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詩集『エラワン哀歌』(抄)

生きる真似

生きる真似をしていたら

「もう時間切れだよ」と

風が通り過ぎた

苦しむ真似をしていたら

「大変だね」と

雲が夕陽を浴びて漂っている

そう

しあわせとはきっとこんなもの

与えられた時間は

きっと永遠

一時(いっとき)も永遠も

あの輝く青空の向こうの

果てしない漆黒にとっては

きっと同じことなのだから

 

 

閏九月十三夜

(にわとり)は太古の巨獣の

甲羅の匂いのする

脚を高らかに振り上げ

鋭い悲鳴をあげて

疾走する

百七十一年ぶりの自由

卵を腹に孕んだまま 

ではあるが

 

人の胃袋も子宮も外皮だと

最近気付いた

見知らぬ幼子(おさなご)が女の体に入り込むことはない

女の体の外側の一部を

いっとき貸してやっているだけだった

という 理屈をやっと見つけて救われた

女は見知らぬ強欲に粉微塵に食い尽くされることはない

なので……

蹴る子 殴る子 怒鳴る子 泣く子

たった一度の命を貸してやった恩義も知らず

消えて無くなれ 此畜生

 

後にも先にも

夢だけが現身(うつしみ)を救うのだから

岩群青の真空に漂う

巨大な月明かりのもと

鶏よ 駆けて行け

もういちど

 

 

助七商店……湯島妻恋坂下交差点……

梅の花は終わった

路のところどころにしがみつく

若葉の間を(くぐ)り抜け

妻恋神社の坂を下って

外堀通りに戸惑う風は

焼き上がったばかりの煎餅の

醤油の臭いを纏っては

夫婦の頬を撫でて行く

 

……息子をひとり育てた……

この頃では喧嘩もしない と

老女は笑う

一日中顔突き合わせていてもねぇ と

何の因果でこんなばあさんと

老人は手を止め口をとがらせる

一日中火に炙られる額には汗も出ず

赤銅色に干からびてはいても

深い皺に埋もれてしまった(まなこ)を上げれば

瞳の奥には内気なままの幼子が

いたずらっぽく濁りなく

客の訪れにはにかんでいる

 

梅の花は終わった

とうのむかしに

何するということもなく

とっくのむかしに

 

 

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2018/11/16

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志田 道子

シダ ミチコ
しだ みちこ 詩人。1947年東京生まれ。詩集に『わたしは軽くなった』(2013年、花神社刊)ほかがある。

掲載作は詩集『エラワン哀歌』(2017年9月、土曜美術社出版販売刊)より、著者自身による抄録である。

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