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大学出版部はオールドファッションか

《目次》

  大学出版部への注目

 このところ大学出版部をめぐって、いくつかの話題が提供されている。直近では4月に開催された東京外国語大学出版会の発足記念特別シンポジウム「人文学の危機と出版の未来」がある。このシンポジウムが一つのきっかけとなり、最近、大学出版部が設立されている状況が注目されたのである。

 国公立大学だけでも06年に富山大学、07年に岡山大学、筑波大学、東京藝術大学、08年に東京外国語大学、そして国際教養大学と続いており、確かにブームと呼べる様相を示している。

 そこで大学出版部をめぐる環境変化を取り上げ、設立ブームの背景を探ってみよう。その上で大学出版部が担う学術書について小考を加えることにする。ここで扱う学術書は、おもに人文学および社会科学の図書(モノグラフ)とする。ご存じの通り、自然科学における研究発表は学術雑誌における論文(ペーパー)である。電子ジャーナルが自然科学分野に偏っていることも、学術出版の未来を語る上での留意点である。

 なお、日本の大学出版部の特徴や協会の活動については、多くの人々によって考察が加えられ、成果が残されている。協会の季刊会誌『大学出版』にも重要な論考が発表されているので、あわせて読んでいただければと思う。

 大学出版部が加盟する法人団体である「大学出版部協会」(以下、協会)が、昨年、創立45周年を迎えた。小さいながら事務局と専任スタッフを持つ社団法人であり、マスコミ各社の取材や情報提供の窓口として機能していることもブームの背景にある。先の新設大学出版部は、いずれも協会には未加盟であるが、継続的な出版活動の体制を整えることで加盟を目指しているし、協会側も助力を惜しまないでいる。

 ただし、設立ブームは必ずしも「将来に向けた明るい話題」として受け取られてはいない。書籍の刊行を船出に例え「出版不況の荒波に(あらが)うように」と書き出した記事もあった。確かに出版不況に加え「大学の危機」、「教養崩壊」、「少子化」、「若者の活字離れとデジタル依存」と書き出せばきりがないくらい、大学出版をめぐっては負のキーワードばかりである。

 直近の危機的話題としては、学術書の刊行を支える科学研究費補助金研究成果公開促進費が2年間にわたって大幅に削減されたことがある。このうち大学出版部が関わる「学術図書」助成の予算は一昨年40%削減され、昨年さらに10%カットされて、2年前と比べてほぼ半減となった。採択率は4割台から2割台へと急落した。

 不採択の理由に、「課題に対する評価は高いが、予算配分の都合による」と付されたものも多く、優れた研究成果が公刊の機会を逸していることがわかる。協会では、昨年6月に文部科学省と日本学術振興会に対して『科学研究費補助金研究成果公開促進費「学術図書」に関する要望』を提出して理解を求めている。

  大学出版部設立ブームの実態

 協会は1963年に設立され、当初、8大学出版部と2学術出版団体による任意団体としてスタートした。その後、順調に会勢を増し、2005年に「社会的責任をもった、権利能力のある社団」である「有限責任中間法人」となった。このときは28大学出版部であった。本稿が公表される頃には、本年5月の定時社員総会を終え、関東学院大学出版会を新たな仲間としてむかえて33大学出版部の会員をようする出版団体に発展していることだろう。また同時に、一般社団法人へ移行が決まっている。

 日本にいくつの大学出版部があるか、正確のところは不明である。協会の定款には「大学を設置する法人が認めた出版部及びこれに準ずる学術出版団体とする」という一定の入会資格がある。大学の名を冠した出版部には、この基準を満たしていないものや出版活動を中止しているものもある。設立を準備し入会を打診してくる出版部は多いが、継続的な出版活動を行うことができずに休止状態となる出版部は少なくない。

 協会に対して設立のための相談や入会申請が増加する傾向は、90年代に顕著になった。その背景には91年の大学設置基準大綱化による「大学改革」がある。各大学に「自己点検・評価の実施と結果の公表」が求められたことが、出版部の"設立"ブームを呼んだ。さらに「知の共同体」から「知の経営体」への転換と指摘された04年の国立大学法人化がこれを加速化した。法により「当該国立大学における研究の成果を普及し、及びその活用を促進すること」とされ、国立大学による出版活動を私学における補助活動事業と同等に位置づけることができたのである。

 もちろん自己収入増大への腐心、競争原理の導入、さらには大学ブランドの確立なども、大学名を冠した出版部設立に走らした一因である。これに中堅私立大学による建学のアイデンティティ確立や地方大学のパブリシティという要素も加えておくべきだろう。学術出版という理念に基づく設立ではなく、環境変化に対する内的要求が強く働いた設立ブームなのである。

 一つだけ確認しておくと学術出版は何も大学出版部だけが行っているわけではなく、また逆に大学出版部は、必ずしも学術書だけを出版しているわけではない。協会の設立主旨には、出版という仕事を通じて大学の機能に参加する方法として、①研究成果の発表としての学術書の刊行、②効果的な教育を援けるすぐれた教科書の出版、③研究成果の社会への普及をはかる啓蒙書、教養書の刊行の三つを掲げている。この点において学術書・専門書を刊行する商業出版社と変わりはない。

 また、株式会社、財団法人、大学法人の一部局など、さまざまな組織の運営スタイルを持つが、利潤を追い求めないにしても、基本において自らの経済活動に基づく自立的な運営が求められている。その上で商業学術出版社との絶対的な違いがあるとすれば、母体大学の名前を冠している、という1点につきる。

 出版社は営々たる活動の結果、出版社のブランドを確立する。そのブランドにより社名の下に刊行された書籍が信頼に足りる内容を持つことを保証できるのである。一方、すでに確立された評価を持つ大学名を出版部に冠することで、新設の大学出版部であっても、一定の信頼性を直ちに取得することができる。箕輪成男は大学出版部の本質を「学者と大学の権威増幅機関として発達してきた」と指摘し「威信のための装置」と看破した。学術出版が困難になった今日、大学が出版部を運営し、学内教員の学術出版を容易にする装置を持つこともまた起こりうるのである。

  紙の出版への憧憬

 大学出版部をUP(University Press)と略されることはよく知られている。これはもっとも古いUPであるオックスフォード大学出版局が、学内印刷部(プレス)として始まったことに由来する。

 先の外語大出版会のシンポジウムにおいて、大学出版部はプレスからパブリッシャーへと転換すべきであるという発言があった。紙に印刷された学術書の刊行だけでなく、ネットを使った学術情報流通を積極的に試みよ、という指摘と理解した。eラーニングの導入や機関リポジトリなど、大学当局による情報化対応が進む中で、大学出版部も電子出版に取り組むことが求められている。

 07年7月にイサカ(Ithaka)が米国の高等教育機関における学術情報のデジタル化と大学出版部に与える影響、およびそれに対する新たな戦略を提言したレポートに "University Publishing In A Digital Age"がある。このレポートでは、学術情報流通の急速なデジタル化のなかで、大学図書館が機関リポジトリや論文オンデマンド出版などに乗り出して、利用者ニーズに応えている一方で、米国大学出版部はデジタル化の潮流に乗り遅れていると指摘している。

 イサカレポートの指摘は、さらに深刻に日本の大学出版部の課題となっている。学術情報流通のデジタル化が急速に進む中で、紙の書籍が古めかしい様相を帯びてきたのは事実である。ところが、外語大出版シンポジウムを傍聴していて感じたのは、研究者がよせる「紙の出版物に対する強い信頼と憧憬」である。

 米国においても研究者主導による人文学系学術書のデジタルプロジェクトは、多くが不首尾に終わっている。この理由については、ジョン・トンプソンがイサカレポートの2年前に著した "Books inthe Digital Age"に詳しい。社会学者であるトンプソンは社会構築論の立場に立ち、技術が利用される場としての社会的文化的な文脈を重視して、2000年代初頭に詳細な調査を行った。彼によると、学術コミュニティでは今でも書籍が重要な位置を占めている。それにもかかわらず、主導者たちは学術書を生成する出版産業の現実について、理解していなかったと指摘している。イサカレポートはトンプソンの著作をふまえているものの、技術決定論の色彩が強く反映しているようだ。

 いまだ書籍の信頼性が高いことを証明しているのが、皮肉にもグーグルブック検索である。日本では慶應義塾大学図書館と連携したことで話題となった。また米作家協会や出版社による訴訟に対し和解案が提示されたが、これが世界中の出版社を巻き込んだ論争となっていることは周知の通りである。

 グーグルはなぜ検索対象として書籍を選んだのか。それも図書館の蔵書なのか。それは書籍こそもっとも信頼される情報であり、さらに図書館によって選ばれた情報だからである。我々の読書慣習は想像以上に保守的である。ウェブの検索結果が、ブログの記述か印刷書籍の紙面であるならば、誰でもが後者を信頼するだろう。まして慶應義塾大学図書館の蔵書されている書籍ならば、読者がよせる信頼は二重に担保されることになる。

 グーグルは検索結果について書籍の内容を担保することで自らの価値を高めている。デジタル革命の寵児ともいえるグーグルは、印刷書籍が生み出す信頼感を高く評価しているのである。

 ここで信頼性と信頼感を便宜的に分けてとらえることにしよう。信頼性は数値化され技術によって担保されるが、読者の持つ信頼感は文化的伝統や読書慣習に強く依存している。研究者が最終的な研究発表媒体として紙の本を望むのは、現時点で当然のことかもしれない。

 先頃発表された科学技術・学術審議会学術分科会報告書『人文学及び社会科学の振興について(報告)-「対話」と「実証」を通じた文明基盤形成への道』では、『研究成果としての「書籍」の刊行を積極的に位置付けていくことが必要』と明記されている。この報告についての評価は紙幅の都合で省略するが、著者(研究者)イコール読者という図式を持つ学術出版において、紙の書籍は予想以上にしぶといようである。

 伝統と新奇なデザインの間でファッションの流行は変革を遂げている。オールドファッションに手が入ることで流行として復活することもある。学術情報も伝統的権威付けと速報的新規性の間にあり、オールドファッションと思われていた大学出版部も紙とデジタルの配分を変えるだけで輝きを増すのだろうか。そうだとしても、その立ち位置を見定め、舵取りすることは極めて困難な作業になっている。

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2009/07/27

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植村 八潮

ウエムラ ヤシオ
うえむら やしお 編集者 1956(昭和31)年千葉県生まれ。大学出版部勤務。東京経済大学大学院コミュニケーション研究科博士後期課程修了。共著に『出版メディア入門』(2006年、日本評論社)など。

掲載作は「丸善ライブラリーニュース」2009年6号(通巻158号)に発表。

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