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農民の言葉

目次

Ⅰ 四十男の縊死

   しちめん様のまつり

   加瀬の山から

   低能児

   御会式のだいもく

   四十男の縊死

Ⅱ 農村より

   村祭の酒宴から

   偉大なる農民

   農村より

   仮装行列

   霧の朝

   畦路から

   姉さんの死

   恐しいそして無智な女

Ⅲ 農民の言葉

   最後まで

   稲のみのりから

   農民の言葉

   大漁のよろこび

   子供の感激をうけてうたへる

   野良へ

   死んで行く者

   黒い土

   夏まつり

   夕のかへり路

Ⅳ 田園の饒舌

   Ⅰ

   Ⅱ

   Ⅲ

   Ⅳ

   Ⅴ

Ⅴ 兄弟四人

 

 

 自分はいま、最近の詩作二十四篇をとつて、詩集『農民の言葉』一巻となし、あらゆる人々の前に捧げ得ることを喜ぶ。この集に表れたものは、凡て、生活そのものの中から、衷心感激し得たことを其儘に体現したにすぎない。そして、それが自分の生活の記録であり、また精神的庶民的に理解し得た社会の実相である。しかも、最も平明なる言葉を以て、重に農民の生活を語つたものである。

 この意味に於て、自分は、この詩集を単に詩としてのみにとられることを心苦しく思ふ。自分のいまうたふところは、農民の群に交り、子供の群に交つて、そこに湧き上つたものそのものの実感である。小さなグループから大きなグループに向つて物語る言葉である。そして、庶民的に動いて行くために、自分の存在する理由を痛覚した告白である。

 だが、一方に、かゝる題目を論議すべく、自分は現代のことを深く考へさせられる。そして失望の苦味を感ずること切なるものである。唯、この中にありて、なほ庶民的芸術を渇望して、研究を連ける人々ある事を知り、そこに深い共鳴を感ずる。

 勿論、こゝにいふ庶民的芸術──自分の信ずるところの──は、いはゆる通俗文学の様なものではない。霊の内容を有する平民主義のものでなければならぬ。即象徴的神秘的精神的に実生活を融和したもので、そこに、あらゆる人々の理解を得るための平明及純一を具有することを要する。そしてその感化は、生活そのものを精神的に具体化する力を持たねばならない。この矛盾を融和するための努力は、永遠の最後まで継続され、そこに大いなる苦悶と反謀あるも、持久して止まざるべきである。

 なほ自分は、大和民族固有の精神を表現した不朽の詩の出でんことを望んで止まぬ、そしてそれが、民族の力を鼓舞する世界的原動力とならんことを熱望する。

 自分の言はうとすることが、何だか難しい言葉となつて表れたことを恥ぢる。しかも却つて理解を殺ぐことあるを恐るるものである。なほこの詩集の排列は、新しいものから順次古いものに遡り、且つ殆んどこの六月からの半年間の労作に充たされてゐることを告白する。その以前の発表せざる百数十篇は、自分の新しい心持にそぐはぬものであるから、凡て割載して仕舞つたのである。

 終に、この詩集の出版其他に就いて、常に著者を激励して下すつた、富田砕花君、白鳥省吾君の二兄に、厚く御礼申上げる。

 

 大正四年十月二十二日

              川崎在平間にて  著 者

 

 

Ⅰ 四十男の縊死

  *

しちめん様のまつり

村の婆さん達二十余人が寺に集つて、

けふはしちめん様をまつる、

しちめん様とは、宗祖日蓮が教化した七面山の大蛇ださうで、

身延では名代なものだといふはなしだ。

 

焼酎に酔つぱらつてるおてる婆さんは、

昔自慢にしたらしい素足を投げ出して、

『なんめんほうれんぎよう、』とくだをまく、

そしてぢつと眼を据えながら、

太鼓の音にききほれる。

光吉の婆さんがゐた時には、

ふたり相棒で賑かだつたといふが、

いまはひとりで、やつぱり強い酒を呑み、仏いぢりに日を暮してゐる、

そしてくだをまきながら、

若い者達を罵倒しながら、

法華の信仰に日も足りない。

 

其外二十余人の婆さん達も、

酒は呑む呑まぬいろいろあらうが、

やつぱり法華の門に三昧する人達だ、

そして今宵はしちめん様のために、

無智にして無垢なる信仰を捧げる。

 

おお、自分はふしあなから覗いて、

うたがひのない、唯信ずるがための彼等を見る、

そしてその天真爛漫たる態度を見る、

彼等はこの集りが果てて帰る時、

五合の米を一合の赤飯の握めしとかへことして、

いそいそと帰つて行くといふことだ、

おお、かゝる安慰と快楽とは、

都会のもとめ得られぬ田園の美禄であらう。

 

 

加瀬の山から

唯見れば僅六十尺の山ながら、

登れば横浜も見える、

遙に品川の海も霞む。

 

それは東京と横浜との間、

武蔵野の一部に介在する小さな突起で、

丘とも見えない小さな山だ。

 

自分は二百余人の子供等と共に、

万歳を唱へながらその山の高地を占領した、

そして秋のさはやかな山気を感じながらしばし眺望の中に没頭した。

 

子供等のいくたりかはよろこび、

まだ見ぬ海のかすかに見えるのを望みながら、

またわが里の家々を眺めながら

『実に高いなあ、実にいゝけしきだなあ……。』と嘆賞する。

 

実際に、

高いところから低いところを見ない平原の子供等にとつて、

このはじめての眺望は、

深い驚異と憧憬を感ぜしめたのだ。

 

子供等が更に、

『富士の山に登つたらどうだらう。』といふ言葉を発した時、

自分は遙に西にかすめる雲を指さし、

『ふだん富士山はあの雲の上あたりに見える、

しかし世界には富士より高い山が沢山ある、』とこたへると、

子供等の幼年者はふしぎさうな顔をしてうなづき、

其他はぢつと雲をみつめて立つてゐた。

 

自分はぢつと子供等の純な愛を感じながら、

『頭を雲の上に出し……。』と富士山のうたを唱ひ出すと、

子供等はあとについて大声に唱ひ出した、

そしてそれが秋の空へひろがつて行つた、

自分はかぎりないよろこびを感じ、

共に共に永くあとを引いて山気の中に唱ひつづけた。

 

 

低能児

物珍らしい顔をして、

くるくると眼玉をまはしてゐるのが、

各教場に二人位づつきつとゐるのがふしぎだ。

──彼等は低能児、

悲惨が生んだ同情すべき者達だ。

 

人口の過激なる増加が、

農村の生活に烈しい刺激をあたへたのは事実で、

そこから隠れたる苦悩そのものが湧き上る。

 

しかも近代の思想は、

更に鋭敏なる衝動と刺激と荒廃とで、

農民の精神を蚕食し尽した、

そして暴飲荒淫、あらゆる歓楽のためにする歓楽に、

農民の群を殺倒せしめた。

 

人々あはれめ……、

強敵を腹背にしながら、

彼等は精神的に醒めて根本問題を解決すべくまだ得しない、

そしてその生活のための過労と、

生活に執する精神の過労とは、

一部に低能児をさへ生んだのだ。

 

おお、更にますます農民は低能児を生むであらう、

民族のために、

更に無智なる低能児自らのために、

自分は暗然と考へる。

 

 

御会式のだいもく

遠くから信仰の音がとゞろいて来る、

──それは池上の御会式のだいもくが、

いつぱいに空にみちて、

幼年者のよろこびの様に無智にわき上り、

そしてふらふらと宙を舞ひ下つて耳許へ来るのだ。

 

首を傾けてしんとすると、

新しい事件をまき起さうとする様に、

太鼓の音が──だいもくが、

ボコボコデンボコデン……と限りない夢中の信仰を送る。

 

ぢつに盛んな心が、

信仰よりかもつと外の琴線にふれて、

──まことに人類の微妙な衝動をあふつて、

わあつと渦中へまき込んで、

言ひ知れぬ歓喜と微笑とに酔はされる。

 

宗祖日蓮が、

怒鳴つたと同じ言葉が

いまだいもくの太鼓の音となつて、

空いつぱい──否世界中へとゞろきわたらうとする。

 

 

四十男の縊死

裏の林に、

黒い手の人が下がつてゐた、

顔もまつ黒、頸もまつ黒、

着物も黒い仕事着の汚れたままで、

樹の間からぶらりぶらりとつるさがつてゐる。

見れば悠然たるものながら、

顔は青味にくすんでゐて、

死のさびしさがあたりをとりまく、

村の人達はよりたかつて、こはごはとみあげながら、

『食へなかつただつて……。』

『いや気が違つただなあ……。』と評定してゐる。

 

よそ者で永く村にゐるのだが、

ほんとは女房に去られて死んだとやら、

四十面さげて、

枯れた葉の間から顔をさらしてゐるのが、

考へなしに見やうならひげつらの人形だ。

 

だがいたましい喜劇は、

湧くばかりのかの女房の涙が、

地に大粒にまろび落ちる時だ、

喜劇と悲劇と恐怖と、

自分は泣いて笑つて黙つて朝の空を見た。

 

 

Ⅱ 農村より

  *

 

村祭の酒宴から

神霊を理解するためには、

宇宙の神秘を理解するためには、

村の人々はあまりに純で自然であつたが、

その庶民的観念は充実してゐて、

よろこびの下にこの豊作を導くことを忘れなかつたと思はれる。

 

おお、自分は、

祭酒に酔ふたるがために、

この言議を敢てしない、

溢れ落つる農民の感激のために語る。

 

事実に於て、

新しい平等と平明とは、

いつさいを導く鍵であるが、

ここに更に純なる象徴と神秘とが、

農民の意識に来往して

新しい観念の実体を作成し、

旧観念の整理につとめる。

 

農民は肯定のためにその業をいそしむにあらずして、

観念の実体のためにあらゆる労作と豊饒とを認める、

そして新しい歓喜のもとの努力に、

村祭を執行したのだ。

 

自分は其の席に列なる、

そして『酒を断つたがために淋しい。』といふ人から、

満々たる酒盃を受ける、

そして更に霊のために高潮して饒舌する。

 

おお、いつさいかたむけよ、

神の祭酒のために、

こんこんたるよろこびの観念をそゝげ、

かかる庶民的快楽は、

世界の知らぬ痛快であらう。

 

 

偉大なる農民

青年が群れて、新しい企のために論議してゐる席へ、

自分もやはりそのひとりの心持で加はり、

そして湧き上る純なものを感受して心の底からよろこぶ。

 

だが──その時大いなるカが、

青年の胸から胸へ吹きわたつたのは、

その席へ村のT……さんが釆た時だ。

さしこの(めくら)じまのはんてんをしやつの上に引かけて、

それを縄でしめ、

『忙しいけれどもちよつと来ました。』と和かな声で言ひながら、

そのにこやかなまた毛深い顔で一座をみまはす。

 

村の大立者の息子で、

また青年から老人に到るまで尊敬して措かない人が

仕事着のまゝで忙しい中をぬけて来たことが、

どんなに青年の心を緊張せしめたであらう。

自分は立つて席をあたへ、

そして彼の説を傾聴して更によろこびにうたれた。

 

本当に朴実なからだから、

本当に朴実な言葉が出て、

そしてそれを一つ一つ肯定させて行きながら、

その企に対する基礎を築いて行く、

そのぢみな中にかへ難いカが湧き上る。

 

さらに翌夜を期して別れ去る時、

彼は暗の中に汚ない草履をはいて消えて行つた、

自分はそのあとを見送つて、

失つたかたちに大いなる期待をかけ、

心の底にしみ込んで来る愛そのものを受け入れた、

そして『偉大なる農民』といふ言葉を風の様に思ひ浮べた。

 

 

農村より

あらゆるものが沈潜退嬰しようとする、

新しいものまでが直ぐからびる──

凡てかかる着染せられた古色に耐え得るであらうか、

おゝ……何かしら欲求するものがよみがへる。

 

ぢつと心の底から、

わき立つて来る平凡の波にきゝほれながら、

驚異すべき偉大を見出ださうとする努力を捧げて、

歓喜と新生とに酔はうとする、

そして──進まうとする力が追求する。

 

いつさい最期まで──

農民達と群れながら、

話しながら、笑ひながら、

かくの如く純樸に陥つて行かうとするのが

至難でないと想定する、

そしてその中に、

新しい毎日の生を欲求することさへ不可能でないであらうことを加へるのが、

実在性の真理の花の永遠だと考へる。

 

おゝ、自分は、

自ら話す様な複雑でない心持に、

いつさいを傾け様とする、

農民達と共に、

つづれの中に石の静けさを包まうとする、

いや──いま現に包んでゐることさへ肯定する。

 

 

仮装行列

田舎の小学校で運動会の最後の花が、

仮装行列の一行であつた、

そして、唯哄笑の底へそれを葬むることに耐え得ない。

 

その時うたつてゐるのが、

楽隊のどよみにあはして、

あの──『野毛の山からノー、エ……』といふ唄、

自分はその小唄にさへ維新の変調と悲劇とを考へる、

そして更に現代の矛盾と凌辱とを。

 

更に更に、

その時行列中には、

桃の箱の下駄をはき大きな学帽をかぶつた大学生──頭と足ばつかりのおばけの様に、

そしてそれが金の杖をつく。

 

次にはあの(浪花節)の源蔵が、

徳利を下げてよろけながら。

次には蛇の目の傘さした手と足の大きな外輪に歩く娘、

それらの一つ一つの矛盾が時代の反影であると同時に、

それらの対象の矛盾が時代の生活を思はせる。

 

おゝ、自分は、

心の矛盾の底から、

仮装行列の予想なき諷刺を感じて、

慄然としてあたりをみまはす、

そして人知れず冷笑をうかべる──唯これは人事(ひとごと)だからとわざと考へて。

 

 

霧の朝

若者は口笛を吹きながら野良へ行く、

ふかふかと霧のこめた路に、

さはやかな露をふみしめながら、

そして娘は戸口からそっとそれを見送る。

 

都に汽笛の音がきこえて、

朝はしつとりと汗ばんでゐる、

──稲に草に時ならぬ水晶の花が咲く。

 

そして匂の底に眠る様に、

若者の燃ゆる胸よりひゞく和かな口笛の音ばかりきこえて、

姿はもう霧の中へかくれる。

 

さう──

かかる朝こそ昨夜の歓会を味ふに趣味あるであらう。

自分は知る、

若者が口ずさむ唄の秘奥にわだかまる悲しみと喜びとを──

そして満腔の情熱を以てそれに和唱する。

 

 

畦路から

自分は畦路に坐つて、

青年が稲を刈りながら、

村治を批評してゐるのを傾聴する。

 

それはふたりきりらしい、

丁度匂の底に深く沈んでゐる様に、

とぎれとぎれに言葉がきこえてゐたが、

その中に近くなつて

もうはつきりときこえる。

 

ふたりは村は村民が治めるのか村長が治めるのかといふことについて、

何やら激論しはじめた。

そして互に『村民の意向によつて』といふ抽象的な言葉によつて解説をつけて、

また向ふへ刈つて行つた。

 

自分は黙つて坐りなほし、

青い空をみつめて心の底へ燃える火を点じ、

かすかな憧憬に心を悸かせた。

 

そしてかゝる和らぎたる田園に於て、

かゝる題目に就いて評議し、

青年の純なる心持によつて満足してゐることを考へて、

唯ぢつと思ひ沈んでゐた。

 

 

姉さんの死

一片の哀史が、

一片の言葉となつて来る、

唯父の手紙の末に記された『先月川上さんの水垣百合子病死せり』といふ十六文字──

自分は知る、そのいつさいの背景となつた悲しいローマンスと、

自分がいま涙のために浸されてゐる理由とを。

 

さう──

自分はいま姉さんと彼女を呼ばなくてもいいかも知れないが、

兄弟でない異性を『姉さん』と呼んだのはひとりきりだから、

やつぱり『姉さん』といふ言葉で呼ばして貰はう、

そして僅廿五で死んで行つた美しい人のために一掬の情の水を注いで貰はう。

姉さんは自分の知つた時は郡長の娘であつた。

若い自分の空想は直ちに彼女を姉さんと呼んだ、

そしてそれが必然の運命を生んだのだ。

 

だが──

姉さんは唯自分の空想の種子であつて、

姉さんにとつては何等価のない弟であつたらう、

さう──その時分に既に姉さんには恋人があつたのだから……。

 

その恋人は琵琶の堪能な人で、

いまでも名を言へば誰でもうなづく人だ。

生れてから音楽好の宿命が、

姉さんとの結合をもたらした原因で、

その果に結婚があつた。

そしてそれが実に甚しい不評判を身分の故郷の一部に生み、

姉さんが指弾される様な立場をつくつたのだ。

おお更にそこに悲劇を見る、

それはよくは知らないが──唯風聞によつて知るのは、

結婚後四年、姉さんは人の児を抱へて、

しかも不治の病になやむ胸を抱いて里へかへつて来たことだ、

そして別れたあとの夫は都で思ふまゝをしてみむきもせなかつたとやら……。

子供さへ遂に死んだ。

 

それは去年の秋、

いま一年たつて姉さんは死んだ、

世に容れられず恋人に容れられず、

やせてやせて愁の底へ沈みながら死に逝く者のあはれさが、

自分に沁みじみとするぢやあないか。

そして自分は泣く、五年前にわかれたきり逢はぬ姉さんの死んだといふ言葉のために──。

 

 

恐しいそして無智な女

片桐やすといふ、

恐しいそして無智な女のことを新聞でみた、

彼女は殺人を犯したのだ。

 

新しい女に姑を殺さうとしたのがあるさうだが、

女はやはり恋のために盲目なものだ、

それは極せまい意味で……。

さう──彼女の犯したのも、

やつぱり恋の自由を望んだためであらう、

無智と有智とそこに人間通有のものは固定して動かない。

 

彼女は十年の間夫と相愛しながら、

舅の苛酷と小姑の狂気とに苦しめられながら、

その節を通したのだ。

そして小姑の狂気が癒えて嫁に行つたあとで、

黄燐の這入つてゐる捕鼠薬で、

舅と共にふたりの家族を殺し、

更に一人の小姑を殺さんとしたのだ。

 

その殺され様とした小姑の痛みに苦しみながら言つた言葉、

『この頃変死が絶えねえと思つたら、

やつぱりあいつ(___)が盛りやがつたのだ。』と、

で医者のために助けられて訴へ出た。

そして彼女はいま牢獄にある。

 

ここに一時の快楽を得たがために更に快楽を得んとし、

果てのない望みの奥の本性を表して、

唯一つのために、も一つの路を彼女は忘れた、

そして無智が更に彼女を惨忍にした、

そこに犯罪のまぬがれない真理がある。

 

自分は更に、

『もう悪いことはしませんから命だけはたすけて下さい。』といふ、

味のない言葉をきいて、

静に善と悪と生命との隠れたる神秘を思ひめぐらす、

はてのない人間性と生活とのふしぎは、

決して思ひ掛けない罪をかもす、

三度彼女の罪の重なつたところにその弱い習慣性に支配される性を見る、

そしてそれが法律上許すことの出来ない網の中に囲まれてゐるのだ。

 

自分は彼女をあはれみ、

そして彼女を憎む。

その間の矛盾が徹底し得ないだけが、

彼女と自分との生活が離れてゐるためだ。

 

 

Ⅲ 農民の言葉

  *

 

最後まで

一切が謙譲で生活してゐるといふよりか、

一切が火の様な戦と、水の様な調和とで生活してゐると言ひたい。

さう──

二つの路から路へ、

自分達の苦悶と矛盾は燃える。

 

かかる事件の最後まで、

自分達の生活は連続し、

たふれて而してやむであらう──

丁度さまよつてゐる聖者の不安の尽きた様に。

 

自分はいま、断続して行くメロディ、

眠りの様なかすかな中に、

強い憧憬と欝憂とを胎んでゐるのを聞く。

──おゝ、恐しい虚無そのものが、

地上に踊りまはる。

 

だが──

自分の心はまた信仰の安息を求めて燃える。

おゝ──はてのない信仰、

もとめ得られぬ信仰を得んとして自分は狂ひまはる。

否定してゐる信仰を更に求めることが、

唯自分の求める路だ。

最後まで……おゝ一切……遙なる苦悶にのみ委ねる。

 

 

稲のみのりから

『稲がみのりすぎてゐる、

あんまりみのりすぎるのも困る。』

と、農民の或者は語る。

 

さう──都の人達は知るまいが、

今年は穂の重みに耐え得ずに、

稲の倒れるのがある。

よろこびの大きさにうたれて、

恋を知つた少女の様に、

(やはらか)に、風もないのにたふれる。

 

『たふれる稲につゝかい棒をしてやつたら……』と、自分が云つたら、

農民は首をかしげて、

『たふれたつてかまはねえ、

唯刈る時せわでねえ。』

と、にこにこと笑つてる。

 

そして言葉をつゞけて、

『倒れてもなんでも豊作は豊作だから……』と、

ぢつと考へ込む様に、

自分の言葉を肯定しながら、

農民はうれしさうに歩いてゐる。

自分は黙つてあはい悲しさとよろこばしさとのために満眼に涙をためた。

 

 

農民の言葉

『野良へ行つてるといゝ気持になる、

家へ帰るのさへ忘れる。』と、

農民は語る。

 

『実さい──今年のみのりは、

洪水(みづ)に倦んだ年々をとり返して、

新しい路をひらいて呉れる。』

 

『これであと洪水がなけりや上等だ。

久しぶりでいゝ年が来る。』

 

村の人達は呪ひ呪うた多摩川べりさへも、

和に踏みしめながら、

未来の歓喜に酔ふ。

 

早稲(わせ)中稲(なかて)とはすつかり胎んでゐる。

晩稲(おくて)はいま花で、

この二三日が大切だが──

それもどうやらよい運命をわたるらしい。

 

渡る風をみながら、

自分さへ農民の言葉をきいて、

神を感ずる様な、

卒然たるよろこびにうたれる。

 

 

大漁のよろこび

沖からいつぱいの歓喜が走つて来る──

夕がしづしづと寄つて来る頃。

そして浜一帯のよろこびとなる。

 

その象徴(しるし)は、

舳の朱の旗──大漁の白文字勇ましく、

輝いてゐる漁夫(りようし)の生命だ。

 

舟は真一文字に陸による。

さう──そうして幼年者(こども)等は踊り、

その子の母等は綱をとる。

魚市場の若い衆は後鉢巻で威勢よくかけまはる。

 

えんやえんや──掛声勇ましく、

舟は陸へ引き上げられる。

魚等は白い腹を夕やみの中に投げ出し、

砂にまみれて籠へ移る。

白いパラソルの浮いたうすあかりの街に黒い漁夫(りようし)の肉がくるくるまはる。

 

この宵はまた弦歌の声がしきるであらう。

磯の荒い叫が街から街へ狂ふであらう。

自分は唯──

いつぱいにせまつて来るその大いなるよろこびを知る……。

 

 

子供の感激をうけてうたへる

田舎の子供が感激して、

自分に一片の情熱を送る、

おお、たしのしさとなげきのコーラスの奥の彼女から、

無限にふりかかる純なるものを感じて涙する。

 

自分がかへりの門出にある時、

『かへつちやあいや……。』といひながら、

ぢつと黒い眼でみつめて、

淋しく笑つてゐた白い小さい顔。

太陽からふり下る光に、

ちよつと頬をあかめて、

樹蔭に這入つて行つたその姿。

妙にしなをした可愛いいものの空霊なかたちが、

田舎のポストから

『ごきげんよう早く来て下さい。』

『また遊びませう。』といふ小さな言葉となつて、

軽くたのしく漂つて来る。

 

思へばうすらはかない夕など、

不安らしい曇を浮べながら、

『私も死ぬんでせう、死ぬなんてほんとにいやになつちまう。』などと

ませてゐるのがいぢらしかつたが、

それも人類の矛盾をうたつてゐるのだと感じられる。

 

おお、小さい手を結んでけふも考へてゐるであらう、

小さな頭から無心のふしぎが流れて、

ぢつとうなだれてゐるであらう、

充実した感激に向つて、

自分は純なる情愛を捧げ、キスを遙に空に投げる、

遙に、遙に、東へ──

 

 

野良へ

うたつてるだらう……唄を、

そして烈しい恋に焼けてるだらう……胸が、

日はくつきりと、

十二時の暑をいつぱいにつたへる。

 

土瓶を提げながら、

はだしでうつむきながら、

村の娘は野良へ行く。

宵になれば、

男が待つうれしさを夢みながら、

暑いさ(なか)を、

ほこりを立てて娘は行く。

 

口の中で唄をうたつてる、

恋に胸が燃えてる……。

 

 

死んで行く者

米吉の婆さんが死んだ、

六十八だとて届けたら七十二だとて死亡届を戻されながら、

からだは虫に食はれて行く。

 

だが──村の酒屋の一人娘、

赤い手柄をかけて、

娘盛りに浮名もあつたとやら、

生から死の間に奇蹟をいとなむ恋の身空、

花やかな奥にやつぱりそそる様な悲みもあつたらう、

そして死んで行く者が

唯忘られて行くのだ、

でも四十九日までは仏のはなしは残るであらう。

 

葬列が来た時、

人々は立つて小さいさゞめきの中に見送る。

だが──かかる時、

田舎の人々の楽しさは、

題目をとなへながら、

うたひながら、

酔つぱらつて送る葬列のざはめきに知られる。

 

鐘が鳴り、

読経の声が老僧の口からつぶやく様にもれる時、

肉親の人々は餅を戸外の人々に投げた、

争つて拾ふ、子供、大人、女、

中にはとしよりもまぢつて……。

 

かくて土が静に婆さんの一生を埋め尽くし、

白い提灯がひらひらと風にゆられ、

夕は田の面から墓の底へよどんで行く頃、

青い草の茂つた野路を、

酔つぱらつてふらふらと帰る人々の、

うれしさ悲しさやるせなさの凡てが、

埋められた土の中の仏のすべての上にかかる。

 

 

黒い土

ぢつと心は黒い土に泌みる、

生活の心が其の土からみのつてゐる桃の樹にうつつて行く。

営々と燃える労働のあと、

しみ込んで行く生のよろこびのひかり、

汗のみちてゐる土の底へ、

たましひも辿る。

ああ、すすけ黒ずんだ肉の重味が、

みちてみちてみちたる土の底へ、

生活と生命の一切が這入りこんで、

農民の一切をつくる。

燃える労働に、

深酷なる讃美を捧げることが、

すべての黒い土──否人間の源だ。

 

 

夏まつり

おお、限りない太陽のよろこびの下に、

幼年者(こども)のたのしみはうたひ踊る。

 

抱擁せられた地の神秘を、

いつぱいに人々は感受して、

素朴の祭に霊の漂ふことを信じ、

はちきれた農繁後のたのしみはうたひ踊る。

 

かかる労働の安慰は、

都会のもとめ得られぬふしぎな産物で、

またふしぎな力である。

 

自分を投げ出して行く、

労働の後の安慰に、

すべては笑ひ狂ひさはぎ──夏まつりの、

よろこびは天より地へいつぱいにふりそそぐ。

 

 

夕のかへり路

ひねもす労働した者の群が、

浜辺の堤の上を、

夕日に瞳をかがやかしながら、

長い影を砂の上にひきながら、

酔つた様な唄をうたひながらかへる。

 

其人達はみんな肌がぬめつて、

丁度空の雲が、

とけて下りた奇蹟の様に、

やんはりと融和してゐる。

 

浪が白くうねり風が吹き、

松の樹が黒く、

神秘(ふしぎ)にみつめて立つてゐるが、

其人逹は唯かへるために、

安息のためにうたふばかりだ。

 

そして日がぼやけてしまふまで、

家の門まで、

彼等はうたひつづけるであらう。

 

 

Ⅳ 田園の饒舌

    ──長詩篇──

 

  *

 

空はしめつぽく曇つてゐる夜、

自分は心の底にわだかまつてゐる主義そのものから、

かかる静寂なる、

田園の夜のかくれたる月に黙して語る、

そして、それが直ちに饒舌して言葉となる。

 

かかる言葉は、

強くまた烈しく、かつ高く心よく、

農民の胸から胸へひびきわたるであらう、

その期待を持つて、

自分の饒舌は連なる。

かかる饒舌の一節は次の様な言葉につづられる、

『おお、大いなる宣言の下に自分は立つて歩む、

そのもののかたちは唯農民そのものの生活である、

そして、そこから湧き上る平民の精神こそは、

民族の誇とする日本魂そのもので無ければならぬ、

だが──あはれむべき農民、

その真実を語るために、

自分は無言の口を爛れさすことをさへ惜しまぬであらう。』

 

 

『嘗て自分は、或者から聞いた、

──(越後の山村に於て、

水のために農民達は苦心を重ねる、

その時、用水路の口にあたる農民と農村とは、

その下流の農民と農村の誅求者となる、

即ち、その口に位する農民と農村が富有であるのは、

名を水門の破損にかりて、

些末の労力を以て多大の報酬を獲得する故であり、

用水路の下流にいたればいたる程、

農民と農村とは水のために苦しまねばならず、

そして、そこに実生活の悲惨と苦悶が生れて来ることになる)──』

 

『おお、事実に於てかかることはあり得るであらう、

また其外に、かかる事実の存在ははかり得ない程たくさんあるであらう、

そしてかかる不平等は、

人為でとりさられぬ程の事件でなく、

民族の精神の順調によつて、

清め得らるることをさとるであらう。』

 

 

『さらば──更に近い自らの知る事を語らう、

(ママ)て自分は村の窮乏せる農民を訪ねた、

その時その農民は語る

──(実際この村なんど困つてゐます、

そりや食うには困まりやあしないでせうが、

五千と持つてゐるのは唯の二人しかないのですし、

村の重立でさへ半小作はする、

沼部の大尽から金は借りる、

それこそふしんでもするとなれば一生の大事になつちまうんですからね)──

と、まるで吐き出す様に、

いらいらと頭をふつた。』

 

『農民は更にさす様な言葉をつづけて、

──(ですからなほさらこちとら小作人にとつちやあ、

金廻りはない、手は少ない、

子供でも追ひ使はにやあしかたがありませんや、

可あいさうだが貧乏に生れたでしかたがねえとあきらめて貰ふです。)──

と、ぢつと眼をつぶつて考へるものの様であつた。』

 

『自分はその尋ねた子供にかかる事を、

一言も提出するを得ずしてかへつた、

そして、その途中に於てその言葉を更に味ひ

更に人口の過剰の生む悲惨に就いて考へた、

そして、その農民自身の生活の不安と、

その子の低能の起因するところを省察して、

前途に暗黒を感ずるのであつた。』

 

 

『だが──

自分はまた農民の純なるよろこびをも感ずる、

殊に農民の子供の天然の純一は、

けがれざる天使であり、

自由の詩人である、

よごれた着物の下に、

暖い心のよろこびを包む群は、

毎日自分の身辺を囲繞して、

小さい手を捧げて限りない愛の飽和を得せしめる。』

 

『自分は彼等をめでよろこぶ──

しかし、唯低能児のいくたりかは、

あはれむべきものの限りとして暗い投影を心の隅に置く、

しかもその嬉々たる平安は、

更に悲しむべきものであらう。』

 

『更に、更に、──青年の中にも、

民族の意気を以て、

現代の頽廃より脱れて新しい自覚に這入つて、そこによろこびをみとめてゐる者もある、

部落と部落との間にわだかまる宿弊を除いて、

努力と融和とを以て、

凡てをなしとげ様とする者がある、

しかも現在に於て、

部落の中に政党的の争あり、

部落と部落とは偏侠なる自負心あり、

そこに満足すべき活動の余地なきことを悲しむ、

しかしいつかは──敬虔なる彼等のために、

よい時代の来ることであらう。』

 

 

『おお、自分は子供等と青年のために、

新しき時代の来らんことを祈る、

そして、農民に精神的努力的の実生活の湧き上らんことを……。』

 

饒舌の言葉の終る前に、

空から雨がふり下つた、

自分は、

雨そのものによつて、

農民の心を洗ひたく思ふ。

 

 

Ⅴ 兄弟四人

    ──長詩篇──

 

今宵は兄弟四人が群れて、

横浜の街頭を語りながら歩いた、

七人の中の四人──朝鮮へ行つてゐる一番上の姉と次兄と、

東京にゐる一番下の妹とを除いて──

船に乗つてゐる長兄、生糸会社につとめてゐる横浜の三番目の兄、

そして平塚の四番目の兄と五男の自分とが

ある力を感じながら、

また──入つて飲み食ふための料理屋を探しながら、

親ゆづりの大声をはりあげて、

語らひながら歩きまはる。

やがて兄弟四人は、

伊勢佐木町のとある料理屋の三階を占領した、

そして、飲み食ひかつ語り、

かつ論じて厭くことを知らない、

長兄は、海上生活の黙想と独身生活の自由とより来つた、深酷なる、また芸術味ある言葉を語り、

横浜の兄は平静なる態度を以て常識的に語る、

(しかし酔ふては大分砕けて来たが──)

平塚の兄は、英文学に得たる質実を持しながらさて其裏に熱烈奔放なるロシヤ人式の大(ママ)負を開陳する

自分もまた時々思想を述べながら、

肯定し、反駁し、また制止する兄弟の声にききほれる、

年増の女中は、四人の顔を見くらべて、

『まあ、御兄弟でいらつしやるの……、

ほんとに御立派な御兄弟でゐらつしやること!』と御世辞がいい、

長兄はいちばん世なれたらしい態度でそれに盃をさした。

 

外の兄弟の話も出た、

──殊に朝鮮の兄の手紙が丁度長兄のところに来たので、

それをよみながら次兄の事が盛に話された、

また、各自の生活の行き方の話もあつた、

長兄は自分に、『貴様はまだ金のありがた味を知らぬからだめだ。』とか、

『貴様はまだ世の中に出るにやあ若い、もつとゆつくりあせらぬでやらにやあだめだ。』などと叱る様に言つたりした。

ふとつぱらな、放逸な長兄の人を激励する言葉はこれであつた。

平塚の兄の放浪時代のいろいろな話もあつた、

そして、遂に自分の結婚を強いられてゐる心持の告白から起つて、

横浜の兄の結婚に関するローマンスと波爛の追憶談やら、

平塚の兄が最近結婚した話が論題になつた。

 

長兄は酔つて顔をてかてか(ヽヽヽヽ)させながら、

『貴様は何しろ結婚じやあ失敗してゐる、肉を満足させたために離れ得ない状態をつくつたのだからなあ』と横浜の兄に肯定させて置いて

『貴様にしてもやつばり同じ路を行かうとしてゐるが、貴様はりこうだから結婚に就いてもうまくやつちまつた、これからもうまくやつて行くだらう。』

 と平塚の兄に言ひ、

『だが──貴様と来たら』と自分に顔をむけて、『きつと女がいやになつたらほつぽり出すね。』と断言した、

自分は黙つて考へて、

そして肉欲の強い兄弟達のなかから、

また肉体的生活強く、しかも霊的実生活との融和を仰望する自分の生れ出たことを思ひ、

そこの苦悶を肯定して、

はじめて人生は意味あることを思ひ定めた。

 

女中が上つて来て、

『御兄弟がずゐ分粋な話をなさるのね、

ですが親御さんはたのもしいでせう。』といつた時、

みんなは『ハゝゝゝゝ、』と笑つた、

そして平塚の兄はまじめに、

両親(ふたおや)はもうゐないのさ……。』と言ひながら、

御母(おつか)さんもいままでゐたらなあ。』と一言連けた、

長兄は、『オレがかかあと別れたのも御母(おつか)さんが言つたからさ……実際、日本では、親が言へばまあ別れちまへと思ふものが多いのだからね。』と嘆息して、

日本の姑と嫁とが、旧によつて旧の如きを罵り、三十五にしての独身生活の気楽を語つたが、

自分はそこに何等の矛盾も感じなかつた。

 

兄弟四人は約三時間を語つた後そこを出た、

長兄は例によつて例の如き主義を以て、歓楽の里へ走るべく、

あと三人はオデヲンのサラムボを見るべく別れた、

自分は街頭に立つて長兄を見送りながら、

肉親の愛そのものを感じ、

そして独り去る長兄に対し、強者の悲哀をしみじみと感じて、

涙するばかりであつた。

 

 

小田原文学館

 

 

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2017/07/24

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福田 正夫

フクダマサオ
ふくだ まさお 詩人。1893(明治26)年3月~1952(昭和27)年6月。小田原に生まれる。1918(大正7)年1月、詩誌『民衆』を創刊。井上康文、川崎長太郎ら小田原の詩人・作家を擁し民衆詩派のリーダーと称される。

掲載作『農民の言葉』は、1916(大正5年)1月に南郊堂書店より自費出版された第1詩集。底本は『福田正夫全詩集』(1984〈昭和59〉年1月、教育出版センター刊)によった。 本文中に差別語や時代を鼓舞する表現が散見されるが、詩集が刊行された1915(大正4)年は、前年の1914年7月28日に第一次世界大戦(1914年~1918年)が勃発し、日本は、日英同盟に基づき、他国防衛のための戦争に8月23日に巻き込まれた翌年である。1915年6月から10月までに書かれた各作品は、当時のかかる時代状況を反映しており、歴史的に必要な表現と判断をし、そのまま掲載をすることにした。

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