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ロンリーアマテラス(抄)

内緒のベッド

おおきな温もりがベッドにすべり込んだ

頭を胸にあずけ震える腕をちぢめて丸くなる

それでも幼児ではないから受けとめる手は躊躇いながら

長い髪の毛ごとそっと背中を撫でつづける

やみ夜に寝息がとけた

 

群からはぐれた

獣の目をして

ソファの隅にうずくまり

チュウガクハキライ

と私を睨む

命が痛い

あなたの全身が訴えるのに

痛みなど気がつかない振りをして

ハハオヤAを演じた

命が痛いというその命は

私の命とシンクロするから

あなたの痛みは

私だけの痛みよりずっと痛くて

私が私ではなくなってしまう

その恐怖から逃れようと

ハハオヤAを貼りつけた

 

ハハオヤAなんか知らない

この世に運んでくれた人だ

私だけのおかあさんだ

胸に寄りそう温もりがゆっくりと呼吸の速度でささやく

あなたを抱く翅はカゲロウみたいな薄い翅なのに

カゲロウの翅がいいとあんしんし切って寝息をたてる

未熟な私を許していた私はまっすぐ頼るあなたに

太陽の欠片をプレゼントされ

カゲロウの翅にありったけの水分を送り

私だけの翅にした

夜明けまぎわの

内緒のベッド

 

ロンリーアマテラス

おかあさんがわるい

おかあさんがわるいから

おとうさんが行っちゃった

そう叫んで襖をぴしゃりと閉めた

 

子どもの目の前で

荷物を車に詰めこんでいく

パソコン

家具

スノーボード

バスタオル

洋服

子どもが気に入っている

マグカップ

この人はすでに知らない人

 

車がとおざかり

和室に駆けこんだあなたの慟哭は

悲しいことなんて慣れてる私が

あなたのぶんも背負えばいい

そんな絵空事を吹きとばし

私の体をばらばらにし

心を粉々にするが

ばらばらにはならない

粉々にはならない

どうすればいい?

人生に問いかける

 

母親から大切にされなかった母親は

子どもともうまくいかないって

虐待は連鎖するんです

世の中は軽くいってくれるが

きらわれるのはかまわないけど

母親をきらう寂しさは

たましいを損なう寂しさだと

知っているから

私はあなたに好きになってもらう

どうしてほしい?

三歳の私に問いかける

 

正直に丁寧に話そう

これまで何があり

三人の暮らしを守るために

どうがんばって

なぜ無理だったのか

そしてあなたは

何一つわるくない

わるくないのに

おかあさんにつき合わせて

ごめんねといい

すべて話した

 

西日が廊下を照らすころ

しずかに襖が開いた

新しい目をした

あなたが立っている

肩を寄せ

オレンジの夕日を

眺める

グラデーションの空を

渡り

コトバが

届く

ワタシノブンシタチイキテ

 

半端ない いかれ具合

エラーボタンが点滅している

青い屋根に

灰色の屋根に

しんと静まる夜の治外法権

 

手足の筋力は底を尽き

死なない方策だけを考えている

声をあげる気力を失い

死なない努力だけを続けている

 

腕の中のあたたかな命を守るために

無防備な頭はなすがまま

死にたくても死ぬ自由さえ捨て

子を育てている女が死に瀕している

命を促すミッションを負うオスが

メスを傷つけるいかれ具合

 

エラーボタンが点滅している

 

ジンルイのオスは

口説く生業をかなぐり捨て

メスが新しい命を育てているあいだ

ひたすら耕し備蓄に励み

その食物を生殖の取り引きに使い

メスをヨワクしてツヨクなった

 

目の前のセカイは

上げ底のセカイ

生命を貶めた

貶められたセカイ

メスがオスを選んでいたら

この世にいなかったニンゲンが

 

コンナニタクサン

ミンナイカレテル

 

エラーボタンが点滅している

青い都市に

灰色の都市に

しんと静まる夜の治外法権

 

モノクロの点滅が

いま

見渡す

限りの

空を

覆い

点滅ごと落ちて

子を守る女に

 

数字組織立ち入り禁止

診察台で機械的に膝が広げられ

カーテンで上半身と下半身が分断されたとき

体内の命はオトコ社会に転がった

 

陣痛室で浣腸をされトイレまで這い

分娩室で仰向けに固定されたとき

ハハオヤのヒエラルキー最下層が決定した

 

空から祝福のシャワーを浴びるかわりに

手術用のライトと冷徹な目に見下ろされ

陣痛促進剤が注がれる

 

一か月 裸にすると手足を動かしますか

三か月 声を掛けると反応しますか

六か月 おもちゃに手を伸ばしますか

九か月 歯が生えましたか

一歳 つたい歩きをしますか

一歳六か月 意味のある言葉を話しますか

二歳 二語文を話しますか

 

比較と競争と数字と組織が大好きなオトコ社会にようこそようこそ

女はハハオヤのまま正気を失うか

さらにオトコに擬態するかを迫られる

 

社会に管理されコドモを管理するよう

委託された下層民には

存分に可愛がる権利も自由もなく

 

ハハオヤのまま正気を失えば

コドモにもフテキゴウの判が捺され

 

目出度くオトコに擬態すれば

空っぽのへイタイに育つ

 

空から一粒の真珠がすべりこんだ瞬間からやり直す

匂いと温もりと目を合わせて会話する女の世界に

比較競争数字組織立ち入り厳禁の札を立てる

 

診察台と分娩台に満面の侮蔑の笑みを送り

母子手帳を捨て

検診の日は気に入りの水辺に会いに行く

 

なめらかな肌を呼吸のリズムで撫でながら

即興の歌をプレゼントしよう

とろける美しさの髪の匂いを吸いこむ

 

その握りしめた手に

鳥たちの会話が聞こえこの世にもどる

清らかな寝顔のあなたはまだ

あの世に住んでいる

つめたい鼻先に鼻をつけ

白い額に手をおくと

瞼が徐々に開き不思議そうに私を見る

微笑みが帰ったらこの世の住人

毛布を巻きつけ汽車になって

楽園までごはんを食べに行こう

精神的肉体的経済的DVオトコがいなくなり

リビングルームは蘇生した

 

山盛りのごはんと玉子焼き

おみそ汁おいしーだから飲み込まないの

と頬をふくらませたまま

保育園のブレザーを着ようとする

二八万円の軽自動車が二人の全財産

出発しんこーと元気にこぶしを上げる

あなたと一〇分の旅をして

それぞれの世界に向かう

 

膝が擦り切れてるよ

もっとましな格好して来てよ

よけいなお世話だ

手取り一二万三五〇二円

DVオトコと別れ

DV社会が身に沁みる

子どもを抱くオットのいない女が

そんなに憎いか消したいほど

 

おやつ選んでいいよ

やったあーつだけだね

スーパーの棚で三〇分も迷うあなたは

その記憶を胸に育つ

一年じゅう同じジーンズをはいていた母と

魚のあらがのるテーブルと

おかあさんが倒れたら電話してと

何度も教わった壁の119

の文字とともに

握りしめたその手に

そっと秘密の種を忍ばせる

大きくなったあなたは

掌をひらき

ふうっと

息をかけ

その風に乗り

この世に

瑞瑞しい

花びらを

撒く人に

なってほしい

 

握りしめたその手に

 

 

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2019/10/29

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甘里 君香

アマリ キミカ
あまり きみか 詩人・エッセイスト 1958年埼玉県生まれ。著書に『京都スタイル』(2005年8月、新潮文庫刊)など。

掲載作は詩集『ロンリーアマテラス』(2017年4月、思潮社刊)より、著者自身による抄録である。

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