『古事記を奏でるCDブック』上巻(抄)
目次
まえがき
プロローグ 天地創造
はじめの神々
神世七代
第一章 伊邪那岐命と伊邪那美命
伊邪那岐命と伊邪那美命の国生み
伊邪邪岐命と伊邪那美命の神生み
黄泉国
禊ぎ祓い
まえがき
私は、エリック・サティと「フランス六人組※」の音楽を専門に演奏しているピアニストです。それが、「なぜ『古事記』を?」と、よく質問を受けます。
三年前、『古事記』
もともと母方の祖父が近江神宮の宮司だったので、神社や神様は身近にあったのです。そして私の名前は、
神武一族は、福岡県
『古事記』は、大昔から口伝えに語られてきました。声という音によって人から人へ伝えられた『古事記』。いったいどれほどの年月と人々がかかわったのでしょうか。思いを馳せれば、いにしえの壮大なロマンを感じて、その世界が心から離れません。
そして、ヤマトタケルをはじめ、『古事記』に登場する神々や人物は、今に生きる私たちと同様に人間味にあふれ、思わず共感してしまうほど魅力的です。とりわけ、滅んでいく者たちの立場から描かれていることに親近感を覚えますし、収録されている多くの歌によって、この書は最古の歴史書を超えた、偉大な文芸書でもあるのです。
本編では大まかなあらすじを辿りながら、自分の感じたことも書いてみました。そして、私は音楽家ですので、『古事記』のそれぞれの場面から感じたインスピレーションを音楽にしたCDを付けました。この音楽と語りによって、はるか太古に語り継がれてきた『古事記』の世界を、より深く感じていただければ幸いです。
※フランス六人組‥一九二〇年のパリにできたフランシス・プーランク、ダリウス・ミヨー、アルチュール・オネゲル、ジョルジュ・オーリック、ジェルメンヌ・タイユフェール、ルイ・デュレの六人の作曲家から成るグループです。
※なお、本文の『古事記』は原文を省略している部分があります。また、いくつかの口語訳を参考にしました。原文では敬語法が使われていますが、読みやすくするために普通の書き方にしました。
プロローグ 天地創造
はじめの神々
初めて天と地ができた時、
この五柱は別格の神で、
天之御中主神は宇宙の中心にいて統一をとる神で、高御産巣日神がすべての生成をつかさどる神、神産巣日神が神さまを生む神のようです。これら天神は、自由自在な万能の神のように思えます。神様は柱を付けて数えます。
なるほど。家族を支える人を「一家の大黒柱」とよく言いますが、神様はこの世界の大黒柱のような存在でしょうか。
別格の神・五柱
(一)
(二)
(三)
(四)
(五)
神世七代
続いて、独り神である国之常立神(クニノトコタチノカミ)、豊雲野神(トヨクモノノカミ)が現れ、それぞれが一代。そして、宇比地邇神(ウヒヂニノカミ)・須比智邇神(スヒヂニノカミ)、角杙神(ツノグヒノカミ)・活杙神(イクグヒノカミ)、意富斗能地神(オホトノヂノカミ)・大斗乃弁神(オホトノベノカミ)、淤母陀琉神(オモダルノカミ)・阿夜詞志泥神(アヤカシコネノカミ)、伊邪那岐神(イザナキノカミ)・伊邪那美神(イザナミノカミ)が現れ、男神女神が対で一代。これで
神世七代
(一)
(二)
(三)
(四)
(五)
(六)
(七)
第一章伊邪那岐命と伊邪弘美命
伊都那岐命と伊都那美命の国生み
さて、
イザナキノ命はイザナミノ命に尋ねます。「お前の身体はどのように出来上がっているか?」
「私の身体はよく出来ているのですが、欠けているところがあります」とイザナミノ命が答えると、イザナキノ命は「私の身体もよく出来ているが、一つ余っているところがある」と言いました。そこで、お互いの足りないところと余っているところを繋げて、国を生むことにします。
そしてイザナキノ命が左から、イザナミノ命が右から天の柱を回って出会ったところで、イザナミノ命は 「あなにやしえおとこを」、続いてイザナキノ命が「あなにやしえおとめを」、とお互いに声をかけます。
それから、寝所に入って共に寝ましたが、生まれた子は不完全でした。どうしたものかと
そこで、地上に戻って天の柱を回って、今度はイザナキノ命から声をかけ、前と同じようにして八つの島を生みました。こうしてこの国は、
その後、さらに六つの島を生みました。
『古事記』には露わな表現が多くあります。このイザナキとイザナミの場面は、ドキッとするくらい率直でおおらかです。「こおろこおろ」という擬態語は、なんて心地よい響きでしょう。ゆったりとした、無邪気な二人の仕草が目に見えるようです。
「あなにやしえおとこを」は「なんていい男でしょう」、「あなにやしえおとめを」は「なんてすてきな女なんだろう」という意味です。この言葉も、まろやかで優雅な言い回しです。
女性から声をかけるのはよくないそうですが、現代では肉食女子に草食男子があふれ、女性から行動を起こさないと進展はなさそうです。
万能であるはずの天神が占い? と意外に感じました。私たちは、占いというと何か安易な感じを受けますが、神世の時代では正当な方法なのですね。
大八島の国・六つの島
大八島の国
讃岐国・飯依比古
粟国・大宜都比売
土左国・建依別
豊国・豊日別
肥国・建日向日豊士比泥別
熊曾国・建日別
六つの島
※六島ついては諸説あり、比定される島は確定していません。
伊邪那岐命と伊邪那美命の神生み
次に、二柱はこの国に住む神々を生みました。
その途中、イザナミノ命は、火の神の火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)を生んだ時、ホト(陰部)に大火傷を負い寝込んでしまいます。
それでも神を生み続け、最後に豊字気毘売神(トヨウケビメノカミ)を生んだ後、亡くなってしまいました。
生まれた神の数は三十五柱になります。
神生み
伊邪那岐命=伊邪那美命
──十七神
海の神
水門の神
──八神(河海を持ち別けて生みし神)
風の神
木の神
山の神
──八神(山野を持ち別けて生みし神)
火の神
吐鳴物から生まれた神
大便から生まれた神
尿から生まれた神
この神生みでは、イザナミノ命が嘔吐したもの、大便や尿から神が生まれます。私は五年はど母の介護をしていました。『古事記』を初めて読んだ時はびっくりしたのですが、排泄物から神が生まれたことを知ってからは、排泄物に対する考えが少し変わりました。汚い物ではなく大切なものとして母の世話をする時、それほど苦痛を感じなくてすんだのです。昔からお百姓さんは、排泄物を肥料に作物を育てました。神の恵みとなっているのです。
黄泉国
残されたイザナキノ命は大変悲しみ、ついにイザナミノ命を追って
「もう少し早くいらして下さればよろしかったのに。私は黄泉国の食べ物を口にして
しかし、いくら待っても戻ってこないので、待ちかねたイザナキノ命が中に入ってみると、なんとイザナミノ命は体中に
イザナミノ命は、「私の恥ずかしい姿をご覧になりましたね!」と叫び、醜い女神や黄泉の軍勢に後を追わせました。逃げる途中、桃の木があったので、イザナキノ命が桃の実を投げると、軍勢はすべて退散してしまいました。イザナキノ命は桃に向かって、「私を助けてくれたように、
最後にイザナミノ命自身が追ってきて、
ですから、この世では一日千人亡くなり、千五百人生まれるのです。
「私を見ないで下さい」のくだり。民話の『鶴の恩返し』を思い出しますが、『古事記』にもこれから「見てしまう」お話がいくつか出てきますし、世界中でこれに似たお話があります。なぜ人は「見てしまう」のでしょう。心理学的にも学説はあるようですが、ダメと言われるとやってみたくなるのが人間ではないでしょうか。
それにしてもイザナミは、すさまじくグロテスクですし、イザナキが追われる様子は、思わずゾンビが追ってくる映画を想像してしまいました。
でも私のイザナミのイメージは、可愛らしくがんばり屋の女神で、このように変わり果てた姿でいることを描いた「黄泉国」は、少し悲しい思いで読みました。
幼い頃、病気になると母が、元気になるからと桃を食べさせてくれたのを思い出します。
禊ぎ祓い
イザナキノ命は国に帰り、
最後に、左の目を洗った時に生まれたのが天照大御神(アマテラスオホミカミ)、右の目を洗った時に生まれたのが月読命(ツクヨミノミコト)、鼻を洗った時に生まれたのが建速須佐之男命(タケハヤスサノヲノミコト)です。
ここにおいてイザナキノ命は、「私はたくさんの子を生んできたが、最後に三人の尊い子を得た」と心から喜びました。
そして、玉飾りをアマテラス大御神に手渡し、「お前は高天原を治めよ」、このように命じました。次にツクヨミノ命に「夜の国を治めよ」、それからスサノヲノ命には「お前は海原を治めよ」と命じました。
水には「清める」という作用があります。神社にお参りする時も、まず手水舎で手と口を清めます。伊勢神宮の天照大御神をお祀りしている内宮では、御手洗場として、内宮の西端を流れている五十鈴川で手や口を清めることができます。五十鈴川で洗うと、心まで清められたようで感動します。
楔ぎ祓いから生まれた神々
禊ぎの行為で生まれた神
体を濯ぐ
体を濯ぐ
災いを直す
災いを直す
災いを直す
水底で濯ぐ
水底で濯ぐ
中程で濯ぐ
中程で濯ぐ
水上で濯ぐ
水上で濯ぐ
体から生まれた神
左目を洗う
右目を洗う
鼻を洗う
衣を脱ぐと生まれた神
杖
帯
裳
衣
袴
冠
左手の玉飾り
左手の玉飾り
左手の玉飾り
右手の玉飾り
右手の玉飾り
右手の玉飾り
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2017/12/20
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