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鳩子ひとりがたり(抄)

目次

  「ハトちゃんの死」

わたしには「鳩山鳩子」という立派な名前があるというのに しかも「鳩子」という名前には 「世界に平和をもたらすように」 という親の真剣な願いまでこめられているというのに 一方でこの世には固有名詞を授けられない物たちが数えきれないほどいて たとえば「爪きり」とか「耳かき」とか「財布」とか「冷蔵庫」とか これらの物が固有名詞を持たないということはわたしに「学生」という以外に名がないのと同じくらい屈辱的なことで それでまずわたしの「爪きり」にサミイ わたしの「耳かき」にジミイ わたしの「財布」にルミイ わたしの「冷蔵庫」にエミイ と命名するところからわたしは始めたのです わたしの「机」はカトリイヌ わたしの「ベッド」はクリスチイヌ わたしの「本棚」はマルスリイヌ わたしの「押入れ」はアデリイヌ わたしの「電気釜」はジョゼフィイヌ わたしの「魔法瓶」はジャクリイヌ わたしの「ご飯茶碗」はデルフィイヌ わたしの「湯呑み茶碗」はアルセエヌ わたしの「お箸」はアントワアヌ ところが間もなくわたしは命名するだけでは不十分であることに気付きました 戸籍 という立派な身分証明がわたしには用意されているけれども それに相当するものを彼らにも用意してあげなければならない そこでわたしは(1)入手年月日(出生年月日に相当) (2)入手地(出生地に相当) (3)棄却年月日(死亡証明に相当 但し本欄は棄却時迄空欄とする) の三項目を満足させるべく用紙を準備し 各品物についての正確な記述を心掛けたのでした が 想像するだけでわかるとおりこれは恐ろしく膨大な作業で なかでも難儀きわめるのが紙幣と硬貨の管理で 某五千円札を千円札五枚にくずして百五十円区間の切符を一枚買うというケースを例にとると 五枚の千円札のそれぞれを例えばシャルロット ブリジット イングリッド マルグリット ベルナデット と名付けたとして各お札の戸籍簿の(1)(2)をまず記入し シャルロットに関しては(3)の欄も記入すると速やかにシャルロットを自動券売機の溝に投げ入れ 百五十円のボタンを押すと今度は出てきた切符及び五百円玉一枚百円玉三枚五十円玉一枚についても即座に戸籍簿を作成する必要が生じ そうこうしているうちに残った千円札のどれがブリジットでどれがイングリッドだったかわからなくなってしまうという不祥事もあったりしてもう疲労困憊 体力も精神力も既に限界のとある日の朝 「自ら世界の座標軸の原点たらんと欲するのは許され難い傲慢である」 という声が恵みの雨のように天から降ったのです そうです わたしは名を持たぬ物を命名することによって救おうとするのでなく わたし自身名を持たぬ者となって彼らと共に歩む道を選ぶべきだったのです その日以来わたしの関心はもはや物の命名にはなくなり 「鳩山鳩子」という名から如何にして脱却するかという一点に集中したのでしたが これがまた物の命名に劣らず困難な作業で それというのも例の戸籍及び健康保険証 そこから「鳩山鳩子」を抹消するには「鳩山鳩子」が死ぬよりほかなく しかもわたしは名を持たぬ者として生き続けなければならないので そこで年齢 身長 体重 血液型 がわたしと同じ友人を部屋に招いて「ケーキを買ってくるわね」と言いながらわたしだけ土間まで出て 予め用意しておいた石油缶に手をかけるなりあっと思う間も与えず彼女の体に石油をわんさか振り掛けマッチを三本擦って投げつけるとわたしはそのまま失踪 翌日夕刊に載った焼身自殺の記事は意外に小さく 死亡した女性の名前は「鳩山鳩子」

(ハトちゃんかわいそう)

(いいひとだったのに)

(でもあんなにだいじにしてたものたちといっしょにしねて)

(そうだね ハトちゃんしあわせだったかもしれない)

遙かヨーロッパの田園から鐘の音が耳に響き 『晩鐘』の農民さながらわたしは敬虔に両手を合わせています いまわたしは名のない者として名のない物のために日々祈りを捧げ 名のない物とともに名のない者として歩む者です

  「ハトちゃんについてハトちゃんが語ったこと」

さっきも例の電話がかかってきたんですけれども

例の電話というのは「ハトちゃん」という人にかかってくる電話のことなんですけれども

「最近連絡ないじゃない 心配してんのよ」なんていう特に用のない電話ばかりなんですけれども

わたしが想像するに「ハトちゃん」という人はかなりの変人みたいで

それというのも「ハトちゃん」の友だちというのが極めつけの変人揃い

「わたしのこと忘れちゃったの」とか言っていきなり電話口で泣き出したりがんがん怒りだしてみたり

要するに感情の起伏が激しい人たちばかりなんです

類は友をよぶ と申しますから

「ハトちゃん」もやっぱり感情の起伏の激しい変人なんじゃないかと

そう考えてみたくもなってしまうわけなんですよね

そのうえ「ハトちゃん」はそうとうだらしのない人でもあるらしくて

「ハトちゃん」はフルネームを「鳩山鳩子」というらしいんですけれども

「鳩山鳩子様」宛の郵便物がわたしの郵便受けによく入っていて

それが要するに水道代とか電気代とか電話代とか

そんなものの督促状がほとんどだったりして

「そろそろお金返してくんない」なんていう電話がかかってくることもあったりして

とばっちりがわが身に降りかかるのを心配しないでもないんですけど

一方で「ハトちゃん」は結構茶目ッ気のある人でもあるみたいで

毎日の献立づくりにわたしは「食品成分表」を愛用しているんですけど

それは高校に入って最初の家庭科の授業でもらったものなんですけど

気がついたら裏表紙に黒の極細油性サインペンで

「鳩山鳩子」としっかり書いてあるんですよね

留守中にこっそり部屋に忍び込んで何を盗むでもなく

本棚に「食品成分表」を見つけるややおら取り出し

「水性のペンだとお台所で水に滲んじゃったりするかもしれないからナ」

とかいちいち細かいところまで思案を巡らしたりなどして

裏表紙に黒の極細油性サインペンでそれも大きな堂々とした字で

「鳩山鳩子」とだけ書くと御機嫌で帰っていく

お茶目な人ですよね

そんなわけでわたしには「ハトちゃん」てどうも憎めない人のような気がして

「ハトちゃん」てもしかしたらわたしに好意があるのかしらなんて思ってしまったりして

例の電話になるべく丁寧に応対しているのもそういう次第で

随分迷惑を被っているのは事実なんですけれども

代わりにお金を払わせられるのはご免だとも思っているんですけれども

  「A大学B学部C学科D文学専攻第四学年鳩山鳩子二十一歳」

わたしはまだ外国に行ったことがないのでニューヨークとかロスアンゼルスとかサンフランシスコとかアメリカの大都会の地下鉄のことはよくしらないのですがなんでもパリとかロンドンとかミュンヘンとかヨーロッパの都会では小さなお風呂桶のような囲いのなかに駅員さんがいてぱちぱちと鋏の音を高く響かせながら切符(裏面が白く長時間指で丸めたり伸ばしたりしていると五~六枚の薄紙に分かれるもの)に鋏を入れてくれるということはなく地下鉄の改札はまず無人で自動改札になっているかあるいは乗客各人で大きなホチキスのような機械に切符をさしこみ穴をあけるという方式になっていてそれは切符切りという仕事はきわめて単調な仕事であり単調な仕事とは人間のする仕事ではないというヨーロッパの人どくとくの合理的な考え方にもとづいているらしい。さてわたしは小学生のころも電車通学をしていて日本国有鉄道東海道本線大船駅の改札のおにいさんと友だちになり乗降客の少ない時間帯などに遊んでもらった思い出があるのでかならずしも切符切りという仕事には懐疑的ではなかったのでしたがたとえば渋谷とか新宿とか池袋とかああいう乗降客のおおい駅では利用客は駅員さんのことを人間だとはおもわず駅員さんのことを視界のなかにとどめているかどうかさえ疑わしいのだし駅員さんからみれば自分のことを人間とも生き物ともおもわないでみずからのかたわらを通過する人間のことを人間とも生き物ともおもいたくなくなるのでこういうひじょうにつめたい人間関係を朝に晩に経験するという悪習はやめようという話がでるのはまったく当然のことで山手線をはじめとして首都圏各線の改札がいっせいに自動改札に変えられたのは良いことなのだとはおもいます。ところで自動改札を日本で初めて導入したのはわたしの記憶によれば東急東横線でそれは高さ八十センチ幅十五センチ奥行き一メートルくらいのステンレス製の直方体。上面の端に幅三センチほどの差し込み口がありそこに切符(裏面が茶色いもの)をあてがうと切符が自動的に吸いこまれそこが入口であれば反対側の端にある切れこみから切符が穴のあいたすがたで出てくる。そこが出口であれば切符は機械に吸いこまれたままだがいずれにしても機械の出口側には手のひら大の遮断装置が左右から出ていてただしい切符を差しこむとそれが開かれてとおることができるしくみになっている。つい最近導入された首都圏各線の自動改札もこれとほとんどおなじ構造をもった機械なのだが唯一ちがう点は切符を取り出すところに入口であれば「切符をお取りください」出口ならば「ありがとうございました」と黒地にオレンジの小さな電光掲示がそれも英訳つきで光るところがさすが時代の流れ技術の進歩ジャパン・テクノロジーなるものをかんじさせます。ところがきのうわたしは午前九時から十時三十分までD文学史Ⅱ、十時四十分から十二時十分までD文学演習Ⅲを聴講したあと生協食堂で三百五十円の「牛肉と里芋の煮物」をたべてから高校のクラブの同級生ゆかりちゃんさなえちゃんとの五時ハチ公のしっぽの約束には早すぎるけどまあパルコで夏のブラウスでも見ていればいいかなと考えてT駅で裏の茶色い百五十円の切符を買い山手線外回りに乗って渋谷で降り切符を自動改札機に差し入れて出ようとしたところが「ありがとうございました」という電光掲示が出ず黒い手のひらのような遮断機がわたしの目の前でしまってしまいもちろんあんなちゃちな遮断機は飛びこえることもできるしくぐりぬけるのも簡単だけどまあ切符を入れたのは確かだから待っていればそのうち開くだろうとおもってのんびり立っていたらうしろから「切符を拝見させていただきます」という声がして振り向くと紺の制服に紺の帽子をかぶって立っている駅員さんの眉は横一文字で目は約三十度の角度でたれていました。「どこから乗りましたか。」「T駅からです。」「お名前は。」「鳩山鳩子。」「年齢は。」「二十一歳。」「職業は。」「学生です。」眉が一文字でたれ目の駅員さんが切符のつまった自動改札機をいじくっているとやがて駅員さんがもうひとり赤いラッカーの塗ってある鉄製のケースを持ってやって来て顔は眉がなくてつれ目。ケースを開くと中に入っているのは釘、鋲、鋏、カッター、かなづち、スパナ、糸のこ、のこぎり、錐、ドリル、縫い針、待ち針、手伽、足伽、首伽、手錠、ピストル、ギロチン、電気椅子。それらの中から直径約七ミリ握る部分に黒いプラスチックの柄がついている+のドライバーをとり出しわたしが切符を差し入れた自動改札機の上面四隅についているねじを次々に左に回して自動改札機の上面を蓋のようにはずすと詰まっていた切符を手にとり蛍光灯の光に透かしながら眉がなくてつれ目の駅員さんは「JR線T駅から百五十円区間。でもこれはあなたの切符ではないでしょう。しらばっくれてもだめです。あなたはねえ、T駅からじゃなくて上野から乗ったんでしょ。国立博物館で狩野探幽が出ているから、探幽の好きなあなたはそれを見に行って地下のミュージアム・ショップで無料の緑茶を飲み、そのあと上野公園をぷらぷらと散歩しながら渋谷に『電力館』を訪ねることを思いついてJR線上野駅に出、自動改札をまごつきながら通り抜けるイラン人のあとにぴったり寄り添うようにして改札を入ったんです。それからあなたは午後二時三十四分発山手線外回り東京・品川・渋谷・新宿方面行きに乗るとドアを入ってすぐ左の席に座り、美術館を回った疲れからつい居眠りをし、渋谷駅で電車のドアーが閉まる寸前に目を覚まして慌てて飛び降りたのです。ところが眠りから完全に覚めやらぬあなたは、改札が全部自動に変わったことをすっかり忘れてしまっていたのでした。素知らぬ顔をして通り過ぎれば駅員に呼びとめられることはないという昔の法則どおりあなたは改札を通り抜けようとしました、が、非情な自動改札はあなたの目の前で閉まってしまったのです。JR線T駅から百五十円区間のこの切符、これはあなたの前にこの自動改札を通った人のものです。自分の前の人が出す切符のチェックはかつての無賃乗車常習者の鉄則で、これはあなたにはほとんど反射的な習慣になっていたとみえます。これさえしておけば、万一駅員に呼び止められても乗車駅名を述べて駅員の目の前に切符を指差してみせることができるというわけです。以上の証拠により、あなたを無賃乗車常習者とみなします。身分証明書の提示をお願いします。」こどものころから運動神経が鈍いために自動車運転免許証がなくまた健康保険証パスポートなど常日頃から持ち合わせているなんていうことはもちろんありませんからショルダー式の大きな黒いカバンの中の財布、キーホルダー、ハンカチ、ティッシュ、筆記具、ノート、乾パン、水筒、マーキュロ、包帯、ろうそく、マッチ、懐中電灯、縄ばしご、防災ずきん、ガスマスク、をかきわけて衆目の見つめるなかあたふたと黒い定期入れを取り出し、学生証が入っている面を開いて眉が一文字でたれ目の駅員さんの差し出す手に渡すと眉が一文字でたれ目の駅員さんは「A大学B学部C学科D文学専攻第四学年鳩山鳩子二十一歳。」と甲高い声で読み上げたあと大きなため息をひとつついて物思わし気に定期入れを閉じ、「ここに記載されていることは真実です。すなわち、鳩山鳩子さんは現在確かに二十一歳であり、A大学B学部C学科D文学専攻第四学年の学生です。けれどもこの学生証は、鳩山鳩子さんの年齢及び鳩山鳩子さんとA大学との関係を証明するものであって、鳩山鳩子さんとあなたとの関係、鳩山鳩子さんがあなたであることを証明するものではないのです。はっきり申し上げましょう。この学生証は盗品です。学生証の左上に貼られた3×3cmの証明写真、これはあなただと言われればあなたであるようにも見える、けれどあなたでないと言われればあなたでないようにも見えます。そしてこれはあなたではないのです。ちょうど一ヵ月前の今日、すなわち平成四年五月十六日、JR線T駅前森永本社二FのレストランMORINAGAで、二人用のテーブルに一人で座ったあなたは七百八十円の日替わり定食を注文しました。その日の定食はキャベツの千切り添え豚赤身のカツ、しじみの赤だし汁、白菜の漬物、生野菜のサラダイタリアンソース。八つに切り分けられたとんかつを約五分で平らげ、しじみの赤だし汁、白菜の漬物、生野菜のサラダイタリアン・ソースすべて余さず平らげてしまったあなたは間もなく便意を催してトイレに赴き、用を済ませて手を洗うと何事もなかったかのようにすずしい顔をして化粧を直していたのでしたが、ふと気がつくとランセルのセカンドバックが御丁寧にファースナーも開いたまま洗面台の脇に置きっぱなしになっています。三つのドアのうち一つだけが閉まっていてウンともスンとも物音がしないところからすると持ち主の用事は少々長くかかる性質のものらしい。時間は午後一時四十五分、会社員やOLは既に午後の仕事に入っているはずだから、持ち主はA大学の女子学生である可能性が強い。あなたの目はランセルの中身へと吸い寄せられる、バーバリーの格子縞がファースナーの中から見える、バーバリーは財布と定期入れのお揃い、財布を盗むほどの勇気はあなたにはない、あなたにできる悪事はせいぜい無賃乗車、でも学生証なら紛失しても再発行が可能だ、本人には大した損害にはならない、定期入れを開いてみる、案の定入っている学生証、丸い顔丸い目丸い鼻丸い口、写真はあなただと見れば見れないこともない、これがあれば学生割引が使える、東京国立博物館なら四百円のところが百三十円で入れる、差額二百七十円、それだけでも一年間でどれだけ節約になるかしれない、そうして手に入れたのがこの学生証、……」そのとき、「ハトちゃあん、ハトちゃあん、」と妙にハスキーでかん高い声が遠くから呼ぶ声がして目を上げると身の丈二メートルを超えるかとおもわれる大女がのっしのっしと人垣をかきわけかきわけあっとおもう間に目の前にやって来たその姿はハイビスカス色の口紅腰まで伸びたソバージュヘア蛍光黄緑色膝上二十センチのボディコンシャススーツ開いた胸元に黄金のネックレスが眩しいけれどさてこの人誰だったかしら。「いやだあ、ハトちゃん、まだこんなとこでひっかかってたのお? あたしハトちゃんが横にいるとばかり思ってずっと一人で喋りながらパルコまで行っちゃってね、周りの人があたしのこと気味悪そうに眺めるからどうしたんだろうと思って見たらハトちゃんいないじゃない? びっくりしたわあ、もう。え? ええ、もちろん、この人鳩山鳩子さん、あたしの大学の友人でね、今日は午前九時から十時三十分までD文学史Ⅱ、十時四十分から十二時十分までD文学演習Ⅲを一緒に聴講したあと生協食堂で三百五十円の「牛肉と里芋の煮物」を一緒に食べてから高校のクラブの同級生ゆかりちゃんさなえちゃんとの五時ハチ公のしっぽの約束には早すぎるけどまあパルコで夏のブラウスでも一緒に見ていればいいかなと考えてT駅で裏の茶色い百五十円の切符を一緒に買い、午後二時四十九分発山手線外回り品川・渋谷・新宿・池袋方面行きに乗るとドアを入ってすぐ左の席に並んで座り、授業を受けた疲れからつい居眠りをし、渋谷駅で電車のドアーが閉まる寸前に目を覚まして慌てて飛び降りて、そのあとここではぐれちゃったんです。この子昔っから改札が好きでね、小学生のころも電車通学をしていて日本国有鉄道東海道本線大船駅の改札のお兄さんとお友だちになって乗降客の少ない時間帯なんかに遊んでもらっていたんだけどまさかこの年齢になってもまだ改札が好きだなんてね。ええ、まったくお世話になりました、それでは失礼します。ああ驚いた、ハトちゃんってばいきなりいないんだもん、あたしパルコまでずっと一人で喋り続けちゃってホントに恥ずかしい思いしちゃった、ところであたしさっき思い出したんだけど今日ってゆかりちゃんのお誕生日でしょ、二人でお花でも買っていってあげない、この階段の下の花屋さんわりといいのよ、ほらアリストロメリア置いてる、アリストロメリアってゆかりちゃんが一番好きな花でしょ、すみませーんすみませーんアリストロメリアください、そうですその一本百八十円のやつ二十本に緑の葉っぱつけて贈り物用の花束にしてください、」かくしてアリストロメリアと呼ばれる花はうつくしい花束に形づくられていくのでしたが妙にハスキーな声ストッキングから突き出る剛毛厚いファウンデーションの下には青々とした髭の剃りあとこのひとってもしかしておかまかしら。

  「鳩子さんのハンカチ」

黄色いまんまるのなかににっこり笑った顔がかいてあって、ピースとかスマイルとかよばれてそれはそれははやりましたけれども、それももう二十年よりもまえのことになってしまって、ところがわたしはいつもデパートの紙袋にアイロンするものを入れておくんですけれども、その日はすずしかったせいかとてもよくはかどって、一枚また一枚とどんどんかけてしまったんですけれども、紙袋のいちばん底になんか小さいものがくちゃくちゃにまるまっていて、あれなんだろうなんて広げてみたらそれがスマイルのハンカチで、たてよこに五つずつスマイルの顔がかいてあって、木綿だったはずなのに絹みたいにうすくなっていて、印刷の黄色もすごくうすくなっていて、そして油性のサインペンでぜんぶひらがなで「はとやまはとこ」ってかいてあって、黒でかいてあったのがうすい灰色になってしまっていて、あっ小学校の入学式のとき安全ピンでスカートにつけていったハンカチだ、こんなものがこんなところに、とおもったらどうしようもなくなつかしくなってしまって、「ねえねえあなたこれ見てよ」と、主人の前でふってみせたんですけれども、なにも反応がないものですから、「ねえねえこれ見えた」と、顔と新聞のあいだでひらひらさせてみせましたら、「なんでそんなもん持ってんだよ」と、ひとこと言うなり外に出ていってしまって、なんでったって偶然出てきたからじゃないのよ、とふてくされていたんですけれども、三時間たっても帰ってこないものですから、「なんでそんなもん持ってんだよ」と、主人が言い置いていった言葉がやたら気になってきて、「なんで」って言うからにはわたしがこのハンカチを持ってたのが主人にはよほど変に見えたのにちがいない、でもわたしがこのハンカチを持ってるのってそんなに不自然だろうか、不自然にみえる理由がなにかあるだろうかとかんがえるうちおもいだしたのが前の日の赤城屋さんとのことで、赤城屋さんというのは月曜日と木曜日にまわってくるご用ききなんですけれども、プラスチックの箱の赤いのを二つはこんでくるとなかに醤油がびっちりならんでいて、「あのう悪いんだけどうちお醤油たのんでないのよ」と言うと「いいえたしかにご注文になりました」と言われてしまって、「でもわたしサラダ油とみりん二本ずつお願いしたとおもったけど」と言うと「いいえたしかにこちらの奥さんから醤油二ダースとうかがいました」と言われてしまって、それでしかたなく支払いをすまして台所にはこびあげたんですけれども、赤城屋さんが「こちらの奥さんから」というところを強めて言っていたことに急に気づいて、もしやわたしはこちらの奥さんではないのでは、こちらの奥さんはお醤油二ダースを注文してからどこかに泊まりがけででかけて、その留守のあいだになにかのまちがいでわたしはこの家に入り込んでしまったんじゃないだろうか、そのうえなにかのかん違いで自分をこちらの奥さんだとおもいこんでしまったんじゃないだろうか、だとすると主人はこちらの奥さんのご主人で、このマンションもこちらの奥さんのうちで、そうするとスマイルのハンカチをけさわたしはこのうちの洋服だんすの横にあった紙袋の底にみつけたのだからこれはたしかにとても不思議なことだけれどではなぜわたしのものがこちらの奥さんのうちに、とおもってかんがえこむうちおもいだしたのがその前の前の日実家の母がたずねてきた朝のことで、あたらしく買った圧力なべで五目豆を煮てもってきてくれて二人でたべたんですけれども、ところがそれがあまりおいしくなくって、こんぶもこんにゃくもくきくきした歯ごたえがなくって、大豆も人参も妙にやわらかくてあじが妙にきんいつにしみこんでいるので「ねえこれちょっとまずいねえ」と言ったんですけれども、なにも反応がないので「ちょっとまずいねえ」と耳元ではっきりとくりかえしましたら、「鳩子とならね、一緒に『おいしいね』って言いながら食べられるとおもって持ってきたんだったんだよ。」と言うなり帰りじたくをはじめますので、「じゃあ駅までいっしょにいこう」と言ったら「あんたなんかにね、送ってもらう筋合いはないよ。」と言って帰ってしまったんですけれども、もしかしたらわたしは鳩子ではないんじゃないだろうか、いつからかそうおもいこんでしまっていたし、実の母もすぐには見破れないほど似てはいるけれども、もしほんとうに鳩子だったら母の煮た五目豆をかりにも「まずい」とおもうなんてありえないんじゃないだろうか、あの五目豆はほんものの鳩子さんだったら涙がでるほどになつかしい実家の味で、だからわたしがそれを「まずい」と言ったとき母は、いえ鳩子さんのお母さんはついにわたしが自分の娘ではないことに気づいてしまったんだ、わたしはこちらの奥さんでもなければ鳩子でもない、「なんでそんなもん持ってんだよ」と主人に、いえ鳩子さんのご主人にきかれたのもあたりまえで、あかの他人が奥さんのハンカチを持っていたら不審におもうのがちょうどで、はとやまはとこというのはこちらの奥さんが結婚するまえのなまえで、鳩子さんはこちらの奥さんでここのご主人の奥さんであのお母さんの娘さんで、だとしたら鳩子さんのものは鳩子さんにかえさなければいけないんですけれども、わたしはそっこくこのうちをでていかなければいけないんですけれども、でもわたしの感情はあまりにも鳩子さんになりきってしまっていて、鳩子さんのハンカチをみてなつかしいおもいで胸がいっぱいになってしまうし、鳩子さんのご主人お母さんのことがいとしくてせつないほどだし、このおもいをたちきってここを去るというのはあまりにもつらくて、部屋のまん中におろおろとたちつくしているとピンポーン。ピンポーン。と玄関のチャイムが二回ていねいな速度で鳴り、これはわたしの知らない鳴らしかただ、もしや鳩子さんが帰ってきたのでは、とあわててベランダに逃げたんですけれどもマンションは二階で、どうすればいいかわからないでいるうちにまたピンポーン。ピンポーン。とていねいな速度でチャイムが鳴り、ドアのノブまでがガチャガチャと音をたてはじめて、もう間にあわない、手すりのうえによじのぼると両手で両耳をおさえ両目をつぶり両足そろえてわたしはいさぎよくとびおりたのです

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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大木 潤子

オオキ ジュンコ
おおき じゅんこ 1963(昭和38)年生まれ。横浜市出身。

掲載した散文詩は第1詩集『鳩子ひとりがたり』(1999年、思潮社刊)の1~5のうち、冒頭「1」の部分を抄録。

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