最初へ

岸壁の国

薄い黄色の

菩提樹の花が終わる頃

ブレストのバスターミナルから

ポルスポデール行きのバスに乗る

体格のいいブリュネットのおばさんの運転する大型バスが

街の西側の郊外へ出て

きれいに整備されたオートルートをゆったりと行く

はじめのうちは万国的な郊外風景

サンルナンをすぎて

「プルーダルメゾーへ17k」の標識を読むころ

あたりに建物の影がうすれはじめると

ラベンダーとトウモロコシの畑のあいだを行く

青むらさきとグリーンの美しいコンビの風景は長くは続かず

ジャガイモ クローバー 牧草 牛

畑の区画のおおざっぱな農村風景がしつこく続く

ときには肥料会社の広告板

ときたま対向車とすれちがう

空はところどころわずかに白い雲が浮かぶだけ

さえぎるもののない陽射しの強さと

ブレストでとった昼食の重みで

うつらうつらしてくる

こうして ブルターニュ半島を西へ横断していく

緑の起伏のさきに地平線がみえる

偉大な平凡 辺鄙なやせた農地

さいはての土地フィニステール

いつまでもくりかえすこの粗い岩盤の連なりは

さながら煉獄 死にもっとも近い土地であるかもしれない

まだ海の気配はまったくない

 

ショパンのポロネーズをかけながら仕事をする

夜まで持ち越した仕事に耐えるために

仕事先の社長は

翻訳の文章をもっとやさしく工夫してくれとクレームをつけてきた

なにしろ技術者はみんな若いものですから

はいはい努力します

昼間の電話の自分の声が耳底に残っている

「若い技術者」がかんたんにわかるように

入り組んだ細部の仕様を整理して説明的に書かなければならない

特許事務所ではどの辞書にある訳語かと所長の前で問いただされた

きみの意見は聞いていない 原文どおり辞書どおり段落を落とさず昼までに上げろ

ショパンはまるでそこで息をしているように

ポロネーズをつくっている

生きてるショパンがそこにいて

そこでショパンがピアノをひいている

 

海辺のちいさなホテルで夜を過ごす

キャビン風の屋根裏部屋の

舷窓風の丸窓からのぞくと

カーブを描く渚沿いに照明灯が並んでいる

濃紺の闇の中に神秘的な明かりを点している

西の極み

死者の国 海の国

(死者は現世の果てのここから船出して西方の幸福の島へ行く)

さっき一階のだれもいないサロンで

造花を挿した花瓶に

ふちまで水がはいっていたのは

この港から船出する魂たちのしわざなのか

静かな夜だが

だれかがじっとみているように思うのは

窓ちかくにくろぐろと枝をさしのばす

松の木のせいか

突堤に向かって動いて行く

一台の車の四角な後部のせいか

黒い海の重々しいけはい

照明灯がわたげをのせたたんぽぽのように

ぼんやりと並んでいる

 

港のレストランで夕食をとるために

二階のテラスで夕暮れを見ていた

突堤のねもとに小型トラックが一台停まっていて

荷台に長い昆布を山積みにしていた

シャベルの男がこぼれた昆布を海に投げ捨てるのを

もったいないなせっかく刈ったのにと思いながら見ていた

料理はシンプルでおいしかったが日が暮れてきて寒さにふるえた

 

ブルターニュはみどり豊かという印象はない

土地は白っぽくざらついていて

ゆたかな大樹はみあたらない

シャベルや鋤のとおりのひどく悪そうな味気ない土質

パリでラテンの人たちと自分たちは違うと

いくぶん誇らしげに言うこの地方出身の人に会った

わたしといえば極東のアジアからはるばる出かけてきた

Kの字の付く名前の人は

ブルトンの祖先に溯るというから

Kの字のつくそのせいで

Kの字のつくじぶんの名前にそそのかされたか

イギリスを追われ海峡を渡って

この煉獄に似た人住まぬ荒野に身の置き所を探して

徐々に

一部族ずつ

静かにやってきたのだ

まるで死者のように姿なく

気配のみで

それゆえこの地方は

生き人住まぬ

「死者の国」と呼ばれたのだろう

南西の帝国人の欲しがらぬ土地であったからこそ

たつきのすべのまるでみあたらぬ

峻厳な荒野であったからこそ

追われた人は

音もなく

海峡を越えてくることができたのだろう

荒海によじれ繁るゴエモンを

馬を失い

指をひきちぎられて

刈る

砕け散る波の

轟音は生活の悲鳴のように

死にあらがうどんな必要があるのかと

抗議の罵声に似て

なぜ生きて

この荒々しい辺鄙な土地から

幸福の島を西に望みにやってきたのか

たずねる人はいない

話しかける人もみあたらない

浄化の火さえみえない

 

浜をさがして歩きまわり

丈高の繁みをぬけてようやく

白い砂浜に出た

波打ちぎわは入り組んでみどり藻がおおい

足を浸してみる気は起らない

アベール les abers と音も粗く

沖は複雑で青灰色にかすんで

まっすぐ漕ぎ出せそうな感じはしない

沖は海峡ではなく外洋のはずだが

沖をあこがれるのはかなり困難そうだ

きのう港の突堤の広くなったところに

難破船の碇が展示してあるのを見た

馬鹿デカく ごつくて 異様で

その前で立ちすくんだ

ホテルのサロンのサイドボードに

一九七八年早春に起こったとほうもない沿岸汚染事故の

新聞記事の切り抜き帖があった

難破したタンカーが原油を流出し

四〇〇キロにおよぶ海岸が汚染された

その至難きわまる除去作業の経過が細かく報じられていた

港のはずれには海難救助学校の建物があった

うすぐらいブラスリーで

小さなボートのひしめく春の港の絵葉書を買った

 

金髪のきれいな娘さんがプチデジュネの盆を抱えて入ってきた

テーブルに並べてあった貝殻と石をふちでちょっと寄せて盆をおいてくれた

固いパンとコーヒー

ここでもパンに塗るジャムはいちごとあんず

どこのホテルでもマーマレードがつくことがないのをちょっといぶかる

ホテル代一泊三七〇フラン 朝食三五フランの

明るい少しひんやりした夏の朝

 

ブレストへ帰るバスをのがすまいと

教会前の広場にはやくから出ている

バスストップのポールの根元に旅行鞄をよせて

鐘楼を見上げに行く

行きのバスの窓から見上げた

プルーダルメゾーの町の威嚇的なジカジカの鐘楼とはちがって

洗練されたきゃしゃな愛らしい塔だ

友は手帳を出してデッサンをはじめた

バス停にもどるとおばさんがひとりバスを待っていた

はじめはだまって横に立っていたが

バスがくるまでにはまだたっぷり三〇分はある

早めにバスを待っている慎重な性格の人とみえる

お互いにそれとなく覗っているうちに

どちらともなく話しかけはじめた

夏のあいだポールサルの海辺に過ごして

残りの季節はブレストで過ごしているのだと

問わずがたりによくわかるフランス語で話してくれる

ゆっくりだが正確に物を言う

ブレストは大きな町で息子の家がある

カンペールにも時々行く娘が嫁いでいるから

夏はポールサルの生家に来て

海辺で昆布をひろう 少し畑もやっている

がっしりした体格と日焼けした顔立ちが土地の感じを映している

硬くなった粗い小麦のパンのような感じのする女性だ

 

何をしにそんなにとおくから来たのかね

海を見に来たのです

(自分自身の生きにくさをこの土地の苛酷さになぞらえてとは言い出しにくくて)

そんなたいした景色でもないと思うけどめずらしいのかね

ええ 遠くから来ると荒い海がいいのです

そういえばものずきにブレストの金持ちたちが

夏を過ごしにくる別荘をこぞって開いた時期があって

海をみおろす高台がお屋敷町みたいになっている一角があるよ

高台といえばあの湾を越えた向こう岸に海に張り出した崖が見えるでしょう

あそこの一番高いところに十字架のようなものが見えますね

あそこへはこっち側の岸から行くことができるのですか

ああ あれはドルメンですよ

あそこへ行くには一日かかるが行けますよ

海岸の雑貨屋のわきから林のほうに入ってそこから少し遠回りになるけど登って行けます

あそこには何があるんですか あそこに立ったら眺めがいいでしょうね

もう少し逗留を延ばして行ってみたかったです

あそこはね 観光ルートになっていて大昔の墓地の跡なんです

観光バスで来た人たちが春からたくさん登るんですよ

やがてひとりふたり人が集まってきて

おばさんと会釈をかわした

バスの到着予定時刻が間近い

ブレストまでおよそ五十分の復路だ

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2008/07/28

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有働 薫

ウドウ カオル
うどう かおる 詩人、翻訳家。1939年東京都杉並区生れ。主な著作は、詩集『雪柳さん』、翻訳詩集ジャン=ミッシェル・モルポワ『青の物語』など。

掲載作は、詩集『スーリヤ』(2002年思潮社刊)に初出。

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