お年寄りが骨折したら(抄)
はじめに
この本は、一本の電話がきっかけとなってつくられました。
「ちょっと相談があるんだけど……。じつは親が家で転んで骨を折っちゃって、救急車で近くの病院に入院することになって……」
この相談を受けて、私がハッと気づいたことは、骨を折った本人にもまして、家族や知り合いがひじょうに心配して、不安感が強いということでした。
さらに、相談者から、よく話を聞いていくうちに、もうひとつの事実を発見しました。それは、入院のときに医師から説明を受けているものの、本人も家族も突然のことでパニックになってしまい、ほとんど説明を理解できていないということでした。
お年寄りの骨折の治療をわかりやすく、イラストを用い、想定される会話や質問を織り混ぜて説明したら、皆さんの役に立てるかもしれない。こんな思いからこの本が生まれました。
また、私の心に引っかかって気になっていることも書きました。それは、患者さんが退院してからのことです。患者さんは入院中はケガの回復に向け無我夢中であるため、心に緊張感があります。しかし、いざ退院してみるとどうでしょう? じつにいろいろな困難が待ち受けているのです。その困難を退院してから知って、あわてている家族をたくさんみてきました。そのたびに私の説明不足や認識不足を反省させられました。
本書では、退院後に直面する数々の困難を前もってお知らせし、その対応の方法を提案することにより、困難を少しでも楽にできるように、退院後の道しるべとなるように工夫しました。
今後、日本はかつて人類が経験したことのない高齢社会を迎えます。そのような二一世紀を明るく意義のあるものにするには、なによりお年寄り自身が元気でニコニコしていて健康であることがいちばん大切だと思います。
本書が明るく楽しい生活を送るための一助となれば、なによりの幸せです。
道で転んだAさん──八三歳・女性・健康
散歩中に道路の段差につまずいて転んだAさんは、足の付け根の強い痛みのため、起き上がることができませんでした。通りがかりの人に救急車をよんでもらい、病院でレントゲンを撮ると、大腿骨頸部内側骨折。そのまま入院することになりました。
ベッドに寝ると、看護婦さんが、骨折しているほうの足のひざから下に包帯を巻いて、足を引っぱるために二キログラムの重りをつけてくれました。痛み止めの飲み薬ももらい、痛みもかなり和らぎました。
いくつかの検査をして、入院後七日めに手術を受けました。手術法は骨折のズレが大きかったために、人工骨頭置換術でした。
手術後一週間で車いすに乗れるようになり、トイレも自分で行けるようになりました。二週間めからは、歩く練習も始まり、シャワーも浴びられるようになりました。そして手術後六週間で、T字杖をついて退院となりました。現在Aさんは、T字杖をつきながら以前と同様に、散歩を楽しめるようになるまで回復しています。
ベッドから落ちたBさん──八六歳・女性・認知症
以前から自宅で転倒をくり返していたBさんは、冬の寒い早朝に、ベッドからすべり落ちて、その場で動けなくなってしまいました。同居しているお嫁さんが発見したのは、二時間ほど後のこと。朝食に来ないBさんをみにきて、事故に気づいたのです。
救急車で運ばれたBさんは、レントゲンで大腿骨頸部外側骨折と診断され、そのまま入院となりました。担当医から説明を受け、手術をすることになりました。
手術は無事に終わり、リハビリも順調でしたが、お嫁さんは退院後の介護がひじょうに心配でした。というのも、Bさんは認知症があったからです。「介護保険制度」があることは知っていましたが、どうしたらいいかわかりません。担当医に相談したら、意外に手続きは簡単そう。さっそく役所に 「介護保険の申し込み」をしました。
一ヵ月後、「要介護3」と認定され、今ではヘルパーさんが毎週五日、看護婦さんが毎週一回来てくれています。ご主人や子どもたちも家事を手伝ってくれるようになりました。Bさんの家では家族が一人減ることなく、今日も
ふとんを取り出すときに尻もち──七八歳・女性・骨粗鬆症
押し入れから、ふとんを取り出したときに、反動で尻もちをついてしまったCさんは、激しい腰痛のため身動きがとれず、救急車で病院に運び込まれてしまいました。
診断は腰椎圧迫骨折で、痛みのため体を動かすと息がとまりそうなほど。とても歩いて自宅へ帰れる状態ではなかったので、着のみ着のまま入院することになりました。入院した夜は、痛み止めの飲み薬と湿布、坐薬などで、なんとか痛みをしのぎました。
三~四日すると、コルセットをすれば寝返りができるようになりました。約一週間で、車いすに乗れたので、少し「ホッ」としました。その後、痛みは少しずつ軽くなり、歩く練習も順調にいきました。医師からすすめられた骨の検査では、やはり「骨粗鬆症」でしたので、「骨を強くする薬」を継続して飲むことにしました。T字杖で歩けるようになり、約四週間めに、めでたく退院となりました。
退院後しばらくすると、朝ふとんから楽に出られるようになってきたので、そろそろコルセットをはずし、体操や散歩を始めようかと思っているCさんです。
手首の変形に驚いたDさん──七二歳・女性・健康
Dさんは、買い物帰りに段差につまずいて転びましたが、前に手をついたので、顔を打たずにすみました。ところが右の手首があまりに痛いのでみてみると、まるでフォークのように手首が変形して腫れていたのでびっくりしました。
レントゲンでの診断は、やはり骨折。医師は「力を抜いてくださいねぇ」といいながら、ゆっくりと右手を引っぱり、骨をもとに戻し、手際よくギプスを巻いてくれました。入院の必要はないとのことだったので、痛み止めの飲み薬をもらって帰宅しました。
しばらく通院して、ギプスを何度か巻き直すうち、骨が固まってきたようです。やがてギプスを半分に割ってくれたので、風呂に手がつけられるようになりました。
「お風呂で少しずつ手首を動かしてください」という医師のアドバイスどおり、最初はおそるおそるでしたが、手首を動かすようにしました。二週間ほどすると、残り半分のギプスも取れ、手首を動かすリハビリの指導を受けました。その後、がんばってリハビリを続けたので、今ではお箸もフォークも、自由に使えるようになりました。
新聞紙ですべったEさん──八一歳・女性・健康
Eさんは自宅でじゅうたんの上に置いてあった新聞に足をすべらせて転んでしまいました。右肩に激しい痛みを感じたので、左手で右ひじを押さえ、ゆっくりと起き上がり、お嫁さんに付き添ってもらい病院に行きました。レントゲンを撮ると肩の骨折でした。
看護婦さんが三角巾をしてくれ、その上からバンドを巻いてくれました。入院も手術も必要ないということで、痛み止めの飲み薬と冷湿布をもらって自宅へ帰りました。家に帰って薬を飲み、氷まくらで冷やすとだんだん痛みがうすれてきました。
一週間おきにレントゲンを撮り、三週間めにバンドがはずれました。「そろそろ動かす体操をしましょう」と医師にいわれ、体操を教えてもらったので、さっそく三角巾の中で肩を少し動かしてみました。思ったよりよく動き痛みもあまりなかったので、うれしくなりました。さらに三週間後に三角巾が取れました。
その後も毎日きちんとリハビリを続けたので、今では骨折したことを忘れるくらい、もとの状態に戻っています。
愛犬の世話が生きがいのFさん──七九歳・女性・パーキンソン病
パーキンソン病で大腿骨頸部骨折を起こしたFさんは、入院治療のあと本人の強い希望で、退院後は自宅に戻りました。じつは彼女の帰りを待ちわびてくれている人(?)がいたからです。その名は、ジロウ君、一二歳の愛犬です。
ベッドから家のトイレヘ行って帰ってくるまで、三〇分以上もかかる彼女ですが、ジロウ君の工サと水の交換、うんちの掃除は、すべて自分でやっています。ジロウ君の話題になると、顔もほころび会話も弾みます。
よく考えてみると、Fさんは老人施設でオムツの生活をしていても、おかしくないぐらいの体の状態の人です。
「ジロウ君の面倒をみなければ」という一心が、彼女の体を動かしているのです。Fさんは体が不自由であることは確かです。しかし、健康でもなんの目標もなく、ただ時間を過こしている人より、充実した毎日を過ごしていることも、確かだと思います。
「生きがい」はどんな強力な薬や医学よりも、生きる力を生むことを、教えられます。
日本人は骨析しにくい?
面白い調査結果があります。日本人は欧米人にくらべて骨量が少なく、骨がもろい人が多いにもかかわらず、大腿骨頸部骨折の発生率は二分の一~三分の一とかなり低いのです。
骨がもろければ骨折は起こりやすいはずなのに、なぜでしょうか?
まず「生活様式の違い」が関係しているのではないかといわれます。
畳の上に住みふとんを敷いて寝るという日本の伝統的ライフスタイルは、立ったり座ったりすることが多く、体のバランス感覚を毎日鍛えていることになります。転んでも畳がクッションの働きをして衝撃を吸収し骨折が起こりにくくなっているといえます。
毎日のふとんの上げ下ろしも、適度に骨に負荷をかけ骨を鍛えています。
それが証拠に、日本でもいすに座りベッドに寝るという洋風の生活をしている人が多い都市部のお年寄りは、大腿骨頸部骨折の発生率が高いのです。
またアメリカとの共同研究によると、日本人女性の大腿骨頸部の長さは、アメリカ人女性にくらべて約二〇パーセントも短く、そのため骨折が起こりづらいという結果が出ました。私たち日本人は短足でよかった!?
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2019/01/16
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