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詩集『あたらしい太陽』(抄)

序詩

あなたが母の胎に宿った頃

天の息吹に託された

一つの名前が

いのちの水晶に刻まれています

 

 

ウルトラマンの人形 ―江ノ電にて―

江ノ電の窓辺に(もた)

冷たい緑茶を飲みながら

ぼうっと海を見ていた

 

突然下から小さい手が伸びてきて

「かんぱ~い」

若い母の膝元から

無邪気な娘がオレンジジュースの

ペットボトルをまっすぐさしだす

 

思わずぼくはたじろぎながら

つくり笑顔で

「かんぱ~い」

ペットボトルを幼い娘と重ねる

 

鉛色の波間に夕焼は滲み

海沿いの線路が

緩やかに曲りくねるあたり

 

幼き日のぼくは

母の隣で膝をつき

瞳をひろげて

窓外に(きらめ)く海を眺めている

 

小さい手に持っていた

ウルトラマンの人形が

電車の外へすべり落ち

頬を赤らめベソをかいたあの日が

遠い記憶の脳裏に浮かぶ

 

幼稚園の誕生会で舞台に上がり

「将来ウルトラマンになりたいです」

年長のガキ大将に笑われて

げんこつをもらったあの日

 

あのウルトラマンの人形は

遠い昔の昨日のなかに

影も形も消えただろう

 

30年の時を経て

ウルトラマンにはなれなかったが

日々の職場の小さい部屋で

認知症で不安げな

ひとりの老婆にとってのウルトラマンなら

こんなぼくでもなれるかな

 

幾重もの小波(さざなみ)

こちらに

音もなく押し寄せる

海の見える小さい駅で降りた

若い母と幼い娘

 

流れる車窓の向こうから

ドアに凭れて(うつむ)くぼくに

ふたり揃って

手をふった

 

 

貝の祈り

ほんとうに心配なことは

まるごと天に預けよう

あまりに小さいこの両手は

潮騒を秘める貝として、そっと重ねる

 

 

あたらしい太陽

夕暮れの窓辺から

あの煙突の上に昇り

空へ吸いこまれる

煙を見ていると

 

昨日

頭に来た誰かの一言や

恥ずかしかった自分の姿が

 

いずれ何処かへ消えゆくようで

ちっぽけな自分のことなど

どうでもよくなって来る

 

今夜も街の何処かで

幼子は

涙を忘れた

あどけない顔で眠るだろう

 

明け方の窓辺から

朝焼けの空に昇る

あたらしい太陽の

夢を見て

 

 

遺影のまなざし ―四十九日前夜―

くたびれた足を引きずって

いつもの夜道を帰ってきたら

祖母の部屋の窓はまっ暗で

もう明かりの灯らぬことに

今更ながら気がついた

 

玄関のドアを開いて

階段を上がり入った部屋の

机の上に置かれた写真立てに

いつのまにか納まった

祖母の顔

 

小さい額縁に吸いこまれた

(もう一つの世界)から

職場の老人ホームで

お年寄りと僕が

笑って過ごしたひと時を

眺めていたように微笑する

祖母のまなざし

 

四十九日前夜

食卓のいつもの席に

曲がった背中の無いまま

時の流れ続けていることを

今も不思議に思うのです

 

毎朝門を出てゆく孫を

祖母の育てた柚子の木が

手を振るように葉を揺らし

覚束(おぼつか)ないこの足取りは

風の声に励まされるのです

 

今こうして書いているような

一篇の詩を綴った夜は

祖母の部屋に正座して

骨壷の前に

(ありがとう)の言葉を添えて

手紙のように置くのです

 

マッチを擦って

二本の蝋燭に火を灯し

線香を立てる

 

小さな棒を手に

生前の祖母が毎朝

仏前で鐘を鳴らしたように

微かな音が

畳の部屋に響く

 

薄っすらと昇る煙の

向こうから

祖母の遺影が(お疲れさん)と

ほころんだ

 

 

浅草物語

ある日僕は、偽善をした。

ちらほらと雪のぱらつく、浅草で。

  *

ふたりの女を、愛しそうになっていた。

ふたつのあげまんを、雷門の近くで買った。

  *

地下鉄へ(もぐ)る階段に

家の無い爺ちゃんが震えながら

身を縮めて、眠ってた。

 

数日前にマザーテレサの映画を観た僕は

カルカッタの路上に寝そべる痩せこけた人の

傍らに坐り

手を握る聖女の姿が

記憶のスクリーンに甦り

 

道を引き返し

あげまんじゅうの店に立つ

金髪のおばちゃんに

「浅草人のハートが好きです」と握手して

もう1個買ったあげまんを紙袋に入れ

階段で眠る爺ちゃんのもとへ

まっすぐに歩いた

 

しゃがんで ぽん と肩を叩いて

 

「これあげまん、腹が減ったら、食べて」

 

「おぉ、あげまん…!」

 

およそ70年前の

純粋無垢な少年の

笑顔は時を越えて

しゃがんだ僕の目の前で

ぱっ と花開いた

 

爺ちゃんの体から

ぷうんと漂う匂いは

あげまんをふたつ袋に入れた

日頃の僕の、匂いであった

  *

朱色の雷門をくぐり

仲見世通りの人込みを

掻き分けながらまっすぐ抜けて

辿り着いた本堂で僕は

ぱんぱん両手を合わせ

人のこころの(さいわい)を、一心に願った。

  *

ちらほらと雪のぱらつく、浅草で。

紺のハッピを身に(まと)

元気に客寄せをする、人力車夫を横切って

地下鉄の階段に潜れば

 

車内には、若い旦那が

両腕の揺りかごで

泣いてる赤子を抱っこしていた。

 

稲荷町を過ぎる頃には

手のひらに残る

たった一つのあげまんが

(かじか)む肌に、暖かかった。

 

 

新しい家族

深夜一時すぎ

スタンドの灯の下に

原稿用紙を広げ

私は夢の言葉を刻んでいる

 

傍らの布団に

聖母の面影で

幸せそうに瞳を閉じる

身ごもった妻よ

 

パッヘルベルのカノンを聴きながら

胎児と共に夢を見よ

 

「今朝の産婦人科で、小さいモノクロ

画面から5㎝の胎児は僕等に向けて、

形の無い手をふっていた。」

 

私は明日の夜

あなたの老いた父親に

目と目を合わせ、打ち明けよう。

 

草原の間に

曲がって空の彼方へ伸びる道の上で

家族として並ぶ僕等の

新たな旅の幕開けを

 

 

賢治ノ星

地下鉄の風に背中を押されて

階段を下れば

ホームの端を

黄色い凸凸道が

何処までもまっすぐに伸びていた

 

いたずらな風が

吹けば

すぐによろつく私だから

 

凸凸道の内側を

踏み越えぬよう

無心で歩いてゆけばいい

 

(ほんとうはもう

(銀河を走る列車以外に

(私の乗りたいものはない…

 

地下鉄の風に抗いながら

階段を上がれば

地上の歩道を

盲人用の凸凸道が

遠い暗闇に向かって刺さっていた

 

気まぐれな風が

吹けば

道を踏み外す私だから

もしも脱線した時は

何度も戻って

また歩きなおせばいい

 

(擦り剥いた膝小僧に血を滲ませ

(独り(わら)って立っている

(私はデクノボウの化身です…

 

今夜も頼りない後ろ姿で

とぼとぼ歩くこの背中を

不思議な夜風の(てのひら)

いたわるように

押すのです

 

誰一人いない

冬の深夜の冷たい道に

独り立ち

オリオンを仰ぎながら

音の無い声で(賢治さん)と叫んだら

 

冬の星空の間に

一瞬

流れ星が、尾を引いた

 

 

マリアの石 ―祈念坂にて―

在りし日の遠藤先生が好きだった

大浦天主堂の脇道を入り

祈念坂の石段をのぼっていたら

足元に、サンタマリアの姿のような

ましろい石が落ちていた

 

柔らかそうな石なので

頭と足を両手で握ったら、

二つに折れてしまった

 

なにか大切なものを

壊してしまったようで

裏切ってしまったようで

折れた二つを

思わず両手で、くっつけた

 

(僕の背負った鞄の中にある

 遠藤先生の「切支丹の里」という

 本を開けば

 深夜の灯りに照らされた

 空白の原稿用紙に向かう

 先生の背後から亡き母の幻が

 両手を合わせて、屈んでいる)

 

のぼりきった石段を振り返り

緑の木々の囁きに背中を押されながら

この静かな散歩道をのぼってくる

遠藤先生の面影を偲び

 

手のひらに乗せた

サンタマリアの顔は前よりも

少し屈んで、僕をじっと視ていた

 

 

こころの家

こころの中に

一つの家を建てよう

 

どんなに激しい嵐にも

どんなに揺れる地震にも

決して消えることの無い、一つの家を

 

地面に膝を落とす、日も

涙の絞り落ちる、夜も

こころの中にある

 

一つの家に入れば何者にも邪魔されず

私は私を、回復する

私は私を、充足する

 

瞳を閉じて、見えてくる

こころの中の一つの家に

古い木目の机があり

一冊の本が、置かれている

 

世界の誰にも代われない

私という人の(まこと)の名前を記された頁が

窓から吹く風の掌に、開かれる

 

 

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2016/07/10

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服部 剛

ハットリ ゴウ
はっとり ごう 詩人。1974年生まれ。横浜詩人会会員。詩集に『風の配達する手紙』(2006年、詩学社刊)ほか。

掲載作は詩集『あたらしい太陽』(2012年、詩友舎刊)より著者自選。

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