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あのときの蒼い空――それぞれの戦争(抄)

第3章 習う――波多津のヨッちゃん

 博多の料亭の座敷に不釣合いな、寒山拾得が絵から抜け出たようないでたちのヨッちゃんが舞う。

 今日のために美容院へ行き、特別しっかりとチリチリパーマをかけてもらった白髪混じりの頭を振りたてながら、差す手引く足も器用に唄い踊る。一張羅(いっちょうら)のウールの着物に胸高く帯を締め、長年の漁で肌の中まで染み込んだ赤銅色の顔から、ニンマリと送る流し目は、白昼に外で見たら不気味であろう。

 目つきがコワいとか手つきが色っぽ過ぎて気持ち悪いとか、口々に遠慮なく言っては笑い、腹を抱えながら涙を拭く六人は、昭和の初めからあの第二次大戦を越え戦後に至るまで、それぞれが五~六年ずつ順々に、和を身近で支えながら、喜怒哀楽を共に過してくれた女性たちだ。

 和の夫である博が九州の大学を定年退職して、終の棲家を関西に移した。年に数度は所用があり、博多へ戻る時には妻の和を伴った。和はいそいそと戦前から馴染みの料亭浜家に電話して座敷の予約を入れ、未だ若い戦後派に、「皆に連絡して」と召集をかける。

 たしかに和と彼女たちは労使の関係であるのだが、家庭科塾の師弟でもある。はじめて和が「如月会」とご大層な命名をして塾の同窓の会を催したのは、昭和四一年二月であった。

 第二次大戦が終わる前まで日本の中流家庭には、手伝いの娘が住み込んで働いており、彼女らは総じて小学校か、良くても高等小学校しか出ておらず、勤め先で掃除洗濯の仕方から料理、行儀作法や丁寧な言い回しの標準語など、女一般の教養を施してもらった。

 各々の勤め先によって待遇は千差万別で、稀には夜間の学校へ通わせてくれる雇い主もあったようだが、それは本当によほどのことで、彼女らを単なる労働力として、追い立てるように朝から晩まで低賃金で働かせる雇い主の方が多かった。

 終戦後は、家事手伝いの女性たちは「お手伝いさん」とか、「ヘルパーさん」「家政婦さん」と呼ばれ、以前のような差別が徐々に排除されていく。

 働く人と雇い主との間が遠い時代に、彼女たちと一つ屋根の下で暮らし、彼女たちから愛情をもって支えられた和の子供たちは、長じて後に甘いノスタルジアをもって彼女らを思い返した。

 

 博がドイツ留学から戻って九州の大学に復職すると、兵庫県の芦屋で博の両親と暮らしていた和も息子と共に福岡へ戻ってきた。玄海(おろし)が湿り気を帯びて吹き下ろす福岡の昼下がり、引越しの片付けも手につかないまま炬燵にかじりついていた和の、重い腰を上げさせたのは玄関から聞こえる懐かしい大声であった。

 一家が福岡に居を構えたという噂を聞くや否や「待ってました」とばかりに自宅に現れたのは、博の研究室の親しい後輩である井上だ。和が不便しているだろうといきなり郷里から一人の娘を連れて来ている。

「奥さん、手伝いが要るでしょう。この娘を奥さんに引き合わせたら、今日の私の用事は終わり。どうぞ使ってやって下さい」

 唐突だが井上の厚意が有難く、和は礼を言いながら深々とお辞儀を繰り返す。

 その娘は、井上の郷里である波多津の漁師の娘で、名前を田中ヨツ子といい、今年一八歳になった。

「少し年が行っとるのは親の手伝いをさせとったからです。器量は良うなかですが、その分、身体が健丈で、気ごころは保障します」

 玄関の格子戸の擦りガラスに、びっしり詰めこんだ大きな風呂敷包みをぶら下げた大柄の体が、ぼんやりと映る。井上に促されそっとこちらを覗いた顔は、表か裏か分らないほど真っ黒い。

「まあ、見栄えはごらんの通りでして、毎日親とずっと浜で漁をしておったようで、そりゃ、ますます黒くなりますわなあ。貧乏人の子沢山ですから、年下のきょうだいの面倒みて、小学校もよう出してもろうとらんかも知れません」

 あけすけに紹介されて体を縮め、土間に視線を落とす。

 井上は(ふところ)から「これは保証書みたいなもんです」と戸籍抄本を取り出して広げながら和に手渡す。

「行儀などは、私の母親がしばらく家に置いてみとりましたからまあまあでしょう。身許は請け負います」

 和に明るい笑みを投げると

「さあ、私は、研究室に早よ戻らんと、先生に叱られる」

 ヨツ子の肩をぽんと叩き、「しっかり働けよ」と、慌ただしく去って行った。

 

 残されたヨツ子を玄関わきの小部屋に連れて行き、荷物を置かせ、押入れの夜具布団と小さな小机を指し「これ、あなたの物だから使ってね」と示す。

「着いたばかりだから疲れたでしょう」と、ともかくも茶の間に導いて、火鉢に当るよう勧めた。硬くなって座る娘の前にお茶と饅頭を置く時、浜の匂いが和の鼻をくすぐる。袖からにゅっと出ている腕は逞しく、網を手繰り寄せ魚を掴み出す様子さえ目に浮かんだ。

 さきほど井上に渡された戸籍抄本を見ながら、和が口を開く。

「まあ、きょうだいが沢山いるのね」

 海の潮でかすれているが、井上に負けないほどの大声で、ヨツ子が答える。

「は~い。ワタイは七人きょうだいで、四番目のおなごですけん、四人目のヨツ子チいいます。上の兄チャンやら姉チャンたちは、よか名前バ付けて貰うとりますが、後の方は親が面倒がって、番号で名付けとるトです。直ぐ上の姉チャンがミツ子、ワタイがヨツ子、弟が五郎、妹はムツ子、末の子はトメ子です」

 あっけらかんの大饒舌に、和は噴き出した。筋の通った話しぶりから、この娘の眉の上にポコンと出ているおでこの中には、きっと脳みそがぎっしりと詰まっているに違いない。

「これからヨッちゃんて呼んでもいいわね。ヨッちゃんは大正八年生まれだから、私の一四年下ね」

 ざっと仕事の内容を説明しながら

「まあ、おいおい判るから、ゆっくり一緒に仲良くやりましょうね」

 和が言う事を、小さな眼をクルクルと動かしながら聞いて、いちいち頷き大声で「は~い」「は~い」と返事する。

 何時もは帰宅の遅い夫の博も、この日はめずらしく八時前には戻ってきた。

「井上君から聞いたよ。あんたが波多津から来た人か。奥さんは怖がりの寂しがり屋だから、よろしく頼むな」

 ヨツ子はぺこりと頭を下げ

「ワタイの方こそ、よろしゅうお願いします」

「今日はくたびれたでしょう。片付けはいいから、もうお休み」と、女中部屋に引き取らせた。

 茶の間で和が博に言う。

「井上先生、本当にいい娘を紹介して下さいました。明るくて元気で、とても賢そうだし、私、うれしいわ」

 学者の家の夜は長い。博は書斎にこもり、小学生の息子の進が寝ると、茶の間に残された和は、小さくラジオを付け、針箱を開けて破れた靴下の繕いを始めた。

 その時突然、むかし動物園で聞いた様な猛獣のうなり声が玄関の方から響き、和はびっくりして立ち上がる。おっかなびっくり廊下に出ると、その声は女中部屋から聞こえる。二階の書斎から博も首を伸ばす。

「どうしたの、ヨッちゃん、何処か痛いの」襖を開けて聞くと、顔を覆ってヨツ子が布団に座りうなっている。

 首を、水に濡れた犬のように振って

「さ、み、し、かあ~」と、絞り出すように泣く。

「あらまあ、可哀そうにねえ」と、和はヨツ子の布団の傍にぺたんと座った。

 大家族で育った和自身、静かな博の家に嫁いだ頃を思い出して「大きなくせにこんなに泣いて」と笑えない。

 ヨツ子も、実家では沢山のきょうだいが重なり合うように一つ部屋に寝ていただろうに、耳が痛いくらいに静かなこの家のたった一人の部屋は、さぞ心細いことだろう。

 布団の横に座り込んだ和が、ヨツ子にしばらくの間、田舎の話をぽつりぽつりたずねる。

「寝付くまで私がここに居たげるから、もう寝なさい」

 言われると驚くほど素直にごろんと横になった。

 気がつくとすやすやという規則正しい寝息が聞こえ始めた。ヨツ子は筋骨隆々の太い腕を布団の上に出し、ぐっすりと寝入っていた。

 

 翌朝早く和が目覚めると、廊下でシュルシュルという音が聞こえる。ヨツ子がたすき掛けで尻っ端折(ぱしょ)をし、昨日教えた掃除道具を持って、渾身の力を込めて廊下に雑巾を掛けていた。バケツで雑巾をギュッと絞りながら、和に気づくと、ニッと真っ白な歯を見せて叫ぶ。

「おはようございます」

 昨晩の騒動など全く無かったかのように、冬の朝は東から白々と、爽やかに明けていく。

 あっと言う間に一日が暮れ、暗闇が家を包む頃、再びヨツ子の顔が曇りはじめた。案の定、ヨツ子の部屋から昨夜よりも少し押し殺してはいるが泣き声が洩れ出した。「困ったな、毎晩、夜伽(よとぎ)をする訳にもいかないし」と、和は自分のコレクションから小ぶりの市松人形を選んで、ヨツ子の部屋へ持って行く。

「この娘が、ヨッちゃんと一緒にいたいんだって」と言いながら、側に人形を置くと、ヨツ子の小さな瞳に灯が点った。

「いろうても(触っても)、良かでしょうか」

「触ろうが、撫でようが、抱いて寝ようが、ヨッちゃんの好きになさい」笑いながら言い残して、和は女中部屋の襖を後手にそっと閉めた。

 三日もすると落ち着いてきたヨツ子は、朝から夜まで立ち働く。すべて飲み込み早く、一度耳にしたことは聞き落すことが無い。言葉もあっという間に丁寧語を覚え、使いこなした。

 小学二年になった息子の進が、

「ヨッちゃん、相撲取ろうよ」というと、

「よし来た」と、竹箒の柄で庭に円を描き、裾をからげて仕切りに入る。進が双葉山なら、ヨツ子は色の黒さから羽黒山になった。ところがこの双葉山は羽黒山に直ぐ転がされる。相撲となるとヨツ子は手加減をしない。

「ヨッちゃん、双葉山は絶対に負けないんだよ」

 半べそかいて物言いをつける進に

「相撲を取る時は、本気でやらんバ、怪我するケンね。坊ちゃま悔しかったら、ご飯バ、いっぱい召し上がって、強うなって、ヨツにお勝ちなさいませ」と厳しい。

 進は未熟児で生まれてこの方、食が細く虚弱でよく病気をした。和はその度にオロオロするばかりで過保護に育てられた息子は我儘になっていく。ところが父親の博は厳しく我儘を通さず、その父親のあり方をみてヨツ子は、感動した。ヨツ子は基本的に男の弱虫は大嫌いで、毎日のように裏の家から聞こえるおかみさんが亭主を怒り(まく)る声に無性に腹が立って、台所の窓から「オジサン、しっかりせんか」と怒鳴りたかった。

 和は毎日、進の帰りをそろばんを持って待つ。帰宅した進が手洗いを済ませる間もなく、茶の間の机に座らせ、用意した帳面を広げる。そこには和が作った足し算や引き算の式がぎっしりと書かれており、次のページには書き取りが書き並べられて進の回答を待っていた。ほぼ毎日これを間違いなく済ませ学校の宿題を終えたところで、やっとおやつにありつける。その上週に一度は小さなヴァイオリンを持たされ、父の友人である上野の音楽学校を出た音楽教師の許に通わされた。同年の子供より痩せて小柄な進にとって辛い筈であったが、進は黙々と母に従う。

 そんな進を、ヨツ子は少し気の毒に、だがとても羨ましく見た。

 そしてある日、和に思い切って申し出る。

「ワタイは、()まかきょうだいの世話で、あんまり学校へは行かれませんでした。坊ちゃまに教えなさいます勉強バ、一緒に教えて貰えませんでしょうか」

 その日から進の横に、鉛筆を舐め舐めヨツ子も座った。

 進にはいわばクラスメートができた訳だが、一刻も早く勉強を終えメンコとビー玉を持って友達の許に駆けつけたいという思いが強く、進は計算を間違えてばかりでかえって遅れる。だがヨツ子は何時も和のそろばんとピタリと合って、次へ次へと勉強が進んだ。

 やがてヨツ子は習字から裁縫、言葉使いまで食いつくように習い、まるで吸取り紙に墨を落す様に素早く吸収し、和も充実感が増した。

 夜になってヨツ子は自室に下がり、昼間に聞いたことを忘れないように記し始めた。やがて進の学用品を買いにいったついでに自分用の学習帳を求め、様々なことを記載してから寝るのが習慣となった。

 日ごとに繰り返される一家の動向が見事な丁寧語を使って記され、日々の献立や漬物のレシピ、物の値段、本場所中はひいき力士の星取りも克明に記された。来客の特徴や和と笑って楽しんだ会話が、丸く力強い字で書かれて、次第にそれは和の書く崩し方に似てきた。

 特にヨツ子の作った単語帳には、日本語の語彙のみならず、この家の主人である博が電話や客との会話から漏れ聞いた医学用語のドイツ語まで、耳に入った新しい言葉が記載されている。

 ずっと後年、ヨツ子が亡くなり一周忌を迎えたときに、長男がその日記をコピーして製本しきょうだいに配った。皆は偉大な向上心をもった母親を「とても真似できない」と偲ぶ。

 

 和の両親である龍彦夫妻が大阪から博多へ来るという。和は単純に喜ぶが、医学者というより事業家として多忙を極める龍彦が、観光目的で博多へ立ち寄る筈はなかろうと、博は考えた。

「ここの太宰府天満宮をお参りしたいと、()ッサァが言うとる。和も進も明日は見物に連れて行ってやってくれんか。おなご同士が婆ッサァも和も嬉しかろう。博君は、明日は折角の日曜日で日頃忙しいんじゃから、家に居りなさい。わしも家で博君に付き合おう」

 何時ものように強引な薩摩訛りの龍彦が仕切る。

「そうですよ、()ッサァがついて来たんじゃ、『早う歩け、早う次行こう』と、忙しくってしょうがないわ。博さん悪いけど、爺ッサァをお願いしますね」と、歯切れの良い江戸弁の母親の志都が言う。

 あと数日で師走となる福岡は、めずらしく晴れた。進とヨツ子を供にして、にぎにぎしく一行が出かけて行った。

 

 玄界灘から冷たい空気が、窓の隙間から微かに忍び込む。義父と二人残され、どうしようかと、ガラス窓をきちんと閉め直しながら博は、話しかけた。

「風が冷たくなりましたね」

「わしが福岡まで来たのは、他でもない。克也のことだ」

 博が思った通り、相談事を抱えての来訪だ。大きな目玉を動かしながら言葉を選び、切り出した。

「あいつを、東京の志都の実家に預けたのが間違いだったかもしれん。東京で新しい自由な雰囲気で教育する新設の学校があるが、あんまり規則の厳しい堅い所よりは、克也には自由な所が良かろうと入れた」

 窓のはるか向こうに博多港が広がる。その風景にしばらく目を泳がせて、弁の立つ龍彦にしては珍しく言い淀む。

「博君、酒は無かか。手持ち無沙汰でいかん」

 朝から突然の酒の所望に、博はこの押しの強い人物も、こと息子のことになると弱気になって酒に力を借りようというのかと思う。

 男子厨房に入るべからずと育てられた博は、酒瓶一本を探すのにも時間を要した。どう出したら良いのか下戸(げこ)の身には分らず、酒瓶と適当な湯呑み、到来物のからすみを箱のまま、義父の前に置いた。

「お~、地酒だな。これは上等じゃ。からすみとはやはり九州だな」と、ようやく笑顔が出た。

「この克也が入った学校は、男女共学でな。あいつ、早速、同級生の女の子と出来ちまいやがった。克也が大学に進学してからも続いてな。まあ、娘さんの親なら、『遊び好きのドラ息子にひっかかった』と、怒るのは無理ない。そこで駆け落ちをすることになって、娘さんは東京駅から、家のバカは横浜から、汽車に乗って落ち合う算段だったそうな」

 湯呑みの酒を飲み干し、ふうっとため息をつく。

「娘さんは家を出る寸前で、数学の教師をしている堅物の兄貴に捕まった。それでバカは一人、大阪行きの汽車にのって帰って来よった。結局、駆け落ちは失敗じゃ」

 博は、相槌の言葉も見つからず、自分の湯呑みに冷めた白湯をいれて啜った。

 克也は和の一回りも下の弟で、嫁いで行った姉の和の耳に入ってくる弟の情報は少ない。だが大阪に居た中学生の時代からませていたとは聞いていて、そんな男を、なんでよりによって、共学の学校へ入れたのだろうと、博は唖然とする。

「そこでじゃ、折り入って、頼みがあります」

 (にわ)かに座り直し膝に手を揃えて、龍彦が博の目の奥を(またた)きもせず、じっと覗き込む。龍彦の力強い大きな瞳には数え切れないほどの人が動かされ、女性はもとより、男性もまた大抵の人は参ったと言われている。

「校長から開校以来の不祥事と叱られ、ワシも東京へ呼び出されてしっかり油を搾られた。なあ、博君、わしは、勉強さえすれば、あれは立ち直れると思う。ただ少し女が好きなだけじゃ。誰に似たのか……」と、苦笑をする。

「大学をあと二年で卒業できる。都会から離すと、少し真面目に勉強すると思うのだ。大学だけはちゃんと卒業させてやりたい。できれば医者にしたい。どうだろう、博君、あんた、あいつの面倒をみてやってくれまいか。いや、どうしても、そうして頂きたい。頼みます」

 恐らく他人に頭を下げて頼むことなど、この尊大な人物の生涯においては、少なかろうと博は思った。

「私がお預かりして、果たして克也君が立派になられるかどうか、心配です。しかし、まあ、ほとぼりが冷めるまで、遠く離れた九州に居るのも一策かもしれませんね」

 人に頼まれると、拒否することの出来ない因果な性格だと、一瞬、博は自分を責めた。

「ありがとう、ありがとう」

 机を回り込んで龍彦が、博の手を取る。驚いたことにその大きな目から、ポロポロと雨粒のような涙がしたたり落ちた。

 厄介を抱え込んでしまう事は確かなのだが、一七歳で闘病に疲れ志を残しながら苦しげにこの世を去った博の弟の顔が、にわかに瞼に浮かぶ。縁あって夫婦になった和の、血を分けた弟なのだから、その面倒をみてやってもいいじゃないかと、自分で自分をとりなした。

 ほっとして、湯呑みを手に取り酒を口に含む龍彦の喉仏が、大きな音と共にくるりと動いた。

 

 疾風のように龍彦夫婦が長崎を去って、一〇日も経たたない夕方、駅まで出迎えた博に連れられて克也がやってきた。

「あー、姉さん、元気ですか。来てしまいましたよ、南国へ。しかしここは結構寒いですねぇ」

 その声の底抜けの明るさに、この子は今回の事態をどう思っているのだろうと和は驚く。面長で鼻筋が通り、細く切れ長の目は母親にそっくりだ。

 ひょいとソフト帽を持ち上げると、整髪料で丁寧に撫でつけたオールバックの髪がてらりと光る。細身の縞のジャケット、ハイカラーの薄色のシャツに、ラッパズボン姿は、長時間の夜行列車から降りたったとはとても思えない。

 そんな克也に、街で見た外国映画の看板から抜け出てきたのかと、ヨツ子は口を開いて見とれた。ヨツ子などまるで目に入らないように、靴を脱いで上がる克也から、甘い香りが匂い立つ。

「ボクの部屋は何処ですか。あ~二階ですか。ネーヤ、この荷物、後で運んでおいて」と、階段の下に大きなトランクをデンとおき、ちらりとヨツ子に視線を投げた。

 目が合った一瞬、ヨツ子の体内の電気がショートして、頭の天辺から発火しそうになる。慌てて、克也の手からコートを奪いとるように持ち、重いトランクを掲げて、階段を駆け上がった。下からその姿を見上げて、克也がきく。

「姉さん、あのネーヤは、ボクに怒ってるのかなあ。何か気に入らないこと言ったかしら」

「あの()は、そんな娘じゃないわよ。とってもいい娘。家ではネーヤでなく、ヨッちゃんて呼ぶの。田舎の娘だから、恥ずかしいんでしょ」

 二、三日前から和と整えておいた二階の部屋で、長押(なげし)にハンガーを掛け、克也のコートをヨツ子が吊るす。幅広のベルトの薄茶色の厚いコートをそっと撫でると滑らかな手触りがして、もう一度あの香りを吸い込んだ。

 階下から、家の中の決まりごとを克也に説明する和の声が明るく聴こえる。ヨツ子は我に返って、あわてて階下に降りて行く。

「克ちゃん、ここがハバカリ、お手洗いよ。ここに入って用を足すでしょ。そのあとね、落とし紙を右手で使うじゃない。そうしたら、便器の蓋についてる取っ手は、左手で持って閉めてね。中扉も左手で開けてね。お手水の水道栓も、左手で開くの。いい、間違えないでね」と、くどいほど噛んで含めるように何度も説明している。

「姉さんて、神経質なんだねえ。判った、右手は、入って用を足すまでね。その後は左手を使えばいいんだろう」

 しかし翌朝、克也の大声が、手洗いの中から高らかに響く。

「姉さん、用が済んだンヤけど、この中扉は右手で開くんデッか、左手で開くんデッか」こういう時、克也は関西弁を使う。

 二日目までは真面目に返事をしていた和だが、三日目になると、その度にヨツ子が弾けて爆笑するので、その反応を明らかに克也は楽しんでいることが判り、ばかばかしくなった。

 毎日、帰ってきては、和に向ってというより、横目遣いにヨツ子の大受けを狙って、何処まで本当かわからないことを、少し下品な話まで、ペラペラ軽い調子で話す。和には、この人物が父親の言う様に本気で恋をして、つい最近、その恋に破れ傷心を抱いたとは、到底思えない。

 ヨツ子は話の内容などどうでもよく、克也の顔を見て、声を聞くだけで胸が高鳴り、ボーッと頭に血が充満する。夜になり仕事を済まして自分の部屋に戻ると、小さな卓上の四角い鏡に顔を映してみた。諏訪神社の祭りで、初めて和に買ってもらった口紅を薄くひく。突出した額とその下の奥目に小さな鼻、どれをとって見ても「あ~、ダメじゃ」と、ヨツ子はため息をつき、折角塗った紅を手でごしごしこすって取った。

 やり手の義父が既に用意した九州で新設の私立大学への編入は決まったものの、肝心の克也が首尾よく卒業できないとなると博も困る。責任を感じた博は、家庭教師を雇った。

 家庭教師として博が選んだ小田は、医学部を卒業して病理学という基礎医学に進んだばかりであった。痩せて背が高く、丸い眼鏡がずり落ちそうにつんとした鼻に載って、七三に分けた前髪が額にかかるのを、始終、頭を振って跳ねのける。

「ねえ、小田先生、そろそろお茶にしましょうや」と、克也が誘っても、

「いえ、未だ結構です、お気遣いなく」と断り、次々に課題を出しては克也に休む間なく勉強させた。

 既定の二時間が過ぎても、その日の範囲が終わらない間は、決して腰を上げようとしない。小田自身こうして勉強し、卒業時には、銀時計を貰えたのであろう。

 ようやく勉強が終わって小田が風呂敷に自分の参考書や辞書、筆箱などを几帳面に包んでいる時、それを眺めながら克也が聞いた。

「先生は、女には興味が無いのですか」

 小田は、手を止めて目を大きく見開き、克也の顔をまじまじと凝視した。その瞬間トマトのように赤くなる。額にかかる髪の毛もそのままに、俯いて小さな声で呟く。

「あまり考えたことないです」

「ボクは博多の女を、未だ知りません。先生に一度、中洲に連れてってもらいたいなあ」

 中洲は有名な花街である。小田は小刻みに震える声で、高い声を出す。

「君、そんな不真面目なこと言っていたら、卒業できませんぞ。この件は先生には黙っておきますので、二度とその類の事を私の前で言わんで下さい」

 真っ赤な顔をして席を蹴立て勢いよく襖を開けた時、ちょうどお茶を運んできたヨツ子と鉢合わせになり、危うくお茶がひっくり返りそうになった。

「先生、まあ、お茶を飲んで」という克也の声を背に、転げるように階段を降り、出て行った。玄関を閉める高い音が響き、盆をもったまま呆然とするヨツ子に

朴念仁(ぼくねんじん)は、全く理解しがたいねえ、そう思わないかい、羽黒山」と、克也が弾けるように笑った。

 小田は「先生には言わない」とは言ったものの、胸の内に納め切れず、翌日には一部始終を博に報告した。

 博は家に戻り、背広を脱ぎながら、和にぼそっと呟く。

「克ちゃんは小田をからかったらしいね。小田も小田だ。それしきの事、軽くいなせばいいのに、大真面目にうけた。二人は両極端だからな、困ったものだ」

「すみません」

 すれっからしの弟のために、和は謝る。

 口から出るのは冗談ばかりの克也は、この家にやってくるどの男性とも全く違って香しく、役者のようで、時折視線が合ったりするとニコリと頬笑んだり、駄菓子を買って来てくれたり、その度にヨツ子の心臓は壊れるほど高鳴った。

 紫陽花がこぼれるように咲いて、白色から儚げな薄紫の花びらがちらちらと揺れ、雨を待っている。濡れ縁に、克也が背を丸めて膝を抱いて座り、動かない。束の間の晴れた土曜の夕方、静寂の中に克也が溶け込んでいた。

 昼前、克也に届いた手紙は、差出人が東京の住所と男の名前であったが、誰が見ても明らかに女の筆跡だった。ポストから取り出したヨツ子が、その手紙をじっと見て封筒に鼻を近づけると、仄かに清涼な香りが品よく封じ込められている。

 その封筒を他の郵便物の間に挟んで、何も言わず和に渡す。一通ごとに握り鋏で丁寧に封を開く和の手がふと止まった。和も又、克也宛ての手紙に気づき、裏返してじっと見た。

 物干し竿から乾いた洗濯物を取りこむヨツ子の目に濡れ縁にすわる克也の背が見えた。全く動かない克也、それを見詰めて動かないヨツ子の二人を和は高い台所の窓から見つけ、時間が一時(ひととき)止る。

 ふとわれに返った和が、庭に向って叫ぶ。

「ヨッちゃん、お風呂焚き付けてちょうだぁーい」

 びくっと首を声の方に向け、返事をしながら慌てて残りの洗濯物を取り込んだヨツ子が勝手口から入ってきた。

 克也は二階の自室に向い、鼻にかかった声で「ダイナ~、私の恋人ォ~」と小さく歌いながら階段を上がって行く。

 夕食の時の克也は静かであった。「ご馳走様」と立とうとする克也に、和が思い切って声をかえた。

「今日来た手紙、何かあったの」

「あー、アレね。アイツ、結婚するんだってさ。良かったよ」

 アイツとは克也の駆け落ちの相手であることは間違いない。

 

 予定では春には卒業できるはずの克也に、勉学に専念して貰いたいと、博が近くに下宿を探し、年寄りの女性を雇って別居させることにした。

 だが克也は、しばしば夕食を食べに来て

「おー、羽黒山、元気か」と声を掛ける。克也との間には仕切り線がくっきりと引かれていることもヨツ子は自覚してはいるが、それでも頬を染めながら

「はぁーい、克也様もお元気で」と返すのが精一杯であった。

 

 その年が暮れようとしていた三月に、博が長崎の大学へ転勤することが決まって、一家はヨツ子もつれて引っ越すことになった。

 長崎で入った家は、諏訪神社の直ぐそばで、障子を開くと廊下から市内を見下ろすことができる。はるか向こうの異国情緒の街に、老舗カステラ屋の名が大書された煙突が見えた。

「ヨッちゃん、煙突から煙が消えたわ。きっとカステラが焼き上ったのよ。ちょっと行って、窯だしを買って来てちょうだい」と、わくわくしながら和が盆とガマ口を渡す。

 三〇分も経った頃「まだ温いから、小さくは切れんそうです」と、はあはあと息を切らせながらヨツ子が戻ってきた。盆に載せてそっと運んできたカステラは、湯気がほわほわと立つ。こんな美味なものは口にしたことが無いと二人は、息子と博が帰るころにはあらかた食べてしまった。

 来る日も、来る日も、煙突を眺め、煙が消えるやいなやヨツ子をカステラ屋に走らせた。

 新しい大学で同僚たちとの輪を作るために、博は次々と人を家に招き、和は台所で懸命に腕をふるってもてなす。ヨツ子は、この家のもてなし料理や、やってくるお客たちの特徴から口癖まで例の日記に書き留める。

 ある夜やって来た博の同僚は、何時ものように食事も出し尽し話題も途絶えたであろうにいっかな腰を上げようとしない。博が「長尻」とあだ名をつけた。

 和はヨツ子に箒を持ってこさせて逆さに立て、「お客様に早く帰ってもらうおまじない」と囁きながら、その穂先に日本手ぬぐいを被せて、玄関の柱の陰に立てる。ヨツ子はもう少しで何時もの大爆笑をしそうになり、顔を覆ってしゃがみ込んだ。

「お客様の履物にお灸を据えるのも、お早いお帰りに効くというけど、家には百草(もぐさ)はないしねえ」といいながら、和も前掛けで顔を覆って笑い声をこらえる。

 毎日、笑い、美味しいものを食べ、長崎を十二分に楽しんでいた。

 

「奥様、ヘンな人が、私の後をつけて来よります」と、空っぽの買い物籠を胸に抱えたヨツ子が、ハアハア息を切らせて玄関に飛び込んできた。

 時を置かず一人の男が玄関の扉を開ける。

 黒ずくめでソフト帽を目深に被った男が、いきなり背広の懐に手を差し込んだ時、和の心臓は飛び出しそうになった。ヨツ子を自分の後ろに押しこむと、腰が抜け、ぺたんと玄関に座り込んでしまった。目つき鋭い男は、首を伸ばして中まで覗くような素振りを見せ、取り出した黒革の手帳を広げながら低い声で言う。

「こういう者だが、今、ここに怪しい色黒の女が逃げ込んだな」

 黒革の手帳に何が書いてあるか分からないが、何を意味するかはしっかり解る。つまり〈自分は、特別高等警察つまり通称『特高』の人間だぞ〉という威圧であった。和の震えが手足の末端から体の芯へと駆け上ってきた。

「あのぉ、この家に入った娘はあれは三年も家に居ります、家の女中でございます」と必死に答える。

「どこから雇ったのか。南方の島から連れて来たのか」

「いえいえ、佐賀県東松浦郡の波多津村、田中という漁師の娘でございます。田中ヨツ子と言います。本当に誠実な娘でございます。紹介者は『松榮』を造っているお酒屋さんでございます」

 井上の実家の銘酒を耳にした男は、一瞬ニヤリと口角を上げかけた。

「ちょっとお待ち下さいまし」

 泳ぐように茶の間にとって返し、ヨツ子が来たとき井上が示した戸籍抄本を、震える手で差し出し、和はしどろもどろで付け加えた。

「あの娘の色黒は、漁村で親の手伝いをして、漁に出ておりましたから、日焼けしたからでございます。縮れ髪は、生まれつきの癖毛でございまして……」

 何時もより一オクターブほど高い声でやたらに「ございます」を繰り返す自分に嫌悪を感じながらも、懸命に釈明する。

 和からひったくった戸籍の写しを、しばらく鋭い眼光でじっと見入っていた特高の男は、なお博の身上を細かに聞きとり、その上、和の後ろで縮こまるヨツ子の頭の先から爪先まで、じっと吟味した。

「最近、南方からスパイが入ってきておる。お上と軍部、並びに当局はこれを厳しく詮議せにゃあならん」

 言い訳めいたことを呟き、二人の、ごく善良な市民の心を思い切り凍らせた後、ようやく出て行った。

 和とヨツ子は板の間に放心して座り混み、茶の間の時計が四つ鳴りそろそろ夕飯の支度にかかる時間を告げるまで動けなかった。

 ようやく和がヨツ子をあらためて見る。生まれついての赤い縮れ髪を頭の天辺に結わえ、くしゃくしゃの浴衣を短く着て帯を胸高に結び、袖と裾から真っ黒な逞しい手足がにゅっと突き出して、おでこの下にある金壺眼(かなつぼまなこ)がやたらにキラキラ輝いている。これでは南国産まれのスパイと間違われても無理ないのかなあと思うと、とても気の毒で、何とか服装も整えなければと焦った。

 同時にこんな善良で気の優しい娘を、蛇のような目で追い詰める、そういう時代が来たのかと全身に冷や水を浴びたようだった。

「今日、特高がやって来て、本当に怖かったの」と、帰ってきた博が靴を脱ぎきらぬうちから、顛末を息せき切って報告する。

 博が、ようやく茶の間に座って、腕を組みながら呟いた。

「港の造船所が、大きな囲いに覆われて、中が見えなくなっているだろう。あそこで巨大な軍艦を造っているという噂だよ。物騒な世の中になってきたもんだ」と、深いため息をついた。

 戦争という魔物は、間違いなく、この平和な人々の直ぐそこまで、忍び足で近づいている。町内に回る広報の回覧板で、戦争への準備として庶民が何を用意するかが初めて具体的に知らされた。各戸に竹槍や防水バケツ、一人ひとりの防空頭巾に住所氏名と血液型を書いた布を貼り付け用意するようにと書かれているものの、未だ差し迫った恐怖はなかった。

 だが、竹槍やバケツという武器が果たして、後の原爆投下の時、この町の人々の命を救うことに役にたったであろうか。

 

 昭和一四年の一〇月は、この家にとって実りの秋となった。

 月下美人が産院の院長室で見事に開いた日、博と和は一〇年ぶりに子供に恵まれた。和のため、院長が産室に自慢の花を持ってきてくれた。その美しさに見とれながら、どうかこの児が平和な世で成長し幸多かれと、母親として和は心から祈る。

 ところが産院を訪れた博が、

「なんだ、女の子か」と口を滑らしてしまう。聞きとがめた和が、産後で気が立っていたこともあり、泣き出して手が付けられない。博が助けを求めて傍に立つ進とヨツ子を見ると、彼らからも鋭い視線を浴びた。ヨツ子は、後々までことあるごとにこの時の博の発言を「旦那様はほんとうにひどい」と咎めた。

 もちろん口とは裏腹に博は、久々に授かったお宝のスミコを可愛がった。母乳も良く出て、丸々と太った娘に満々の自信を抱いた。和は、市が催す赤ん坊大会に出すことにした。

 だが、審査に当った小児科医から

「この太り方は、単なる水膨れじゃ」と言われ、見事落選する。早々に引き揚げてきた和とヨツ子の落胆は酷かった。殊のほかヨツ子が憤慨して息巻く。

「あの先生は、お嬢ちゃまの様に真っ白な肌の児を見たことがないトですよ。真っ黒に日焼けしてないと、健康優良と思わんトでしょう」

 それでも色白で水ぶくれの娘は、月足らずで産まれ病気のし通しだった兄の進と異なり、健康に育ち、両親とヨツ子を喜ばせた。

 ヨツ子は日記に、まるで初めての子供を授かった母親のように、摂取したミルク量から排泄物の様子、やがて始まった離乳食の質と食べっぷり、その日の機嫌と体重まで、毎日こまごまと克明に記す。

 今腕の中で充ち足りた顔でまどろむスミコは、()き立ての餅のように真白い。少しむずかるとヨツ子は、丁寧に洗って太陽を浴びたオムツを交換し、ミカン汁を与え小さな口で吸う様子に見とれる。毎日の入浴後には真っ白な天花粉をまぶされ手足をぴんぴんと伸ばした。ヨツ子はこの子の腹に唇を付け、匂いを嗅ぐのが大好きであった。

 すやすや眠る赤ん坊を見て、ヨツ子は、未だ幼かった自分の背中に括り付けられたり胸に抱かされた妹弟たちのことを考える。ひがな一日とり替えるオムツもなく小便臭い。浜や畑で仕事の合間に与えられる母乳は十分ではなく、年中泣くから青洟(あおばな)が垂れ乾くとこびり付いていた。

 もし、自分が将来結婚して子供を持ったなら、このスミコのようにとは到底出来ないだろうが、少なくとも清潔にして、今自分が教えてもらっている事を教え、育てたいと考えながら、日記につける。

 一一月の声を聞くと、和はヨツ子を手伝わせて冬に備えて恒例の家中の布団を用意する。晴れた日に朝から廊下を開け放って、予め洗って縫って置いた蒲団地に打ち直しの綿を入れて閉じると出来上がる。

「ほら、これヨッちゃんのかいまきよ」

 処々に継ぎ布があるものの大きな花柄の布団にヨツ子は目を輝かすのだった。寒風が吹く夜、綿入れの着物の様な形のかいまきにヨツ子はくるまる。打ち立ての綿はほっこりふわふわ暖かく顔をうずめると陽の薫りがして、いつまでもこうして居たいなあと幸せだった。

 

 その夜遅く、疲れた表情で帰宅した博から、年明けにまた転勤で今度は岡山へ赴任が決まったと、知らされた。

 異国情緒漂うこの街を和はすっかり気に入っていたし、博にしてもせっかく長崎の大学で同僚たちともうまく行き始めたのにと不本意だが、母校からの人事に関する至上命令には従わざるを得ない。

 しかし、もしもこの地に後二年居たならば、博は長崎大学で、和と家族は自宅辺りで確実に命あえなくなっていたにちがいない。

 

 深夜の茶の間で、和はインク壺でペン先を漬けたまま真っ白な便箋を見つめ続け、ヨツ子を連れてきた井上に宛てた手紙を書き始めた。季節のあいさつと長い間の無沙汰を詫び、夫の転勤で、来春には今度は、岡山へ移ることになったと書く。〈ヨツ子は、大変元気に忠誠を尽くしてくれています。家の中を全て知り、痒い所に手が届くような働きをしてくれるヨツ子は、私どもにとりまして、今やなくてはならない家の娘となりましたが、驚いたことに年が明けると、もう二四歳にもなるのでございます〉

 この所長崎でも物騒な噂が聴こえており、引っ越しを機に、ヨツ子を一たん親の許に返さねばと思ったことを書く。

 和は書いては破り、三枚目の便箋に続ける。

〈先生に甘えついでに、たってのお願いがございます。この機に是非、ヨツ子に良縁を見つけてやりたいと考えます。あんなに賢くて、明るくて、よく働く娘は、滅多に居りません。何卒、よろしくお願い申し上げます〉

 五年という歳月の間に、井上も身を固めて実家の近くで医院を開いていた。その井上から直ぐに来た返事を、通知表を開けるようにドキドキしながら和が封を切る。

 其処までヨツ子を大切にしてくれたことに対する謝辞が述べられ

〈良縁が見つかり次第、ご無沙汰をお詫びがてら、ヨツ子を迎えに長崎を訪ねたいと思います。先生、奥様の顔を見るのが楽しみです〉

 と結ばれていて、和はほっと胸を撫で下ろした。

 冷雨と坂が多い長崎で、最近和の膝が痛む。手で撫でては痛みの鎮まるのを待っている時、博がぽつりと言う。

「長崎もあと一月だから、今度の週末に雲仙に行こうか」

 家族旅行など、ひさしく無いことだ。新聞もラジオも、軍事色一色となり、女性もオシャレがしにくい気鬱な時に、和の顔がぱっと明るくなる。

「温泉に浸かればあんたの足も、良くなるだろう。ヨッちゃんも、長く勤めてくれたし、お別れに一緒に連れて行こう。本人にはまだ話してないんだろう」

 翌日の夜、考えた挙句に、決心して和が先ずヨツ子に重い口を開いた。

 この先、戦争が始まると、大切な他人様の娘をこれ以上置いておけないということを、出来るだけ順序だて、誠意をもってヨツ子に話す。案の定、ヨツ子は猛烈に抵抗し、黒い顔を紅潮させて、遂には泣きながら訴える。

「例え戦争になっても、ワタイは、皆さまと命を共にします。お嬢ちゃまは、ワタイが命かけてお守りします。それでも郷へ帰れと仰るのですか。それは、ワタイに一人で死ねという事ですか。岡山へワタイも連れて行って下さいませ」

 あらためて膝を整え、俯せて畳に額を擦り付けた。和も思わず、前掛けで顔を覆ってしまった。傍にいた博が、少し間をおいて、低い声で静かに話す。

「こんなご時世になって、親御さんも心配しているよ。ともかく一度、郷へ戻って顔を見せてやりなさい。世の中が少し落ち着いたら、必ずこっちへ呼ぶから、その時は直ぐに来てくれよ」

 じっと聞いていたヨツ子は、押し黙った。三人三様の時間が流れ、茶の間の柱時計が間の抜けた音で九時を告げた。

「そのかわりと言っては何だが、皆で温泉に行こうと思う。ヨッちゃんも一緒に来て、スミコの面倒をみてくれよ」

 涙をエプロンでごしごしこすり、小さな鼻をすすりあげて、初めて無理な笑いを浮かべる。

 もちろん、井上に婿探しを頼んでいる事には触れていない。

 雲仙までの汽車の中、この旅が自分の最後の勤めと、ヨツ子は一歳になり活発に動くスミコから、片時も目と手を離さない。

 夕焼けの弱い陽差しは、そこここに上がる湯煙をゆったりと照らし、樹木の影を長く引きずりあっという間に暮れていく。ここには未だ平和があった。

 博が奮発して予約した、由緒ある旅館に着いた。障子を開けると高原の風が、ひんやりと冷気を連れて広い座敷に吹き込んだ。汽車の旅も、旅館も、全てが新しい体験に興奮し動き回っていたスミコが、ヨツ子の腕の中で寝息を立て始め、座布団を二枚敷いた上に寝かす。

「いい湯だったよ。お前たちも入って来なさい」と、日本手拭いをパンと音高くしごいて窓際の欄干に干しながら、博が勧めた。

「いや、ワタイは、後で頂戴します」と、尻込みするのを

「旦那様とお兄ちゃんがスミコを見ててくれるから、さっ、一緒に入りましょう。ヨッちゃんも自分の部屋へ行って浴衣に着替えていらっしゃい」と、和が備え付けの浴衣に着替え始めた。もじもじその辺を片付けるヨツ子に

「ほら、早く早く、また、あの子が目を覚ますから」と、急かした。

 

 浴室ではむっとした熱気と温泉独特の臭いが冷え始めた体を包み、かけ流しの温泉の湯が豊富に溢れ出る。湯音を響かせて掛かり湯を浴び、まとわりついた日常の鬱陶しさを流し去って浴槽に浸かった頃、ようやくヨツ子が腰を屈めて浴室に入ってきて洗い場の下手にぺったりと正座をした。

 湯気で曇った浴室の大きな鏡に、ヨツ子が映る。高々と手桶を頭の上に揚げて湯を浴びる後ろ姿が丸見えとなり、和は息をのんだ。

 肩から背中、そしてくびれた腰から太腿まで、無駄な肉ひとつない引き締まった体は、湯を弾き飛ばし黒曜石のように光って、滑らかな曲線を描く。実家の客間にあった、ヨーロッパで買ってきた龍彦自慢の大きなブロンズの裸像を思い出した。

 密やかな水音と共に、ヨツ子が浴槽に滑り込むように入ってきた。

「良いお湯で、気持ちいいわねぇ」和の声が少し上ずる。

 

 長崎に戻ると、意外な客が玄関に立った。黒紋付の羽織に身を改めた福岡の餅屋の主人である。何時も引っ越しの度に世話になったこの人の訪問を、和もヨツ子も懐かしく、大いに喜んだ。

 茶の間に通った餅屋は、年賀状で娘が誕生したことを知り祝いにきたと祝儀袋を両手で和に捧げる。

「まあ、早速に嬉しいこと」と押し頂いた和は、ヨツ子に餅屋の好物の酒をコップに注いで持ってこさせ、しばらく三人は懐かしい福岡の話をした。

 急に餅屋が膝を正して言う。

「実は息子が召集されまして、佐世保に入隊したトです。面会ができるちゅうことでババアと昨日こっちサ来ました。一晩だけやったバッテン、夕飯一緒にしました」

 口の重い餅屋はこれだけ話すと、グイッと喉に残った酒を放り込んだ。

「わたしゃ、息子が兵舎に戻る時『おまえ、どげんことあっても逃げて帰って来やい。死ぬるとは許さんゾ』そう言うたら、ババアが怒りましてですな。『そげんこと言うたら、あんた憲兵に捕まるバイ。立派にお国の為に戦え言わないかんよ』と言いよりました」

 口を真一文字に閉め、じっと目を畳に落としていたが、やがてつぶやいた。

「オナゴは強かですなあ」

 子供の時から知っている利発な餅屋の長男の、役者のような顔を思い浮かべ、和はそっと胸を押さえた。

 

 岡山への引っ越しの支度もあらかた整った頃、井上からヨツ子を迎えに来ると連絡が入った。

 あの日ヨツ子を伴って来た時のように大声で入ってきた井上が、今度は若い男を連れてきた。ヨツ子と同じく真っ黒な顔の丸坊主の男が、和を見て頭を深く下げる。笑顔がはじけると細い目が一層糸のようになり、真っ白な歯が白い碁石のように並ぶ爽やかな若者であった。

「同じ村の漁師で、力の強そうなムコサンを見つけてきました。ヨツ子、この男、アンタ()まい時からよう知っとるやろう。アンタの首に縄をつけて帰るには、俺一人では無理と思うて、一緒に連れて来たトよ」相変わらず井上はあっけらかんと言う。

 ヨツ子は井上に丁寧にあいさつはしたものの、ちらちらと遠慮がちに自分に視線を送る若者には怒ったように目もくれない。

 だが井上は、有無を言わせずヨツ子を急かせて支度をさせ、その日の夕方には二人を連れて、疾風のごとく去っていった。

 ぼんやり取り残された和は、ヨツ子に「(はか)られた」と恨まれないか、心配になり始めた。井上は、相手の男を和にも見せて安心させたが、肝心のヨツ子が終始一貫して愛想なく、むくれているのが気になった。

 この慌ただしい見合いと惜別は、井上が熟考して計画したに違いない。誰にも有無を言わせず、愁嘆場(しゆうたんば)を演じる暇も与えずに済んだ。

 

 岡山、そこは和にとって災いの街となった。

 引っ越し直後の過労がたたり、腎盂炎を起して高熱を出し入院したが、物資の不足する病院での療養生活は、ふっくらしていた和を金釘のように痩せさせ、回復にずいぶん時間を要した。

 折ごとにヨツ子の存在の大きさを思い、電報でも打って来てもらおうかと何度逡巡したか分らない。

 郷へ帰ったヨツ子は時を置かず、あの誠実そうな青年と、否応なしに祝言を挙げた、と言うより挙げさせられた。だが、その三日も経たない内に、新郎は召集令状を受け、戦地に出征して行ったと、井上からの手紙で和は知る。毎日何かにつけ度々、あの時ヨツ子を帰したことをなんと惨いことであったかと後悔する。

 博は高齢の両親が二人だけで芦屋に住むのが心配で、岡山に連れてきてもっと静かな場所に疎開させることにした。疎開先が見つかるまでの間、久しぶりに生活を共にする。草花を愛する老父母は、縁側に並んでぺたんと座り狭い庭を眺めて、つつじを楽しみ、梅雨もまた()しとして紫陽花を愛で、ユスラウメやグミの実を喜んだ。

 漬物名人だった母は、何も家事を知らなかった若い和に熱心に伝授した糠漬けや梅、ラッキョウの味を、嫁が継承していることをことのほか喜び、とりわけ昨年の漬物の塩梅を褒めた。しかしその年、漬物の材料さえ手に入らなくなってしまっている。

 

 昭和二〇年の六月末の未明、岡山に大編成のB29が急襲した。そして数多くの住宅や人命を、無数の焼夷弾で焼き尽くした。

 そして防空壕の中で、博の両親はしっかりと抱き合ったままもっとも酷い死に方で最期を迎えた。

 大好きだったやさしい花ひとつ供えられず、無機な光景の中で、二人を見送らねばならないのがとても辛い。

 

 暑い八月一五日の昼、聞き取りにくいラジオから、終戦が宣言された。

「電灯に掛けてる暗幕、取って良いんだよね」

 戦争が終わったと聞いた息子の進が直ぐ反応して、黒い布を外すと、眩しい光が充ちた。皆は眼をしばたかせ、初めて笑顔で御互いを見詰め合う。

 だがその後は、大方の日本人と同じく、昭和天皇の敗戦宣言の中にあったように、正に「耐え難きを耐え忍び難きを忍」んで暮らす。悲しみだけを山ほど抱え込み、ロクなものも口にできず、体も心も干物のように干からびた。毎日、感動のないまま朝が来て、夜が来て、時だけが過ぎていった。

 

 二月ほど経った夜、博が勤め先に届いていたと言いつつ、小包を和に渡す。表書きに見覚えのある字で「岡山市岡山大学外科」という住所と博の名前だけが記された小包の、発送人はヨツ子からだった。

 頑丈な油紙の上から麻紐をぎりぎりと格子状に掛けた大きな包みと、貴重品である麻紐を切ってしまわないように慎重に解く。急ぐ気持ちとうら腹に、ヨツ子があの腕力で思い切り締め上げた紐は、いっかな解けない。

 小一時間もかかってようやく開いた中から、更にがっちりと包まれた小さな包みが沢山溢れ出る。それぞれに内容品を大書した紙が貼り付けられており、豆、米、乾燥芋、小麦粉、麦こがし、イリコ、梅干、そしてスミコのための海ホウズキなどなどがあふれ出た。和は歓びの声をあげ、目から涙がほとばしる。

 一つ一つの包みを、両手で押し頂き拝んでは取り出す。

 中に一つ、何も書いていない紙包みからは、赤いセルロイドの小箱が出てきて、針、糸、指貫など、裁縫道具がぎっしり詰まっていた。着替えの服も下着さえも無い今の暮らしに、針糸は本当に貴重品で、ヨツ子の心も詰まったその裁縫箱を、しばらく放心したように見詰め、掌でそっと撫でる。

 同封された大き目の手作りの封筒を手に取って、握り鋏で丁寧に封を切った。

 薄茶けた帳面の一頁を破いて鉛筆で書いた手紙と共に、セピア色の写真が一枚はらりと膝に落ちた。ふっくらと太ったスミコを膝に載せて和が写っていて満ち足りた微笑みを浮かべている写真をみてたちまち涙で滲む。

「九州大学の先生にお電話しましたら皆々様ご無事と、教えて頂きました。岡山のお家は焼け出されなさったと伺いましたが、皆様がご無事と聞いて、ヨツ子は何より嬉しゅうございます。ほんとうに少しばかりでお恥ずかしいのですが、どうぞ召し上がって下さいませ。お写真は私がお(やしき)を退かせて頂いたとき、記念として頂戴したものでございます。私にとりましても宝物ではございますが、きっとお手もとのお写真はみんな焼けてしまったと拝察し、お返し申し上げます。

 下りまして私共の主人も無事復員いたし夫の実家で暮らしております。

 皆様とおめもじ出来ます日を、ヨツ子は首を長くしてお待ちします」

 言葉遣いも言い回しも完璧で、和は博に何度も繰り返し読み聞かせた。

 

 和のよそ行きの訪問着や金襴(きんらん)の帯など当面不必要なものを疎開しておいたが、そっくり転送されてきた。来春のスミコの入学式の晴れ着を作ろうと、それらをほどいて布にし、着物の白い裏生地をブラウスに、羽織をスカートを作ろうと和は脇目も振らずヨツ子が送ってくれた針糸で寝も遺らず夢中で縫った。

 

 この頃から頻繁に龍彦の豪快な字が躍る手紙が博の大学経由で届くようになった。龍彦の大阪に在った大きな邸も空襲で焼け落ち、芦屋の松風山荘にある小さな持ち家で不便をかこっていることや、家族の動静が詳細に書かれている。

 そして文末には必ず、一行が加えられ親心が滲む。

〈克也が未だ帰らぬ。伝手(つて)を頼んで探ってみたが、判らない。博君の方で何か分ればありがたい〉

 大学を出た克也にも召集令状がきた。終戦のたった二年前、軍馬にまたがり「どうだ、立派だろう」と言わんばかりの、颯爽とした写真が和の手元にも送られてきた。

「克っちゃんは、どんな軍人さんなのかねぇ。なかなか立派な尉官姿だから、外地の女性にも、さぞモテているんだろうな」と、博が笑った。だが、あの調子の良さは、果たして軍隊で通じるものかと、和は少し心が痛む。

 龍彦の手紙を待つ迄もなく、博は知己を得た旧日本軍関係者をはじめ、厚生省の復員局などを頼って消息を探っていた。ようやく終戦近くには南方の任務に当っていたらしいことが判った。近い内に復員し、満面の笑顔が日焼して逞しさを加え、何時もの調子で熱帯のジャングルの話や、現地の女性の話をとくとくとするだろうと、誰もが思う。

 だが、それから間もなく、空っぽの白木の箱が龍彦の疎開先に届けられた。龍彦夫妻はそれを前にして、長い時を身じろぎもせず過ごし、夫婦として初めて、思いを共有していた。

 

 終戦から三年、博に転勤の話が持ち上がり、再び古巣の福岡へ引っ越しが決まった。既に疎開先から岡山市内に戻っていたものの、家を構える余裕はなく、一家は病院の一隅に住んでいたがやっと第二のふるさとに戻り平穏な暮しが出来るかと、和は旧知の人々の顔を次々に浮かべて喜んだ。

 小高い丘の住宅地の一軒家に落ち着き、進は高校、スミコは小学校にあがり、新生活は順調にすべり出した。

 ある昼下がり、賑やかな声と共に玄関の扉が開く。そこには、潮風に乗ってきたような、あのヨツ子の弾ける笑顔があった。

「奥様、ご無事でうれしゅうございます」と、あの時と同じ大声で言い、後は笑っているのか、泣いているのか分らない声を放つ。思わず駆け寄った和は、目をまん丸く見張った。

「可笑しカでしょう。ワタイは、三人も子供が出来とりますですよ」

 ヨツ子は復員した夫と二人で、船で沖に出て魚を獲り、ひがな一日働いてようやく家族の口を糊するのが精一杯であった。夫の出征中、夫の実家で義理の渦中にあり苦労を余儀なくされたが、持ち前の負けん気と根性で終戦を待ち、次々と七人の子供たちを産み、立派に育てた。

「ヨッちゃん、あなたの家は姑さんたちやご主人の兄弟何家族かと一緒に住んでるんでしょ。それなのによくまあ、沢山の子供ができたわね」と、和があけすけに聞いた。

「そりゃ、奥様、ワタイ達ャ、夜中に船で漁に出ますもん。沖に出りゃ二人きりです」と、真っ黒な顔をクシャクシャにしてヨツ子が笑った。

 ヨツ子の後ろに隠れる男の子、裾に絡みつく女の子、そして背中に括りつけられたもう一人の赤ん坊、そこに逞しい母親が立っている。

 手に大きな風呂敷包みと、アルマイトのバケツをぶら下げている。

「ゴヤッカイに、ナリマス」

 賢そうな長男が母親の口調を真似して、回らぬ口で繰り返す。

 ちょうどそこへ学校から帰ってきた娘のスミコが、玄関でいきなり鼻に手を当てた。

「ウワッ、臭い」

 魚の臭いと赤ん坊のオムツから漂う臭いが、えも言われぬ異臭を放っている。

「スミコ、何言ってるの。あなたを育ててくれたヨッちゃんに何てことを言うの」

 和が厳しく叱る。

 ヨツ子が子供の手を振り解き、ひざまずくとスミコの両腕をぎゅっと握る。

「まあ、お嬢ちゃま、こんな大きゅうなられて」とたちまち顔がびしょ濡れになる。

「ヨツは臭いと言われても、何とおっしゃってもちっとも構いませんですよ。この耳でお嬢ちゃまの声を聞かせて頂いて、こうしてお手々を持たせて頂いて……」と言いながら、力を込めてスミコを揺さぶった。そして袖で顔を覆うと

「何より、ご無事なお顔が拝見できて……」と叫びながら、子供たちが驚くほどの声を放って、泣き出した。

 和も、むかし初めて聞いたヨツ子の号泣を思いだし、ヨツ子の肩に手を掛け共に声を挙げて泣く。ヨツ子の子供たちは、二人の顔をかわるがわる見て驚き呆然と立ち尽くす。背中の子が母親の号泣に呼応して大声を上げて泣き出した。

 戦争という大河を越えてきた者たちが再会した時に、お互いに触れ合い思い切り泣くのは万国共通であろう。

 それぞれが一つずつの命を生き延びこうして手を取り合うことが、平和だった。

 困難な時を無我夢中で過ごしてきた和は、逞しい浜の匂いを嗅いで、明日に生きる意欲を得たように思う。

 

 

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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比企 寿美子

ヒキ スミコ
ひき すみこ 1939年、長崎市生まれ。エッセイスト・ノンフィクション作家。著書に『アインシュタインからの墓碑銘』(2009年7月、出窓社)ほかがある。

掲載作は『あのときの蒼い空――それぞれの戦争』(2018年9月、春秋社刊)よりの抄録である。

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