月末岩手へ疎開だ。とにかく少しの間の辛抱だ。またみんな一緒に暮らせるようになる。お父さんは大学へ泊まり込みだ」
「みんな、がんばりましょうね」
母はそう言って、忍び泣きだした。
「いや、お母さん、泣いちゃいや」
姉がきつい声で叫んだ。母は、息を呑んで泣くのをやめた。
「どれ」
父は入口に体をのばして、扉を開けた。
「静かだ」
父の声は、外にあった。
翌日、私は学校へ行った。出がけに母は言った。
「今日、白河町の伯父さんの所へ行ってくるからね。しばらく会えなくなるから、泊まって明日の朝早く帰ってくるわ。お父さんは大学お休みだから、よろしくね」
母は、にっこりと笑って、頷いて見せた。その時私は、母をきれいだと思った。
私は、吉祥寺の長い石塀に沿って歩いた。塀の陰になっているところに、雪は消えないであった。私は、わざと雪を踏みながら歩いていったが、大きな銀杏の木のある寺の通用門の前で足を停めた。境内の敷石は掃き清められていたが、そこだけしか通りようのないように、あたりの雪は深みがあった。そして、鐘楼のわきの楓の裸木が、朝の光の中に白々と見えた。
「和郎ちゃーん」
遠くから、しみいるような声が届いて、私はふりむいた。家の前に姉が立っていた。姉は、手を振った。しばらく会えなくなるための別れを言っているのだと私は思った。私も、手を振った。
姉は、小さく見えた。表情も逆光線で翳になって見えなかった。いつまでも振っている手だけが、いやに細く長く見えた。私は、もう一度手を振ると、ふりむきざまに駆けだした。
電車道路に出たところで、私はふと、姉の洋子とこのまま永久に会えなくなるかもしれないという予感に衝かれて、路地の奥に姉の姿を求めた。姉は、もういなかった。その時、私の心は、それまで経験したことのない儚い思いに支配されていた。別れと、死とが、あたかも同一のことのように重なって感じられた。
私は、都電に乗らずに歩きはじめた。本郷肴町から白山上の二つの停留所を歩く間にも、私の胸は空虚であった。
駒本国民学校は、電車道路から煉瓦塀に沿った古い石畳の道の奥に入ったところにあった。建て込んだ場所で、校舎の全容は見ることが出来なかった。明治の開化期に創立されたというその学校の煉瓦塀も、陽の当たらない石畳も、私は好きであった。
薄暗く静まりかえった校舎に入った。二階の教室にあがっても、女生徒が二人、廊下の窓際に寄って話し合っているだけで、教室の中はからだった。その、からの教室の中を何となく歩いてみたりしてから、私は、少し前の空襲で死んだ級友の席に腰をかけた。心臓が悪くて疎開せずに残った級友の顔と、彼の細い白い手とが思い出された。ついこの間まで生きていたものが、今はもうこの世界にいなくなってしまったという事実が、奇妙に思えた。しかしそれは、事実なのだ。死が、身近に感じられた。そして死は、恐ろしいことではなく、しのびやかに迫ってくる気配としてのみ感じられた。私は、残留組の教室をあらためて見まわした。死者の席は、あちこちに見当たった。
廊下にいた女生徒が入ってきた。二人は、両側から私を囲んで、昨日の空襲で担任の深津先生が重傷を負ったことを告げた。
「どこに入院したの」
「駒込病院ですって」
「あのへん、団子坂から動坂にかけて、爆弾でやられたんですって」
私はその話に、異様な緊迫感を感じていた。夜間空襲に見られる火の粉を整然と撒き散らしたように、チカチカと赤橙色に光りながら落下する焼夷弾の、神秘めいた終末感をそそりたてるような攻撃ではなく、黒い凶暴な鉄塊が、いきなりすべてを醜悪に引き裂くということの理不尽さが、腹立たしくもあった。
「爆弾ではなあ」
私は、終末の果てにかけていた漠然とした期待の感情が、著しく損なわれたことを知った。同時に、いよいよ終わりが迫ったという実感に緊張していた。
私は、明日縁故疎開することになったという二人の女生徒を教室に残して、冷えた躯で学校を出た。家への帰り、動坂上の駒込病院へ寄った。
縁なし眼鏡をかけ、丸々と太った独身の女教師深津先生は、すでに死んでいた。そのことを告げる受付の女は無表情であった。
私は、病院を出て、坂の上に立った。破壊された跡がなまなましかった。大きな穴が、黒々とした新鮮な土を盛りあげて、幾つもあった。そして、坂の上から見はるかす遠くは、しら茶けた焼け跡がひろがり、ところどころに倒れないで残った煙突や、土蔵が、その光景になお荒涼とした感じを与えていた。ガス洩れの臭いを感じながら廃墟を眺めていた私は、不意に、坂の向かい側に対置する上野の山に五重塔を発見し、そのみずみずしい美しさに打たれた。今まで、そこからは望めなかった上野の五重塔が、街衢が消滅して見えているのだった。私は、なぜか感動していた。すぐにでも、その五重塔のもとに行ってみたいという衝動を、からくもこらえながら佇んでいた。
妙に疲れ切って私が帰ると、父は外出の仕度をしていた。
「ちょっと、用が出来た」
父は、外套のボタンをかけながら言った。
「大学へ行くの」
父は、少しの間、黙った。そして、腕時計を見た。
「ちょっと、そこまでだ。夕方までには帰れる」
私は、父の言い方が気になった。
「もし遅くなった時は、戸棚にあるものを出して、先に食べてなさい。いや、それまでには帰る」
玄関口で靴をはいて、父は突っ立っている私をふりかえってもう一度言った。
「頼むぞ。あかりと火鉢、気をつけて。空襲になったら、防空壕に入るより、お寺へ逃げるんだ。いいな」
「うん」
喉がつまって、それは声にはならなかった。私は、父が緊張している様子を感じ、私自身も緊張していた。
父が出かけてしまうと、家の中が暗かった。そして、寒さがつのった。密室にひとり閉じこめられたような不安がひろがった。
私は、奥の部屋に行って、置き炬燵に足を入れ横になった。深い青の色の火鉢が頭のすぐそばにあった。鉄瓶が湯気を吹き上げていた。私は、湯気の立ちのぼり消えていくさまをぼんやりと視界に入れながら、父は何処へ行ったのだろうかと考えた。警察か。その直感がすぐに私を捉え、たちまち不安となって拡大した。私は、父のことがよく分からなかった。私の知っている範囲の大人に較べて、父は確かに異質な存在に思えた。警察という恐怖的な存在が私の一家を囲繞しているために、なおいっそう父が異質に見えるのだろうか。米軍の空襲が日ごとに激烈となり、戦争が不利にすすんでいることを感じながらも、決してそれを認めてはいけないような空気が張りつめてくる中で、父は私たちに、もう少しの辛抱だと言った。それは、何に向かっての辛抱なのだろうか。私は、一家にまつわる濃い影のようなものを感じ、その不安を直線的に「あいつ」の姿の上に結んだ。父は、また顔を腫らしてくるのだろうか。そう思ったとき、私はむらむらと怒りを覚えた。しかし、それが父に対してなのか、「あいつ」に対してなのか、対象の定まらないいらだたしさがあった。不意に私は、母を恋しく感じた。
その夜遅く、父は、以前下宿に置いたことのある朝鮮人学生の呂明斎を連れて帰った。私は、妄想のように色々のことを思い続けているうちに疲れて、服を着たまま蒲団にくるまって寝込んでいた。二人の話し声で、ぼんやりと目を醒ましたのだが、だいぶ前に戻ったらしく、食卓の上に二人の食べ終わった食器が並んでいた。父は、昆布茶をいれていた。長身の呂明斎は、火鉢の前にあぐらをかいて腕組みをしていた。以前、長髪だった彼の頭は、坊主になっていた。
「とにかく、君の住居が定まらないのがいけないのだよ。いなさい、ここに。来月からは、わたし一人だけになる」
「……」
呂明斎は、しばらく黙っていた。
「先生」
父のほうを見た呂明斎の顔はやつれていた。
「先生どうして、皇国臣民の誓詞を唱えろと言われたのですか」
「……」
父は、黙ったまま昆布茶をすすった。
「ヒトツ、我ハ皇国臣民ナリ、忠誠以テ君国ニ報ゼン」
低い声で無表情に、呂明斎は唱えはじめた。
「ヒトツ、我等皇国臣民ハ、互ニ信愛協力シテ団結ヲ固クセン。ヒトツ、我等皇国臣民ハ、忍苦鍛錬力を養ヒ以テ皇道ヲ宣揚セン」
呂明斎は、火箸で灰をえぐった。
「千回唱えさせられました」
また、しばらく沈黙があった。
「呂くん、飲み給え。熱いうちがおいしい」
茶碗にゆっくりと手を伸ばしかけて呂明斎は、おうと呻いた。
「痛むのか。大丈夫か」
「このくらい、なんでもありません」
「呂くん」
父は、少しの間考えこむようにして、そして言った。
「もう、そんなに長くない。ある人からも聞いたが、もう少しの辛抱だ。今は、体を大切にすることだ。決して死なないことだ。いいね。そのことだけを考えていればいい」
「……」
「あんなもの、何万遍唱えたって、君は朝鮮人だ。あんな所からは一刻も早く帰るべきだ」
私の頭は冴えていた。父の言った、もう少しの辛抱ということの意味が分かりかけ、それは恐ろしい予言のようであったが、飢えと空襲に追いつめられていく、安定のない仮の生活の中に、そこから脱け出ていく道を一筋のあかりで照らしだしているように思えた。私は、現実の父の無事を急に嬉しく感じ、体を起こした。
「起きたか。呂くんを連れてきたぞ」
父は、私の目をしっかりと見た。
「呂さん」
私は、呂をローとのばして呼ぶ癖があった。
「またお世話になります」
呂明斎は、にこにこと明るく笑ったが、その顔は腫れていた。私はその時、一切のことを理解して胸がつまったが、呂明斎が思ったより明るいのに安堵した。当分の間、「あいつ」の訪問が繁くなることだろうと思ったが、父が今日無事であることに安心をもった。
突然、サイレンが夜の静まりを引き裂いて長く鳴りだした。警戒警報の発令であった。父は、すぐラジオにスイッチを入れた。
「やれやれ、今夜もか」
そう父が言った時、大気に圧迫され余韻を伴なわない高射砲の特徴のある炸裂音が、続けざまに響いた。サイレンが、その後を追うように不気味に断続した。
「空襲! 空襲!」
表の路地を男の叫びが走っていく。父は電灯を消した。三月九日深夜から、十日未明にかけての、B29三百数十機による未曾有の東京大空襲がこうしてはじまった。
くりかえしくりかえし、B29が襲来した。二階の縁側から見渡すすべての空が赤々と焼けていた。東京全体が燃え上がっていくかのようであった。黒々とした屋根の連なりの彼方に、朱色の空が高々とあった。夜の闇は押しやられ、焼けただれた空がその闇とつながるあたりは、暗紫色となって変動していた。打ち上げられる曳光弾も不用なほどに明るい空を、B29が青白く機体を光らせながら飛んでいた。かと思うと、超低空で襲来し焔の色に染まった機体をゆるゆると見せている編隊もあった。敵が、これほど近くに姿を見せたことはなかった。あまりにも大きな機影が無気味であった。高射砲の炸裂音もかき消されるような轟音がうねりのように届いた。
B29は、燃え狂う巨大な焔の上を、あとからあとから梯団を組んで降下し、旋回し、房総半島の方角へ機首を向けていた。
「江東方面がひどくやられているようだ」
父の声は、寒さのせいか震えていた。私は、毛布をすっぽり頭からかぶって、体にしみこむ寒気に耐えていた。
「お母さんたち、大丈夫かなあ」
「……」
父は応えなかった。私は、痛切に母と姉のことを思った。死なないで、死なないで、私は息をするように幾度もくりかえしていた。
ひゅうっ、ひゅうっ、という鋭い響きが伝わって、近くの空にチラチラと赤橙色の小さなともしびが、火の粉を散らしたようにひろがった。焼夷弾の盲爆であった。見る見るそれは規則正しく落下した。裏の大通りから、肴町、白山のあたりから火の手がたちまちあがった。
「危ない。今度はこっちに来るぞ」
三人は、いつでも逃げ出せるように身仕度した。
「いいか、落ちてきたら、みんな蒲団を頭からかぶって、お寺へ避難するんだ」
焔が立ちのぼり、バリバリと焼けていく音がすぐ近くに聞こえてきた。強い風が起こった。
いよいよ終わりだ。すべてが焼きはらわれてしまう、遂に最後が来た、と私はしきりに思った。吉祥寺の本堂の大屋根が青く、赤く、濡れたように光った。B29は、ゆっくりと舞い降り、ゆるゆると旋回し、上空をよぎっていく。私は、凄惨な終末の光景を、息を呑んで見つめながら、かすかにそれを、美しいと感じた。
私の家を含む浅嘉町の一角は、奇跡的に焼け残った。翌朝、三人は疲れ切って昼近くまで眠った。異臭が部屋の中にまで入りこんでいた。水道もガスも電気も止まった。
同じ頃に目を醒ました三人は、互いにほとんど口をきかなかった。呂明斎は、右足をひきずりながら、火鉢の残り火を七輪にとり、庭に持ち出して火をおこした。そして湯を沸かし、父に顔を洗うようにすすめた。それから彼は、大豆を炒った。縁側に腰かけ、七輪に向かってカラカラ炒り豆を動かしている呂明斎の背中を私はぼんやりと見つめながら、彼の悲しみのようなものが伝わってくるのを感じていた。母や姉はどうしているだろうか。鋭い恐れが、同時に私を支配した。
昼過ぎ、父は、母や姉の安否を確かめるために出かけた。
父の帰りを待つほかはなかった。その帰りもいつになるか分からなかった。私は落ち着かなかった。決定的な時が来るかもしれないと思った。いい報せより、悪い報せのほうが現実的に思われた。今までに幾度となく見馴れた死体が、母や姉の姿と重なって、悪魔の想像のように私を襲った。すべての終わりのあとにくる、今までとは異なった別の生活への期待感のようなものが、今はまったくなかった。そして、言い知れぬ虚無感があった。
私は、二階にあがってみた。荷物だらけの部屋の床の間に、あの日、母が飾ったきらびやかな雛人形が静かにあった。緋毛氈の上には、昨夜の強い風で運びこまれた黒い塵埃がおびただしく散っていた。やわらかな美しい世界に侵入して去った悪魔の汚物のように思えた。
私は、雛壇を正面に見て坐り、木箱に背をもたれた。たちまち背中に冷気がしみた。私はじっと雛人形を見つめ、寒さに耐えた。三人官女の白い手首と、今にも動こうとするような指先の繊細な静止が、母と姉の白い指や体をさまざまな形で思わせた。
階段を軋ませて、呂明斎があがってきた。
「寒くない」
呂明斎はそう言いながら私の前をゆっくり歩いて、縁側の籐椅子に静かに掛けた。右足をいたわっていた。
「オヒナサマ、洋子さんが飾ったのですか」
「母です」
私はそう言ってから、さらに言い足した。
「姉さんも一緒に」
その時、悲しみが急に私を襲った。生きていて! 早く帰ってきて! 私は泣き叫びたくなるのを必死にこらえた。喉が苦しかった。
「くにには、母と、お嫁にいった姉がいます」
おだやかな呂明斎の声だった。
「帰りたい。早く帰りたいです」
籐椅子が軋んだ。私は、涙のにじんだ目をすばやく拭くと、呂明斎を見た。彼の顎は固くひきしまっていた。大きな掌がふたつ重なって、彼の右の太腿の上にあった。
翌日の夕方、父は憔悴して帰った。
玄関の硝子戸のあく音に飛びだしていった私と呂明斎は、ひとりで帰った父を、重苦しい無言で迎えた。父の着ているものは、ひどくよごれていた。膝から下は靴まで灰色だった。そして、父がひとまわり小さく見えた。
「だめだった。見つからん」
父の喉はすっかりつぶれて、かすれた声であった。父は、のろのろと靴を脱ぎ、私と呂明斎がよけた間をふらふらと歩いて台所に行き、甕の汲みおきの水に荒々しく柄杓をつっこみ、喉を鳴らしながら呑んだ。ふだんの父にはないすさんだ動作であった。
私は恐ろしい事態が確かに起こったことを直感した。しかしそれは、むらむらとこみあげてきた怒りの感情に直ちにかき消された。
「死ぬもんか。どっかに逃げたんだ。母さんも姉さんも逃げたんだ」
父の背に浴びせるように私は叫んでいた。その時、父は呑み終わったばかりの水を、がっと吐いた。流し台の縁に両手をついて、父の呼吸は乱れていた。
「先生、お休みなさい」
呂明斎もかすれた声だった。
「うん、うん」
父は充血した眼でふりかえり、私と呂明斎を見、そして奥の部屋に行って、ゆっくりとした動作で体を横たえた。よごれた外套を着たままだった。
「お父さん、どんなふうだったの。伯父さんたちも見つからなかったの」
黙っている父を、私は責めるように言った。
「ああ、探して、探して、探し歩いた」
父の声は、ふりしぼってやっと出てくるような苦しい響きだった。喉も眼も、煙にやられたに違いなかった。
「和郎」
父は、そう言ってゆっくり上体を起こし、
「お茶を、くれないか」
眼をつむって、父は苦しそうに腹を押さえた。呂明斎が父に寄って外套を脱がせようとした。父は、されるままにしていた。私は急いで父の好きな昆布茶をいれ、差し出した。それは母の茶碗であった。父は、一口啜って、茶碗を拝むように持った。私は、父が語りだすのを待ち、しばらく沈黙があった。
「すっかり焼けていた。逃げ場などない、あれでは。じつに大勢が死んでいた。あの近くの堀割は、死体で一杯だ。数えきれない。男か女かも分からんのだ。ひどいものだ」
父は多く語らず、激情をこらえるように体を硬くして黙った。
やがて、深々と溜息をつくと同時に、
「やるんではなかった。やるんではなかった」
と、泣きだすように言った。
私は、何も言えなかった。母と姉が死んだ。いや、逃げてどこかに生きている。追いかけあうように二つの想念が胸をかき乱した。
「いくら戦争とは言え、人間があんなに殺されていいものか。だめだ、だめだ」
嘆くように言って、父はまた横になった。焦げくさい臭いが漂った。
私は、泣かなかった。悲しみはなぜか湧かなかった。
私は、外へ出た。厳重な燈火管制で真っ暗な路地は、家々やお寺の塀まで闇に消し込んでいた。私は見えない闇の奥を、睨むように見つめ続けた。
父は次の日、白河町の伯父の一家と、宿泊中の母と姉の消息が判明した時の、連絡を乞う立て札つくり、それを持って出かけた。そして、ふたたび疲れ切って夕刻に帰った。
虚ろな日々が過ぎていった。
そして、ある深夜、私の家は焼けた。突然の空襲で、焼夷弾の直撃を幾つも受けた。表の路地に逃げだすのが精一杯だった。何ひとつ持ち出すひまがなかった。二階に寝ていた呂明斎は、どうしたことか脱出するのに時間がかかり、煙突のように燃え上がる階段を降りることができなくなって、屋根から塀を伝わってからくも逃げのびた。三人は吉祥寺の境内に走って避難した。
私は、住み慣れた家が燃え狂い、たちまち柱だけとなり、崩れ落ちていく様子を見た。あっけない一瞬の出来事にしか思えなかった。それが、終末であった。
寒い朝が来た。逃げだした人々は、しだいにそれぞれの焼け跡に近寄り、暖をとった。
「やれやれ、これでせいせいした」
「きれいさっぱりと焼けっちまいましたナ」
大人たちの自棄めいた言葉が、挨拶のようにかわされていた。
「先生、これから、どうなさるんですか」
呂明斎は、ひどく足をひきずっていた。塀から飛び降りた時に、いっそう痛めたのに違いない。
「うん」
父は、遠くの方を見つめるようにして、気のない返事をした。
「和郎さん、ホラ」
不意に、呂明斎が私の前に風呂敷包みを差し出した。見覚えのある風呂敷だった。
軽かった。ほどくと、桐の箱があった。ああ、このために呂明斎は逃げ遅れたのか。私は、地べたに膝をつき、心せかれながら箱を開いた。朝の陽光を受けて、まぶしいような内裏雛が、そこにあった。
さらさらと、霙が屋根を打っていた。私の冴えた心に、それは沁みた。私は、呂明斎は今、どうしているだろうかと思った。朝鮮に帰っただろうか。北にいるのか、南にいるのか。朝鮮戦争の時、彼は戦ったのだろうか。そして、生きているだろうか。私はしきりに思った。
妻が、お茶をいれて、二階にあがってきた。
「あなた、風邪を引きますよ」
開け放しにしていた襖を閉めて、妻は私の脇に坐った。
「はい、お茶」
「うん」
私は掌をぬくめながら、ゆっくりとお茶を呑んだ。それは、もったいない味わいに思えた。
「あなたは、いつも本当においしそうにお茶を頂くのねえ」
妻は感心したようにそう言ってから、私のまっすぐ放っている視線の方へ顔を向けた。
少したって、妻は静かに言った。
「あなたのお姉さん、生きていらっしゃれば、もう四十ねえ」
「……」
四十といえば、あの頃の母を超える年だと、その時私は思った。
しかし私には、細くやけに長い感じの手を振り続けていた最期の姉の姿が、ありありと思い起こされてならなかった。そして、きれいだと思って見つめた別れしなの母の白い顔も、鮮明に浮かんでいた。
古びた内裏雛は、あれから二十五年の年月を経て、今はもう華やぎを失ってしまっているが、暗い冬の時代の底で死んでいった人の記憶をかきたてるように、じっと私を見つめてくる。
この雛を見ることをいやがった父も、すでにいない。
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2010/01/18
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